2014年3月11日火曜日

東日本大震災の発生から3年が経過しました。3年の重みがずしりと胸に響きます。

2006年、私が51歳の時に鹿屋ハートセンターを開設しました。51歳で5億円を超える融資を受けての開業でしたから正直不安な気持ちで一杯でした。50歳を超えて、担保もほぼない状態で良く融資を受けることができたななどとも言われました。私も同じように思いましたが、きっと最後のチャンスだろうと思っての決断でした。開業した51歳の3年後である54歳であれば多額の融資を受けて開業する勇気はなかっただろうと思います。

3年前の3月11日に東日本大震災が発生しました。もう3年も経過したのかと思います。図はYahoo newsに出ていた朝日新聞デジタルの図です。3年を経過した今日現在も26万人以上の方が避難を余儀なくされています。

26万人の3年間、何と途方もない規模なのだろうと思います。この3年間で色々なことを諦めた方がおられるのだろうと心が痛みます。80年間の人生の中で3年は決して小さくはないのです。更にこの状況がいつ解消されるのかという目途も立っていません。ゴールの見えている苦難ならともかく、ゴールの見えない苦難の中におられる方の苦痛は想像に余りあります。

そんなことを考えながら、3年前に当時の民主党政権のあり様をもどかしく、腹立たしく思い書いたブログを読み返していました。

2012年12月9日付当ブログ「叶わぬ期待に終わらないように願っています」の中で、かつての桜島の大正大噴火の際の移住、明治22年の十津川村の災害後の北海道への移住など、過去の大災害後の政府の対策を書きました。3年も失われてしまいましたが、過去の対策に学ぶ対策はもう手遅れなのでしょうか?老いた人も若い人も何時になるか分からなくても福島での生活を希望されているのでしょうか。

3年の重みが胸を圧迫します。

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