2011年12月9日金曜日

叶わぬ期待に終わらないように願っています

仕事は忙しい人に頼めと言いますが、私の場合も難題や心配を抱えている時ほど、他の仕事にも打ち込めるように思います。問題が解決し、ホッとすると仕事が手につくように思いがちですが、私の場合、呆けてしまって何も手につかなるように感じます。そんなことで1月近く、このブログの更新も怠っていました。

そんな呆けた状態でネットを彷徨っていると下記のブログに行き当たりました。新党日本の田中康夫氏の2011年12月8日付のブログ「除染はもとより「除洗」も不要だ」です。この中で田中氏は「原発から少なくとも30km圏内は居住禁止区域に設定し、愛着を抱く郷里から離れる当該住民には、国家が新たな住居と職業を提供すべき。それが、「国民の生命と財産を護(まも)る」政治の責務です。」と書いておられます。また、除染に関しては「語弊を恐れず申し上げれば、桜島の噴火が終息していないのに鹿児島市内で愛車を水洗いしている“滑稽さ”と同一です」と書いておられます。

元々は、大阪の生まれ育ちで鹿児島県や鹿屋市には縁がなかった私ですが、11年も住んでいると、「鹿児島市内で愛車を洗車する”滑稽さ”と同一です」と言われると聞き捨てならないと思ってしまいます。私は、毎日洗車するわけではありませんが、鹿児島市内のタクシーも、鹿屋市内のタクシーも明日も灰で汚れると分かっていても、毎日洗車して、きれいな状態でお客さんを迎えています。これは滑稽な姿ではなく、真摯な態度だと思っています。

また、このブログでは「住民が移住後の「フクシマ」を最終処分場とし、この瞬間も世界中で排出される廃棄物を受け入れたなら、これぞ最大最強の安全保障政策の確立です。」と人の住まなくなった「フクシマ」を世界の放射線廃棄物のゴミ捨て場にしろとも言っています。どう考えても福島の方々の心情を考えれば無茶苦茶な論調だと思えます。帰れない故郷を思う人たちを思い浮かべれば、こんなことは言えないはずだ思います。こんな人物が国会議員なのかとも思います。

では、故郷に帰りたい人たちのための「除染」は正しいのでしょうか。私は、放射線が専門ではありません。しかし、被ばくは線源の強さに比例し、線源の距離の二乗に反比例することくらいは知っています。また、ペンキをシンナーで洗い流すように放射性物質は洗い流されるわけではなく、物理的な半減期を経ないと減少しないことも理解できます。現状の「除染」作業は、その場から取り除いて中間施設に保管するだけで国内からあるいは福島から消えてなくなるわけではありません。広範に存在する線源を集中させ、非常に高い線源を作る作業のように思えます。また、12/7から始まった自衛隊による「除染」作業の報道によれば、屋外で毎時2.5マイクロシーベルトが目標だそうです。毎時2.5マイクロシーベルトが24時間・365日続くと2.5X24X365ですから21900マイクロシーベルト即ち21.9ミリシーベルトになります。これでは「除染」をしても批判の多い上限の20ミリシーベルトを超えてしまいます。これでは何のために巨費をを投じて「除染」をするのかその意義は田中康夫氏の言うように疑問です。

故郷あるいは「ふるさと」とはなんなのでしょう。田中康夫氏が桜島を持ち出されたので桜島から考えたいと思います。大正3年(1914年)に桜島の大正大噴火は始まりました。この噴火により桜島内に住めなくなった住民に対して、当時の政府は国有地を鹿児島県に委ね、そこへの移住を勧めました。移住先となった集落は平成の今でも大隅半島内に散在しています。そこには公費で学校も建設されました。そしてその学校は現在でも存在します。大正大噴火でふるさとである桜島から移住を余儀なくされた住民は故郷を失ったのでしょうか。私は新たな故郷を得たのだと思います。

やはり大災害で移住を余儀なくされた例は他にも存在します。平成23年、台風12号による紀伊半島豪雨は記憶にも新しいところです。同様の被害は同じ地区で明治22年(1889年)に発生しました。土砂ダムにより新湖ができ、その決壊で多くの方が犠牲になったそうです。この災害で移住を余儀なくされた十津川郷の人たちが移住した先が北海道の現在の新十津川町です。現在の奈良県十津川村の人口は4112人(平成22年)、北海道新十津川町の人口は7251人(平成22年)です。新十津川町の皆さんは故郷を失くした方たちでしょうか。人口だけを見ても新たに、元の故郷よりも大きな故郷を作り上げたと言えるのではないでしょうか。ルーツが奈良県十津川村だという意識から、平成23年の災害時にも、新十津川町から奈良県十津川村への支援もなされています。

もし、放射線レベルが長く高い状態が続くのであれば、帰れない住民に、叶わぬ期待を満たすためだけに巨費を投じて期待を裏切るくらいであれば過去の歴史にならって移住を考えるのも一つの案ではあると田中康夫氏と同様に思ってしまいます。

十津川村からの北海道への移住がなされた1889年当時の総理大臣は第2代総理の黒田清隆と第3代総理の山縣有朋です。大正大噴火のあった1914年当時の総理大臣は山本權兵衞と大隈重信です。こうした総理がやり遂げたことと現代の菅さんや野田さんを比較することがそもそも間違っているのかもしれません。

叶わぬ期待に終わらなければよいがと願っています。限られた人生です。叶わぬ期待で大切な時間が失われずに福島県内であれ、他の土地であれ、新たな故郷を得て、有意義に人生が作られるように協力したいものです。また、政府が叶わぬ期待を抱かせて多くの人の人生を奪わぬように願っています。

2011年11月18日金曜日

侵襲的な治療に臨む医師の心配と患者本人や家族の心配

11/14 右冠動脈#3の90%狭窄の方のPCIを実施しました。数年前にこの病変にPCIを試みた時には、バルーンの通過も困難で、かつ通過後も20気圧以上の拡張圧でも拡張できずに断念した病変です。今回は、左冠動脈前下行枝の狭窄が進行し、このLADからRCAに側副血行が出ているために是非とも拡張しなければという気持ちでPCIに臨みました。今回のPCIは数年前とは全く異なり、バルーンの通過も容易でしたし、病変もすぐに拡張でき、薬剤溶出性ステントの植え込みを行って、終了しました。うまく拡がったと奥さんにお伝えしたところ、奥さんは泣き崩れられたために、この位で泣いていたらきりがないよとお話ししました。とはいえ、私も病変が拡張できないために却ってFlowが低下するのではないかとか、高圧で拡張した時に血管がruptureして大事になるのではないかと悪いことばかりを考えてPCIを始めました。侵襲的な治療をする医師にとって"Think worst!"という考え方は大切です。起こりうる最悪のシナリオを考えて、そうしたシナリオにならないようにする努力が侵襲的な治療をより安全なものにします。こんな風に考えて実施したPTRAのことを2011年9月2日付当ブログ「心配すると杞憂に終わり、油断すると痛い目にあう」に書きました。泣き崩れた奥さんは、私以上に悪いシナリオを考えておられたからこそ、うまくいった時に泣いてしまったのだろうと思います。

11/16 私の妻が長年苦しんだ病気のため開頭手術を受けました。身近な家族が侵襲的な治療を予定して受けるのは、私にとって初めての経験です。小さな切除とはいえ、脳の一部を切除するわけですし、手術を受けることでマヒが出たり、記憶の障害が出たり、言葉を失ったりしないだろうかと悪いことばかり考えていました。脳の切除時に誤って動脈を傷つけてあっという間に脳浮腫が起き、死んでしまうのではないかとさえ考えました。悪いことばかり考えるのは侵襲的な治療をしてきた医者の性でしょうか。手術が終わりICUで面会した時に、抜管も済み覚醒した妻を見て、ホッとした私は言葉が出ませんでした。嬉しさを表す言葉が思いつかないとか筆舌に尽くしがたいとかいうのではなく、言葉が出なかったのです。よく頑張ったなという一言でもかけようものなら張りつめた気持ちの糸が切れ涙を流してしまうとも思いました。両手を握り、暖かみや握力を確かめながら気持ちを交わすので精一杯でした。

この手術を受けるために、あるいは手術の適応や安全性を確認するために9月に約1月の検査入院をし、今回も手術のために約1月の入院予定です。その間も、鹿屋ハートセンターの業務を休むわけにもいかず、また、息子の食事の世話や洗濯等、決して楽な日々ではありませんでした。しかし、無事に手術が終わってしまえば他愛もない苦労であったと思えます。こんなことは大したことではなく、容易に乗り切れるのだと自分に言い聞かせたいがために、普段以上に患者の状態を考え、このブログの更新にも気合を入れてきました。

今回の侵襲的な治療を受ける側になって考えたこと、それは侵襲的な治療を実施する側の医師の"Think worst!"以上に受ける側の心配は大きいものなのだということです。だからこそ、成功した治療に対する歓びは、実施した医師の歓びよりはるかに大きいのだと思います。こんなことでいちいち泣いていたらきりがないよと言った私の言葉は不適切でした。侵襲的な治療を実施する時、患者さん本人やご家族と医師は共に心配し、特に治療する側の医師は心配するだけではなく、その心配を払拭するための工夫を考え抜かなければなりません。そうすることで、患者さん本人・ご家族と医師は得られた結果に対する感情をより深く共有できるように思います。30年余りも侵襲的な治療をしてきた私が、研修医が言うような話をしていますが、初めて受ける側になって気付いたことがあったと思えます。

2011年11月7日月曜日

症候の理解と薬理的な介入の上に存在するPCIを求めたい…

十分な内服でのコントロールをしないままに冠動脈造影を実施し、狭窄があればPCIという施設が存在します。胸痛を主訴に遠くから来院された患者が初診日にCTも受け、PCIも受け、翌日には退院だとテレビで誇らしげにのたまう施設があります。もちろん、過去にさかのぼって抗血小板剤は内服できない訳ですから当日だけの内服ですし、翌日以後は、遠方の自宅に帰って抗血小板剤の処方は他人任せです。CABGに替わる患者に対する福音としてのPCIという治療を確立しようと頑張っていた頃を忘れてはいけないと思う私には理解できない乱暴なやり方です。こんな病院をテレビでよい病院と言ってしまう危うさを何時か書かなければならないと思っていました。

2011年10月6日付当ブログ「Stay hungry, stay foolish」に以下のようなコメント(質問)を頂きました。

最近、近隣の病院でCAG→エルゴノビン負荷→PCIをおこなっていると言う噂を聞きました。
詳細は良くわからないのですが、毎月約50例のPCIの内6~10例ほどが施行されているとのことです。
スパスムの関与は確かにあると思うのですが、治療の対象となるようなケースがそんなに多いと思えないのですが、先生のご経験からみてどのように考えられますでしょうか?よろしくお願いします。


PCIとなる患者の中で治療を要するようなVSAの患者はこんなにも多いものなのか?という質問なのか、エルゴノビン陽性となる患者の中でPCIを要する患者の頻度はこんなにも多いのか?という質問かがよくわかりませんが、いずれにしてもCAG→エルゴノビン負荷→PCIの流れに違和感を感じての質問であることは間違いありません。

私自身はこの流れでPCIをしたことはありませんが、この流れでPCIをする医師は知ってはいます。私もこのやり方には違和感を感じます。私が何故このやり方をしないかといえば、違和感を感じるといった漠然とした理由ではなく、PCI時には内科的に整えられる最良の状態で臨むべきだと考えているからです。患者が容易にスパスムを起こすような不安定な状態でPCIを実施するのではなく、バルーンで力づくで拡張するという乱暴な治療であるPCIを実施してもなるべく冠動脈が揺るがない状態で行うべきであると信じているからです。

PCIの成績はステントもなかった創成期とは全く異なり、だれが実施してもそれなりの結果が出るようになりました。創成期の10%の失敗から9%の失敗に改善させる努力よりも、2%の失敗から1%の失敗に改善させることや更に0.5%、0.1%の失敗に改善していく現在の作業の方がより困難であろうと思っています。より緻密さが求められる時代です。10%の失敗が許された創成期とは異なり、現在では0%にはできなくてもほぼ失敗は許されない時代だと思っています。抗血小板剤の処方忘れなどはもちろん論外ですし、UAPに対しては私は頑なにconservative strategyで臨んでいます。distal protectionができる時代になっても病変の性状の改善下にPCIを実施した方がより安全と信じているからです。ですから、UAPを診れば、2剤の抗血小板剤のローディング、ヘパリン化、Ca拮抗剤を主体とする冠拡張剤の処方を必ず行っています。その上でCAGを実施し、拡張するほどでもない器質的冠狭窄であればPCIを実施せずに済むわけですから、患者にとってハッピーな展開です。また、PCIを実施した方が良い程度の器質的狭窄があった時にCa拮抗剤投与下のエルゴノビン負荷が意味を持つとは思いませんから実施する理由が見つかりません。

エルゴノビン負荷やアセチルコリン負荷によるスパスム誘発の目的は何でしょうか。スパスムを誘発し画像を患者に見せて、こんな問題を抱えているのだからと患者の内服の動機付けがより確実になるという説明には同意します。一方で、スパスムを否定することで無駄なCa拮抗剤の処方から免れるための負荷というのであれば疑問です。非内服下のスパスム誘発であっても、時間帯や患者のコンディションで誘発されたりされなかったりすることは周知です。スパスムが誘発されなくても胸痛を起こすほどの冠狭窄がなく、硝酸剤が有効であったりCa拮抗剤でコントロールがつく胸痛であれば冠攣縮性狭心症として治療すべきだと思っています。この時、内視鏡でGERD[などもチェックしておくとなお良いかと考えています。冠攣縮性狭心症の診断におけるスパスムの誘発の有無は一つの情報でしかなく、症候的に捉えて治療すべきだと考えています。複数の冠動脈に同時に誘発されるスパスムがあるにもかかわらず、内服の自己中断でも元気にしている患者もいますし、実際に突然死する患者もいます。一方で、スパスムが誘発されなかったにもかかわらず、スパスムと思われる発作を起こす方もいます。冠攣縮性狭心症は本当にVariantだと思っています。非生理的な状態で誘発されたスパスムは「診断根拠の一つ」程度の理解で臨まないといけないと思います。正しい根拠と信じきっているとVariantにやられてしまうことがあるのです。

また、スパスムが誘発されようがされなかろうがPCIが実施されるであろうdelayのある99%狭窄の患者にスパスムを誘発する意味があるでしょうか。あるいはdelayがなくても90%狭窄(なんちゃってではない本当の90%狭窄)の患者にスパスムを誘発する意味は何でしょうか。ステント植込み後の内皮障害でその後にスパスムを起こす患者もいるのですから、ステント植込み後に症候的にスパスムが疑われた時点で誘発するというのでは遅いのでしょうか。逆にスパスムが誘発された器質的狭窄が75%狭窄の場合、PCIを実施する意味はあるのでしょうか。内科的なコントロールができないことを確認した上でのPCIでは遅いのでしょうか。

