2014年1月31日金曜日

私のPCIのキャリアは長いのに、Lacrosse NSEを本日初めて使用しました。

 息切れを表現する言葉は「はぁはぁ」が一般的でしょうか。鹿児島では「せくせくする」とか「せっせする」などと表現されることが一般的です。着替えなどの軽労作で「せっせしている」とご家族が連れてこられました。図1のCTで左冠動脈近位部に石灰化を伴った高度狭窄を認めます。

図2はPCI前の造影ですが偏心性の高度狭窄です。普段はAd hocでPCIをすることが多いのですがこの方はAd hoc PCIをしませんでした。石灰化した偏心性病変の患者さんでバルーンが拡張できるだろうかとか拡張できないだけで解離だけが起きて閉塞させステント植込みもできない等と言う状況にならないだろうか等と危惧したからです。

PCIのライブなどで石灰化病変の治療が焦点になるケースでは、ロータブレーターが実施できない施設からのコメンテーターの先生はよくスコアリングバルーンを使うなどと言われます。私はスコアリングバルーンを使った経験がなかったのです。なぜならロータブレーターがベストだけれどもロータブレーターを使用できないからスコアリングバルーンで治療するという発想がなかったからです。ロータブレーターがベストならロータブレーターができる施設に紹介すべきだと考えているからです。宮崎市内にロータブレーターの上手なS先生がおられるのでこんな風に考えるのかもしれません。

しかし、診断カテから日を改めて治療を考えていてスコアリングバルーンを使おうと考えました。もちろんバルーンが通過しなければ宮崎に紹介するつもりでしたが、低圧で拡張し大きな解離を作らずに前拡張でき、その後にステント植込みをするのが良いと考えたのです。

図3はスコアリングバルーンの前後のIVUSで、図4は前後の造影です。思っていた以上に大きくきれいに拡張できました。使用したバルーンはLacrosse NSEです。バルーンによる拡張後にXience Xpeditionを植え込んで良い仕上がりになりました。綺麗に拡張できたのは石灰化が主に外側にあり、血管内では強くなかったからだと思っています。

どうせ前拡張してステントを植込むのだから多少の解離は関係ないと思っていましたが、このようなケースにはいいのだと再認識です。

とはいえ、ロータブレーターの代わりにはならないだろうという気持ちには変化はありません。



2014年1月30日木曜日

「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」の成立以後、考えさせられます

 私は1979年に医師となり、1980年から循環器医になりました。その頃の心臓カテーテル検査の教科書には70歳以上ではカテーテル検査は禁忌であると記載されていました。また、他の教科書にはニトログリセリンを舌下して効果があるうちは様子を見て、効果がないような胸痛が出てきたら専門医に紹介しなさいなどと記載されていました。現在の考え方とは全く異なります。70歳を過ぎたらもう死んでも良いだろうという考え方をする医師などいないでしょうし、ニトロが効く胸痛こそ専門医に診せるべきだと誰もが考えています。なぜ、30年でこのように考えが変わったかと考えれば、狭心症など虚血性心疾患が治療可能な病気になったからです。PCIも広く普及しバイパス手術の敷居も下がったからだと思います。いよいよ悪くなるまで待たずに治療した方が良いに決まっています。

 冠動脈の治療が一般的ではなかった頃、「あなたは狭心症で爆弾を抱えているようなものだから注意しなさい」等と説明する医師をよく見かけました。私は患者に何を注意しろというのかと疑問に思っていました。言われた患者さんも困ったことだと思います。何に注意し、何を避け、何をなすべきかを示さなければ注意してくださいね等という言葉は空しいだけです。

 こんなことを思い出したのは「低血糖症状を起こすことがあるので、高所作業、自動車運転等に従事している患者に投与する時には注意すること」という添付文書上の「使用上の注意」の改定をMRさんが持ってこられたからです。医師に注意をしろと言っているのでしょうか、注意しなさいと患者さんに説明しろということなのでしょうか?

