To err is human!
医療分野で有名な言葉の一つです。人は必ず間違えるので、間違えることを責めずに間違いが起きることを前提に間違いの発生しにくいシステムを作ろうという考えの根本です。こうした考え方は航空機の安全を担保するために発展してきた概念と言われています。間違ったことを責めずに何故間違ったかを考えてゆくのです。
この考えに基づけばミスを犯したスタッフに謝れというのは将来に繋がらないことですから、私はスタッフがすみませんという一言で済まそうとするときに何故、間違ったと思うかと聞くようにしています。そこから改めるべきシステムはないか、足りない教育はないかを考えていきたいのです。
週刊朝日と橋下徹大阪市長の最近のやり取りを報じる報道に違和感を感じています。夕方のフジテレビのニュースで木村太郎氏がこの一連の週刊朝日の記事で唯一問題であったのは同和地区を名指ししたことだと言われたことです。同和地区を特定するために名指しすることもさることながら、ヒトの考え方は出自によって規定される、血脈が問題だ等ということが同様に大きな問題だと思うのですが、木村太郎氏は同和地区を名指ししたことだけが問題だと言われたのです。では、血脈が人格を形成するという発想には問題はないと考えているのでしょうか?
貧しくて育ちも良くなかった人が努力をして才能を開花させることを私は美しいと思いますし、逆に血脈に胡坐をかいて権力の中枢に居続けることができる社会を私は閉塞した危険な社会と思います。かつて徳洲会にいた時に、徳田虎雄理事長のことを国会議員になるべきではない人だという人物に会ったことがあります。彼は国会議員にはふさわしい出自と身分を持った人がなるべきだと言っていました。少なくとも民主国家となったこの国ではこのような考え方は間違っているはずです。出自が悪いから権力を持つ仕事に就くべきではないという考え方も、出自の良いものが権力を握るべきだという考え方も同根の間違いであると信じています。
間違っているという自覚なしに間違いを訂正することはできません。間違いを知ることから間違いの訂正が始まります。有名人がTVで間違った概念を意識してか、気づかずにか、平気でしたり顔で発言する社会を本当に危ないと思っています。
子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う。論語です。
誰もが過ちを犯すが、過ちを改めないことを過ちと謂う、To err is Humanに通じる言葉です。
なにも航空安全や、医療安全のために現代になって考えられた概念ではなさそうです。紀元前からある概念を現代で活かせないのでは、ヒトは成長していないと思ってしまいます。
間違いであったことに気付くこと、間違いを改めることに勇気を持ち続けたいものです。
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