11/14 右冠動脈#3の90%狭窄の方のPCIを実施しました。数年前にこの病変にPCIを試みた時には、バルーンの通過も困難で、かつ通過後も20気圧以上の拡張圧でも拡張できずに断念した病変です。今回は、左冠動脈前下行枝の狭窄が進行し、このLADからRCAに側副血行が出ているために是非とも拡張しなければという気持ちでPCIに臨みました。今回のPCIは数年前とは全く異なり、バルーンの通過も容易でしたし、病変もすぐに拡張でき、薬剤溶出性ステントの植え込みを行って、終了しました。うまく拡がったと奥さんにお伝えしたところ、奥さんは泣き崩れられたために、この位で泣いていたらきりがないよとお話ししました。とはいえ、私も病変が拡張できないために却ってFlowが低下するのではないかとか、高圧で拡張した時に血管がruptureして大事になるのではないかと悪いことばかりを考えてPCIを始めました。侵襲的な治療をする医師にとって"Think worst!"という考え方は大切です。起こりうる最悪のシナリオを考えて、そうしたシナリオにならないようにする努力が侵襲的な治療をより安全なものにします。こんな風に考えて実施したPTRAのことを2011年9月2日付当ブログ「心配すると杞憂に終わり、油断すると痛い目にあう」に書きました。泣き崩れた奥さんは、私以上に悪いシナリオを考えておられたからこそ、うまくいった時に泣いてしまったのだろうと思います。
11/16 私の妻が長年苦しんだ病気のため開頭手術を受けました。身近な家族が侵襲的な治療を予定して受けるのは、私にとって初めての経験です。小さな切除とはいえ、脳の一部を切除するわけですし、手術を受けることでマヒが出たり、記憶の障害が出たり、言葉を失ったりしないだろうかと悪いことばかり考えていました。脳の切除時に誤って動脈を傷つけてあっという間に脳浮腫が起き、死んでしまうのではないかとさえ考えました。悪いことばかり考えるのは侵襲的な治療をしてきた医者の性でしょうか。手術が終わりICUで面会した時に、抜管も済み覚醒した妻を見て、ホッとした私は言葉が出ませんでした。嬉しさを表す言葉が思いつかないとか筆舌に尽くしがたいとかいうのではなく、言葉が出なかったのです。よく頑張ったなという一言でもかけようものなら張りつめた気持ちの糸が切れ涙を流してしまうとも思いました。両手を握り、暖かみや握力を確かめながら気持ちを交わすので精一杯でした。
この手術を受けるために、あるいは手術の適応や安全性を確認するために9月に約1月の検査入院をし、今回も手術のために約1月の入院予定です。その間も、鹿屋ハートセンターの業務を休むわけにもいかず、また、息子の食事の世話や洗濯等、決して楽な日々ではありませんでした。しかし、無事に手術が終わってしまえば他愛もない苦労であったと思えます。こんなことは大したことではなく、容易に乗り切れるのだと自分に言い聞かせたいがために、普段以上に患者の状態を考え、このブログの更新にも気合を入れてきました。
今回の侵襲的な治療を受ける側になって考えたこと、それは侵襲的な治療を実施する側の医師の"Think worst!"以上に受ける側の心配は大きいものなのだということです。だからこそ、成功した治療に対する歓びは、実施した医師の歓びよりはるかに大きいのだと思います。こんなことでいちいち泣いていたらきりがないよと言った私の言葉は不適切でした。侵襲的な治療を実施する時、患者さん本人やご家族と医師は共に心配し、特に治療する側の医師は心配するだけではなく、その心配を払拭するための工夫を考え抜かなければなりません。そうすることで、患者さん本人・ご家族と医師は得られた結果に対する感情をより深く共有できるように思います。30年余りも侵襲的な治療をしてきた私が、研修医が言うような話をしていますが、初めて受ける側になって気付いたことがあったと思えます。
2011年11月18日金曜日
2011年11月7日月曜日
症候の理解と薬理的な介入の上に存在するPCIを求めたい…
十分な内服でのコントロールをしないままに冠動脈造影を実施し、狭窄があればPCIという施設が存在します。胸痛を主訴に遠くから来院された患者が初診日にCTも受け、PCIも受け、翌日には退院だとテレビで誇らしげにのたまう施設があります。もちろん、過去にさかのぼって抗血小板剤は内服できない訳ですから当日だけの内服ですし、翌日以後は、遠方の自宅に帰って抗血小板剤の処方は他人任せです。CABGに替わる患者に対する福音としてのPCIという治療を確立しようと頑張っていた頃を忘れてはいけないと思う私には理解できない乱暴なやり方です。こんな病院をテレビでよい病院と言ってしまう危うさを何時か書かなければならないと思っていました。
