そんやつ、おらんやろーというのは大木こだま・ひびきの有名なギャグですが今日はそんなやつおらんやろーという話です。
2013年9月16日付当ブログ「実質0円というまやかし」の中でiPhone4sを使い続けるよりもキャリアを変え5sに変更したほうが得みたいだと書きました。前回はau継続、docomoへのMNPの2社の比較でしたのでsoftbankのショップにも聞いてきました。
ニュースでも下取りがあるなどと言っていましたし、図2のようにsoftbankのwebsiteでもMNPのお客様にはスマホ下取り割があると書いてあります。2年間にわたって-1000円ですから今後2年間の支払いは24000円減るわけで大きな割引だと期待していました。しかし、ショップの店員に聞くとソフトバンクの携帯は下取りするが、他社の携帯は下取りしないと言われます。MNPを求める他社のユーザーがsoftbankの携帯を持っているはずがないので、ショップの店員は何も知らなくて困ると思い、softbankに電話してごらんとお話ししました。するとsoftbankのiphone担当という方も同じことを言われます。図4の店頭で配っているチラシにもMNPで下取り割があると記載され、チラシにはsoftbankの携帯しか下取りしないとは書いていないので、担当の方にあなたも勉強しないといけませんよとお話ししました。
そして本日、softbankのカスタマーセンターからお電話を頂きました。sodtbankの携帯しか下取りしないというのがルールだとやはり言われます。他社からMNPで来る人がsoftbankの携帯を持っているはずもないのにMNPで下取りするというのは誇大ないし虚偽の広告ではないかとお話ししたところ、以前にsoftbankの携帯を使っておられ、MNPで他社に変わった後、また帰ってくる人ならsoftbankの携帯を持っているのだからそういう人には書いてある通りに下取りします、だから虚偽でも誇大でもありませんと言われました。
かつてのsoftbankユーザーでスマホを所有しており、他社にMNPで移って、また古いスマホを持ってsoftbankに帰ってくるなんて人がいるのでしょうか?
そんなやつ、おらんやろー って思います。まあ仮にそんな変わった人がわずかにいても、そのわずかな人のためにwebsiteで大々的にキャンペーンを張り、チラシを配るのでしょうか?
不当景品類及び不当表示防止法という法律があります。その第4条には下記のように書いてあります。
次の各号のいずれかに該当する表示をしてはならない
二 商品又は役務の価格その他の取引条件について、実際のもの又は当該事業者と同種若しくは類似の商品若しくは役務を供給している他の事業者に係るものよりも取引の
相手方に著しく有利であると一般消費者に誤認される表示であつて、不当に顧客を誘引し、一般消費者による自主的かつ合理的な選択を阻害するおそれがあると認められるもの
まさにこの第2号に該当する表示だと思います。
そんな人もいる筈だから嘘じゃありませんというカスタマー担当やsoftbankに腹が立ちます。しかし、それでもdocomoにMNPで移るよりも割安なので契約した私にも腹が立ちます。他社より割安なのだから、こんな誘引策で消費者を欺いて怒らせるよりもこんなキャンペーンをしなければよいのにと思います。
できもしない期待を煽って顧客を裏切ることで、期待を煽る側も失うものは少なくありません。他山の石としなければなりません。
注: おおきこだま・ひびきさんの図は下記のブログから引用しました。お断りをブログに残してきましたが、主様から駄目よと言われれば削除する予定です。
http://gockygocky.jugem.jp/?month=200712
2013年9月27日金曜日
2013年9月22日日曜日
共に働いた仲間と彼らの成長が私の人生の最大の宝物です。
私が専門とする冠動脈のカテーテル治療の分野はその創成期からライブデモンストレーションという、実際に行う手技をみんなが見ながら勉強するという手法で発展してきました。PCIを始められたGruentig先生の頃からです。現在もライブデモンストレーションは盛んで日本中であるいは世界中で頻繁に開催されています。このライブデモンストレーションコースにはFacultyと呼ばれる役員が選出されておりそのFacultyに選出されることは名誉でもありますし、一人前に認められた証のような面もあります。
