2012年10月31日水曜日

この国の経済政策 家電エコポイント制度とは何だったのでしょうか

 2012年10月9日付当ブログ「今そこにあるキミ、山中伸弥教授のノーベル賞受賞に思う」に鹿屋ハートセンターの金木犀はまだ花をつけたことがないと書きましたが、今朝ふと見るとオレンジの花を咲かせていました。そこに関心がゆくと花も期待に応えるのでしょうか。早速、香りをかごうと近づきましたが、少しも匂いません。花が咲くのにも何年もかかり、そこに芳香がたつには更に何年もかかるのでしょうか?

 私たちが働くPCIの分野でも一躍注目を浴びた先生が何年も続かず、あの先生はどこに行ったか分からいないということが起こります。人の世界でも花が咲き、長く芳香を持続するには年余を要するということでしょうか。

 ようやく臨時国会が始まり、首相の所信表明・代表質問が行われました。ニュースを見ると衆議院の解散よりも経済対策を優先すべきとの野田首相の考えが示されたそうです。

 2010年12月12日付当ブログ「鹿屋ハートセンターのテレビを地デジ化しました」の中で鹿屋ハートセンターのテレビ視聴は無料であると書きました。地デジ化に備えて2010年12月にテレビを地デジ化しましたがこのタイミングで地デジ化したのは家電エコポイントを狙ってのことでした。このタイミングで購入した地デジ対応テレビは3万円ほどでしたが1台当たり7千円のエコポイントがついたので実質2万3千円ほどでした。今日現在、価格.comで見ると同じ機種はもう2万円もしません。家電エコポイントを利用しなくても今であればもっと安く購入できたことになります。

 2011年7月の地デジ化、家電エコポイントで液晶テレビの需要は喚起されました。家電エコポイント制度では図に示すように6930億円の莫大な国費が投入されました。その結果はどうでしょうか。本日発表されたパナソニックの通期予想は7650億円の赤字です。シャープもソニーも莫大な赤字を予想し、日立はテレビの自社生産から撤退しました。各社の合計の赤字予想は数兆円に及びます。またこれに伴って各社合計で数万人に及ぶリストラです。この赤字分が解消されるまで、何年にもわたって法人税収入は落ち込みます。性急な地デジ化と、需要の先食い、急速な需要に応えるための設備投資が招いた失政ではなかったかと家電エコポイント制度を思います。しかし、経済産業省の発表した資料をみると5兆円の経済波及効果と、年間32万人の雇用を維持・創出したと発表されています。

 消費者も高い買い物をさせられ、メーカーも巨額の赤字に苦しむことになった制度を大成功であったという政府に経済対策が先だと言われても、また、無駄使いに留まらない経済の破壊が行われるのではないかと心配です。家電エコポイント制度は自民党政権時代に始まったことを思えば、来るべき総選挙後の経済対策ですら心配になります。

 将来を見据えた経済対策を講じることができないこの国のあり様はなんとかならないのでしょうか。この国の経済は何年後に花咲き、いつ芳香をはなつのでしょうか。

2012年10月30日火曜日

本日、職員家族のインフルエンザワクチン接種、1回目が終了です。

 医師になってから鼻水が出たり咳が出たりするような軽い風邪をひいたことはあっても、寝込むような風邪になったことはほとんどありません。最後に寝込むような風邪を引いたのは14年前でしょうか。年末に福岡から、両親に会いに大阪へ新幹線で向かった後、数日して高熱が数日続き、3日ほど病院を休んだのが最後であったと思います。今から思えばインフルエンザであったのだろうと思います。確か、流行した年です。何故、あまり風邪をひかないかを冷静に考えれば、気合が充実しているからではなく感染機会が少ないからだろうと思っています。循環器外来に風邪症状で来られる方がほとんどいないからだと思っています。

 自分自身に感染機会が少なくても、家に小さな子供がいると幼稚園や学校で子供たちが感染し、親も感染するということはよく起こります。感染機会の多い子供たちと同居している家庭は感染のハイリスクであると思っています。そんな考えで、鹿屋ハートセンターでは開院以来、同居家族のインフルエンザから職員を守るため、ひいては通院している患者さんを守るために職員だけではなく、職員の同居家族にも無料でインフルエンザワクチンの無料接種を行っています。同居している子供さんがインフルエンザに罹患すれば、子供さんの看病のためにその職員も休まなければなりませんし、患者さんを護るために休んでもらっています。そうした事態が発生しにくいように職員の家族を含めての感染対策であると思っています。

