2008年に前下行枝に対してCypher stent植込みを行った方です。再狭窄があり2011年5月にPromus stent植込みを行いました。DES in DESです。その後再狭窄なく経過していましたが、腹部に侵襲の大きな手術の必要が生じ、抗血小板剤の中断は可能かと外科からの問い合わせです。
薬剤溶出性ステントの植込み後、長期にわたる2剤の抗血小板剤(DAPT)の投与には問題があるとの考えもあり、3か月で、6か月で、あるいは1年で中断可能などと様々な意見があります。もちろん、DAPTの必要な期間はステントによっても異なると考えられています。私は、出血や外科手術の必要な状況がなければ、積極的に止める必要もないだろうとの考えで積極的に中止する考えを持っていません。ステント植込みを受けるような方で、新規冠動脈病変の発症、脳や他の動脈の狭窄の進行などもあるからです。一方、積極的に可及的早期にDAPTを中止しようとの考えでOCTで内皮化を観察して内皮化が完成していれば中止するとの考えも広がりつつあります。私はこの考えに否定的でDAPTを中断するか否かを見る目的だけで冠動脈内にデバイスを入れるのは大袈裟だと考えてきました。
しかし、本日、内皮化の度合いを見る目的での初めてOCTを実施しました。図に示すように1年2か月を過ぎた、PROMUS stentの表面はほぼ内皮化が完成しています。ごくわずかに露出しているように見えるところもありますが、面積としてはごくわずかです。これならDAPTの中止は可能だろうと判断しました。もちろん、絶対にないとは言い切れないので、周術期に胸部症状が発現すればすぐに連絡をしていただくように外科にはお願いしました。
OCT所見に基づき、外科に方針をお伝えするという考えは悪くないと思います。今後も、外科からの問い合わせにはこうした根拠を持った返事ができるように努めたいものです。
2012年7月27日金曜日
2012年7月25日水曜日
CAGを見て考えること、CTを見て考えること、OCTを見て考えること
Fig. 1 ECG during chest pain |
同日のCTをFig. 2に示しますが左冠動脈回旋枝末梢に強い狭窄を認めます。
Fig. 3はPCI前の造影です。やはりCXのdistalに強い狭窄を認めます。CXの狭窄の近位部には壁不整を認めますが、有意な狭窄は認めません。
Fig. 2 LCX evaluated with MDCT |
Fig. 4は初回のバルーニング後のOCT像です。バルーニング前のOCTでは高度狭窄のために狭窄部の評価はできませんでした。バルーニング後のイメージですのでバルーンによる解離かもしれませんが、ruputureしたThin-cap Fibroateroma(TCFA)のような像が見てとれます。同様の Thin-cap Fibroatheromaのような像は狭窄の近位部にも見て取れます。
かつて当ブログでMDCTで冠動脈を評価するようになって有意狭窄ではない冠狭窄が多く見つかることからスタチンの投与が増えたと記載しました。しかし、この方のCTでは狭窄の近位部にTCFAに相当するような像は認めません。もちろんCAGでもです。
Fig. 3 Left Coronary Artery Before PCI |
Fig. 4 OCT imaging after the 1st balloon inflation |
CAGだけで評価するよりもCTで評価をした方がスタチンの必要な方が多く見つかります。更にOCTで見ればより多くの方にスタチンが必要だと分かります。どのような方にスタチンが必要で、一人一人にとって何がoptimal medical therapyなのかは、簡単ではありません。
ラベル:
lipid control,
OCT,
PCI strategy
2012年7月22日日曜日
特定疾患治療意見書を書いていて感じる疑問、問題点
特定疾患治療意見書 |
図は、更新のために毎年書く書類です。黄色く色づけした一番上の部分、出生都道府県を記載しなければなりません。新規に申請した時に出生都道府県を記載しているのに毎年、更新書類にも出生都道府県の記載を求める理由は何なのでしょう?鹿児島県で生まれた方が翌年には宮崎県で出生したと変わるはずのない情報を毎年書かせる理由が分かりません。また、この情報は認定のためになぜ必要なのでしょうか?こうした疾患の発症の地域差を調べるためでしょうか。ある県で際立って発症が多いという情報は意義のある情報だと思いますが、一方で偏見や差別を助長する可能性もあり、厳格な情報の管理が求められます。それが意義も不明なまま、毎年、記載を求める理由は何なのでしょうか?