拡張すべき(冠血行動態を障害する)器質的狭窄に対してPCIを実施するために冠動脈までカテーテルを入れる手技と、器質的な狭窄は軽度であるがスパスムをきちんと診断して突然死を防ぐために冠動脈をj評価するカテーテルは、見た目は似ていても目的が大きく異なるカテーテル手技だと私は理解しています。それを同時にしてしまうやり方への違和感は、質問の匿名様と同じように私の中で消えることはないと思います。

2011年11月6日日曜日

万卒は得易く一将は得難し 中日ドラゴンズのセリーグ優勝の日に

私は食通でもなければ、熱烈なプロ野球ファンでもありません。そんな私が、ネット上で食べ物を語ったり、プロ野球を語ったりすることは、電力やメモリーといったインターネット資源の無駄遣いだと思っています。私の中の倫理では、私しか語れないこと、あるいは、私が語ることに意味があることに限ってインターネット資源を利用させて頂くべきだと思っています。ですから極力循環器分野のことしか書かないようにしています。もちろん、一度アップした画像を再度リンクではなく新たな画像としてアップするようなことは、私の中ではネチケット違反です。

そんな私がセリーグ優勝を中日ドラゴンズが決めた、今日、落合博満監督について書こうと思っています。

5年生になる息子とよく2人で話をするようになりました。彼はホークスファンであり、レギュラーでもない選手の名前もよく知っていますし、ホークス以外の選手の名前もよく知っています。その彼がどうして優勝したチームの監督が解任なのかと訊いてきました。私は、ナゴヤドームの入場者が減り、経営的な問題で解任らしいよと答えました。すると彼は、お客さんを呼ぶのは球団の仕事で監督の仕事は勝つことだろうと、私の思っていることと全く同じ意見を言います。彼がホークスの試合を見たいのは、秋山監督を見たいのではなくホークスが勝つところが見たいのだと言います。また、ホークスはソフトバンクと一体となって、観客を増やす努力を一生懸命やっているではないかと言います。レプリカユニホームを配ったり、応援旗を配ったりです。私は中日ドラゴンズの集客のための努力を知らないので何とも言えませんが、ダイエー時代よりもソフトバンクになって確かにホークスの集客努力は活発になったと思っています。息子はホークスファンですので日本シリーズでのホークスの勝利を期待していますが、少しだけ落合監督だから中日にも勝たせたいという気持ちがあるとも言っています。

今日、こんなことを書くのは私たちの分野にも同じような話があるからです。以前からよく知っている先生、PCIの上手な先生です。私の目から見ても上手だと思いますし、以前勤めていた公的病院では国内有数の症例数でした。その先生と6-7年前に会った時にその先生はHappyではないと言われるのです。循環器はカテーテルやステントの価格が高いので一見、売り上げが多く見えるが、利益率が低く病院経営の足を引っ張っていると会議でいつも責められると嘆いておられました。このため、安く病院に納入できる一流メーカーのものではないバルーンを使ってPCIをしていると言われました。匠に良い道具さえ与えない病院です。確かにHappyである筈がありません。また、匠を大事にしない病院の経営が良い筈もありません。この後、この先生はこの公的病院を退職され、自らが院長の病院を立ち上げられるや、すぐに国内有数の症例数となり大活躍です。最近はあっていませんがきっとHappyなのだと思います。

国内有数の症例数と、技量を持った先生がいて、その病院の経営に問題があるとしたら、その先生の問題でしょうか。私は、中日ドラゴンズと落合監督の関係のように、やはり経営に携わる幹部の責任だと思います。

「万卒は得易く一将は得難し」です。

中日ドラゴンズは落合監督以上の監督をたやすく得られるのでしょうか、退職を迫った病院は国内でもトップ10に入る辞めた先生を上回る先生を得られるのでしょうか。

稀にみる名将を失う経営を担うトップは、最近、伝記を読んでいるSteve Jobs風に表現すれば、バカばっかりと言うのかもしれません。

2011年11月1日火曜日

iCloudを使い始めて考えたこと Cloudが作る近未来の医療は日本で可能か

かつてはDocomoの携帯電話を使っていましたが、ここ数年は同じ電話番号でauに変えていました。医師の仲間の多くがiPhoneを使い始める中で、また携帯電話会社を変えるのにも抵抗がありずっとスマートホンとは無縁でした。そんな私がauがiPhoneを発売することになったために携帯をiPhone4sに変えました。

2011年10月6日付当ブログ「Stay hungry, stay foolish」に書いたようにかつての私はMac userでした。このためappleの製品に興味がなかったわけではなくiPod touchやiPad+wifiは持っていました。iPhoneを購入したと同時にすべてにiOS5をインストールして使い始めました。iPod touchを使っていた私から見て最も大きなiOS5の違いはiCloudです。カレンダーも連絡先もリマインダーも一つのデバイスで入力すると直ちに他のデバイスにも反映されています。また、「iPhoneを探す」も「友達を探す」もiCloudからiPhoneの情報を持ってきます。今はWindows userですからドキュメントをCloud上に置いてという使い方はしていませんが、これならKeynoteで作成したプレゼンテーションをcloud上に置き、iPhoneやiPadで呼び出してプレゼンテーションというのも悪くないなと思ってしまいます。

Cloud computingという言葉はよく聞いていましたが、実際に使い始めて役に立つコンセプトだとよくわかってきました。しかし、考えてみれば、鹿屋ハートセンターで使用しているセコムの電子カルテは自院にサーバーを置かず、遠隔地にあるサーバーに蓄えられた診療録であるデータをインターネットで呼び出す形態ですから、既に5年も前からクラウド型の電子カルテを使用していたことになります。最近ではセコムの電子カルテの広告にもクラウド型の電子カルテと謳っています。最近まではASP(Application Service Provider)型電子カルテと言っていましたが…。クラウドの実感がなかったのは、鹿屋ハートセンターからほとんど出歩かないので院内のLANからデータを呼び出す場合と使い勝手に違いがないために気付かなかっただけでした。遠隔地にあるサーバーからデータを呼び出す訳ですから、自院のみから診療録を呼び出せるだけではありません。認証された患者さんもカルテを見ることができますし、使う側の私たちもiPhoneやiPadから電子カルテを呼び出すことが可能で、出張中もカルテを参照可能です。

5年間のクラウド型の電子カルテの使い勝手ですが、2年ごとの診療報酬の改定もサーバー側でやってくれるために制度の変更ごとの苦労を経験したことがありません。私は使える!と感じていますが、最近の雑誌「ダイアモンド」の中では最も大切なデータである診療録を業者に預けでもしたら、電子カルテ業者にすべてを握られて身動きがとればくなるというような記事が掲載されていました。私は、そうは思いません。診療録は医療機関のものですし、契約時に「契約解除時のデータ返還」に関する契約を取り交わしておけば済む話だと思っています。

では、鹿屋ハートセンターの電子カルテはクラウド型なので院外でもすべての情報にアクセスできるかといえば違います。画像データは院内のサーバーに置かれているのを電子カルテから呼び出す形です。このため院外で診療録を見ても院内の画像サーバーまでの接続は許可されないので画像は参照できません。画像はクラウドではないのです。

2011年3月1日、GE healthcareとSoftbankからこの分野に関わるプレスリリースがありました。クラウドコンピューティングを用いた画像のデータホスティング事業の共同展開を発表したのです。2つの離れた土地に置かれた画像サーバーに画像を置くことで災害に強く、どこからでも画像にアクセスできるというサービスです。くしくも東日本大震災の10日前の発表です。こうしたクラウドコンピューティングを用いた情報の共有は、このプレスリリースからの情報ですが、韓国、カナダ:オンタリオ州、フランスで始まっているそうです。日本でも「どこでもMY病院」というダサい名称でコンセプトは提起されています。

私は当ブログで再三再四、ネットワーク化された医療の電子化の未来を信じていると述べてきました。そうした私から見て、日本の診療情報がクラウド化され、各医療機関がネットワークに結ばれるバックグランドは既に存在すると思っています。セキュリティはどうするのか、コンピュータを使えない医師はどうするのかという議論は枝葉末節の議論だと思います。2011年4月6日付当ブログ「この国の明るい未来のために」に記載したような議論、このシステムの構築には初期投資として10兆円がかかるが、毎年5兆円の医療費の削減が可能であるというような議論を待ちたいものだと思います。

2011年10月28日金曜日

医療の情報化がもたらす緻密で明るい医療の未来

2011年10月6日付当ブログ「Stay hungry, stay foolish! 自分の心と直感に従い、真実を追究しよう」に2011年9月29日付当ブログ「冠動脈CT検査のプロトコールを変更することしました」に投稿してくださった第2の匿名様より再度コメントを頂きました。

「9/29の第二の匿名」です。 すごくきれいな(意味深い)症例を・数多く経験されていることに感動してしまいました。 

こんなことを言われると本当に嬉しくなります。しかしです。考えてみれば年間のPCIが200件程度の小さな施設で意味深いケースがそんなに多く見つかるはずがありません。不思議です。私自身も、鹿屋ハートセンター開設後5年間で、こんなケースは初めて見たと思ったケースが少なくありません。第2の匿名様がコメントして下さった、私がスパスム時にCTを撮ったのではないかというケースもそうですし、昨日の「甦る腎臓」のケースもこんな現象が起きるのだと初めて経験したケースです。2011年8月6日付当ブログ「腎動脈末梢病変由来の繰り返す心不全」のケースも初めて経験したケースです。なぜ、循環器医になって30年以上も経過したのに初めてのケースに遭遇するのかを考えてみました。

一つはモダリティーの進化です。初めて経験するケースの多くは64列MDCTで見つけたケースです。このCTの進化が新たな発見をもたらしていると思います。もう一つは、すべての検査結果がデジタル化され、ネットワーク上ですぐに見ることができる環境にあるからではないかと思っています。昨日のブログのケースでも、数か月前の胸写を持ってきて数か月前のエコー像を持ってきてというような作業は、紙ベースのカルテで記録していた時代には何時間もかかる作業になっていただろうと思います。しかし、電子カルテに繋がった画像サーバーから鹿屋ハートセンター開設以来のすべての画像を呼び出せる環境では、ブログを書く時間を含めても1時間足らずで作業は終了です。すぐに過去の画像に容易にアクセスできるということからの発見が間違いなくあると思います。そして、その作業に時間がかからないために複数の画像を自分で見ていることから発見があるのかもしれないと思います。

大きな病院の循環器部長時代、若い先生の問題意識というフィルターのかかった情報から、一人一人の治療方針を部長として提起してきました。情報をくれる先生の問題意識に限界があれば指揮官の問題意識にも限界があるのは当然です。

2011年3月31日付当ブログ「ネットワーク中心の医療や国政、迅速な情報収集、意思決定、実行のために」に書いたような情報収集系と情報伝達系がうまく機能するネットワークが新たな臨床を作り上げるのではないかとさえ思います。Network-Centric Medicineという考え方です。情報収集系のスピードが高まれば、限界のある問題意識というフィルターを介さずに指揮官は情報を吟味し、状況に応じた的確な指示の伝達が可能です。5年前の鹿屋ハートセンター開設時のネットワークのデザインはまだ古びてないようです。

医療の情報化は、効率だけではなく、臨床の内容にも影響を及ぼすことはこの5年間の経験から明らかだと思えます。経済的なメリットがあるから情報化すべきだというようなケチな議論はしたくはありません。大げさに語れば、こうした情報化による医療の進化が、1医療機関にとどまらず、地域や国家や人類といった規模で多くの患者に利益になればと夢に描きたいと思っています。

2011年10月27日木曜日

「甦る腎臓」を活かす看護介入の力

Fig. 1 chest X-ray before PTRA
 2011年9月2日付の当ブログ「心配すると杞憂に終わり、油断すると痛い目に合う」に書いた方が再入院です。ビビりながらPTRA実施した方が再入院です。前回40㎏で退院したのに44.7㎏まで体重が増えたからです。呼吸困難もなければ、下腿の浮腫もありません。しかし、この状態で外来で診ていると呼吸困難で夜間に緊急入院になります。急性の呼吸困難を見越した予防的な入院です。
Fig. 2 chest X-ray after PTRA
怖い思いをしながら実施したのに体重が増え、呼吸困難を起こすのであればPTRAは無駄だったのでしょうか?Fig. 1はPTRA実施前に呼吸困難で入院した時の胸写です。肺うっ血が著明です。この時の体重は40.5㎏で心エコーで評価した推定右室圧は54㎜Hgです。Fig. 2は今回の入院時の胸写です。体重は44.7㎏ですが肺うっ血は認めません。推定右室圧は37㎜Hgです。より大きな体重でも推定右室圧は低く、呼吸困難を起こしていない訳ですからやはりPTRAの効果があったと思います。
Fig. 3 Lt-kidney 5m before PTRA
Fig. 3は、PTRA5か月前の左の腎臓です。長径が7.74cm、短径が3.40cmと萎縮しており左の腎臓へのPTRAは意味がないのではないかと考えていた頃です。Fig. 4は左腎動脈へのPTRA後1か月のものです。長径が8.73cm、短径が4.06cmですからいずれも10%以上も萎縮が改善しています。この程度の改善であれば有意な改善と考えてもよいと思います。PTRA後の「甦る腎臓」です。
Fig. 4 Lt-kidney 1m after PTRA

では体重増は何故でしょうか。奥さんに伺うと、奥さんが仕事に行っている間に冷蔵庫を開けて自由に水分を摂っているそうです。これは何度、するなと言っても聞いてくれません。また、奥さんには毎朝、体重を測って、急に1-2㎏増えたらすぐにハートセンターに連絡するように指導していましたが、前回の入院前には測ってもくれませんでした。本人は水分制限をしないで自由に水を飲み、奥さんは体重も測ってくれないという中で、看護師さんが始めてくれた試みは、毎日、ご自宅に電話し、体重を聞くことです。こうされれば奥さんも体重を測らない訳にはいきませんし、何時か本人も水分の過剰摂取は止めてくれることでしょう。
患者さんや家族に対する指導にとどまらない、体重を電話で確かめに行くという看護介入です。
2011年4月13日付当ブログ「繰り返す心不全患者さんに対する看護介入の力を信じましょう」に書いた看護介入の発展形です。今回の入院も4㎏増の時点で入院を決めました。こうした看護介入の力がこのかたの繰り返す心不全の問題を必ず解決すると信じています。
「甦る金狼」の主役は松田優作さんが演じましたが、「甦る腎臓」の主役は言うことを聞かない松田優作さんとは似ても似つかない患者さんです。この患者さんに看護師さんが介入し、「甦った腎臓」を活かしたいものです。

2011年10月24日月曜日

治療の成功にいたる大切な一つ一つの工程

Fig. 1 Changes of serum Creatinine
冠動脈にしても腎動脈にしてもカテーテル治療のプロシージャーにとって最も大事なプロセスは何かと聞かれると簡単ではありません。