 開院から6年が経過し、6年前にワクチン接種に初めて当院に来た職員のお子さんも大きくなりました。自分の子供の成長のように、職員の子供たちの成長が楽しみです。鹿屋ハートセンターという小さなコミュニティの感染対策と同時に、鹿屋ハートセンターに集う家族を大事にする年に1回の集合です。

2012年10月29日月曜日

シース抜去・止血時の至高の時間

 本日は4件の冠動脈造影でした。3例はPCIをするほどのこともなかったので診断カテで終了し、1例にPCIを実施しました。すべてRadial approachの予定でしたが1例は穿刺がうまくできずにBrachialの穿刺になりました。とはいえ、いずれも上肢からのapproachですからカテ後の、シース抜去、止血は不要です。

 月曜と金曜は鹿大から先生が来てくれています。なるべく多くのカテが経験できるようにそけいからのアプローチになった時にはシース抜去、止血は私が行い、鹿大の先生には次の患者さんのカテをやってもらっています。8月に福岡済生会病院の芹川先生が見学に来られた時に、穿刺した医師がシース抜去・止血をするべきではないですかと言われました。穿刺から止血まで責任を負ってこそカテを全うするという考え方です。非常に真っ当な考え方だと思います。しかし、今の鹿屋ハートセンターのスタイルだと最終的な責任は私が負っていますし、折角、遠くから研修に来られる先生が止血で時間を費やしては勿体ないと思っているので今はこのスタイルで良いと思っています。

  Radial approachが増え、Femoral approachは減少しましたが、ゼロにはなりません。PCI後の止血にかつては止血デバイスを使っていましたが、最近はほぼ全例用手圧迫で止血しています。デバイスを使ってうまく止血できたときは良いのですが、うまくいかなかったときの血腫や末梢の閉塞をを考えれば、用手圧迫が良いかと思ってのことです。用手圧迫を選んでいるのにはもう一つの理由があります。止血している時間が貴重だからです。

 色々な患者さんがいます、止血している10分ほどの間、ずっと話している人もいますし、じっと黙っている方もいます。じっと黙っていられると止血している時間を長く感じるので、なるべく話をしようと思っています。

 鹿屋ハートセンター開設以前に自分で止血していたのは20年ほど前の湘南鎌倉病院時代でしょうか?福岡徳洲会では部長でしたので若いスタッフの先生が止血をしてくれていましたし、大隅鹿屋病院時代は院長でしたからやはり若い先生が止血をしてくれていました。湘南鎌倉病院時代、止血時に好んで話していた話題は、今までの人生で一番楽しかったのは何歳位の事かということです。当時の80歳位の方に共通した返事は60歳代というものでした。意外でした。恋愛や結婚をする20歳代や30歳代でもなく、仕事で一人前になる30歳代や40歳代でもなく、当時であれば定年になる60歳代だと言われるのです。何故、60歳代なのかは深く突っ込んで聞きませんでしたが。この会話の記憶から、私は私の60歳代を迎える日を楽しみにするようになりました。数年後に迎える60歳代が人生で最も楽しい年代と思うとわくわくします。

 60歳代を迎える日を楽しみにしていた私ですが、最近、本当に60歳代は最良なのだろうかと思い始めました。20年前の80歳の方の60歳代ですから、今から40年ほど前です。1970年頃です。高度経済成長の円熟期で、バブル時代の前です。この時代が良かったから最良と感じただけではないかとも思えるからです。右肩上がりに景気が良くなり給与も増え、何もかもが豊かに便利になっていった時代です。時代が最良を決定していたとすれば、デフレで給与も下がり続けるこの日本で最良の筈の60歳代が来ないではないかと心配になってきたのです。とはいえ、最良を規定するのが年齢なのか時代なのかは、私であればもう数年で答えが出ます。時代ではなく年齢が規定するのだとポジティブに考えておくことにしましょう。

つまらない時間と思えば、シース抜去・止血は本当につまらない仕事ですが、人生の先輩から濃密な教えを乞う時間と思えば有効な時間です。こうした密着した時間を患者さんと共有することは他には困難です。この先も、このシース抜去・止血の時間の至高を楽しみにしましょう。

2012年10月24日水曜日

子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う

To err is human!

