2011年9月30日金曜日

全身の入れ墨とチェ・ゲバラのTシャツ 鹿屋ハートセンターで診るターミナル

9/27、当院の開設からずっと通院されていた方が鹿屋ハートセンターで永眠されました。まだ63歳でした。

怖い顔をして、全身に入れ墨を入れてですから、あんな怖い人と同室は嫌だというようなクレームもありましたが、一緒に部屋で過ごしているうちにクレームも消え、皆さんに受け入れられた方でした。肺癌死です。

20年近く前に心筋梗塞をされ、その後はBuerger病で、時々、指先やや趾先に潰瘍の形成をみましたが、点滴でいつも軽快していました。治るまでは痛い痛いと泣きそうなのに、若いものが不始末をしでかしたから指を1本落としてくるなどと言う人でした。その度に虚血指を包丁でつめたりしたら感染でもっと大きな切断になるから、お願いだからやめてくれと私からお話ししていました。

そんな彼の肺に腫瘍が見つかったのは1年半前でした。手術を受けてもらうように色々と手配しましたが、肺の専門の病院では心筋梗塞で心機能に問題があるので無理だと言われ、心臓も肺もできる病院に紹介した時にはもうリンパに転移が進んでおり手術不能と言われました。ガンであることを告知していましたし、手術もできないし、肺の専門の先生は化学療法をしないのも選択だよと言っておられたので今後どうしたいのかを話し合いました。化学療法もせずに自然経過に任せたい、死ぬ時には新井に看取ってもらいたいと言われました。専門的な治療をするのであれば私には何もできませんが、自然経過を診るだけであれば最後まで私が診るよと約束しました。

鹿屋ハートセンターに通院されている方も多くなりガン死される方もいらっしゃいます。専門的な治療を受けることができなくなり死が不可避になった時にどうふるまえばよいのでしょうか。私は私で良ければ最期まで診るよと言っています。治療できる方にはもちろん必要な治療を受けて頂くように精一杯努力します。しかし治療できなくなりターミナルになった時、何年も付き合ってきた患者さんに対して、私は循環器の医者だから知らないとは言えないと思っているのです。ただ、本当に最期の日を迎えると、最後の瞬間に立ち会うのは私ごときで良かったのかと思ってしまいます。

元気だった頃のある日、チェ・ゲバラのTシャツを着て、外来に来られました。全身の刺青で街宣車にも乗っていたというのにチェ・ゲバラです。私は、どんな人なのか細かなことは聞かない主義ですので、どんな活動をしていた人か正確には知りません。でも入れ墨と街宣車ですから、チェ・ゲバラの対極にある思想の持ち主に違いありません。どうしてチェ・ゲバラのTシャツなの?と聞いたところ「ゲバラの生き方は格好ええやろ!」と一言です。街宣車に乗っていた同じ思想の仲間から見られたらどう思われるかなど、お構いなしです。全身の刺青で街宣車に乗っていた人から見ても、かつてジョン・レノンが世界一格好いい男と言ったチェ・ゲバラは格好よく映ったようです。憎めない人でした。

脳に転移し、苦しまずに済んだ最期でした。転移が進んでからは優しい顔つきでした。

2011年9月29日木曜日

冠動脈CT検査のプロトコールを変更することにしました。 ニトログリセリンとコアベータの使用

Fig. 1 LAD evaluated with 64-row MDCT
  87歳の男性。近医でCOPDで加療中です。労作時の息切れが最近悪化した由で初診です。COPDの悪化の可能性もありますが、COPDにはよく狭心症が合併します。COPDの所為だと安易に判断しないで冠動脈を評価するようにしています。CTでみた冠動脈がFig. 1です。前下行枝の近位部に高度狭窄を認めます。すぐに入院していただき2剤の抗血小板剤のローディングを開始しました。

  Fig. 2は、冠動脈造影像です。PCIになるものとばかり考えていましたのでNTG投与下の造影です。#6には50%狭窄しかありません。

Fig. 2 Left Coronary Artery after NTG IC
このCTによる評価と冠動脈造影での評価の解離の原因は何なのでしょうか。誘発をしていませんので想像でしかありませんが、CTの撮像時にはspasmが発生していたのかと思います。この方は労作時の呼吸苦の悪化だけではなく夜間の胸部症状で覚醒したとも言っておられました。仮にFig. 1がspasm発生時のCT所見だとすると、spasmの発生していない時の画像と比較すると、spasm発生時のCT所見はさらに明らかになります。興味がありますが、興味のためにCTをすぐに撮るわけにはいきません。、50%狭窄の評価をいつかする時にしっかりとspasmをコントロールをして撮影してみようと思います。


