Thursday, September 8, 2011

ワーファリンで治療中の心房細動患者に発症した脳卒中を診て、思い出した私の恩師

Fig. 1
 私は、1979年に医学部を卒業し医師になりました。現在のような研修義務化もなく、それ以前のインターン制もなく、空白の医師養成時代でしたので、大学で研修を受ける者もいましたし、卒後直ぐから一線で働く医師もいました。私は、大阪の脳卒中の三次救急を担う民間病院に一医師として就職しました。2年目からはその病院で循環器を始めましたが、1年目は「脳卒中診療部」の所属で脳卒中を診ていました。

 その当時の脳卒中診療部の内科系のボスは入野忠芳先生です。2009年に67歳で亡くなられました。入野先生はこの病院で出血性脳梗塞の研究で多くの実績を残され、Stroke等にpaperをたくさん発表された先生です。この病院を退職後に開業されましたが、八百屋お七が丙午生まれであったことから丙午生まれの女性が日本には少なく、こうした文化的な背景が医学の統計にも影響を与えるという論文をLancetにも載せるという類稀なる才人でした。フルカラーの浮世絵がLancetのFigureとして掲載されたのはこの論文だけではないでしょうか。

Irino T. et al. Arson, an attractive monk, and our vertigo clinic. Lancet, 370; 2126: 2007

 これ以外にも中公新書ラクレから「患者サマザマ」を出版もされ、上方落語協会の桂三枝さんとの交流など多くの人に愛された先生でした。

 この先生が卒後2年目の私に脳卒中しか知らない医師ではろくな医師にはならないから脳卒中以外を勉強しなさいと勧めてくれたのが循環器を始めたきっかけです。

 新卒の脳卒中診療部時代、入野先生から歩いてくる頭痛の患者にも多くの脳出血患者がいると教わり、急性発症の頭痛であればCTを撮ってみろと言われ続けました。32年前の話です。

 本日、当院に慢性心房細動で通院されている方が突然の嘔吐と引き続く頭痛で受診されました。意識は清明でマヒもありません。最終のPT-INRは2.16、血圧は110-130にコントロールされていた方です。32年前の教えを守って、撮ったCTがFig. 1です。自分の施設にCTがなく、入野先生の教えの記憶がなければ、紹介してまでCTは撮らなかっただろうと思います。良い状態で鹿屋医療センターの脳外科に紹介できました。

 才能があり、ユーモアがあり、だれも思いつきもしないテーマで学術誌に投稿しと、こんな人にはとても敵わないと社会人になって初めて思わされた先生を今日の脳出血を診て思い出しました。良い師に恵まれたと感謝です。また、最近までその死を知りませんでしたので「お別れ会」にも行けずじまいです。天国での活躍ぶりをそのうちに見てみたいものです。

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