「救急専門医の独り言」というブログの記事に刺激されて、Google Analyticsで当ブログのアクセス解析をすることにしました。このブログを書いている先生とはかつては同僚でしたが、この頃にはこんなにもユーモアがあり発信力のある先生とは知りませんでした。ネット上で知ることができる本質があるのかもしれません。
1/29の夜にGoogle Analyticsの設定をして3日目、およそ72時間が経過しましたが、その間の県別のアクセスマップが図です。72時間で43都道府県からのアクセスです。アクセスがなかったのは東から、栃木県、静岡県、鳥取県、島根県だけです。そう言えば栃木県で知っている人はいないしなとも思います。一方で、非常に仲の良い友人は静岡で働いているのに見てくれていないのだとも思います。
もう少し、詳しく見ると43都道府県の88の市や区からのアクセスです。大学時代を過ごした奈良県橿原市からも、大学時代に映画を見に行った奈良県大和高田市からもアクセスがありました。大和高田でタワーリングインフェルノを見た時にはお客さんは私一人だけで上映時間が始まっても映画が上映されず、掃除が始まりました。私がいるのですがとアピールしてから上映をしてもらいましたが一人のためだけに上映していただいた心意気に感謝したものです。ネットのアクセス解析をして、一人で昔を懐かしむ自分の姿を、自分でも少し気味悪いかなとも思いますが、昔を懐かしむ年齢になったのだと思います。
1994年から2000年までの福岡徳洲会での勤務時代、福岡都市圏で最も多いPCI件数を実施する施設を作るのだと頑張り、実際にそうもなりました。大きな町の一番症例数の多い施設ですから多くの学会発表を行い、AHAでの発表の機会もありました。そうした、恵まれた環境から2000年に私は鹿屋への転勤を志願しました。鹿児島県の人口第2位の町であった鹿屋にPCIができる病院がなく、急性心筋梗塞になれば2時間もかけて鹿児島市内に搬送される状況だと知ったからです。この決断をした時に、頭の中にあった言葉は「連帯を求めて孤立を恐れず」です。東大闘争中に安田講堂に残されていた、落書きのフレーズです。「連帯を求めて孤立を恐れず 力及ばずして倒れることを辞さないが、力を尽くさずして挫けることを拒否する」というのが全文です。困っている人のために華やいだ舞台から、孤立するかもしれない環境の鹿屋に行ってもその心情を理解してくれる同じ気持ちの仲間がいるはずだとこの言葉のように思っていたのです。
それからもう10年以上が経過しました。自分が灯したPCIの灯を自分が責任を持って守り抜かなくては言う気持ちで6年前に鹿屋ハートセンターを設立しました。人口の少ない土地ですから1000人規模のPCIの施設ができるはずはありません、年間200件足らずのPCIですから一人でも十分にできる件数なので、週に2回手伝いに来てくれる鹿児島大学のK先生を除いてほとんど医師と会話することもなくなりました。この孤立感をネットで克服しようと始めたブログです。たった3日間で43都道府県からのアクセスです。目に見える現象は孤立であってもそこにはネットで結びついた連帯があるような気がします。少しエクセントリックな主張をしても「いいね!」を押してくれるfacebook上の友人にも出会えました。
大学時代、この「連帯を求めて孤立を恐れず」という言葉に出会い、高橋和己の「孤立無援の思想」を読みといった経験を経て、今の私の選択があります。全共闘の時代や私の大学時代にはなかったネットの環境が今は存在します。ネットの時代の「孤立無援の思想」の形態は、高橋和己が思い描いたものと異なる進化を遂げているように思えます。
リンクを張って頂きありがとうございます。
返信削除ご無沙汰しています。これからもよろしくご指導お願いいたします!
こちらこそ早速のコメントをありがとうございます。先生のブログで私も勉強しています。
返信削除志に思わず涙出ます。。これからも頑張って下さい。このページのみならず、FBでも覗かせて頂きたいと思います。
返信削除Ruby様 コメントをありがとうございます。よろしければFBでも友達リクエストをお願いします。
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