イタリアで医師不足に対処するために、医師資格試験を免除し、試験前の医学生を医師として現場に投入するというニュースを目にしました。2つの驚きでした。
一つはこの新たに投入される医学生の数が約1万人という点です。人口が日本の半分の約6000万人のイタリアの新卒医学生が1万人もいるのかという点です。日本では最近2つの医学部が新設され1学年の定員は増えましたがそれでも9300人程度です。日本の人口当たりの医学生の数は医師不足と言われるイタリアの半分ということになります。
もう一つの驚きは、医師資格試験に合格していないものを医師として現場に投入するという政府の決定そのものです。日本でも戦前・戦中の医師不足に対処するために医学専門学校(旧制医専)が作られました。今回の決定は、医師の質よりも数が必要だという戦時の発想です。そこまでイタリアは追い込まれているのかと改めて思いました。
図は前回のものを少しアウトブレークに合わせて修正しました。災害と異なり、需要の増加が短時間で終息しないこと、供給も経時的に低下することを荒っぽく表現しました。医療の需要を超えないようにピークを抑制させる施策としてイベントの自粛や外出の自粛をするのだと言われました。そのような図も盛んにTVなどで紹介されました。これは、供給が減少しないことが前提です。前回も書きましたが、中国でもイタリアでも日本でも医師や看護師などの感染は少なくありません。であれば、流行に伴って供給も減少してしまうことを意味します。死に至った医療者の補給には何年もかかります。アウトブレーク終息後も、亡くなった医療者が担っていた医療の供給は低下したままです。
医者は患者のために24時間働いて当然だという患者さんも決して少なくはありません。数日前から具合が悪かったが、仕事が忙しかったのでと言って、夜中や休日に受診される方もおられます。何日も前から具合が悪かったのなら、時間外や休日でなくても受診できたでしょなどとそんな方に話をすると、医者は患者の都合に合わせて働くのが当然だなどといわれます。医療者も生身の人間です。そこを理解して上手に社会のインフラである医療を利用しないと、医療の需給バランスが崩壊し、医療者だけではなく医療を利用する患者も困ってしまうのです。
医療者だけではありません。自衛隊も警察も消防も私たちの社会のために必要なインフラであり限られた資源に他なりません。税金で食っているのだから納税者である国民のために24時間働いて当然だという発想は蛸が自らの足を食うような発想です。今回の新型コロナ禍を通じて、このような公共のインフラの持つ意味をもう一度考え、上手に有効に、こうした公共サービスが維持される社会に成長できたなら、このコロナ禍も悪いだけではない経験になるのかと思っています。
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