かつて一緒に働いた仲間がその病院を退職して他の病院に移動した後、年間数百件のPCIを独立した術者・部長としてされるようになりました。 彼も一人前の術者として認知され、大きなライブデモンストレーションコースのFacultyにと声をかけられました。しかし、それは実現しませんでした。元いた病院のかつての上司が「あんな奴をFacultyにするな」と反対されたからです。こうしたケースはあまり聞いたことがありませんでした。問題のある先生がFacultyに選出されたとしてもライブでの発言などに問題があれば自然に淘汰されるからです。数百件のPCIを行う術者を話も聞かずに拒絶することはあり得ないと思っていました。更に私が知る限り彼はまともな術者でした。
こんな風に共に働いた仲間をその転勤後に悪く言ったり足を引っ張ったりする医師や組織は現実に存在します。品性に問題があるのではないか等と思ったりします。
昨日 9/21にこうしたこととは全く逆のことがありました。私は1994年から2000年まで福岡徳洲会で勤務し、考えがあり鹿屋に志願して転勤しました。私が福岡徳洲会病院に転勤する前である1991年からの福岡徳洲会のPCI件数の推移が下段の図です。私が転勤する前までは80-90件のPCI件数であったものが私の着任後に250、400、480件と件数は急速に増えました。その後 鹿屋への転勤に伴って後の部長を現在の部長である下村先生にお願いしましたが、彼は私が築いたもの以上のチームを作り上げてくれました。2005年にはPCI件数は1000件を超え、国内の件数では10位以内にランクされるチームを作り上げてくれたのです。当時 彼はまだ30歳代で全国で最も若い1000件のチームの部長でした。
その彼が昨日、熊本で開催されている心臓病学会に合わせて私が福岡に勤務していた頃の仲間を集めてOB会を開催してくれたのです。その中で私をメインのゲストにしてくれ1時間の講演をさせて頂きました。私が着任した頃には研修を終わったばかりだった先生もその多くが色々な施設で部長になりました。下村先生は副院長です。福岡大学の講師になった西川先生は来年のCVIT九州地方会の会長です。上段の共に働いた仲間が実施するPCI件数の合計は年間に2000件を超えると思います。彼らの力で一人前になったことは間違いがありませんが彼らが若かった頃に部長として共に働いたことは私の誇りでもあります。そうした場を作ってくれた下村先生の品格に感動しました。彼の今のチームには巣立っていった仲間もずっと通い続けています。彼が26歳で私と共に働き始めてその品格と努力と実力で、はるかに私を超える存在になり、私の一番弟子だと言うのも恥ずかしいくらいです。
成長し、共に働いた時間を大切に思ってくれる仲間の存在があり、幸せな気分です。彼らのさらなる成長のために私に、もし役割があれば精一杯の応援や援助をしたいと思います。彼らを私の人生の宝だと思える品性を持ち続けたいものです。
かつて一緒に働いた仲間がその病院を退職して他の病院に移動した後、年間数百件のPCIを独立した術者・部長としてされるようになりました。 彼も一人前の術者として認知され、大きなライブデモンストレーションコースのFacultyにと声をかけられました。しかし、それは実現しませんでした。元いた病院のかつての上司が「あんな奴をFacultyにするな」と反対されたからです。こうしたケースはあまり聞いたことがありませんでした。問題のある先生がFacultyに選出されたとしてもライブでの発言などに問題があれば自然に淘汰されるからです。数百件のPCIを行う術者を話も聞かずに拒絶することはあり得ないと思っていました。更に私が知る限り彼はまともな術者でした。
こんな風に共に働いた仲間をその転勤後に悪く言ったり足を引っ張ったりする医師や組織は現実に存在します。品性に問題があるのではないか等と思ったりします。
昨日 9/21にこうしたこととは全く逆のことがありました。私は1994年から2000年まで福岡徳洲会で勤務し、考えがあり鹿屋に志願して転勤しました。私が福岡徳洲会病院に転勤する前である1991年からの福岡徳洲会のPCI件数の推移が下段の図です。私が転勤する前までは80-90件のPCI件数であったものが私の着任後に250、400、480件と件数は急速に増えました。その後 鹿屋への転勤に伴って後の部長を現在の部長である下村先生にお願いしましたが、彼は私が築いたもの以上のチームを作り上げてくれました。2005年にはPCI件数は1000件を超え、国内の件数では10位以内にランクされるチームを作り上げてくれたのです。当時 彼はまだ30歳代で全国で最も若い1000件のチームの部長でした。
