2012年6月29日金曜日

叱られる幸せ

昨日は、きちんと治療に向き合ってくれない患者さんに対して、医師が叱る話を書きました。もちろん、腹が立って怒っているのではありません。本日は、医師が叱られる話です。

循環器を始めて間もない頃、発作性心房細動の方の受け持ちになりました。抗不整脈剤を内服すると洞調律は維持されるものの徐脈でふらふらすると患者さんから言われました。抗不整脈剤を内服しないと心房細動が続くものの心拍数は維持され、患者さんは調子が良いと言われました。このため心房細動のままで良いかとそのまま抗不整脈剤を内服しない状態で様子を見ていたところ、部長から心房細動の方が良いというような医者は循環器に向かないとこっぴどく叱られました。今思えば、洞機能不全ですから、ペースメーカーも考慮して、洞調律の維持に努めた筈です。

若い頃は、よく叱られました。必要な薬を出し忘れたり、大事な所見を見落としたりです。また、遅刻して怒られたこともあります。こうして叱られながら年数を経て、自分より若い先生を指導する立場になってゆきます。腹痛で来院され、腹部に拍動性の腫瘤を触れるものの、観察室で死に至った患者さんがおられました。その患者さんを診た若い医師に、なぜ、すぐに外科に回さなかったのだと問い詰めたところ、バイタルサインが良かったからだと言われました。バイタルが良かったからこそ救命できたケースなのに、お前の判断で患者が死んだのだと強く叱りました。その若い先生から、自分の所為で死んだわけでもないのに人殺し呼ばわりされたと、後から随分と陰口を言われました。

部長を補佐する立場になると、自分の診療を部長から叱られることもありますし、若い医師の指導が不十分だと叱られることも出てきます。また、若い医師から自分もミスをするくせに自分たちを叱るなと言われる立場にもなります。

科を率いる部長になった時にはもう、叱ってくれる人はいませんから、陰口を言われるだけです。でも、ミスが全く発生しない筈もないわけですから、叱ってくれる人に助けられずに、自分でミスをチェックしなければなりません。だんだんと叱るという形で助けてくれる人がいなくなってきます。しかし、部長や副院長であれば、他科の部長や院長から、診療内容ではなく科の運営に関して叱られる場面もあり得ます。

2001年に大隅鹿屋病院の院長になった後、小さな診療の場面で叱ってくれる人はもう1人もいません。でも徳洲会のグループ病院ですので、病院の運営に関して手を抜いていると徳田虎雄理事長から叱られました。何もしないで実績が上がらなければ、叱られて指導される通りの運営をすればよいですし、何か自分で考えて実行したことが誤りであっても、指導を受け入れて言われることに従っておればよかったわけですから、ある意味、楽な院長職でした。

現在、自分自身がオーナーシップを持って、鹿屋ハートセンターの院長を務めているともう、誰も叱ってくれません。患者さんからの評価があるだけです。この立場になると、以前の叱ってもらえる立場は楽であったと心底、思います。

叱られる立場にいると、その立場がいかに楽で幸せであるかをなかなか実感できません。自分が悪かったわけでもないのにひどいことを言われたと被害者意識ばかりが高まるかもしれません。しかし、何時か年齢を重ね、叱られなくなった時に、その立場の危うさを実感すると思います。患者さんに対する愛情だけではなく、職員に対する愛情も忘れずに、叱ることを続けましょう。もちろん、ほめることも忘れずに。

2012年6月28日木曜日

新井は口うるさいといつも言われています

本日の午後は、カテもなく時間が空いたので鹿屋ハートセンターの法人化書類に添付する印鑑登録証明を貰いに市役所に行きました。ついでに女房と夕飯のお買い物です。買い物に寄ったスーパーで、かつて慢性完全閉塞にPCIをした方にばったりお会いしました。PCIをした頃にも悪かった腎機能がさらに悪化し、他の病院へ透析に通っておられます。お話をしていると時々、胸痛があるとのことなのでまた、受診に行ってよいかと聞かれました。もちろんOKです。その時に笑いながら、また、先生に叱られますねと言われました。

体重管理ができずにいつも体重を増やしてこられるので、確かに小言をよく言っていました。私が叱ってばかりで嫌だったら、透析を受けている病院ででも心臓を調べてもらうとよいねとお話ししましたが、そこで検査をしても心臓が少し腫れているねと言われる程度で、ちゃんと検査を受けなさいとも、食事の管理をもっとしっかりしろとも言われない。今となっては叱ってもらっていた鹿屋ハートセンターの方が良かったかもと言われました。

PCIを実施して間もない方で、まだ2剤の抗血小板剤を2週間ごとに処方している方が3週間後に来られると、今日まで薬は間に合いましたか、ちゃんと内服していましたかと尋ねます。間に合うはずもありませんし、ちゃんと内服していたはずもありません。でもほぼ100%の方がちゃんと内服していたと言われます。ここが詰まれば命がないという場所にステントを置いた場合など、ちゃんと内服していないと死んでしまうぞと、脅しではなく、つい、口調がが強くなります。

左室拡張末期径が80㎜で左室駆出率が20%という方が、内服もちゃんとしないで、徹夜マージャンの上、酒も飲んでという生活を続けておられました。どんな神経でそんなことをしているのだと叱りました。するとその方は、「新井はうるさいから通わない」と言われ、その後、心不全で亡くなりました。

医療は形のあるテレビなどの機器を販売するビジネスではなく、医療という無形のものを提供する仕事です。この無形のものを提供するビジネスをサービス業と言いますが、サービス業というのはお客さんに媚びる仕事のことを言うのだと誤解する人がいます。このため、お客さんである患者を叱るとはどういうつもりだと怒る患者さんもいらっしゃいます。媚びる仕事に徹して、内服をちゃんとしない方に「ちゃんと内服するのは難しいから仕方がないよね」と言ったり、水分をがぶ飲みされる方に「暑くて喉が渇くから仕方がないね」と言ったりが良いのでしょうか。ただ歩くのもふらふらする方が「眠れないから睡眠剤をくれ」と言われたら、転んで骨を折るかもと思っても「つらいでしょうからお薬を出しておきますね」と言いながらホイホイと処方箋を書くことが良いのでしょうか。私にはとてもできません。

お昼に久々に出会った方が、叱ってもらっていた頃が良かったと言ってくれたのが救いです。「新井はうるさいから通わない」と言って亡くなってしまえば元も子もないので、そこまではしなくても「小言を言ってもこの人に元気で長生きしてほしい」という愛情と熱意を持ってうるさくあり続けようと思っています。

2012年6月27日水曜日

新しい船にも古い水夫を ワーファリンと新規抗凝固薬の棲み分け

図 1 鹿屋ハートセンターの心房細動患者のCHADS2
古い船には新しい水夫が
乗り込んでゆくだろう
古い船を 今 動かせるのは
古い水夫じゃないだろう
なぜなら古い船も新しい船のように
新しい海に出る
古い水夫は知っているのさ
新しい海の怖さを

