2015年4月17日のブログに書いた方の血管エコーです。
左そけいで脈が触れないことからその中枢部に狭窄があることは検査をせずともわかることですが、エコーでも中枢側に狭窄があることが明白です。
図上段の狭窄部の流速は加速しておりPSVは350㎝/sを超えます。ただこの狭窄部位の同定は総腸骨動脈の起始部から順に血管エコーをして導き出したものではありません。
図中段のカテーテル治療前の浅大腿動脈の血流波形ですが、本来の3相波ではなく1相になっています。これは中枢側の高度狭窄のパターンですからこの時点で触診なしでもこの部位よりも中枢に狭窄があることが判明します。
図下段はカテーテル治療後の血流波形です。きれいな3相波ではないですが一応3相波になっています。
エコーの短軸像でarea stenosisを算出することよりも加速血流や、血流波形で臨床的にあるいは病的に意味のある所見かが見て取れます
かつては冠動脈においても75%狭窄だからカテーテル治療が必要だとかバイパス手術が必要だとかの判断をしましたが、、現在では単純な狭窄度よりも機能的にあるいは生理的に問題を起こしているかの判断も重要視されます。Physiological PCIのような概念です。
自覚症状、身体所見、狭窄度のような画像診断、機能的な評価の組み合わせで、より質の高い治療実施の判断、治療の成果を得なくてはなりません。
Tuesday, April 21, 2015
Friday, April 17, 2015
患者さんの訴えと身体所見で分かること、画像診断にとらわれて失ってはいけないこと。
間欠性跛行を主訴とする患者さんの紹介を受けました。お話をうかがうと数メートル歩くだけで左足が痛くなると言われます。紹介状には血管エコーで左のSFAが72%狭窄でCFAが50%狭窄であったと記載されています。またABIは0.5と低値ですと記載されています。
最初にこの紹介状を見た時に違和感を感じました。この程度の狭窄でABIが0.5まで低下するのだろうか、この程度の狭窄でこんなにも強い症状が発現するのかという違和感です。添えられていたCT画像がFig. 2です。左のSFAに中等度狭窄を認めるのみです。なんか変だという違和感は添えられた画像で余計に高まります。
入院して頂き、再度血管エコーをして違和感はすぐに解消しました。エコー上、加速血流を認める部位は左の総腸骨動脈の最も近位部です。触診でも左のそけい部の脈は触れません。紹介状に記載されている部位よりももっと中枢側に病変はありました。改めてCT画像を見るとちょうどその部位だけが画像再構成されていません。CTで画像を作らなかった部位に狭窄があり、また血管エコーでもその部位の検索がなされていなかったのです。
左総腸骨動脈の最も近位部、右との分岐近くの高度狭窄との術前診断でカテーテル治療を行いました。エコーガイドで左のそけい部を穿刺し、逆行性にワイヤーを上げ、バルーンで拡張、ステントを置いて治療はうまくいきました。対側からの治療にせず、同側から逆行性に治療したり理由は、その方がステントの位置決めが容易だからです。Fig. 3 Fig. 4
非常に強い症状がある訳ですから閉塞ないし閉塞と同等の高度狭窄がある筈です。また手でそけい部を見れば、脈が触れなかった訳ですから、病変部位はそけいより近位部にある筈です。ここまでは何も検査しなくても診断できることです。であればCTや血管エコーの所見で近位部の評価が欠落していればそこを追究するのがリーダーである医師の責任だと思います。
強い症状がある、そけいで脈が触れないといった、自覚症状と身体所見だけでほとんどの診断がつくものが、診察室に届けられる検査所見だけで判断したミスであったと思われます。
画像診断が洗練され、画像や技師さんが届けてくれる所見だけに依存しているとこうしたミスを犯します。やはり、自覚症状、身体所見を大事にし、検査所見との整合性を考えなければなりません。
CTなどの画像を見て患者さんを見ないこと、画像診断の発展でやりがちな陥穽です。自分自身に対する戒めともしましょう。
最初にこの紹介状を見た時に違和感を感じました。この程度の狭窄でABIが0.5まで低下するのだろうか、この程度の狭窄でこんなにも強い症状が発現するのかという違和感です。添えられていたCT画像がFig. 2です。左のSFAに中等度狭窄を認めるのみです。なんか変だという違和感は添えられた画像で余計に高まります。