今まで当院での冠動脈CT検査時に、検査前のニトログリセリンは使用していませんでした。多くの病院で使用しているにもかかわらず使用していなかった理由は、折角ベータブロッカーの内服で心拍数が落ちてきたものがNTGの使用でまた心拍数が上がり、冠動脈の評価の質が落ちるのではないかと危惧したからです。こうした心拍数の変化で検査時間が延長することもいやでした。

しかし、今回のような例を見ると冠動脈CT前にNTGの使用は避けて通れないものと思えます。明日以後の冠動脈CT撮影時にはNTG舌下を先行させるプロトコールに変更することにしました。心拍数のコントロールには最近、冠動脈CT用に使用が認められたコアベータを使用するつもりです。この方法で検査をすればいつ効いてくるかわからない内服のベータブロッカーの効果発現を待たなくても済みます。

これで冠動脈CT検査のthrough putが改善すれば患者さんにとっても鹿屋ハートセンターにとっても幸いです。

2011年9月27日火曜日

非心臓手術前のPCIの実施 実施前の揺れる心と実施後の心構え

昨日の「非心臓手術前の心臓評価」に対してFacebook上でPCIをせずに手術に回した方が安全だったのではないかと意見を頂きました。

こうした意見を頂いたり批判されたりこそがこのブログを開設した目的なのですから大歓迎です。週に2回、鹿大の先生の応援をもらってなるべくその日にPCIを集中させるようにしています。ですから完全に一人のdecision makingという訳ではありませんが、学年も異なり、暗黙の力関係もありで、私がこうすると判断すれば、その判断に対して鹿大の先生も反対意見は言いにくいだろうと思っています。あまりにも私の判断がいい加減であれば、真面目な先生なので反論せずに鹿屋ハートセンターに来なくなるだろうなと思っています。こうしたほぼ一人で判断する形で思わぬ陥穽に嵌まらないようにしなければといつも思っています。こうした構造は少人数でやっている当院のみならず大きな病院でカンファレンスを開催して議論しても、最も権力ある先生の判断を覆すことは簡単ではないので同じ陥穽に嵌まる心配がないわけではありません。しかし、ネット上の関係に上下はありませんので遠慮なく批判してもらえると思っています。これが私が独りよがりの過ちを冒さないための安全弁だと思っているのです。

ACC/AHAのガイドライン(2007)では、安定した狭心症で心機能の良い例では術前にPCIをするメリットはないとしています。昨日のケースは、無症候ですから症候的には安定しています。また、手術時の心負荷に耐えられるかの目安として4METs以上の運動負荷が可能であればリスクは低いとしています。昨日の方は日常の生活は十分に可能なので4METsは大丈夫と思われます。では、昨日のPCIは不要であったのでしょうか?

4METsが可能か否かは、心筋の酸素需要が高まった時に供給は十分に可能かという議論です。手術時の負荷は4METs程度にしかならないのでそれが可能であれば手術侵襲に耐えられるという判断です。昨日の方はIVUSカテが病変をクロスすると間もなくST上昇しましたが全く無症状でした。では、日常生活の中で症状がないのは虚血がないからなのでしょうか。虚血は起こっているけれども感知する閾値が高いだけではないのかという疑問も残ります。

一方、4METsが可能か否かという判断は酸素の需給関係で考えてのことですが、粥腫破裂のような急性の供給の破たんの場合はどうでしょうか。4METsが可能というのは急性の破たんがないことを意味しません。

手術前に大丈夫かどうかを判断するときにこの2点の評価が必要です。酸素需要の高まりに対応できるかという点と粥腫破裂は起こさないかという点です。

いつも同じ運動量で胸部症状が出現するというような典型的な安定狭心症の場合、粥腫破裂の可能性は低いので術前のPCIは不要な可能性が高いと思われます。昨日の方は、全く無症状で、貫壁性の虚血であるST上昇時にも無症状でした。これは安定を意味するのでしょうか。妙な表現ですが、無症状だからこそ不安定なのではないかとも考えたのが昨日のPCIを実施した根拠です。もちろん、不整な狭窄形態も考慮した上での判断でもあります。しかし、この判断には確かな科学的な根拠も統計的な裏付けがないことも事実です。あと一つの施行の根拠は、私が少し恐れた、こんなに不整な高度狭窄の存在を知りながらそのまま手術に回したのかと非難されることです。

