2011年3月15日火曜日

課題の大きさと自分の能力を計り、責任ある判断をするのが医師やリーダーの仕事である

Fig. 1 Emergency surgery with flashlight at Banda Aceh in 2005

Fig. 2 Prime Minister's Office in Sri Lanka
現在の鹿屋では年間に700-750件のPCI[が実施されています。これは人口10万人当りの数で言えば、国内で2位か3位の数になります。国内では最もPCIの普及が進んでいる街です。しかしこの状況はわずかこの10年で構築されたものです。10年前には全国に47ある都道府県の47の人口2位の町の中では唯一、PCIが実施できない町でした。

10年前にPCIを必要とする急性心筋梗塞患者が発生すると錦江湾を渡って鹿児島市内に搬送するしかありませんでした。このため搬送中に亡くなる方もおられ、現地でなんとかPCIができる体制を作ろうと、私が鹿屋に転勤したのが2000年でした。日本で最も遅れた土地から、日本で最も進歩した街へ一気に10年で変化したわけですから心筋梗塞治療のパラダイムシフトが起きたと表現可能です。

Fig. 3 Discussion with Minister for Disaster in Sri Lanka
10年前の急性心筋梗塞治療のテーマは如何に安全で迅速な搬送ができるかでした。その後のテーマは如何に鹿屋市内で迅速に治療するかに変化したわけです。めったに発生する事態ではありませんが2例の急性心筋梗塞が同時に発生した場合はどうでしょうか。現在では複数ある鹿屋市内の循環器施設にお願いすればよいことです。更に稀なことですが鹿屋市内の医療機関も手一杯で受け入れが不可能な事態にはどう対処すべきでしょうか。10年前と同様に鹿児島市内に搬送するか、優先順位を付けてお一人には待ってもらって連続して治療するかの選択です。PCIが一般に1時間足らずで終了することを考えれば、搬送に2時間を要する鹿児島市内への搬送よりも待っていただくほうがより安全だと言えます。ですから正解は搬送よりも待っていただいて鹿屋で順次治療するほうが良いということになります。

このように緊急事態には、できることとできないことを常に天秤にかけてより有利な選択をするように心がけます。待っていただいているうちに命を失うことがあったとしても、より救命の蓋然性が高い策を選択するのが医師の務めです。鹿屋ハートセンターには1台の呼吸器と1台のIABPしか備えがありません。それでも滅多に使用する機会はありません。昨日のようにIABPを使用する機会が発生した場合、緊急時の予備がない状態が発生しているわけですから、この状態ではもう一人の待機的な重症患者の治療には手を出さないことが鉄則です。備えができる次の機会まで待てばよいのです。このように何か生命に関わる治療を実施する場合、今持っている資源や能力を知り、自らが手を下すべきか、他に委ねるか、時期を変えるかといった判断を常にしなければなりません。

Fig. 1は2004年12月のスマトラ沖地震で被災したバンダアチェのZainoel Abidin病院での手術の様子です。2005年3月です。アチェ州最大の病院であるZainoel Abidin病院での治療ができない場合、次の選択は、飛行機で1時間離れたメダンでの治療です。実際、透析患者の場合、津波後の透析はメダンで受けておられました。しかし、緊急手術の場合、搬送という選択はありません。電力供給が不安定な中、懐中電灯での手術を余儀なくされました。懐中電灯での手術のリスクと搬送のリスクを天秤にかけた上での選択です。このような懐中電灯での手術の光景は阪神淡路大震災の時にも見られました。その場その場の判断は常に正しいと思いますが、それでも当時は大阪への搬送後の手術という選択はなかったのかと思いました。

Fig. 2は2005年1月にスリランカの首相官邸で担当官から、被災の状況と復興のプランを聞いた時のものです。担当官が左手で示しているのは、被災者の遺体を埋葬するために掘った巨大な穴です。生存者の救出と生存者の保護を優先する選択をしたために、 遺体の身元確認はしないまま埋葬されました。タイでは、遺体の身元はすべて明らかにし、1体残らず家族に返すという選択をされました。しかし、全ての身元確認は2011年現在もできていません。2005年当時、スリランカのこの選択を随分と乱暴だなとも思い、日本では、到底この選択はできないと思いましたが、今はタイの選択もスリランカの選択もどちらも見識のある選択であったと思います。

Fig. 3は、私とスリランカの災害担当大臣のディスカッションの光景です。被災後、わずか2週間でしたが、スリランカ政府の軸足は復興であり、災害救援の出番はないと判断した瞬間です。

救急患者に関わる治療の選択の中で、自分が手を出して治療するべきなのか他に委ねるべきなのかを、患者の容体やリスクを計り自分の力量や持ち合わせている資源を計った上で、決定するのは医師の責任です。 しかし、今回の震災のように大規模な被災者の発生、破壊されたインフラの中では、一人の医師や一つの医療機関の判断に委ねるには大きすぎるテーマのように思えます。課題の規模を計り、提供できる医療の能力を全体として計り、現地で治療を進めるのか、広域の救急搬送のシステムを構築するのかは政治の判断だと思っています。

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