2011年3月20日日曜日

職人にもリーダーにも、マルチセンサー、マルチタスクが必要です

Fig. 1 With Mr. Naoto Kan at Oosumi Kanoya Hospital in 2004
  Fig. 1は2004年に当時の民主党代表として鹿屋を訪問された菅直人現首相を、私が大隅鹿屋病院院長として病院に迎えた時の写真です。この直後にご本人の年金未納問題で代表を退かれました。

  2001年に大隅鹿屋病院の院長に、2004年に徳洲会の専務理事になってから、2005年に専務理事を辞し退職するまで、全くカテーテル検査やカテーテル治療をしなかった訳ではありませんが、それ以前と比べて関わる件数が大幅に減りました。最後の1年は全くと言ってよいほどカテーテルには触りませんでした。この頃は、外科医がメスを置く日が来るようにカテーテル治療医がカテーテルを置く日が来るのは当然だし、病院や組織をマネージメントして現場で働く医師をサポートするのも医師の仕事だと割り切ろうと思っていました。しかし、徳洲会を退職し、現場に戻ろうと決断して鹿屋ハートセンターを立ち上げました。鹿屋ハートセンターの建築中であった約1年間は浪人としてあちこちの病院でカテーテル治療をさせていただきました。その過程がほど良いリハビリになり、スムーズに鹿屋ハートセンターでのカテーテル治療のスタートが切れたと思っています。

  浪人中、カテーテル治療をさせて頂いている時に、今だから正直に話せますが、こんなにへたくそでは現場に戻れないのではないかと不安に思っていました。

  カテーテル治療をしている姿を誰かが見ると、撮影したマップ画像を参照しながら、ワイヤーを進め、バルーンでの拡張結果を瞬時に判断し、ステント植え込みを行うといった一連の手技に視覚的に集中しているように見えると思います。しかし、私の感覚では視覚的な集中とともに、耳ではモニターから発せられる心拍を感じ、そのモニターに表示される血圧を眼の隅でチェックしています。また、目の前の患者さんの息遣いから吐き気をもよおしていないかなどの雰囲気を感じ取り、カテーテル検査室の空気からスタッフの配置や集中度を感じています。こうした感覚は25歳からカテーテルを始めてから意識することがなかったのですが、ブランクが生じた後にカテーテルを再開すると、多くのセンサーからの情報を元にカテーテル治療をしていたのだと意識するようになりました。浪人中にカテーテル治療をしているふとした瞬間に、血圧を眼の隅でチェックしていなかった自分に気が付き、25年間の修行で身についたカテーテルをする身体ではなくなっていると思ったのです。こうしたマルチセンサーを失ってしまったという感覚が私を不安にさせていたのです。

  鹿屋ハートセンターを開設してもうすぐ5年が経過し、カテーテル治療件数ももうすぐ1000件になろうとしています。今は、浪人中の不安を感じることなく、カテーテル治療をする身体に戻ったと自分なりに評価しています。また、現場のマルチセンサーだけではなく、電子カルテを使って容易にチェックできる患者情報、例えば心機能がどうかだとか腎機能がどうだとかの情報も頭の中で整理しながら一つのカテーテル治療ができるようになったと思っています。

  こんな風に書くと、カテーテル治療医になるのは大変だと思われる方もいるかもしれませんが、そうでもありません。豆腐屋さんが大豆の状態を把握し、気温や湿度を感じ取り、煮る時間やにがりの量、攪拌する時間を調節するのも同じことですし、杜氏の仕事も大工も板前も同じです。マルチセンサーで一つの仕事をやり遂げるのは職人の世界では当たり前だと思っています。

  では職人を束ねる病院長の仕事はどうでしょう。各科の売り上げや来院患者数、入院患者数をチェックするだけではなく、その質を検証しなければなりません。一方、医薬品や材料が滞らないように調達するだけではなく、その原価にも目が向かなければなりません。病院で調達する食材も同じです。また、人事にも気をつけなくてはなりません。ファイナンスの仕事も重要です。職人を束ねる仕事はマルチセンサーに加えて、マルチタスク(同時並行処理)が要求されるのです。会社を経営するのも同じことです。職人として上手なだけではリーダーにはなれません。職人の資質とリーダーの資質は共通することも多くありますが、異質でもあります。

  今回の震災に触れ、米国は日本とともにあると宣言したオバマ大統領は、その直後にリビアに対する軍事介入に言及し、リビアを見ているかと思えば南米に歴訪です。国家を率いるリーダーにはどれほどのマルチセンサーが必要で、そこから得られる情報を元にどれほどのマルチタスクをこなすのかと感心してしまいます。当然ですが、立法府の議員と行政府のリーダーには共通するものも多くありますが、やはり異質です。

  浪人時代の不安を抱えていた時、マルチセンサーが復帰せずに、マルチタスクが実行できないようであれば開業を諦めようとも思ったものです。また、今後、歳をとり、このマルチセンサーを失い、マルチタスクをこなすことができなくなれば、提供する医療の質を担保するために潔く引退しなければならないとも思っています。

  政治主導という名の元に官僚というマルチセンサーを使いこなせず、マルチタスクができないようであれば国家のリーダーは務まりません。そうした資質を国民が見抜けなかったのかもしれません。

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