2015年9月16日水曜日

夢が現実になるためのステップ 「やってみなはれ」という精神

私は大阪で生まれ、大阪で育ちました。34歳で神奈川県鎌倉市の病院に転勤するまで関西を離れたことがなかったのです。

大阪の文化が好きです。別にお好み焼きやたこ焼きをこよなく愛しているわけでも、日常の会話でもボケやツッコミを意識しているわけではありません。つい数年前まで花月劇場にも行ったことはありませんでした。

私が好きなのは井原西鶴や大阪の生まれではありませんが近松門左衛門の世界、あるいは川端康成や大宅壮一、いつかブログにも書いた高橋和己の世界等です。そこにボケやツッコミというような今風の大阪の世界はありません。文学的であったり論理的であったり、批判精神にあふれていたりと言った世界です。

そんな大阪の文化の中でもお気に入りの一つは「やってみなはれ、やらな分からしまへんで」というサントリー創業社長の鳥井信治朗の精神です。既存のもの、体制の枠内のものだけを考えていては何のイノベーションも起きません。「そんなもん、役に立つんかいな」と思いながらも「やってみなはれ」と考えるところから時代を創るものができるかもしれないと思います。

「演劇と医療のコラボ」というテーマでものを考え始めた時、こんな得体のしれないコラボと思いましたが、大阪大学にそんなことを考えるセンターが存在しました。コミュニケーションデザインセンターです。演劇人であり、かつて鳩山内閣で内閣参与も務められた平田オリザさんも教授でした(現在は客員教授?)。平田氏は阪大総長から「ちゃんと患者とコミュニケーションができる医者を育ててや」と教授就任時に言われたそうです。流石に大阪です。大阪大学です。得体のしれない「演劇と医療のコラボ」のコンセプトは既に「やってみなはれ」的に大阪でスタートを切っていました。

平田氏は患者が質問しやすい椅子の配置など舞台美術を考えるように診察室を作れるのではないかとか、具合の悪い時に受診しやすい病院などを演出できるのではないかと言われています。こんな発想は医療者や建築家からはあまり聞きません。医者が考えればホテルのようにきれいな病院だとか緑が見える癒しの空間、あるいは実務的に医療者が動きやすい動線を考えた設計などに行きつきがちです。医療者と患者のコミュニケーションを高める舞台づくりなどという発想は新鮮でした。

音楽座のスタッフとお会いして今日でちょうど1週間です。たった1週間考えただけで、

医師のコミュニケーション能力を高めることででの治療成績への介入
医師だけではなく看護師・薬剤師、リハビリなどのコメディカルのコミュニケーション能力
学会発表などでのプレゼンテーション能力
製薬メーカーのMRの医師との関係構築
コミュニケーションの円滑化のため建築・設計

など演劇を構成する役者やプロデューサー、舞台美術家などとのコラボで医療を患者に近づける工夫はいくらでもできるのではないかと思います。

あとはこの得体のしれない「演劇と医療のコラボ」というコンセプトを実現するための「やってみなはれ」という決断です。そうした決断が現実になるためのプレゼンテーションを考えましょう。

2015年9月13日日曜日

劇場と呼ばれる医療の現場

のめりこみやすい性格だなと自分で感じます。「演劇と医療」の第3弾です。

スマトラ沖地震の救援でタイ、インドネシア、スリランカを訪れました。どの国の病院でも手術室は "Operating Theatre" と呼ばれていました。RoomではなくTheatreです。その時にはそんな風に言うのかくらいの関心でしたが、「演劇と医療」を考え始めると何故Theatreと呼ばれるのか気になってきました。英語の語源辞書などを見てもギリシャ演劇の劇場がその発端のようでRoomというような意味は見当たりません。

上段の図はギリシャ演劇の劇場です。階段状の客席と舞台を併せてTheatreと呼んだそうです。現代の手術室のイメージとはかけ離れています。この劇場を見ていて学生時代の階段教室を思い出しました。語源辞典にも階段教室をTheatreと表現することがあると記載されています。

2番目の図は、昔の教育的な手術の現場の図です。教育のために階段教室の下で手術を実際に行っていたのです。きっとこれがTheatreと呼ばれる所以であろうと思います。