2011年10月6日付当ブログ「Stay hungry, stay foolish」に以下のようなコメント(質問)を頂きました。
最近、近隣の病院でCAG→エルゴノビン負荷→PCIをおこなっていると言う噂を聞きました。
詳細は良くわからないのですが、毎月約50例のPCIの内6~10例ほどが施行されているとのことです。
スパスムの関与は確かにあると思うのですが、治療の対象となるようなケースがそんなに多いと思えないのですが、先生のご経験からみてどのように考えられますでしょうか?よろしくお願いします。
PCIとなる患者の中で治療を要するようなVSAの患者はこんなにも多いものなのか?という質問なのか、エルゴノビン陽性となる患者の中でPCIを要する患者の頻度はこんなにも多いのか?という質問かがよくわかりませんが、いずれにしてもCAG→エルゴノビン負荷→PCIの流れに違和感を感じての質問であることは間違いありません。
私自身はこの流れでPCIをしたことはありませんが、この流れでPCIをする医師は知ってはいます。私もこのやり方には違和感を感じます。私が何故このやり方をしないかといえば、違和感を感じるといった漠然とした理由ではなく、PCI時には内科的に整えられる最良の状態で臨むべきだと考えているからです。患者が容易にスパスムを起こすような不安定な状態でPCIを実施するのではなく、バルーンで力づくで拡張するという乱暴な治療であるPCIを実施してもなるべく冠動脈が揺るがない状態で行うべきであると信じているからです。
PCIの成績はステントもなかった創成期とは全く異なり、だれが実施してもそれなりの結果が出るようになりました。創成期の10%の失敗から9%の失敗に改善させる努力よりも、2%の失敗から1%の失敗に改善させることや更に0.5%、0.1%の失敗に改善していく現在の作業の方がより困難であろうと思っています。より緻密さが求められる時代です。10%の失敗が許された創成期とは異なり、現在では0%にはできなくてもほぼ失敗は許されない時代だと思っています。抗血小板剤の処方忘れなどはもちろん論外ですし、UAPに対しては私は頑なにconservative strategyで臨んでいます。distal protectionができる時代になっても病変の性状の改善下にPCIを実施した方がより安全と信じているからです。ですから、UAPを診れば、2剤の抗血小板剤のローディング、ヘパリン化、Ca拮抗剤を主体とする冠拡張剤の処方を必ず行っています。その上でCAGを実施し、拡張するほどでもない器質的冠狭窄であればPCIを実施せずに済むわけですから、患者にとってハッピーな展開です。また、PCIを実施した方が良い程度の器質的狭窄があった時にCa拮抗剤投与下のエルゴノビン負荷が意味を持つとは思いませんから実施する理由が見つかりません。
エルゴノビン負荷やアセチルコリン負荷によるスパスム誘発の目的は何でしょうか。スパスムを誘発し画像を患者に見せて、こんな問題を抱えているのだからと患者の内服の動機付けがより確実になるという説明には同意します。一方で、スパスムを否定することで無駄なCa拮抗剤の処方から免れるための負荷というのであれば疑問です。非内服下のスパスム誘発であっても、時間帯や患者のコンディションで誘発されたりされなかったりすることは周知です。スパスムが誘発されなくても胸痛を起こすほどの冠狭窄がなく、硝酸剤が有効であったりCa拮抗剤でコントロールがつく胸痛であれば冠攣縮性狭心症として治療すべきだと思っています。この時、内視鏡でGERD[などもチェックしておくとなお良いかと考えています。冠攣縮性狭心症の診断におけるスパスムの誘発の有無は一つの情報でしかなく、症候的に捉えて治療すべきだと考えています。複数の冠動脈に同時に誘発されるスパスムがあるにもかかわらず、内服の自己中断でも元気にしている患者もいますし、実際に突然死する患者もいます。一方で、スパスムが誘発されなかったにもかかわらず、スパスムと思われる発作を起こす方もいます。冠攣縮性狭心症は本当にVariantだと思っています。非生理的な状態で誘発されたスパスムは「診断根拠の一つ」程度の理解で臨まないといけないと思います。正しい根拠と信じきっているとVariantにやられてしまうことがあるのです。