入院して頂き、再度血管エコーをして違和感はすぐに解消しました。エコー上、加速血流を認める部位は左の総腸骨動脈の最も近位部です。触診でも左のそけい部の脈は触れません。紹介状に記載されている部位よりももっと中枢側に病変はありました。改めてCT画像を見るとちょうどその部位だけが画像再構成されていません。CTで画像を作らなかった部位に狭窄があり、また血管エコーでもその部位の検索がなされていなかったのです。
左総腸骨動脈の最も近位部、右との分岐近くの高度狭窄との術前診断でカテーテル治療を行いました。エコーガイドで左のそけい部を穿刺し、逆行性にワイヤーを上げ、バルーンで拡張、ステントを置いて治療はうまくいきました。対側からの治療にせず、同側から逆行性に治療したり理由は、その方がステントの位置決めが容易だからです。Fig. 3 Fig. 4
非常に強い症状がある訳ですから閉塞ないし閉塞と同等の高度狭窄がある筈です。また手でそけい部を見れば、脈が触れなかった訳ですから、病変部位はそけいより近位部にある筈です。ここまでは何も検査しなくても診断できることです。であればCTや血管エコーの所見で近位部の評価が欠落していればそこを追究するのがリーダーである医師の責任だと思います。
強い症状がある、そけいで脈が触れないといった、自覚症状と身体所見だけでほとんどの診断がつくものが、診察室に届けられる検査所見だけで判断したミスであったと思われます。
画像診断が洗練され、画像や技師さんが届けてくれる所見だけに依存しているとこうしたミスを犯します。やはり、自覚症状、身体所見を大事にし、検査所見との整合性を考えなければなりません。
CTなどの画像を見て患者さんを見ないこと、画像診断の発展でやりがちな陥穽です。自分自身に対する戒めともしましょう。
Wednesday, April 8, 2015
発表される数字に対するリテラシーを高めることは医師の責務のように思えます
図上段は、本日2015年4月8日に配信されたYahoo Newsです。横浜市立中学の元校長がフィリピンで25年間に未成年の少女を含む1万2千人の"買春"を行ってきたという記事です。少女を買春しその行為をデジカメで撮影しファイルに整理していたというこの人物を弁護する気は全くありませんがこの記事を見た時になんか変だなと感じました。うるう年の366日の年を考慮しなければ365日×25年は 9125日です。この25年間、ずっとフィリピンに滞在していた訳ではないようですからこの9000日をきっと大きく下回る日数で1万2千人もの買春が可能なのかという疑問です。1日に3人も4人も買春すれば可能かもしれませんが、ありうる話なのかと疑問に思います。元外務省の官僚である佐藤優氏の著書でも、スパイとして情報提供する人物で最も困るのが金銭を要求する人物で、金銭の要求に限度がないからだと言います。酒や異性を要求する人物のその要求には限度があるので対処しやすいという文章があったのを思い出します。このように性的な欲求には限度があるにもかかわらずこの1万2千人という数字をそのまま受け入れても良いのでしょうか?私は記事にする記者が、簡単に受け入れることができない数字だと考え検証したうえで配信すべきだと思います。
下段の図は、今年2月に日本家族計画協会が発表した日本人の累積性交経験者が5割を超えるのは29歳だと誤報した発表を検証した、TBS Radioの荻上チキSession 22のWeb siteです。この日本家族計画協会の発表の中には26歳から29歳の性交経験率は77%という記事もあったにもかかわらず、累積が50%を超えるのは29歳であったと矛盾した発表も併せて行われました。この矛盾に気づいた番組スタッフから日本家族計画協会に問い合わせが行き、日本家族計画協会も間違いを認めました。しかし、訂正されるまでに大手の報道機関、毎日新聞や時事通信がこの間違った29歳という数字を記事にしていました。
大本営発表をそのまま報道した戦前の報道機関のように現在の報道機関も公の機関から示された数字を検証しないまま記事にしてしまう事があるようです。少し数字を見つめながら考えれば浮かんでくるであろう疑問が浮かばずに受け入れてしまうことを怖いと感じます。今風に言えばリテラシーが欠如している記者が大手メディアで情報を拡散する危険と言えるかと思います。そうしたいい加減を含む記事に惑わされないために読者である私たちもメディアリテラシーを高めなければと思います。
ある医学研究会で、演者の先生が平均85歳の患者群に対してAという治療を行ったところ、その後の死亡率は年率2%であったと言われました。であれば対象となった患者すべてが死亡するまでに50年が必要であり、135歳まで生きる人が存在するのかということになります。しかしこんなことがある筈がありません。1年間、経過を見て死亡率は2%であったということと、等しく年率2%の死亡率であるということは全く異なる概念です。こうした発表される数字を見て誤解することは医師のデシジョンメーキングの中にも多々ありうることのように思えます。
