2011年3月31日木曜日

ネットワーク中心の医療や国政 迅速な情報収集、意思決定、実行のために

Fig.1 Network-Centric Medicine in Kanoya Heart Center
カルテを記載する場合、ほとんどの医師や看護師がPOMR (Problem Oriented Medical Record) の形式で記録していると思います。患者さんが抱える医学的な問題や看護的な問題をリストに挙げてそれぞれを解決していきます。例えば前下行枝閉塞による広範な急性心筋梗塞で、コントロール不良な糖尿病も持っているといった場合の医師の問題リストは以下のようになります。

#1: 前下行枝閉塞による広範前壁梗塞 ステント植込み後
#2: コントロール不良の2型糖尿病

そしてそれぞれにSOAPを記載していきます。
S は主観的なデータ  Subject
O は客観的なデータ  Object
A はS Oから判断される評価 assessment
P は評価から来る治療方針 Plan
です。

#1: 前下行枝閉塞による広範心筋梗塞 ステント植込み後
S)  軽度の胸痛持続
口渇感 軽度
O)  心雑音 なし
湿性ラ音 聴取せず
PCWP: 12mmHg
A)  軽度脱水
 P)  輸液量 増量
#2: コントロール不良の糖尿病
S) 軽度の口渇
O)  BS: 286
A)  高血糖
P)  インスリンの持続投与

このように記載しろと医師になって間もなく指導されましたが、#1と#2の口渇は重複しており2つに分けて書く意味を見いだせません。このため私は

#1: 前下行枝閉塞による広範心筋梗塞 ステント植込み後
#2: コントロール不良の糖尿病
S)  軽度の胸痛持続
口渇感 軽度
O)  心雑音 なし
湿性ラ音 聴取せず
PCWP: 12mmHg
BS: 286
A)  高血糖を伴う循環血液量の減少
P)  高血糖の悪化に留意しながら輸液量を増量
インスリンの持続投与を考慮

という具合に問題リスト別にSOAPを分けずに記載し、総合的なプランを考えます。こうした手法は、カルテが単にメモに終わらずに思考過程を記載する習慣をつけることで、患者さんに向き合う医師や看護師のトレーニングにも有効です。

こうしてたてたプランを実行した後は、そのプランで狙った通りの効果を得ることができたかを検証し、間違いがあれば修正するという作業に入ります。
 PDCAサイクルです。
Plan 計画
Do 実行
Check 評価
Act 改善

こうした考え方は問題点を整理するのに役立ちますし、実行したプランを修正するのにも役立ちます。しかし、こんなことはマネージメントを勉強した人なら誰でも知っていますし、ありきたりで古典的です。こんなことをしたり顔で話す人がいると、この程度の人なのだと思ってしまいます。3/20付のブログ マルチタスクが必要だ に米国大統領は何故、あんなにもマルチタスクがこなせるのだろうと書きましたが、考えてみました。米国の軍事的な方法論にOODAループがあります。

Observe 監視
Orient 情勢判断
Decide 意思決定
Act 行動
です。
朝鮮戦争における航空戦闘から指揮官のあるべき意思決定プロセスを理論化したものだそうです。(Wikipediaより引用)
このOSOAPSOに当てはめ、次のOSOAPAに当てはめると、意思決定のDを付け加えることでPまでうまく機能します。Pの前に意思決定のDのプロセスが入ることでPCI実施時の意思決定のプロセスに近づき、思考過程がすっきりします。PDCA サイクルよりもPCIの実施プロセスにはSOAPPDCAを融合させたようなOODAループの考え方が良いように思います。

軍の進化はOODAループに留まりません。更に進化を遂げてOODAループを超えるべく情報の収集、指揮官の意思決定のサポートにC4Iというシステムが構築されています。4つのCIです。
Command
Control
Communication
Computer
Intelligence
です。
ネットワーク化されたコンピューターを用いて、収集された情報を統合・共有化し、指示も迅速に共有化するものです。ネットワーク中心の戦争、Network-Centric Warfare, NCW です。熱いものに触れた時に瞬時に触れた手を引っ込めるという動作を動物は実行します。熱いものに触れた信号が求心性の神経線維を通って脳に伝えられ、瞬時に手を引っ込めろという遠心性の神経を通って運動として実行されます。こうした情報収集系と実行系をネットワークを用いて組織だてるという考え方だと理解しています。

鹿屋ハートセンターでは、Fig. 1に示すように全ての部署がネットワークで接続されています。今では、この図に示したCTは64列MDCT( Optima CT 660 pro )に更新をしましたし、2Fのカテーテル検査室のカテの動画もIVUSもこのネットワークに接続されています。情報収集系である生理検査で実施されたエコーや心電図、放射線で実施されたCT画像は瞬時にネットワークにのり、私を含めた全職員に共有化されます。看護師の記録も同様です。血液検査結果は、検査センターからインターネットを通じてセコムの電子カルテに送られます。病棟のセントラルモニターに表示されるアラームも、異常心電図がPDFファイルに自動生成され、電子カルテから呼び出せる仕組みです。求心性の神経線維の部分です。こうして収集された情報を元に患者さんの治療方針を決定します。
一方、遠心性の神経線維を通る私からでる指示も同じネットワークを通じて全職員に共有されます。情報を収集してくれよという検査指示も、投薬指示もカテの実施の指示もです。これ以外にも、兵站に当たる医療材料の供給のオーダーも、カテ室での使用と同時にインターネットを通じて卸さんに伝えられます。事務のレセプト業務も同じネットワーク内で行われています。 気がつけば、鹿屋ハートセンターではC4Iと同様のシステムを構築していたことになります。Network-Centric Medicine です。このシステムの設計は、5年前に私とGE healthcareセコム医療システムで行ったものです。実際に稼働して4年半が経過しましたが、このシステムに助けられて、年間200件程度のPCIでは時間を持て余すようになりましたし、経営的にも安定しているのだと思っています。