左側に黄色く色づけした部分は、心電図や胸部X線写真の所見を書くところです。一番上の項目、自他覚所見の変化を書く項ですが、その上に自覚症状の変化を書く欄があるのに何故、また自他覚所見とひとくくりにして書くのでしょうか。また、他覚所見もその下に心電図や胸部X線写真、心エコーの変化を記載する項目があるのにこの一番上の項目の意味が分かりません。黄色く色づけした部分の上段の自覚症状の変化の欄は前回申請時から変化を書くように求められています。では黄色く色づけされた部分の記載も前回申請時からの変化を書くのだと理解していますが、そうすると、どんなに悪い所見であっても前回と比較して変化がなければ変化なしになります。「変化なし」は所見がないという意味なのか、前回と比べて変化がないという意味なのか何年も記載していても意味がわからないのです。
右下に色づけした部分では血液検査結果の記載が求められます。こんな血液検査項目が認定に必要なのかと思うものもあります。一方、抗HCV抗体の記載も求められていますが、毎年の記載は必要なのでしょうか?C型肝炎と拡張型心筋症の関連が一つの研究テーマであることは理解できますが、毎年、記載を求める理由が分かりません。新たなHCV感染の有無を行政がチェックしているのでしょうか?抗HCV抗体の存在の有無も極めて敏感な個人情報です。それを毎年、行政が記載を求めるのであれば、その理由を開示すべきだと思っています。
認定に直接関係がない情報、一度記載を求めれば済む情報を毎年、求める意見書、非常に杜撰で問題の多い書類だと思っています。研究目的で申請書類に記載された情報を利用するとしたら、認定の目的とは異なる情報の利用ですから、患者さんに研究目的でも利用することがあると説明し、同意を得なければなりません。でなければ個人情報保護法の趣旨に反するとも考えます。毎年、この時期は、この行政の問題の多い書類を記載することで、この問題の片棒を担がされている気がして憂鬱です。
2012年7月20日金曜日
日常の中の新たな発見 自然発生冠動脈スパスム下のFFR
Fig. 1 CAG after NTG administration |
Fig. 1の方は慢性心房細動で通院中の方です。深夜と早朝にNTG舌下が有効な胸痛がありました。冠動脈CTではRCAに狭窄らしく見えるところがありましたが、RCAが鞭のようにしなる方では正確な評価が困難なことがあります。まして心房細動です。NTG有効な胸痛があったわけですからCAGとしました。#2に50%あるいは読む人によっては75%狭窄を認めます。
Fig. 2 Pressure wire in RCA |
こんなことはFFRを一生懸命にされている先生にとっては珍しくない現象かもしれませんが、こんなこともあるのだとよく勉強になりました。FFRの評価をするときにはスパスムの要素をしっかりと排除していないと過剰評価になりかねません。
症状からも冠攣縮性狭心症です。しっかりと治療方針を立てることができました。
毎日毎日、変わり映えもしない仕事をしていると思えば、新たな発見とは巡り会えません。常に個々の患者さんには相違があるのだという視点を持っていれば、表面的には変化のない日常であっても、たとえ小さくても新たな発見と出会えます。だから30年以上も続けられるのだと思いを新たにします。
ラベル:
FFR,
vasospatic angina
2012年7月18日水曜日
冠動脈CTの撮像 当院でのコアベータの使い方
図1 CTでみた不安定狭心症 |
図2 不安定狭心症 PCI前 |
コアベータを使い始めるようになって当初は、それまで使っていたメトプロロールを使わなくなっていました。いきなり心拍数の高い場合でもコアベータを使用していたのです。このやり方で検査すると、レートが決められた量で下がらない方が多いことが分かりました。このため画質にも影響が出ました。このため最近ではメトプロロールを以前と同じように内服していただき、それでもレートが下がらない場合だけコアベータを追加するように改めました。このやり方に改めてからレートが下がらなくて困るケースはほとんどいなくなりました。
冠動脈CTを撮影する場合、必ず検査前に診察します。造影剤アレルギーの既往を確かめることがCT前に顔を見る目的の一つですが、もう一つは怖い検査じゃないからドキドキしないでねとお話しすることです。このCT前の顔見せは重要だと思っています。この時に心拍数が60程度であればセルシン2㎎だけ内服して検査に回ります。そして撮影前にNTGを舌下して撮影です。
心拍数が70を超えている場合、メトプロロール40㎎を内服していただきます。かつてはセロケンを使っていましたが今はロプレソールです。CT室に入って心拍数が60程度であればコアベータを使用せずにNTGを舌下して撮影です。70を超えているようであれば初めてコアベータを使用しています。
このやり方に変えてコアベータを使う頻度は減少しました。メトプロロール40㎎26.5円に対してコアベータ1Aは約100倍の2634円ですから患者さんの負担減にもつながっています。
このブログをアクセスして頂いて当院での使い方も書かずに申し訳ないことをしました。今回は、お詫びの気持ちを表すために当院でのコアベータの使い方を記載しました。
ラベル:
image quality
2012年7月16日月曜日
スティーグ・ラーソンのミレニアムを読んで思う この国のジャーナリズムの責任
するべき仕事があるにもかかわらず、連休に甘えてこの2日間は本を読んでいました。IVUSで高名なH先生が紹介され、それに刺激を受けたK先生がFacebook上で面白かったと投稿されていた「ミレニアム」です。鹿屋の田舎の本屋では「1」しか置いてありませんでした。その中で、主役の一人であるリスベット・サランデルがもう一人の主役であるミカエル・ブルムクヴィストに出会う前に、ミカエル・ブルムクヴィストが書いたとされる「テンプル騎士団」に触れるところがあります。
