2010年12月15日水曜日

私がブログを始めた訳 ネット時代の医師の生き方

本日、もしくは明日、このブログを開設してからのアクセスが10,000を超えます。この節目に私がブログを開設した目的を再確認したいと思います。

私は常に自分自身の目的意識を持って意思決定をしたいと願っています。大学医局や上司から言われて何かをさせられるというのがいやな人間なのです。1994年、私はそれまで勤務していた湘南鎌倉病院より福岡徳洲会病院に志願して転勤しました。その時の目的意識は、学会で活躍したい、目立ちたい、「ブイブイ」言いたいというものです。そのためには人口の大きな町でトップの施設を作り上げることだと考え、福岡を選びました。福岡転勤後、すぐに福岡都市圏でトップの症例数になった福岡徳洲会病院で私は対馬に出会いました。PCIをする医師がいないために都市部と比べて格段に高い死亡率を「甘受」しなければならない土地が学問の進歩に取り残されていたのです。学問や技術の進歩は万人のために存在するはずなのに、学会が相手にしない土地が存在することに気づいた私は対馬でのPCIを立ち上げる努力を始めました。対馬でPCIを始める前に急性心筋梗塞の死亡率は16%でしたが開始後の死亡率は1%に低下しました。開始後の学会の反応は好意的でした。当時の心血管インターベンション学会も日本循環器学会も世界最高峰の権威があるAHAもその成果を学会で発表することを許してくれました。一方、大学の反応は冷淡でした。心臓外科医もいない離島で医師一人が実施するPCIは危険このうえない。何かあったらどうするのかと言われました。何かあったらどうするのかと言っていた時代の死亡率は16%、たった一人の医師がPCIを始めたら1%の死亡率です。なにかあったらどうするのかという言葉でいかに多くの人が見殺しにされたかがわかります。現在、4万人しか住んでいない対馬では年間約100件のPCIがいづはら病院の守崎勝悟先生の手によって実施されています。10数年前の問題意識は守崎先生の手によって守られ実践され続けています。

対馬との出会いから私の方向性は「学会でブイブイ言いたい」ということからPCIの恩恵を受けられない穴を埋める仕事をしようということに変わりました。2000年に鹿屋にやはり志願して転勤したのはこの目的からでした。全国47都道府県の人口2位の町47都市の内、唯一PCIが実施できない町であった鹿屋にPCIの灯を灯そうという意思で転勤したのです。2005年、徳洲会を退職した時にその後どういう人生を送るかで悩みました。生まれ育った大阪でPCIをする人生を選ぶのか、縁のある福岡でするのか、鹿屋に残るかです。私がいなくても他にPCIの術者がたくさんいる大阪や福岡よりもわたしの存在がより役に立つであろう鹿屋を私は選びました。マーケットも小さく、不便で学会にも容易に行けない鹿屋を選んだのは私の目的意識に合致したからです。

かつて私はブログに何の関心もありませんでした。「どこかに旅行に行ったら楽しかった」だの「何を食ったら旨かった」だのくだらないことに限りあるインターネット資源や電力を使う気が知れなかったのです。しかし、いくつかの医師が作るブログを見て考えが変わりました。開業の先生が多いのですが、論文をよく読み、勉強し整理した内容をブログで明らかにされるのです。下手な医療記事よりもよほど役に立つブログがたくさんあることを知った私は、「くだらないたわ言」=ブログと思っていたことを恥じました。ブログがくだらないわけではなくコンテンツがくだらないだけだったのです。

学会に行く目的は何でしょうか。聴衆の立場で考えれば勉強に行くのが目的ですが、今はその内容をネットで知ることは難しくありません。PCIの実際の手技も視聴可能です。そう考えれば足を運んで参加する意味は少なくなります。発表する立場で学会に行く目的は何でしょうか。症例報告であれば自分が経験したことを多くの人に知ってもらい教訓や工夫を共有してもらうことでしょうか。臨床研究の発表を学会で行う目的は何でしょうか。自らの仮説を実証する研究成果を他から批判してもらってより高みに持ってゆくことでしょうか。これならブログやWeb siteで世に問えるのではないかと考えた結果が、「ユーザーレビューサイトの開設」に加えるもう一つの私がブログを開設した訳です。このブログでよほど良い論文を明らかにしても権威ある雑誌のreviewerの評価を受けたわけではありませんから何の権威もimpact factorもありません。しかし、昔からの権威に裏打ちされた評価はネット文化以前の形骸のような気もします。権威ある雑誌も電子版に方向性が変わり、ネットの時代の研究の発表に雑誌や学会といったコミュニティは関われなくなる可能性さえ想像します。

鹿屋への転勤後、ごく稀に行く学会で「もうPCIは引退したの?」と昔なじみの先生からよく言われました。どっこい、まだ生きています。僻地で働くために学会を諦めるというのは「Dr. コトー」時代のコンセプトです。ブログという手段を手に入れた私は、僻地でPCIをしながら学会に行かなくても発信する側としてPCIの世界に役に立ちたいと願っています。学会にもなかなか行けないという選択をした私ですが、ネット時代のブログという武器を携え、学会という場を借りずにPCIの世界に羽ばたきたいと思っています。

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