ところでこのC4Iのシステムは日本の自衛隊にも採用され、実際に稼働もしています。端末は最高指揮官のいる首相官邸にもあるそうです。システムも所詮は人間の使う道具に過ぎませんから、どのようによいシステムがあっても使う人の能力によっては無力化されます。国政という途方もない規模の仕事ですから、自衛隊に留まらず、各官庁がネットワーク化され情報の収集系も、指示の伝達系も迅速に共有化が図られ、実行できるシステム作りが今後必要になってくるのではないかと思います。このようなネットワークが構築されれば同様の仕事を行う原子力行政を担う部署が複数の省庁におかれるという愚を避けることが可能で、「仕分け」以上の経済効果を上げられるような気がします。行革がただの省庁の統廃合や「仕分け」に終わらず、C4Iのようなシステムで作られたネットワーク中心の国政 Network-Centric Government というような視点で行われると、大きな仕事を迅速に実施する小さな政府が誕生するかもしれません。このようなNetwork-Centric Governmentでは、資料を出せと言っても官僚が出さなくて困ると大臣が愚痴る場面もなくなりますし、資料を提出させたということを手柄にする大臣もいなくなります。

2011年3月26日土曜日

震災関連死を減らすために循環器医ができること

Fig.1 PCI available Hospital MAP
日本は北は稚内から南は石垣島、宮古島までPCIが可能な国です。このように隅々までPCIが可能な施設がある国は世界中で日本以外に思いつきません。このため、1施設当たりの症例数が少なくスキルアップが困難なために集約化すべきだとの議論があります。しかし、一方でどの地域に住んでいても、急性心筋梗塞になった時に治療が受けられるというメリットもあります。私は、症例数が多い病院が少なく存在するよりも、症例数が少なくてもどこでも治療を受けることができるというのが日本の医療のよいところだと思っています。

私がかつて関わった対馬のいづはら病院のPCI症例数は100件程度ですが、対馬の心筋梗塞の100%を引き受けています。石垣島でも宮古島でも同様でしょう。一方、国内のベスト3の千葉西病院や小倉記念病院、新東京病院がその地域の100%の心筋梗塞を引き受けているわけではありません。都市部にある症例数の多い大病院には代替があり、症例数の少ない地方の病院には代替がないのです。ですから、症例数が少なくてもそこにある意義は極めて大きいと言えます。

震災関連死の原因疾患として心不全と心筋梗塞が多いことを3/24付のブログで書きました。この震災関連死に対する対策として避難所を遠隔地に設定する広域避難(3/17付ブログ)が有効ではないかと考えていました。しかし、福島第一原発の半径30km以内に住む方にも自主避難(勝手に逃げなさい)という政府では震災関連死対策として広域避難などできるはずがありません。では、震災関連死を黙って受け入れなければならないのでしょうか。

Fig.1は私が東北地方の地図にPCIができる施設をプロットしたものです。プロットした以外にもPCIができる施設はまだあります。全国にベスト10に入る仙台厚生病院もあれば年間数十件の施設もあります。「症例数の多い良い病院」も重要ですし、症例数が少なくてもそこにPCI可能な施設が存在することも重要です。八戸から久慈までは心配ないでしょう。久慈から県立大船渡までは少し心配ですが、盛岡までヘリ搬送すれば対処可能と思われます。気仙沼、石巻にもPCI可能施設があります。仙台は心配ないでしょう。福島県は心配ですがやはり福島市内へのヘリ搬送が現実的な対処と思われます。ただ、福島医大が目一杯であれば医大に対する支援も必要かもしれません。茨城県内も海岸線近くにPCI可能施設が存在します。

日本循環器学会の呼びかけで震災に関連して発症する循環器救急の受け入れを全国の病院が表明しました。しかし、一刻も早いPCIが必要な急性心筋梗塞患者を鹿児島に連れてくるなどということは現実的ではありません。震災関連死を減少させるにはこの地図にプロットした病院の機能が維持され、場合によっては高まるように学会を挙げてこの病院群を支援することだと思います。学会にも提案してみたいと思います。

2011年3月24日木曜日

危機に際しての指揮系統の混乱あるいは欠如にもどかしい思いで一杯です


Fig. National Document about Hanshin-Awaji Earthquake

1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生しました。1995年12月27日、それまでの死者数に震災関連死が加えられ、死者数はそれまでの5502人から6308人とされました。その差806人が震災関連死です。直接死の14.6%、全体の12.8%が震災関連死です。神戸新聞によれば関連死の約半数を占めたのが肺炎、心不全、心筋梗塞であったそうです。一方、津名郡医師会の統計によれば、震災の前年と震災後を比較すると、津名郡だけで心筋梗塞の発症は6名から28名、脳卒中では31名から58名に増加していたとのことです。このうち、公に関連死と認められたのは4名だけであったとのことです。ですから、この増加分が震災関連死であったと考えると、さらに震災死に占める関連死の割合は増えることになります。


Fig. 2 National Document about Wide Transportation

3/24現在、確認されている死者は9811名、不明者を合わせると27000名にもなります。阪神淡路と同様にこの数字の15%が関連死すると考えると確認された死者数だけで計算しても1472名、27000人で考えると4050名の関連死が想定されるということになります。津名郡と同様の現象が起きればこの数字はもっと大きくなります。

今回の震災で発生するかもしれない関連死は私の計算ですが、阪神淡路の直接死と関連死の数、津名郡医師会の話のソースは、Fig. 1です。内閣府の教訓情報資料集の中で見つけました。内閣府の中に政策統括官(防災担当)が置かれ、担当大臣は松本龍内閣府特命担当大臣(防災)です。また、Fig. 2も内閣府のweb siteで見つけた広域医療搬送の概念図です。防災を担当する内閣府には、阪神淡路大震災を教訓にして、次の対策に結びつけなければという問題意識はあったようです。また、この問題意識から広域医療搬送の概念も確立しており、実際に広域搬送の訓練まで実施されていました。

では、何故、教訓にしなければならないという問題意識があり、実際に訓練まで実施されているのに、最大で数千人の関連死が発生するかもしれない状況で、実際の行動に移れないのでしょうか。やはり指揮官の問題でしょうか?