一方でPCIをしたためにSATが起きたではないかと非難される恐れもないわけではありません。そのまま狭窄を残して心筋梗塞を発症すれば、狭窄を放置したからだと結果から非難されます。一方、拡張してSATを起こせば、エビデンスもないのにPCIをしたからだと結果から非難されます。こうした狭間で循環器医は悩むのです。実際、CTで冠動脈を見てからPCIを実施した昨日まで、ずっとするべきか、するべきではないのかと考えていました。

とはいえ、不整な高度狭窄を持つ無症状のケースにきっと放置は危険だろうと判断し、既にBare Metal Stentの植え込みを行ったわけです。BMS植込み後の手術のリスクを頭に入れておかなければなりません。

BMS植込み後のチクロピジン(パナルジン)投与は2週間でだけでも安全であるという論文がMayo Clinicから報告されています。

Safety and Efficacy of Ticlopidine for only 2 weeks after Successful Intracoronary stent Placement. Circulation. 1999;99: 248-253

実際、私自身もBMS時代には2週間しかパナルジンは処方していませんでした。このやり方で発生するBMSのSATはパナルジン中止前である植込み後2週間以内に集中しており、植込み後2週間経過後にはパナルジンを中止していてもSATの発生が少ないとの報告です。これはBMS植込み後早期に内皮が張るからだと説明されています。この所見を受けてACC/AHA guideline 2007でもBMS植込み後4-6週後の抗血小板剤中断下の手術は安全だと記載しています。危険なのはバルーン単独治療もしくはDES植込み後です。

どのような選択をしても100%がない中で考え尽くしての選択です。この選択に至る過程をよく患者さんやご家族や、手術をする外科医に説明しなければなりません。また、わずかな可能性として残るSATの発生時に円滑に対処できるように外科医との打ち合わせや、私のスタンバイに手を抜かないようにしなければなりません。

サイは投げてしまいました。

2011年9月26日月曜日

非心臓手術前の心臓評価 二重基準の狭間で彷徨う循環器医

Fig. 1 Coronary CT without contrast
  循環器医によくある仕事の一つは心臓以外の手術の術前検査です。手術を予定していますが心臓は大丈夫ですかという問い合わせです。

本日の方も術前の心臓評価目的で紹介され受診されました。83歳の女性です。甲状腺機能低下症でチラーヂンを内服されておりEuthyroidです。LDLは162mg/dlと高値です。胸部症状は全くありません。安静時心電図も正常、心エコー上の心機能にも問題はありません。ご主人が陳旧性心筋梗塞で多数のステント植込みを他院で受けておられます。

通常であれば、もうこれ以上は検査をせずに症状もなく、安静時心電図にも心エコーにも問題ないわけですから、リスクはゼロとは言えなくてもこのまま手術ということで良いと思いますと返事を書きます。術前の心臓評価の依頼でそれ以上の検査をすることは当院では全くないのです。


Fig.2 Coronary CT with contrast
しかし、なにか胸騒ぎがしてもう少し検査をした方が良いのではないかとふと思ったのです。だからと言って高LDLだけで造影して冠動脈を評価するのはやりすぎのように思えます。このため冠動脈石灰化だけでもと考え評価しました。Fig. 1です。LADとRCAに石灰化を認めます。石灰化スコアは411です。この年齢ではよくある数字です。このまま手術を受けるか、周術期に何かあってから対処するかとの問いにPCIの経験があるご主人は白黒をつけて欲しいと望まれました。このため実施したのがFig. 2です。RCAの石灰化部位に一致して高度狭窄を認めます。狭窄形態も不整です。紹介してくれた先生に電話をし、PCIが必要になる可能性が高いことを説明しました。手術まで待つことができる期間は1月以内なのか、1月程度なのか、半年待てるのかと聞いたところ1月は待てるという返事を頂きました。

Fig. 3 Right Coronary Artery before PCI
本日実施した造影がFig. 3です。IVUSカテが通るだけでST上昇するような高度狭窄です。Bare Metal Stentの植え込みを行いました。DESのなかった頃、私はパナルジンを2週間で止めていましたのでこの方も2-4週間で2剤の抗血小板剤を中止して約束通り、1月後に手術していただく予定です。胸騒ぎに従って正解でした。