また、スパスムが誘発されようがされなかろうがPCIが実施されるであろうdelayのある99%狭窄の患者にスパスムを誘発する意味があるでしょうか。あるいはdelayがなくても90%狭窄(なんちゃってではない本当の90%狭窄)の患者にスパスムを誘発する意味は何でしょうか。ステント植込み後の内皮障害でその後にスパスムを起こす患者もいるのですから、ステント植込み後に症候的にスパスムが疑われた時点で誘発するというのでは遅いのでしょうか。逆にスパスムが誘発された器質的狭窄が75%狭窄の場合、PCIを実施する意味はあるのでしょうか。内科的なコントロールができないことを確認した上でのPCIでは遅いのでしょうか。
拡張すべき(冠血行動態を障害する)器質的狭窄に対してPCIを実施するために冠動脈までカテーテルを入れる手技と、器質的な狭窄は軽度であるがスパスムをきちんと診断して突然死を防ぐために冠動脈をj評価するカテーテルは、見た目は似ていても目的が大きく異なるカテーテル手技だと私は理解しています。それを同時にしてしまうやり方への違和感は、質問の匿名様と同じように私の中で消えることはないと思います。
2011年10月6日付当ブログ「Stay hungry, stay foolish」に以下のようなコメント(質問)を頂きました。
最近、近隣の病院でCAG→エルゴノビン負荷→PCIをおこなっていると言う噂を聞きました。
詳細は良くわからないのですが、毎月約50例のPCIの内6~10例ほどが施行されているとのことです。
スパスムの関与は確かにあると思うのですが、治療の対象となるようなケースがそんなに多いと思えないのですが、先生のご経験からみてどのように考えられますでしょうか?よろしくお願いします。
PCIとなる患者の中で治療を要するようなVSAの患者はこんなにも多いものなのか?という質問なのか、エルゴノビン陽性となる患者の中でPCIを要する患者の頻度はこんなにも多いのか?という質問かがよくわかりませんが、いずれにしてもCAG→エルゴノビン負荷→PCIの流れに違和感を感じての質問であることは間違いありません。
私自身はこの流れでPCIをしたことはありませんが、この流れでPCIをする医師は知ってはいます。私もこのやり方には違和感を感じます。私が何故このやり方をしないかといえば、違和感を感じるといった漠然とした理由ではなく、PCI時には内科的に整えられる最良の状態で臨むべきだと考えているからです。患者が容易にスパスムを起こすような不安定な状態でPCIを実施するのではなく、バルーンで力づくで拡張するという乱暴な治療であるPCIを実施してもなるべく冠動脈が揺るがない状態で行うべきであると信じているからです。
PCIの成績はステントもなかった創成期とは全く異なり、だれが実施してもそれなりの結果が出るようになりました。創成期の10%の失敗から9%の失敗に改善させる努力よりも、2%の失敗から1%の失敗に改善させることや更に0.5%、0.1%の失敗に改善していく現在の作業の方がより困難であろうと思っています。より緻密さが求められる時代です。10%の失敗が許された創成期とは異なり、現在では0%にはできなくてもほぼ失敗は許されない時代だと思っています。抗血小板剤の処方忘れなどはもちろん論外ですし、UAPに対しては私は頑なにconservative strategyで臨んでいます。distal protectionができる時代になっても病変の性状の改善下にPCIを実施した方がより安全と信じているからです。ですから、UAPを診れば、2剤の抗血小板剤のローディング、ヘパリン化、Ca拮抗剤を主体とする冠拡張剤の処方を必ず行っています。その上でCAGを実施し、拡張するほどでもない器質的冠狭窄であればPCIを実施せずに済むわけですから、患者にとってハッピーな展開です。また、PCIを実施した方が良い程度の器質的狭窄があった時にCa拮抗剤投与下のエルゴノビン負荷が意味を持つとは思いませんから実施する理由が見つかりません。