このような添付文書の改訂は、「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」の成立以後に行われるようになってきました。この法律成立以後の添付文書の改訂には、主に2通りあります。一つは前述の「投与する時には注意すること」というものと。もう一つは「めまい、ふらつき、低血糖があらわれることがあるので、本剤投与中の患者には、自動車の運転等危険を伴う機械の操作に従事させないように注意すること」と、従事させないようにしなさいという厳しいものです。

軽いほうの注意が記載されている循環器分野の薬剤には「サンリズム」や「プロノン」といった抗不整脈剤があり、きびしい方の「従事しないように注意すること」と記載されている薬剤としてはやはり抗不整脈剤の「シベノール」があります。シベノールで低血糖を起こすことがあるので厳しい方に入っているのでしょうか?しかし、経口糖尿病薬は「投与する時には注意すること」という軽い注意だけです。循環器分野ではありませんが「従事しないように注意すること」という厳しい注意がなされている薬剤には「ハルシオン」や「マイスリー」といった睡眠導入剤があります。睡眠導入剤を内服している方には日中も運転しないように注意しなさいと記載されています。

薬剤の影響で自動車運転で人を死傷させた場合、新しい法律では重罪として罰せられます。最高刑は12-15年の懲役と理解しています。医師が注意をしていたにもかかわらずその注意を守らずに事故を起こした場合、運転者の責任は大きくなります。一方で医師が注意していなかったとしたら運転者は知らなかった訳ですから責任は軽くなり、注意しなかった医師の責任が問われると思われます。

医師は事故の被害者になるであろう市民や自らを守るために、患者さんに注意をしなければなりません。自ら運転するしか移動手段を持たない患者さん、特に鹿屋のような公共交通機関のない町に住む患者さんはどうすれば良いのでしょか?生活のために運転すれば注意されたにもかかわらず危険を承知で運転した悪意の運転者になります。経口糖尿病薬を内服している、抗不整脈剤を内服している、睡眠導入剤を内服している、抗てんかん剤、抗うつ剤を内服しているなど医師が注意すべき患者さんは国内に何人いるのでしょうか?糖尿病患者が1千万人いることを考えれば数千万人でしょうか?国民の少なくない人数が悪意の犯罪者の予備軍になってしまいます。

避けられる事故を減らし、なおかつ病を得て内服していることで悪意の犯罪者になってしまう方たちを救う方法はないのでしょうか。

医師出身の国会議員も在籍する参議院ではこの法律は全会一致で可決成立しました。

2014年1月29日水曜日

Cockcroft-Gaultの式のような単純な計算式で腎機能を評価し新規抗凝固薬を使用することへの不安

 心房細動患者における脳塞栓症の発症を抑えるためにかつては抗凝固療法に使える薬剤はワーファリンだけでした。しかし、3年前から新規抗凝固薬(NOAC)が使えるようになりました。国内で使える薬剤はダビガトラン(プラザキサ)、リバーロキサバン(イグザレルト)、アピキサバン(エリキュース)の3剤です。しばらくすると4剤目のエドキサバンが使えるようになる見込みです。

 この新規抗凝固薬ですがいずれも腎機能低下例においては脳内出血をはじめとする出血のリスクが高まることが知られています。このためいずれの薬剤も腎機能によっては使用が禁忌になったり、減量しなさいという使用基準が定められています。この際、腎機能を測る指標はCockcroft-Gaultの式に血清クレアチニン値を入れ、計算されたクレアチニンクリアランス値を用います。(図1)分子に体重が来るので体重が2倍になれば計算されるクリアランス値は2倍になります。一方で血清クレアチニン値は分母に入るのでクレアチニン値が2倍になればクリアランス値は1/2になります。いたって単純な計算式です。

一方、慢性腎臓病の概念が提唱され、早期から慢性腎臓病に介入することで心血管系の合併症を減らそうという考えもあります。この際、腎機能を図る指標はeGFR(計算された糸球体濾過量)です。

心不全で56歳の方が入院してこられました。171㎝、111㎏と高度肥満です。発症時期不明の心房細動です。高血圧と心不全ですからCHADS2スコア2点で抗凝固療法が必要です。クレアチニン値は1.34と高値です。これでは新規抗凝固薬は使えないと計算する前に思ったのですが図1に示すように計算されたCCrは97mlです。どの薬剤でも禁忌にはなりませんし、減量基準にも合致しません。しかし日本腎臓学会の計算式でeGFRを計算すると35ml/minですからCKD3bです。添付文書に従えば減量する必要はないもののCKD3bの方に使用して大丈夫かと心配になります。ちなみにHAS-BLEDスコアは高血圧、肝機能障害で2点です。

