2012年9月3日月曜日

科学的な根拠に基づく政治 Evidence Based Politics

 2012年8月31日、鹿児島県の医療審議会が開催されました。今回の審議会で鹿屋ハートセンターの医療法人化も議論されることになっていました。まだ、正式な結果は聞いていませんがきっと法人化が認められると信じています。そうなると新井英和個人の個人商店としての鹿屋ハートセンターは、鹿児島県に認可された医療法人鹿屋ハートセンターに生まれ変わります。このブログも、個人商店主として好きなことを書いてきましたが、法人のオフィシャルブログとして好きなことを個人的に書くことはふさわしくないように思えます。ですから、本日をもって鹿屋ハートセンターのオフィシャルブログから、新井英和の個人ブログにすることとします。この制約が取れることでもっと好きなことをかけるような気もします。

早速、個人の立場で、気になっていることを書こうと思います。大阪市長の橋下徹氏が代表を務める大阪維新の会の維新八策最終版で衆議院定数を現在の定数の半数である240に減らすという提案がありました。これに対して現政権与党である民主党の輿石東幹事長から240の定員で民意が反映されるのか心配だというコメントがありました。国会議員にかける税負担を減らそうとするお金の議論を優先するのか、民意を優先するのかの議論です。では、「民意」とは何であろうかと気になっています。

全国民の国民投票で政策を決めるのは大変だからと国民の意見を反映する代議員を選び出すことが総選挙だと思っています。現行の480人は日本国民1億3千万人の民意を反映させるのに十分な数なのでしょうか?1億3千万人の意思を測るのに、480のサンプル数は統計学的に十分なサンプル数と言えるでしょうか。これが無作為に抽出された480のサンプル数であればまだしも、現行の480のサンプル数は無作為ではありません。党の決定に逆らえば公認を得られないかもしれないとか支持母体の意に逆らうわけにはいかないというようなバイアスがかかっている訳ですから、480のサンプル数でも民意を反映するために充分な筈がありません。輿石氏の240では民意を反映できるか心配だという考えには同意できます。更に言えば、バイアスがかかった形態であれば480であっても民意は反映されないと考えるのが妥当かと思います。実際、現在の内閣の政策が民意を反映していると思っている国民は過半数を超えているでしょうか?とてもそうは思えません。240では心配だという輿石氏に現状では480だって心配だよと言いたくもなります。

民意を反映させるために統計学的に正しい方策は、バイアスを排除するシステムを作るか、サンプル数を多くするか、あるいは両者ともに採用することだと思います。諸外国では人口当たりの議員数は何人だとかを考える必要はないのです。純粋に統計学的に考えればよいと思っています。

サンプル数を増やす方策は議員定数を増やすことです。これでは国会議員の歳費が増えるではないかという議論もあり得ますが、仮にサンプル数を20倍にしたら、一人あたりの歳費を20分の1以下に下げれば良い話です。歳費に対する税負担を増やさずにサンプル数を増やして統計学的に正しい民意の反映が可能になります。20倍の議員定数にすると約1万人の衆議院議員です。国会議事堂に一堂に会して議論するわけにはいきませんから、議決はネット投票でしょうか。また、有権者1万人に1人の議員ですから、60%の投票率としてその半数の3000票取れば当選です。選挙費用もかかりません。また、20分の1の歳費ですから約年収150万円です。衆議院議員で生計を立てようとする不埒な輩は立候補もしなくなるでしょう。いいことづくめです。

一方でバイアスを排除する方策は何でしょうか?何故、議員は公認を求めるのでしょうか。おそらく政党交付金を原資とする選挙費用を所属する政党に求めるからだと思われます。経済的なしがらみがなければ政策で結びつくのが政党となり、意見は異なるが金が欲しいために党に留まるという選択はなくなります。政党交付金もなく、党は民意を反映させるために議員個人の意見を縛らないという形であればバイアスは相当に解消される筈です。

上記二つの方法を選挙の基本とすると今よりはもっと正しく民意は政策に反映されると思います。正しく民意を反映させるということを基本原則とした場合、解答は統計学にある筈です。すると政党は何のために存在するのか、何を成すための徒党であるのかを問い直さざるを得なくなります。こんな科学的な根拠に基づいた政治は夢物語でしょうか?


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