Wednesday, December 1, 2010

避けて通れない最期に向き合って  循環器医のターミナルケア

Fig. 1
 本日はPCIのことでも冠動脈のことでもありません。3年前に心不全で来られた方です。最大径66mmの上行大動脈瘤があり大動脈弁閉鎖不全が原因の心不全でした。利尿剤で心不全はコントロールできましたが、一時しのぎに過ぎません。大動脈弁閉鎖不全の治療ができなければ心不全を繰り返します。ただこれだけの上行大動脈瘤があるわけですから大手術になります。この時点で90歳を超えていました。御家族と相談し手術をしない方針としました。3年が経過し再び呼吸困難で入院です。瘤径は77mmになり右主気管支は圧迫され詰まる寸前です(fig. 1)。図には示しませんが、大量の心のう液も認めます。おそらく、瘤から出血しているのでしょう。最後のときが近づいています。
 勤務医であった頃、5-6年で勤務する病院を替わりました。24歳から29歳まで勤務した大阪の阪和記念病院時代、29歳から34歳まで勤務した関西労災病院時代には自分のスキルアップで精一杯でした。34歳から39歳まで勤務した湘南鎌倉病院、39歳から45歳まで勤務した福岡徳洲会病院時代にはスキルアップと共に、チームとしてどのような実績をあげるかに軸足がありました。45歳から50歳まで勤務した大隅鹿屋病院では院長として病院の経営に集中していました。もちろん、どの時期でも患者さんの病気に向かい、冠動脈治療を専門にしてきたわけですから冠動脈病変をどう治療するかの努力を粗末にしたとは思いません。しかし、5年後、10年後の患者さんの人生まで考えが及ばなかったように思います。患者さんの人生ですから医者が口を挟むべきではないかもしれませんが、人生に大きく影響する病気に携わっているわけですから、その方の人生に無関心で良い筈もありません。鹿屋ハートセンターをオープンして私の大事に思う基準が変化してきているように感じます。
 鹿屋ハートセンターに通われる方の平均年齢は70歳を超えます。80歳以上の方も少なくありません。5-6年で転職するのであれば問題はありませんが、最後の職場として働くこの場所では5年後、10年後に通っていて良かったと思ってもらいたいと考えます。開院から4年が経過し、心臓病で通っておられた方からも多くの癌が見つかりました。幸い早期で手術できた方もおられますし、手術不能で最期を迎えた方もおられます。5年後、10年後には今通院されている方の多くが最期を迎えることは間違いがありません。私が直接治療できること、私が直接治療できなくとも適切な治療を受けられるように手配することで少しでも幸せで活動的な期間が延びるように努力しなければなりません。それでも間違いなく訪れる最期にはご本人やそのご家族に悔いのない終末を送って頂きたいと思います。
 利尿剤の投与後にこの方の呼吸苦はなくなりました。しかし、SPO2は90%を切ったままです。次に苦しくなったとき、酸素を投与すればCO2ナルコーシスになるかもしれません。でも求められれば酸素をあげたいと思います。精一杯、わがままを聞いてあげたいと思います。医療ドラマによく出てくる心タンポナーデに対する心のう穿刺やドレナージはこの方の本質的な治療にはなりません。なるべく針は刺さないつもりです。御自宅に戻りたいのであればご自宅へ、心配だから入院を続けたたいとのことであれば入院を続けさせてあげたいと思います。もう医者としてできることは、あまりありません。人としてできることを考えたいと思います。

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