「スウェーデンの経済ジャーナリストはここ数年で無能な下僕に成り下がっている」、「企業の経営陣や投資家が明らかに事実に反し誤解を招く発言をしても、多くの経済ジャーナリストは少しも異論を唱えようとせず、発言をそのまま伝えて満足している」。「物事を批判的な目で検討し、正確な情報を報道する、というジャーナリストとしての使命を、故意に怠っている」、「かりに大新聞の裁判担当記者が、たとえば殺人事件の公判の報道で。弁護側の情報を入手したり被害者の家族を取材したりして自分なりに何が正当であるかをつかむ努力をまったくせず、検察側の情報だけを真実として示し、何の検討も加えずに記事にした場合、どれほどの抗議が起こるか、裁判報道のルールを、経済ジャーナリズムにも適用すべきだ」などとスウェーデンの経済ジャーナリズムを批判する文章を多くの場面で記載しています。ジャーナリストであった著者のスティーグ・ラーソンは、よほど、経済ジャーナリストのことを軽蔑していたのだと読み取れます。
こうしたこの小説のストーリーに不可欠ではない話の中に、作者の思いが込められているのだと理解しました。こうした、ストーリーと直接関係ないながらも作者が普段問題に思っていることを登場人物に語らせるという手法は海堂尊氏の「チームバチスタの栄光」の中で登場人物に死因究明のためのAutopsy imagingが必要だと語らせる手法にも通じるところがあります。死因を究明する社会が必要だと正面切って政治的に活動しなくても、こうして小説の中で提起することで死因究明は死因究明推進法となって結実しました。
スティーグ・ラーソンが提起した、ジャーナリストとしての使命をスウェーデンの経済ジャーナリストは果たしていないではないかという批判を見て、日本のジャーナリズムはどうなのだろうと思わざるを得ません。裁判報道ではきちんと取材をして検察側の情報のみに依拠していないだろうか、事件報道では警察発表だけを頼りにしてはいないだろうか、政治報道では国会に提出される法案を批判的に検証しているのだろうかなどと思ってしまします。
私は20年前から新聞を取るのを止めています。その当時は、インターネットも普及しておらず、それまでの新聞大好きの生活から、一転、新聞と隔絶された生活でやっていけるのだろうかと大きな不安を持っていました。しかしあまり困らなかったのです。そして新聞を取っていなくてよかったと思う事件が18年前におきました。松本サリン事件における河野義行さんに対する報道です。湯水のように流される情報の流れに乗っていないのですから、「あの人が犯人に決まっている」というような感情を持たずに済んだのです。
スティーグ・ラーソンが今の日本のジャーナリズムを見たとしたら、批判的に情報を収集し報道するという本来のジャーナリズムの使命は日本にあると評価してくれるでしょうか?かつて、癌が見つかっても何か月も待たされるというイギリスの医療の現状に対して、イギリスのマスコミは医療にもっと予算を回すべきだというキャンペーンを行いました。その結果、GDPに占める医療費の割合が日本と同様に最低水準であったイギリスの医療費は増額されました。ジャーナリズムには国を動かす力がある筈です。
バブル崩壊後の失われた10年あるいは20年を憂わずにはおれません。政治の体たらく、コンピューターやテレビに代表される企業の競争力の低下、定まらない社会保障制度の構築、医療崩壊などこの20年にどれほどの価値を日本は失ったのでしょう。その中で第4の権力と言われるマスメディアには責任はないのでしょうか。
7/17の追記です。
海堂尊氏のホームページを拝見したところ、今回の死因救命推進法に対して、Aiが導入されることの意義は認めておられるものの、死因を遺族にも社会にも明らかにしない法案だと批判されています。海堂尊氏の小説で広く認知されたAiがこんなことになっているとは不勉強でした。
「スウェーデンの経済ジャーナリストはここ数年で無能な下僕に成り下がっている」、「企業の経営陣や投資家が明らかに事実に反し誤解を招く発言をしても、多くの経済ジャーナリストは少しも異論を唱えようとせず、発言をそのまま伝えて満足している」。「物事を批判的な目で検討し、正確な情報を報道する、というジャーナリストとしての使命を、故意に怠っている」、「かりに大新聞の裁判担当記者が、たとえば殺人事件の公判の報道で。弁護側の情報を入手したり被害者の家族を取材したりして自分なりに何が正当であるかをつかむ努力をまったくせず、検察側の情報だけを真実として示し、何の検討も加えずに記事にした場合、どれほどの抗議が起こるか、裁判報道のルールを、経済ジャーナリズムにも適用すべきだ」などとスウェーデンの経済ジャーナリズムを批判する文章を多くの場面で記載しています。ジャーナリストであった著者のスティーグ・ラーソンは、よほど、経済ジャーナリストのことを軽蔑していたのだと読み取れます。
こうしたこの小説のストーリーに不可欠ではない話の中に、作者の思いが込められているのだと理解しました。こうした、ストーリーと直接関係ないながらも作者が普段問題に思っていることを登場人物に語らせるという手法は海堂尊氏の「チームバチスタの栄光」の中で登場人物に死因究明のためのAutopsy imagingが必要だと語らせる手法にも通じるところがあります。死因を究明する社会が必要だと正面切って政治的に活動しなくても、こうして小説の中で提起することで死因究明は死因究明推進法となって結実しました。
スティーグ・ラーソンが提起した、ジャーナリストとしての使命をスウェーデンの経済ジャーナリストは果たしていないではないかという批判を見て、日本のジャーナリズムはどうなのだろうと思わざるを得ません。裁判報道ではきちんと取材をして検察側の情報のみに依拠していないだろうか、事件報道では警察発表だけを頼りにしてはいないだろうか、政治報道では国会に提出される法案を批判的に検証しているのだろうかなどと思ってしまします。
私は20年前から新聞を取るのを止めています。その当時は、インターネットも普及しておらず、それまでの新聞大好きの生活から、一転、新聞と隔絶された生活でやっていけるのだろうかと大きな不安を持っていました。しかしあまり困らなかったのです。そして新聞を取っていなくてよかったと思う事件が18年前におきました。松本サリン事件における河野義行さんに対する報道です。湯水のように流される情報の流れに乗っていないのですから、「あの人が犯人に決まっている」というような感情を持たずに済んだのです。
スティーグ・ラーソンが今の日本のジャーナリズムを見たとしたら、批判的に情報を収集し報道するという本来のジャーナリズムの使命は日本にあると評価してくれるでしょうか?かつて、癌が見つかっても何か月も待たされるというイギリスの医療の現状に対して、イギリスのマスコミは医療にもっと予算を回すべきだというキャンペーンを行いました。その結果、GDPに占める医療費の割合が日本と同様に最低水準であったイギリスの医療費は増額されました。ジャーナリズムには国を動かす力がある筈です。