図1の下に計算したのは想像上の患者さんです。ただこのような方はよくおられます。高齢で低体重の方です。仮にクレアチニン値が1.0だとするとCCrは26ml/minでほぼすべてのNOACで禁忌となります。しかし、eGFRは58ml/minと上段の方と比べると腎機能は保たれているということになります。

添付文書通りに処方をすればよいのでしょうか?そこに医師の疑問や心配が介在しなければ薬剤の処方はコンピューターがすれば良いとも言えます。ガイドライン通りにいかないケースが存在し、心配したり考えたりするのが医師の仕事だと思っています。

図2は腎臓病学会のeGFRの測定の根拠となるデータを示した図ですが、実際に測定されたGFRと計算されたeGFRはよく一致していますが、図2の左の実際に測定されたGFRと計算されたCCRでは計算されたCCRの方が高くなっています。またこの図には年齢や体重の要素は入っていませんが、低体重の高齢者では計算されたeGFRは実際に測定したGFRより高く示されることが知られています。

腎機能がクレアチニン値と直線的に反比例したり、体重と直線線的に比例したりする方が不自然です。極端な肥満や低体重の場合、計算されたクレアチニンクリアランスで単純にNOACを処方するのは危ないような気がします。

この方の抗凝固療法にはワーファリンを使用することにしました。

2014年1月20日月曜日

長いびまん性の病変にあえて長いステントを使用せず、短いステント2本で仕上げました。

1964年の東京オリンピック時に私は10歳でした。初めて教室にテレビが持ち込まれ教室でオリンピックを観戦しました。記憶にあるのはヘーシンクに 神永昭夫が決勝で負けたことでしょうか。ただ今思えばその試合が授業時間にあったのか定かではありません。インパクトの強かったニュースをその場で見たように思い違いしているだけかもしれません。

 その頃、スーパーマーケットはほとんどなく、近くの商店街で買い物をするのが常でした。お使いを頼まれ味噌などを買いに行く時には袋にパックされた味噌などありませんでしたから桶の上で山になっている味噌を量り売りで売ってもらっていました。お砂糖なども量り売りだった記憶です。

 本日のケースは10年以上の糖尿病歴があり、近医で冠動脈CT検査を受け、強い石灰化があるからと精査を勧められた方です。Fig. 1、Fig. 2に示すように右冠動脈入口部の高度狭窄と、回旋枝のびまん性の狭窄を認めました。それぞれにステント植込みを行い、上手く治療できました。(Fig. 3、Fig. 4)

 右冠動脈入口部の治療ではその高い再狭窄率を少しでも低くするために入口部からごくわずかにステントを出すように神経を使いました。

 一方、回旋枝の場合にはステントを持ち込めるかを心配していました。左冠動脈主幹部から90度以上の角度で分岐しているだけではなく石灰化し、また狭窄もあるからです。バックアップを強くするためにEBUを使用し、前拡張の後のステント植込みは12㎜と15㎜の2本のステントを用いました。サイズは2.25㎜です。最終の拡張径は2.5㎜のつもりです。合計27㎜長のステント植込みですから28㎜1本でステント植込みを実施できれば医療費は節約可能です。一方で、28㎜で挑戦し持ち込めなかった場合、次に2本のステントを用いれば合計3本のステント使用となりコストは増大します。こうした屈曲した石灰化病変を越えてのステント植込み時には長いステントよりも短いステントの方が通過性は確実に優れています。ですから最初から2本に分ける戦術としました。結果、上手くいきましたが、27㎜長であれば1本で良かったのではないかと保険者からケチを付けられないかと心配です。(と言ってもある程度覚悟の上ですが…)

ステント1本で27㎜をカバーしても、2本でカバーしても患者さんが受ける恩恵は同じです。同じ効果の治療を受けるのであれば、同じコストで良いではないか等と思ったりします。ステントの量り売りです。何本のステントを使用したかではなく、何㎜をカバーしたかで診療報酬を決めれば良いのになどと思います。1㎜で1万円でこのケースだと27万円です。この価格だと現状より大幅に安くなってしまうので1mmで1.3万円で35万円くらいが妥当でしょうか。この方式だと診療報酬を下げるためにと最近よく使われる長いステントは不要になります。メーカーもラインナップを増やすことによる在庫コストも圧縮できますし、PCIの術者も査定を恐れて無理に長いステントを使用しなくて済みます。患者さんも無理な手技での合併症のリスクを回避できます。

