Fig. 1 |
Fig. 2 |
2004年12月26日に発生した、スマトラ地震とそれに伴うインド洋大津波による被災に対する救援のため、タイのカオラック、インドネシアのバンダアチェに行きました。Fig. 1は、救援に入ったタイのタクアパ病院の近くの寺院です。この寺院は、遺体安置所となり、「一人残らず、遺体は家族に返す」というタイ政府の方針の元、詳細な検視が行われました。冷凍コンテナに保管された遺体を、一体ずつ、世界各国から集まった法医学者が検視を行うのです。この作業には莫大な時間がかかり、この寺院の周辺は死臭の漂う街となりました。この死臭から身を守るために、原発作業員のような姿で、マスクをしての作業です。
Fig. 3 |
Fig. 3は、2005年3月のインドネシア、バンダアチェです。普段は、バンダアチェの市場で買った食材を、寝泊りしていたゲストハウスで調理していました。 しかし、たまには外食をと考えるのも人情です。屋台のレストランで、サテとナシゴレンの夕食で一人150円位だったでしょうか。写真は、たまには贅沢をということで出かけたシーフードレストランです。豪華な食事が一人300円位だった記憶です。写真には残しませんでしたが、バンダアチェを去る最後の夜に被災した川沿いの別のシーフードレストランに皆で出かけました。メインは、ワタリガニのカレー風味の炒め煮です。カニの中では濃厚な味わいのワタリガニは日本では、三杯酢か土佐酢で頂くのが一般的だと思いますが、カレー風味です。カレー味にしてもったいないと思いながら口に含んだ瞬間、あまりの旨さに驚きました。火を通し過ぎるとぱさつくであろうカニがほど良く火が通されてしっとりとした食感、また、濃厚な味わいがカレー風味でより際立つ感じです。バンダアチェには冷えた清涼飲料水などありませんでした。敬虔なイスラム教徒がほとんどのこの地ではビールなどありません。食材も冷凍のものなどなく、すべてがこの日、水揚げされたものです。新鮮な食材と、絶妙な火加減。このワタリガニのカレー風味を食べるために、またバンダアチェに行きたいと思うほどの印象です。
このワタリガニのカレー風味を食している時、現地の方から、今年のカニはとりわけ旨いのだと言われました。どうして?と聞くと、津波に流された人を食べているからだよと笑えない冗談です。このような冗談は、タイでも聞かされました。タイのプーケットでは津波後1週間ほど経過すると、欧米人は何事もなかったようにビーチで遊んでいました。おそらく、キリスト教徒であろう欧米人も、仏教徒が多いタイ人も、イスラム教徒がほとんどのアチェの人も、悲しくないはずはないのに、笑って、たくましく、遊び、食事を摂っていました。このたくましさや明るさが復興の原動力のような気がします。津波直後には、二度とリゾートには戻れないと言われたカオラックもリゾートとして見事に復興しました。バンダアチェのザイノエル・アビディン病院はインドネシアで最も近代的な病院として生まれ変わりました。
関西で生まれ育った、私には馴染みがなかったボタンエビのお寿司を生まれて初めて頂いたのは仙台のすし屋でした。初めてサンマの刺身を頂いて、こんな食べ方もあるのかと驚いたのも、今回の被災地です。20年以上前の話です。牡蠣も帆立も東北の太平洋岸は旨い物の宝庫です。「忌」の文化の日本では難しいのかもしれませんし、原発による汚染の問題もあるのかもしれませんが、どんな悲劇があっても睡眠と食事は大切です。なるべく早くに今年の東北のシーフードは最高だぞと笑いながら腹いっぱい頂きたいものです。
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