図2 eGFR別のPT-INR
 吉田拓郎の「イメージの詩」の一節です。ダビガトラン(プラザキサ)やリバロキサバン(イグザレルト)という新しい船が心房細動による塞栓症予防のために使われ始めました。心房細動による塞栓症という海を古い船であるワーファリンや新しい船であるプラザキサやイグザレルトはどう航海してゆくのでしょう。

図1の鹿屋ハートセンターに通院されている患者のCHADS2分類では、CHADS2のスコアが上がるにつれて年齢は上昇し、eGFRは低下してゆきます。どのグループも平均のPT-INRは良好です。荒海でも凪いだ海でもINRは良好にコントロールされています。

図3 抗血小板剤内服患者のPT-INR
よく新規抗凝固薬はレディーメードの服に似て、ワーファリンはオーダーメードの服に例えられると表現されます。決まった量の処方をしておけばそれなりの塞栓症予防効果があり、出血のリスクも高くないと言われています。しかし、年齢が高くなっても、eGFRの低下がみられる腎機能の低下があっても同じ量の処方で、この図1のような良好なコントロールは得られるでしょうか。いくらGPSが装備され、自動操船が可能であっても水夫が不要になることはないと思っています。

図2は新規抗凝固薬の慎重投与が勧められるeGFRの低下例におけるワーファリンのコントロールです。ワーファリンを処方する時にいちいちeGFRはチェックしていませんが、eGFRが50以上の群では平均のPT-INRは1.97±0.42と良好なコントロールであったのに対して、eGFRが50未満の群ではPT-INRは1.75±0.54と控えめでした。

図3の抗血小板剤の内服の有無で見た当院の心房細動患者のPT-INRは、非内服患者でPT-INR: 1.96±0.44、内服患者でPT-INR: 1.82±0.51とやはり内服患者でINRのコントロールは控えめでした。図らずも出血のハイリスクの群のワーファリンコントロールは控えめだったのです。やはり荒れた海には古い水夫の経験によるコントロールが必要だと思っています。レディーメードでは厳しいのかと思っています。

一方、eGFRの低値群、抗血小板剤内服群の至適INR達成率は低いままです。CHADS2が高く、低eGFRで、抗血小板剤も内服しており、TTRも低値というグループが存在するようです。これらのグループの塞栓症を予防するためには、新規抗凝固薬の容量調節が必要ではないかと思っています。新しい船にも経験豊かな古い水夫が必要だと思います。

吉田拓郎が「イメージの詩」を書いたのは20歳代前半だそうです。この若さが古い船にも新しい水夫と言わしめたのでしょうか?

2012年6月26日火曜日

5ヶ月間で実人数1万人の訪問、3万5千のページビューです。

Fig. 1 Access summury between 29th Jan. and 26th Jun.
2012年1月29日よりGoogle analyticsを使用し始めました。本日までのアクセスのサマリーをFig. 1に示します。延べではなく実人数で10005人が20743回の訪問をしてくださり、1訪問当たり平均1.69ページを見てくれているという結果でした。35000ページピューです。PCIに特化したブログですから、専門的すぎて分からないともよく言われます。その中で約5ヶ月間で実人数として1万人の方が訪問して下さったわけですからいい加減なことは書けないと責任を感じます。

Fig. 2 Japanese access
 Fig. 2は日本国内の市町村別のアクセスですが、すべての都道府県からアクセスがあり、412地域からのアクセスです。私は、日本国内の多くの土地に行ったことがありますが、アクセスしてくださった地名を聞いても分からない名前もあり、インターネットで全国津々浦々に繋がっているのだと実感します。


Fig. 3 World access
Fig. 3は国別のアクセス分析です。bloggerの分析ではロシアや中国からのアクセスが記録されていますがGoogle Analyticsではこれらの国は記録されていません。この記録されていない国を除いて25カ国からのアクセスです。使用言語はもちろん日本語サイトですからほぼすべてが日本語環境ですが、英語、中国語、韓国語、イタリア語など外国語の環境からのアクセスも存在します。Web翻訳を利用されているのでしょうか。こうした外国語環境からのアクセスの多くは意図しないアクセスだと思っていましたが、複数のページを見てくれているユーザーも存在し、見る意識を持ってのアクセスもあると思われます。英語でも書こうかと思ったりしますが、わずかな時間の殴り書きですから、時間もかけるのもなぁと思っています。

情報量の少ない地方での開業であったためにインターネットがなければ仕事ができないと思っていたと繰り返し書いてきましたが、こうしたアクセス分析を見ると勇気づけられます。

少なくない人数の方のアクセスを忘れずに、このブログを訪問してくださった方の時間が無駄にならないように、精進しなくてはなりません。

2012年6月23日土曜日

不遇を嘆くような馬鹿な真似はせずに前を向きましょう

6月15日から6月16日まで名古屋でCTO clubという冠動脈慢性完全閉塞にフォーカスした学会が開かれました。本日6月23日にはFacebook友達の進先生の病院で可児ライブが開催されました。多くの親しい先生が参加されています。行って、刺激を受けたかったと思います。

多くの症例数が望めないものの、確実に需要がある大隅半島にPCIを実施する施設がないことを知って、学会でのポジションよりも困っている土地、困っている人たちに貢献するのが医師の務めだと考え、縁のない鹿屋に来て12年です。多くの医師を抱えて仕事をするほどの症例数がないわけですから、少ない人数での運営です。交通の便も悪いこの土地での仕事を選択したのは私自身ですから、学会やライブに行けない不遇を嘆くのは筋違いです。

2004年、国内最大の病院グループの専務理事に任命されました。生え抜きではない私が任命されたのは異例です。しかし、任命後1年も経過しないうちに、「生意気だ」とか「組織の利益よりも新井個人のパフォーマンスを優先している」等と身に覚えのない批判を受けました。私には、元来、私の派閥を形成し、自分のポジションを確実にしようという発想がありませんから、この批判を受けた時に、退職を決意しました。退職の意思を伝えたところ、少なくない人からここは一度、頭を下げてポジションに留まってはどうかとお話を頂きました。願っても得られないポジションを捨てるのは勿体ないと言われたのです。しかし、私は、この忠告に従わずに退職し、現在の鹿屋ハートセンターを立ち上げました。少なくない融資を受けての51歳のスタートでしたから不安もありましたが、今となってはこの選択で良かったと思います。

組織に留まってその組織の論理に縛られて不遇を嘆くのも、独立した不自由さの不遇を嘆くのも全て、自分自身の選択です。かつて所属した病院の上司との折り合いが悪く不遇を嘆いたこともありましたが、今となってはそこに留まっていようと選択していた私自身の問題で上司の責任ではなかったと思えます。

鹿屋ハートセンターのような小さな組織でも、私に評価されないと言って嘆く職員がいるように思います。努力しているのに評価されないと嘆くよりも不遇は自分の選択の問題と認識していれば、自分自身で解決可能です。努力や進歩をを見せつけるのも自分自身でできることである筈です。