更に思い出します。下段の図は、PCIの創始者であるGruentzig先生が初めて開催されたライブデモンストレーション会場の写真です。まさにTheatreです。現在では日本中、世界中でライブデモンストレーションが開催され、カテーテル治療の普及や技術の向上に寄与していますが、ギリシャ演劇からの延長にあったのかと驚きました。

Gruentzig先生のこの舞台がなければPCIの普及はきっと大きく遅れたことでしょう。この劇場にいた、私たちの世界では知らない人がいないJudkins先生・Sones先生・Dotter先生もも心を震わせたはずです。

新しい発見や新しい治療法の創始もそれが知らしめられなければなかったことも同じです。舞台に立ち、観衆の心を震わせ、共感することで現実の世界の発展が起きます。研究者や開発者もGruentzig先生がそうであったようにTheatreに立つ必要があるように感じます。演劇の歴史と医学の発展は無関係ではなかったのです。

こうしたOperating Theatreの伝統は主に医師同士の教育や交流の場です。しかしながら医療の舞台の主役はきっと患者さんです。患者の存在が抜け落ちたTheatreであり続けて良いのでしょうか?最近では手術室の様子を患者家族控室に放映する病院も出現しています。鹿屋ハートセンターもそうです。

ギリシャ演劇の伝統を引き継ぐ医師のTheatreが患者さんも参加するTheatreに昇華するにはどのような概念の創出が必要なのでしょうか。考えれば考えるほど興味が尽きないテーマです。

上段の図はWikipediaの下記からの引用です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%BC%94%E5%8A%87

中段の図は下記末廣医院のWeb siteからの引用です。
http://www.suehiro-iin.com/arekore/history/21.html


2015年9月12日土曜日

「演劇と医療のコラボ」というテーマに興味が湧いてきました

昨日の当ブログ「薬剤や手術だけで良くならない患者さんの回復に必要なこと」の中で、患者さんとのコミュニケーションがうまくいった時に、あるいは患者さんの思いと私の思いが共鳴した時に思いがけない回復が起こった例を紹介させていただきました。心に起きる変化が何故、利尿を促し、薬剤の効果を安定させ、あるいは心機能を回復させるのか等は私には分かりません。こうした医師好みの機序の解明は学者に任せるしかありません。

しかしこうした変化が起きるのであれば、患者と医師の心がよりよく共鳴するように医師のコミュニケーション能力を高めなければいけないと思います。「心 こころ」という文字で表される心臓を専門にしている私ですが、心臓はこころも意思も持たない筋肉ですから、その筋肉を扱ったきた私にこころのケアなどできる筈がありません。

どんなベテランの医師でも初めて実施する手術があります。私にとって、初めてのステント植込み、初めてのロータブレーター治療、初めてのDCAに立ち向かう時、初めての患者さんになっていただく方に、「この治療は私にとって初めての治療なのですが、私に術者を任せて頂いても良いでしょうか?」とうかがってきました。こうしてお互いの緊張の中で実施した初めての治療は不思議とトラブルなく過ぎてゆきました。一方、その手技に慣れた頃、トラブルは発生します。これは心の問題ではなく、慣れからくる油断かもしれません。しかし、患者と医師の両者で作り上げるものには成功の神様がほほえんでくれやすく、医師の傲慢に支えられた治療には問題が発生しやすいように感じます。心のケアなどできないことを目指すのではなく医療者として患者さんと、ともに病に立ち向かう一体感を高めるような相互のあり方を考えなくてはと思います。

こんなガラにもないことを考え始めたきっかけは昨日のブログにも書いた浜松大学 臨床心理学 中島登代子先生です。2013年11月23日付当ブログ「音楽座ミュージカル ラブレター を見てきました」に書いた音楽座のメンバーが鹿児島に行くので会わないかというのです。彼らはミュージカルだけではなくミュージカルの手法を用いた人材育成事業もしているので話を聞いてやってくれというのです。最初、何を訳の分からない話をしているのだろうかと感じましたが、中島先生からのお話なので「演劇と医療」というテーマを考え始めたのです。音楽座のweb siteを見たり、実際に彼らと話をしていると、彼らはミュージカルでやり方を見せるのではなく自らのあり方を見せるのだ等と言われます。また、共通の接点が中島先生であるように、彼らは臨床心理をも学んでいます。だからこそ2013年のブログに書いたように、私はただ面白かったと「ラブレター」を見た後に思わずに、なにかし忘れたことに気付いたような焦燥感のような心の揺れを感じたのかも知れないと合点がゆきました。