3/17付の当ブログ 広域避難をに京都大学防災研究所のレポートについて書きましたが、これば文部科学省の科学研究費補助金を用いて実施された調査研究のレポートです。他国の災害や過去の災害から学んで今後に役立てようという国費を使った活動が複数の省庁で行われています。これは、ましな方で今の最大の問題の原子力行政はどうなっているでしょうか。内閣府に原子力委員会原子力安全員会が設置されています。文部科学省には放射線審議会がおかれています。経済産業省には原子力安全・保安院が置かれています。原子力行政を一元的に管理する形態になっていないことに唖然としました。

防災に関してはどうでしょうか。中央防災会議のメンバーは全閣僚と日赤社長、NHK会長、日銀総裁などオールスターです。「みんなの責任、無責任」との言葉がありますがこれではどの組織がイニシアチブを発揮して指揮するのかが分かりません。まして今回の震災発生から中央防災会議は開かれていませんから、何のために中央防災会議が存在するのかその意義も不明になりました。この中央防災会議に加えて、原子力災害対策本部、緊急災害対策本部、被災者生活支援特別対策本部、福島原子力発電所事故対策統合本部です。米国ではFEMAが一元的に指揮をとり、軍をも動かし、避難から医療、住宅再建まで担当し、各省庁をコントロールします。これと比較すると日本の行政の指揮系統はぐちゃぐちゃです。サッカーに例えましょう。攻撃担当の指揮官とディフェンス担当の指揮官とゴールキーパー担当の指揮官に加えて医療担当の指揮官がそれぞれに選手に指示を出したらどうなるでしょうか。チームとして仕事ができるはずがありません。指揮官は一人で、他の担当は助言やサポートをすることだけです。これでチームとして機能するのです。

こうした指揮系統の混乱が、現場にも自衛隊にも自治体にも混乱をもたらし、数千人の関連死がなすすべもなく発生するかもしれないと思うともどかしくて仕方がありません。あてにならない政府とは別に対策を考えなくてはなりません。

2011年3月23日水曜日

緊急時に非常事態を宣言する意味 リーダーの役割とスタッフの役割

何故、ブログを書くのかを2010年12月15日付で書きました。それはネット時代にわざわざ学会に行かなくてもネットで発信すればよいではないかという内容でした。では、何を発信するのでしょうか。それは、30年間のカテーテル検査に関わってきた経験や25年間のPCIに関わってきた経験を伝えたいということだと思っています。私の経験が正しいと言いたいわけではありませんが、短くない経験を次の世代に参考にしていただければと考えてのことです。技術的なことも伝えることができればとも思いますし、心構えも伝えることができればとも思っています。

カテーテル検査やカテーテル治療は、生命に関わるリスクのある手技であり、まず自分の手の中に患者さんの命を預かっているという恐れを持って臨んでほしいと思いますし、私自身がそれを忘れてはならないとも思っています。ですから、冠動脈が狭ければバルーンで拡げてステントを入れておしまいという感じで出たとこ勝負というのはあり得ないと思っています。このため治療のデザインができていなければデザインができるまで手を出さない選択を2011年1月14日付のブログで書きました。また、困難が予想されるケースでは、自分の力量、使える道具の特性を知ること、バックアップを準備することを書きました。十分な準備をしたのにクリティカルな状況になった場合の対処にも、対策の有効性と弊害(合併症)を考慮して実行を図るのだと書きました。また、クリティカルな状況になった時には、責任回避の言い訳を考えるよりも危機回避に専念すべきと書きました。今回は宣言することの意味を書こうと思います。

IABPを入れたケースで、入れるぞと宣言してから作動までが4分であったと書きましたが、その前に、IABPを入れる可能性があり、準備を始めてくれと宣言していました。このため、カテ室のスタッフのあるものは手元にIABPのセットを置き、いつでも開封できるようにしていましたし、あるものはIABPのための心電図をセットし、テストバルーンでの作動を確認し始めました。また、病棟では帰室後の圧モニターがすぐにセットできるようにICUにベッドを準備し始めました。こうした、宣言と準備があって、決断から4分で実際の作動させることができたのです。作動が始まれば、ICUではベッドサイドで圧モニターキットが実際に準備されますし、次のカテのケースには本人やご家族に次のカテの開始が遅くなったり、あるいは延期になったりという可能性を伝えることも始まります。このように、鹿屋ハートセンターのような小さな施設であっても、一つの緊急時に発生する複合的な作業は、やるぞという宣言から始まるのです。宣言がなければ、こうした準備を勝手にスタッフが始めるのはためらわれるものだと理解しています。リーダーの宣言がある故に、ためらわずに迅速な行動に移れるのだと思います。

緊急事態にリーダーが緊急事態であることを宣言しない場合はどうなるでしょうか。スタッフの多くはリーダーに助言や意見具申をすることをためらって、処置が後手後手になるかもしれません。こうした時に、自分たちの行為が人の命に係わるのだという意識が最も重要ですから、リーダーに嫌われても、このままで良いのかと思い切って口に出すことがスタッフに求めれる責任でしょうし、宣言が遅れたリーダーも意見具申されたことを感謝しなければなりません。このようなリーダーと副官との間の葛藤は1995年の映画「クリムゾン・タイド」でも描かれています。この映画の中では、艦長からの一方的な命令伝達と復命だけではなく、副艦長の役割も描かれています。リ-ダーが過ちを犯す時にそれを修正するスタッフの力があってチームはより良いものなるのだと思っています。

今回の震災とそれに伴う福島の原子力発電所の事故で、原子力災害対策特別措置法に基づき、原子力緊急事態宣言の発出がなされ、原子力災害対策本部が設置されました(第15条)。この宣言がなされたことで、対策は国家の責任でなされることが決定づけられました。一方、今回のような大規模激甚災害であるにもかかわらず、災害対策基本法に基づく災害緊急事態の布告(105条)はなされていません。このため、広域避難も地方自治体単位で動かざるを得ない状況になっているのだと思います。このような激甚災害でも布告がなされないのであれば、災害対策基本法の105条など不要ではないかとさえ思ってしまいます。

ハリケーン・カトリーナの上陸に際し、ブッシュ大統領は非常事態を宣言し、その宣言がある故に、FEMAが国家の責任において対策を講じました。この時のFEMAの対応には問題があったとの批判はありますが、大統領が非常事態を宣言することでルイジアナ州だけでの責任ではなく国家の責任が明らかになったことには意義があったと思います。