その彼が昨日、熊本で開催されている心臓病学会に合わせて私が福岡に勤務していた頃の仲間を集めてOB会を開催してくれたのです。その中で私をメインのゲストにしてくれ1時間の講演をさせて頂きました。私が着任した頃には研修を終わったばかりだった先生もその多くが色々な施設で部長になりました。下村先生は副院長です。福岡大学の講師になった西川先生は来年のCVIT九州地方会の会長です。上段の共に働いた仲間が実施するPCI件数の合計は年間に2000件を超えると思います。彼らの力で一人前になったことは間違いがありませんが彼らが若かった頃に部長として共に働いたことは私の誇りでもあります。そうした場を作ってくれた下村先生の品格に感動しました。彼の今のチームには巣立っていった仲間もずっと通い続けています。彼が26歳で私と共に働き始めてその品格と努力と実力で、はるかに私を超える存在になり、私の一番弟子だと言うのも恥ずかしいくらいです。
成長し、共に働いた時間を大切に思ってくれる仲間の存在があり、幸せな気分です。彼らのさらなる成長のために私に、もし役割があれば精一杯の応援や援助をしたいと思います。彼らを私の人生の宝だと思える品性を持ち続けたいものです。
2013年9月16日月曜日
実質0円というまやかしを何故 当たり前にニュースで流すのでしょうか?
私は1954年生まれです。高度経済成長期を学生と過ごし、社会人になって日本のバブル期を経験しました。バブル期には必要がないものまで浪費するような人たちを身近に見ました。しかし、幼少期に物を大事にしなさいと言われたことはどうしても自分の思考から消えません。使えるものであれば大事に使おう、必要もないのに買い替えるのはもったいないというのが考え方の基本です。鹿屋ハートセンターも間もなく開設丸7年が経過します。リース契約も終了し再リースで使い続ければ年間のリース料負担は10分の1ですから随分と楽になります。それを見て新しく機器を更新したらいかがですかと営業してくるメーカーさんも少なくないですが、現行の機器が使い物にならないあるいは新製品の機能が著しく向上しているというのでなければ無駄な機器の更新はしないつもりです。
私が今使っている携帯電話はiPhone4sです。2年前から使っています。携帯各社が同様に行っている2年縛りが終了し更新の時期が来月に迫っています。2年間、機器の代金を支払ってきたと思っていたので更新後には毎月の負担がいくらに減るのかショップに行って聞いてきました。ホームページには新しく購入する人や機種変更の人に負担は説明してありますが更新後にはいくらになるか書いていないように思ったからです。ショップの答えは2年契約の更新後も月々の負担は同じというものでした。
私の契約しているauでは
私のiphoneは4s 32Gですが機種を変更せずに契約を更新した場合
今後2年間の負担は170,832円とのことです。
これを5c 32Gに機種変更すると
今後2年間の負担は4sの下取りを引いて172,888円とのことでした。
わずかに2,000円の差です。
過去2年間は機種代金を割り引いていただけで2年間で170,832円は妥当な通信費ということでしょうか?全く違うと思います。実質0円という名目で販売し、通信費で回収するというビジネスモデルとしか考えられません。通信費に機種代金が上乗せされており、なおかつ機種代金を回収した後も、同額をその後も取り続ける仕組みだと思うと、こんなビジネスが許されるのかと思います。
docomoにも聞いてきました。
5c 32Gで今後2年間の支払総額は165,192円
5s 32Gで今後2年間の支払総額は175,272円とのことでした。
物を大事に使うよりも機種もキャリアも更新した方が得なようです。
図はdocomoで機種を一括購入した際の月々の負担だそうです。この場合、月々の負担は機種代金の24分の1だけ安くなっているので、実質0円といっても機種代金を通信費に上乗せしていますよということがよく分かります。であるならば機種代金を支払い終わった2年後も同様に機種代金を上乗せしていない通信費で利用できるのでしょうか?