循環器医を悩ますものの一つが術前の評価です。心エコー上の心機能の評価は簡単です。しかし、心エコー上の正常心機能はなにも手術の安全を担保しません。しかも紹介されてくる方の多くは負荷心電図検査ができない方です。ACC/AHAのガイドラインに沿えば、心臓の病歴のない高齢者の腹腔手術ですから心臓の急なイベントのリスクは1-5%と推測され、それ以上の心評価をせずに手術室に送ってよいということになります。1-5%のリスクであれば発生しても仕方がない、全例の完璧を目指すためにすべての例に大掛かりな検査を実施することで失われることの方が多いという判断です。私もこの考え方は妥当で、100%を目指すための経済的な負担や被ばくや造影剤の使用で失われるものも多いわけですから、ある程度の蓋然性で納得するしかないと思っています。しかし、100人に1人ないし20人に1人が、循環器医が手術しても問題ないのではないかと言ったのに周術期に心臓死をした場合に、100%分からないのは仕方がないから循環器医には責任はないと日本の文化で納得してくれるかということが問題です。裁判になった時にはある程度の免責は認められても100%の免責はないと思います。

100%の安全を担保するために、高額な検査をすべての人に実施するという医療を日本は目指すのか、米国のようにある程度のロスは仕方がない、そのロスを減らすためにロス以上の経済的あるいは肉体的に負荷を負わすのはナンセンスだという医療を目指すのかはっきりしてほしいと願っています。最悪は何も方向性を決めずに、慎重に検査をすればやりすぎだと非難し、ある程度の蓋然性で納得して問題が生ずると医師の怠慢だと非難するといった2重基準 double standardです。阿吽の呼吸で医療をするのが日本のやり方だと言われるとやり切れないと思います。

今回のLDLが高値である、長い甲状腺機能低下の病歴がある、ご主人もPCIを受けておられるという条件はすべてACC/AHA guideline 2007に従えばLow riskに入ります。何か嫌な予感がするというような非科学に頼って綱渡りをする医療をいつまでも続けることなく、医学界のコンセンサスではなく日本の社会のコンセンサスとしてどこまで医療費を掛けるのか、掛けないために失われるものを受け入れることができるのかといった議論がもうそろそろ必要だと思っています。


2011年9月20日火曜日

動脈硬化性腎動脈狭窄の存在は、虚血性の心臓や脳の急なイベントを予言する?

Fig. 1 US findings before PTRA
 9/16に 当院での21例目、26件目のPTRAを実施しました。#6の90%狭窄が原因の不安定狭心症の方です。不安定狭心症も冠動脈を拡げてしまえば安定しますが、腎動脈狭窄は不安定狭心症のリスクでもあります。重篤な冠動脈疾患に合併する腎動脈狭窄はPTRAの適応であろうと考えています。とはいえ、ただ狭いだけでは適応にはなりません。PSVは282cm/s、RARは4.00の方です。この方は、冠動脈の拡張後にも胸部症状を訴えておられました。鹿児島の表現で言えば「胸がジージーする」ですし、広く九州では「胸がどうかある」と表現されます。腎動脈狭窄の方の中に、こうした胸部症状を訴える方が少ないないという印象です。また、PTRA後この症状がなくなることが多いと印象を持っています。

Fig. 2 Before PTRA
この方を含めて21例のリスクファクターは高血圧が17例(81%)、糖尿病が11例(52%)、脂質異常が17例 (81%)と当院でPCIを受けている方よりもリスクが多い印象です。PTRAの適応は、難治性高血圧が8例、心不全が6例、重症冠動脈疾患が7例と、必ずしも全例が難治性高血圧ではありません。

意外だったのはこの21例でクレアチニンが1.2以上のケースは2例(9.5%)のみでCREの上昇は発見のきっかけになっていないかったということです。
  日本高血圧学会のガイドラインによれば、腎動脈狭窄は全高血圧患者の1%、剖検された心筋梗塞患者の10%、心カテを受ける患者の7%、重症頸動脈疾患患者の27%に認められるとされています。