医療分野で有名な言葉の一つです。人は必ず間違えるので、間違えることを責めずに間違いが起きることを前提に間違いの発生しにくいシステムを作ろうという考えの根本です。こうした考え方は航空機の安全を担保するために発展してきた概念と言われています。間違ったことを責めずに何故間違ったかを考えてゆくのです。

この考えに基づけばミスを犯したスタッフに謝れというのは将来に繋がらないことですから、私はスタッフがすみませんという一言で済まそうとするときに何故、間違ったと思うかと聞くようにしています。そこから改めるべきシステムはないか、足りない教育はないかを考えていきたいのです。

週刊朝日と橋下徹大阪市長の最近のやり取りを報じる報道に違和感を感じています。夕方のフジテレビのニュースで木村太郎氏がこの一連の週刊朝日の記事で唯一問題であったのは同和地区を名指ししたことだと言われたことです。同和地区を特定するために名指しすることもさることながら、ヒトの考え方は出自によって規定される、血脈が問題だ等ということが同様に大きな問題だと思うのですが、木村太郎氏は同和地区を名指ししたことだけが問題だと言われたのです。では、血脈が人格を形成するという発想には問題はないと考えているのでしょうか?

貧しくて育ちも良くなかった人が努力をして才能を開花させることを私は美しいと思いますし、逆に血脈に胡坐をかいて権力の中枢に居続けることができる社会を私は閉塞した危険な社会と思います。かつて徳洲会にいた時に、徳田虎雄理事長のことを国会議員になるべきではない人だという人物に会ったことがあります。彼は国会議員にはふさわしい出自と身分を持った人がなるべきだと言っていました。少なくとも民主国家となったこの国ではこのような考え方は間違っているはずです。出自が悪いから権力を持つ仕事に就くべきではないという考え方も、出自の良いものが権力を握るべきだという考え方も同根の間違いであると信じています。

間違っているという自覚なしに間違いを訂正することはできません。間違いを知ることから間違いの訂正が始まります。有名人がTVで間違った概念を意識してか、気づかずにか、平気でしたり顔で発言する社会を本当に危ないと思っています。

子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う。論語です。
誰もが過ちを犯すが、過ちを改めないことを過ちと謂う、To err is Humanに通じる言葉です。
なにも航空安全や、医療安全のために現代になって考えられた概念ではなさそうです。紀元前からある概念を現代で活かせないのでは、ヒトは成長していないと思ってしまいます。

間違いであったことに気付くこと、間違いを改めることに勇気を持ち続けたいものです。

2012年10月14日日曜日

研究の先に見える将器 山中伸弥教授ノーベル賞受賞の報に接して(2)

いつ見たのかも忘れましたが、何気にTVを見た「こちら葛飾区亀有公園前派出所」での物語を思い出しました。大金を貰った両津に、お金をくれたお金持ちが期限を付けて全部使えという話でした。条件は土地を買うなどのお金に代わる資産を買ってはダメだというものです。詳しくは覚えていませんが、100億円だとか1000億円だとか個人では使いきれない額です。どんなに山海の珍味を取り寄せても、ジェット機をチャーターしてそれを食べに行っても、絶世の美女を侍らせても、そんな額を使い切れるはずはありません。個人には無駄な大金だという含蓄のあるテーマであったと勝手に思っていました。

この話を思い出したのは前回に引き続き山中伸弥教授のノーベル賞受賞の報に接したからです。国立大阪病院整形外科の研修医であった頃に100億円を教授が手にしても個人では使いきれませんし、そんなお金があればノーベル賞を受賞するようなテーマに挑戦したかどうかも疑問です。社会人として歩み始めた医師にとっても100億円は不要なお金です。現在の私は、鹿屋ハートセンターの経営に責任を負っていますが、年間数億円規模の運営ですから100億円を持っていてもやはり役には立ちません。仕事を辞めて残りの人生に必要な額以外は寄付でもしようかなどと非建設的なことを考えるかもしれません。小規模の法人の経営者にとっても100億円は不要です。