新しく5sや5cが発表された際に5cは99ドル等と報道されました。しかしこの価格は米国でも2年間の契約をした際の価格で本体価格ではありませんでした。このような形で報道するならば新しいiphoneは日本では0円で販売すると報道するのでしょうか。実質0円というのはまやかしです。
子供の頃、「物を大切にしなさい」と同時に両親に教えてもらった言葉があります。「ただほど高いものはない」です。
2013年9月13日金曜日
Xience prime stent植込み後2か月でOCT検査を行いました。 内皮化が完成しています。
Fig. 1 Two months after Xience prime stent implantation |
「今回は胃薬を出しておいてください」と言われても私は安請け合いをしていません。最近内視鏡検査を受けたかを聞いて、受けている方には処方しますが、受けていない方にはまず内視鏡検査をお勧めしています。すると続々と胃癌の方が見つかります。また「便秘薬を下さい」という方にも同様です。下部内視鏡検査をお勧めしています。OCT像を示した図の方も便秘を訴えられたので内視鏡検査をお勧めした方です。悪性疾患が見つかりました。この方は2か月前に薬剤溶出性ステントを植え込んだばかりの方です。わずか2ヶ月で抗血小板剤を中断して手術をしていただいても良いのかと思いましたが、最近の薬剤溶出性ステントでは内皮化が早く完成すると言われているので本日OCTで評価しました。ほぼすべてのストラットで内皮で覆われていました。もちろん、だからといって抗血小板剤を中断してステント血栓症が起きないという保証はありませんが可能性は低いと判断しました。手術を受ける施設も近くなのでなにかあればすぐに対処するように考えています。
この1ヶ月で悪性疾患の手術を控えて、OCT検査を実施した方はこの方で3例目です。今年になって10例以上です。その中でこの方が植込み後 最も早い段階で見つかった方です。早く見つかったことで良い将来が来ることを祈っています。ステントの内皮化が完成しており、手術の邪魔になりそうではないので幸いでした。
注 この方は悪性疾患の存在を告知されており、ステント植込み後2か月で手術可能か否かを断言できる医師はいないのでこの2か月後のOCT像をUPさせて頂いても良いかとお聞きし、了解を得ました。
2013年9月10日火曜日
胸痛の自覚があり、受診される方と受診されない方 運命を分ける行動
鹿屋ハートセンターがある鹿児島県大隅半島の最大の河川は肝属川です。きもつきがわと読みます。大隅半島は日本一 養鰻業が盛んな土地ですが、肝属川の河口もウナギシラスがかつてはよく採れたそうです。しかし、最近は汚染が進み、時に九州で最も汚染の進んだ一級河川と言われることもあります。地元でも汚染を何とかしようと定期的に地元の有志が集まって肝属川クリーン作戦と呼ぶ清掃作業を行っておられます。
今年のクリーン作戦に参加していた方が亡くなったと聞きました。作業中から胸が痛いと言われていたそうです。その話を知ったのはやはりクリーン作戦に参加されていた方が時々 胸が痛いと受診されたからです。身近でそんなことを見たので心配になったとのことでした。その方の冠動脈CTが図です。左冠動脈前下行枝に中等度の狭窄がありプラーク内への造影剤の染みだしを認めます。閉塞には至らないプラーク破裂と考えました。抗血小板剤であるバイアスピリンとカルシウム拮抗剤、スタチンを処方しました。禁煙もお願いしました。また内服していても胸痛があればすぐにニトログリセリンを舌下すること、強い胸痛があれば夜半でもハートセンターに電話連絡するように本人と奥様に説明しました。きっとうまくプラークを安定化させることができると思っていますし、万一、大きな発作があってもすぐに連絡して下されば対処できると思っています。