不遇も含めてすべての問題は私自身から起こっているという認識を持つことで、後悔は少なくなりますし、解決の答は自分で見つけることが可能だと思っています。こう考えれば、「全ての過去は正しかった」と常々 言っておられた、かつてのボスの気持ちも理解できます。

不遇を嘆くことよりも、自分の選択の問題と認識し、自分の選んだ道を楽しみましょう。

2012年6月22日金曜日

OCTで解明された病態 6/14のブログのケースのその後

Fig.1 Before and After Heparinization

Fig.2 OCT imaging after Heparinization
2012年6月14日付の当ブログ「PCI施行時の瞬発力と鈍感力」に提示した方のOCTを本日施行しました。普段は置いていないOCTの手配に時間がかかったのと、鹿大から応援に来てくれている先生と一緒に仕事をしたかったので本日になりました。この間、ヘパリン化を続けていました。

Fig.1に示すようにLCX take-offに認めたステント内血栓はきれいに消失し、閉塞していたLAD末梢もきれいに造影されます。ヘパリン化によって血栓の処置はうまくいったことになります。

では、ステント内に血栓が付着した因子は何かを検討するために実施したOCT像をFig.2に示します。この像には示していませんが、ステントの圧着は良好で浮いている所は全く認めませんでした。しかし、ステントの近位部であるLMTのLADとの対側(11時方向)に破綻したThin-cap Fibroatheroma (TCFA)を認めました。この位置であれば、LAD方向に塞栓を飛ばしたのも頷けますし、ステント内に血栓形成したのも納得です。血栓も消失し、病変は安定しただろうとの判断で本日は観察のみで終了です。

他医でIVUSガイドで実施されたステント植込みですから、その時のIVUS像はどうであったか興味は尽きません。機会を見て画像を見せてもらおうと思っています。

急性期に、血栓の付着したruptured plaqueを見ていたら、そしてそれにInterventionを加えるとしたらどんな手技になっただろうかと考えます。LMT分岐部を巻き込んだ血栓性の病変ですから安全にPCIが可能であったろうかと思います。結果論かもしれませんが、鈍感力を発揮して正解だったと思っています。

また、このケースのLDLはアトルバスタチン(リピトール)を5㎎内服して71㎎/dlです。この状況で破綻したplaqueです。今後の内科的な管理に知恵を出さなければなりません。

2012年6月21日木曜日

バルーンのコンプライアンスと血管のコンプライアンス

Fig.1 Balloon QCA during inflation
Fig. 2 Stent QCA during inflation
きちんと冠動脈狭窄を拡張して再狭窄率を下げるためには、適切な拡張が必要です。IVUS等で血管径を評価し、2.5㎜に拡張すべき血管であれば2.5㎜径のバルーンを選択し、2.5㎜にバルーンが拡がるようにコンプライアンス表を見て、nominal pressureで拡げます。これでも十分に拡がらない時には拡張圧を上げて拡張します。この時に誤解してしまうのは。例えば、本日のケースで12気圧で拡張したとするとコンプライアンス表で見て 2.52mmに拡げた筈なのに、実際の血管径が1.95㎜にしか拡張していない時に0.57㎜リコイルしたと思い込んでしまうことです。

F1g. 3 Compliance chart of NC Quantum apex
F1g. 4 Compliance chart of Xience V
図1では12気圧で拡張した2.5㎜バルーンをQCAの手法でサイズを評価したものです。最小バルーン径は2回目のinflationでも1.95㎜にしか拡張していません。バルーンについているコンプライアンス表は抵抗のない空気中でバルーンを拡げた時のバルーン径です。血管の中では拡張に抵抗する血管の剛性がありますから、コンプライアンス表通りに拡がる筈はありません。かつて、このようにバルーン径をQCAの手法で全てのPCIで測定したことがありますが、コンプライアンス表通りにバルーンが拡張した例を見たことがありません。常に、測定された最少バルーン径は、コンプライアンス表よりも小さいのです。血管の中では、コンプライアンス表通りにバルーンが拡張するのではなく血管のコンプライアンスに応じてバルーンが拡張するのだという理解が必要です。また、IVUSで見た拡張後の最少血管径と測定した最少バルーン径は非常によく相関します。

図2のステント拡張時も同様です。2.75mmのXience Vを12気圧で拡張しましたが、2回ともコンプライアンス表通りの2.97㎜にはバルーンは拡張しません。最少バルーン径は2回目でも2.52㎜です。

図1でも図2でもそうですが最少バルーン径以外のバルーン径は2回目の拡張時の方が少し大きくなっています。1度拡げたバルーンのコンプライアンス(圧応答性)は高くなり、同じ圧力でもより大きく拡張します。これが最近よく言われるようになった複数回の拡張の方がよりステントが拡張すると言われる所以だと理解しています。

硬くなり拡がりにくい血管を拡張するのに必要な力は、バルーン径が適切ならば、拡張圧しかないと思っています。決して広がることのない剛性の直径3.0㎜の鉄パイプの中で、3.0㎜のバルーンを20気圧で拡げても3.5㎜のバルーンで10気圧で拡げても広がらないことには違いはありません。ですから、血管を拡げない程度の拡張圧でバルーン径を上げて低圧で拡げるという戦術に私は懐疑的です。解離が発生しないように低圧の拡張で逃げてきたというようなPCIの話を、ステント以前はよく耳にしましたが、こんなやりかたでは不適切な拡張で終わるだけで再狭窄率があるいは依然狭窄率(広がっていない元々の狭窄が続いている状態)が高かったのは当然です。

この先、バルーン単独で終わるPCIが一定のシェアを取るか否かは、不明ですが、上述したようなコンプライアンスの理解なくバルーン単独のPCIが実施されれば再狭窄率は悲惨なものになると思っています。正しいバルーンコンプライアンスの理解と、知ることができない血管のコンプライアンスに打ち勝つための拡張圧の設定が重要なことは、現在のステント植込みに際しても同じことです。

2012年6月20日水曜日

Plain Old Balloon AngioplastyからDrug Eluting Balloonへ

一昨日の当ブログ「Plain Old Balloon AngioplastyからPlain Optimal Balloon Angioplastyへ」には思ったよりも大きな反響を頂きました。単純にPOBAだけで終わったケースのCT像があまりにも綺麗だったために載せたケースでしたが、Drug Eluting Balloon(DEB)との関係でBalloonのみで終わるPCIに一定の関心があるからだと分かりました。

DEBで薬剤溶出性ステント(DES)に匹敵する成績を出すためには種々の克服すべきテーマがあると思います。解離とrecoilをどうするかという問題です。バルーンで解離が起きればステントはもちろん必要になりますし、recoilの場合もそうです。では、解離とrecoilが認められないケ-スではDESと同じ成績が出るでしょうか?

