5年前に死んだ私の父は「土建屋」でした。あるBSのインタビュー番組でこう話した時に、放送禁止用語なので違う表現をしてくださいと言われましたが、やはり土建屋です。父の仕事は請負仕事です。元請、下請け、孫請けなどという言葉がありますが請負仕事です。例えば半年の期限内に5千万円の報酬で土地を造成するという感じです。期限の相当早い範囲内で仕事が終わっても、少ない経費で仕事ができても同じ報酬ですから、より良い仕事をすればより大きな利益が生まれます。能力の高さが利益を大きくする構造なので能力が高まるシステムとなるのが長所です。一方、このシステムの欠点は手抜きをしても利益が上がるために手抜きを構造的に招きやすいことです。
この構造は、実は心臓のカテーテル治療をしている私たちの世界でも同様です。15分で仕上げたPCIも2時間かかったPCIもそこにかかるコストは違うのに得られる報酬は22万円(この4月からは24万円)程度です。不思議なもので15分で22万円を貰うとそれが当たり前になり2時間もかかるとその何倍かを貰わないと損した気になってしまいます。でもいつも2時間かかるわけでもない訳ですから平均30-60分の手技に22万円の報酬と割り切ればよいと思っています。父の仕事もそうでした。利益の大きな現場もあれば小さな現場もあったのです。利益の大きな現場だけ請け負うというような土建屋は相手にされません。
仕事にはこのように①請け負った仕事を仕上げて報酬を貰うという成果に対して対価を得るという仕事と②時間を売って利益を売るという仕事に大別されるように思います。父の現場で働いていた作業員は日当制ですから、時間を売って報酬を得る仕事です。日本の多くの労働者の仕事のシステムはこの後者の時間を売って報酬を得るというのが基本です。目一杯働いて、病院に対して大きな利益を提供した医師も、あまり働かなかった医師もほとんどの場合ほぼ同じ給料です。成果に対する報酬の体系ではなく勤務時間に応じた報酬体系になっているからです。
かつて働いていた大病院でのことです。放射線科の受付がいつも横柄で、患者さんに文句ばかりを言い、怒った患者さんに二度とこんな病院に来るかと何人もにも言わせました。普通の人が受付をしていたら例えば100万円の報酬を得たものが、その受付のために50万に報酬が減っても、その受付が拘束された時間は同じですから普通の受付とも普通以上に患者さんを惹きつける受付とも同じ給与を得ます。給与を払って病院の報酬を減らすような構造でおかしな構造だと思いましたし、私は普通以上に働いて病院にマイナスにならないようにと思っていました。同じ時間を拘束されているのだから同じ給与であることが公平だというのが法的な基本だとすれば本当にこの国は共産国家なのだなと思ってしまいます。また、このような考え方は、一人一人の労働者の能力をも高めませんから労働者のためにもなっていないように私には思えます。
農家は働いた時間で報酬を得るのではなく収穫した作物の価値で報酬を得ます。料理人は費やした時間ではなく、その料理の価値で報酬を得ます。土建屋であった父も、PCIを実施する私も請け負った仕事で報酬を得ています。ほぼすべての経済活動がその生産される商品やサービスの価値で回転するにも拘らず、そこを支える労働者の給与体系が価値とは無関係に決定づけらるところに資本と労働者の間の矛盾を生むのかもしれません。
昨日、このブログでMRさんのことを書きました。殊の外、大きな反響で驚きました。何も悪口を言いたかったわけではありません。営業マンが潤滑油となって経済を発展に導くのだから頑張ってほしいという気持ちで書いたものです。ただ、一方で、昔から営業マンが現場に出たふりをしてパチンコに行ったり、木陰で昼寝をしたりというのもよく見聞きする光景です。大きな企業に時間を売って給与を得る営業マンの、報酬をはかる成果たる価値は何かと問われれば答えは簡単ではありませんが、私にはやはり営業マンにも請け負った仕事があり、それに応じて得る対価があるように思えます。時間を切り売りして歳を重ねるだけではなく、大きな成果を求めて邁進する営業力を是非見せてほしいと思っています。
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