時々、胸痛があるという方の生死を分けるものは心配して受診するか否かだと思っています。胸痛の自覚があったにもかかわらず受診されずに亡くなった方、その方を見て受診された方でその後の運命は大きく変わります。どんなに優れた医師であっても受診してくれない方を治療することはできません。医師が心筋梗塞を治療して救命率を上げる努力をするよりも、本人が前駆症状の段階で受診することで救命率は向上します。心配して受診することが大切なのです。
冠動脈CTのなかった時代に冠動脈のプラーク破裂を見つけるのは簡単ではありませんでした。しかし、現在は本当に簡単になりました。人口10万人の鹿屋市内には4つのPCIができる施設があります。64列CTを持つ医療機関は5施設です。2000年まで医療過疎と言われた大隅半島はいまや国内でも最も循環器診療が濃厚に提供される土地に変わりました。この環境を活かして国内でも最も循環器診療に関して安心できる土地を作り上げたいものです。提供する側の準備は万端です。あとは受診する皆さんの行動次第です。
今年のクリーン作戦に参加していた方が亡くなったと聞きました。作業中から胸が痛いと言われていたそうです。その話を知ったのはやはりクリーン作戦に参加されていた方が時々 胸が痛いと受診されたからです。身近でそんなことを見たので心配になったとのことでした。その方の冠動脈CTが図です。左冠動脈前下行枝に中等度の狭窄がありプラーク内への造影剤の染みだしを認めます。閉塞には至らないプラーク破裂と考えました。抗血小板剤であるバイアスピリンとカルシウム拮抗剤、スタチンを処方しました。禁煙もお願いしました。また内服していても胸痛があればすぐにニトログリセリンを舌下すること、強い胸痛があれば夜半でもハートセンターに電話連絡するように本人と奥様に説明しました。きっとうまくプラークを安定化させることができると思っていますし、万一、大きな発作があってもすぐに連絡して下されば対処できると思っています。
時々、胸痛があるという方の生死を分けるものは心配して受診するか否かだと思っています。胸痛の自覚があったにもかかわらず受診されずに亡くなった方、その方を見て受診された方でその後の運命は大きく変わります。どんなに優れた医師であっても受診してくれない方を治療することはできません。医師が心筋梗塞を治療して救命率を上げる努力をするよりも、本人が前駆症状の段階で受診することで救命率は向上します。心配して受診することが大切なのです。
冠動脈CTのなかった時代に冠動脈のプラーク破裂を見つけるのは簡単ではありませんでした。しかし、現在は本当に簡単になりました。人口10万人の鹿屋市内には4つのPCIができる施設があります。64列CTを持つ医療機関は5施設です。2000年まで医療過疎と言われた大隅半島はいまや国内でも最も循環器診療が濃厚に提供される土地に変わりました。この環境を活かして国内でも最も循環器診療に関して安心できる土地を作り上げたいものです。提供する側の準備は万端です。あとは受診する皆さんの行動次第です。
2013年9月4日水曜日
症状を繰り返すためやむなく小血管のPCIを行いました。
2013年8月初めに左前下行枝近位部の90%狭窄に薬剤溶出性ステントの植え込みを行った方です。退院後1ヶ月の間に4回のNTG舌下が有効な胸痛がありました。1回は冷汗も伴いました。このため造影したのが上段の図です。
#6にはもちろん再狭窄はなく#12の更に分岐にのみ90%狭窄を認めます。これは前回のLADに対するPCI時と同様の所見です。前回の造影時にこの病変の認識はありましたが小血管でありPCIを全く考慮しませんでした。多少、胸痛があったとしても私の場合、小血管にはPCIをしないことがほとんどです。2.25㎜のDESが使えるようになり、小血管でもDESの優位性を示す文献も出てきていますが、小血管同士の分岐部にDESを置いて本当に再狭窄を最小化できるか疑問に思っています。
