2012年10月14日日曜日

研究の先に見える将器 山中伸弥教授ノーベル賞受賞の報に接して(2)

いつ見たのかも忘れましたが、何気にTVを見た「こちら葛飾区亀有公園前派出所」での物語を思い出しました。大金を貰った両津に、お金をくれたお金持ちが期限を付けて全部使えという話でした。条件は土地を買うなどのお金に代わる資産を買ってはダメだというものです。詳しくは覚えていませんが、100億円だとか1000億円だとか個人では使いきれない額です。どんなに山海の珍味を取り寄せても、ジェット機をチャーターしてそれを食べに行っても、絶世の美女を侍らせても、そんな額を使い切れるはずはありません。個人には無駄な大金だという含蓄のあるテーマであったと勝手に思っていました。

この話を思い出したのは前回に引き続き山中伸弥教授のノーベル賞受賞の報に接したからです。国立大阪病院整形外科の研修医であった頃に100億円を教授が手にしても個人では使いきれませんし、そんなお金があればノーベル賞を受賞するようなテーマに挑戦したかどうかも疑問です。社会人として歩み始めた医師にとっても100億円は不要なお金です。現在の私は、鹿屋ハートセンターの経営に責任を負っていますが、年間数億円規模の運営ですから100億円を持っていてもやはり役には立ちません。仕事を辞めて残りの人生に必要な額以外は寄付でもしようかなどと非建設的なことを考えるかもしれません。小規模の法人の経営者にとっても100億円は不要です。

山中教授は研究費の獲得に苦労されていると報じられています。そうしたノーベル賞受賞の浮ついたムードの中で今後10年間で300億円の助成を文部科学省が実施するとの報道がありました。年間に30億円です。この額は医師になりたての頃の山中教授、研究者になりたての頃の山中教授には使い切れない額であったろうと思います。一兵卒には不要な金額です。一方、多くの研究者や補助者を抱え、機器を揃え、万民のために貢献する仕事をしようと思えばこの額でも不足かもしれません。一医師や一研究者が必要とする額をはるかに上回る金額を使ってする仕事ですから、もう一兵卒の仕事ではありません。将や大臣のそれであるとも言えます。そう思ってみれば、山中教授のお顔も一医師や一研究者のそれとは違う器を感じさせるなぁ等と思えてきます。一方、ノーベル賞受賞の目出度いムードに水を差した胡散臭い某氏の顔を見ればとても将器には見えないなどとも思えます。翻って私の顔は卑しくはないだろうか等とも思います。

一人の人間が必要とする金額、企業が必要とする金額、万民のために貢献する仕事に必要な金額では全く桁が違ってきます。それを同じ物差しで測ろうとするものが年間に30億円もの金をやるのかなどと思えばどんな貴重な仕事もできる筈がありません。防衛予算を削れば福祉に回す予算が出るのになどという議論はこの類のように思います。1兆円を超える金額で世界3位の通信事業者になるというソフトバンクの仕事は、山中教授の仕事よりも価値のある仕事なのでしょうか。きっと価値のある仕事なのだと思います。しかし山中教授の仕事が、それ以上に価値のある仕事であるならば10年間で300億円はけち臭くないか等と思うのは私だけでしょうか。100億円や1千億円、1兆円を価値あるものにできない器のものが予算を議論する愚も考えなくてはなりません。

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