エルゴノビン負荷やアセチルコリン負荷によるスパスム誘発の目的は何でしょうか。スパスムを誘発し画像を患者に見せて、こんな問題を抱えているのだからと患者の内服の動機付けがより確実になるという説明には同意します。一方で、スパスムを否定することで無駄なCa拮抗剤の処方から免れるための負荷というのであれば疑問です。非内服下のスパスム誘発であっても、時間帯や患者のコンディションで誘発されたりされなかったりすることは周知です。スパスムが誘発されなくても胸痛を起こすほどの冠狭窄がなく、硝酸剤が有効であったりCa拮抗剤でコントロールがつく胸痛であれば冠攣縮性狭心症として治療すべきだと思っています。この時、内視鏡でGERD[などもチェックしておくとなお良いかと考えています。冠攣縮性狭心症の診断におけるスパスムの誘発の有無は一つの情報でしかなく、症候的に捉えて治療すべきだと考えています。複数の冠動脈に同時に誘発されるスパスムがあるにもかかわらず、内服の自己中断でも元気にしている患者もいますし、実際に突然死する患者もいます。一方で、スパスムが誘発されなかったにもかかわらず、スパスムと思われる発作を起こす方もいます。冠攣縮性狭心症は本当にVariantだと思っています。非生理的な状態で誘発されたスパスムは「診断根拠の一つ」程度の理解で臨まないといけないと思います。正しい根拠と信じきっているとVariantにやられてしまうことがあるのです。
また、スパスムが誘発されようがされなかろうがPCIが実施されるであろうdelayのある99%狭窄の患者にスパスムを誘発する意味があるでしょうか。あるいはdelayがなくても90%狭窄(なんちゃってではない本当の90%狭窄)の患者にスパスムを誘発する意味は何でしょうか。ステント植込み後の内皮障害でその後にスパスムを起こす患者もいるのですから、ステント植込み後に症候的にスパスムが疑われた時点で誘発するというのでは遅いのでしょうか。逆にスパスムが誘発された器質的狭窄が75%狭窄の場合、PCIを実施する意味はあるのでしょうか。内科的なコントロールができないことを確認した上でのPCIでは遅いのでしょうか。
拡張すべき(冠血行動態を障害する)器質的狭窄に対してPCIを実施するために冠動脈までカテーテルを入れる手技と、器質的な狭窄は軽度であるがスパスムをきちんと診断して突然死を防ぐために冠動脈をj評価するカテーテルは、見た目は似ていても目的が大きく異なるカテーテル手技だと私は理解しています。それを同時にしてしまうやり方への違和感は、質問の匿名様と同じように私の中で消えることはないと思います。
2011年11月6日日曜日
万卒は得易く一将は得難し 中日ドラゴンズのセリーグ優勝の日に
私は食通でもなければ、熱烈なプロ野球ファンでもありません。そんな私が、ネット上で食べ物を語ったり、プロ野球を語ったりすることは、電力やメモリーといったインターネット資源の無駄遣いだと思っています。私の中の倫理では、私しか語れないこと、あるいは、私が語ることに意味があることに限ってインターネット資源を利用させて頂くべきだと思っています。ですから極力循環器分野のことしか書かないようにしています。もちろん、一度アップした画像を再度リンクではなく新たな画像としてアップするようなことは、私の中ではネチケット違反です。
そんな私がセリーグ優勝を中日ドラゴンズが決めた、今日、落合博満監督について書こうと思っています。
5年生になる息子とよく2人で話をするようになりました。彼はホークスファンであり、レギュラーでもない選手の名前もよく知っていますし、ホークス以外の選手の名前もよく知っています。その彼がどうして優勝したチームの監督が解任なのかと訊いてきました。私は、ナゴヤドームの入場者が減り、経営的な問題で解任らしいよと答えました。すると彼は、お客さんを呼ぶのは球団の仕事で監督の仕事は勝つことだろうと、私の思っていることと全く同じ意見を言います。彼がホークスの試合を見たいのは、秋山監督を見たいのではなくホークスが勝つところが見たいのだと言います。また、ホークスはソフトバンクと一体となって、観客を増やす努力を一生懸命やっているではないかと言います。レプリカユニホームを配ったり、応援旗を配ったりです。私は中日ドラゴンズの集客のための努力を知らないので何とも言えませんが、ダイエー時代よりもソフトバンクになって確かにホークスの集客努力は活発になったと思っています。息子はホークスファンですので日本シリーズでのホークスの勝利を期待していますが、少しだけ落合監督だから中日にも勝たせたいという気持ちがあるとも言っています。