2013年4月7日付当ブログ「2.25㎜の薬剤溶出性ステントのリリースに際して考えること」に記載したように私は最終拡張目標径が2.5㎜の血管に2.25㎜のDESを植え込むことは想定していても2.25㎜で終わろうとか、2.0㎜にするべく低圧で置こうということは現時点で想定していません。また。2.5㎜未満の径のBMSの成績も期待できないので最初からPCIをしないというのが基本的な考えです。
とはいえ1か月間で4回もNTG舌下が有効な胸痛があり心配して予定外来日よりも早く来られた方を流石に放置できません。PCIをすることにしました。ステントを置くならどうするか、#12の中の分岐部をどう処理するかなどを考えましたが一晩考えて出した結論はバルーンだけで終わるという方針です。
小径の冠動脈に対するPOBAですから予想される再狭窄の頻度は小さくありません。勝手な印象ですが。こうした小血管は再狭窄を繰り返してもそのうちに症状も出なくなると思っています。そんな印象通りの経過を期待してPOBAだけで終了です。
#6にはもちろん再狭窄はなく#12の更に分岐にのみ90%狭窄を認めます。これは前回のLADに対するPCI時と同様の所見です。前回の造影時にこの病変の認識はありましたが小血管でありPCIを全く考慮しませんでした。多少、胸痛があったとしても私の場合、小血管にはPCIをしないことがほとんどです。2.25㎜のDESが使えるようになり、小血管でもDESの優位性を示す文献も出てきていますが、小血管同士の分岐部にDESを置いて本当に再狭窄を最小化できるか疑問に思っています。
2013年4月7日付当ブログ「2.25㎜の薬剤溶出性ステントのリリースに際して考えること」に記載したように私は最終拡張目標径が2.5㎜の血管に2.25㎜のDESを植え込むことは想定していても2.25㎜で終わろうとか、2.0㎜にするべく低圧で置こうということは現時点で想定していません。また。2.5㎜未満の径のBMSの成績も期待できないので最初からPCIをしないというのが基本的な考えです。
とはいえ1か月間で4回もNTG舌下が有効な胸痛があり心配して予定外来日よりも早く来られた方を流石に放置できません。PCIをすることにしました。ステントを置くならどうするか、#12の中の分岐部をどう処理するかなどを考えましたが一晩考えて出した結論はバルーンだけで終わるという方針です。
小径の冠動脈に対するPOBAですから予想される再狭窄の頻度は小さくありません。勝手な印象ですが。こうした小血管は再狭窄を繰り返してもそのうちに症状も出なくなると思っています。そんな印象通りの経過を期待してPOBAだけで終了です。
ラベル:
PCI strategy
2013年9月1日日曜日
私の志向を決定づけた三角形 59歳の誕生日に思う
昨日 8月31日は59回目の誕生日でした。2年前の誕生日に書いた当ブログ「あっという間に57歳です」を見た福岡済生会病院の芹川先生から44歳の頃は何をしていましたかと尋ねられたので「若き志士たる医師の活躍」を書き、その中で私の尊敬する恩師である入野忠芳先生のことを書きました。そんなことを思い出していたらまた、入野先生のことを思い出してしまいました。
1979年に医師になった私が初めて就職した病院の副院長が入野先生でした。院長は退官教授が名誉職的に就任された方でしたので実質的な院長です。医師になったばかりの私に医師として意識すべき三角形の話を入野先生はしてくれました。図です。
