医師になって最初に教えられたことは、「時間のある時には寝ておけ、時間のある時には飯を食っておけ」ということでした。循環器をしていると、夜間に救急や急変で起こされることも少なくなく、食事を取れないことも良く発生しました。空腹や睡眠不足が、「やる気」を喪失することに繋がらないようにするための先輩からの教訓であったと思っています。そんな風に育ったために、時間があれば、たとえ10分であっても、すぐに眠ってしまいますし、飯を食う時間は極端に早いままです。
しかし、年齢でしょうか。目を閉じたら瞬間に睡眠に落ちていたものが、少し時間がかかるようになってきました。こんな時に床の中で悶々とするのは嫌なので本を読むことにしています。最近は、ケン・フォレットの「大聖堂」、「大聖堂 果てしなき世界」を寝る前に読んでいました。睡眠導入のために読んでいる本なのに、面白くてかえって目が覚めて困りました。
物語は、修道院を中心とする町、キングズブリッジの興亡の話ですが、その中で繰り広げられる権力闘争や、その中で翻弄される市民の生活が描かれます。 ペストに翻弄される町や市民の姿は「果てしなき世界」で描かれます。この物語の中心の一つは司教や修道士の存在です。これらの聖職者が、政治的な権力を握り、一方で医師として病気に立ち向かい、法律家として裁判に臨みます。
聖職者、医師、法律家は古典的なプロフェッションです。プロフェッションは皆の前で話すということが語源だそうです。皆の前で、宣言し、聖職者として社会に奉仕する仕事をプロフェッションと呼ぶのだそうです。古典的なプロフェッションは、現在の金銭をもらって働くことを意味するプロとは、意味が異なります。
自らを律した上での社会に対する奉仕、あるいは貢献です。こうした伝統からでしょうか、医師としてなすべきことは医師が決めるという国は少なくありません。自らを律するために多くの国で医師の不適切な行為に対する処罰は国家でなく、医師会でなされます。日本では医師会ではなく厚生労働省の医道審議会です。また、市場に投入される医療機器の認可は国家が行ってもその適応範囲は学会が決めるという国もあります。例えば、冠動脈に植込まれるステントは急性心筋梗塞に使ってはいけないというのが厚生労働省のルールですが、フランスでは、有効性が学問的に証明されていれば、学会としてその適応を認めています。医師として実施すべきことは国家に認可してもらうのではなく、自らが決定し実施するのです。。
今回の震災に対して、循環器学会・心臓財団は避難所への200台のAEDの無償の貸し出しを決定しました。日本心血管インターベンション治療学会は、被災地の県立大船渡病院にPCIができる医師を派遣しました。これらは、2011年4月3日付ブログ「避難所のAED」や2011年3月26日付のブログ「震災関連死を減らすために循環器医ができること」に記載した内容と一致するものです。もちろん、私のブログが影響したとは思っていませんが、同じように考える学会のメンバーがいたから実現したのだと思っています。
私の知る限り、学会がこのように社会的な貢献を実際に行ったことは初めてだと思います。必要な医療器具や医薬品も国の認可をお願いするだけで、エビデンスのある治療法を学会として認め、学会として責任を持って社会に還元するというようなことも過去に例がありません。(もちろん、これは法的にはできませんが…) 今回の社会的な貢献の実施により、日本の学会も本来のプロフェッションに近づいたのかもしれません。また、他国の医師会や学会のように自律したプロフェッションに近づいてもらいたいものだと願います。
「大聖堂 終わりなき世界」では、主人公のカリスとマーティンはペストからキングズブリッジを守るために、町の閉鎖を決定し実行します。この結果、町は最小限の被害で、護られました。小説に過ぎませんが、町の経済に大きな影響のある決定を、町の存亡にかかわる決定を、ペストから町を守るためにプロフェッションとして実行します。
利益を誘導するために権力におもねる医師会や認可を行政にお願いする学会から、プロフェッションとして自律し、社会に貢献する医師会や学会への成長や発展を願ってやみません。
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