一方、今回の21例から見ると冠動脈疾患患者から見つけているので当然と言えば当然ですが、重症冠動脈疾患患者は19例(90%)に認められました。間欠性跛行を呈する下肢閉塞性動脈硬化症は9例(43%)認め、IMTが2㎜を超える頸動脈狭窄は17例(81%)認められました。

Fig. 3 After PTRA
冠動脈疾患患者の中の頻度、頸動脈狭窄患者から見た頻度はそう高くなくても、動脈硬化性腎動脈狭窄患者から見ると、冠動脈疾患患者、頸動脈狭窄患者の頻度は少なくありません。こうして考えると動脈硬化性腎動脈狭窄は、全身の動脈硬化の最終の表現として表れているとも思えます。

腎動脈狭窄にまで至っているのに、気づかずに放置していると、脳梗塞や虚血性心疾患の急なイベントの発生を招きかねません。動脈硬化性腎動脈狭窄の存在は、虚血性の脳・心臓の急なイベントの大きなリスクであろうと思います。


また、入野先生の思い出です。私が脳卒中診療部時代に入野先生は、「何を投薬しても血圧の下がらない患者はすぐに脳卒中になる」とよく言っておられました。こうした現象が動脈硬化性腎動脈狭窄を介して起こっていたのなら、30年ぶりに納得です。

2011年9月9日金曜日

若き志士たる医師の活躍 友人の誕生日に贈る言葉として

Facebookの友人が今日、44歳の誕生日を迎えました。おめでとうのメッセージを送ったところ、44歳の頃、何をしていたのですかと返事をもらって考えました。

私が湘南鎌倉病院を退職し、福岡徳洲会病院の部長になったのは39歳の時です。大学からの派遣の部長とは異なり、自分のポジションを保証するものは自分の力量しかない訳ですから、スタッフに受け入れられるまで毎日、胸が締め付けられる思いがして時にニトログリセリンを舌下していました。効果がないことを確認しては狭心症ではなくプレッシャーが原因だからと安心していました。

福岡への転勤を徳洲会病院の徳田虎雄理事長にお願いしたのは、政令指定都市である福岡都市圏で1番のPCI施設を作り上げてやるぞという野心があったからです。転勤した1994年当時、福岡都市圏で最も多くのPCIを実施していたのは福岡大学病院でしたが、わずか年間100件程度でした。転勤した1994年に福岡徳洲会で約250件のPCIがあり、数字的には1年で福岡都市圏で1番の施設になりました。2年目に400件、3年目に500件程度になったように記憶しています。

2010年12月5日付当ブログ「私がブログを始めた訳 ネット時代の医師の生き方」に書いたように、この頃に対馬との出会いがあり、PCIができない土地にもPCIを普及させ、日本のどこで心筋梗塞になっても安心な世の中を目指そうと思い始めました。1997年に対馬と福岡徳洲会をテレビ電話で結んで対馬のPCIをサポートする「遠隔PTCA」を始めました。1998年には、奄美大島にもこのシステムを繋ぎました。また、通信で繋がっているだけで都会から地方をサポートするいう安易なポジションで偉そうにしていてはいけないと考え、自分自身が奄美大島に赴任したのは1999年です。45歳の頃です。2000年には当時PCIができない土地であった鹿児島県大隅半島でもPCIができるようにと現在住んでいる鹿屋に転勤を申し出ました。学会で「ブイブイ」言いたいというスタンスから地方に視点が向いた頃です。

この仕事の中で徳田虎雄さんから可愛がられるようになり、大隅鹿屋病院の院長を経て、徳洲会の専務理事にまで就任するに至りました。大組織での幹部職員としての仕事や、地方でのPCIの立ち上げをやりながらでは学会活動はままなりません。インターベンション医としては「失われた10年」です。しかし、やりがいのある面白い10年でもありました。この経験がなければ、オーナーとして小さいながらも「ハートセンター」を切り盛りできる力は付かなかっただろうとも思っています。

39歳で支えのない部長になり、駆け抜けた10年です。39歳は今となっては少しスタートが早かったかなとも思います。

しかしです。昨日、書いた入野忠芳先生は、大学医局を喧嘩して飛び出したと聞いていますが、決して評価が高くなかった病院で支えもなしに脳卒中診療部を立ち上げ、Stroke等に多くのpaperを残されました。たとえば下記です。

Irino T, Taneda M, Minami T. Positive scans in angiographically proved cases of recanalized cerebral infarction. Stroke. 1975;  6: 132-135