学問を追求するばかりで患者のことを考えなければ、人体実験に走ったりなどという間違った医学者になってしまう。一方、患者のために頑張ると言っても医学的な知識や技術を伴わずに患者に向き合えば志は高くても患者を傷つけてしまう。また、どんなに学問的に優れ、患者中心の医療と言ってもそれを支える経済的なバックボーンがなければ絵空事だというような教えでした。私の医師としての35年を振り返れば、1年目に入野先生から聞いたこの三角形をいつも意識し軌道修正してきた35年であったように思います。
1994年に福岡徳洲会病院の循環器部長として九州に来た頃、福岡都市圏一番のPCI施設を作り上げようと意識していました。そのためには学会でのポジションが大事だと考えありとあらゆる学会や研究会で発表し、発言してきました。インターベンション学会や循環器学会はもちろん、AHA等でも発表を行いました。三角形の上の頂点を意識して行動していたのです。39歳です。
しかし、入野先生の三角形が心の深いところにあったからでしょう。対馬との出会いがあり私の方向性が変わりました。インターベンション学会の評議員になり、いずれ理事になり、学会やライブを主催するのだと思っていた気持ちが薄れ、学会の頂点を目指したとしても対馬の患者も鹿屋の患者も救われないではないかと考え、遠隔PTCAの試みや鹿屋への転勤など底辺の右側の頂点に志向は変化しました。その頃、福岡徳洲会病院循環器科のホームページに「私は頂点ではなく底辺を目指す、何故なら頂点は1点であるが底辺は広大だからだ」等と書いたことを思い出します。44歳頃です。
今思えば、若くて思慮が足りないなどと自分自身で恥ずかしく思います。頂点が尊いと書こうと思えば頂点が高ければ高いほど誰からも見ることができるのだというように表現することも可能です。なんとでも表現は可能で、頂点も底辺もともに尊いというのが正しいのだと59歳の今は思います。
鹿屋ハートセンターを立ち上げて7年です。PCIの枠の外に置かれた地方を放っておけないと始めた鹿屋での仕事も経営的にも安定し、志した仕事は曲がりなりにも実行できていると思っていますが、志は高くても提供しているものが低いということになっていないかと恐れています。そんな気持ちで勉強もし、学会にも顔を出すように心がけています。上の頂点を疎かにしてはいけないという気持ちが高まっているのです。とはいえ、もう学会でのポジションなどと考える年齢でもありませんし、それなりの勉強をし、それなりの役割が果たせれば良いかなと思っています。
そんな中で、来年のCVITの地方会を福岡大学の西川宏明先生が会長を務めることを知りました。私が福岡徳洲会病院の部長であった時にともに働いた先生です。一緒に働いた頃はまだ30歳ほどであったと記憶しています。駆け出しのPCI術者でしたが成長し、対馬にも行ってもらった先生です。
私個人が評価され高みを目指すことよりも、ともに働いた仲間が高みに登り底辺を拡大しという形の方が、35年間意識してきた三角形をより大きくします。共通の価値観を持つ仲間が評価され、高みに登り活躍することを素直にうれしく思い、誇らしく思います。私の志向を呪縛してきた入野先生の三角形は、私個人の呪縛ではなくなりより大きな三角形を形成するのだと思えます。
私に三角形の呪縛をかけた頃の入野先生はまだ37歳だったと記憶しています。若くして亡くなられたがゆえにその存在はもう傷つくことはありません。老醜を晒すことがなく、その意思が継承されてゆきます。入野先生の遺産を私が継承し大きくできたかどうかについては自信がありませんが、また次の世代に継承され発展してゆくことを意識して行動し役割を果たせれば、入野先生を裏切らないだろうと思えます。
「俺が俺が」と言うよりも仲間が作りあげる大きな三角形が楽しみです。
1979年に医師になった私が初めて就職した病院の副院長が入野先生でした。院長は退官教授が名誉職的に就任された方でしたので実質的な院長です。医師になったばかりの私に医師として意識すべき三角形の話を入野先生はしてくれました。図です。