こんなことが実現するはずがないと十分に承知しています。1960年代のビジネスモデルが現代に通用するはずがありません。しかし、より安く治療を完結しろというプレッシャーの中で、患者も術者もより大きなリスクを抱えていることも現実です。コストとアウトカムのバランスがもう少し改善しないかと思うばかりです。


2014年1月15日水曜日

電脳時代以前の手間のかかる読書も捨てたものではないとふと思います

 本日は午後から時間があったので床屋に行ってきました。今、話題の「永遠の0」は、舞台が鹿屋なので床屋談義でも話題になります。映画は観たかとか百田尚樹の小説は読んだか等です。そんな話のあと、髪を洗ってもらうために目を閉じていると、過去の読書体験を思い出しました。

 私の読書スタイルを決定づけたのは小学生時代に母親が買ってくれた小学館の「少年少女 世界の名作文学」です。監修は川端康成です。はまりました。夜寝る前に読み、目が覚めると登校前に読みといった具合です。なにか読みたい小説があったり作者がいたりではなく、手当たり次第に読むという感じです。今のように人から聞いたり話題になっている小説を購入したりというスタイルでは予期せぬ出会いは起こり得ませんが、文学全集では予期せぬ出会いばかりです。スティーブンスの「宝島」もデフォーの「ロビンソンクルーソー」もマーク・トウェインの「トム・ソーヤの冒険」もデュマの「三銃士」もユゴーの「ああ無情」もヴェルヌの「十五少年漂流記」もこの全集で読みました。目的を持たずに向かい合うからこそ出会えるものがあります。

 中学生時代によく「読んでいた」のは平凡社の世界百科事典です。何か目的があって調べるのではなく「あ」から順番に読んでいくのです。調べるのは決まった作者の小説を読むのと同じで、予想外の出会いはありません。百科事典を読むと予期しない知識との出会いがあり、百科事典を読むという習慣も続きました。しかしこの百科事典も2007年版が最新ですし、全34巻を購入すると28万円余りと高価です。Wikipediaではぱらぱらと読んでゆくという訳にもいかないので偶然の知識との出会いはありません。

 予期しない小説との出会い、予期しない知識との遭遇、予期しない人物との交流など刺激に飢えているんだと床屋で気がつきました。

 平凡社の2007年版の百科事典はセイコーインスツルの電子辞書内に収録されておりこれなら5万円程です。この電子辞書でぱらぱらと目的もなく百科事典が読めるのなら購入しようか等と考えます。

 「検索」もせず、下調べも予備知識もないままに、街を彷徨い、文字の中を漂うのもきっと悪くないと思えてなりません。

2014年1月3日金曜日

鹿児島県の大学進学率は11年続けて全国最下位であったそうです。鹿児島県の将来が心配です。

「一年の計は元旦にあり」と言われるように、お正月だからとめでたいとばかり言っておられません。今後一年をどう過ごすのかを考える節目です。

本日(2014.1.3)の南日本新聞で気になる記事を読みました。各都道府県別で見た大学進学率ですが、11年連続で鹿児島県が最下位であったそうです。東京都の半分以下の進学率です。一方、高校卒業者の県外への就職率は全国1位だそうです。大学に進学せずに、県外に高卒で出てゆく人が多い鹿児島県に将来はあるのでしょうか?

大学に進学しなければ将来がないとは思いませんが、やはり大卒と高卒ではその給与は平均すると大卒が高いものと考えられます。県内に高卒でも就職する機会が少なく、低い給与で他県に就職する若者が流出します。少子化という人口の自然減だけではなく社会減が問題になります。

こんな話題を家族で話し合っていると、息子がそういえばあまり勉強しても仕方がないと言われたことがあるというのです。大卒よりも高卒の方が職を得やすいのだと言われたそうです。大学進学率が60%を超える東京ではきっとありえない発想です。地元の企業も他県の企業も低賃金労働者を求めており、それに応える方が良いという発想です。

幕末期、島津斉彬は薩摩藩の殖産興業のために集成館事業を立ち上げます。日本最初の洋式産業群です。また藩校である造士館の改革に取り組みます。殖産興業と教育を通じて藩威を高め、ひいては国家に貢献するという発想です。そうした背景を持ち、明治維新における薩摩藩の大きな役割が成立したと理解しています。それから150余年を経て鹿児島県の発想はどうしてこのように鈍化したのでしょうか?