DESではないBMSの初期の成績は悲惨でした。ステント血栓症で死亡するケースが少なくなかったのです。この悲惨な成績を改善させた答は、イタリアのDr. Colomboの提唱したチクロピジンの使用と高圧拡張でした。この提唱の後、Dr. Colomboは、ステント植え込みがなくても高圧でPOBAをすることによりステントに匹敵する再狭窄率が達成できるのではないかと考えられました。Stent Like Resultです。この考えからひどい解離が起きた時だけステントを入れるprovisional stentingという考え方もできました。また、バルーン単独で良好な拡張が達成できたかを検証するために、定量的冠動脈造影(QCA)とDoppler wireを使用したCoronary Flow Reservewを組み合わせた評価法も提示されました。Destini studyです。

DES後の再狭窄を規定する因子の一つは、拡張不十分です。DEBにおいても拡張不十分で終わるケースの再狭窄率は高いものになると思います。DEBでよい成績を出すためには、DES植込み時のような高圧拡張と、その結果得られたLumenの評価が必要です。解剖学的な評価にはIVUSやOCT、機能的には現在であればFFRでしょうか。こうして考えていっても、IVUSとFFRの同時使用は保険では認められないという厚労省の姿勢が邪魔になります。

DESで良好な成績が出るから、それ以上のことを考えなくてもよいではないかとの議論は十分に承知していますが、冠動脈に死ぬまで残る異物を残さないことで、長期のDAPTが回避できたり、stent fractureやlate thrombosisが回避できるのであれば、stent植込みをなるべく回避するという考え方にも一理あります。

Balloon単独でPCIを終了し、良い成績を出すための原点回帰、何気圧で、何秒間、何回の拡張を行うか、良好な拡張と検証するための評価はどうするのかなど、当たり前のようで知らなかったことを知るための努力が求められます。

2012年6月18日月曜日

Plain Old Balloon AngioplastyからPlain Optimal Balloon Angioplastyへ

Fig. 1 Before PCI 2007
   この方は労作時の胸痛から、安静時の胸痛に変化したとのことで5年前に受診されました。当時38歳でした。安静時の胸痛へと悪化しているのでACSと判断し、即日入院していただきました。

Fig. 1に当時の16列MDCTで見たLADを示します。若干のpositive remodelingを伴う病変です。お若いので、バルーンで解離なくPCIができればと考え、実際にバルーンのみでPCIを終了しました。こうしたバルーンのみでPCIを終わるケースは、本当に少なくなりました。解離が原因でPCI後に急に悪くなることを避けたいのと、薬剤溶出性ステントによる劇的な再狭窄の発生の減少が期待できるからです。

Fig. 2に5年後の64列MDCT像を示します。狭窄のあった部位のpositive remodelingのように見えた像は、全く認められません。病歴を知らなければ、異常を指摘できないほどです。
Fig. 2 5 years after POBA 2012

こうしたPOBA後のCT像で病変をほぼ指摘できない方が他にもおられます。再狭窄を免れたPOBA後の冠動脈は殊の外、健常に見えるとの印象を持っています。

こうした像を見ると、解離が深刻ではなく、適切に拡張できた例ではルチーンにステントを置かない方が良いのかもしれません。問題はこの適切に拡張できたか否かですが、IVUSの評価が良いのか、FFRの評価が良いのかよく考えてみたいと思います。

POBAという言葉はe-Mailが普及し始めた頃に、従来の電話サービスを蔑んでPlain OLD Telephone Service(POTS)と呼んだことの真似から始まりました。ステント等のnew deviceが普及してきたのにまだ、バルーンだけで治療しているのかと蔑んでPlain OLD Balloon Angioplastyと呼んだのです。しかし、本日の例のように経過の良い例を見ると、そこを目指すのはPlain Oldとは言えないと思います。バルーンだけで適切に治療をし、経過も良いというところを目指すのですから、シンプルで適切なangioplastyという意味でPlain Optimal Balloon Angioplastyと目指すものを呼ぶべきだと思います。新しい概念のPOBAを今後のテーマに考えたいと思います。

2012年6月15日金曜日

PCIにおけるルビコン川 Crossing the Rubicon river in PCI

17時に訪ねてこられたMRさんが、昨日のブログも見ましたよ言ってくれました。こう言われると悪い気はしません。色々と話しました。その前に訪ねてこられた呼吸器の営業マンは、アポも「つかみ」も無しに、わが社の製品の紹介に来ましたと言ってこられたので、話も聞かずに帰っていただきました。「つかみ」があるのとないのとでは営業マンの成績が変わる筈です。

色々と話をした、MRさんが、鈍感力というのは慎重に対処するという意味ですかと聞くので、慎重と言えば慎重だけど少し違うんだよなと考えました。

昨日のケースでPCIをしなかった理由はOCTがなかったからではありません。OCTでmalapositionと血栓付着を確認しても、後日のPCIにしたと思います。昨日書いたように、LCXに向けてバルーンを拡張した時にLCXに向けてno reflowが発生し、かつLADに塞栓を飛ばすかもと心配したからです。そうしたリスクを回避できる良いアイディアがない限り冒険できないと思っています。ただし、血行動態が破綻している時は、リスクを冒さないといけません。

ワイヤーを通して、IVUSやOCTをするぐらいは良いのですが、バルーンを拡張すると一線を越えてしまいます。解離やno reflowや末梢塞栓を起こすかもしれません。バルーンを拡張するか否かは大事な一線です。後戻りできない一線です。カエサルは反逆者とみなされるルビコン川を越えました。勝利しローマを手中に収めるか、自らが滅ぼされるかの一線がルビコン川であった訳です。この時、勝利の戦略と勝算があったからこそカエサルはルビコン川を越えた筈です。勝利するための戦略と勝算がなくては、PCIの世界でも一線を越えてはならないと思っています。

航空用語に離陸決断速度というのがあります。これを超える速度に達したのに、離陸を断念すると滑走路内で停止することができずにオーバーランしてしまいます。離陸決断速度を超えたにも関わらず離陸を断念した1996年の福岡空港におけるガルーダ航空機事故はこのケースです。この誤った判断で、死者も出る大惨事になりました。一線を越えたら、一線を越えた対処が必要です。一線を越えるか否かの判断、一線を越えた後の対処の能力がPCI術者には求められます。

cross the line(一線を越える)、Point of no return(PNR)、離陸決断速度(V1)、cross the Rubicon river(ルビコン川を渡る)等、表現はいくつもありますが、PCIの術中にあるルビコン川を軽視ししないことを鈍感力と表現したつもりです。単純な慎重とは一線を画す概念と思っています。

2012年6月14日木曜日

PCI施行時の瞬発力と鈍感力

 今日は、外来開始直前の救急車、昼の救急車、夕の時間外の胸痛、夜になって救急車と落ち着きません。普段は、一人で仕事を回しているので、外来開始前の胸痛は、外来患者さんに待ってもらって緊急カテをするか、外来が終わってからカテにするか悩みます。朝の救急車のケースは2時間持続した胸痛で、来院時は胸痛は軽減してケロッとしているものの僅かにII, III, AVFでST上昇を認めます。