布告がなされず、国家の責任で系統だった救難や復興ができなかったとすれば、その責任はもちろんリーダーにありますが、リーダーに対する助言や意見具申ができなかったとすれば、そのスタッフの責任も小さくはありません。

2011年3月20日日曜日

職人にもリーダーにも、マルチセンサー、マルチタスクが必要です

Fig. 1 With Mr. Naoto Kan at Oosumi Kanoya Hospital in 2004
  Fig. 1は2004年に当時の民主党代表として鹿屋を訪問された菅直人現首相を、私が大隅鹿屋病院院長として病院に迎えた時の写真です。この直後にご本人の年金未納問題で代表を退かれました。

  2001年に大隅鹿屋病院の院長に、2004年に徳洲会の専務理事になってから、2005年に専務理事を辞し退職するまで、全くカテーテル検査やカテーテル治療をしなかった訳ではありませんが、それ以前と比べて関わる件数が大幅に減りました。最後の1年は全くと言ってよいほどカテーテルには触りませんでした。この頃は、外科医がメスを置く日が来るようにカテーテル治療医がカテーテルを置く日が来るのは当然だし、病院や組織をマネージメントして現場で働く医師をサポートするのも医師の仕事だと割り切ろうと思っていました。しかし、徳洲会を退職し、現場に戻ろうと決断して鹿屋ハートセンターを立ち上げました。鹿屋ハートセンターの建築中であった約1年間は浪人としてあちこちの病院でカテーテル治療をさせていただきました。その過程がほど良いリハビリになり、スムーズに鹿屋ハートセンターでのカテーテル治療のスタートが切れたと思っています。

  浪人中、カテーテル治療をさせて頂いている時に、今だから正直に話せますが、こんなにへたくそでは現場に戻れないのではないかと不安に思っていました。

  カテーテル治療をしている姿を誰かが見ると、撮影したマップ画像を参照しながら、ワイヤーを進め、バルーンでの拡張結果を瞬時に判断し、ステント植え込みを行うといった一連の手技に視覚的に集中しているように見えると思います。しかし、私の感覚では視覚的な集中とともに、耳ではモニターから発せられる心拍を感じ、そのモニターに表示される血圧を眼の隅でチェックしています。また、目の前の患者さんの息遣いから吐き気をもよおしていないかなどの雰囲気を感じ取り、カテーテル検査室の空気からスタッフの配置や集中度を感じています。こうした感覚は25歳からカテーテルを始めてから意識することがなかったのですが、ブランクが生じた後にカテーテルを再開すると、多くのセンサーからの情報を元にカテーテル治療をしていたのだと意識するようになりました。浪人中にカテーテル治療をしているふとした瞬間に、血圧を眼の隅でチェックしていなかった自分に気が付き、25年間の修行で身についたカテーテルをする身体ではなくなっていると思ったのです。こうしたマルチセンサーを失ってしまったという感覚が私を不安にさせていたのです。

  鹿屋ハートセンターを開設してもうすぐ5年が経過し、カテーテル治療件数ももうすぐ1000件になろうとしています。今は、浪人中の不安を感じることなく、カテーテル治療をする身体に戻ったと自分なりに評価しています。また、現場のマルチセンサーだけではなく、電子カルテを使って容易にチェックできる患者情報、例えば心機能がどうかだとか腎機能がどうだとかの情報も頭の中で整理しながら一つのカテーテル治療ができるようになったと思っています。

  こんな風に書くと、カテーテル治療医になるのは大変だと思われる方もいるかもしれませんが、そうでもありません。豆腐屋さんが大豆の状態を把握し、気温や湿度を感じ取り、煮る時間やにがりの量、攪拌する時間を調節するのも同じことですし、杜氏の仕事も大工も板前も同じです。マルチセンサーで一つの仕事をやり遂げるのは職人の世界では当たり前だと思っています。

  では職人を束ねる病院長の仕事はどうでしょう。各科の売り上げや来院患者数、入院患者数をチェックするだけではなく、その質を検証しなければなりません。一方、医薬品や材料が滞らないように調達するだけではなく、その原価にも目が向かなければなりません。病院で調達する食材も同じです。また、人事にも気をつけなくてはなりません。ファイナンスの仕事も重要です。職人を束ねる仕事はマルチセンサーに加えて、マルチタスク(同時並行処理)が要求されるのです。会社を経営するのも同じことです。職人として上手なだけではリーダーにはなれません。職人の資質とリーダーの資質は共通することも多くありますが、異質でもあります。

  今回の震災に触れ、米国は日本とともにあると宣言したオバマ大統領は、その直後にリビアに対する軍事介入に言及し、リビアを見ているかと思えば南米に歴訪です。国家を率いるリーダーにはどれほどのマルチセンサーが必要で、そこから得られる情報を元にどれほどのマルチタスクをこなすのかと感心してしまいます。当然ですが、立法府の議員と行政府のリーダーには共通するものも多くありますが、やはり異質です。

  浪人時代の不安を抱えていた時、マルチセンサーが復帰せずに、マルチタスクが実行できないようであれば開業を諦めようとも思ったものです。また、今後、歳をとり、このマルチセンサーを失い、マルチタスクをこなすことができなくなれば、提供する医療の質を担保するために潔く引退しなければならないとも思っています。

  政治主導という名の元に官僚というマルチセンサーを使いこなせず、マルチタスクができないようであれば国家のリーダーは務まりません。そうした資質を国民が見抜けなかったのかもしれません。

2011年3月18日金曜日

親が頼りないと子供たちがしっかりとするようです

福島の原子力発電所の事故に対す避難指示を受けて、埼玉県、栃木県、茨城県、山形県、新潟県等で避難民の受け入れを行っているとの報道を見て、本当に日本は捨てたもんじゃないと思います。神戸や広島もです。九州でも数は少ないのですが、大分県などでの受け入れが始まっています。鹿児島市内に来られた方もおられます。

災害対策基本法原子力災害対策基本法、昨日書いた国民保護法で避難を指示する権限と、避難に必要な移動手段を確保できる政府が頼りないと、地方自治体がしっかりとするようです。

