「良い笑顔ですね」とも「新井のこんな笑顔を見たことがない」ともいう人がいましたが、どうして笑顔なのですかという人がおり、私もどうして笑顔なのだろうと不思議でした。
カテーテル検査やカテーテル治療は医師としての私のほぼすべてでした。卒業すぐから心臓カテーテルに関わらせてくれる病院などほとんどない中で、私は新卒の1年目から脳血管撮影を始め、2年目から心臓カテーテル検査に関わるようになりました。なのでカテーテルの世界で私よりも年上の先生はもちろんいますが、その諸先輩方よりも私のキャリアは長かったりします。
カテーテルを始めたころには狭い冠動脈を広げるカテーテル治療もありませんし、心筋梗塞患者の閉塞した冠動脈を再開通させる治療も存在しませんでした。カテーテル検査をして、手術の必要な先天性心疾患や弁膜症・狭心症を見つけるのが仕事でした。いわば、心臓外科の下請けです。その下請け仕事は冠動脈血栓溶解療法と当時PTCAと呼ばれた冠動脈形成術の出現で大きく変わりました。下請けではなく自分の力で患者さんを救える時代が来たのです。
私は1979年の卒業です。血栓溶解療法やPTCAは80年代初頭に日本に入ってきましたから、私のキャリアはこの時代にぴったりでした。この仕事にはまりました。家にも帰らず病院にずっといました。自分の手で人を助けることができる喜びでいっぱいでした。なので67歳に至るまで40年以上もやってこれたと思っています。それをやめるわけですから感慨がないはずもありません。さみしい気持ちでいっぱいになってもおかしくありません。なのになんで笑っているのだろうと自分でも思います。
カテーテル検査・カテーテル治療は侵襲的な手技です。人を傷つける可能性・人を死なせてしまう可能性がある手技です。人を直接的に傷つけずに医師の人生を全うしようと思えば侵襲的なことをしなければ良いのです。一方でリスクを冒さない医師は直接患者さんを死なせはしなくても、「見殺し」にすることはあり得ます。自分が人を傷つけてしまうリスクを冒すのはその方が患者さんをより高い確率で助けることができると信じるからです。訴訟リスクを抱えながら患者を助けるためにカテーテルや手術に向かうのが侵襲的な手技を行う医師の姿勢です。患者さんを助けようと思って危ない場面に立ち向かい、力が及ばず亡くなる場面ももちろんあります。そんなときに「お前に殺された」などと非難されるともうこんなことはできないって医師も心が折れます。そんな張りつめた世界から解放されて私はほっとして笑っているのだろうと自分で思います。42年間のカテーテル医の人生で、訴えられたりすることなくその使命を終えてほっとしたのだろうと思います。
鹿屋ハートセンターで私の後継となるカテーテル医を育てることができなかったことは残念でなりません。一方で、2000年に私が鹿屋に来るまでカテーテル治療医が1名もいなかった鹿屋に、ハートセンターでのカテーテル治療はできなくなっても現在は他に3件の病院が残ります。ハートセンターに後継は残せなくとも鹿屋には十分すぎるほどの後継を残すことができたと誇りに思います。そこで働く先生方が、これからも患者さんを助けるために自分が非難され訴えられるリスクを冒しながら、夜間も働き続けられます。そんな後輩のカテーテル医が、10年、20年後に私と同じようにカテーテルを置くとき、やはり笑っておられることを心から祈ります。そして緊張感をもった次の世代にバトンが繋がることも心から祈っています。