この方は以前に当院でLADにステント植込みを行っており、普段は当院に通院している方ですが、小倉ライブに出かけて私が留守にしている間に、近くの病院に胸痛で受診されました。元々あったLCX take-offの50%はそのままで、その末梢に90%狭窄が新たに出現しており、その病院でLCX take-offから長めのXience prime植込みを行われていました。鹿屋のPCI施設はどこの病院も術者が多いわけではないので、当番を決めて、交代で休めるようにしているのです。この当番制のおかげで私も学会に行けるようになりました。

この方が、ステント植込み後2週間で持続する胸痛で来られたのです。僅かなST上昇でしたから、大きな血管の閉塞ではないと判断し、外来後のカテとしました。上段の図は、左冠動脈straight cranial像ですが、他の病院で撮影した像ではLAD末梢まで造影されているのに、右の本日の造影では末梢まで造影されていません。distal embolismと判断しました。下の図は、本日のLAO caidal viewですがLCX take-offにステント内からhgh lateral branchまでもやもやとした血栓像を認めます。

LAD末梢の塞栓源はどこでしょうか?LCX take-offのステント内血栓が乱流でLADに流れ込んだのでしょうか。あるいは、この血栓がLMTに顔を出して、LADに流れたのでしょうか。ちなみにこのケースは洞調律です。このCXのステントはIVUSガイドで植え込まれており、きっとmalapositionはないと判断され、ステント植込みを終了したのだろうと思います。きちんとDAPTを服用されて、以前のステント植込み後にはステント内血栓はなかったケースです。やはりステント内に血栓が付く要素があったのでしょうか。当院にはIVUSはありますが、普段はOCTを置いていません。

IVUSで観察し、malapositionがあれば、CXのステントをしっかりと圧着させようかと考えましたが、今日はヘパリン化を継続するだけで何もしませんでした。LCXのflowがTIMI IIIであったこと、LADの閉塞はごく末梢で、保存的に見ても予後には影響しないだろうとの判断からです。一方、今日すぐに手を出した時にCXに向かっての治療でLADに塞栓を飛ばすリスクは少なくありません。LCX方向へのPCIでno reflowになると同時にLADへの塞栓では目も当てられません。十分な血栓溶解後にOCTを手に入れて、次の血栓症を防ぐ手立てを考えるのが安全と判断したのです。

1時間後に死に至る方でも、今、PCIをすることで救われる命があります。一方で、焦って十分に吟味しないままPCIに入って失われる命もあります。経過を見た時の最悪のシナリオ、緊急に手を出した時の最悪のシナリオを想定しながら、瞬発力を発揮したり、鈍感力を発揮したりが重要だと思っています。本日は鈍感力を優先しました。この判断が間違いであったとしてもすぐに瞬発力を発揮できるように、待機していましょう。

2012年6月13日水曜日

「無知の知」というか、自分はバカだという自覚 心房細動に対する抗凝固療法

心房細動による脳塞栓の発症を予防するために、長くワーファリンが使用され、その有効性には確としたものがありましたが、ダビガトランや、リバロキサバンの登場によってワーファリンの価値が相対的に低下した印象を受けます。その中で、そんなにワーファリンは悪くないよというのが、私の立ち位置であることは繰り返し書いてきました。

その根拠として、当院に通院中の慢性心房細動133例中、130例(97.7%)にワーファリンを使用し、3月の時点でチェックしたところPT-INRが1.6-3.0の範囲内であった割合が75.9%と高かったことを2012年4月22日付の当ブログ「心房細動患者に対するワーファリンのアドヒアランス」に書きました。

Time in the Therapeutic Range(TTR)という概念があります。ワーファリンの治療域はINRで見て1.6-2.6だよとか2.0-3.0だよ言いますが、常にこの範囲内に入っているわけではないのでこの範囲内に入っていた時間が大事だよという考え方です。図に示した方は、ワーファリンの導入後1回は、治療域を外れていますが、その後、半年程度は100%の期間、治療域に入っています。

しかし、このように全員にTTRを算出する作業は大変だと思っていました。そこで、次のように考えたのです。仮に100日間観察して、100日間 INRがこの範囲内に入っていればTTRは、100%です。50日間しか入っていなければ50%です。ある瞬間にこの100%の人と50%の人のINRをチェックすると、100%の人は治療域で、もう一人の50%の人が治療域に入っている確率は50%ですから、ある瞬間に治療域に入っている人は2人全員のこともあるし。1人だけのこともあります。治療域に入っている人の割合は50%のこともあれば100%のこともあるとなります。一方、2人を100日間観察すると治療域に入っているのは150人X日で観察期間200人X日から見れば2人の平均のTTRは75%になります。ある瞬間に治療域に入っている人の割合と平均TTRはこの場合、解離します。しかし、こうした観察を行う人数 n が増えれば、ある瞬間に治療域に入っている人の割合と、観察人数 n の平均TTRは近似するはずですから、個別にTTRを算出して、その平均を出す作業をしなくても、nがある程度大きければある瞬間に治療域に入っている人数の割合を出せばよいと考えてきました。

この考えは、数学的には正しいと思います。しかし、本日、私はバカだということに気づきました。当院のワーファリン治療中の方の平均TTRは間違いなく、75%程度で論文などで示されるデータと比較して、非常に良好にワーファリンのコントロールができていると思っていました。しかし、問題は当院で診ている患者群の平均TTRではなく、個別に見て低いTTRの患者さんをどうするかだということにようやく気付いたのです。ACCF/AHA/HRSの心房細動管理のガイドライン重点改正の中でも、ワーファリンによるコントロールが良好な患者にとって新規抗凝固薬に変更しても得られるものはほとんどないと指摘されています。その通りだと思います。では、当院で良好なTTRが得られていない心房細動患者をどうするかがポイントだということになります。平均TTRの良し悪し等、何の意味もありません。おそらく、当院のデータからはTTRが不良の患者は全患者の25%程度になると思います。病院内の平均TTRが60%程度の施設であれば40%程度に不良の患者が存在することでしょう。平均値では見過ごされる個々の患者のケアを考えることこそ、現場の医師の仕事なのに、平均値が良好だからと、私は、ワーファリンのコントロールが上手だと思い込んでいました。大変な間違いです。

今後は、TTR不良例を中心にワーファリンではコントロールできないのなら、新規抗凝固薬を考えていきたいと思っています。ただ、25%のTTR不良例で、その中から高齢者、腎機能不良例、2剤の抗血小板剤投与例を外してゆくと、新規抗凝固薬の適応患者は全心房細動患者の10%程度かなと思っています。

無知の知ではないですが、自分が馬鹿だったと気付いたことは悪くなかったと思っています。

2012年6月12日火曜日

「ご一緒にポテトはいかがですか」という商法はもう流行らない

昔、親戚の女子大生がマクドナルドでバイトをしていました。細かなマニュアルがあり、店の外の掃除ができたり、「ポテトはいかがですか?」等と言えるようになると、帽子の色が変わり時間給も変わると教えてもらいました。その女子大生も50歳を超えたので30年以上前の話です。時は下って、現在です。小学6年生の息子がたまに食べたいというので、今でもマクドナルドに出かけることがあります。しかし、「ポテトはいかがですか」と聞かれることは全くなくなりました。かつては、そう言うようにマニュアルに書かれていたものが、マニュアルから消えたのでしょうか?