ただ、この仕組みで避難できる方はまだ恵まれている方のような気がします。既に各避難所での死亡が次々と報じられる中でやはり福島だけではない広域の避難の計画が必要だと思います。

被災者に発症する循環器の急病に対応できるかという日本循環器学会からの呼びかけに日本中の多くの医療機関が手を上げています。北海道から沖縄までです。避難されている方たちに発症した重病に対応できる拠点病院の設定、その近傍に設営する避難所があれば循環器救急に対応可能です。

子供たち任せにせず、親がしっかりしないといけません。

2011年3月17日木曜日

今こそ域外への広域避難や広域救急搬送が求められているのではないでしょうか

Fig. 1 From CVIT
鹿屋ハートセンターなどで実施している心血管のカテーテル治療を行っている全国の医師が集う学会があります。日本心血管インターベンション学会です。CVITと略称されています。今回の東日本大震災の被害に対して何かできないかということが理事会で議論され、現地に赴く学会員への支援と500万円の義援金を決定しました。私の知る限り、阪神淡路大震災でも中越地震でも、スマトラ沖地震でもこのような動きはなかったように思います。カテーテル治療には、大規模な装置が必要であり電力の安定した供給がないところでは急性心筋梗塞に対するカテーテル治療も実施できません。カテーテル治療医は偉そうにしていても、電力のないところではカテーテル治療医としてできることは何もありません。その学会が何かをしなければならないと考えるほどに今回の震災に対して多くの日本人が真剣に考えているのだと思います。

震災発生2日後の3/13日付のブログから言いたかったことをはっきりと言いたいと思います。被災地での活動にこだわるなということです。モノやヒトの流れは被災地に向かってだけではなく、被災地から非被災地への流れを考えるべきだという点です。

福島の避難所にいた、病院の入院患者である避難者の死亡が伝えられました。他の避難所でも高齢者の死亡が伝えられていますし、DMATの報告でも心筋梗塞の発症などが報告されています。こうした大規模災害時に、感染症だけではなく急性心筋梗塞や肺塞栓症などの重篤な病気の発病が増えることはよく知られています。先ほども述べましたが、電力の供給や医療機器のそろっていないところでは、普通の環境であれば助かる疾患であっても救命はできません。現地に避難所を設定してそこで巡回検診を行うことにもちろん意味はあると思いますが、災害関連死を減らすために充分なのでしょうか。インドネシアのバンダアチェやタイのカオラックに救援に行った私の僅かな経験では、被災地の設備の整っていないところでできることは本当に限られているのです。

2005年にニューオーリンズを襲ったハリケーン・カトリーナに際し、ニューオーリンズのスーパードームからヒューストンのアストロドームへの数万人にも及ぶ集団避難を米国は実施しました。その距離は直線で300-400kmにもなります。この経験に学ぼうと京都大学防災研究所が文部科学省から1160万円の補助を得て現地調査を行い、報告書を作成しています。ニューオーリンズが水没したのが8月30日、スーパードームからの避難完了は9月3日です。3/13のブログ 歴史に学ぶで、スリランカでは重症患者はヘリ搬送されたことを書きました。同様にインドネシアでも、バンダアチェで治療できない患者はメダンやジャカルタに搬送されました。電力や食料、水でさえも十分ではない現地の避難所での救援には限界があるのではないでしょうか。強く表現すれば、現地での救援しか思いつかない政府の無策が避難所での災害関連死を発生させていると言うことすらできると思っています。

原発事故の対策としての避難勧告を受けて、栃木県や茨城県での受け入れが始まっています。また、私の暮らす九州でも大分県や福岡県が被災者の受け入れを表明しています。域外の受け入れ表明は自治体にとどまりません。透析医会では被災者の透析の受け入れを表明して受け入れ可能な全国の施設を公表しています。また、産婦人科学会も被災者の出産の受け入れを表明しています。受け皿はあっても、域外への移動にはそのマネージメントや移動手段の確保が必要です。国民保護法に基づき、広域の避難は法律上も可能と聞いています。また、この法律に基づく訓練はどの自治体でも実施済みです。より暖かく、電力も安定して食料や飲料水も安定している地域への広域の避難を今こそ決断すべきだと思います。そうすればそこで発生する重篤な疾患の治療もその土地で当たり前に実施可能となります。広域の避難の決定は各自治体ではできません。福島の原子力発電所の状況によっては数十万人にも及ぶ域外への避難になるかもしれません。政府の速やかな決断が必要です。

2011年3月15日火曜日

課題の大きさと自分の能力を計り、責任ある判断をするのが医師やリーダーの仕事である

Fig. 1 Emergency surgery with flashlight at Banda Aceh in 2005

Fig. 2 Prime Minister's Office in Sri Lanka
現在の鹿屋では年間に700-750件のPCI[が実施されています。これは人口10万人当りの数で言えば、国内で2位か3位の数になります。国内では最もPCIの普及が進んでいる街です。しかしこの状況はわずかこの10年で構築されたものです。10年前には全国に47ある都道府県の47の人口2位の町の中では唯一、PCIが実施できない町でした。

10年前にPCIを必要とする急性心筋梗塞患者が発生すると錦江湾を渡って鹿児島市内に搬送するしかありませんでした。このため搬送中に亡くなる方もおられ、現地でなんとかPCIができる体制を作ろうと、私が鹿屋に転勤したのが2000年でした。日本で最も遅れた土地から、日本で最も進歩した街へ一気に10年で変化したわけですから心筋梗塞治療のパラダイムシフトが起きたと表現可能です。

Fig. 3 Discussion with Minister for Disaster in Sri Lanka
10年前の急性心筋梗塞治療のテーマは如何に安全で迅速な搬送ができるかでした。その後のテーマは如何に鹿屋市内で迅速に治療するかに変化したわけです。めったに発生する事態ではありませんが2例の急性心筋梗塞が同時に発生した場合はどうでしょうか。現在では複数ある鹿屋市内の循環器施設にお願いすればよいことです。更に稀なことですが鹿屋市内の医療機関も手一杯で受け入れが不可能な事態にはどう対処すべきでしょうか。10年前と同様に鹿児島市内に搬送するか、優先順位を付けてお一人には待ってもらって連続して治療するかの選択です。PCIが一般に1時間足らずで終了することを考えれば、搬送に2時間を要する鹿児島市内への搬送よりも待っていただくほうがより安全だと言えます。ですから正解は搬送よりも待っていただいて鹿屋で順次治療するほうが良いということになります。