ガイディングカテがエンゲージできなければそもそも治療は始まりませんし、バルーンやステントを導くガイドワイヤーが病変を通過しなくても治療は始まりません。バルーンが通過することも大事ですし、ステントの役割も大切です。これらすべての工程がうまく処理できて初めて治療は完結します。

Fig. 2 Lt-Renal Artery evaliated with MDCT
9/30、当院での22例目、27件目の腎動脈植込みに私は失敗しました。当院での初めての植え込み失敗です。



慢性心房細動、狭心症でステント植込みを行った方ですが、初診時のCREは0.75であったのにFig. 1に示すように徐々に上昇してきました。このため腎動脈をエコーで評価しました。血栓化した腹部大動脈瘤内から分岐した左腎動脈のPSVが184.94cm、大動脈内の流速が遅いためRAR: 6.90です。この時点でCRE: 1.85です。徐々にCREが上昇する腎動脈狭窄であればPTRAの適応です。とはいえ、血栓化した動脈瘤から分岐した腎動脈の治療ですから簡単に手を出す訳にはいきません。十分に輸液をした後でCTで評価することにしました(Fig. 2。)  使用した造影剤量は40mlです。CT検査後にCREの上昇は、幸い、認めませんでした。CTでは血栓化した瘤内から下方に向かう腎動脈に高度狭窄を認めます。

Fig. 3 After successful stenting
ご家族に放置した場合のリスク、PTRAを行うリスクをよく説明したうえでPTRAを実施することにしました。左Brachial approachで6FのJ&Jのガイディングを使用することにしました。ところがです。左鎖骨下動脈は上行大動脈側より分岐しており、ガイドワイヤーは下行大動脈に持って行けるもののガイディングカテを下行大動脈に持っていくことができなかったのです。仕方なしにFemoral approachとして、色々なガイディングを試しましたが、ガイドワイヤーを腎動脈に持ち込めてもガイディングは近づけませんでした。



この失敗の結果、起きたことはFig. 1に示すように急激なCREの上昇です。3.35まで上昇しました。輸液で徐々に元の水準まで低下しましたが、このまま透析になってしまうのかと肝を冷やしました。このまま諦めるか、再度、手技を工夫して再挑戦するのかをご家族と相談したところ、良い方法があるのであれば再挑戦して欲しいと言われました。この時点では私にはよいアイデアはなかったのです。

10/15 小倉記念病院でQJETという頚動脈、腎動脈、下肢の動脈などの治療をメインとしたライブデモンストレーションが開催されました。この会に出席する目的として最も大切に考えていたことは、腎動脈治療の経験が豊富な北九州市立八幡病院の原田敬先生の知恵を借りることでした。お話をさせていただく前に原田先生のライブがあり、4.5FのParentを用いたスムーズでエレガントな腎動脈の治療を見せて頂きました。お話を伺う前にこれを見てこの方法だと決めていましたが、原田先生からもこの方法なら成功の可能性が高いのではと教えて頂きました。

10/21 左Radial approachで4.5F Parentを持ち込みました。下行大動脈に持ち込むのは簡単ではありませんでしたが。Fig. 3に示すようにGenesis stentを用いて拡張に成功しました。術後3日目の本日のCREは1.79です。最初の失敗の術前のレベルを僅かですが下回りました。
ガイディングのエンゲージからステントの植え込みまですべての過程が大切なこと、特に入口に立つためのガイディングカテのエンゲージの大切さを改めて認識しました。また、失敗に終わった時に失うものは何もしないことで失うことより大きいということも改めて肝に銘じました。

良い方法を教えて頂いた、原田敬先生に感謝です。また、再度の治療の機会を与えてくれたご本人やご家族にも感謝です。

2011年10月20日木曜日

目くそが鼻くそを嗤う エビデンスに隠された経済という下心

2011年10月17日付当ブログ「石橋を叩く時間も惜しいのか」を書いたのは、ゆったりとした入院が許された昔を懐かしんでのことではありません。下記のpaperを読んだからです。

Rao SV et al.Prevalence and Outcomes of Same-Day Discharge After Elective Percutaneous Coronary Intervention Among Older Patients.JAMA. 2011;306(13):1461-1467.

低リスクの高齢者のPCIの場合、1泊2日の入院でPCIを実施しようが日帰りで実施しようが、術後2日後の時点・術後30日の時点での死亡や再入院の率に違いはないとの論文です。この論文の指摘したいポイントは日帰りでも成績は劣らないのだから1泊2日にする理由はないということです。対象患者はMedicareの患者ですから少しでも医療費を下げたいという意向が働き、1泊2日でなくても日帰りでもよいのではないかと言いたいのだと理解しています。このようなPaperがでるとMedicareの患者だけではなく民間保険会社も日帰り分しか保険を払わないということを言い出すだろうと思います。

2日後の時点での死亡または再入院の率は、日帰りで0.37%、1泊2日で0.50%です。30日後では9.63%と11.33%です。確かに差はありません。ではこの論文の言うとおり、日帰りで良いでしょと考えるのが正しいのでしょうか。Low riskの患者で30日後の死亡ないし再入院の率が9.63%-11.33%です。私がこのデータをみればどっちもダメやねと思います。医師として考えなければならないのは9.63-11.33%の死亡ないし再入院をどうやって減らすかだと思います。

2つの群間比較でどちらも大して良い成績でもないのに、わずかに成績が上回っているとエビデンスがあるなどとよく表現されます。医師が求めるべきゴールはさておき、成績の悪い中で僅かな優位を誇るなど笑止だと思っています。「目くそが鼻くそを嗤う」です。2011年6月7日付当ブログ「冠動脈疾患患者に対するOptmal Medical Therapyは本当にOptimalなのでしょうか」で示した、Courage trialの成績も5年後の心筋梗塞の発症ないし死亡は、OMT群で18.5%、PCI+OMT群で19%ですから差はありませんが、5年間で20%も悪くなる治療はどっちもどっちだなと思いますし、OMTで十分とも思いません。もっと高みを目指したいものだと思います。

医療者が目指すべき高みを議論せずに、医療費を削る下心を持った研究やエビデンスには惑わされないようにしたいものです。

2011年10月17日月曜日

石橋を叩く時間も惜しいのか? 「『病』は時間が作るが、内服と時間が『病』を癒す」こともある

 
Fig. 1 LCA before PCI
 84歳の男性です。9月初旬に小さな脳梗塞を発症されました。心電図でsmall q波があるとのことで紹介で受診されました。胸部症状は全くありません。心電図ではIII、AVFにsmall qを認めますが、心エコーでは壁運動異常を認めません。紹介で来られた方をこんなq波は有意ではないと帰すわけにはいきません。CTで評価しました。ここには示しませんが、2011年9月26日付当ブログ「非心臓手術前の心臓評価」に示した方と同様の右冠動脈の高度狭窄と、左冠動脈前下行枝の完全閉塞を認めました。

Fig.1はPCI前の左冠動脈、Fig. 2は右冠動脈です。左冠動脈は#7でほぼ完全閉塞、右冠動脈は#1で不整形の透亮像を伴う90%狭窄です。#4PDから前下行枝に良好な側副血行を認めました。Jeopardized collateralです。こんなに危険な冠動脈の状態でも無症候です。この状態の方を心電図所見と心エコー所見で大丈夫と言ってしまうと突然死という形で痛い目に会います。CTで評価して正解でした。
Fig. 2 RCA before PCI

CTで分かったことはこれだけではありません。Fig. 3は無名動脈が大動脈より分岐した直後ですが、ほぼ全周性に厚いプラークを認めます。また、Fig. 4は下行大動脈ですがやはり厚いプラークを認めます。カテは右上肢からのアプローチも下肢からのアプローチも危険です。より太い動脈の方が安全性が高いと判断し、カテは下肢からとしました。カテの出し入れ時が心配なのでシースはロングシースです。PCI時に意識したことは、血行動態が破綻した時にIABPは使えないということです。こんな大動脈の中でIABPを駆動させたら、塞栓は必発です。

初回造影時に、LADの完全閉塞を開けました。この時、ワイヤーによる穿孔で 心のう液が少し溜まりました。RCAへのトライには十分に時間をかけることにしました。穿孔がある中でヘパリン化はできないと考えたからです。また、右冠動脈がno reflowになった時にIABPが使えないとなれば致死的になりかねないからです。

Fig. 3 Aortic arch evaluated with MDCT
本日、10日間をあけて右冠動脈のPCIを実施しました。この間の治療はスタチンとエパデールです。前下行枝からのExtravasationは消失し、逆に対角枝から#4PDに側副血行が認められました。側副血行があっても、右冠動脈の狭窄は前回造影時より軽減しています。Filtrapで末梢の保護を行い、#1にPROMUS stentを植込みました。回収したFilterにはほとんど何も引っかかっていませんでした。

平均在院日数の短縮が是とされ、大病院ではこの短縮化のプレッシャーは小さくありません。また、これを受けて短い入院日数で治療できるということを「売り」にする施設も医師も存在します。もちろん、それが可能なケースでは短い入院日数で日帰りでも1泊2日でもよいのです。しかし、このケースのようにJeopardized collateralでcollateralのfeederが不安定プラーク、さらにIABPも使用が躊躇われるというような場合には時間を十分にかけることが大切だと思っています。「『病』は時間が作るが、内服と時間が『病』を癒す」こともあると思っています。
Fig. 4 descending Aorta evaluated with MDCT

10日間の何もしない入院期間中、退屈だと文句を言っておられたこの方は、シースを抜去した後の止血中に、今日安全に素早く治療ができて、待っていた意味が良く理解できたと言ってくれました。 同じ質の治療が提供でき、同じ結果が出るのなら入院期間は短い方がいいに決まっています。しかし、在院日数の短縮化が目的となって、機械的にパスに乗せ、1例1例を吟味するする時間や、内服の効果を期待して癒してくれる時間まで奪ってしまうのでは、安全で確実な治療結果という第一義を見失う危険を孕んでいると思えてなりません。

2011年10月6日木曜日

Stay hungry, stay foolish! 自分の心と直感に従い、真実を追究しよう!

Fig. 1 LAD evaluated with MDCT
 2011年9月29日付の当ブログ「冠動脈CT検査のプロトコールを変更することにしました」に多くのアクセスとコメントを頂きずっと考えていました。

もうそろそろレセプトの症状詳記の締め切りなのですがずっと考えていました。詳記を書いているケースの1例です。新規発症の労作性狭心症で受診されました。即日、実施したCT像がFig. 1です。9/29付のブログのケースと同様そんなにdensityが低いわけではないプラークによる高度狭窄です。匿名様、第2の匿名様にご指摘いただいたケースと同様positive remodelingに見えます。すぐに入院していただきました。この方も9/29付のブログのケースと同様に2剤の抗血小板剤のローディング、ヘパリン化をすぐに開始しています。

Fig.2 Left Coronary Artery before NTG IC
Fig. 2は4日後の造影です。NTGが効いていない状態では、CTと同様に高度狭窄が#6に見られます。しかしです。NTGが十分に効いている状態のFig. 3では、前回のケースと同様にCT像ほどの狭窄はありません。明らかに変化はspasmです。第2の匿名様の言葉を借りれば血管拡張不良です。


Fig. 1とFig. 3を比べたのが前回のケースです。狭窄度の解離の原因は血栓の溶解かspasmかの議論でしたが、このケースでは明らかにspasmです。CT撮影時に高度狭窄に見えたのは、硝酸剤を使用しないプロトコールでしたので、たまたまspasticな状態の時に撮影していたわけです。前回のケースと今回のケースのCT像はそっくりです。やはり前回のケースはspasmだったと思います。

Fig.3 Left Coronary Artery after NTG IC
第2の匿名様からIVUS像はどうだったかと質問されましたが、PCIを前提としないIVUSは基本的にしない主義ですので前回のケースではIVUSを実施していません。今回のケースでは、NTG IC後もそれなりの狭窄が残存しているのでIVUSを施行しました。最も狭窄の強かった部位の像をupしておきます。

興味はありますが、第2の匿名様に注意されたような、spasm時のCT像を見るために誘発してCTを撮る様なまねはもちろんしません。しかし、spasm時にはこんな風な画像になるのだということは知っておいて悪くないと思っています。こんな風に写るのだと、今更ながらに思っています。


Fig. 4  IVUS image before PCI
私もガイドラインで硝酸剤の前投与が推奨されていることはもちろん知っています。しかし、前回書いたように心拍数が変化するのが嫌で使用していませんでした。そして、ブログを書いた翌日9/30以後は全例でニトロの前投与を始めました。しかしです。ひねくれた私は、ガイドラインに書かれているように投与すべきなのかと考えてしまいます。前回の例でのspasmを排除した像は見ていないのでまだ何とも言えませんが、普通に軽度ないし中等度の狭窄だった場合、更に追究するようなことをしただろうかと思ってしまいます。

器質的な狭窄をきちんと評価するという目的であれば、ニトロの前投与は必須です。一方、spasmを含めた冠動脈疾患を見落としを少なくして見つけようと思えば、今回のニトロの前投与なしでの撮像で前回のケースも、今回のケースも失ったものはありません。spasmを含めた狭心症を見逃すくらいなら今回のような撮影法でoverestimateでもよかったような気もします。放射線科医が大半を占めるSCCT Japanの推奨は正しいのでしょうが、目的が違えば、必ずしも正しくはないとはならないでしょうか。とはいえ、当面はよく考えて自分なりの結論が出るまでニトロの前投与は続けるつもりですが…

 本日、Steve Jobs氏の死が報じられました。今はWindowsしか使っていませんが、かつての私はMac使いでした。1997年に対馬と福岡徳洲会をテレビ電話で結んで遠隔PTCAなるものを始めた時に、このテレカンファレンスができる装置はWindowsだけだったので、この遠隔PTCAを始めるためにWindowsに変えました。初めて、Windowsを使った時になんと文字が読みにくいのだろうと違和感を持ちました。しかし、今、Macを見ると違和感を感じます。使いやすさや美しさを感じるのに重要な要素は慣れなのかもしれません。

Steve Jobs氏の訃報に接して、有名な2005年のスタンフォード大学の卒業式のスピーチを改めて読みました。

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma, which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice, heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

 
皆の時間は限られているから誰か他の人の人生を生きることで時間を無駄にしてはいけない。教条主義の罠にはまってはならない。教条主義とは他の人々の思考の結果に従って生きることだ。他の人の意見という雑音に自分自身の内なる声をかき消されないようにしよう。そして最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。心と直感は本当になりたい自分をどういうわけか既に知っている。その他すべてのことは二の次だ。


医療の世界で自分の心と直感にのみ従って行動することは許されませんが、ガイドラインに書かれていること、エビデンスがあるということが絶対の真実であると盲信することも医師の良心に反する行動パターンなのかと思います。ガイドラインやエビデンスは知っていても、常に懐疑的な気持ちを持ち、真実を追い求める努力をすることが医師の良心だと信じています。
Stay hungry, stay foolish! Steve Jobs. 2005, @ Stanford University

2011年10月4日火曜日

消えゆく学会 あるいは変化を求められる学会

Facebookを2011年6月頃からチョコチョコと見るようになりました。こんなことを書くと友達を失いそうですが、誰かが何かを食った、いいね!というやり取りに付き合うのにはちょっと閉口しています。でも良いこともあります。中学校の同級生と高校の同級生にfacebook上で再会したことです。高校の同級生がいいね!を押した記事は何なのだろうと眺めてみて、こんなことが私の気を引きました。

消えゆく学会です。人工知能学会の主催で2011年7月23日に東大で開催されました。開催趣旨をそのまま引用します。

学会は、近い将来、ごく一部を除いて全て消滅するのではないでしょうか.