このpaperは、入野先生が33歳の時に書かれているのです。共同著者の種子田先生は脳外科医です。南先生はたしか、大阪大学特殊救急部出身の先生だったと記憶しています。30歳そこそこで大学の支えもなく、オンボロのアンギオ装置と出たばかりのCTやRI装置を用いて、AHAの発行するStrokeに掲載されるような仕事をしておられたのです。今思えば、ペーペーの若僧とも思える30歳代前半の入野先生ががむしゃらに仕事をされ、Strokeに論文を載せ、病院を一流に育てられました。そう思えば、私が部長としてスタートを切った39歳は決して早くはなかったとも思えます。徳田虎雄さんが徳洲会の最初の病院を立ち上げたのも30代でした。

日本のPCIが始まった1982-3年頃、私は29歳位でした。倉敷の光藤先生は6歳上ですから35歳、鎌倉の齋藤先生は5歳上ですから34歳位です。そのくらいの年代で誰もどうやるのかわからないPCIに挑戦していたのです。そう思えば、今の医師の育成システムは、時間がかかりすぎているのかもしれません。また、若い先生たちに勇気がないのかもしれませんし、挑戦を阻む雰囲気があるのかもしれません。

幕末の坂本竜馬のような若い志士は、その頃に途絶えた訳ではありません。私たちの医療の世界にもつい最近まで若い志士が存在しました。きっと今も存在するのでしょう。もう若いとは決して言えない私たち世代は、若い志士の活躍を阻害しないことだけを使命とする方が良いのかもしれません。とはいえ、入野先生が開業後の65歳でLancetに投稿されたように私も何か一仕事をしなければという意欲だけは捨てないつもりです。

2011年9月8日木曜日

ワーファリンで治療中の心房細動患者に発症した脳卒中を診て、思い出した私の恩師

Fig. 1
 私は、1979年に医学部を卒業し医師になりました。現在のような研修義務化もなく、それ以前のインターン制もなく、空白の医師養成時代でしたので、大学で研修を受ける者もいましたし、卒後直ぐから一線で働く医師もいました。私は、大阪の脳卒中の三次救急を担う民間病院に一医師として就職しました。2年目からはその病院で循環器を始めましたが、1年目は「脳卒中診療部」の所属で脳卒中を診ていました。

 その当時の脳卒中診療部の内科系のボスは入野忠芳先生です。2009年に67歳で亡くなられました。入野先生はこの病院で出血性脳梗塞の研究で多くの実績を残され、Stroke等にpaperをたくさん発表された先生です。この病院を退職後に開業されましたが、八百屋お七が丙午生まれであったことから丙午生まれの女性が日本には少なく、こうした文化的な背景が医学の統計にも影響を与えるという論文をLancetにも載せるという類稀なる才人でした。フルカラーの浮世絵がLancetのFigureとして掲載されたのはこの論文だけではないでしょうか。

Irino T. et al. Arson, an attractive monk, and our vertigo clinic. Lancet, 370; 2126: 2007

 これ以外にも中公新書ラクレから「患者サマザマ」を出版もされ、上方落語協会の桂三枝さんとの交流など多くの人に愛された先生でした。

 この先生が卒後2年目の私に脳卒中しか知らない医師ではろくな医師にはならないから脳卒中以外を勉強しなさいと勧めてくれたのが循環器を始めたきっかけです。

 新卒の脳卒中診療部時代、入野先生から歩いてくる頭痛の患者にも多くの脳出血患者がいると教わり、急性発症の頭痛であればCTを撮ってみろと言われ続けました。32年前の話です。

 本日、当院に慢性心房細動で通院されている方が突然の嘔吐と引き続く頭痛で受診されました。意識は清明でマヒもありません。最終のPT-INRは2.16、血圧は110-130にコントロールされていた方です。32年前の教えを守って、撮ったCTがFig. 1です。自分の施設にCTがなく、入野先生の教えの記憶がなければ、紹介してまでCTは撮らなかっただろうと思います。良い状態で鹿屋医療センターの脳外科に紹介できました。

 才能があり、ユーモアがあり、だれも思いつきもしないテーマで学術誌に投稿しと、こんな人にはとても敵わないと社会人になって初めて思わされた先生を今日の脳出血を診て思い出しました。良い師に恵まれたと感謝です。また、最近までその死を知りませんでしたので「お別れ会」にも行けずじまいです。天国での活躍ぶりをそのうちに見てみたいものです。

