2015年9月25日金曜日

ああ、おもしろかったという人生の終わり方

人間に限らず、生物の寿命は有限です。それは生身の医師とて同じことです。患者さんの命を守るために努力する医師にも必ず死が訪れます。患者さんの死を遠ざける努力をする自分といつかくる死を待つ自分の二面が医師の中に存在します。

医師は死との距離が短い職業です。私のような循環器医にとっては死という存在は遠いものではありません。

もう5年も前になります。当時80歳を過ぎていた患者さんです。何回も冠動脈のカテーテル治療を受けておられました。他の科の処置を受けた後に腎機能が悪化し、呼吸苦も出現、胸部レントゲンでは広範な間質性肺炎の像でした。気管内挿管をし、人工呼吸器に繋がって命を延ばす努力をする間に肺も治ってくるかもしれないとお話ししましたが、この方は挿管も人工呼吸器も不要だと言われました。いわく「自分は十分に生きてきたから悔いも未練もない」と仰るのです。救命可能な状態であってもご本人が不要だという治療を無理にする訳にはいきません。分かりましたと返事をし、苦しまないことだけを目標にしました。回診の度に気持ちは変わらないの?と尋ねましたが変わらないと言われます。まもなく穏やかに息を引き取られました。最期に立ち会った時に救命できなかったという無力感よりも、医師としてではなく一人の人間としてこのような最後の迎え方って格好いいと感じました。自分が最期を迎える時にはこの方を見習って自分は十分に生きたからと言えたらなと思いました。

ご家族が亡くなった病院に生き残った家族がその後も通院を続けるのはつらいと言われ、病院をかわられる方も方も少なくありません。この方の奥様は今でもハートセンターに通院して下さっています。きっと奥様もハートセンターでの最期の迎え方を受け入れてくれたからだろうと思っています。八十数年の舞台の素敵なエンディングだったのではないかと奥様が来られる度に感じます。

こんなことを思い出したのは昨日9/24に女優の川島なお美さんが亡くなったというニュースに接したからです。何日か前に何かのイベントに顔を出され、すごく痩せていても笑顔で11月にはライブをするのよと話をされたばかりだったのにです。ご主人が川島なお美は最期まで川島なお美だったと言われた通り、女優として最期を迎えられたのだなと感じます。

私たちのカテーテル治療の世界でも、痩せた体でカテーテル治療の未来を学会場で話された後まもなく亡くなられた先輩の先生も思い出されます。カテーテル治療のリーダーとしてそのお立場のままに最期を迎えられたことをある意味幸せだったかもしれないと当時感じたものです。

図は、やはりカテーテル治療の世界の先輩のものです。癌で手術を受けた後も抗がん剤を飲みながら診療を続けられたばかりか、毎週のように講演をされていました。医療事故に際し嘘をつかない医療をというオピニオンリーダーの先生でした。亡くなる前の講演で示されたのが図のスライドです。「ああ、おもしろかった」と多くの人に話しかけて最期を迎えられたことをうらやましくも感じます。

若い頃は、脳出血や心筋梗塞でころりと最期を迎えるのが良いと思っていましたが、最近は癌死もいいなと思います。十分に生きたとかおもしろかったと言って最期を迎えるのは幸運だとも思います。

シナリオのない人生の最期をどう迎えるのかは分かりません。その人生という舞台の主役は、間違っても医療者ではありません。劇的な最期であっても静かな最期であってもたった一回のエンディングを医師としての私が穢すことのないようにと考えます。それはいつか最期を迎える人間としての私の願いでもあります。

2015年9月16日水曜日

夢が現実になるためのステップ 「やってみなはれ」という精神

私は大阪で生まれ、大阪で育ちました。34歳で神奈川県鎌倉市の病院に転勤するまで関西を離れたことがなかったのです。

大阪の文化が好きです。別にお好み焼きやたこ焼きをこよなく愛しているわけでも、日常の会話でもボケやツッコミを意識しているわけではありません。つい数年前まで花月劇場にも行ったことはありませんでした。

私が好きなのは井原西鶴や大阪の生まれではありませんが近松門左衛門の世界、あるいは川端康成や大宅壮一、いつかブログにも書いた高橋和己の世界等です。そこにボケやツッコミというような今風の大阪の世界はありません。文学的であったり論理的であったり、批判精神にあふれていたりと言った世界です。