医学知識で、看護知識で、薬学の知識で患者さんに説明するだけではなく医療者を志した頃の純粋な気持ちを含めて医療者自らの「ありかた」を患者さんに示すというコンセプトは悪くないなと感じます。知識やエビデンスを基に提供してきた医療ですが、同じ知識や経験を持ちながらトラブルの多い医療者や、あるいは製薬メーカーの営業マンであれば同じ知識を持ちながらも成績が出せない方も存在します。先輩から患者とはこう付き合うのだと教えられたり、営業マンも先輩からクライアントとはこう接すればよいのだというような経験に基づいた仕事が連綿と続いてきたように思えます。

他者との心の共鳴を感じたことがない者が、他者との心の共鳴を起こせるでしょうか?彼らは大太鼓で胸に振動を感じさせるような共鳴をミュージカルで起こさせるプロフェッショナルである筈です。まだ海のものとも山のものとも分からない「演劇と医療」のコラボですが、60歳を過ぎた私が人生の終盤に考える価値のあるテーマだと思えてきました。

音楽座ミュージカルのWeb siteは下記です。
http://ongakuza-musical.tumblr.com/

2015年9月11日金曜日

薬剤や手術だけではよくならない患者さんの回復に必要なこと。

 久々のブログ更新です。前回、心房細動患者でどの新規抗凝固薬(NOAC)を選択すべきか、ある条件で統一して比較して決めようということを書きました。しかし、ブログのように気ままに書くものに制約を付けたのが失敗でした。テーマを決めてしまうと書けなくなったのです。これからは次回の予告などせずにまた気ままに書こうと思います。

上段から3つの胸部レントゲン写真は同じ患者さんのものです。僧帽弁閉鎖不全による心不全で入退院を繰り返しておられます。高齢のために手術はもうできません。体重が4㎏も増えて全身の浮腫が強くなり呼吸苦も出てきたために入院して頂きました。それまで内服して頂いていた利尿剤に加えてトルバブタン(サムスカ)も追加しました。その追加後の写真が2番目の写真です。胸水が増加しています。体重も減少しないだけでなく増加していました。

夜間に隠れて飲水しているところを看護師に見つかり注意されると怒りだし、怒鳴り散らしていました。入院中ですから内服は確実です。良くならないために注射での利尿剤も頻繁に追加していました。飲水制限をちゃんとしてくださいと注意をし、怒鳴り返されるということを繰り返しているうちにもう仕方がないのかなと私も考え始めました。

本人とご家族を交えて、残りの命が短いのにちゃんとしろだとか、好きにさせろとか争うことはもう止めましょう、人生の最後の過ごし方はご自分で決められても良いですよとお話ししました。2月の終わりでしたのできっとお花見の頃までは持たないと思うとお話しし、ご家族との最後の時間を大事に使ってくださいとお話ししました。そうしたところ「自分も本気を出さないといけないな」と急に殊勝なことを言われました。ほぼその日からです。体重を1㎏減らすのにも難儀をしていたのにみるみる体重が落ち始めたのです。3番目の写真は退院後のものです。胸水もすっかり消えました。体重も入院した頃より20㎏以上も減りました。短気を起こしてばかりだったのににこにこと外来に来られます。どうあがいても良くならなかった頃と同じ薬しか飲んでいないのにです。この患者さんを見て患者さんが良くなるために必要な要素は、医師が考える薬だけではないなと感じます。病識がないとか、アドヒアランスに問題があるとか患者さんに問題があると考える医療者と、患者さんの対立軸の中では改善がないのではないか等とも考えます。

 拡張型心筋症などに使用される心臓再同期療法(CRT)に反応しない方、ベータブロッカーやACE阻害剤、ARBに反応しない方などでも、心臓の状態やリードの位置やCRTの設定だけではない要素があるのではないか等と感じます。