このように緊急事態には、できることとできないことを常に天秤にかけてより有利な選択をするように心がけます。待っていただいているうちに命を失うことがあったとしても、より救命の蓋然性が高い策を選択するのが医師の務めです。鹿屋ハートセンターには1台の呼吸器と1台のIABPしか備えがありません。それでも滅多に使用する機会はありません。昨日のようにIABPを使用する機会が発生した場合、緊急時の予備がない状態が発生しているわけですから、この状態ではもう一人の待機的な重症患者の治療には手を出さないことが鉄則です。備えができる次の機会まで待てばよいのです。このように何か生命に関わる治療を実施する場合、今持っている資源や能力を知り、自らが手を下すべきか、他に委ねるか、時期を変えるかといった判断を常にしなければなりません。

Fig. 1は2004年12月のスマトラ沖地震で被災したバンダアチェのZainoel Abidin病院での手術の様子です。2005年3月です。アチェ州最大の病院であるZainoel Abidin病院での治療ができない場合、次の選択は、飛行機で1時間離れたメダンでの治療です。実際、透析患者の場合、津波後の透析はメダンで受けておられました。しかし、緊急手術の場合、搬送という選択はありません。電力供給が不安定な中、懐中電灯での手術を余儀なくされました。懐中電灯での手術のリスクと搬送のリスクを天秤にかけた上での選択です。このような懐中電灯での手術の光景は阪神淡路大震災の時にも見られました。その場その場の判断は常に正しいと思いますが、それでも当時は大阪への搬送後の手術という選択はなかったのかと思いました。

Fig. 2は2005年1月にスリランカの首相官邸で担当官から、被災の状況と復興のプランを聞いた時のものです。担当官が左手で示しているのは、被災者の遺体を埋葬するために掘った巨大な穴です。生存者の救出と生存者の保護を優先する選択をしたために、 遺体の身元確認はしないまま埋葬されました。タイでは、遺体の身元はすべて明らかにし、1体残らず家族に返すという選択をされました。しかし、全ての身元確認は2011年現在もできていません。2005年当時、スリランカのこの選択を随分と乱暴だなとも思い、日本では、到底この選択はできないと思いましたが、今はタイの選択もスリランカの選択もどちらも見識のある選択であったと思います。

Fig. 3は、私とスリランカの災害担当大臣のディスカッションの光景です。被災後、わずか2週間でしたが、スリランカ政府の軸足は復興であり、災害救援の出番はないと判断した瞬間です。

救急患者に関わる治療の選択の中で、自分が手を出して治療するべきなのか他に委ねるべきなのかを、患者の容体やリスクを計り自分の力量や持ち合わせている資源を計った上で、決定するのは医師の責任です。 しかし、今回の震災のように大規模な被災者の発生、破壊されたインフラの中では、一人の医師や一つの医療機関の判断に委ねるには大きすぎるテーマのように思えます。課題の規模を計り、提供できる医療の能力を全体として計り、現地で治療を進めるのか、広域の救急搬送のシステムを構築するのかは政治の判断だと思っています。

2011年3月14日月曜日

クリティカルな状況でなすべきこと 危機回避か説明責任か  

Fig. 1 CT image 2 years after RCA stenting
報道される震災の惨状を見ているとどうしても明るい気持ちにはなれません。しかし、どんなにつらい気持ちの時にも目の前に解決すべき問題を持っている患者さんがいれば、やる気を振り絞って前に進むしかありません。本日のケースです。右冠動脈の近位部にdiffuse long lesion があったために2年前にstent植込みを行っています。硬く長い病変であったためにstent植込みに難渋し、proxymalにはTAXUSを植え込めましたが、そのdistalにはVISIONしか植え込めなかったケースです。


DMです。一時は6.6%まで下がったA1Cは7.4%に上昇し、最近のコントロールは悪くなっていました。胸部症状はありません。2年ぶりにCTで評価しました。Fig. 1に示すようにstent 内に再狭窄を認めませんが矢印の#3 に非常にdensity の低い狭窄を認めます。このため本日のCAGとなりました。

Fig. 2 Before PCI


Fig. 2のCAGではやはりstent内再狭窄は認めませんが、CTで見えた部位は一部血栓がついたような強い狭窄です。proxymalの矢印の部位は強いhairpin curveです。前回stent植込みに難渋した記憶が甦ります。バルーンは持っていけるでしょうがstent は通過しないかもしれません。閉塞性の解離が生じた時にstentが持ち込めなければcriticalな状況が発生します。ご家族に非常にリスクの高いPCIになることを説明し、PCIを開始しました。

Fig. 3 During PCI

AL1をガイディングカテに選択し、Runthrough Extra floppyで病変をクロスしました。TAZUNA 3.0mmX20mmは容易に病変を通過しました。この時、一緒にPCIをしていた鹿大のK先生には、ここでballoonを拡張すると後戻りできない、point of no returnだよと話しました。predilatation後のCAGがFig. 3です。解離に加えてslow flowです。STの上昇も遷延しています。distal emboli + dissection です。解離だけでも処理しなければなりません。選んだstentはMedtronic Driver 3.5mm X 15mmです。明らかに病変長は15㎜を超えていますがHairpin curveを超えるのに長いstentは無理だろうとの判断からです。DESははなから無理だと思っていましたが3.5㎜径であればBare Metal stentも悪くないとの判断もしていました。1個目のstent植込み後slow flowは更にひどくなり、血圧は50mmHgまで低下、心拍数も40です。2/21のケースではIABPを回避しましたが、今回はIABPを使うことを決断しました。IABPを入れるぞと宣言してから作動までカテの記録を見ると4分です。いつでも使える心づもりをしていてくれよと言っていたこと、この4年間のスタッフの習熟の成果です。

