2014年1月15日水曜日

電脳時代以前の手間のかかる読書も捨てたものではないとふと思います

 本日は午後から時間があったので床屋に行ってきました。今、話題の「永遠の0」は、舞台が鹿屋なので床屋談義でも話題になります。映画は観たかとか百田尚樹の小説は読んだか等です。そんな話のあと、髪を洗ってもらうために目を閉じていると、過去の読書体験を思い出しました。

 私の読書スタイルを決定づけたのは小学生時代に母親が買ってくれた小学館の「少年少女 世界の名作文学」です。監修は川端康成です。はまりました。夜寝る前に読み、目が覚めると登校前に読みといった具合です。なにか読みたい小説があったり作者がいたりではなく、手当たり次第に読むという感じです。今のように人から聞いたり話題になっている小説を購入したりというスタイルでは予期せぬ出会いは起こり得ませんが、文学全集では予期せぬ出会いばかりです。スティーブンスの「宝島」もデフォーの「ロビンソンクルーソー」もマーク・トウェインの「トム・ソーヤの冒険」もデュマの「三銃士」もユゴーの「ああ無情」もヴェルヌの「十五少年漂流記」もこの全集で読みました。目的を持たずに向かい合うからこそ出会えるものがあります。

 中学生時代によく「読んでいた」のは平凡社の世界百科事典です。何か目的があって調べるのではなく「あ」から順番に読んでいくのです。調べるのは決まった作者の小説を読むのと同じで、予想外の出会いはありません。百科事典を読むと予期しない知識との出会いがあり、百科事典を読むという習慣も続きました。しかしこの百科事典も2007年版が最新ですし、全34巻を購入すると28万円余りと高価です。Wikipediaではぱらぱらと読んでゆくという訳にもいかないので偶然の知識との出会いはありません。

 予期しない小説との出会い、予期しない知識との遭遇、予期しない人物との交流など刺激に飢えているんだと床屋で気がつきました。

 平凡社の2007年版の百科事典はセイコーインスツルの電子辞書内に収録されておりこれなら5万円程です。この電子辞書でぱらぱらと目的もなく百科事典が読めるのなら購入しようか等と考えます。

 「検索」もせず、下調べも予備知識もないままに、街を彷徨い、文字の中を漂うのもきっと悪くないと思えてなりません。

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