2012年4月6日金曜日

鹿屋に住み、鹿屋で働くということ

今日から息子が小学校6年生です。生意気になり反抗もしで成長したのだと改めて思っています。息子は私が鹿屋に転勤してきた年に生まれました。2000年です。もうすぐ、息子が生まれてから、私が鹿屋に来てから12年です。

24歳で医師となり34歳まで大阪に住み大阪市内の病院と尼崎市内の病院で勤務しました。約10年です。34歳で鎌倉に転勤し39歳で福岡に転勤しましたから神奈川県では5年を過ごしました。39歳から45歳まで福岡市内に住み、45歳から12年は鹿屋です。こうしてみると社会人になってから最も長い期間を鹿屋で過ごしていることになります。

どこに住むかを最初に決めるのは両親です。両親が産んでくれたところに住み始める訳ですからそこに本人の意思はありません。生まれるところを決めることはできないけれども社会人になればどこに住み、どこで一生を終るかは自分で決めるのだと思ってきました。勤務先の指示で住むところを決めたくないと思っていた私は、その頃は少数派であった非入局で大学に籍を置かずに社会人としての初めての就職を決めました。その後の勤務も辞令をもらって転勤したことはなく、鎌倉から福岡への転勤も福岡から鹿屋への転勤も自らの希望でした。

大きな融資を受けて始めた鹿屋ハートセンターです。もう気ままに移り住むことはできません。縁もゆかりもなく、志願してやってきた鹿屋が私の社会人としてのキャリアで最も長く意味のある土地になりました。このブログを始めたきっかけは、鹿屋で孤立した仕事にならないように全国の同じ仕事をする仲間に発信を続けたいという気持ちからでした。気持ちは鹿屋の外に向かっていたのです。また、昨年から始めたFacebookでも友人の多くを鹿屋の外に求めていました。

鹿屋という町が、鹿屋の皆さんが私の社会人としてのキャリアで最も大きな意味を持っているのだと気がつき始めた私は、最近、Facebook上でも努めて鹿屋の皆さんに友達リクエストを送るようになりました。この町で社会人としてのキャリアの集大成をしたいという気持ちです。そんな風には見えないとよく言われますが、元来は人見知りの方なのでリクエストを送る時に長い時間ためらってしまいます。それを乗り越えてこの町に少しでも貢献できるように勇気を出して、鹿屋の外に向かう気持ちに負けないよう、鹿屋の中に向かう気持ちを高めましょう。

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