2011年9月7日水曜日

"Evidence"や"ルール"に従うのか、信念に従うのか ARISTOTLE試験の結果に思う

循環器診療でよく使う薬剤にカルベジロール(アーチスト)があります。特に左室拡張末期径の大きな陳旧性心筋梗塞患者や拡張型心筋症の方に私も好んで使用しています。左室拡張末期径が60㎜を超えていたのにアーチストを内服している間に55㎜、50㎜と拡張末期径が縮小する方が少なくありません。このため、心不全という訳でもないのですが頻拍傾向で左室拡張末期径が大きめの高血圧の方にも好んで処方しています。

1年ほど前でしょうか。高血圧でアーチストを5㎎内服している方で、この処方が査定を受けました。2.5㎎錠を2Tで5㎎内服していたのですが2.5㎎錠には心不全の適応しかないからだそうです。10mg錠を1/2錠の処方であれば査定を受けません。きちんと包装された薬剤の処方は許されず、包装をといて1/2錠にすれば保険診療として認められるというのです。

高血圧にアーチストは適応があるという表現は正しいですし、心不全にも適応があるという表現も医学的に自然です。しかし、10m錠の1/2錠は適応があるが2.5㎎錠 2錠では適応はないという表現は医学的にうなづけません。これが保険診療を行う医師が守るべきルールだというのはおかしな話です。

2011年8月30日付当ブログ「心房細動患者に対するプラザキサの使用」で私は、高齢者には1日の処方を75㎎錠 2錠にするのが良いのではないかと書きました。しかし、この処方は保健薬の認可の条件とは異なるために認められません。Re-ly試験での処方が1日量、220㎎と300㎎しか検討されていないからです。1日150㎎の処方の検討がないので有効性が不明だという理屈になるのだと思います。

心房細動患者に対するワーファリンと第Xa因子阻害剤であるapixabanとの比較試験の結果がNew Engl J medに発表されました。

Apixaban versus Warfarin in Patinets with Atrial Fibrillation です。

このARISTOTLE試験では 1) 80歳以上、 2)  体重60kg以下、 3) CRE 1.5mg/dl以上の3つの項目のうち2項目以上が当てはまる場合にはapixabanの処方量を半量に減らしています。この結果、全身の塞栓症の発症はapixaban群で年率1.27%、ワーファリン群で年率1.60%で有意にapixaban群で塞栓症が少なかっただけではなく、major bleedingもapixaban群で年率2.13%、ワーファリン群で年率3.09%と有意にapixaban群で少なかったことが報告されています。Re-ly試験の220㎎投与群のmajor bleedingは年率2.71%ですからapixabanでの年率2.13%はdabigatranよりも優れた結果だということができます。

この結果を見て、Dabigatranでも高齢者や腎機能不良例、低体重者で半量投与が行われていたならばどんな結果になっていただろうかと考えます。Re-ly試験での患者の平均体重は83㎏です。この体重で検討された結果で、日本での投与量を決定されているわけですから恐ろしい話です。50㎏の80歳の女性に体重あたりの同量を処方しようとすれば220mg X 50/83 = 132.5mgとなります。 私が高齢の痩せた方には1日量150mgが妥当ではないかと思う理由がこれです。

日本人とは体重のベースが異なるRe-ly試験の結果で、Evidence-Based Medicineと称して日本人に対する投与量を決めてしまうのは馬鹿げた話のように思います。この馬鹿げた論理の上に保険診療が査定されるのであれば投与される患者さんも処方する医師も救われません。Dabigatranの内服後の5例の死亡を受けて日本循環器学会が発表した緊急ステートメントでも投与量は1日220㎎のままです。apixabanやDabigatranは心房細動患者の診療を今後変える重要な薬剤です。1日量150㎎が有効か否かのEvidenceがないのであれば、これらの薬剤や、患者を守るために国内でtrialを実施すべきと考えます。

当院でプラザキサを処方している唯一の患者さんは80歳を超える痩せた方です。保険で査定されるかもしれないと思いましたが、そんなことよりも患者が優先です。1日150㎎の処方に変更しました。

