Monday, March 14, 2016

手が語るもの、失った指が奏でるもの

 私の生業である冠動脈のカテーテル治療ですが、もちろん「手」を使ってする仕事です。しかし、手の器用・不器用よりも大事なことは頭で考えることです。患者さんの状態の把握、冠動脈の評価、治療の要否、治療の戦略の構築、使用する道具の特性の理解、合併症発生時に慌てないためのシミュレーション等、頭で行う作業があって治療は成功に導かれます。ただ頭が重要だといっても「手」がどうでも良いわけではありません。カテーテル治療の分野にはそんなに「手」の動きに象徴的なものはありませんが、上手な手術医の「手」の動きをみると、その「手」から十分に準備された自信や、経験が垣間見えます。「手」から伝わるものが存在します。

上段の図は「ゴースト ニューヨークの幻」のコインの場面です。ゴーストとなったサムの存在を信じられないモリーがサムが動かす1セントコインを見て存在を確信します。印象に残る「手」のシーンでした。

「手」のことをこんな風に考えたのは音楽座ミュージカル「泣かないで」を昨日3月13日に観てきたからです。誤診でハンセン病の病院に行くことになった「森田ミツ」が、誤診と分かった後も病院で働き続ける物語です。遠藤周作の「私が・棄てた・女」が原作です。

私は学生時代に岡山のハンセン病療養所 長島愛生園を訪ねたことがあります。治療の必要ない入園者は長屋のような居宅を持っておられ、そこで生活されていました。40年近く前です。「らい予防法」が廃止されるまでまだ20年が残されていました。自治会の役員の方のお住まいに泊めて頂き夕食を共にしました。夕食の副菜は覚えていませんが、アサリの味噌汁とご飯はよく覚えています。夕食用にと一緒に潮干狩りのように海岸でアサリを採ったのです。ハンセン病では指の感覚障害のために痛みを感じないことが多く気づかないままにおった外傷が原因で指が無くなってゆくことがあります。この自治会の方もそうでした。最初、お会いした時にはげんこつを握っているのかと思ったのですがよく見ると指が無くなりげんこつのようになっていたのです。その指のない手で熊手を使わずにアサリを採られるのでもっと傷つくと心配したものです。また、げんこつのような手で米をとぎ夕食とされました。翌日 帰る時に、「医者になってもまた来いよ」と声をかけてくださいました。感染することはまずないと当時も考えられていましたが、やはり感染を恐れて訪ねてきてくれたり夕食を共にする人は少ないのだと言っておられました。ことさらに指のない「手」を見せつけ、この「手」で作った飯を食えるのかと試されていたのだろうと感じました。言葉ではなく「手」で語っていたのです。

「泣かないで」には元ピアニストであった「森田ミツ」の同室者が登場します。包帯をはずし、ない筈の指を伸ばしピアノを奏でます。ない筈の指に何が込められているのでしょう。希望に満ちた過去でしょうか、失った未来でしょうか、舞台を見守る人一人一人がその指を観て何かを感じる大事なシーンです。私はこのシーンで長島愛生園でのアサリとご飯を思い出していました。

「医者になってもまた来いよ」と言われて40年近くが経過しました。まだ再訪していないことに後ろめたさを感じます。その頃の役員さんが生きているはずもありませんがやはり心に残ります。ただ鹿屋にもハンセン病の療養所 星塚敬愛園があります。演劇を通じて患者と医師との新たな関係を作れないかとお付き合いの始まった「音楽座ミュージカル」です。存在しない指が語る物語を、失った指が奏でる音楽を鹿屋で伝えられないかと妄想が止まりません。

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