バブル崩壊後の失われた10年あるいは20年を憂わずにはおれません。政治の体たらく、コンピューターやテレビに代表される企業の競争力の低下、定まらない社会保障制度の構築、医療崩壊などこの20年にどれほどの価値を日本は失ったのでしょう。その中で第4の権力と言われるマスメディアには責任はないのでしょうか。
7/17の追記です。
海堂尊氏のホームページを拝見したところ、今回の死因救命推進法に対して、Aiが導入されることの意義は認めておられるものの、死因を遺族にも社会にも明らかにしない法案だと批判されています。海堂尊氏の小説で広く認知されたAiがこんなことになっているとは不勉強でした。
2012年7月15日日曜日
大津の中学生自殺事件の報道を見て感じる教師の責任
事実をしっかりと把握しているわけではない、専門家でもないという状況で、報道される内容に論評することは控えるべきだと思ってきました。しかし、10代前半の子を持つ父親としてこの事件に関心を持ってきました。大津の中学生の自殺です。同じ父親として、亡くなった生徒のお父上の想像できないほどの悲しみや憤りを思うと、何も言わずにはおれない気持ちです。
患者さんと医師との関係で最も医師が非難される形は、患者さんが苦痛を訴えたのに取り合わなかったというものです。患者さんが胸苦しいと訴えているにもかかわらず、必要な検査や処置あるいは転院といった対策をとらないままにその患者さんが心臓発作で亡くなったような場合、当然のように亡くなった患者さんのご家族からあんなに苦しいと言っていたのに取り合ってくれなかった、医師に見殺しにされたと非難されます。このようなケースで民事上の訴訟が提起された場合、多くの場合、医師の責任は認められ、民事上の責を負うことになります。最近では、刑事上の責を求めて業務上過失致死で逮捕・起訴されることもあり得ます。こうした医師に刑事上の責任を求めるという点の可否は置いておくにしても、必要な処置を実施しなかったという不作為に責任は付いて回ります。話は聞いていたが取り合わなかったという不作為は、医師であれば道義的な責任ではなく、民事的な場合によっては刑事的な責任です。
子供が興味本位で喫煙を始めた時、多くの場合、その喫煙を親や教師から隠そうとすると思います。この時、喫煙に気付いた親や教師が「ほどほどにしておけよ」と言った場合や、その行為を笑って見ていた場合、未成年者の喫煙を止めろと注意したことにはなりません。許可を与えたのと同じです。「ほどほどにしておけよ」と言われた子供は、こう言われた後、隠そうともせずに堂々と喫煙をするようになると思います。
自殺した男子が相談しても、同級生からの通報を受けても、取り合わなかった不作為や、いじめの行為を目撃しても笑って見ながら「ほどほどにしておけよ」と許可を与えた教師の責任は重大です。一方の男子は命を絶ち取り返しがつきません。暴行・強要・恐喝を視野に入れた加害生徒への捜査の結果がどうなるかはわかりませんが、最も重い場合には少年院送致や保護観察処分が課せられるものと思われます。少年院送致や保護観察処分は刑事処分ではなく更正処置だとしても、一般には、彼らを罰する処置だと認識されるものと思います。教師の不作為や笑って許可を与えた行為が、加害生徒の行為をエスカレートさせ、自殺した生徒の命を奪い、加害生徒の人生を狂わせます。教師の不作為や笑って許可を与える行為が被害生徒・加害生徒両者に害をなしているという点で2重に大きな責任があったように私には思えます。
今回、報道されている「葬式ごっこ」で思い出されるのは、1986年に起きた中野富士見中学における中学生の自殺です。富士見中学で行われた葬式ごっこでは4人もの教師が寄せ書きに書き込みを残しました。教師の不作為、いじめ行為の許可、寄せ書きに記載するという積極的な加担の結果、富士見中の生徒は「このままだと生き地獄だよ」と書いた遺書を残して自殺しました。生き地獄の中で具体的な行為を行っていた鬼は加害生徒ですが、生き地獄というシステムを作り維持していたのは教師のように思えます。加害生徒が罰せられ、生き地獄のシステムを構築していた教師の責任が問われないとしたらいかにもフェアではないと感じます。
医療の世界にも教育の世界にも当然のようにろくでもない、その責にふさわしくない医師や教師が存在します。その責にふさわしくない医師や教師から、患者さんや生徒を守るシステムが不可欠です。それが医師会や教育委員会であれば良いのですが、今回の事件の報道を見る限り、教育委員会や校長が守っているものは生徒ではなく教師のようです。
大阪市の橋下徹市長が、教育委員会制度そのものが問題だと発言されたと聞いています。私も、根源はそこにあるような気がします。ろくでもない医師に出会った患者さんは病院を替えることが可能です。義務教育期間中にろくでもない教師に出会った生徒には替えるべき学校はありません。ろくでもない教師の責任はろくでもない医師の責任よりもはるかに重大です。逃げることができない義務教育制度の中で教師によって作り上げられる生き地獄を解消するための努力が関係者だけではなく、すべての人に求められていると考えます。
2012年7月11日水曜日
PCIを実施する医師が持つべき教訓の引き出し N先生への手紙
7/12より心血管インターベンション治療学会 CVITが新潟で開催されます。国内でPCIをする医師にとって最大の学会ですが、今回は参加できません。来年は神戸で開催される予定ですので、来年は参加しましょう。
2012年7月6日付当ブログ「シナリオ通りにPCIが進まない時に必要な力」の中でワイヤーを一旦抜いて、入れなおしたらうまくいった話を書きました。これに対して、ワイヤーを抜かずにもう1本入れる方が良かったのではないかとのコメントをFacebook上で頂きました。非常に妥当な意見だと思います。今回のケースではワイヤーは真腔を捉えていませんでしたが、慢性完全閉塞以外の病変では、まず間違いなくワイヤーは真腔を通っているはずです。バルーンを拡張した後、(2012年6月15日付当ブログ「PCIにおけるルビコン川」に記載した表現で言えばルビコン川を渡った後)、spiral dissectionで血流が途絶えた時や末梢への塞栓で血流が途絶えるといった合併症が発生した時に、真腔を捉えているワイヤーが残っていればステント植込みであれ、血栓吸引であれ、IVUSの評価であれ正しい対処ができます。ですから一旦ルビコン川を渡ったら、真腔を捉えているワイヤーは何より大事な生命線となるので、若い先生には何があっても生命線である真腔を捉えているワイヤーを失うなと指導してきました。7/6のケースではあっさりとワイヤーを抜きましたが、まだルビコン川を渡っていなかったからです。