  
Fig. 4 After successful stenting

IABP作動後、もう1個のDriver stent植込みを行いFig. 4のような結果になりました。STも若干上昇しているものの胸痛も取れ帰室できました。帰室後しばらくはIABPを作動させましたが、長期の作動は合併症発生の元です。3時間後には抜去しました。

PCI後、ご家族に心臓が止まりかけたこと、IABPで補助しながら最終的にはstent植込みに成功し、状態は安定したことを説明しました。


目の前に危機が発生している時に最も大事なことは危機を回避する最大限の努力をすることだと思っています。今回はうまく危機を回避できましたが、医療の現場では危機が回避できないことももちろん起こりえます。本日のケースで危機が回避できずに最悪の結果になった時、なぜ途中で逐次、状況を説明しに来なかったのだとお叱りを受けたかもしれません。そうしたお叱りを避けるために目の前にある危機に全力で立ち向かわずに、お叱りを受けるのを避けるための努力を10%でもするのは間違っていると思います。結果が悪ければお叱りを受けるのは当然です。それを恐れるより、最悪の結果を恐れて100%の力で危機を回避する努力をするのが正しいと思っています。このように考えると、爆発や被ばくの危険の中で、最悪の事態を避けようと勇敢に福島の原発で危機に立ち向かっている現場の専門家や作業員の皆さんに共感を覚えます。逐一、説明しろなどという声が現場に届かず、彼らが危機の回避に専念できることを願っています。取り返しのつかないことになるにしても、彼ら以外に危機に立ち向かえる者はいないのです。彼らが雑音に悩まされずに成功裏に危機を回避できることを願って静かに祈っていましょう。


2011年3月13日日曜日

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)に思う 学ぶべき歴史

Fig. 1 Khao Lak beach,Thailand 3days after Tsunami, 2004
Fig. 2 Sri Lanka 2Weeks after Tsunami
Fig. 3 Banda Aceh, Indonesia 3months after Tsunami
2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。報道される惨状を見ていて、かつて見た光景を思い出しました。2004年12月26日に発生したスマトラ沖地震とそれに伴うインド洋大津波です。

当時、徳洲会の専務理事をしていた私は、徳田虎雄さんの命を受け、発生2日後の12月28日にタイのプーケットに入りました。Fig. 1はその翌日のプーケットの北方のカオラック海岸の様子です。海岸から数kmはありとあらゆるものが破壊され、水浸しになった更地に、廃墟や自動車がそのまま放置されていました。遺体収容袋を満載したトラックを何台も見かけました。多くのヨーロッパ人の外傷患者を受け入れきれなかったタクアパの県立病院の支援を決め、 2005年の元旦はタクアパで迎えました。

そのおよそ10日後には支援の必要性を検討するためにスリランカに入りました。Fig. 2はその時の写真です。やはりカオラックと同様の光景が広がっていました。 スリランカでは地震発生直後の医療の需要の急増期を過ぎていたために現地での活動は行わずに、医薬品等を送ることだけを決めました。

Fig.3は地震発生からおよそ3月経過した、インドネシアのバンダアチェです。復興が進まず、直後に増加した医療の需要は落ち着いていたものの病院そのものが被災したために通常の医療需要に応える供給が間に合っていませんでした。このため約1ヵ月間、機能の低下した病院の復興の仕事をさせてもらいました。透析やICUの再開です。

経験したこの3カ国の光景はまさに、いま報道されている東日本大震災による津波の被害の光景と同様に見えます。スマトラ沖地震の際には防波堤や防潮堤が整備されていないところに建築された、耐震性の低い建物であったからこのような悲劇が起きたと思っていましたが日本も同様でした。私たちの国は大丈夫だという過信は自然の猛威の前にいかに甘い判断であったかを今回の震災が明らかにしたものと思います。

6年前に多くのものを学びました。震災の後、医療の需要が急増し、供給が不足になる時には医師や看護師といった人的資源や医薬品の支援が、医療供給量を増やし急場を乗り越えるのに役立ちます。一方、急場が過ぎると、被災した病院の供給量を元に戻すためにモノやヒトだけではない病院インフラを再構築する仕事が待っています。ステージによってするべき仕事の内容が変わってくるのです。
バンダアチェと比べるとタイでは復興は早くに進みました。タイでは地震そのものの被害はなく、津波による被害だけであったために、被災地は帯状でした。水に浸からなかった場所は全く何の被害もないために被災地を支えるインフラは整っていたのです。電気も水道も維持され、救援に入った私たちは食料調達にも困ることはありませんでした。
一方、バンダアチェでは地震そのものの被害も受けていたこと、海岸近くに広大な平地が広がっており帯ではなく面状に津波の被害も受けていました。このため病院の機能も完全に破壊されており救急治療は困難を極めました。この状況は今回の東日本大震災における気仙沼や陸前高田の被害の状況に似ていると思います。
スリランカでこうした事態の解決策を教えてもらいました。スリランカ東海岸が津波の被害を受けましたが、西岸のコロンボにある病院に重症患者はヘリ搬送され治療を受けられたのです。インフラの破壊された土地での困難な治療よりも少し足を延ばすだけでより質の高い治療を受けることが可能であったわけです。見習うべき対策と思ったものです。

タイでは外国人の被害が多かったことから、被災者、行方不明者を探すことが困難でした。こうした中でタイ政府は、震災の救援サイトを立ち上げました。行方が分からなくなった家族の特徴を登録するデータベース(この人を探していますというデータベース)をインターネット上に公開しました。一方で身元不明の遺体の特徴をまとめたデータベース(このような人が見つかりましたというデータベース)もインターネット上で公開しました。このため、行方不明と登録されている人が無事にすでに自国に帰っている場合など、自分の国からこの不明者リストから登録を削除するということ可能でした。また、行方不明者を探すために家族が避難所や遺体安置所をさまよい歩くということも減らすことができました。そしてこのデータベースにアクセスするためのコンピューターは被災地のいたるところにおかれ、誰もが使用可能でした。

日本は先進国です。しかし、全てにおいて他国と比べて優れたことができるわけではありません。他国の教訓や経験から学び、今からでも実施できることがあるような気がします。 救える命が一人でも増えるように、また、救われた後の悲劇が少しでも小さくなるように祈るばかりです。

