居酒屋を開店し、商売がうまくゆくようにチラシを配ったり、開店セールを行ったりする営業努力は当然です。また新しい商品を開発しそれを扱ってもらったり購入してもらったりするために売り込み努力・営業努力を行うのも自然です。しかし医療機関が患者さんを集める努力をすることは、金儲け主義だと言われたりで当然の努力と評価されないことが多いように感じます。また法的にも医療機関の広告は禁止されています。
では医療機関は営業努力せずに診療を求める患者さんの求めだけに応じていればよいのでしょうか?かつて大隅半島にはPCIが実施できる医療機関は存在しませんでした。このため緊急でカテーテル治療が必要な患者さんでさえ2時間もかけてフェリーに乗って錦江湾の対岸の鹿児島市を目指さなければなりませんでした。このため搬送中の死亡も少なくはありませんでした。PCIができる施設が近くになければ緊急を要する訳ではない狭心症の方もなかなか遠方の病院には受診できず重症化は避けることができませんでした。時代は変わり、現在、鹿屋市内には4つのPCI実施可能医療機関が存在します。合計のPCI件数は年間700件を超え、人口10万人当りの実施件数は全国有数です。この結果でしょうか、最近は慢性完全閉塞を診ることがほとんどなくなりました。十分なPCIの供給の行きつく先は重症の虚血心患者がいない時代ではないかとさえ鹿屋で感じるほどにこの地の循環器診療は変化しました。しかし、こうした変化はPCI実施可能施設が増えただけで実現したとは思いません。当地で治療可能であることやどんな時に受診すればよいのかという知識の普及なしにはなしえなかったと思っています。
2000年に鹿屋に転勤し2005年に徳洲会を退職するまでの間に鹿屋市内の全公民館95か所を含む数百か所で講演を行いました。当地で治療可能なこと、僅かな胸部症状でも受診した方が良いことなどをお話ししましたが講演回数は5年間で400回を超え、その時にお渡しした私の携帯電話番号を書いた名刺は4万枚を超えていました。こうした努力の結果、最近では「心臓まで管を入れて検査・治療をしなければいけませんよ」とお話しすると、患者さんから「カテーテルですね、手からですか足からですか」とすぐに聞かれるまでに啓蒙が進んだと実感します。
医療機関の営業というと品がなく聞こえますがこうした啓蒙の結果は地域の診療の成績を良くすると信じています。しかし、こうした努力は患者さんのためだけではないと最近はよく考えます。カテーテル治療を主とした循環器医を目指す若い医師がカテーテル治療学会の認定医や専門医になるためには認定医になるまでに300例の治療実績、専門医になるためには認定医になってから更に500例の治療実績を求められます。また、専門医になってからも5年間で350例の治療実績がなければ専門医の資格は維持できません。専門医の資格を維持するために年間70例ほどの症例数が最低でも必要なのです。こうした症例数を維持できない施設やこの症例数を超えていても研修施設の資格を持っていない医療機関で働く若い医師には将来の専門医の道は開けません。先達として後に続く後輩を専門医に育てるためにも症例数を維持する努力は必要なのです。患者の求めだけに応じていればよいのだという医師は、地域の患者に対して冷淡で、後輩の未来を考えない薄情ものだと思えます。
とはいうものの、徳洲会時代に猛烈に行ってきた医療講演という名の営業努力は鹿屋ハートセンター開設後まったく行ってきませんでした。PCI件数が飽和した当地では患者さんに対する啓蒙よりも若い先生たちが専門医を目指せる仕組みを作り上げることが重要だと今は思っています。過剰な施設数になった当地のPCI実施可能医療機関が整理され、1医療機関当たりの件数が研修施設にふさわしいものになるために淘汰さえ必要だと考えています。未来の医療を担う先生たちのために淘汰が必要であるならば大隅半島唯一の研修関連施設である当院から再編を考えるべきなのではないかと考えています。
若い先生たちが専門医になるための場を維持することは将来の患者さんの診療を保証します。未来の患者の診療を担う未来の専門医に思いをはせて営業努力を大切に考えたいものです。
先生、お久しぶりです。もう開院されて7年たつのですね。相変わらず頑張っていらっしゃる様ですね。私は現在柳川病院の薬剤科長と自分の薬局の代表を兼任しつつ、在宅医療や後進の育成に努めています。先生に救って頂いて以来、病状は進みステントは4本になりましたがしぶとく生きてます。また鹿屋に行った際は寄らせていただきます。下村先生をはじめ福岡徳洲会病院循環器内科のスタッフのみなさんには今後もお世話になりそうです。
ReplyDelete石田先生、コメントをありがとうございました。柳川病院のS先生もPCIの世界で信頼できる先生ですよね。
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