このように、PCIを実施する時に忘れてはいけない原則があると思っています。やはりFacebook上の友人から、今朝、メッセージが届きました。他院で入れられたステントが十分に拡張しないまま植え込まれており、その部分で再狭窄になっている。いくら高圧で拡張しても拡がらないので意見がほしいというものでした。これも時にある失敗です。最近のステントは通過性が高いので十分に拡がっていない血管でも植込み可能です。病変に持って行って拡げてみたら拡がらなかったということになると、既にステントが入っているために意図的に解離を作って血管腔を拡げ、ステントで安定したルーメンを確保するということができなくなります。一時、direct stentingという前拡張無しのステント植込みが、医療費を少なくできるということで流行しました。この方法の欠点は、拡張しないままステント植込みを終了する可能性があるということです。PCIの基本的な考え方はステント植込みを目的とするのではなく必要十分な安定した内腔を確保することです。押さえておきたい原則はステント植込みをゴールにするなということです。ですから、私は原則として必ず前拡張を行い、拡がったルーメンをステントで確保するというスタイルです。
今回相談を受けたケースの対処は大変です。高圧でバルーンを拡げるというオプションしかほとんどなく、際限なく高い圧力をバルーンにかけるということもできません。安易なステント植込みの結果起きた、予後を悪くするPCIです。こうしたケースで、ある有名なPCI術者の先生がRotablatorでステントを削った後で高圧拡張したらうまくいったというケースを見せてもらったことがあります。ステントによって圧応答性が低下した血管の圧応答性を変化させるという考えです。私はこの方法でこのようなケースを治療したことはありません。同じようなケースを見たら私ならバイパス手術を選択すると思います。しかし、CABGが困難なケースもあるでしょうから、その場合Rotaしかないでしょうか。
薬剤溶出性ステントの出現によって、劇的に再狭窄は減少しました。しかし、ゼロではありません。また、動脈硬化は進行性の病気です。再狭窄を免れても他の枝の狭窄の進行で再治療やCABGが必要になることも少なくありません。2012年4月9日付当ブログ「PCIの初期成績だけではなく、その後の経過が重要」の中で、京都大学心臓血管外科の坂田隆造先生が10年後15年後のことを考えてCABGをデザインすると言われた話を紹介しましたが、PCIをする私たちも同様に10-15年後のことを考えてPCIをデザインしなければならないと思っています。具体的には次のPCIが容易に実施されるような、あるいはCABGがやりやすいようなオプションを残しておくことだと思っています。その場をしのぐために将来を失うなという教訓です。
教訓めいたことばかりを書いていると自分自身でさえ、年寄りくさいと感じます。しかし、他人には言わなくても、PCIの術者は多くの教訓の引き出しを持っておくべきだろうと思っています。また、私の中の教訓の一つを思い出しました。前回の成功体験を信じるなです。何回もdirect stentingをしてうまくいかなかったとがないという術者がいるとします。その術者は運が良かっただけです。掌の中に他者の生命を握っているPCI術者にとって、いつも同じようにうまくいくとは限らないと考え、思わぬ落とし穴が待ち受けているものだという惧れを持っていることが大事な資質だと思っています。
2012年7月6日付当ブログ「シナリオ通りにPCIが進まない時に必要な力」の中でワイヤーを一旦抜いて、入れなおしたらうまくいった話を書きました。これに対して、ワイヤーを抜かずにもう1本入れる方が良かったのではないかとのコメントをFacebook上で頂きました。非常に妥当な意見だと思います。今回のケースではワイヤーは真腔を捉えていませんでしたが、慢性完全閉塞以外の病変では、まず間違いなくワイヤーは真腔を通っているはずです。バルーンを拡張した後、(2012年6月15日付当ブログ「PCIにおけるルビコン川」に記載した表現で言えばルビコン川を渡った後)、spiral dissectionで血流が途絶えた時や末梢への塞栓で血流が途絶えるといった合併症が発生した時に、真腔を捉えているワイヤーが残っていればステント植込みであれ、血栓吸引であれ、IVUSの評価であれ正しい対処ができます。ですから一旦ルビコン川を渡ったら、真腔を捉えているワイヤーは何より大事な生命線となるので、若い先生には何があっても生命線である真腔を捉えているワイヤーを失うなと指導してきました。7/6のケースではあっさりとワイヤーを抜きましたが、まだルビコン川を渡っていなかったからです。
このように、PCIを実施する時に忘れてはいけない原則があると思っています。やはりFacebook上の友人から、今朝、メッセージが届きました。他院で入れられたステントが十分に拡張しないまま植え込まれており、その部分で再狭窄になっている。いくら高圧で拡張しても拡がらないので意見がほしいというものでした。これも時にある失敗です。最近のステントは通過性が高いので十分に拡がっていない血管でも植込み可能です。病変に持って行って拡げてみたら拡がらなかったということになると、既にステントが入っているために意図的に解離を作って血管腔を拡げ、ステントで安定したルーメンを確保するということができなくなります。一時、direct stentingという前拡張無しのステント植込みが、医療費を少なくできるということで流行しました。この方法の欠点は、拡張しないままステント植込みを終了する可能性があるということです。PCIの基本的な考え方はステント植込みを目的とするのではなく必要十分な安定した内腔を確保することです。押さえておきたい原則はステント植込みをゴールにするなということです。ですから、私は原則として必ず前拡張を行い、拡がったルーメンをステントで確保するというスタイルです。