これまで学会が担ってきた、論文を集めそれを本という形で配布するビジネスデルは崩れつつあります.さらに、専門家同士が出会う場、情報を収集する場としての学会の機能も、ソーシャルネットワークや検索エンジンの発展により、消えつつあります.

極論すれば、ウェブがあれば、学会は必要ありません.権威を維持するための組織は必要ありません.



確かに、最新の論文も雑誌として刊行される前にonline版で読むことが可能ですし、SNSで場を設ければ議論も可能です。私は2010年12月15日付の当ブログ「私がブログを始めた訳 ネット時代の医師の生き方」で学会に行けない悔しさを晴らそうと、学会に行かなくても情報は手に入るし、情報を発信することも可能だと書きました。そしてここ数日、私が投稿した記事に対して真面目で学問的なコメントを頂きました。現実にネット上で議論が可能なのです。

2011年9月29日付当ブログ「冠動脈CT検査のプロトコールを変更することにしました」で示した、私がspasmのCT像をとらえたのではないかという記事には、血栓が溶けただけだという意見も、やはりspasmでしょという意見も頂きました。これが、「CTで捉えられた冠動脈spasmの1例」という学会における症例報告であれば数分の発表と数分の討論の時間でこのように内容のあるディスカッションができたであろうかと思います。これが投稿論文であっても査読者との議論はできても著者と読者の議論はネット上のようには深まりません。また、今回変更したNTGの使用も舌下よりもスプレーの方が良いとコメントで教えて頂きました。「第2の匿名」様、感謝です。また、2011年9月26日付当ブログ「非心臓手術前の心臓評価」に対して文献を示して「MY」様からやはり手術前にはPCIをしない方が良いのではないかと意見を頂きました。示していただいた文献は下記です。

Coronary-artery revascularization before elective major vascular surgery. N Engl J Med 2004;351: 2795-804.

この文献ではmajor vascular sugeryの前にPCIをしてもしなくても術後30日以内に発生する心筋梗塞の頻度は変わらないと報告されています。PCI群(CABGも含む血行再建群)で12%、血行再建非施行群で14%で統計的な有意差はないので結論として 術前の血行再建は cannot be recommendedだとしています。この結論も5859例のmajor vascular surgeryを受けたグループから選ばれた510例での検討です。私はこの文献を読み直してみて少しほっとしています。少なくとも術前のPCIは非施行と比べて悪くないとも読めるからです。また、この差がないからrecommendできないという結論は受け入れられるのでしょうか。血管外科医に血行再建をしてもしなくても12-14%の心筋梗塞を発症するのだから放っておいていいんじゃないのとコンサルトの返事を書いて、外科医に納得してもらえるでしょうか。

このような詳しい議論は学会場で可能でしょうか。

ネット時代の医師の生き方と私は書きましたが、本当に問われているのはネット時代の学会のあり方のように思います。ネットでの議論の方が実際の学会の議論よりも有意義だと、多くの医師たちが思い始めた時に学会はどのような存在であるべきでしょうか。2011年4月23日付当ブログ「プロフェッションとして自律し、社会に貢献する医師会や学会として」の中で、学会は自然発生的に集まる論文の整理機関としてだけではなく、社会への貢献を意識すべきだと書きました。また、2010年12月23日付の当ブログ「Stent Fractureに関わる医師、学会、メーカー、厚生労働省やFDAの責任」の中では、学会が関わる分野に発生した問題については、論文が集まるのを待つのではなく学会主導で問題を解決すべきではないかと書きました。学会のあり方が旧態依然とした形態では維持できないのではないかという問題意識です。

E-mailが普及し始めた頃、メール使いは、料金も高い、かける時間も気にかけなくてはいけない従来の電話サービスをPlain Old Telephone Service、POTSと蔑んで呼びました。これを真似して付けられたのがPlain Old Balloon Angioplasty, POBAです。(E-mailは電話サービスなしにも可能ですからPOTSという名称はありだなと思いますが、Stent植込みはBalloonなしにはできない訳ですから親を蔑むようなPOBAの名称は不適切だと今でも思っています。)

ネット時代に、皆が集まって短い時間で十分に議論もできないのにまだ学会をやっているのかと言われる時代は近いかもしれません。Plain Old Medical Meeting, POMMです。こんな蔑称が付かないうちに学会は変化を求められているように思います。

2011年10月3日月曜日

このブログの開設から丸1年、鹿屋ハートセンターのオープンから丸5年が経ちました。 失いたくないもの、それは好奇心です。

9/28付当ブログ「冠動脈CT検査のプロトコールを変更することにしました」にコメントを頂きました。CTで高度狭窄に見えたのにCAGでは軽かったという現象は、ACSでよく見られる所見なので私がspasmではないかと書いたのは間違っているのではないかというコメントです。

私もCT所見を見た時にACSと考え、2剤の抗血小板剤だけではなくヘパリン化も開始していました。 その後の造影ですからこてつ様のコメントのようにACSの血栓が溶解しただけではないかというコメントは頷けるのです。しかし、今回、私はspasm説に傾いています。ACSのCT所見では不整形の狭窄の中にdensityの低いplaqueが見られることが多いと理解しています。場合によってはplaque内に染み出す造影剤が見えることもあります。今回のケースではplaqueのdensityはさほど低くなく、狭窄形態も不整ではありません。これがspasm説に傾いた理由です。でも血栓が溶けたという可能性は排除できません。

一方、NTG舌下後のCTにプロトコールを変えることでspasmの可能性は排除できます。排除できない2つの可能性があるよりも病態が1つに理解できた方が良いだろうというのが今回のプロトコール変更の理由です。

ただ、心の中にはspasmの最中のCT所見はどんなものだろうという好奇心は残っています。spasm時のCT所見を知っている循環器医は存在するでしょうか。今回の私のようにきっとspasmが発生していたのだろうというCT像を見たことがある先生は存在しても、spasmを誘発して、確認した状態でCTを撮る医師はいないだろうと思うからです。近い将来、spasmの可能性を排除した状態でもう1度CTを撮ってみるつもりですが、今回の像との差分で真相に近づけるのではないかと期待しています。もう一つのコメントを頂いた匿名様の、狭窄部のpositive remodelingという所見がひょっとしてspasm発生時のCT所見ではないかと考えています。馬鹿なことを言うなと思われる先生が多いだろうというのは百も承知ですが、誘発されて確認された冠動脈造影像(内腔像)は何度も見ていてもその状態の冠動脈壁を知っている先生はいるでしょうか。これを知ることは難しいことだと思っていますが興味は尽きません。今回のCT画像と、近い将来のspasmを排除した状態でのCT画像の差分がこの答えをくれるのではないかと期待しているのです。

spasmを集中的に研究された前熊本大学教授の泰江弘文先生は、飲酒状態や喫煙状態の冠動脈造影や、深夜や早朝の冠動脈造影、過喚起状態や寒冷刺激時の冠動脈造影などを実施されました。 場合によっては非常識とも思えるこの精力的な研究の大半は市中病院である静岡市立病院で行われました。批判はあるにしても泰江先生の切り開いた地平の意義は大きいと思っていますし、泰江先生の飽くなき好奇心には敬服します。

2006年10月2日に鹿屋ハートセンターはオープンしました。丸5年が経過したわけです。開業医と呼ばれるポジションになりましたが、冠動脈造影・冠動脈CTやPCIに携わる現役の循環器医です。私のところで働く先生が出現すれば、その先生は勤務医になります。勤務医と開業医を隔てるものは医療の内容ではありません。オーナーシップを持っているか持っていないかの違いだけです。現役の冠動脈疾患に携わる医師として失いたくないものは「好奇心」です。私の能力では泰江先生のような大きな仕事はできないでしょうが、常に好奇心や興味を持ち続けることが小さな1つの知見であっても何かを明らかにすることに繋がるのではないか、繋げたいという意欲を持ち続けたいと思っています。 好奇心を持ち続けるために大事なことは、知らないことを知った顔をして納得しないことだと思っています。

2011年9月30日金曜日

全身の入れ墨とチェ・ゲバラのTシャツ 鹿屋ハートセンターで診るターミナル

9/27、当院の開設からずっと通院されていた方が鹿屋ハートセンターで永眠されました。まだ63歳でした。

怖い顔をして、全身に入れ墨を入れてですから、あんな怖い人と同室は嫌だというようなクレームもありましたが、一緒に部屋で過ごしているうちにクレームも消え、皆さんに受け入れられた方でした。肺癌死です。

20年近く前に心筋梗塞をされ、その後はBuerger病で、時々、指先やや趾先に潰瘍の形成をみましたが、点滴でいつも軽快していました。治るまでは痛い痛いと泣きそうなのに、若いものが不始末をしでかしたから指を1本落としてくるなどと言う人でした。その度に虚血指を包丁でつめたりしたら感染でもっと大きな切断になるから、お願いだからやめてくれと私からお話ししていました。

そんな彼の肺に腫瘍が見つかったのは1年半前でした。手術を受けてもらうように色々と手配しましたが、肺の専門の病院では心筋梗塞で心機能に問題があるので無理だと言われ、心臓も肺もできる病院に紹介した時にはもうリンパに転移が進んでおり手術不能と言われました。ガンであることを告知していましたし、手術もできないし、肺の専門の先生は化学療法をしないのも選択だよと言っておられたので今後どうしたいのかを話し合いました。化学療法もせずに自然経過に任せたい、死ぬ時には新井に看取ってもらいたいと言われました。専門的な治療をするのであれば私には何もできませんが、自然経過を診るだけであれば最後まで私が診るよと約束しました。

鹿屋ハートセンターに通院されている方も多くなりガン死される方もいらっしゃいます。専門的な治療を受けることができなくなり死が不可避になった時にどうふるまえばよいのでしょうか。私は私で良ければ最期まで診るよと言っています。治療できる方にはもちろん必要な治療を受けて頂くように精一杯努力します。しかし治療できなくなりターミナルになった時、何年も付き合ってきた患者さんに対して、私は循環器の医者だから知らないとは言えないと思っているのです。ただ、本当に最期の日を迎えると、最後の瞬間に立ち会うのは私ごときで良かったのかと思ってしまいます。

元気だった頃のある日、チェ・ゲバラのTシャツを着て、外来に来られました。全身の刺青で街宣車にも乗っていたというのにチェ・ゲバラです。私は、どんな人なのか細かなことは聞かない主義ですので、どんな活動をしていた人か正確には知りません。でも入れ墨と街宣車ですから、チェ・ゲバラの対極にある思想の持ち主に違いありません。どうしてチェ・ゲバラのTシャツなの?と聞いたところ「ゲバラの生き方は格好ええやろ!」と一言です。街宣車に乗っていた同じ思想の仲間から見られたらどう思われるかなど、お構いなしです。全身の刺青で街宣車に乗っていた人から見ても、かつてジョン・レノンが世界一格好いい男と言ったチェ・ゲバラは格好よく映ったようです。憎めない人でした。

脳に転移し、苦しまずに済んだ最期でした。転移が進んでからは優しい顔つきでした。

2011年9月29日木曜日

冠動脈CT検査のプロトコールを変更することにしました。 ニトログリセリンとコアベータの使用

Fig. 1 LAD evaluated with 64-row MDCT
  87歳の男性。近医でCOPDで加療中です。労作時の息切れが最近悪化した由で初診です。COPDの悪化の可能性もありますが、COPDにはよく狭心症が合併します。COPDの所為だと安易に判断しないで冠動脈を評価するようにしています。CTでみた冠動脈がFig. 1です。前下行枝の近位部に高度狭窄を認めます。すぐに入院していただき2剤の抗血小板剤のローディングを開始しました。

  Fig. 2は、冠動脈造影像です。PCIになるものとばかり考えていましたのでNTG投与下の造影です。#6には50%狭窄しかありません。

Fig. 2 Left Coronary Artery after NTG IC
このCTによる評価と冠動脈造影での評価の解離の原因は何なのでしょうか。誘発をしていませんので想像でしかありませんが、CTの撮像時にはspasmが発生していたのかと思います。この方は労作時の呼吸苦の悪化だけではなく夜間の胸部症状で覚醒したとも言っておられました。仮にFig. 1がspasm発生時のCT所見だとすると、spasmの発生していない時の画像と比較すると、spasm発生時のCT所見はさらに明らかになります。興味がありますが、興味のためにCTをすぐに撮るわけにはいきません。、50%狭窄の評価をいつかする時にしっかりとspasmをコントロールをして撮影してみようと思います。


今まで当院での冠動脈CT検査時に、検査前のニトログリセリンは使用していませんでした。多くの病院で使用しているにもかかわらず使用していなかった理由は、折角ベータブロッカーの内服で心拍数が落ちてきたものがNTGの使用でまた心拍数が上がり、冠動脈の評価の質が落ちるのではないかと危惧したからです。こうした心拍数の変化で検査時間が延長することもいやでした。

しかし、今回のような例を見ると冠動脈CT前にNTGの使用は避けて通れないものと思えます。明日以後の冠動脈CT撮影時にはNTG舌下を先行させるプロトコールに変更することにしました。心拍数のコントロールには最近、冠動脈CT用に使用が認められたコアベータを使用するつもりです。この方法で検査をすればいつ効いてくるかわからない内服のベータブロッカーの効果発現を待たなくても済みます。

これで冠動脈CT検査のthrough putが改善すれば患者さんにとっても鹿屋ハートセンターにとっても幸いです。

2011年9月27日火曜日

非心臓手術前のPCIの実施 実施前の揺れる心と実施後の心構え

昨日の「非心臓手術前の心臓評価」に対してFacebook上でPCIをせずに手術に回した方が安全だったのではないかと意見を頂きました。

こうした意見を頂いたり批判されたりこそがこのブログを開設した目的なのですから大歓迎です。週に2回、鹿大の先生の応援をもらってなるべくその日にPCIを集中させるようにしています。ですから完全に一人のdecision makingという訳ではありませんが、学年も異なり、暗黙の力関係もありで、私がこうすると判断すれば、その判断に対して鹿大の先生も反対意見は言いにくいだろうと思っています。あまりにも私の判断がいい加減であれば、真面目な先生なので反論せずに鹿屋ハートセンターに来なくなるだろうなと思っています。こうしたほぼ一人で判断する形で思わぬ陥穽に嵌まらないようにしなければといつも思っています。こうした構造は少人数でやっている当院のみならず大きな病院でカンファレンスを開催して議論しても、最も権力ある先生の判断を覆すことは簡単ではないので同じ陥穽に嵌まる心配がないわけではありません。しかし、ネット上の関係に上下はありませんので遠慮なく批判してもらえると思っています。これが私が独りよがりの過ちを冒さないための安全弁だと思っているのです。

ACC/AHAのガイドライン(2007)では、安定した狭心症で心機能の良い例では術前にPCIをするメリットはないとしています。昨日のケースは、無症候ですから症候的には安定しています。また、手術時の心負荷に耐えられるかの目安として4METs以上の運動負荷が可能であればリスクは低いとしています。昨日の方は日常の生活は十分に可能なので4METsは大丈夫と思われます。では、昨日のPCIは不要であったのでしょうか?