教育における今日の努力が明日には報われるということはあり得ません。教育の振興に取り組んでもその効果が表れるには10年、20年あるいは50年もかかるかもしれません。若者が他県に流出し、11年も大学進学率最下位を続けている鹿児島県における教育の振興と高学歴者を必要とする産業の育成は焦眉の急と思えてなりません。

2014年1月2日木曜日

石を磨いて玉にする手間を惜しんではならないと肝に銘じましょう

2014年を迎えました。

2014年は私にとって還暦を迎える年です。鹿屋ハートセンターも8回目のお正月を迎えました。
今年は鹿屋ハートセンター開設以来初めてお休みをいただきました。このお休みを利用し、ハートセンター開設以来どこにも連れて行ってやれなかった息子に初めての海外旅行を経験させようと計画しました。とはいえ最も近い韓国です。鹿児島空港からインチョンへの直行便で約1時間です。

インチョンに着き、入国手続きを済ませ日本円を現地通貨に換え、あえてタクシーは利用せず、バスの乗り場を探し予定のホテルに辿り着きました。いづれ成人し、自分で海外に行くということがどのようなことかを自分で経験させても良いのですが、親バカなのでしょう。こんな風にするのだよと見せたかったのです。

やはり韓国は近いです。その近さゆえ、福岡も鹿児島もアジアに目を向けアジアへの玄関口としての優位性を発揮しようなどという話をよく聞きます。しかし、私はこの発想に懐疑的でした。たかだか飛行機で15-30分しか変わらない距離で魅力の乏しい土地が、魅力あふれる東京や大阪にかなう筈がないと思っていたのです。もし、アジア諸国への窓口として発展を期待するのなら大事なことは距離よりも魅力だと思っていました。

2013年、鹿児島県にはこのテーマに関わる問題が起きました。鹿児島-上海線を維持するために。県が県職員をこの路線に県費で搭乗させ、搭乗率を維持することで廃線を防ごうとしたことが問題になりました。この県の方針も、魅力のない路線を維持するために県費で県職員を乗せたところで維持できる筈もなく、「焼け石に水」だと思っていました。大事なことは路線の魅力ですから、そんなことに県費を費やすのなら魅力を高めるためにその経費を使うべきだと思っていました。

そうした感覚は、今日、韓国から帰ってきてより確かになりました。余ったウォンを鹿児島で両替しようと思っていたのですが鹿児島空港の両替所はお正月ということでお休みでした。驚きました。かつてはお正月や深夜に海外の空港に居たことは少なくありませんでしたが、両替所のない空港を初めて見ました。韓国からの旅行者は鹿児島空港について驚き、困ったことでしょう。日本に着いてから両替しようと思っていた旅行者はどのようにして目的地に向かったのでしょう。私であれば、そんなことで困った経験をすれば2度とそんな国やそんな土地に行きたくないと感じるだろうと思いました。アジアへの玄関口を目指すと言い、大枚の県費を費やした鹿児島県の空港には外貨を両替する窓口はお正月にはないのです。そんな疎漏がある土地がアジアの玄関口になれる筈はありません。

目標を持ち、それを実現するために必要なことはお金だけではありません。時には鳥瞰も必要でしょうし、時には蟻が這うような視線も必要です。「焼け石に水」にならないように、石を玉(ぎょく)にするためには手間や時間をかけた磨く作業が必要です。その手間をかけずに県費で職員を搭乗率維持のために上海に派遣するような事業は全く無駄だと再認識です。

この事例だけではなく、石を玉にするためには手間を惜しんではならないと肝に銘じましょう。わずかな疎漏が玉を台無しにします。新年を迎え、新たな教訓を得たことを良しとするお正月です。