学問を追求するばかりで患者のことを考えなければ、人体実験に走ったりなどという間違った医学者になってしまう。一方、患者のために頑張ると言っても医学的な知識や技術を伴わずに患者に向き合えば志は高くても患者を傷つけてしまう。また、どんなに学問的に優れ、患者中心の医療と言ってもそれを支える経済的なバックボーンがなければ絵空事だというような教えでした。私の医師としての35年を振り返れば、1年目に入野先生から聞いたこの三角形をいつも意識し軌道修正してきた35年であったように思います。
1994年に福岡徳洲会病院の循環器部長として九州に来た頃、福岡都市圏一番のPCI施設を作り上げようと意識していました。そのためには学会でのポジションが大事だと考えありとあらゆる学会や研究会で発表し、発言してきました。インターベンション学会や循環器学会はもちろん、AHA等でも発表を行いました。三角形の上の頂点を意識して行動していたのです。39歳です。
しかし、入野先生の三角形が心の深いところにあったからでしょう。対馬との出会いがあり私の方向性が変わりました。インターベンション学会の評議員になり、いずれ理事になり、学会やライブを主催するのだと思っていた気持ちが薄れ、学会の頂点を目指したとしても対馬の患者も鹿屋の患者も救われないではないかと考え、遠隔PTCAの試みや鹿屋への転勤など底辺の右側の頂点に志向は変化しました。その頃、福岡徳洲会病院循環器科のホームページに「私は頂点ではなく底辺を目指す、何故なら頂点は1点であるが底辺は広大だからだ」等と書いたことを思い出します。44歳頃です。
今思えば、若くて思慮が足りないなどと自分自身で恥ずかしく思います。頂点が尊いと書こうと思えば頂点が高ければ高いほど誰からも見ることができるのだというように表現することも可能です。なんとでも表現は可能で、頂点も底辺もともに尊いというのが正しいのだと59歳の今は思います。
鹿屋ハートセンターを立ち上げて7年です。PCIの枠の外に置かれた地方を放っておけないと始めた鹿屋での仕事も経営的にも安定し、志した仕事は曲がりなりにも実行できていると思っていますが、志は高くても提供しているものが低いということになっていないかと恐れています。そんな気持ちで勉強もし、学会にも顔を出すように心がけています。上の頂点を疎かにしてはいけないという気持ちが高まっているのです。とはいえ、もう学会でのポジションなどと考える年齢でもありませんし、それなりの勉強をし、それなりの役割が果たせれば良いかなと思っています。
そんな中で、来年のCVITの地方会を福岡大学の西川宏明先生が会長を務めることを知りました。私が福岡徳洲会病院の部長であった時にともに働いた先生です。一緒に働いた頃はまだ30歳ほどであったと記憶しています。駆け出しのPCI術者でしたが成長し、対馬にも行ってもらった先生です。
私個人が評価され高みを目指すことよりも、ともに働いた仲間が高みに登り底辺を拡大しという形の方が、35年間意識してきた三角形をより大きくします。共通の価値観を持つ仲間が評価され、高みに登り活躍することを素直にうれしく思い、誇らしく思います。私の志向を呪縛してきた入野先生の三角形は、私個人の呪縛ではなくなりより大きな三角形を形成するのだと思えます。
私に三角形の呪縛をかけた頃の入野先生はまだ37歳だったと記憶しています。若くして亡くなられたがゆえにその存在はもう傷つくことはありません。老醜を晒すことがなく、その意思が継承されてゆきます。入野先生の遺産を私が継承し大きくできたかどうかについては自信がありませんが、また次の世代に継承され発展してゆくことを意識して行動し役割を果たせれば、入野先生を裏切らないだろうと思えます。
「俺が俺が」と言うよりも仲間が作りあげる大きな三角形が楽しみです。
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