今回相談を受けたケースの対処は大変です。高圧でバルーンを拡げるというオプションしかほとんどなく、際限なく高い圧力をバルーンにかけるということもできません。安易なステント植込みの結果起きた、予後を悪くするPCIです。こうしたケースで、ある有名なPCI術者の先生がRotablatorでステントを削った後で高圧拡張したらうまくいったというケースを見せてもらったことがあります。ステントによって圧応答性が低下した血管の圧応答性を変化させるという考えです。私はこの方法でこのようなケースを治療したことはありません。同じようなケースを見たら私ならバイパス手術を選択すると思います。しかし、CABGが困難なケースもあるでしょうから、その場合Rotaしかないでしょうか。
薬剤溶出性ステントの出現によって、劇的に再狭窄は減少しました。しかし、ゼロではありません。また、動脈硬化は進行性の病気です。再狭窄を免れても他の枝の狭窄の進行で再治療やCABGが必要になることも少なくありません。2012年4月9日付当ブログ「PCIの初期成績だけではなく、その後の経過が重要」の中で、京都大学心臓血管外科の坂田隆造先生が10年後15年後のことを考えてCABGをデザインすると言われた話を紹介しましたが、PCIをする私たちも同様に10-15年後のことを考えてPCIをデザインしなければならないと思っています。具体的には次のPCIが容易に実施されるような、あるいはCABGがやりやすいようなオプションを残しておくことだと思っています。その場をしのぐために将来を失うなという教訓です。
教訓めいたことばかりを書いていると自分自身でさえ、年寄りくさいと感じます。しかし、他人には言わなくても、PCIの術者は多くの教訓の引き出しを持っておくべきだろうと思っています。また、私の中の教訓の一つを思い出しました。前回の成功体験を信じるなです。何回もdirect stentingをしてうまくいかなかったとがないという術者がいるとします。その術者は運が良かっただけです。掌の中に他者の生命を握っているPCI術者にとって、いつも同じようにうまくいくとは限らないと考え、思わぬ落とし穴が待ち受けているものだという惧れを持っていることが大事な資質だと思っています。
ラベル:
PCI strategy,
雑感
2012年7月8日日曜日
ガリガリ君と消臭元のコラボにみるこの国の浅薄な情報リテラシー
図1 |
図2 |
友人がfacebookに寄せてくれたコメントの中にリテラシーという言葉がありました。もちろん、言葉は知っていますが、使ったことがありません。私にはどうも肌に合わない言葉のようです。
図1は小林製薬が6月から販売を始めたガリガリ君とのコラボ商品の紹介のweb記事です。夏らしいイメージで良いのではないかとこの情報を見て思う人もいるでしょうし、ビジネスモデル等という言葉が好きな人は、異業種がコラボしてビジネスチャンスを拡大する気のきいた企画だと思う人もいるでしょう。しかし、医師である私は口にすべきではない薬品を口にする商品のイメージで販売することには問題があるとこの商品を見た瞬間に思いました。
図2は、小林製薬がwebに記載している消臭元の使用上の注意です。はっきりと飲み物ではないと記載されています。小児の手の届かないところに置き、飲んでしまって異常があれば医師に受診しろとも記載されています。こうした商品を食品のイメージで販売することは妥当なのでしょうか。
救急外来で仕事をしていると、農薬や洗剤の誤嚥事故に良く遭遇します。誤嚥事故の原因の一つはペットボトルに入れられた農薬や洗剤です。誤嚥事故が後を絶たないために、中毒情報センターからもペットボトルにこれらの薬剤を入れないようにという注意喚起は繰り返しなされています。農薬危険と書いてあっても、字の読めない子供や視力の低下した人には認識できないのです。危険と書いてあることは言い訳にはなりません。
リテラシーの元々の意味は識字能力です。子供の識字は、文字としての認識ではなく図形としての認識から始まります。ガリガリ君のイメージのパッケージに消臭元と書いてあっても図形としての認識はガリガリ君です。どれほどに危険な薬品かは知りませんが、メーカー自らが口にすべきではないという製品であれば、口にする食品のイメージで販売すべきではないと思います。
図3 |
図3は朝日新聞に掲載されたこのコラボ商品の紹介記事です。情報のプロである、情報リテラシーの達人である筈の朝日新聞の記者はこの商品の発売の情報を聞いて問題点がないかを検証した上で記事にしたのでしょうか。情報を集め、吟味せずに流すだけでは情報リテラシーのプロとは言えないと思います。
ネットの普及で爆発的に増加した情報を収集し、吟味し、意味のあるものに利用してゆく能力が情報リテラシーというのだと思います。今回のような企業から提供されたものをただ伝えたというのでは、なんと浅薄なリテラシーかと思えます。大本営発表や政権が発表する意図された情報を吟味せずに流すだけの能力しかないジャーナリズムであれば、有害だとさえいえるかもしれません。
医療者である私たちにも自社の製品がより多くのシェアを取るように意図された、あるいは修飾された情報が届けられます。それを単純に患者に適応するだけではなく、自らに届けられた情報を吟味し、解釈し、患者さんに役立つ情報とする浅薄ではないリテラシーが求められていると自らを律しましょう。
2012年7月6日金曜日
シナリオ通りにPCIが進まない時に必要な力 物理的な力よりも考える力
Fig. 1 RCA wvaluated with 64-row MDCT |
Fig2. Before and after PCI |
本日CAGを実施しました。Fig. 2の左側の像ではやはり右冠動脈内にやはり造影されない隔壁を認めます。破綻したプラークがulcerated plaqueとなり器質化したのでしょうか。自然解離が器質化したのでしょうか。IVUSで評価しようと決めました。
Fig. 3 IVUS befer PCI |
ちょうど、この方のカテ中に外来で呼ばれたためにいつも応援に来てくれている先生に任せて、IVUSで見ててねとお願いしました。外来での診察中、IVUSカテが狭窄を越えないと報告があったので、ではPCIをするしかないねとPCIの実施をお願いしました。また、すぐにコールがあり2.5㎜のバルーンも通過しないというので私もカテ室に向かいました。