今日、こんなことを書くのは私たちの分野にも同じような話があるからです。以前からよく知っている先生、PCIの上手な先生です。私の目から見ても上手だと思いますし、以前勤めていた公的病院では国内有数の症例数でした。その先生と6-7年前に会った時にその先生はHappyではないと言われるのです。循環器はカテーテルやステントの価格が高いので一見、売り上げが多く見えるが、利益率が低く病院経営の足を引っ張っていると会議でいつも責められると嘆いておられました。このため、安く病院に納入できる一流メーカーのものではないバルーンを使ってPCIをしていると言われました。匠に良い道具さえ与えない病院です。確かにHappyである筈がありません。また、匠を大事にしない病院の経営が良い筈もありません。この後、この先生はこの公的病院を退職され、自らが院長の病院を立ち上げられるや、すぐに国内有数の症例数となり大活躍です。最近はあっていませんがきっとHappyなのだと思います。
国内有数の症例数と、技量を持った先生がいて、その病院の経営に問題があるとしたら、その先生の問題でしょうか。私は、中日ドラゴンズと落合監督の関係のように、やはり経営に携わる幹部の責任だと思います。
「万卒は得易く一将は得難し」です。
中日ドラゴンズは落合監督以上の監督をたやすく得られるのでしょうか、退職を迫った病院は国内でもトップ10に入る辞めた先生を上回る先生を得られるのでしょうか。
稀にみる名将を失う経営を担うトップは、最近、伝記を読んでいるSteve Jobs風に表現すれば、バカばっかりと言うのかもしれません。
そんな私がセリーグ優勝を中日ドラゴンズが決めた、今日、落合博満監督について書こうと思っています。
5年生になる息子とよく2人で話をするようになりました。彼はホークスファンであり、レギュラーでもない選手の名前もよく知っていますし、ホークス以外の選手の名前もよく知っています。その彼がどうして優勝したチームの監督が解任なのかと訊いてきました。私は、ナゴヤドームの入場者が減り、経営的な問題で解任らしいよと答えました。すると彼は、お客さんを呼ぶのは球団の仕事で監督の仕事は勝つことだろうと、私の思っていることと全く同じ意見を言います。彼がホークスの試合を見たいのは、秋山監督を見たいのではなくホークスが勝つところが見たいのだと言います。また、ホークスはソフトバンクと一体となって、観客を増やす努力を一生懸命やっているではないかと言います。レプリカユニホームを配ったり、応援旗を配ったりです。私は中日ドラゴンズの集客のための努力を知らないので何とも言えませんが、ダイエー時代よりもソフトバンクになって確かにホークスの集客努力は活発になったと思っています。息子はホークスファンですので日本シリーズでのホークスの勝利を期待していますが、少しだけ落合監督だから中日にも勝たせたいという気持ちがあるとも言っています。
今日、こんなことを書くのは私たちの分野にも同じような話があるからです。以前からよく知っている先生、PCIの上手な先生です。私の目から見ても上手だと思いますし、以前勤めていた公的病院では国内有数の症例数でした。その先生と6-7年前に会った時にその先生はHappyではないと言われるのです。循環器はカテーテルやステントの価格が高いので一見、売り上げが多く見えるが、利益率が低く病院経営の足を引っ張っていると会議でいつも責められると嘆いておられました。このため、安く病院に納入できる一流メーカーのものではないバルーンを使ってPCIをしていると言われました。匠に良い道具さえ与えない病院です。確かにHappyである筈がありません。また、匠を大事にしない病院の経営が良い筈もありません。この後、この先生はこの公的病院を退職され、自らが院長の病院を立ち上げられるや、すぐに国内有数の症例数となり大活躍です。最近はあっていませんがきっとHappyなのだと思います。
国内有数の症例数と、技量を持った先生がいて、その病院の経営に問題があるとしたら、その先生の問題でしょうか。私は、中日ドラゴンズと落合監督の関係のように、やはり経営に携わる幹部の責任だと思います。
「万卒は得易く一将は得難し」です。
中日ドラゴンズは落合監督以上の監督をたやすく得られるのでしょうか、退職を迫った病院は国内でもトップ10に入る辞めた先生を上回る先生を得られるのでしょうか。
稀にみる名将を失う経営を担うトップは、最近、伝記を読んでいるSteve Jobs風に表現すれば、バカばっかりと言うのかもしれません。
2011年11月1日火曜日
iCloudを使い始めて考えたこと Cloudが作る近未来の医療は日本で可能か
かつてはDocomoの携帯電話を使っていましたが、ここ数年は同じ電話番号でauに変えていました。医師の仲間の多くがiPhoneを使い始める中で、また携帯電話会社を変えるのにも抵抗がありずっとスマートホンとは無縁でした。そんな私がauがiPhoneを発売することになったために携帯をiPhone4sに変えました。