山中教授は研究費の獲得に苦労されていると報じられています。そうしたノーベル賞受賞の浮ついたムードの中で今後10年間で300億円の助成を文部科学省が実施するとの報道がありました。年間に30億円です。この額は医師になりたての頃の山中教授、研究者になりたての頃の山中教授には使い切れない額であったろうと思います。一兵卒には不要な金額です。一方、多くの研究者や補助者を抱え、機器を揃え、万民のために貢献する仕事をしようと思えばこの額でも不足かもしれません。一医師や一研究者が必要とする額をはるかに上回る金額を使ってする仕事ですから、もう一兵卒の仕事ではありません。将や大臣のそれであるとも言えます。そう思ってみれば、山中教授のお顔も一医師や一研究者のそれとは違う器を感じさせるなぁ等と思えてきます。一方、ノーベル賞受賞の目出度いムードに水を差した胡散臭い某氏の顔を見ればとても将器には見えないなどとも思えます。翻って私の顔は卑しくはないだろうか等とも思います。

一人の人間が必要とする金額、企業が必要とする金額、万民のために貢献する仕事に必要な金額では全く桁が違ってきます。それを同じ物差しで測ろうとするものが年間に30億円もの金をやるのかなどと思えばどんな貴重な仕事もできる筈がありません。防衛予算を削れば福祉に回す予算が出るのになどという議論はこの類のように思います。1兆円を超える金額で世界3位の通信事業者になるというソフトバンクの仕事は、山中教授の仕事よりも価値のある仕事なのでしょうか。きっと価値のある仕事なのだと思います。しかし山中教授の仕事が、それ以上に価値のある仕事であるならば10年間で300億円はけち臭くないか等と思うのは私だけでしょうか。100億円や1千億円、1兆円を価値あるものにできない器のものが予算を議論する愚も考えなくてはなりません。

2012年10月9日火曜日

今、そこにあるキミ 山中伸弥教授のノーベル賞受賞に思う

 秋になりもう金木犀の季節になろうかという時期ですが、我が家の金木犀は我が家に来てからまだ花をつけたことがありません。我が家の金木犀は息子の幼稚園の卒業記念に全員に配られた幼木が育ってきたものです。幼稚園生であった息子も来年春には小学校を卒業し中学生になります。息子が思春期を迎えようとしてもまだ花も咲かない金木犀です。金木犀は大木にはなりませんが、大樹も大樹になるためには根を張る期間が必要です。大器は晩成すと言いますが、花を咲かせ実を結ぶ(金木犀は実を結びませんが)にはやはり年月が必要ということでしょうか。


 私は医師になって三十余年ですが、すぐに何でもできるようになった医師や看護師よりも、ドジで要領が悪く駄目かと思った人の方が大成した例を少なからず見てきました。不器用であるからこそ、誰もが何も考えずにできることでも考えながらできるようになり、誰もができないことであっても考える作業を通じてできるようになるのではないかとさえ思います。


 山中伸弥教授のノーベル賞受賞の報を聞き、かつて見た若い研修医を思い出しました。かれも山中教授と同じ神戸大学医学部卒業でした。徳洲会の研修医として新卒で就職してきた彼とは、福岡徳洲会病院で初めて会いました。痩せて線が細く、いかにも優しいという印象の彼でしたが、「さっさと診ろ!」というような患者さんの前では足がすくみ、何もできませんでした。そんな日が続くうちに彼は出勤しなくなり、再三の出勤の要請にも応えなくなりました。当時、私は循環器部長として福岡徳洲会病院にいましたが、ローテートを原則とする徳洲会の研修システムから離れて自分のところに来ないかと私も声をかけましたが、彼は結局退職しました。その後の消息は知りません。彼も山中教授のように違う環境で大きく羽ばたいているだろうかと思いだしたのです。