そんな大阪の文化の中でもお気に入りの一つは「やってみなはれ、やらな分からしまへんで」というサントリー創業社長の鳥井信治朗の精神です。既存のもの、体制の枠内のものだけを考えていては何のイノベーションも起きません。「そんなもん、役に立つんかいな」と思いながらも「やってみなはれ」と考えるところから時代を創るものができるかもしれないと思います。

「演劇と医療のコラボ」というテーマでものを考え始めた時、こんな得体のしれないコラボと思いましたが、大阪大学にそんなことを考えるセンターが存在しました。コミュニケーションデザインセンターです。演劇人であり、かつて鳩山内閣で内閣参与も務められた平田オリザさんも教授でした(現在は客員教授?)。平田氏は阪大総長から「ちゃんと患者とコミュニケーションができる医者を育ててや」と教授就任時に言われたそうです。流石に大阪です。大阪大学です。得体のしれない「演劇と医療のコラボ」のコンセプトは既に「やってみなはれ」的に大阪でスタートを切っていました。

平田氏は患者が質問しやすい椅子の配置など舞台美術を考えるように診察室を作れるのではないかとか、具合の悪い時に受診しやすい病院などを演出できるのではないかと言われています。こんな発想は医療者や建築家からはあまり聞きません。医者が考えればホテルのようにきれいな病院だとか緑が見える癒しの空間、あるいは実務的に医療者が動きやすい動線を考えた設計などに行きつきがちです。医療者と患者のコミュニケーションを高める舞台づくりなどという発想は新鮮でした。

音楽座のスタッフとお会いして今日でちょうど1週間です。たった1週間考えただけで、

医師のコミュニケーション能力を高めることででの治療成績への介入
医師だけではなく看護師・薬剤師、リハビリなどのコメディカルのコミュニケーション能力
学会発表などでのプレゼンテーション能力
製薬メーカーのMRの医師との関係構築
コミュニケーションの円滑化のため建築・設計

など演劇を構成する役者やプロデューサー、舞台美術家などとのコラボで医療を患者に近づける工夫はいくらでもできるのではないかと思います。

あとはこの得体のしれない「演劇と医療のコラボ」というコンセプトを実現するための「やってみなはれ」という決断です。そうした決断が現実になるためのプレゼンテーションを考えましょう。

2015年9月13日日曜日

劇場と呼ばれる医療の現場

のめりこみやすい性格だなと自分で感じます。「演劇と医療」の第3弾です。

スマトラ沖地震の救援でタイ、インドネシア、スリランカを訪れました。どの国の病院でも手術室は "Operating Theatre" と呼ばれていました。RoomではなくTheatreです。その時にはそんな風に言うのかくらいの関心でしたが、「演劇と医療」を考え始めると何故Theatreと呼ばれるのか気になってきました。英語の語源辞書などを見てもギリシャ演劇の劇場がその発端のようでRoomというような意味は見当たりません。

上段の図はギリシャ演劇の劇場です。階段状の客席と舞台を併せてTheatreと呼んだそうです。現代の手術室のイメージとはかけ離れています。この劇場を見ていて学生時代の階段教室を思い出しました。語源辞典にも階段教室をTheatreと表現することがあると記載されています。

2番目の図は、昔の教育的な手術の現場の図です。教育のために階段教室の下で手術を実際に行っていたのです。きっとこれがTheatreと呼ばれる所以であろうと思います。

更に思い出します。下段の図は、PCIの創始者であるGruentzig先生が初めて開催されたライブデモンストレーション会場の写真です。まさにTheatreです。現在では日本中、世界中でライブデモンストレーションが開催され、カテーテル治療の普及や技術の向上に寄与していますが、ギリシャ演劇からの延長にあったのかと驚きました。

Gruentzig先生のこの舞台がなければPCIの普及はきっと大きく遅れたことでしょう。この劇場にいた、私たちの世界では知らない人がいないJudkins先生・Sones先生・Dotter先生もも心を震わせたはずです。

新しい発見や新しい治療法の創始もそれが知らしめられなければなかったことも同じです。舞台に立ち、観衆の心を震わせ、共感することで現実の世界の発展が起きます。研究者や開発者もGruentzig先生がそうであったようにTheatreに立つ必要があるように感じます。演劇の歴史と医学の発展は無関係ではなかったのです。

