Friday, November 18, 2011

侵襲的な治療に臨む医師の心配と患者本人や家族の心配

11/14 右冠動脈#3の90%狭窄の方のPCIを実施しました。数年前にこの病変にPCIを試みた時には、バルーンの通過も困難で、かつ通過後も20気圧以上の拡張圧でも拡張できずに断念した病変です。今回は、左冠動脈前下行枝の狭窄が進行し、このLADからRCAに側副血行が出ているために是非とも拡張しなければという気持ちでPCIに臨みました。今回のPCIは数年前とは全く異なり、バルーンの通過も容易でしたし、病変もすぐに拡張でき、薬剤溶出性ステントの植え込みを行って、終了しました。うまく拡がったと奥さんにお伝えしたところ、奥さんは泣き崩れられたために、この位で泣いていたらきりがないよとお話ししました。とはいえ、私も病変が拡張できないために却ってFlowが低下するのではないかとか、高圧で拡張した時に血管がruptureして大事になるのではないかと悪いことばかりを考えてPCIを始めました。侵襲的な治療をする医師にとって"Think worst!"という考え方は大切です。起こりうる最悪のシナリオを考えて、そうしたシナリオにならないようにする努力が侵襲的な治療をより安全なものにします。こんな風に考えて実施したPTRAのことを2011年9月2日付当ブログ「心配すると杞憂に終わり、油断すると痛い目にあう」に書きました。泣き崩れた奥さんは、私以上に悪いシナリオを考えておられたからこそ、うまくいった時に泣いてしまったのだろうと思います。

11/16 私の妻が長年苦しんだ病気のため開頭手術を受けました。身近な家族が侵襲的な治療を予定して受けるのは、私にとって初めての経験です。小さな切除とはいえ、脳の一部を切除するわけですし、手術を受けることでマヒが出たり、記憶の障害が出たり、言葉を失ったりしないだろうかと悪いことばかり考えていました。脳の切除時に誤って動脈を傷つけてあっという間に脳浮腫が起き、死んでしまうのではないかとさえ考えました。悪いことばかり考えるのは侵襲的な治療をしてきた医者の性でしょうか。手術が終わりICUで面会した時に、抜管も済み覚醒した妻を見て、ホッとした私は言葉が出ませんでした。嬉しさを表す言葉が思いつかないとか筆舌に尽くしがたいとかいうのではなく、言葉が出なかったのです。よく頑張ったなという一言でもかけようものなら張りつめた気持ちの糸が切れ涙を流してしまうとも思いました。両手を握り、暖かみや握力を確かめながら気持ちを交わすので精一杯でした。

この手術を受けるために、あるいは手術の適応や安全性を確認するために9月に約1月の検査入院をし、今回も手術のために約1月の入院予定です。その間も、鹿屋ハートセンターの業務を休むわけにもいかず、また、息子の食事の世話や洗濯等、決して楽な日々ではありませんでした。しかし、無事に手術が終わってしまえば他愛もない苦労であったと思えます。こんなことは大したことではなく、容易に乗り切れるのだと自分に言い聞かせたいがために、普段以上に患者の状態を考え、このブログの更新にも気合を入れてきました。

今回の侵襲的な治療を受ける側になって考えたこと、それは侵襲的な治療を実施する側の医師の"Think worst!"以上に受ける側の心配は大きいものなのだということです。だからこそ、成功した治療に対する歓びは、実施した医師の歓びよりはるかに大きいのだと思います。こんなことでいちいち泣いていたらきりがないよと言った私の言葉は不適切でした。侵襲的な治療を実施する時、患者さん本人やご家族と医師は共に心配し、特に治療する側の医師は心配するだけではなく、その心配を払拭するための工夫を考え抜かなければなりません。そうすることで、患者さん本人・ご家族と医師は得られた結果に対する感情をより深く共有できるように思います。30年余りも侵襲的な治療をしてきた私が、研修医が言うような話をしていますが、初めて受ける側になって気付いたことがあったと思えます。

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