昔の話ですが1997年に、福岡徳洲会病院と長崎県対馬をTV電話で結んでPCIをサポートするTele-PTCAなるものを始めました。それまでPCIができなかった対馬では、病院に入院された急性心筋梗塞患者の死亡率は16%でした。当時の福岡徳洲会病院の急性心筋梗塞の死亡率は5%程度でしたから、対馬の9%の方はPCIを受けられないままに亡くなっていたということになります。この差を何とかできないかと考え始めたのがTele-PTCAでした。多くの新聞や全国放送でもこの取り組みは紹介されましたが、当時新聞に載ったある心臓外科のコメントは、心臓外科医もいない島で何かあったらどうするのかとこの取り組みに批判的でした。
今日のテーマは「何かあったらどうするのか」あるいは「何かあったら責任を取れるのか」です。Tele-PTCAを開始して100例の急性心筋梗塞を受け入れた段階で死亡は1例のみでした。総数は少ないものの死亡率は1%です。もし「なにかあったらどうするのだ」というその心臓外科医の発想で何もしなければ16%が死亡していたと思われます。1%のリスクを恐れて16%を見殺しにする不作為は無責任ではなく、15%をリスクを冒して救命する行為は無責任なのかと当時考えていました。ただ、どんなに救命率が向上しても、得体のしれないTV電話でサポートしてPCIをするという行為で釈明できないミスを冒せば責任を取らなければならないとも思っていました。
今でも「何かあったらどうするのだ」という点を軸足に物事を考えて、救命できる人を見殺しにするようなことをしてはいけないと思っています。カテーテル治療を行う介入循環器医は、個人が責めを負わされるリスクを冒して、全体の成績を改善する宿命なのだと思っていますし、そう思わなければできない仕事だと思っています。
「何かあったらどうするのだ」という考えに基づく不作為の罠はこうして考えてきた私にも無縁ではありませんでした。薬剤溶出性ステント植込み後の2剤の抗血小板剤(DAPT)の投与を、私は意図して中止してきませんでした。中止することで、植込み後の年数が長いにもかかわらず急に冠動脈が詰まったらどうするのだという不作為の罠に嵌まっていた気がします。上部消化管出血であればPPIで何とかなるしなどと自分に言い訳をしてきたように思います。ただ、必要のないDAPTの継続で発生リスクが高まる脳出血をネグレクトしてきたのです。DAPTの中止による冠動脈の閉塞のリスクよりも、継続による脳出血のリスクが高いのであれば、「何かあったらどうするのだ」という発想でDAPTを中止をしない不作為は罪だと考えを改めました。きっかけは2012年12月20日付当ブログ「当院通院中にの方に発症した脳出血で考えたこと」です。昨年2例の脳出血による死亡を経験しました。1例はステント植込み後で心房細動もありワーファリン+DAPTの方でした。もう1例はPCI後数年を経ているにもかかわらずDAPTを継続していた方でした。このブログを書いた後、PCI後1年以上経過している方のDAPTは極力中止し、バイアスピリンのみに変更しています。プラビックスの処方量は激減しました。幸いDAPTを中止した方で冠閉塞の発生はありません。左冠動脈主幹部(LMT)にステントが入っている方や、Cypher stentが入っている方はどうしようかと決めかねていますが、最近のステントであれば多くのデータからも自施設の少ない経験からもDAPTの継続は不要のようです。
ただ患者さんにお願いしたいのは、DAPTの継続を止めたから冠閉塞が発生し、死に至ったではないかというような非難をしないで欲しいということです。DAPTを中止していたから脳出血にならずに済んだんだよということは一人一人の患者さんでは証明しようがないのです。脳出血が起きたら不用意にDAPTを継続していたからだと非難することは可能であり、冠閉塞が起きれば、中止したからだと非難することが可能です。結局はどちらの選択の方がマスで見た時により有利かで医師は方針を選択するしかないのです。多数にとって有利な選択をした時に、個々に発生する事態は無責任に聞こえるかもしれませんが神のみぞ知る事態と理解するしかないと思っています。とはいえ、DAPT中止による冠閉塞で死に至らないように、夜間でも日曜であっても正月であっても胸痛があれば我慢せずにすぐに電話をくれるよう説明は欠かさないようにしてはいます。
「何かあったらどうするのだ」という発想がリスクマネージメントに繋がればよいのですが、不作為に繋がれば最悪です。この陥穽に嵌まらぬように心を引き締め、作為の根拠になる知識の集積を怠ってはいけません。
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