最下段の図は別の患者さんです。僧帽弁置換術を受けているためにワーファリンが必要な方です。1㎎の内服でもINRが極端な高値になったり、3㎎の内服でもINRが低値のままであったり全くコントロールできませんでした。他の薬剤を内服していないか、ちゃんと内服しているのか等と問い詰めるばかりの外来でした。それがある時から安定し始めました。問い詰める気持ちもなくなり、ちゃんとしろという気持ちもなくなった後、なるべくその中でも問題が起きないように頑張ろうと考え始めてから安定し始めたように感じます。

患者教育だとか患者指導だとか、医学的な知識を振りかざして患者さんを抑圧し、閉じ込めていると実現できなかったものが、よくしたい、よくなりたいという共通の目標のために共感し、心が共鳴し合った時に実現するものがあるような気がします。目に見えるものだけを対象に知識や経験を駆使してきた私がこのように考えるのはきっと数年前から一緒にケースカンファレンスをしている浜松大学の臨床心理学 中島登代子先生の影響だと思います。目に見えるものだけを見て診療する医師からは新井はおかしくなったのではないかとか、心で患者が良くなれば苦労はない等と言われるかもしれませんが、患者に共感し、共鳴しても失うものはありません。患者さんと心が共鳴することができれば薬もカテーテル治療も必要ない等と思っている訳ではありません。しかし、薬や手術だけではない要素にも目を向け大事にしてゆきたいなと感じます。

2015年6月7日日曜日

私の目指す心房細動患者に対する抗凝固療法 Anticoagulation at minimum bleeding risk for Atrial Fibrillation(6) NOACの選択 高齢者の場合


良くコントロールされた(TTRの高い)ワーファリンによる抗凝固療法では、Dabigatran300mgよりも虚血性脳卒中の発生が少なく、最強の抗凝固療法であると議論を進めてきました。一方、最強の抗凝固療法であるために、NOACと比較してワーファリンが臨床的に劣る重要なポイントは頭蓋内出血の発生であるため、Anticoagulation at minimum bleeding riskという目標を設定するならばNOACを選択せざるを得ないと結論しました。



ではどのNOACが最もAnticoagulation at minimum bleeding riskという目標に適しているのかを考えなければなりません。

しかし、4つのNOACで直接の効果を比較した試験はありません。また、図1に示すようにARISTOTLE試験では高齢者の割合が最も少なく、図2に示すようにRE-LY試験やARISTOTLE試験の対象患者のCHADS2スコアは他の2つの試験よりも低値でした。このため当然のようにROCKET-AF試験やENGAGE-AF試験の結果は前2者よりも悪く出やすいのです。

4つの試験の結果はまさにそうでした。4つの試験で図3に示すようにワーファリン群のTTRに差はないものの図4に示すように一次エンドポイントである脳卒中/全身性塞栓症の頻度は、Dabigatran300mgとApixaban10mgで優越性を示し、RivarixabanとEdoxabanは非劣性でした。

患者背景が異なる訳ですから優越性を示した薬剤が優れていて、非劣性しか示せなかった薬剤の方が劣るとは一概に言えないだろうと思っています。ではどのように薬剤を選べばよいのでしょうか?

試験全体では患者背景が異なっていたとしても、同一の条件の群で比較したらよいのではないかと考えました。例えば75歳以上の患者群のみで4薬剤を比較するのです。こうすることで4つの試験の患者背景の差を小さくできると考えたのです。

図5は75歳以上の患者に限った4つの試験の一次エンドポイントである脳卒中/全身性塞栓症の頻度、図6は大出血の頻度です。

今回のテーマはAnticoagulation at minimum bleeding riskですから図6を見ると、NOACによる大出血の頻度は少ない順に

Edoxaban 30mg、Apixaban 10mg、Edoxaban 60mg、Dabigatran 220㎎、Rivaroxaban 20㎎、Dabigatran 300㎎

となります。Edoxaban30㎎が最も大出血が少ないという結果でしたが、ENGAGE-AF試験のプロトコールは複雑で30㎎群の中にも15mgを内服しているケースも、60㎎群の中にも30㎎を内服しているケースもありどう評価してよいのか分からないところがあります。ですから、現時点でAnticoagulation at minimum bleeding riskという観点では、私はApixabanが良いのかなと思っています。

この結論ではワーファリンと比較して意味のある減少であったかどうかは考えていません。ワーファリン群で出血が多ければワーファリンと比較して少ないというのは当たり前だからです。