4METsが可能か否かは、心筋の酸素需要が高まった時に供給は十分に可能かという議論です。手術時の負荷は4METs程度にしかならないのでそれが可能であれば手術侵襲に耐えられるという判断です。昨日の方はIVUSカテが病変をクロスすると間もなくST上昇しましたが全く無症状でした。では、日常生活の中で症状がないのは虚血がないからなのでしょうか。虚血は起こっているけれども感知する閾値が高いだけではないのかという疑問も残ります。

一方、4METsが可能か否かという判断は酸素の需給関係で考えてのことですが、粥腫破裂のような急性の供給の破たんの場合はどうでしょうか。4METsが可能というのは急性の破たんがないことを意味しません。

手術前に大丈夫かどうかを判断するときにこの2点の評価が必要です。酸素需要の高まりに対応できるかという点と粥腫破裂は起こさないかという点です。

いつも同じ運動量で胸部症状が出現するというような典型的な安定狭心症の場合、粥腫破裂の可能性は低いので術前のPCIは不要な可能性が高いと思われます。昨日の方は、全く無症状で、貫壁性の虚血であるST上昇時にも無症状でした。これは安定を意味するのでしょうか。妙な表現ですが、無症状だからこそ不安定なのではないかとも考えたのが昨日のPCIを実施した根拠です。もちろん、不整な狭窄形態も考慮した上での判断でもあります。しかし、この判断には確かな科学的な根拠も統計的な裏付けがないことも事実です。あと一つの施行の根拠は、私が少し恐れた、こんなに不整な高度狭窄の存在を知りながらそのまま手術に回したのかと非難されることです。

一方でPCIをしたためにSATが起きたではないかと非難される恐れもないわけではありません。そのまま狭窄を残して心筋梗塞を発症すれば、狭窄を放置したからだと結果から非難されます。一方、拡張してSATを起こせば、エビデンスもないのにPCIをしたからだと結果から非難されます。こうした狭間で循環器医は悩むのです。実際、CTで冠動脈を見てからPCIを実施した昨日まで、ずっとするべきか、するべきではないのかと考えていました。

とはいえ、不整な高度狭窄を持つ無症状のケースにきっと放置は危険だろうと判断し、既にBare Metal Stentの植え込みを行ったわけです。BMS植込み後の手術のリスクを頭に入れておかなければなりません。

BMS植込み後のチクロピジン(パナルジン)投与は2週間でだけでも安全であるという論文がMayo Clinicから報告されています。

Safety and Efficacy of Ticlopidine for only 2 weeks after Successful Intracoronary stent Placement. Circulation. 1999;99: 248-253

実際、私自身もBMS時代には2週間しかパナルジンは処方していませんでした。このやり方で発生するBMSのSATはパナルジン中止前である植込み後2週間以内に集中しており、植込み後2週間経過後にはパナルジンを中止していてもSATの発生が少ないとの報告です。これはBMS植込み後早期に内皮が張るからだと説明されています。この所見を受けてACC/AHA guideline 2007でもBMS植込み後4-6週後の抗血小板剤中断下の手術は安全だと記載しています。危険なのはバルーン単独治療もしくはDES植込み後です。

どのような選択をしても100%がない中で考え尽くしての選択です。この選択に至る過程をよく患者さんやご家族や、手術をする外科医に説明しなければなりません。また、わずかな可能性として残るSATの発生時に円滑に対処できるように外科医との打ち合わせや、私のスタンバイに手を抜かないようにしなければなりません。

サイは投げてしまいました。

2011年9月26日月曜日

非心臓手術前の心臓評価 二重基準の狭間で彷徨う循環器医

Fig. 1 Coronary CT without contrast
  循環器医によくある仕事の一つは心臓以外の手術の術前検査です。手術を予定していますが心臓は大丈夫ですかという問い合わせです。

本日の方も術前の心臓評価目的で紹介され受診されました。83歳の女性です。甲状腺機能低下症でチラーヂンを内服されておりEuthyroidです。LDLは162mg/dlと高値です。胸部症状は全くありません。安静時心電図も正常、心エコー上の心機能にも問題はありません。ご主人が陳旧性心筋梗塞で多数のステント植込みを他院で受けておられます。

通常であれば、もうこれ以上は検査をせずに症状もなく、安静時心電図にも心エコーにも問題ないわけですから、リスクはゼロとは言えなくてもこのまま手術ということで良いと思いますと返事を書きます。術前の心臓評価の依頼でそれ以上の検査をすることは当院では全くないのです。


Fig.2 Coronary CT with contrast
しかし、なにか胸騒ぎがしてもう少し検査をした方が良いのではないかとふと思ったのです。だからと言って高LDLだけで造影して冠動脈を評価するのはやりすぎのように思えます。このため冠動脈石灰化だけでもと考え評価しました。Fig. 1です。LADとRCAに石灰化を認めます。石灰化スコアは411です。この年齢ではよくある数字です。このまま手術を受けるか、周術期に何かあってから対処するかとの問いにPCIの経験があるご主人は白黒をつけて欲しいと望まれました。このため実施したのがFig. 2です。RCAの石灰化部位に一致して高度狭窄を認めます。狭窄形態も不整です。紹介してくれた先生に電話をし、PCIが必要になる可能性が高いことを説明しました。手術まで待つことができる期間は1月以内なのか、1月程度なのか、半年待てるのかと聞いたところ1月は待てるという返事を頂きました。

Fig. 3 Right Coronary Artery before PCI
本日実施した造影がFig. 3です。IVUSカテが通るだけでST上昇するような高度狭窄です。Bare Metal Stentの植え込みを行いました。DESのなかった頃、私はパナルジンを2週間で止めていましたのでこの方も2-4週間で2剤の抗血小板剤を中止して約束通り、1月後に手術していただく予定です。胸騒ぎに従って正解でした。

循環器医を悩ますものの一つが術前の評価です。心エコー上の心機能の評価は簡単です。しかし、心エコー上の正常心機能はなにも手術の安全を担保しません。しかも紹介されてくる方の多くは負荷心電図検査ができない方です。ACC/AHAのガイドラインに沿えば、心臓の病歴のない高齢者の腹腔手術ですから心臓の急なイベントのリスクは1-5%と推測され、それ以上の心評価をせずに手術室に送ってよいということになります。1-5%のリスクであれば発生しても仕方がない、全例の完璧を目指すためにすべての例に大掛かりな検査を実施することで失われることの方が多いという判断です。私もこの考え方は妥当で、100%を目指すための経済的な負担や被ばくや造影剤の使用で失われるものも多いわけですから、ある程度の蓋然性で納得するしかないと思っています。しかし、100人に1人ないし20人に1人が、循環器医が手術しても問題ないのではないかと言ったのに周術期に心臓死をした場合に、100%分からないのは仕方がないから循環器医には責任はないと日本の文化で納得してくれるかということが問題です。裁判になった時にはある程度の免責は認められても100%の免責はないと思います。

100%の安全を担保するために、高額な検査をすべての人に実施するという医療を日本は目指すのか、米国のようにある程度のロスは仕方がない、そのロスを減らすためにロス以上の経済的あるいは肉体的に負荷を負わすのはナンセンスだという医療を目指すのかはっきりしてほしいと願っています。最悪は何も方向性を決めずに、慎重に検査をすればやりすぎだと非難し、ある程度の蓋然性で納得して問題が生ずると医師の怠慢だと非難するといった2重基準 double standardです。阿吽の呼吸で医療をするのが日本のやり方だと言われるとやり切れないと思います。

今回のLDLが高値である、長い甲状腺機能低下の病歴がある、ご主人もPCIを受けておられるという条件はすべてACC/AHA guideline 2007に従えばLow riskに入ります。何か嫌な予感がするというような非科学に頼って綱渡りをする医療をいつまでも続けることなく、医学界のコンセンサスではなく日本の社会のコンセンサスとしてどこまで医療費を掛けるのか、掛けないために失われるものを受け入れることができるのかといった議論がもうそろそろ必要だと思っています。


2011年9月20日火曜日

動脈硬化性腎動脈狭窄の存在は、虚血性の心臓や脳の急なイベントを予言する?

Fig. 1 US findings before PTRA
 9/16に 当院での21例目、26件目のPTRAを実施しました。#6の90%狭窄が原因の不安定狭心症の方です。不安定狭心症も冠動脈を拡げてしまえば安定しますが、腎動脈狭窄は不安定狭心症のリスクでもあります。重篤な冠動脈疾患に合併する腎動脈狭窄はPTRAの適応であろうと考えています。とはいえ、ただ狭いだけでは適応にはなりません。PSVは282cm/s、RARは4.00の方です。この方は、冠動脈の拡張後にも胸部症状を訴えておられました。鹿児島の表現で言えば「胸がジージーする」ですし、広く九州では「胸がどうかある」と表現されます。腎動脈狭窄の方の中に、こうした胸部症状を訴える方が少ないないという印象です。また、PTRA後この症状がなくなることが多いと印象を持っています。

Fig. 2 Before PTRA
この方を含めて21例のリスクファクターは高血圧が17例(81%)、糖尿病が11例(52%)、脂質異常が17例 (81%)と当院でPCIを受けている方よりもリスクが多い印象です。PTRAの適応は、難治性高血圧が8例、心不全が6例、重症冠動脈疾患が7例と、必ずしも全例が難治性高血圧ではありません。

意外だったのはこの21例でクレアチニンが1.2以上のケースは2例(9.5%)のみでCREの上昇は発見のきっかけになっていないかったということです。
  日本高血圧学会のガイドラインによれば、腎動脈狭窄は全高血圧患者の1%、剖検された心筋梗塞患者の10%、心カテを受ける患者の7%、重症頸動脈疾患患者の27%に認められるとされています。

一方、今回の21例から見ると冠動脈疾患患者から見つけているので当然と言えば当然ですが、重症冠動脈疾患患者は19例(90%)に認められました。間欠性跛行を呈する下肢閉塞性動脈硬化症は9例(43%)認め、IMTが2㎜を超える頸動脈狭窄は17例(81%)認められました。

Fig. 3 After PTRA
冠動脈疾患患者の中の頻度、頸動脈狭窄患者から見た頻度はそう高くなくても、動脈硬化性腎動脈狭窄患者から見ると、冠動脈疾患患者、頸動脈狭窄患者の頻度は少なくありません。こうして考えると動脈硬化性腎動脈狭窄は、全身の動脈硬化の最終の表現として表れているとも思えます。

腎動脈狭窄にまで至っているのに、気づかずに放置していると、脳梗塞や虚血性心疾患の急なイベントの発生を招きかねません。動脈硬化性腎動脈狭窄の存在は、虚血性の脳・心臓の急なイベントの大きなリスクであろうと思います。


また、入野先生の思い出です。私が脳卒中診療部時代に入野先生は、「何を投薬しても血圧の下がらない患者はすぐに脳卒中になる」とよく言っておられました。こうした現象が動脈硬化性腎動脈狭窄を介して起こっていたのなら、30年ぶりに納得です。

2011年9月9日金曜日

若き志士たる医師の活躍 友人の誕生日に贈る言葉として

Facebookの友人が今日、44歳の誕生日を迎えました。おめでとうのメッセージを送ったところ、44歳の頃、何をしていたのですかと返事をもらって考えました。

私が湘南鎌倉病院を退職し、福岡徳洲会病院の部長になったのは39歳の時です。大学からの派遣の部長とは異なり、自分のポジションを保証するものは自分の力量しかない訳ですから、スタッフに受け入れられるまで毎日、胸が締め付けられる思いがして時にニトログリセリンを舌下していました。効果がないことを確認しては狭心症ではなくプレッシャーが原因だからと安心していました。

福岡への転勤を徳洲会病院の徳田虎雄理事長にお願いしたのは、政令指定都市である福岡都市圏で1番のPCI施設を作り上げてやるぞという野心があったからです。転勤した1994年当時、福岡都市圏で最も多くのPCIを実施していたのは福岡大学病院でしたが、わずか年間100件程度でした。転勤した1994年に福岡徳洲会で約250件のPCIがあり、数字的には1年で福岡都市圏で1番の施設になりました。2年目に400件、3年目に500件程度になったように記憶しています。

2010年12月5日付当ブログ「私がブログを始めた訳 ネット時代の医師の生き方」に書いたように、この頃に対馬との出会いがあり、PCIができない土地にもPCIを普及させ、日本のどこで心筋梗塞になっても安心な世の中を目指そうと思い始めました。1997年に対馬と福岡徳洲会をテレビ電話で結んで対馬のPCIをサポートする「遠隔PTCA」を始めました。1998年には、奄美大島にもこのシステムを繋ぎました。また、通信で繋がっているだけで都会から地方をサポートするいう安易なポジションで偉そうにしていてはいけないと考え、自分自身が奄美大島に赴任したのは1999年です。45歳の頃です。2000年には当時PCIができない土地であった鹿児島県大隅半島でもPCIができるようにと現在住んでいる鹿屋に転勤を申し出ました。学会で「ブイブイ」言いたいというスタンスから地方に視点が向いた頃です。

この仕事の中で徳田虎雄さんから可愛がられるようになり、大隅鹿屋病院の院長を経て、徳洲会の専務理事にまで就任するに至りました。大組織での幹部職員としての仕事や、地方でのPCIの立ち上げをやりながらでは学会活動はままなりません。インターベンション医としては「失われた10年」です。しかし、やりがいのある面白い10年でもありました。この経験がなければ、オーナーとして小さいながらも「ハートセンター」を切り盛りできる力は付かなかっただろうとも思っています。

39歳で支えのない部長になり、駆け抜けた10年です。39歳は今となっては少しスタートが早かったかなとも思います。

しかしです。昨日、書いた入野忠芳先生は、大学医局を喧嘩して飛び出したと聞いていますが、決して評価が高くなかった病院で支えもなしに脳卒中診療部を立ち上げ、Stroke等に多くのpaperを残されました。たとえば下記です。