こうしたOperating Theatreの伝統は主に医師同士の教育や交流の場です。しかしながら医療の舞台の主役はきっと患者さんです。患者の存在が抜け落ちたTheatreであり続けて良いのでしょうか?最近では手術室の様子を患者家族控室に放映する病院も出現しています。鹿屋ハートセンターもそうです。

ギリシャ演劇の伝統を引き継ぐ医師のTheatreが患者さんも参加するTheatreに昇華するにはどのような概念の創出が必要なのでしょうか。考えれば考えるほど興味が尽きないテーマです。

上段の図はWikipediaの下記からの引用です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%BC%94%E5%8A%87

中段の図は下記末廣医院のWeb siteからの引用です。
http://www.suehiro-iin.com/arekore/history/21.html


2015年9月12日土曜日

「演劇と医療のコラボ」というテーマに興味が湧いてきました

昨日の当ブログ「薬剤や手術だけで良くならない患者さんの回復に必要なこと」の中で、患者さんとのコミュニケーションがうまくいった時に、あるいは患者さんの思いと私の思いが共鳴した時に思いがけない回復が起こった例を紹介させていただきました。心に起きる変化が何故、利尿を促し、薬剤の効果を安定させ、あるいは心機能を回復させるのか等は私には分かりません。こうした医師好みの機序の解明は学者に任せるしかありません。

しかしこうした変化が起きるのであれば、患者と医師の心がよりよく共鳴するように医師のコミュニケーション能力を高めなければいけないと思います。「心 こころ」という文字で表される心臓を専門にしている私ですが、心臓はこころも意思も持たない筋肉ですから、その筋肉を扱ったきた私にこころのケアなどできる筈がありません。

どんなベテランの医師でも初めて実施する手術があります。私にとって、初めてのステント植込み、初めてのロータブレーター治療、初めてのDCAに立ち向かう時、初めての患者さんになっていただく方に、「この治療は私にとって初めての治療なのですが、私に術者を任せて頂いても良いでしょうか?」とうかがってきました。こうしてお互いの緊張の中で実施した初めての治療は不思議とトラブルなく過ぎてゆきました。一方、その手技に慣れた頃、トラブルは発生します。これは心の問題ではなく、慣れからくる油断かもしれません。しかし、患者と医師の両者で作り上げるものには成功の神様がほほえんでくれやすく、医師の傲慢に支えられた治療には問題が発生しやすいように感じます。心のケアなどできないことを目指すのではなく医療者として患者さんと、ともに病に立ち向かう一体感を高めるような相互のあり方を考えなくてはと思います。

こんなガラにもないことを考え始めたきっかけは昨日のブログにも書いた浜松大学 臨床心理学 中島登代子先生です。2013年11月23日付当ブログ「音楽座ミュージカル ラブレター を見てきました」に書いた音楽座のメンバーが鹿児島に行くので会わないかというのです。彼らはミュージカルだけではなくミュージカルの手法を用いた人材育成事業もしているので話を聞いてやってくれというのです。最初、何を訳の分からない話をしているのだろうかと感じましたが、中島先生からのお話なので「演劇と医療」というテーマを考え始めたのです。音楽座のweb siteを見たり、実際に彼らと話をしていると、彼らはミュージカルでやり方を見せるのではなく自らのあり方を見せるのだ等と言われます。また、共通の接点が中島先生であるように、彼らは臨床心理をも学んでいます。だからこそ2013年のブログに書いたように、私はただ面白かったと「ラブレター」を見た後に思わずに、なにかし忘れたことに気付いたような焦燥感のような心の揺れを感じたのかも知れないと合点がゆきました。

医学知識で、看護知識で、薬学の知識で患者さんに説明するだけではなく医療者を志した頃の純粋な気持ちを含めて医療者自らの「ありかた」を患者さんに示すというコンセプトは悪くないなと感じます。知識やエビデンスを基に提供してきた医療ですが、同じ知識や経験を持ちながらトラブルの多い医療者や、あるいは製薬メーカーの営業マンであれば同じ知識を持ちながらも成績が出せない方も存在します。先輩から患者とはこう付き合うのだと教えられたり、営業マンも先輩からクライアントとはこう接すればよいのだというような経験に基づいた仕事が連綿と続いてきたように思えます。

他者との心の共鳴を感じたことがない者が、他者との心の共鳴を起こせるでしょうか?彼らは大太鼓で胸に振動を感じさせるような共鳴をミュージカルで起こさせるプロフェッショナルである筈です。まだ海のものとも山のものとも分からない「演劇と医療」のコラボですが、60歳を過ぎた私が人生の終盤に考える価値のあるテーマだと思えてきました。