2011年10月6日付当ブログ「Stay hungry, stay foolish」に書いたようにかつての私はMac userでした。このためappleの製品に興味がなかったわけではなくiPod touchやiPad+wifiは持っていました。iPhoneを購入したと同時にすべてにiOS5をインストールして使い始めました。iPod touchを使っていた私から見て最も大きなiOS5の違いはiCloudです。カレンダーも連絡先もリマインダーも一つのデバイスで入力すると直ちに他のデバイスにも反映されています。また、「iPhoneを探す」も「友達を探す」もiCloudからiPhoneの情報を持ってきます。今はWindows userですからドキュメントをCloud上に置いてという使い方はしていませんが、これならKeynoteで作成したプレゼンテーションをcloud上に置き、iPhoneやiPadで呼び出してプレゼンテーションというのも悪くないなと思ってしまいます。
Cloud computingという言葉はよく聞いていましたが、実際に使い始めて役に立つコンセプトだとよくわかってきました。しかし、考えてみれば、鹿屋ハートセンターで使用しているセコムの電子カルテは自院にサーバーを置かず、遠隔地にあるサーバーに蓄えられた診療録であるデータをインターネットで呼び出す形態ですから、既に5年も前からクラウド型の電子カルテを使用していたことになります。最近ではセコムの電子カルテの広告にもクラウド型の電子カルテと謳っています。最近まではASP(Application Service Provider)型電子カルテと言っていましたが…。クラウドの実感がなかったのは、鹿屋ハートセンターからほとんど出歩かないので院内のLANからデータを呼び出す場合と使い勝手に違いがないために気付かなかっただけでした。遠隔地にあるサーバーからデータを呼び出す訳ですから、自院のみから診療録を呼び出せるだけではありません。認証された患者さんもカルテを見ることができますし、使う側の私たちもiPhoneやiPadから電子カルテを呼び出すことが可能で、出張中もカルテを参照可能です。
5年間のクラウド型の電子カルテの使い勝手ですが、2年ごとの診療報酬の改定もサーバー側でやってくれるために制度の変更ごとの苦労を経験したことがありません。私は使える!と感じていますが、最近の雑誌「ダイアモンド」の中では最も大切なデータである診療録を業者に預けでもしたら、電子カルテ業者にすべてを握られて身動きがとればくなるというような記事が掲載されていました。私は、そうは思いません。診療録は医療機関のものですし、契約時に「契約解除時のデータ返還」に関する契約を取り交わしておけば済む話だと思っています。
では、鹿屋ハートセンターの電子カルテはクラウド型なので院外でもすべての情報にアクセスできるかといえば違います。画像データは院内のサーバーに置かれているのを電子カルテから呼び出す形です。このため院外で診療録を見ても院内の画像サーバーまでの接続は許可されないので画像は参照できません。画像はクラウドではないのです。
2011年3月1日、GE healthcareとSoftbankからこの分野に関わるプレスリリースがありました。クラウドコンピューティングを用いた画像のデータホスティング事業の共同展開を発表したのです。2つの離れた土地に置かれた画像サーバーに画像を置くことで災害に強く、どこからでも画像にアクセスできるというサービスです。くしくも東日本大震災の10日前の発表です。こうしたクラウドコンピューティングを用いた情報の共有は、このプレスリリースからの情報ですが、韓国、カナダ:オンタリオ州、フランスで始まっているそうです。日本でも「どこでもMY病院」というダサい名称でコンセプトは提起されています。
私は当ブログで再三再四、ネットワーク化された医療の電子化の未来を信じていると述べてきました。そうした私から見て、日本の診療情報がクラウド化され、各医療機関がネットワークに結ばれるバックグランドは既に存在すると思っています。セキュリティはどうするのか、コンピュータを使えない医師はどうするのかという議論は枝葉末節の議論だと思います。2011年4月6日付当ブログ「この国の明るい未来のために」に記載したような議論、このシステムの構築には初期投資として10兆円がかかるが、毎年5兆円の医療費の削減が可能であるというような議論を待ちたいものだと思います。