Irino T, Taneda M, Minami T. Positive scans in angiographically proved cases of recanalized cerebral infarction. Stroke. 1975;  6: 132-135

このpaperは、入野先生が33歳の時に書かれているのです。共同著者の種子田先生は脳外科医です。南先生はたしか、大阪大学特殊救急部出身の先生だったと記憶しています。30歳そこそこで大学の支えもなく、オンボロのアンギオ装置と出たばかりのCTやRI装置を用いて、AHAの発行するStrokeに掲載されるような仕事をしておられたのです。今思えば、ペーペーの若僧とも思える30歳代前半の入野先生ががむしゃらに仕事をされ、Strokeに論文を載せ、病院を一流に育てられました。そう思えば、私が部長としてスタートを切った39歳は決して早くはなかったとも思えます。徳田虎雄さんが徳洲会の最初の病院を立ち上げたのも30代でした。

日本のPCIが始まった1982-3年頃、私は29歳位でした。倉敷の光藤先生は6歳上ですから35歳、鎌倉の齋藤先生は5歳上ですから34歳位です。そのくらいの年代で誰もどうやるのかわからないPCIに挑戦していたのです。そう思えば、今の医師の育成システムは、時間がかかりすぎているのかもしれません。また、若い先生たちに勇気がないのかもしれませんし、挑戦を阻む雰囲気があるのかもしれません。

幕末の坂本竜馬のような若い志士は、その頃に途絶えた訳ではありません。私たちの医療の世界にもつい最近まで若い志士が存在しました。きっと今も存在するのでしょう。もう若いとは決して言えない私たち世代は、若い志士の活躍を阻害しないことだけを使命とする方が良いのかもしれません。とはいえ、入野先生が開業後の65歳でLancetに投稿されたように私も何か一仕事をしなければという意欲だけは捨てないつもりです。

2011年9月8日木曜日

ワーファリンで治療中の心房細動患者に発症した脳卒中を診て、思い出した私の恩師

Fig. 1
 私は、1979年に医学部を卒業し医師になりました。現在のような研修義務化もなく、それ以前のインターン制もなく、空白の医師養成時代でしたので、大学で研修を受ける者もいましたし、卒後直ぐから一線で働く医師もいました。私は、大阪の脳卒中の三次救急を担う民間病院に一医師として就職しました。2年目からはその病院で循環器を始めましたが、1年目は「脳卒中診療部」の所属で脳卒中を診ていました。

 その当時の脳卒中診療部の内科系のボスは入野忠芳先生です。2009年に67歳で亡くなられました。入野先生はこの病院で出血性脳梗塞の研究で多くの実績を残され、Stroke等にpaperをたくさん発表された先生です。この病院を退職後に開業されましたが、八百屋お七が丙午生まれであったことから丙午生まれの女性が日本には少なく、こうした文化的な背景が医学の統計にも影響を与えるという論文をLancetにも載せるという類稀なる才人でした。フルカラーの浮世絵がLancetのFigureとして掲載されたのはこの論文だけではないでしょうか。

Irino T. et al. Arson, an attractive monk, and our vertigo clinic. Lancet, 370; 2126: 2007

 これ以外にも中公新書ラクレから「患者サマザマ」を出版もされ、上方落語協会の桂三枝さんとの交流など多くの人に愛された先生でした。

 この先生が卒後2年目の私に脳卒中しか知らない医師ではろくな医師にはならないから脳卒中以外を勉強しなさいと勧めてくれたのが循環器を始めたきっかけです。

 新卒の脳卒中診療部時代、入野先生から歩いてくる頭痛の患者にも多くの脳出血患者がいると教わり、急性発症の頭痛であればCTを撮ってみろと言われ続けました。32年前の話です。

 本日、当院に慢性心房細動で通院されている方が突然の嘔吐と引き続く頭痛で受診されました。意識は清明でマヒもありません。最終のPT-INRは2.16、血圧は110-130にコントロールされていた方です。32年前の教えを守って、撮ったCTがFig. 1です。自分の施設にCTがなく、入野先生の教えの記憶がなければ、紹介してまでCTは撮らなかっただろうと思います。良い状態で鹿屋医療センターの脳外科に紹介できました。

 才能があり、ユーモアがあり、だれも思いつきもしないテーマで学術誌に投稿しと、こんな人にはとても敵わないと社会人になって初めて思わされた先生を今日の脳出血を診て思い出しました。良い師に恵まれたと感謝です。また、最近までその死を知りませんでしたので「お別れ会」にも行けずじまいです。天国での活躍ぶりをそのうちに見てみたいものです。

2011年9月7日水曜日

"Evidence"や"ルール"に従うのか、信念に従うのか ARISTOTLE試験の結果に思う

循環器診療でよく使う薬剤にカルベジロール(アーチスト)があります。特に左室拡張末期径の大きな陳旧性心筋梗塞患者や拡張型心筋症の方に私も好んで使用しています。左室拡張末期径が60㎜を超えていたのにアーチストを内服している間に55㎜、50㎜と拡張末期径が縮小する方が少なくありません。このため、心不全という訳でもないのですが頻拍傾向で左室拡張末期径が大きめの高血圧の方にも好んで処方しています。

1年ほど前でしょうか。高血圧でアーチストを5㎎内服している方で、この処方が査定を受けました。2.5㎎錠を2Tで5㎎内服していたのですが2.5㎎錠には心不全の適応しかないからだそうです。10mg錠を1/2錠の処方であれば査定を受けません。きちんと包装された薬剤の処方は許されず、包装をといて1/2錠にすれば保険診療として認められるというのです。

高血圧にアーチストは適応があるという表現は正しいですし、心不全にも適応があるという表現も医学的に自然です。しかし、10m錠の1/2錠は適応があるが2.5㎎錠 2錠では適応はないという表現は医学的にうなづけません。これが保険診療を行う医師が守るべきルールだというのはおかしな話です。

2011年8月30日付当ブログ「心房細動患者に対するプラザキサの使用」で私は、高齢者には1日の処方を75㎎錠 2錠にするのが良いのではないかと書きました。しかし、この処方は保健薬の認可の条件とは異なるために認められません。Re-ly試験での処方が1日量、220㎎と300㎎しか検討されていないからです。1日150㎎の処方の検討がないので有効性が不明だという理屈になるのだと思います。

心房細動患者に対するワーファリンと第Xa因子阻害剤であるapixabanとの比較試験の結果がNew Engl J medに発表されました。

Apixaban versus Warfarin in Patinets with Atrial Fibrillation です。

このARISTOTLE試験では 1) 80歳以上、 2)  体重60kg以下、 3) CRE 1.5mg/dl以上の3つの項目のうち2項目以上が当てはまる場合にはapixabanの処方量を半量に減らしています。この結果、全身の塞栓症の発症はapixaban群で年率1.27%、ワーファリン群で年率1.60%で有意にapixaban群で塞栓症が少なかっただけではなく、major bleedingもapixaban群で年率2.13%、ワーファリン群で年率3.09%と有意にapixaban群で少なかったことが報告されています。Re-ly試験の220㎎投与群のmajor bleedingは年率2.71%ですからapixabanでの年率2.13%はdabigatranよりも優れた結果だということができます。

この結果を見て、Dabigatranでも高齢者や腎機能不良例、低体重者で半量投与が行われていたならばどんな結果になっていただろうかと考えます。Re-ly試験での患者の平均体重は83㎏です。この体重で検討された結果で、日本での投与量を決定されているわけですから恐ろしい話です。50㎏の80歳の女性に体重あたりの同量を処方しようとすれば220mg X 50/83 = 132.5mgとなります。 私が高齢の痩せた方には1日量150mgが妥当ではないかと思う理由がこれです。

日本人とは体重のベースが異なるRe-ly試験の結果で、Evidence-Based Medicineと称して日本人に対する投与量を決めてしまうのは馬鹿げた話のように思います。この馬鹿げた論理の上に保険診療が査定されるのであれば投与される患者さんも処方する医師も救われません。Dabigatranの内服後の5例の死亡を受けて日本循環器学会が発表した緊急ステートメントでも投与量は1日220㎎のままです。apixabanやDabigatranは心房細動患者の診療を今後変える重要な薬剤です。1日量150㎎が有効か否かのEvidenceがないのであれば、これらの薬剤や、患者を守るために国内でtrialを実施すべきと考えます。

当院でプラザキサを処方している唯一の患者さんは80歳を超える痩せた方です。保険で査定されるかもしれないと思いましたが、そんなことよりも患者が優先です。1日150㎎の処方に変更しました。

2011年9月2日金曜日

心配すると杞憂に終わり、油断すると痛い目にあう 昨日のケースのPTRAを実施しました。

Fig. 1 Before stenting
 昨日9/1付当ブログに書いたケースのPTRAを本日実施しました。昨日ブログを書いた時点で既に、本日実施することは決めていました。ブログを書く前も、書いている最中も、書いた後もずっと、ガイディングカテはエンゲージできるだろうか、病変が硬くバルーンが拡がらない事態は起きないだろうか、拡がったは良いけれども動脈破裂や末梢塞栓は起きないだろうか、ステントは持ち込めるだろうかと心配していました。

Fig. 2 After sten
いつもは、4/26のブログに書いたように右のジャドキンスで腎動脈を確保し、ワイヤーを挿入、そのワイヤーを支えにガイディングカテをエンゲージさせるのですが、今回はガイディングカテの中に診断カテを入れ、ワイヤー挿入後にエンゲージさせたガイディングカテから診断カテを抜くというオーソドックスなCatheter Exchangeで腎動脈を確保しました。Aguru 0.014 wireでは狭窄の後の拡張部を超えた後の急峻なカーブを超えることができなかったために冠動脈用のTerumo runthrough extrafloppy 0.014を使用し、末梢まで確保です。次いでIVUSで評価します。狭窄部の血管径は4.5㎜-5.0㎜です。distal protection deviceを使用しない拡張ですので3.0㎜で前拡張しました。血管はすぐにIndentationも取れ末梢の血流の障害なく3㎜に拡がりました。次いでGenesis18㎜を末梢から2本中枢部において終了です。

  ことのほか、スムースに合併症なく拡張できました。Distal protectionをしなかった理由は、狭窄部を超えて末梢まで持っていく自信がなかったことと、バルーンやフィルターをどこに置けるかデザインできなかったためです。このために、術前に末梢塞栓が起きて厳しい場面になるのではないかと危惧していたわけです。

予想される合併症に対して十分な対策を講じてインターベンションに臨むというのはインターベンションをする医師にとって基本的な考え方です。しかし、十分な対策を講じることができない状況で手を出さなければならない場面も少なくはありません。本日のケースは屈曲の存在や、狭窄部位が比較的遠位であったためにDistal protectionができないだろうと思っていました。また、腹部大動脈瘤の存在や他の硬い動脈硬化から、大動脈の問題が起きるのではないかとか拡張後にExtravasationが起きるのではないかとずっと心配していました。

非科学的な、話をします。1時間もかからない手技のために何時間も心配します。すると不思議なことに予想した合併症はあまり起きません。一方、こんなのは簡単な手技だと思って安易に臨むと予想しない合併症に遭遇し、慌てることになります。「心配すると杞憂に終わり、油断すると痛い目に合う」です。

何時間も心配し、悪いことばかり考えて、本人やご家族に安易な手技ではない旨をお話しします。この手技には一般的に○○%のこうした合併症があると言われていますというような形式的な説明ではありません。自分が心から心配していることをお話しするのです。こうすると不思議なことに神様が助けてくれるようです。

2011年9月1日木曜日

4月の腎動脈ステントの方が再入院です

Fig. 1 Rt-renal Aretry before PTRA (Apr. 15, 2011)
  2011年4月26日付の当ブログ「心不全を繰り返す腎動脈狭窄の方がステント植込みを終え、本日退院です」の方が再入院です。

ステント植込み前の推定右室圧は51mmHgでしたが、今回入院時の推定右室圧は35mmHgでした。夜半に起坐呼吸で入院し、翌朝の数字です。翌朝にはケロッとしています。典型的なCardiac Disturbance Syndromeです。ステントの再狭窄を疑い、CTで評価しましたが、右腎動脈に植え込んだステントに再狭窄は認められません(Fig. 2)。

 しかし、左腎動脈にはdiffuseに高度狭窄を認めます(Fig. 3)。これは4月と同様の所見ですが、腎萎縮もあり、こちらの治療は意味がないのではと考えていました。しかし、Cardiac Disturbanceを繰り返すのであれば、こちらの治療も考えなければなりません。

Fig. 2 4 months after stenting(AUg. 29. 2011)
  Brachial Arteryは石のように固く、拍動も微弱です。上肢からのアプローチは無理なようです。左そけいは、動脈瘤です。右そけいからのアプローチしかありません。腎動脈下も動脈瘤です。

手を付けるならば、困難な治療になります。 




Fig. 3 Lt-Renal Artery (Aug. 29, 2011)

2011年8月31日水曜日

本日8/31は私の誕生日です。 あっという間に57歳です。

 8月31日は私の誕生日です。57歳になりました。もちろん、こんな歳ですから嬉しくも悲しくもありません。今日を迎えて、考えるのは鹿屋ハートセンター開設後のことばかりです。51歳で、鹿屋ハートセンターの開設を決意し、52歳でオープンを迎えました。今年の10月で丸5年が経過します。

 6年前に独立の決意をせずにそれまでの病院に留まっていたならどんな57歳を迎えただろうかと思います。組織の幹部であった私に、自分の考えることを明らかにする自由は許されなかったでしょう。組織の論理の中で、自分の考えとの折り合いをつけ、本音半分、組織の論理半分の発言をしていたと思います。独立の決意で得たものは、自由な発言です。そしてそれを保障している一つの方法がこのブログであろうと思っています。

 独立を決意した時、医学的な情報を得るのにも不利な田舎で、遅れずに仕事をするにはネットが不可欠だと思っていましたが、実際、私の仕事はネットで支えられていると感じています。

 この5年間で変わったことと言えば、冠動脈CTを駆使して、PCI後の6-8月後の造影を止めたことでしょうか。診断カテは激減し、入院患者も減少しました。それに伴って医療収入も目立って減少しましたが、新しいモダリティーを得て、不要な入院、不要な検査が減少した結果ですから結構なことだと思っています。減収ですが減益にはなっていないので効率的な運営が可能になったと評価すべきと考えています。冠動脈CTを駆使するようになって変わったことは、有意とは言えないプラークを多く発見するようになったために、スタチンを中心とした予防に力を入れるようになったことです。スタチンの効果も、効果の不十分さも随分と考えさせられました。また、腎動脈狭窄に対する治療も随分と増えました。ドップラーとCTを駆使して狭窄を発見するだけではなく、治療の必要性を考える機会が独立以前と比較して格段に増えたように思います。
 