図7は、最近のRivaroxabanの講演会で良く見せられるスライドです。INRの目標値を1.6-2.6の設定したJ-ROCKET AF試験ではワーファリン群の重大出血率は3.3%と少なく、Rivaroxaban投与群では更に少なかったと日本人でのRivaroxabanの優位性を訴えるスライドです。

他の3つの試験ではINRの目標は2.0-2.6ですが、Apixabanと比較された75歳以上のワーファリン群の重大出血率は10.8%と際立って高値です。同様のINR目標値、同様のTTR、同じ75歳以上の群なのに際立って高い重大出血を見ると、TTRでは測れないワーファリンコントロールの稚拙さがあったのだろうと推測できます。(どの群もnは極めて少数なので正しい結論ではない可能性もありますが…)

古くからの友人である先生は、Apixabanのワーファリンに対する優位性はこの稚拙なワーファリンコントロールのためだからあてにならないとよく言われます。ですからワーファリンとの比較ではなく、NOAC同士の比較が必要なのだろうと思います。

ただそうした比較試験が行われるか否かは分かりませんが、結論が出るまでは公開されているデータで考えてゆくしかありません。患者背景の差を最小にして各NOACの成績の差を比較するしかありません。次回は、低腎機能患者群で比較したいと思います。



2015年6月2日火曜日

私の目指す心房細動患者に対する抗凝固療法 Anticoagulation at minimum bleeding risk for Atrial Fibrillation(番外編) TTRの高い施設ではNOACでの成績も改善する? 薬剤だけではない医療や地域の力 

図1は2015年5月30日付当ブログ「私の目指す心房細動患者に対する抗凝固療法(3)」に載せた図です。この図1はDabigatarnのWeb siteに載っていたTTR 別の脳卒中/全身性塞栓症の発生頻度から頭蓋内出血の頻度を引き算して作ったものです。このWeb siteではどのようなTTRであってもDabigatran300㎎は脳卒中も頭蓋内出血を減らしたと記載されています。しかし、虚血性に焦点を当ててグラフを作るとTTRが良くなると虚血性脳卒中/全身性塞栓症はTTRが上がるにつれて改善し、72.6%以上のTTRの施設ではDabigatran 300mgの群よりも少ないという結果になりました。どのようなグラフを作るかで印象は変わり、嘘ではなくても虚血性も出血性も含むことであたかも脳塞栓症が減ったかのような印象を作ることは可能です。

プレゼンする側の意図に左右されずにデータを見る力が必要です。

この図1を見ていてふと気づいたことがあります。Dabigatran 220mg群の虚血性脳卒中/全身性塞栓症もTTRが高くなるにつれて低下しているように見えることです。Dabigatran群では容量調節をしない訳ですから、ワーファリンの様にコントロールの上手い下手が入る余地はありません。では何故TTRの高い施設ではDabigatranの成績もよくなるのでしょうか?

ワーファリンのコントロールが良い施設では服薬アドヒアランスが高いからでしょうか。であれば医師の説明や看護介入・薬剤師の介入で虚血性脳卒中/全身性塞栓症が減らせるのかもしれません。医療者の力で減らせるのならなんて素敵なのだろうかと考えます。

ただ服薬アドヒアランスだけの問題なのかどうかはわかりません。施設のTTRの値を規定している因子はただ一つ地域だったそうです。図2にTTRの高い順に並べた各国のTTRのグラフを示しました。コントロールの良い上位の国には北欧・北米の国が並びます。一方、下位の国にはアジア・南米の国が並びます。日本は残念ながら下位グループです。

高血圧や糖尿病の管理、地域の衛生状態や、教育水準など様々な要素がこうした結果と関係しているかもしれません。簡単ではないかもしれませんがこうした要素は人間の力で改善できるものばかりです。薬剤の効果だけではなく、成績をさらに向上するプラスアルファを見つけて、医師だけではなく薬剤師や看護師といった医療者や地域の力でさらに良い成績を目指したいものです。

2015年6月1日月曜日

私の目指す心房細動患者に対する抗凝固療法 Anticoagulation at minimum bleeding risk for Atrial Fibrillation(5)  添付文書記載の用法容量は全ての患者にとって正しいのか?