2011年9月2日金曜日

心配すると杞憂に終わり、油断すると痛い目にあう 昨日のケースのPTRAを実施しました。

Fig. 1 Before stenting
 昨日9/1付当ブログに書いたケースのPTRAを本日実施しました。昨日ブログを書いた時点で既に、本日実施することは決めていました。ブログを書く前も、書いている最中も、書いた後もずっと、ガイディングカテはエンゲージできるだろうか、病変が硬くバルーンが拡がらない事態は起きないだろうか、拡がったは良いけれども動脈破裂や末梢塞栓は起きないだろうか、ステントは持ち込めるだろうかと心配していました。

Fig. 2 After sten
いつもは、4/26のブログに書いたように右のジャドキンスで腎動脈を確保し、ワイヤーを挿入、そのワイヤーを支えにガイディングカテをエンゲージさせるのですが、今回はガイディングカテの中に診断カテを入れ、ワイヤー挿入後にエンゲージさせたガイディングカテから診断カテを抜くというオーソドックスなCatheter Exchangeで腎動脈を確保しました。Aguru 0.014 wireでは狭窄の後の拡張部を超えた後の急峻なカーブを超えることができなかったために冠動脈用のTerumo runthrough extrafloppy 0.014を使用し、末梢まで確保です。次いでIVUSで評価します。狭窄部の血管径は4.5㎜-5.0㎜です。distal protection deviceを使用しない拡張ですので3.0㎜で前拡張しました。血管はすぐにIndentationも取れ末梢の血流の障害なく3㎜に拡がりました。次いでGenesis18㎜を末梢から2本中枢部において終了です。

  ことのほか、スムースに合併症なく拡張できました。Distal protectionをしなかった理由は、狭窄部を超えて末梢まで持っていく自信がなかったことと、バルーンやフィルターをどこに置けるかデザインできなかったためです。このために、術前に末梢塞栓が起きて厳しい場面になるのではないかと危惧していたわけです。

予想される合併症に対して十分な対策を講じてインターベンションに臨むというのはインターベンションをする医師にとって基本的な考え方です。しかし、十分な対策を講じることができない状況で手を出さなければならない場面も少なくはありません。本日のケースは屈曲の存在や、狭窄部位が比較的遠位であったためにDistal protectionができないだろうと思っていました。また、腹部大動脈瘤の存在や他の硬い動脈硬化から、大動脈の問題が起きるのではないかとか拡張後にExtravasationが起きるのではないかとずっと心配していました。

非科学的な、話をします。1時間もかからない手技のために何時間も心配します。すると不思議なことに予想した合併症はあまり起きません。一方、こんなのは簡単な手技だと思って安易に臨むと予想しない合併症に遭遇し、慌てることになります。「心配すると杞憂に終わり、油断すると痛い目に合う」です。

何時間も心配し、悪いことばかり考えて、本人やご家族に安易な手技ではない旨をお話しします。この手技には一般的に○○%のこうした合併症があると言われていますというような形式的な説明ではありません。自分が心から心配していることをお話しするのです。こうすると不思議なことに神様が助けてくれるようです。

2011年9月1日木曜日

4月の腎動脈ステントの方が再入院です

Fig. 1 Rt-renal Aretry before PTRA (Apr. 15, 2011)
  2011年4月26日付の当ブログ「心不全を繰り返す腎動脈狭窄の方がステント植込みを終え、本日退院です」の方が再入院です。

ステント植込み前の推定右室圧は51mmHgでしたが、今回入院時の推定右室圧は35mmHgでした。夜半に起坐呼吸で入院し、翌朝の数字です。翌朝にはケロッとしています。典型的なCardiac Disturbance Syndromeです。ステントの再狭窄を疑い、CTで評価しましたが、右腎動脈に植え込んだステントに再狭窄は認められません(Fig. 2)。

 しかし、左腎動脈にはdiffuseに高度狭窄を認めます(Fig. 3)。これは4月と同様の所見ですが、腎萎縮もあり、こちらの治療は意味がないのではと考えていました。しかし、Cardiac Disturbanceを繰り返すのであれば、こちらの治療も考えなければなりません。

Fig. 2 4 months after stenting(AUg. 29. 2011)
  Brachial Arteryは石のように固く、拍動も微弱です。上肢からのアプローチは無理なようです。左そけいは、動脈瘤です。右そけいからのアプローチしかありません。腎動脈下も動脈瘤です。

手を付けるならば、困難な治療になります。 




Fig. 3 Lt-Renal Artery (Aug. 29, 2011)