 心房細動患者のablationを当院では実施していませんが、CFAEを積極的に実施している鹿児島大学によく紹介するようになったことも変化の一つです。心房細動に対する考え方が5年前とは全く変わりました。

 開業前、学会にもなかなか行けないために一人で間違った方向に進んでしまうのではないかと危惧していました。これも、間違いを恐れずに考えをネットで公開することで、おかしな方向に進むかもしれない私の進路を修正してくれていると思っています。

 自由を得た私が、過ちを犯さぬように戒めるもの、それは私自身にほかなりません。それは、楽な形態ではありません。鳥かごにいる方が楽であったかもしれません。しかし、飛び立った私にはもう鳥かごはありません。目に見える現象は孤立であっても、ネットの力を借りて電子で繋がった同志とともに羽ばたき続けなければなりません。

2011年8月30日火曜日

心房細動患者に対するプラザキサの使用 現時点での私の考え

鹿屋ハートセンターに通っておられる患者さんで最も多い方は、狭心症や心筋梗塞でPCIを受けられた方です。次に多いのは心房細動の患者さんです。数百人の慢性心房細動や発作性心房細動の方が塞栓の予防のためにワーファリンを内服しておられます。

 2011年3月、心房細動患者に発生する塞栓症を予防する抗凝固剤として直接トロンビン阻害剤タビガトラン(プラザキサ)が日本の国内でも使用可能となりました。それまでのワーファリンでは、抗生剤や消炎鎮痛剤による作用増強や、逆に納豆などによる作用減弱で心房細動患者さんの生活や処方が制限されていました。他の薬剤との相互作用が少ない、食事の制限が不要などというメリットが強調され、市販はスタートを切りました。

 2011年8月現在、鹿屋ハートセンターで、このプラザキサを処方している患者さんは1名のみです。それも他院で処方された方の継続使用ですので実際には、当院で処方を開始した患者さんは一人もおられません。評判の薬を処方しない理由の一つは薬価が高いからです。ワーファリン1mgの薬価9.60円を2㎎飲む方の30日の薬価は9.60X2X30で576円です。一方、プラザキサは75㎎で132.60ですから標準量の300㎎に使用では30日の薬価は132.60X4X30で15840円となりワーファリンの30倍の薬剤費負担が必要になります。これに加えて、発売当初は2週間しか処方できませんから2週間ごとの受診が必要になります。

 PTの採血が不要になりなんでも食べられるようになる代わりに、薬剤費負担が増え、それまでの1月に1度の受診から2週間に1度の受診になるけれども薬を替えてほしいかと患者さんに尋ねましたが、一人として替えてほしいと言われた方はいらっしゃいませんでした。1年後の長期処方になったら替えてほしいと言われた方は少なからずおられますのでそれまでは、当院で処方を開始することもないだろうと思い、あまりこの薬の勉強もしていませんでした。

  そうした中で8/12に厚生労働省からこの薬剤に関する注意喚起のレターが発表されました。市販後8/11までの間に5例のこの薬剤との関連が否定できない出血性副作用による死亡があったので注意するようにとの内容です。また死亡に至らない出血性の副作用は死亡した5例を含めて81例であったとのことです。推定の使用患者数は6万4千人ということですので、出血性副作用による死亡は半年弱で0.008%、出血性副作用は半年弱で0.1%ということなります。5人も死んだ危ない薬と判断するのか、0.008%しか死亡をもたらさない安全な薬と評価するのかいずれが正しいのでしょうか。

 この薬剤の認可の決め手になったRe-ly試験の結果を見てみましょう。

Dabigatran versus Warfarin in Patients with Atrial Fibrillation. N Engl J Med 2009; 361: 1139-51

 この論文の中で1日220㎎のプラザキサを内服していたグループの死亡は年率3.75%でした。300㎎内服していたグループの死亡は年率3.64%でした。一方、ワーファリンを内服していたグループの死亡は年率4.13%でいずれのグループ間にも統計的な有意な差は認めませんでした。出血性の副作用の発現は、プラザキサ220㎎のグループで年率2.71%、300㎎のグループで年率3.11%、ワーファリンのグループで3.36%でした。220㎎のグループの出血の発現率は有意にワーファリンを内服していたグループより少なかったとの結果です。この数字を今回注意喚起された日本の数字と比較すると、日本はまだ5か月間のデータですから日本の数字に12/5を掛けてもRe-ly試験の結果よりも優れた結果ということになります。

 私は、新しく市場に投入されるステントも、薬剤も安易に飛びつかずに市場でよく評価されてからその結果を見て使い始めればよいといつも思っています。今回、注意喚起されたプラザキサですが、注意喚起されたにもかかわらず、私は安心しました。国内での使用で発生する問題は、現時点ではRe-ly試験の結果を大きく上回るものではなく逆に少ないという結果だったからです。

 患者さんに新たに何か薬を処方する時に「この薬を飲んでも大丈夫でしょうか?」とよく聞かれます。大丈夫とは言えないねというのが心の中で思っている答えです。A地点からB地点に行くのに高速道路を使って行くのと、一般道を使って行くのではどちらが100%の安全を保障できるのですかという問いに似ていると思います。どちらにも100%の安全はありません。少し高い高速料金を払って早く着く選択を取るのか、高速料金をケチって時間を失うかの選択です。高速道を選択しても一般道を選択してもきっと事故の発生率には違いはないものと思います。一般道の方が時間が長いために発生率は高いかもしれません。ただ一旦、事故が発生すると高速道では死亡事故になる可能性が高いかもしれませんし、一般道を選択すると死亡事故になる確率は低いかもしれません。こうした種々の条件を勘案しながら、100%の安全がない中で常に選択をしているのです。

 心房細動の中での選択は、ワーファリンを服用する、プラザキサを服用する、どちらも服用しないとの選択です。Re-ly試験での患者のCHADS2 scoreは2.1ですから、内服しないという選択の場合予想される塞栓症の発生は年率4.0%です。一方、Re-ly試験の結果ではプラザキサ220㎎のグループで塞栓症の発生は年率1.53%、300㎎のグループで1.11%、ワーファリンのグループで1.69%です。放置するという最も悪い結果が予想される選択を回避するために、それより少ないリスクを受け入れようというのが医学に他ならないと思っています。医師ができることはせいぜいその程度なのです。

 2012年3月まで、やはり私は今迄通り、プラザキサを処方することはないと思います。しかし、長期処方が可能になり、その時点の国内の結果が注意喚起された8/11までのデータと同じであれば、患者さんの選択を問うた上で、積極的にプラザキサを使うだろうと思っています。ただ唯一の要望は75mg錠を1日2回という選択を許して欲しいということです。この選択が許されれば、高齢者にはこの処方が良いような気がしています。

2011年8月28日日曜日

広瀬隆さんの講演に行ってきました。

 本日(2011年8月28日)、『東京に原発を!』1981年3月や、『原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島』 2010年8月の著者である、広瀬隆さんの講演会が南大隅町でありました。もちろん、今回は福島第一原発の事故を受けてのことですが、もう一つは、南大隅町に高レベル放射性廃棄物の最終処分場の誘致計画があるために、それに反対する人たちが広瀬さんを招いてのことです。

典型的な田舎で、保守的な政治風土の南大隅町にこんなにもこの問題に危機感を持っている人たちがいるのかと思うほどの盛況でした。鹿屋ハートセンターに通っておられる患者さんの顔も見受けられました。

今回の、冷却停止に伴うメルトダウンや水素爆発は、津波による全電源喪失以前に起きた地震による配管の損傷が原因として考えられることなどを丁寧に説明していただきました。また、停止していた4号機の爆発で明らかなように、原発の停止だけでは、そこに燃料棒がある限り、地震や津波の発生時の危険は解消しないことなども理解できました。浜岡原発は、菅直人さんの要請で停止しましたが、地震や津波発生時のリスクは全く減少していないということです。

大隅半島は、域内で消費する食料の4倍の食料を生産し、域外に提供している土地です。食料自給率400%ということになります。例えば、水源となるダムの上流に危険な施設を作る人はいません。同じように重要な食料供給地に高レベル放射性廃棄物処理施設を 作るのは間違っていると私も思います。安全な施設ならばかつて広瀬さんが「東京に原発を」と指摘されたように都市部に作れば良いのです。危険で皆が嫌がるものは、札束で頬を叩いて、地方に押し付けるという発想は頂けません。私が、鹿屋で循環器をやろうと決めた理由の一つは、人口第2位の土地なのにインターベンションができる施設がなかったからですが、そこに導入した後、支えるべきものはこの土地の産業だと思っています。

批判が多々あるのも承知ですが、高名な広瀬隆さんの話を直に聞けたのは幸いでした。また、今回の公演で「チェルノブイリハート」という映画の紹介もありました。チェルノブイリの事故の後、発生した原因不明の心筋症を取り上げた映画です。最近、東京で上映されたようですが、大隅半島のような田舎では見る機会はないでしょう。しかし、このような放射線障害に起因する心筋症がチェルノブイリで発生したとすれば日本でも発生の可能性は十分にあるはずです。循環器医として頭に入れておきましょう。



2011年8月23日火曜日

払拭されない違和感 今回のDESの添付文書の見直しについて

 8/18付当ブログ「LMT病変に対する適切なPCIの実施」に記載した、今回の厚生労働省医薬食品局安全対策課長による課長通知(薬食機発 0720第2号)に対する違和感が消えません。

 当院でも5/26付当ブログ「LMTに対する治療 CABGかPCIか」や2/15付当ブログ「LMTへのPCIをしながら考えさせられたこと」に記載したようにLMTに対するPCIは絶対に実施すべきではないとの立場ではありません。このブログで記載したケース以外にも実施したケースは存在します。そして、この5年間で鹿屋ハートセンターで実施した保護されないLMTに対するDESの植え込みで、幸いにも手技死亡もありませんし、その後の再狭窄も突然死もありません。ですから感触としては、LMTに対するDESの植え込みはCABGの成績と肩を並べると考えています。

 しかしです。DESの承認にあたっては、臨床試験の成績の添付が必要です。その臨床試験で明らかになっていない部分はオフラベルとなって使用を制限されます。XIENCE V stentであればSPIRIT試験です。こうしたcrinical trialに基づく承認であれば、科学的な承認となり官僚の恣意がが入る余地はありません。今回のLMTへのDES使用の禁忌を外す決定にあたって、厚労省はどういったcrinical trialに基づいて決定を下したのでしょうか。7/20の薬事・食品衛生審議会医療機器安全対策部会資料によれば、Syntax試験を根拠の一つとし、また、現在進行中の国内の試験が根拠とされています。まだ、公表されていない試験結果がもう一つの根拠とされているのです。

 なぜ、国内で実施されている臨床試験の結果を待っての添付文書の見直しにしなかったのでしょうか。政治的な力が働いたのでしょうか。違和感が払拭されません。

2011年8月18日木曜日

左冠動脈主幹部病変に対する適切なPCIの実施

  投稿のエディターがうまく立ち上がらなかったために、またまた投稿の間隔があきました。今回は古いエディターでの投稿です。

鹿屋ハートセンターは2006年の10月にオープンしましたが、前の職場は2005年の10月に退職したために1年の準備期間という浪人時代を過ごしました。この間にも、狭心症だけれどもどうしたらよいかと頼られるケースがいくつかありました。今回の図の方もそうです。近くの病院で左冠動脈主幹部の狭窄を指摘され、ステント植込みを勧められていました。重大な部位の狭窄で分岐部へのステント植込みになるために関東から有名な先生に来てもらって治療してもらうという話になっていたそうです。しかし、その有名な関東の先生は、飛行機に間に合わないから自分たちでやっておきなさいと言ってその先生自身が治療をせずに帰ってしまったというのです。難しい治療だからと有名な先生に来てもらったのに地元の先生にしてもらってもよいのかというのが私に対する質問でした。左の図は、2011年4月のものですが、6年前の冠動脈も同様でした。左冠動脈主幹部に確かに狭窄はあるものの有意とは言えず、症状もないために治療の必要がない旨をお話ししました。有名な関東の先生は、私もよく知っている先生ですが、飛行機の時間にかこつけて、するべきではないPCIを避けたのだろうと私は理解しました。この方は、その後、2006年10月から鹿屋ハートセンターに通院中ですが、右冠動脈狭窄による狭心症でPCIを実施したほかは、この主幹部由来の狭心症の発作は1回も発生していません。

この方は、不要なPCIを避けることができましたが、PCIの実際の現場では、不要なPCI、不適切なPCIが実施されていることに間違いはありません。米国の調査では非急性のPCIのうち12%が不適切なPCIの実施であったと最近のJAMAで報告されました。

Chan PS et al. Appropriateness of Percutaneous Coronary Intervention. JAMA. 2011; 53-61

米国の民間保険会社は、営利のために必要な治療であっても保険による給付を渋るとよく言われていますが、その中でも12%の不適切なPCIが実施されているとすれば、公的な保険の日本の場合はもっと不適切なPCIが実施されている可能性があります。実際、保険の審査では適応があったか否かを支払基金から問われることもありませんし、冠動脈の画像を添付して詳記を書いても、画像など要らないと言われる始末です。不適切なPCIを防ぐシステムが日本に存在しません。 この検証がない日本のシステムが生んだ犯罪が奈良の山本病院でのなんちゃってPCIであったと考えています。

平成23年7月20日、 厚生労働省医薬食品局安全対策課長による課長通知(薬食機発 0720第2号)が出されました。この中で、従来禁忌・禁止とされた保護されない左冠動脈主幹部に対するPCIや急性心筋梗塞に対するPCIでの薬剤溶出性ステントの使用が禁忌から外されました。この結果、急性心筋梗塞や保護されない左冠動脈主幹部への薬剤溶出性ステント使用によるPCIは激増すると思います。DESの使用によって、LMT病変であってもDESが有効であるという結果が出ることを私も願っていますが、最初に示したようなケースにまで治療が広げられると、LMTに対するPCIの健全な治療法としての発展は阻害されてしまいます。今回の画期的な課長通知が出たからこそ日本のインターベンション医は、節度を持って適切なPCIを実施してほしいと切に願っています。

2011年8月11日木曜日

お盆がきます

 種々の理由で、今までかかってきた病院から、かかりつけを変える方がおられます。今までかかってきた先生が転勤になったからだとか、先生に叱られたからだとか本当に理由は様々です。入院可能な医療機関から入院可能な医療機関へかかりつけを変えるケースの一つの理由は「そこで家族が亡くなった」という理由です。

そこに行くと亡くなったご家族を思い出してしまうからとか、あるいは悪かった対応を思い出して腹が立つとかそれも色々です。

医療機関のホームページで、難しいケースが救命できたという話が公開されることはあっても、亡くなられた方のことに触れることは稀です。しかし、「死」は避けて通れない必然です。