売り上げは客数X客単価です。ポテトはいかがですかと尋ねられることで、ハイと返事をしてしまう人は少なくなかったと思います。するとマクドナルドにとっては、利益率の高いポテトが労せずして売上げられるので、客単価も利益率も上がりで、良いビジネスモデルであったのだと思います。こうしたことについてはいくつかのビジネス関係のブログで取り上げられていますが、「ポテトはいかがですか」と聞かれる理由はXXですよと書いてあるだけで、最近の言わなくなった理由に言及しているものはありません。ビジネス指南と言っても、最近の動向に疎く、古いコンセプトでコンサルティングをしているのだと、底が知れます。「ポテトはいかがですか?」というのは、客単価よりも支持してくれる客数を増やすことに戦略をシフトしたからだと理解しています。

冠動脈CTや冠動脈造影で、この程度であればPCIは必要ないだろうと明らかにわかるケースに、念のためにIVUSやOCT・FFRをしてみましょうというのは正しいのでしょうか?適応が微妙なケースでFFRを実施することにもちろん異議はありません。不必要なPCIを実施するくらいなら、手間をかけてでもしない根拠を見つかる価値があると思っています。しかし、その場合にもしない根拠を明らかにするためのコストが、PCIを実施するコストを上回ってはいけないと思っています。本日のCAGのケースですが#6に75%狭窄を認め、自覚症状としての胸部不快感もある方でしたがFFR: 0.85であったためにもちろんPCIは実施しませんでした。有床診療所でDPCではなく出来高で算定する当院では、請求点数は32000点、32万円程度です。一方で、DPCの病院では約50000点、50万円になります。同じ手間(コスト)をかけて、より大きな利益が出る構造にすることで、不必要にもかかわらず、「ポテトはいかがですか?」のようについでにFFRやOCTを見ておきましたということにならないかを心配しています。

多くの公費がつぎ込まれている医療の分野では、最小の費用で最大の効果を発揮する努力をするべきだと思っています。出来高払い制度の問題を解消するためと思っていたDPCの制度で、出来高払い制度以上のポテトの押し売りのような医療が展開されることを危惧します。こうした、労せずして利益を生む構造が、意味のある検査であるOCTやFFRの価値を損なってしまうのではないかと危惧します。

もうマクドナルドでも止めてしまった「ポテトはいかがですか?」的な商法は医療の分野では止めた方が良いと思っています。

2012年6月9日土曜日

「お大事に」とは言わない看護介入をめざして

当院で主に診ている患者さんは狭心症や心筋梗塞と言った冠動脈疾患の方です。この冠動脈疾患の背景には糖尿病が存在することが多く、当院の冠動脈疾患患者さんのざっと30%は糖尿病です。糖尿病の方のコントロールには経口剤やインスリンがありますが、基本は食事療法です。管理栄養士からの栄養指導も行いますが、なかなかうまくいかないことも少なくありません。

コントロールの良好な人の場合、A1Cのチェックは2-3回の受診に1度としていますが、コントロールの悪い人の場合は、毎回の受診時にA1Cをチェックしています。この時に余程、前回と比べて悪化している時にはさすがに無理ですが、少しでも良くなっている場合には、図のように「大変よくできました」とハンコを押して、結果をお渡しします。すると、多くの場合、次回には更にA1Cは改善してこられます。「口先介入」です。財務相や首相が「現状の円高を好ましいとは思っていない」などというと介入があるのではないかと考えたマーケットが反応し、円安に一時的にふれるという「口先介入」と同じです。これもあまりにも口先だけだと、また嘘だと思われて口先介入も効果は出ません。DMの患者さんに対する口先介入も同じです。口先介入と、薬を増量するというような実際の介入を織り交ぜながら、DMを改善する方向に介入するのです。

看護の分野の言葉で私が最も好きな言葉は「看護介入」です。かつては医師の診療の補助のみを業務にしていた看護師も、自らが主体的に介入することで患者の予後を改善するのに寄与しようという考え方です。私が「きちんと食事療法をしろ」とか「今度は良くなっていますよ」と言うよりも、看護師が「今度は良い結果で先生を見返しましょうね」と話した方が効果が大きいことも少なくありません。繰り返す心不全患者の塩分制限や水分制限、体重管理なども同様に看護師が看護の視点から介入した方が良い結果につながることが多いように思います。

最近、手が空いた時に外来の診察についてくれる看護師さんに、患者さんが診察を終わって帰る際に「お大事に」とはなるべく言うなと繰り返し話しています。一人一人の患者さんの診療の中で、看護師として関わるべきポイントを意識して、介入すべき点があれば介入してくれよと言う意味とほぼ同義です。この趣旨を理解してくれる看護師は、「努力したら良い結果になりましたね、今度も褒められましょうね」などと口先ですが介入してくれます。そうするとDMのコントロールが改善したり、心不全の再入院が減少したりします。一方、長年にわたって何も考えずに「お大事に」で済ませてきた看護師さんは急に元気がなくなって小さな声で「お大事に」と言ったり、黙っていたりです。外来診療中の短い時間の中で、その患者さんに対する看護師としての役割を意識し、そしてその役割の理解から介入という外向きの行動に移ることに慣れていないからだと理解しています。役割を理解し、行動に移すという行為は、経験の少ない若い看護師でもできる人はできますし、ベテランであってもできない看護師さんもいます。その様子を見ていると、診療の瞬間・瞬間で、有意義に時間を使っている看護師さんか、無為に時間を使っている看護師さんかが分かります。もちろん、こんなことで看護師さんを評価したいわけではなく、有意義に時間を使って成長してくれることに繋がればと願っているだけですし、その成長が患者さんの予後に寄与すればと願っているだけです。

「お大事に」という一言を言うなと縛られるだけで、無為に時間を費やしてきた看護師さんは苦しくなります。その苦しさを乗り越えた先に自分の成長と患者さんの改善された予後があるのであれば、乗り越えるべき苦しさと思っています。これからも看護師さんに介入する「看護介入」と患者さんに介入する「看護介入」を意識して、より良い看護に支えられた鹿屋ハートセンターの診療を成長させたいものです。

2012年6月8日金曜日

医療や医学を医師や学会の手に戻せないのでしょうか

昨日のブログ「低腎機能患者の把握に統一した指標」をアップしたところ、東京で治験関係の仕事をしている娘から「医学が医師の手に戻れば良いのに…」とメールを貰いました。さすがに私の娘です。言いたいところをよく理解してくれています。