発表される数字を真に受けずに検証する力、解釈する力、その数字を活かす力を身に着けなければなりません。発表される数字に対するリテラシーを高めることはエビデンスの世界で生きる医師の責務です。報道機関は訂正記事を書けば済むかもしれませんがリテラシーの低い医師の誤解は患者さんにとって取り返しのつかない結果を招いてしまうからです。
下段の図は、今年2月に日本家族計画協会が発表した日本人の累積性交経験者が5割を超えるのは29歳だと誤報した発表を検証した、TBS Radioの荻上チキSession 22のWeb siteです。この日本家族計画協会の発表の中には26歳から29歳の性交経験率は77%という記事もあったにもかかわらず、累積が50%を超えるのは29歳であったと矛盾した発表も併せて行われました。この矛盾に気づいた番組スタッフから日本家族計画協会に問い合わせが行き、日本家族計画協会も間違いを認めました。しかし、訂正されるまでに大手の報道機関、毎日新聞や時事通信がこの間違った29歳という数字を記事にしていました。
大本営発表をそのまま報道した戦前の報道機関のように現在の報道機関も公の機関から示された数字を検証しないまま記事にしてしまう事があるようです。少し数字を見つめながら考えれば浮かんでくるであろう疑問が浮かばずに受け入れてしまうことを怖いと感じます。今風に言えばリテラシーが欠如している記者が大手メディアで情報を拡散する危険と言えるかと思います。そうしたいい加減を含む記事に惑わされないために読者である私たちもメディアリテラシーを高めなければと思います。
ある医学研究会で、演者の先生が平均85歳の患者群に対してAという治療を行ったところ、その後の死亡率は年率2%であったと言われました。であれば対象となった患者すべてが死亡するまでに50年が必要であり、135歳まで生きる人が存在するのかということになります。しかしこんなことがある筈がありません。1年間、経過を見て死亡率は2%であったということと、等しく年率2%の死亡率であるということは全く異なる概念です。こうした発表される数字を見て誤解することは医師のデシジョンメーキングの中にも多々ありうることのように思えます。
発表される数字を真に受けずに検証する力、解釈する力、その数字を活かす力を身に着けなければなりません。発表される数字に対するリテラシーを高めることはエビデンスの世界で生きる医師の責務です。報道機関は訂正記事を書けば済むかもしれませんがリテラシーの低い医師の誤解は患者さんにとって取り返しのつかない結果を招いてしまうからです。
Wednesday, April 1, 2015
冠攣縮性狭心症の患者さんをみて考えること
Fig. 1 |
Fig.1はエルゴノビンで誘発したスパスムです。右室枝の末梢から完全閉塞です。この時、患者さんには胸痛の自覚はありませんでした。Fig. 2はニトロの冠注後1分、Fig. 3は2分、Fig. 4は3分、Fig. 5は5分後の造影です。完全閉塞の断端が徐々に末梢に移動しています。あるいは近位部から順次スパスムが解除されていきます。患者さんは3分後位にようやく少し胸の違和感を自覚されました。
この日からスパスムの予防のためにカルシウム拮抗剤であるジルチアゼム(ヘルベッサー)を処方し、以後、主訴となった胸痛はありません。
Fig. 2 |
この患者さんはカルシウム拮抗剤でコントロールできない難治性のスパスムではないので考える必要はありませんでしたが、カルシウム拮抗剤でコントロールできない冠攣縮性性狭心症の方にステント植込みを行ったという症例報告は国内外から数多く、報告されています。私はこの考え方に否定的です。あくまで冠攣縮性狭心症は、器質的な狭窄が強くない限り薬物でコントロールすべき疾患だと考えているからです。
この例が難治性であった場合、ステントを植込み部位はどこになるのでしょうか。器質的な狭窄の存在する右室枝の末梢でしょうか。スパスムは#3にも#4にも起きているわけですからこの部位だけの植え込みでは間に合いません。ではステントだらけにするのでしょうか?そんな治療が良いとはとても思えません。
Fig. 3 |
Fig.4 |
冠攣縮性狭心症は、ステントではなく薬剤と丁寧な説明で治療する疾患です。
Fig. 5 |
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