Tuesday, September 18, 2012

北方謙三の「史記」に魅了されました。もっと中国の歴史や文化に、はまりたいと気持ちが高まります。

尖閣の領有をめぐって日中が落ち着きません。607年の聖徳太子の遣隋使以前にも、親魏倭王と呼ばれた卑弥呼や、漢委奴国王と書かれた志賀島の金印等の記録があり、日本と中国の交流は2000年近くの歴史があります。もちろん、私たちが使用する漢字は中国のものですし、かなもカナも漢字由来です。

札幌ハートセンターの藤田先生が好んで使われる「仁」「義」「礼」「智」「信」も儒教の言葉です。同じ漢字を使う文化圏に住み、儒教という中国由来の道徳を大切にする国民同士が憎み合う構造を悲しく不思議に思っています。

中国に憧れ、中国の文字や律令、政治をまねて国家として形作られてきた日本と現代の中国は今では相容れないのでしょうか。日中戦争の歴史を超えて同じ文化を持つ国同士が手を携えあうことはできないのでしょうか。ずっと、この間のニュースを見ながらこんなことを考えていました。しかし、ふと思い起こすと、私は中国の歴史や文化をあまりにも知らないことに気づきました。とはいえ四書五経を勉強するのも敷居が高いし、杜甫や李白も柄でもないしなどと思い、入りやすいところから北方謙三の「史記」を読んでみることにしました。北方謙三の小説「史記」ですから、史記そのものとは異なります。しかし、魅了されました。全7巻を1週間ほどで読み終えました。前漢の物語ですから紀元前の物語ですが、こんなに面白い読みものがあったのかと再発見です。武帝と呼ばれる劉徹の名君ぶり・暴君ぶり、衛青将軍の活躍、李陵の苦悩、匈奴の成長など息もつかせぬ展開です。

読み終えて更に、同じ道徳観、文化を持った国同士が、あるいは国民同士が憎み合うのは間違っているという気持ちが強まります。批林批孔運動を行った中国共産党と相いれないのでしょうか。2000年の付き合いの中での僅か100年足らずの日中戦争や共産党の歴史です。2000年の歴史の中で見れば僅かな齟齬のような気がしなくもありません。昨日今日の喧嘩など忘れましょうとは言いませんが、長い歴史のあるお付き合いを振り返って冷静になりたいと思っています。今度は、本物の司馬遷が書いた「史記」に近づき、ちくま学芸文庫の史記を読んでみましょう。

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