腎臓学会はeGFRを使ってCKD患者の管理をしてゆこうと努力しています。腎機能低下例における造影剤使用をどうするのかという議論も、新規抗凝固薬を低腎機能患者にどう使用するのかという議論も腎臓学会が考えるeGFRを使用して考えれば混乱は起きません。しかし、昨日書いたように新規抗凝固薬の管理にはクレアチニンクリアランスを用いるように製薬メーカーはアナウンスし、PMDAや厚生省はその方針で認可を行っています。CKDの患者の管理で、腎臓学会以上の権威は製薬メーカーや厚労省に存在するんでしょうか?権威のないものが医療の現場を決める訳ですから医学や医療が医師の手に戻ればよいのにと考えるのは自然です。

循環器分野でも、今年の診療報酬改定で循環器学会やCVITからIVUSとFFRの併用を認めてくれるように厚労省に申し出を行いました。結果、認められませんでした。PCIの適応を決めるFFRと適応が決まってからのより良いPCIを実施するために行うIVUSは全く違う役割を持っているにもかかわらず認められなかったのです。この認められないとの決定は、FFRやIVUSの意味を十分に理解した権威が行ったものでしょうか。あるいは医学を知らない官僚が行ったものでしょうか?岐阜ハートセンターの松尾先生やIVUSの本江先生や、和歌山の赤坂先生以上の権威が日本に存在し、併用する意味を否定したのでしょうか?そんな権威が日本に存在するはずがありません。日本の医学や医療は医師の手の中にないのです。

何時か見たフランスのDES使用の記事ではAというDESではAMIに対して有用だというきちんとしたRCTがあるので保険償還可能であり、BというDESにはこうしたRCTがないので保険償還は認められないというような決定を学会が行っているとありました。医師の手の中や学会の手の中に医療は存在するのです。日本で医師が問題を起こした時にその処分は厚労省の医道審議会で行われます。フランスでは医師会です。フランスだけではなく多くの国で、医師の自律は重んじられ、医師会で医師の処分は行われています。医師の自律です。日本の医師には自律はできないのでしょうか。日本でも弁護士の処分は自律的に弁護士会が行っています。海外の医師にできて、日本の弁護士にできることが日本の医師にはできないというのでしょうか?そんなに日本の医師はバカばっかりではないと信じています。ただ余りにも、政治に依存し、時の政権に媚びへつらってきた弱虫かもしれませんが…

その分野の最高権威が、権威のないものに対して認可をお願いするような構造が良いとは思えません。医師会や学会は医療や医学を自らの手の中に取り戻すための努力を求められているのではないでしょうか。

2012年6月7日木曜日

低腎機能患者の把握に統一した指標が必要です。

小学校6年生の息子が、鹿屋という狭い土地を飛び出して羽ばたきたいという気持ちを持っており、中学受験を目指して最近はよく勉強しています。算数であったり歴史や地理であったりです。いきおい、息子との会話もそんな話題になります。鎌倉幕府崩壊に至った徳政令の影響を話し合ったりします。

時代は下って豊臣秀吉の天下統一時の画期的な仕事と言えば刀狩と太閤検地です。太閤検地ではそれまでバラバラであったものさしや枡を統一し、このことで全国の石高を正確に把握し国家としての財政を安定させました。現代でも度量衡の統一は国家の財政の基礎であり、また、貿易の基礎となっています。ものさしの統一は国家の存続すら左右する大きなテーマです。

もちろん、このブログで度量衡の統一の歴史的な意味を語りたいわけではありません。2012年6月5日付の当ブログで冠動脈CT撮影時の至適造影剤量について論じました。造影剤腎症を防ぐ対策は色々工夫されていますが造影剤を使用しない、あるいは最小の使用量にすることほど有効な対策もありません。では、造影剤腎症のハイリスクである腎機能低下例をどう把握するかという問題です。腎機能を図るものさし、指標にはクレアチニン値、クレアチニンクリアランス、慢性腎臓病のステージングに用いるeGFRがあります。24時間蓄尿をして、計算されるクレアチニンクリアランス試験は平成18年に保険点数がつかなくなったので、どの指標も結局は血清クレアチニン値より算出されるものです。

造影剤量に関するブログをアップした後、札幌の藤田先生のところでは血清クレアチニン値が1.3以上の方では生食やメイロンで腎臓を保護しているとFacebook上で教えて頂きました。この腎臓を守る意識、検査で腎臓を悪くさせないという意識は重要です。腎保護をするかしないかの決定をする時に指標はこの場合血清クレアチニン値です。

では腎保護をしないクレアチニン値1.2で考えてみます。同じ1.2であっても

70歳男性 体重70㎏ 身長170cmの人であればCockcroft-Gault計算式によるクレアチニンクリアランスは57ml/minとなり腎臓学会の式で計算したeGFRは47ml/min/1.73m2となります。この方の場合、新規抗凝固薬ではクレアチニンクリアランスは50を超えているのでlow riskという判断になり高容量の投与が標準となります。一方腎臓学会のステージングではCKD-3、新しいCKD区分ではG3aとなり腎臓専門医に診察を依頼すべき程度のCKDという評価になります。
75歳女性 体重45㎏ 身長145cmの方であればCockcroft-Gault計算式によるクレアチニンクリアランスは29ml/min、eGFRは34ml/min/1.73m2になります。ともに高度の腎機能障害の判断となり新規抗凝固薬の投与がためらわれることになります。もちろん、造影検査も慎重に実施しなければなりません。同じ血清クレアチニン1.2でも計算で導き出されるCCrやeGFRは、体格や年齢・性別で大きく異なり、腎保護も一律に血清クレアチニン値では決められないということになります。


腎臓学会によるCKDの概念の提唱、区分のためのeGFRを多くのまじめな医師は勉強してきました。一方で新規抗凝固薬の投与量を決定する指標は保険点数まで削除したクレアチニンクリアランスです。また、多くの医師はクレアチニン値でざっと腎機能を推し量ります。同じ血清クレアチニン値から算出される3つの異なるものさし・指標を用いることによる混乱がCKD患者に対する過剰な造影剤投与という形で患者を苦しめないでしょうか。また、eGFRとクレアチニンクリアランス値の相違に気付かないまま、新規抗凝固薬が過剰に投与され、出血等の問題を起こさないでしょうか。eGFRを唯一の指標とする管理に統一できないのでしょうか。なぜ、新規抗凝固薬の判断基準はクレアチニンクリアランスなのでしょうか?腎臓学会の努力を軽んじる製薬メーカーやPMDAの姿勢は遺憾だと思っています。


秀吉の度量衡の統一は近世を確立し、徳川幕府、明治政府の安定した国家経営の基盤にも寄与しました。医学の世界ではものさしも統一されないまま暗黒の中世が続くのでしょうか?

