Friday, October 28, 2011

医療の情報化がもたらす緻密で明るい医療の未来

2011年10月6日付当ブログ「Stay hungry, stay foolish! 自分の心と直感に従い、真実を追究しよう」に2011年9月29日付当ブログ「冠動脈CT検査のプロトコールを変更することしました」に投稿してくださった第2の匿名様より再度コメントを頂きました。

「9/29の第二の匿名」です。 すごくきれいな(意味深い)症例を・数多く経験されていることに感動してしまいました。 

こんなことを言われると本当に嬉しくなります。しかしです。考えてみれば年間のPCIが200件程度の小さな施設で意味深いケースがそんなに多く見つかるはずがありません。不思議です。私自身も、鹿屋ハートセンター開設後5年間で、こんなケースは初めて見たと思ったケースが少なくありません。第2の匿名様がコメントして下さった、私がスパスム時にCTを撮ったのではないかというケースもそうですし、昨日の「甦る腎臓」のケースもこんな現象が起きるのだと初めて経験したケースです。2011年8月6日付当ブログ「腎動脈末梢病変由来の繰り返す心不全」のケースも初めて経験したケースです。なぜ、循環器医になって30年以上も経過したのに初めてのケースに遭遇するのかを考えてみました。

一つはモダリティーの進化です。初めて経験するケースの多くは64列MDCTで見つけたケースです。このCTの進化が新たな発見をもたらしていると思います。もう一つは、すべての検査結果がデジタル化され、ネットワーク上ですぐに見ることができる環境にあるからではないかと思っています。昨日のブログのケースでも、数か月前の胸写を持ってきて数か月前のエコー像を持ってきてというような作業は、紙ベースのカルテで記録していた時代には何時間もかかる作業になっていただろうと思います。しかし、電子カルテに繋がった画像サーバーから鹿屋ハートセンター開設以来のすべての画像を呼び出せる環境では、ブログを書く時間を含めても1時間足らずで作業は終了です。すぐに過去の画像に容易にアクセスできるということからの発見が間違いなくあると思います。そして、その作業に時間がかからないために複数の画像を自分で見ていることから発見があるのかもしれないと思います。

大きな病院の循環器部長時代、若い先生の問題意識というフィルターのかかった情報から、一人一人の治療方針を部長として提起してきました。情報をくれる先生の問題意識に限界があれば指揮官の問題意識にも限界があるのは当然です。

2011年3月31日付当ブログ「ネットワーク中心の医療や国政、迅速な情報収集、意思決定、実行のために」に書いたような情報収集系と情報伝達系がうまく機能するネットワークが新たな臨床を作り上げるのではないかとさえ思います。Network-Centric Medicineという考え方です。情報収集系のスピードが高まれば、限界のある問題意識というフィルターを介さずに指揮官は情報を吟味し、状況に応じた的確な指示の伝達が可能です。5年前の鹿屋ハートセンター開設時のネットワークのデザインはまだ古びてないようです。

医療の情報化は、効率だけではなく、臨床の内容にも影響を及ぼすことはこの5年間の経験から明らかだと思えます。経済的なメリットがあるから情報化すべきだというようなケチな議論はしたくはありません。大げさに語れば、こうした情報化による医療の進化が、1医療機関にとどまらず、地域や国家や人類といった規模で多くの患者に利益になればと夢に描きたいと思っています。

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