私も清潔になりバルーンをクロスさせようとするとやはり通過しません。造影所見以上の高度狭窄かと考え、1.25㎜のバルーンで通過を図る、KIWAMIを使ってバックアップ力を高める、色々せずにRotablatorが実施できる病院に紹介するなど種々のオプションを考えました。
しかし、合点がいかないのです。CTで強い石灰化があるわけでもなく、造影上は内腔は保たれており、IVUSの結果、PCIをしないということになるのではないかと予想していたからです。PCIをお願いする前にRCAはdouble barrelになっているのでどちらにワイヤーを通すのが正解なのだろうと思っていたことを思い出し、ワイヤーを一旦、抜き、再挿入しました。するとバルーンもIVUSもするすると通過するのです。
そのIVUS像がFig. 3です。一部は完全にdouble barrelになっており一部は真腔と交通しています。おそらく"偽腔"にワイヤーが通過してデバイスが通過しなかったものと考えました。真腔をワイヤーがとらえた後の造影では解離腔が拡がって造影所見が悪化していたためにステント植込みを行いました。
PCI後、応援の先生とディスカッションです。何故、細径のバルーンを使用したりバックアップを強めてバルーンの通過を図らなかったのかと質問を受けました。私はPCI前に得られていた所見からバルーンすら通過しないシナリオを想定していなかったのと、このdouble barrelの間違った方にワイヤーが通過している可能性を考えたからだよと答えました。
最近のデバイスの通過性は高く、多くの病変をクロス可能です。このクロスが困難でもバックアップ力を高めて、病変を通過させることも可能です。アンカーリングであったり子カテを使ったりです。事前の情報がなければ、こうしたテクニックを選択したかもしれません。しかし、予想したシナリオと大きく手技が解離した場合、ふりかえって考えることが重要だと再認識です。このままテクニックを駆使して解離腔で拡張を行っても無事にPCIが完結することも考えられますが、バルーンの拡張後に完全閉塞になっていたかもとも考えます。
事前のシナリオ通りにいかないPCIも少なくないですが、シナリオと解離した時の瞬間的な洞察力は種々のテクニックに勝るかもと改めて勉強になりました。
ラベル:
PCI strategy
2012年7月5日木曜日
バルーン・ステントや血管の圧応答性と時間応答性
2012年6月21日付の当ブログ「バルーンのコンプライアンスと血管のコンプライアンス」についてFacebook上で思いがけず、昨夜から議論が盛り上がりました。2週間も経て議論が蒸し返されるのはFacebookの世界では珍しい現象だと思ってみていました。6/21のブログは、バルーンやステントに添付されているコンプライアンスチャートは、血管内ではない環境での性能だから、剛性のある血管内では意味がないという内容でした。こんなことは、PCIを真面目にやっている医師からすれば当たり前のことで改めて書く必要のないこととも思いましたが、基本的な考え方を文章にして残しておくのも悪くないという位の意味で書きました。
昨日来の議論では、バルーンの拡張時間はどの程度が良いのか、拡張回数は何回が良いのかと議論になっていました。30年以上もの歴史がある治療法で、何気圧で、何秒間、何回拡張すればよいのかといった基本的なことが議論になるのは不思議な気がします。しかし、現実にはこの基本的なことは解明されないまま30年が経過しているのです。
何気圧で拡張するのが良いかについては、血管のコンプライアンスを誰も知らないのだから、コンプライアンスチャートに頼らずにIVUSで拡張した結果を見て拡張不十分であれば十分な高圧で拡張するといった、結果を見ながら拡張圧を上げていって最適な結果を得るという方法で、何気圧で拡げるのが良いかなど考えなくて良いかもしれません。
バルーンは何秒間拡張させておけばよいのでしょうか。仮にインデフレーターで14気圧をかけると徐々に圧は低下してゆきます。バルーンに至る造影剤が通るルーメンの太さや、希釈した造影剤の濃度もしくは粘度、バルーンのコンプライアンス、血管のコンプライアンスによって、バルーンや血管が拡張するために時間がかかり、時間がかかった拡張に応じてバルーン内圧は低下してゆくからです。コンプライアンスを圧力に対するバルーンサイズの変化と定義すると、日本語で表現すると圧応答性というのが適切かと思います。バルーンが十分に拡張するまでの時間は時間応答性と表現すべきでしょうか。この時間応答性は、複数の因子によって規定されるために、バルーンやステントごとによっても異なりますし、血管の硬さが違う患者さんによっても異なる筈です。ですから適切な拡張時間という絶対値も存在しないということになります。とすれば、IVUSで見て十分に拡張していれば何秒間でも良いという結論になります。
何回の拡張が望ましいかについても、複数回の拡張の方がより大きなルーメンを確保できると最近よく言われていますが、最適な拡張回数は何回なのでしょうか。1度拡張したバルーンは圧応答性が高まる筈ですし、1度拡げた血管の圧応答性も高まっているはずです。これは1度拡げた血管に発生した解離が圧応答性を高めるという因子と、同じ最終の拡張径を得るのであっても小さなルーメンから拡張するよりもより大きなルーメンから拡張するほうが必要なシェアストレスは小さいという物理的な法則も一つの因子だと思います。この後者の考え方からRotablator後の拡張は低圧でも構わないという発想に繋がっています。これについても、1度目ですら血管のコンプライアンスが分からないのに2度目の拡張時の血管コンプライアンスを知る由もないわけですから、やはりIVUSで十分に適切な拡張を確認して拡張回数を決めるという方法しかないものと思います。
グダグダと書いてきましたが、結局、何気圧で、何秒間、何回拡張すればよいのかを誰も知らないままに施行しているPCIですから、結果を見ながら軌道修正するという当たり前の方法がベストということになろうかと思います。今でも、PCI時に施行したIVUSに関してはレセプトの詳記に記載しなければ、査定されます。PCIをするのになぜ造影をしたのかと聞かれることはありません。必須のことだからです。一方でIVUSを何故施行したのかの弁明は求められます。最適な結果を得るために不可欠な方法と保険請求の分野でも認知され、余計な詳記を書く必要がない時が早く訪れてほしいものです。