2012年6月6日水曜日

LAD take-offに対するRationalな治療戦略 Rational PCI Strategy for LAD take-off lesion.

 昨日の造影剤50mlで診断したCTを示した方です。6/4にPCIを実施しました。安静時の胸痛もあり血行再建が必要です。CT上はCXの入口部にもhigh lateralの入口部にも狭窄は認めません。前下行枝のtake-offですのでCABGという選択もありますがPCIを選択しました。

LAD take-offの治療で一昔前であればDCAを選択したと思いますが、今はもうなくなった治療手段ですから昔を懐かしんでも仕方がありません。LAD take-offギリギリにステントを置くか、CXをまたいでLMTまでステントを置くかの選択ですがIVUSで決めることにしました。結果、CX入口部にはやはり病変はありませんでしたがLMTには軽度であるもののLADから連続するプラークを認めました。IVUS後の治療方針はLCXをまたいでLMT-LADへのDES植込みです。IVUS所見から前拡張無しのdirect stentingとし、TERUMOのNOBORI stent 3.5X18mmを18ATMで植え込みました。植込み後にLADに若干のslow flowを認めましたがCXやHLのFlowは保たれていました。

ここでCXに対する処置ですが、6/1-6/3の小倉ライブで良いことを聞いて帰ってきていたので学んできた通りのことを行いました。CXに向けてpressure wireを入れ、FFRを測定したのです。結果は、十分なATP投与でも1.00からFFRは少しも低下しませんでした。このためCXには全く手を付けず終了しました。このやり方は、韓国のAsanMedical CenterのDr. Seung-Jung Parkが講演されたやり方です。

LMTに関わるステント植込みでdouble stentにすると再狭窄率は格段に上昇します。このためCXが健常であればone stent + KBTが良く実施されていましたが、FFRで評価してCXへの血流の障害がなければKBTもしないというやり方です。非常にRationalだと思います。

CXの将来が心配だからDouble stentにするだとか、KBTをするだとかというのには何の根拠もありません。こうしたRational approachがその後の良い結果をもたらすと信じています。良いことを聞いて帰ってきました。

2012年6月5日火曜日

冠動脈CT(CTA)撮影時の至適造影剤量は何mlなのでしょうか

 本日も九州虚血性心疾患研究会での話題についてです。たくさんのPCIを実施されている病院から初診患者さんにすぐに冠動脈CTを撮って左冠動脈主幹部の高度狭窄を迅速に発見できたという報告がありました。この病院のMDCTは320列で、造影剤量も半分、被ばくも半分にできると少し良い装置が入ったことの宣伝もあったように思いました。

当院のCTはGEのOptima CT 660 proですが、2011年2月の導入から原則として造影剤の使用は体重1㎏あたり0.7mlと決めています。上の図の方は72.1㎏の方ですので予定する造影剤量は50.47mlですので50mlを使用しました。その結果、LAD take-offに高度狭窄を認め、昨日PCIを実施しました。

下の図はCT撮影時の診療放射線技師の記録です。被ばくや撮影時間が少なくないのは腎動脈まで見たからです。造影剤量50mlで冠動脈も腎動脈も評価できれば、価値があると思っています。

造影剤の使用が50mlでも腎機能を知らない人にいきなり使用するのはためらわれる量ですので、初診で8時半に来院されすぐに採血をして10時位にCREを見てすぐに撮影ということは可能ですが、10時位に来られると当日にCTというのは当院では困難です。昼から撮影という考えもありますが、一人で午後はカテをしているので難しいのです。

造影剤を半分にできるという発表を聞いて、25mlの造影剤であれば相当思い切って初診時にCTを撮れると思い、発表の先生に、半分というのは具体的に何mlなのかを聞きました。答えは64列時代は造影剤を100ml使用していたが320列になって半分の50mlに減ったというものでした。

私たちの施設では64列導入時から0.7ml/kgのプロトコールにしましたので、これより多い方がより良い画像が得られるか否かは知りません。ただ現状で画質には満足しているので使用量を増やす気持ちもありません。一方で、320列でも50mlが適切なのかの検討は必要だと思います。本当に半分の量で撮像可能であれば0.35ml/kgですから40kgの人では14mlのみで良いということになります。これほどに少なくできれば冠動脈CT撮影のアキレス腱である造影剤使用の問題は最少となります。256列、320列をお持ちの施設から思い切った造影剤を減らす工夫を提起してもらいたいと願っています。

2012年6月4日月曜日

PCI後のフォローアップをどうすべきか、冠動脈インターベンション医も、もう結論を出さないといけません

2012年6月1日から3日まで開催された第29回小倉ライブに行ってきました。前日には1985年から開催されている九州虚血性心疾患研究会にも久しぶりに参加してきました。テーマは「心臓CTが有用であったPCI」です。この中で、私は、PCI後のフォローアップ目的の冠動脈造影はほぼ不要で、CTで代替で良いのではないかとの発言をしました。至極当たり前の発言だと思っていたのですが、座長の先生が原則CTのみでフォローしている施設はどのくらいありますかとフロアに問いかけたところ参加施設の1割程度しか挙手がなかったので驚きました。

図は日本循環器学会の「冠動脈病変の非侵襲的診断法に関するガイドライン JCS2009」の中のPCI後のフォローアップのページです。この中でエビデンスもなしに多くの施設で再狭窄の有無を見るために冠動脈造影が実施されていると批判的に記述されています。循環器学会の公式のステートメントでエビデンスもなしに実施されていると批判されている検査を行ってきたわけですから、ずっとこうした姿勢で冠動脈造影を実施していることに罪悪感を持ってきました。その中で、64列MDCTに更新したこと、Xience VやPROMUSで驚くほど再狭窄が減少したことを受けて2011年2月から原則としてPCI後のフォローアップ目的で冠動脈造影を実施しないと決断しました。(2011年2月3日付当ブログ「PCIの6か月後の冠動脈造影」

技術的な進歩によって、患者の経済的な負担や肉体的な負担を減少させ、日本の医療費も減少させといいことばかりですが、一方でこの選択が医療機関の経営の首を絞めないかとも危惧していました。結果は、フォローアップ目的の冠動脈造影をCTで代替しても、損益には全く影響しませんでした。(2012年3月27日付当ブログ「64列MDCT導入後の収支の変化」

心臓CTでPCI後のフォローアップを代替することで鹿屋ハートセンターの収入は約4千万円減少しましたが収益は減少しませんでした。年間200件足らずの当院で4千万の医療費の削減ですから20万件を超える日本のPCI市場に当てはめると400億円以上の医療費の削減が可能ということになります。

循環器学会の公式ガイドラインでエビデンスもなく実施されていると批判されているPCI後の冠動脈造影はCTで代替できないのか、代替することでどれほどの医療費の削減が可能で、かつ各医療機関の経営にはどのような影響をもたらすのか、当院のような小さな施設だけの検討ではなく日本全体での検討が必要だと改めて感じています。