2011年3月2日水曜日

難渋したCABG後のPCIをしながら考えたこと 心臓外科医の仕事とPCIを実施する循環器内科医の仕事


Fig. 1 Before first PCI on 22, Aug. 2007

  24年前に3枝に対するCABGを受けられた方です。2007年から当院通院中です。初診時の症状は安静時の胸部不快感で不安定狭心症と考えました。LITA-LADは開存、SVG-CXとSVG-RCAは閉塞です。Fig. 1に示すようにLMTは90%狭窄です。保護されたLMTですからPCIの良い適応と考え、TAXUS stentの植込みを行いました。その後再狭窄は認めません。

2008年に狭心症を再発し、#3 distalから#4PDの90%狭窄にもTAXUSを植込み、やはりその後の再狭窄はありません。

Fig. 2 Tight stenosis at LITA-LAD anastomosis
その後2年半の間、無症状で調子が良かったのですが、無症候性にエコーで見た左室拡張末期径が大きくなってきました。そこで行ったのがFig2、Fig. 3の造影です。LMTに植え込んだDESにもRCAに植込んだDESにも再狭窄を認めませんでしたがLITA-LAD吻合部に90%狭窄です。LADの完全閉塞距離は長いのでantegradeにLADのCTOからnativeを通しに行くのは困難を極めることが予想されます。一方、LITAから灌流されているので側副血行路は存在しません。native LADを通しに行くのにretrograde approachという選択もありません。しかし、LITA-LADは開存している訳ですからLITAからapproachすれば良いことです。

普段はAd hoc PCIですが、今回はそうはいきません。LITAの近位部にガイディングカテを置くと、そこから狭窄までの距離が長いためにバルーンが狭窄まで届かないの です。短いガイディングカテを用意しなければなりません。短いカテを用意して、本日PCIを実施しました。Left Radial approachです。
 
Fig. 3 Severe elongated LITA

   困難はここから始まりました。最近のガイディングカテはバックアップを良くするためにシャフトが硬めです。鎖骨下動脈の蛇行で先端がLITAに向かないの です。このため普段使っている4Fの診断カテを使ってPCI用の0.014ワイヤーをLITAに入れ、そのワイヤーを使ってガイディングをLITAにエン ゲージさせました。ようやくワイヤーを通過させる仕事ができる形になったと思いましたがFig. 3に示すように屈曲がひどくここにワイヤーを通過させようとするとガイディングが外れてしまうのです。ガイディングをdeepに入れるとLITAの解離の 恐れがあります。LITAを解離させてしまうと、虚血に陥ったLADを救うapproachがなくなってしまいます。このためせっかく用意した短いガイ ディングは諦めました。TERUMOの5F Heart rail straight を短く切断し、5Fシースに繋いで即席で短いガイディングを作成しました。これをLITAに入っているwireを支えにLITAにdeep engage させました。
Fig. 4 After PCI with only balloon

再び仕事を始める形ができましたが、複数のクランクになっているために今度はwireの操作が全くできないのです。最初に使っていたwireはrun through extrafloppyでしたがGrandslam でもX-tremeでもFielder FCでもSuouでも同じことです。次の手はFinecrossです。Finecross内にwireを入れてwireが進んだ分だけFinecross を進めてゆき橋頭保を確保しながら更にwireを前に進めてゆきます。これでようやくwireのクロスができましたが、今度はクランク部分でバルーンが進みません。ガイディングカテから狭窄までの距離が長いためにRXタイプのバルーンではワイヤーの通過していない硬いシャフト部分が屈曲にかかってしまうのです。Finecrossが通過するのですからOver-the-wireタイプのバルーンであれば屈曲を超えて持ち込めると思いましたが、最近はOTW を全く使用しないのでカテ室にはもう置いてありません。万策が尽きたと思ったのですが、それまで持ち込もうとしていたTERUMOのHiryuから MedtoronicのLegendに換えるとするすると病変を超えました。ステントは持ち込めないと考え、long inflationで終了です。Wireを通過させる頃から上がっていたSTも落ち着きました。

ただの狭窄であれば10-15分で終了するPCIが2時間もかかってしまいました。こんなに手間がかかった理由はLITAの屈曲です。Fig. 3のようにLITAは近位部からクランクを繰り返していますが、屈曲点のすべてにLITAの側枝の止血に使ったと思われる金具が見てとれます。随分と近位部からLITAを剥離したために余ったLITAが屈曲したのでしょう。こんなに長い距離を剥離しなくてもよいのにと少し恨み事を言いたくなりましたが20年以上も役割を果たしたLITAです。良いCABGであったと心臓外科医を誉めるべきなのでしょう。

こんなことを言うと心臓外科医にお叱りを受けそうですが、心臓外科医の仕事は多くの場合、手術で終了です。その後の再発を防ぐ内科治療も、再発した時の治療も循環器内科医が担います。循環器内科医の仕事は心臓外科医の仕事よりも息の長い仕事です。

PCI を実際に行っている日本の循環器内科医の中にはCABG を極端に嫌う人も少なくありません。術後の再発のケースの治療に難渋することが多いからだと思っています。今、目の前にある病変だけで治療方針を決めるだけではなく、5-10年後に予想される悪化形態に合わせた治療の選択が重要だと思っています。例えばLADのdiffuse long lesionの場合、単純にLAD末梢にLITAを吻合しても灌流される領域はあまり大きくありません。一方、LITAに問題が起きた場合、その時にはLADは完全閉塞になっているでしょうから、長い慢性完全閉塞のカテーテル治療は簡単ではありません。それならば完全閉塞になる前に最初からカテーテル治療をしたほうが良いのではないかとも思います。このような考えでPCIを実施したのが2010年11月22日のケースです。Syntax scoreの高いケースではCABGの方がPCIよりも長期成績が良いという結果が出ていますが、1例1例で見るとCABGが優る場合もあればPCIが優る場合もあると思います。EBM だけでは語れない世界が存在します。循環器内科医がPCIをしたいからという理由でもなく、また心臓外科医がCABGをしたいからという理由でもなく、患者の病変形態や全身状態からベストと思える治療の選択をしなければなりません。これも循環器内科医の仕事です。