昨日来の議論では、バルーンの拡張時間はどの程度が良いのか、拡張回数は何回が良いのかと議論になっていました。30年以上もの歴史がある治療法で、何気圧で、何秒間、何回拡張すればよいのかといった基本的なことが議論になるのは不思議な気がします。しかし、現実にはこの基本的なことは解明されないまま30年が経過しているのです。
何気圧で拡張するのが良いかについては、血管のコンプライアンスを誰も知らないのだから、コンプライアンスチャートに頼らずにIVUSで拡張した結果を見て拡張不十分であれば十分な高圧で拡張するといった、結果を見ながら拡張圧を上げていって最適な結果を得るという方法で、何気圧で拡げるのが良いかなど考えなくて良いかもしれません。
バルーンは何秒間拡張させておけばよいのでしょうか。仮にインデフレーターで14気圧をかけると徐々に圧は低下してゆきます。バルーンに至る造影剤が通るルーメンの太さや、希釈した造影剤の濃度もしくは粘度、バルーンのコンプライアンス、血管のコンプライアンスによって、バルーンや血管が拡張するために時間がかかり、時間がかかった拡張に応じてバルーン内圧は低下してゆくからです。コンプライアンスを圧力に対するバルーンサイズの変化と定義すると、日本語で表現すると圧応答性というのが適切かと思います。バルーンが十分に拡張するまでの時間は時間応答性と表現すべきでしょうか。この時間応答性は、複数の因子によって規定されるために、バルーンやステントごとによっても異なりますし、血管の硬さが違う患者さんによっても異なる筈です。ですから適切な拡張時間という絶対値も存在しないということになります。とすれば、IVUSで見て十分に拡張していれば何秒間でも良いという結論になります。
何回の拡張が望ましいかについても、複数回の拡張の方がより大きなルーメンを確保できると最近よく言われていますが、最適な拡張回数は何回なのでしょうか。1度拡張したバルーンは圧応答性が高まる筈ですし、1度拡げた血管の圧応答性も高まっているはずです。これは1度拡げた血管に発生した解離が圧応答性を高めるという因子と、同じ最終の拡張径を得るのであっても小さなルーメンから拡張するよりもより大きなルーメンから拡張するほうが必要なシェアストレスは小さいという物理的な法則も一つの因子だと思います。この後者の考え方からRotablator後の拡張は低圧でも構わないという発想に繋がっています。これについても、1度目ですら血管のコンプライアンスが分からないのに2度目の拡張時の血管コンプライアンスを知る由もないわけですから、やはりIVUSで十分に適切な拡張を確認して拡張回数を決めるという方法しかないものと思います。
グダグダと書いてきましたが、結局、何気圧で、何秒間、何回拡張すればよいのかを誰も知らないままに施行しているPCIですから、結果を見ながら軌道修正するという当たり前の方法がベストということになろうかと思います。今でも、PCI時に施行したIVUSに関してはレセプトの詳記に記載しなければ、査定されます。PCIをするのになぜ造影をしたのかと聞かれることはありません。必須のことだからです。一方でIVUSを何故施行したのかの弁明は求められます。最適な結果を得るために不可欠な方法と保険請求の分野でも認知され、余計な詳記を書く必要がない時が早く訪れてほしいものです。
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PCI strategy
2012年7月3日火曜日
プラザキサに対する関心の高さには驚かされます
Fig. 1 Access ranking top 10 between Sep. 2010 and Jul. 2012 |
Fig. 2 Top keywords between Jan.-Jul. 2012 |
ワーファリンの販売しているエーザイさんに伺ったところ、国内でワーファリンを内服している方は約100万人だそうです。日本の心房細動患者が約100万人と聞いていたので驚きました。心臓に人工弁が入っている方もワーファリンを内服されているでしょうが、そんなに多い筈もなく、心房細動患者の多くがワーファリンを内服していないと、新規抗凝固薬の発売に伴って広く喧伝された情報は何だったのかと思います。
また、長期処方が可能になったプラザキサを内服している方は、10万人を超えたとも聞きました。薬価が20-30倍にもなるプラザキサですから既に販売額はワーファリンを超えたそうです。私も長期処方が可能になったことで、まだ10人未満ですがプラザキサの処方を始めました。AHAのガイドラインに沿って、ワーファリンで良好なコントロールの方に高価な薬剤を使うメリットは感じないので、ワーファリンでのコントロールが不安定すなわちTTRが低値の方に限って処方を開始しています。こうしたTTRの低値の方の多くは高齢で、腎機能も悪く、抗血小板剤も内服されているためにプラザキサ(75mg) 2T 2Xの処方としていることがほとんどです。APTTのチェックもCBCのチェックも行い、効きすぎていないこと、貧血が進行しないことを観察しながらの投薬ですので、当初宣伝されたような手間のかからない薬剤という訳にはいきません。しかし、TTRが低値で出血や塞栓症のリスクの高い方への治療ですから、必要な手間と思っています。
こうしたプラザキサの普及でワーファリンの処方が減少したかについてですが、昨年以後、ワーファリンの処方量は増えているそうです。心房細動患者で塞栓症を予防することが大事だと宣伝されたことで、抗塞栓療法のマーケットが活性化されたということです。
田舎の小さな医療機関から発信するブログを少なくない方が見てくれています。当院で使用しているGE OPTIMA CT 660の記事を読んで導入を決められた医療機関も複数存在することも承知しています。誤った情報を発信することで経済的な損失を与えたり、あるいは患者さんが不利益を被らないように注意しなければと思います。また、逆に他の医療機関や患者さんに有益な情報が提供でき、例えば心房細動に伴う塞栓症がこの国で減少すれば何よりの幸せです。これからも頑張りましょう(以前勤務していたグループの新聞風に締めくくりました)。
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