音楽座ミュージカルのWeb siteは下記です。
http://ongakuza-musical.tumblr.com/

2015年9月11日金曜日

薬剤や手術だけではよくならない患者さんの回復に必要なこと。

 久々のブログ更新です。前回、心房細動患者でどの新規抗凝固薬(NOAC)を選択すべきか、ある条件で統一して比較して決めようということを書きました。しかし、ブログのように気ままに書くものに制約を付けたのが失敗でした。テーマを決めてしまうと書けなくなったのです。これからは次回の予告などせずにまた気ままに書こうと思います。

上段から3つの胸部レントゲン写真は同じ患者さんのものです。僧帽弁閉鎖不全による心不全で入退院を繰り返しておられます。高齢のために手術はもうできません。体重が4㎏も増えて全身の浮腫が強くなり呼吸苦も出てきたために入院して頂きました。それまで内服して頂いていた利尿剤に加えてトルバブタン(サムスカ)も追加しました。その追加後の写真が2番目の写真です。胸水が増加しています。体重も減少しないだけでなく増加していました。

夜間に隠れて飲水しているところを看護師に見つかり注意されると怒りだし、怒鳴り散らしていました。入院中ですから内服は確実です。良くならないために注射での利尿剤も頻繁に追加していました。飲水制限をちゃんとしてくださいと注意をし、怒鳴り返されるということを繰り返しているうちにもう仕方がないのかなと私も考え始めました。

本人とご家族を交えて、残りの命が短いのにちゃんとしろだとか、好きにさせろとか争うことはもう止めましょう、人生の最後の過ごし方はご自分で決められても良いですよとお話ししました。2月の終わりでしたのできっとお花見の頃までは持たないと思うとお話しし、ご家族との最後の時間を大事に使ってくださいとお話ししました。そうしたところ「自分も本気を出さないといけないな」と急に殊勝なことを言われました。ほぼその日からです。体重を1㎏減らすのにも難儀をしていたのにみるみる体重が落ち始めたのです。3番目の写真は退院後のものです。胸水もすっかり消えました。体重も入院した頃より20㎏以上も減りました。短気を起こしてばかりだったのににこにこと外来に来られます。どうあがいても良くならなかった頃と同じ薬しか飲んでいないのにです。この患者さんを見て患者さんが良くなるために必要な要素は、医師が考える薬だけではないなと感じます。病識がないとか、アドヒアランスに問題があるとか患者さんに問題があると考える医療者と、患者さんの対立軸の中では改善がないのではないか等とも考えます。

 拡張型心筋症などに使用される心臓再同期療法(CRT)に反応しない方、ベータブロッカーやACE阻害剤、ARBに反応しない方などでも、心臓の状態やリードの位置やCRTの設定だけではない要素があるのではないか等と感じます。

最下段の図は別の患者さんです。僧帽弁置換術を受けているためにワーファリンが必要な方です。1㎎の内服でもINRが極端な高値になったり、3㎎の内服でもINRが低値のままであったり全くコントロールできませんでした。他の薬剤を内服していないか、ちゃんと内服しているのか等と問い詰めるばかりの外来でした。それがある時から安定し始めました。問い詰める気持ちもなくなり、ちゃんとしろという気持ちもなくなった後、なるべくその中でも問題が起きないように頑張ろうと考え始めてから安定し始めたように感じます。

患者教育だとか患者指導だとか、医学的な知識を振りかざして患者さんを抑圧し、閉じ込めていると実現できなかったものが、よくしたい、よくなりたいという共通の目標のために共感し、心が共鳴し合った時に実現するものがあるような気がします。目に見えるものだけを対象に知識や経験を駆使してきた私がこのように考えるのはきっと数年前から一緒にケースカンファレンスをしている浜松大学の臨床心理学 中島登代子先生の影響だと思います。目に見えるものだけを見て診療する医師からは新井はおかしくなったのではないかとか、心で患者が良くなれば苦労はない等と言われるかもしれませんが、患者に共感し、共鳴しても失うものはありません。患者さんと心が共鳴することができれば薬もカテーテル治療も必要ない等と思っている訳ではありません。しかし、薬や手術だけではない要素にも目を向け大事にしてゆきたいなと感じます。