2011年10月6日付当ブログ「Stay hungry, stay foolish」に書いたようにかつての私はMac userでした。このためappleの製品に興味がなかったわけではなくiPod touchやiPad+wifiは持っていました。iPhoneを購入したと同時にすべてにiOS5をインストールして使い始めました。iPod touchを使っていた私から見て最も大きなiOS5の違いはiCloudです。カレンダーも連絡先もリマインダーも一つのデバイスで入力すると直ちに他のデバイスにも反映されています。また、「iPhoneを探す」も「友達を探す」もiCloudからiPhoneの情報を持ってきます。今はWindows userですからドキュメントをCloud上に置いてという使い方はしていませんが、これならKeynoteで作成したプレゼンテーションをcloud上に置き、iPhoneやiPadで呼び出してプレゼンテーションというのも悪くないなと思ってしまいます。
Cloud computingという言葉はよく聞いていましたが、実際に使い始めて役に立つコンセプトだとよくわかってきました。しかし、考えてみれば、鹿屋ハートセンターで使用しているセコムの電子カルテは自院にサーバーを置かず、遠隔地にあるサーバーに蓄えられた診療録であるデータをインターネットで呼び出す形態ですから、既に5年も前からクラウド型の電子カルテを使用していたことになります。最近ではセコムの電子カルテの広告にもクラウド型の電子カルテと謳っています。最近まではASP(Application Service Provider)型電子カルテと言っていましたが…。クラウドの実感がなかったのは、鹿屋ハートセンターからほとんど出歩かないので院内のLANからデータを呼び出す場合と使い勝手に違いがないために気付かなかっただけでした。遠隔地にあるサーバーからデータを呼び出す訳ですから、自院のみから診療録を呼び出せるだけではありません。認証された患者さんもカルテを見ることができますし、使う側の私たちもiPhoneやiPadから電子カルテを呼び出すことが可能で、出張中もカルテを参照可能です。
5年間のクラウド型の電子カルテの使い勝手ですが、2年ごとの診療報酬の改定もサーバー側でやってくれるために制度の変更ごとの苦労を経験したことがありません。私は使える!と感じていますが、最近の雑誌「ダイアモンド」の中では最も大切なデータである診療録を業者に預けでもしたら、電子カルテ業者にすべてを握られて身動きがとればくなるというような記事が掲載されていました。私は、そうは思いません。診療録は医療機関のものですし、契約時に「契約解除時のデータ返還」に関する契約を取り交わしておけば済む話だと思っています。
では、鹿屋ハートセンターの電子カルテはクラウド型なので院外でもすべての情報にアクセスできるかといえば違います。画像データは院内のサーバーに置かれているのを電子カルテから呼び出す形です。このため院外で診療録を見ても院内の画像サーバーまでの接続は許可されないので画像は参照できません。画像はクラウドではないのです。
2011年3月1日、GE healthcareとSoftbankからこの分野に関わるプレスリリースがありました。クラウドコンピューティングを用いた画像のデータホスティング事業の共同展開を発表したのです。2つの離れた土地に置かれた画像サーバーに画像を置くことで災害に強く、どこからでも画像にアクセスできるというサービスです。くしくも東日本大震災の10日前の発表です。こうしたクラウドコンピューティングを用いた情報の共有は、このプレスリリースからの情報ですが、韓国、カナダ:オンタリオ州、フランスで始まっているそうです。日本でも「どこでもMY病院」というダサい名称でコンセプトは提起されています。
私は当ブログで再三再四、ネットワーク化された医療の電子化の未来を信じていると述べてきました。そうした私から見て、日本の診療情報がクラウド化され、各医療機関がネットワークに結ばれるバックグランドは既に存在すると思っています。セキュリティはどうするのか、コンピュータを使えない医師はどうするのかという議論は枝葉末節の議論だと思います。2011年4月6日付当ブログ「この国の明るい未来のために」に記載したような議論、このシステムの構築には初期投資として10兆円がかかるが、毎年5兆円の医療費の削減が可能であるというような議論を待ちたいものだと思います。
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