循環器医として心臓の救急に携わっていると避けて通れない救急の状態があります。来院時心呼吸停止(CPAOA)です。今はほぼ一人でやっている有床診療所なので、複数の医師で蘇生するよりも蘇生する率が低くなるだろうと考え、CPAOAの方は救急隊の方により大きな病院に直接搬送するようにお願いしています。もちろん、院内で発生する心呼吸停止には対応しますが、ここ数年救急蘇生を必要とするような急変を鹿屋ハートセンターでは経験していません。急変させない診療を心掛けているつもりです。
若い頃、数日前から胸部に違和感を自覚していたのにCPAOAで来られた方を診療し、蘇生できなかった時に「どうしてもっと早くに連れてこなかったのだ」とご家族を責めたものでした。しかし、ある時からはこのようにご家族を責めることはしなくなりました。他人の医師に言われなくてもあの時に病院に受診すればよかったとご家族も思っているに違いないからです。また、責めたところで亡くなった方が生き返る訳でもありません。責めていたのは蘇生できなかった自分を慰めるための言い訳であったような気がします。
全ての生命に死は訪れます。助かる可能性のある疾患や状態に立ち向かうのは医師として当然です。しかし、最期を迎えた時に、ご家族を更に悲しませる必要はありません。家族として精一杯のことができたと死を受け入れて頂くのも医師の仕事のように思います。もちろん、早くに受診していれば助かったようなケースでは、生き残ったご家族も同じ失敗をしないように「…すれば良かったかもね」くらいのお話はします。それは亡くなった方がその死をもってご家族に伝える最後の教訓でもあるからです。胸がおかしいと思いながら病院に受診しなかった自分の轍を踏むなよと死者が伝えるのであって医師がどうして早く受診しなかったのだと責めることではないと思っています。
女優の川島なお美さんが亡くなって、抗がん剤治療を受けるべきだったとか民間療法に頼るべきではなかったとか様々な考えがネット上で言われています。文芸春秋11月号では近藤誠氏が、手術を受けなければもっと生きられたと書かれています。
自分がセカンドオピニオンであれ少しでも関わった方の死を見て、手術しなければよかったなどと発言するのは誰のためでしょうか?ご家族はそれを聞いて更に悲しみや後悔が深まるのではないでしょうか。診療した患者さんの診療内容を公にすることも医師としての倫理観の欠如だと思いますが、ご遺族を更に悲しませるこのような記事を書く人の人格を疑います。
亡くなった方はその後に自分の死を評価できません。よく生き、よき死を迎えることができたと悲しみを昇華させなければならないのはご家族です。近藤誠氏はそんな医師としての基本も持たない人だったのかと思います。関わった患者さんの死に接しての言い訳でしょうか?であるならば自分の言い訳のためにご家族を鞭打つ姿勢を軽蔑します。
最高の生き方をし、最高の選択をし、最高の死を迎えられたに違いないとご家族にエールを送りたいと私は思っています。
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