 ワーファリンによる良くコントロールされた抗凝固療法では、虚血性脳卒中/全身性塞栓症抑制効果は、Dabigatranの高容量よりも優れると書きました。しかし、脳出血の発症に関してはどんなにTTRを高めても減少しないので、Anticoagulation at minimum bleeding riskということを目標にするのであればワーファリンは勝者にはなり得ないと私なりに結論しました。

虚血性脳卒中の減少を第一のゴールとするのか、ある程度の虚血性脳卒中が残ったとしても頭蓋内出血を最小にするのをゴールとするのか目標を明確にしておかなければ治療の混乱は避けられません。

図1は2015年3月に開催された日本脳卒中学会で発表されたRivaroxabanの市販後調査(PMS)の結果です。同じRivaroxabanを使用したJ-ROCKET AF試験よりも重大出血は減少し、虚血性脳卒中の発生は同程度でした。総死亡も減少しています。J-ROCKET AFに参加された「一流」の施設での結果よりもPMSの方が良い結果であったのです。

しかしながら、日経メディカルの記事などでは、過去に梗塞や一過性脳虚血発作があった虚血性脳卒中のハイリスク群ではJ-ROCKET AFで1.10%の虚血性脳卒中の発生であったものがPMSでは2%と増加しており、不適切に減量した投与量が問題だと指摘されていました。減量した10㎎の処方を受けた患者の中にもクレアチニンクリアランスが50l/minを超える患者が多数含まれているから不適切な減量で、それ故にハイリスク群で虚血性脳卒中が増えたのではないかという指摘です。

虚血性脳卒中の減少を第一の目標にするのであれば良好なワーファリンコントロールを目指せばよいことで何も高価なNOACを処方する理由はありません。現場の医師は虚血性脳卒中が減少すれば出血をしても構わないとは考えていないのです。

図2は10㎎を処方された患者と15㎎を処方された患者の臨床像です。クレアチニンクリアランスが50l/minを超える患者がいたとしても、10㎎を処方された群では75歳以上の患者が多く、低体重患者が多く、HAS BLEDスコアの高い患者が多いという結果です。添付文書通りに処方せずに高齢や低体重や出血リスクを見て患者を守ろうとして減量している姿が見えます。日本の現場の医師は教条主義に染まらずに患者を診て、真剣に考えて処方されていると感じました。捨てたものではないと思います。

実は、私は日本の医師は大丈夫なのかと心配していました。最初のDabigatranでも2剤目のRivaroxabanでも4剤目のEdoxabanでも市販後最初の1年で脳出血死は発生しました。その中にはクレアチニンや体重すら測定されていなかった患者さんが含まれていました。頭蓋内出血という生命に関わる問題を起こしかねない薬剤にもかかわらず何も注意を払わずに処方する医師がNOACの市販後何年も経過しているのにまだ存在することが明らかになったわけです。

そんな医師が存在することも事実ですが、RivaroxabanのこのPMSの結果を見て多くの日本の医師はまともだったと安心しました。私が繰り返しAnticoagulation at Minimum Bleeding Riskと言わなくても既に多くの先生はその概念で患者を守っておられたのです。かつて多くの薬剤の添付文書の用法用量には患者の年齢や体重、腎機能を見て用量を加減しなさいと記載されていました。NOACにはそんな記載はありません。

NOACの講演会では添付文書通りに処方せずに勝手に減量して虚血性脳卒中が発生したら、その医師の責任だぞ等と言われる演者もいます。体重80㎏の患者群で検討された処方量では不安だと考え、患者を診て、安全を優先して考え、処方された先生が悪いのでしょうか?低用量のデータはないのだからエビデンスのある高容量を一律に使うのがEBMだというのは間違ったEBMだと思えてなりません。演者をされる先生の多くはJ-ROCHET AFに参加された施設の先生です。そのJ-ROCKET AFよりもハイリスク患者を除けばより良い成績を出した巷の先生方の結果をこそ活かすべきだと私は思います。すでに多くの現場の先生は添付文書記載の用法容量を支持していない現実を見つめるべきであろうと考えます。

NOACであっても、あるいは虚血性脳卒中を減らす効果よりも頭蓋内出血を減少させることが期待されるNOACであるからこそ、更に虚血性脳卒中を減少させることを追求して出血を増やすよりもAnticoagulation at Minimum Bleeding Riskの概念が重要だと思っています。