お盆がきます。ハートセンター開設から約5年が経過し、亡くなられた方ももちろんおられます。ご主人が亡くなられてもハートセンターに通院を続けておられる奥様が少なくありません。本日もそのような方がいらっしゃいました。家族が受け入れることができる「死」であったと考えてよいのでしょう。ともに故人を偲ぶ大事なお盆です。

2011年8月6日土曜日

腎動脈末梢病変由来の繰り返す心不全 Cardiac Disturbance Syndrome due to Distal Renal Artery Stenosis

Fig. 1 Rt-Renal Artery wvaluated with 64-row MDCT
 症例は、74歳 男性。冠動脈3枝に強い石灰化を伴うびまん性病変があり、3枝すべてに薬剤溶出性ステントの植え込みを行っています。

 心エコーで評価した、心機能は、左室拡張末期径が60㎜、左室駆出率は45%と若干の収縮能の低下と左室の拡大を認めます。ドップラーで評価した推定右室圧は33㎜Hgでした。Creは0.84mg/dlです。

 この方が、2度、急性の起坐呼吸で夜間に救急搬送されました。ラシックスを1A IVするだけで翌朝にはケロッとして帰りたいと言われます。この程度の心機能でなぜ強い心不全を起こすのか不思議でした。腎動脈狭窄によるcardiac disturbance syndromeを疑いましたが、エコーで評価したPSVは速くありません。1度目の心不全時にはこのまま退院としましたが、2度目の心不全時に、CTで腎動脈を評価しました。結果が、Fig. 1です。右腎動脈の末梢に強い石灰化を伴う狭窄を認めます。


Fig. 2 Rt-Reanl A. before dilatation

 心不全を繰り返したり、多数の降圧剤を要する腎動脈狭窄に対して鹿屋ハートセンターでも数十例の腎動脈ステント植込みを行ってきましたが、ほとんどのケースは腎動脈入口部の狭窄です。本例のような末梢病変でcardiac disturbance syndromeを呈する患者の経験がないために、この部位の拡張に意義があるかどうか確信が持てませんでした。診療において重要なことの優先は、1) 病気を見つけ診断すること、2) 治療をすることで得られるものが失うものより大きいと判断すること(適応を決定すること)、3) 治療をきちんとすることの順番だと思っています。狭窄を見つけることに手間取りましたが拡張することは容易です。しかし、これで患者さんにメリットがあるのかどうか、判断がつかなかったのです。


Fig. 3 Rt-Renal A. after dilatation

 腎動脈の治療に多くの経験がある札幌心臓血管クリニックの藤田勉先生(2夜連続の登場です、許可なく名前を出していることを許してください)に電話をして意見を聞きました。やる価値があるのではないかとのご意見でした。この意見を受け入れて、実施したのがF1g. 2、Fig.3です。狭窄部は固く末梢用のバルーンが通過しないために冠動脈用のバルーンを使用しました。病変が固く2.5㎜径のバルーンで高圧で拡張してようやくindentationはとれたもののExtravasationを起こし、3.0㎜バルーンで長時間の低圧拡張を実施し、止血もできました。実施したのは2011年4月初旬です。

  問題は、この後の経過です。この後も心不全を繰り返せば、無駄な治療であったということになります。まだ4か月ですが、内服の変更なしに、まったく心不全発作は起こしていません。2か月続けて救急受診されていた方が4か月安定しているのですから、治療の意味があったと考え、本日アップすることにしました。

  腎動脈用のステントの最小径は4.0㎜でこのような末梢病変の治療を想定していません。本例のような末梢病変由来のcardiac disturbance syndromeが存在するとしたら、治療用のデバイスもそれに合わせてラインアップしなくてはなりません。また、診断も腎動脈本幹のドップラーによる評価だけでは不十分だということになります。このような病態が存在するのなら腎動脈狭窄に対する診療のあり方が大きく変わります。

2011年8月5日金曜日

不満に支配されるか、不満をばねに前進するか

 ほぼ2か月にわたってこのブログの更新を怠っていました。

 札幌心臓血管クリニックの藤田勉先生が時々、書いておられる悪い「気」に支配されている時には外に向かって何かを発信するべきではないとも思っていましたし、発信する気にもなれなかったのです。

 最後に記事をアップした6/17は、CVIT2011の開催予定まであと1か月というタイミングでした。この時点でプログラムは手元に届いておらず、学会に参加しようにも予定が組めなくてイライラしていました。宿泊の日程が組めずホテルの確保もしていませんでしたし、交通手段も確保していませんでした。「今度の学会事務局は最低だ」と思っていました。学会に参加するためには外来診療を止めなければならず、1月以上前からこの調整をしないと患者さんに迷惑をかけてしまいます。学会の準備が大変なのは理解できても、学会を準備する学会の中枢の先生方では、地方で少人数でPCIを維持している者の気持ちが分からないのだと大きな不満を抱いていました。

 ようやくweb上でプログラムが公開されたのが、学会の初日まで1か月を切った6/23です。公開されたプログラムを見てまたまた、不満の気持ちが高まりました。初日にライブがあり、最終日の最終時間帯に放射線防御の講習会です。どちらにも顔を出そうと思えば、長い期間の外来休診になってしまいます。このような日程だと参加者が増えるという目論見かもしれませんが、なるべく短い日程で外来患者さんに迷惑をかけずに学会参加しようと思う者にとっては厳しいプログラムです。

 この不満の気持ちに支配されての学会参加でしたので、放射線防御の講習会でも切れてしまいました。会場の部屋の前には何の案内もないのにもかかわらず今から始まるという時になって、3000円の受講申し込みを買ってきたものしか受講できないとアナウンスされたのを聞き、切れてしまったのです。会場の10階から受け付けの5階に下りて受講申し込みを購入するときに「ちゃんと、アナウンスしろよ」と責任のない担当者に文句を言ってしまいました。

 本当に悪い「気」に支配されていたようです。不条理と思うことがありそれに不満を持って解決しようとする心構えは、問題意識を持った改革への実践とも表現できます。これは「正」の気持ちです。一方で、言っても仕方がない不満を、「陰口」やネットを使った匿名性に隠れた「悪口」の公表などという手段で表明しても得られるものは何もありません。「負」の気持ちです。「負」の気持ちに支配されていては幸せになりようがありません。

 15年以上前、当時の上司との確執から鬱々とした日々を送っていた時に、置かれた環境を嘆くよりも新天地を求めて新しい挑戦のみに心を砕こうと決めました。その新しい挑戦が今の私を形作り、悪い「気」の支配から逃れられたと思っています。「私」が感じる不満や不遇の感触は、ほとんどが「私」に内在するもので環境の問題ではないと考えた方が良いようです。このような経験があり、「正」の気持ちで進路を決める行動パターンができていたために6年前の徳洲会の退職時にも、過去にとらわれずに明るい希望だけを持って前に勧めました。

 今思えば、この2か月間の不満や苛立ちは取るに足りない事でした。2010年12月15日付当ブログ「私がブログを始めた訳」に記載したように、学会に参加しなくても発信することは可能ですし、勉強することも可能です。また、私を支えてくれるものは、私を頼ってくれる患者さんをおいて他に存在しません。不満に支配された悪い「気」が去ってゆくのでしょう。新たな気持ちで日々の仕事に邁進しましょう。

2011年6月17日金曜日

去りゆくヒーローに対する感慨  Cypher stentの製造・販売中止に思う

Johnson & Johnson社が2011年6月16日、Cypher stentの製造、販売の中止、後継の薬剤溶出性ステントとして位置づけられていたNEVO stentの開発中止を発表しました。

驚きました。

Palmaz-Schatz stentの上市以来、Johnson & Johnson社はこの分野のリーディングカンパニーであり、私たちの分野である冠動脈インターベンションでの確とした地位を維持されてきました。初めての冠動脈ステントであるがゆえに市場を席巻すると同時に、改良された他社のステントの追い上げにあい、それが故に更に改良されたステントが登場するという歴史を繰り返してきました。やはり世界で初めての薬剤溶出性ステントを世に問うたJohnson & Johnson社は、他社の改良された薬剤溶出性ステントが市場に投入されても、さらに改良した薬剤溶出性ステントを投入するだろうと思っていました。ビジネスとしてみれば、見事な引き際だと思います。日本国内だけでも1万本の在庫が残っていると聞きましたが、保険償還価格で計算すると約35億円の損失です。傷口が大きくならない内に損切りをして次の時代に備えるというのは口で言うのは簡単ですが、なかなかできない決断です。本当に見事だと思います。

Cypher stentは初めての薬剤溶出性ステントとして、冠動脈インターベンションのアキレス腱と言われた再狭窄を見事なまでに減少させました。この再狭窄減少効果でどれほど多くの患者が恩恵を受けたでしょうか。また再狭窄が少ないということで左冠動脈主幹部に対するカテーテル治療の道筋も開けたと思っています。Cypher stentの「功」は計り知れません。

一方、再三このブログで取り上げてきたstent fractureの問題、late catch-up、late thrombosis、他の薬剤溶出性ステントと比べると内皮機能の障害が大きいのではないかという問題と、薬剤溶出性ステントにも問題が残っていることを私たちに提起もしました。これはCypher stentの「罪」とも言えますが、問題点が明らかになることで次世代の薬剤溶出性ステントの改良に繋がったと考えればこれも「功」なのかもしれません。

時代を切り開いたヒーローがその役割を終え、見事なまでの引き際で去っていきます。Cypher stentに人格はありませんが、時代のヒーローが批判に反論せずに去ってゆく姿に感慨の念を禁じ得ません。日本で認可された平成16年から去ってゆく平成23年まで、Cypher stentは、私たちの時代のヒーローであったことは忘れてはいけない歴史です。ヒーローであったCypher stentは引退しますが、その選手を世に問うたチームであるJohnson & Johnsonは残ります。この分野の治療のゴールはまだ先です。Johnson & Johnsonが世に問う新たなヒーローに期待しましょう。

2011年6月11日土曜日

日本のインターベンション医は、やり過ぎなのでしょうか?

2011年6月7日付当ブログ「Optimal Medical Therapyは本当にOptimalなのか」で、冠動脈インターベンション医はやり過ぎだと非難されると書きました。よくある批判は、欧米ではPCI: CABGの比が1:1なのに、日本では6.4-7.5:1と極端にPCIが多いという批判です。この数字は当時の岐阜大学教授 藤原久義先生が班長を務められた1998-1999年度合同研究班が作成した循環器病の診断と治療のガイドラインに記されている数字です。当時からそんなものかと思って気にもしていませんでしたが、米国のPCIとCABGの件数がJAMAに報告されました。

Andrew JE et al. Coronary Revascularization Trends in the United States, 2001-2008. JAMA. 2011; 305: 1769-1776.



この中に記載されている2001年のPCI件数は100万人の成人当たり3827件でそれに対して同時期のCABGは1742件でした。2.2:1です。国内のガイドラインが1:1と書いているのとほぼ同時期の米国の比率は2.2:1ですから、学会のガイドラインの記載も随分といい加減だなと思います。米国でのCABGはこの後減少し、2007年には1081件、PCIは3667件だったとのことです。3.4:1です。この数字を見ると米国もPCIの実施比率が日本に近づいてきたとも言えますし、まだまだ日本はやり過ぎだということも可能のように思えます。しかし、この比率をもっと米国に近づけなければと思っている日本の循環器インターベンション医は皆無だと思っています。こんな比率は無意味だと思っているのです

そもそも「やりすぎ」は適応もないのにやることを意味します。日本の循環器インターベンション医は適応を無視してPCIを実施しているのでしょうか。JAMA の論文を見て考えました。日本の統計は、10万人当たりの件数で表現することが多いので米国の数字を10万にあたりに換えて見てみるとCABGは成人10万人当たり108件、PCIは367件ですから、成人10万人当たり475人がPCIもしくはCABGを受けていることになります。最近の日本国内のPCI件数は20数万件ですから仮に24万件とすると人口10万人当たり200件です。一方CABGは2万数千件ですから仮に2万4千件とすると人口10万人当たり20件です。合計で人口10万人当たり220件の計算ですから、日本で冠動脈の侵襲的な治療を受ける人数は人口当たりで米国の半分にもならないのです。日本の有権者人口はおよそ1億人ですから、成人10万人当たりで計算しても264件で米国の1/2強という数字になります。このように米国と比べれば日本のインターベンションは少ないと言うと、それは米国の冠動脈疾患の有病率が日本と比べて極端に多いからだと反論されると思います。では、米国の冠動脈疾患の有病率は日本の2倍なのでしょうか。

2004年にやはり岐阜大学の西垣和彦先生が米国と日本の人口10万人当たりの冠動脈疾患患者数を発表されています。4584人と3199人です。米国の有病率は日本の1.4倍です。2倍の有病率ではありません。米国の成人10万に当たりのPCI件数367件と日本の成人10万人当たりのPCI件数 240件で比較するとやはり米国は日本の1.5倍で、冠動脈疾患患者数に対するPCIの実施件数の割合はほぼ同じか米国が少し多いのです。少なくとも米国の循環器インターベンション医と比べて日本の循環器インターベンション医は、需要に対する実施という観点からは、やり過ぎとは言えないと考えられます。治療を必要とする患者数に対して妥当な数のPCIが実施されている訳ですから「やり過ぎ」と言われるいわれはありません。CABG の件数との比較で言うとやり過ぎに見えたものの、実際には米国と比較すると日本のCABGが極端に少ないというのが正しいのでしょう。少ない原因は、私の推論ですが、PCI 不適病変を持つ患者が日本には少ないのではないかと考えています。

 人口10万人当たり3199人の冠動脈疾患の有病者に対して200件のPCIは、やり過ぎでしょうか。米国と比べて医療費の自己負担も少なく、日本中にPCI可能な施設が存在するためにアクセスもよい日本で、冠動脈疾患患者数に対する実施件数が、米国と同程度というのはむしろ少ないのではないかとさえ思います。現に、冠動脈治療に情熱を持っている病院のある都市では、10万人当たりのPCI実施件数は200件をはるかに超えています。全国平均の200件は、人口当たりの実施件数が少ない都市が存在するが故の少ない数字のように思います。

私は、局所的にやり過ぎ(適応を外れたPCIの実施)があったとしても監査で是正は可能だと思っています。冠動脈疾患もないのにステント植え込みを実施したり、実施したと偽ったりした奈良県の山本病院の例は、保険診療のチェックの問題だと思っています。こうした犯罪をチェックする保険診療の体制づくりが必要なのはもちろんですが、私が危惧するのは、逆に治療が必要な患者に治療が提供されないことです。例えば東京都江東区の人口はおよそ46万人ですが2007年に実施されたPCIはわずかに90件です、人口10万人当たり20件、日本の平均の10分の1に過ぎません。このような土地は、地方だけではなく都市部を含めて日本中に存在します。やり過ぎを批判するよりも大事なことは、治療を要する冠動脈疾患患者が放置されていることに問題意識を持つことではないでしょうか。