 山中教授は整形外科を志し、国立大阪病院の整形外科で研修を受けたそうですが、不器用で手術が下手なために「じゃまなか」と言われていたそうです。挫折感を持って研究者としての道を歩み始めたからこそ、今回の受賞に至ったとも言えます。山中教授は循環器にも興味があったそうですから、もし若い山中教授を預かって、循環器医を志す彼に循環器は向かないから研究者になる道もあるよと示すことができただろうかなどとも思います。その診療科やその病院、その分野に合わないからといってその彼に価値がないわけではありません。入学の難しい医学部を出てきた存在ですから、適合する土壌があれば花開き結実するはずだということを山中教授は示されたのだと思います。

 上司と合わない、スタッフと合わない、病院の雰囲気と合わないと感じている多くの若い医師がいるのだろうと思います。医師だけではなく、看護師も技師も同じであろうと思います。「自分はダメだ」と思い始めた若い医療者も大勢いるだろうと思います。そう思っているキミの不遇はきっと大樹に育つための根を養い、キミに適合する土壌と出会った時に大きな花を咲かせる準備だろうと思います。前を向くことを忘れず、自分の力を信じていれば、自分を諦めなければ、きっとキミに合う土壌が見つかるだろうと思います。

次の「じゃまなか」教授はキミかもしれません。要領がよく何でもできて前に進んでゆく同輩はきっと山中教授にはなれないと思います。今、そこにあるキミの不遇に勇気をくれた「じゃまなか」教授に感謝しなければなりません。

2012年10月4日木曜日

DAPT(2剤の抗血小板剤)中止下の手術を無事終えて来院されました。

 2012年7月27日付当ブログ「DES植込み後の非心臓手術時のDAPT中止 OCTによる評価」に記載した方が本日、術後初めての受診でした。膵頭十二指腸切除ですから侵襲も決して小さくない手術ですがDAPT(2剤の抗血小板剤投与)の中止下に無事に手術に成功し、来院されたのです。OCTで内膜が張っていることを確認し、自信を持ってDAPT中止下に手術していただいても構いませんと返事を差し上げた方ですが、確実とも言えず心配していたのですが無事にお顔を見れて安心しました。1例だけがうまくいったからといってこのやり方が良いとは言い切れませんが論理的ではあると思っています。これからも当院で手術をPCIを受けた方が外科手術に回る場合などに、このように根拠をもって外科に方針を伝えたいと思っています。

 当院でPCIを受ける方の平均年齢は70歳を超えており、PCIを受けた後に外科手術が必要な悪性疾患が見つかることも稀ではありません。DES植込み後6か月以上を経過しており、今回のケースのようにOCTで内膜がはっていることが確認できるケースなどでは自信を持ってDAPTの中止を決めることができますが、それより短い期間の場合あるいは内膜がはっていない場合などはどうしたらよいでしょうか。私は、必要とされる外科手術の緊急度で決まると思っています。あと2か月で半年になるというような方で2か月が待てる程度の手術であれば待って頂くのが良いと思いますし、待てない場合であればステント血栓症のリスクを十分に意識して緊急時に対処できる準備をして外科手術に回すということになると思っています。この非心臓手術が待てるか否かの判断はPCIを実施した私たちでは判断できません。どれほど急ぐ手術なのか、待つことによる不利益は何なのかを外科サイドから情報提供して頂ければ、循環器医としても、待つことによる心臓のメリット、待たないことの心臓のリスクを外科医に伝えることができると思います。二律背反するような状況では、お互いの立場だけを考えるのだけではなく、お互いで患者さんにとって最も安全でメリットのある形を作り上げるのが良いと思っています。

 時に手術を受けることになったので抗血小板剤を止めても良いか聞いて来いと外科医から言われて来院される方がおられます。このような形であれば外科サイドが待てるのか否か、どれほど急ぐ手術なのか分からないので返事に困ります。外科医と循環器医が面倒でも情報提供し合って慎重に内服の中断を決めたいものだと思っています。

大丈夫だと高をくくっていると、事故が発生するというのはマーフィーの法則にあったかどうかは覚えていませんが、往々にして油断をすると痛い目にあいます。そして痛い目にあうのは患者さんです。他科の先生とはよく相談して内服一つでも安易に方針を決定しないようにしたいものです。