2013年4月24日水曜日

8年もかかりましたが恩師との面談がかないました

 どんなに書物を読んで勉強をし、考えても、他者との交わりなしに人間の成長はないものと思います。人であるに他ならない医師も同様です。この先生と出会わなければ現在の自分はないと思える先生がいます。

 一人は24歳で医師としてスタートを切った病院の副院長であった入野忠芳先生です。入野先生のことは2011年9月8日付当ブログ「ワーファリンで治療中の心房細動患者に発症した脳卒中を診て思い出した私の恩師」に書きました。脳卒中専門医として心原性脳塞栓に興味を持っておられた入野先生から勧められなければ私は循環器医を目指さなかったと思います。今現在も循環器医であることの原点は入野先生です。

 もうお一人、自分の人生を決定づけた先生は徳洲会の徳田虎雄理事長です。徳田理事長には非常に可愛がって頂き、福岡徳洲会病院の循環器部長・副院長になったのも、大隅鹿屋病院の院長になったのも、徳洲会全体の専務理事に抜擢して頂いたのもすべて徳田理事長の指示によるものでした。専務理事時代、毎週土曜日に開催される幹部会のために欠かさずに東京へ出張でした。もっともアクセスの悪い鹿屋から行くわけですから、定時に集合される他の専務理事の先生方よりも早くに東京についた私に徳田理事長はいつも色々と教えて下さいました。徳田理事長は、新井と2人の徳田学校だと言っておられました。2年に1度改定される診療報酬について勉強をし、これからは診療報酬改定に沿ってXXの分野に取り組めば収益性が良いなどというような話をするといつも叱られました。「制度を勉強するのは構わないが、そんな勉強は誰もがしている勉強だからそんなことを勉強しても勝ち抜けるはずがない、誰もがしないことを誰よりも早く始めてやっと勝ち抜けるのだ」とか「徳洲会のような大きな組織が守りに入ったら潰れてしまう、いつ潰れても構わないというような覚悟で挑戦を続けることが大事なのだ」とかです。

 2004年12月26日に発生したスマトラ沖地震、インド洋大津波に対する救援では、真っ先に理事長が救援に行くべきだと宣言され、当時すでに専務理事になっていた私は、指示を受け、12月28日にはタイ・プーケットの地を踏んでいました。循環器診療しか知らない私には救援の知識は何もありませんでしたが、JICAよりも先にタクアパ県立病院を拠点に救援活動を開始する道筋を立てることができたのも、その後インドネシアのバンダアチェにおけるザイノエルアビディン病院の復興支援に取り組めたのも、循環器診療に留まらない薫陶を徳田理事長から受けていたからだと思います。海外での支援では実際に行くスタッフの保護のみならず、活躍するための医療上の準備や、現地の日本大使館や現地の政府機関・警察などとの打ち合わせなどしなければならないことも多く、循環器医としての私のキャリアでは到底対処できない仕事でした。

 この活動が一段落し、バンダアチェでの救援をねぎらうためにバンダアチェで開催された当時の小泉純一郎首相との昼食会(図)に徳洲会を代表して私が招かれた後、徳洲会での私のキャリアは終わりました。新井個人が目立つことを優先して徳洲会の利益を損なっていると批判されたのです。組織の理念のために先頭に立って苦しい現場に真っ先に行っていたことが批判されたのですから、私を批判するために開催された会議の席上で徳洲会を辞めると意思表示するしかありませんでした。2005年の5月のことです。

 退職の意思表示をした翌日に、私は徳田理事長を訪ね、退職の挨拶をしたい旨を伝えましたが会っていただけませんでした。2006年の鹿屋ハートセンター開院後には東京には当分いけないと考え、開院前にもご挨拶したい旨を伝えましたがやはり会っていただけませんでした。自分の人生を決定づけた恩師にご挨拶もできないまま人生を終わるのかとずっと心に引っかかっていた小骨が2013年4月14日に取れました。東京で開催された日本内科学会総会に合わせて6年ぶりに上京した折に、再度、徳田理事長に面会をお願いし、面会が叶いました。退職の意思表示をしてから8年が経過しました。その間に、私よりも後に徳洲会を退職された先生が徳田理事長に挨拶されているのになぜ私は挨拶も受けてもらえないのだろうと悶々とした気分でいましたが、この面会で解消です。たっぷりと1時間半の間、徳田理事長とお話ができました。

 自分のキャリアアップに欠かせなかった恩人を、ただの踏み台と考えるような人を私は軽蔑します。たとえ袂を分かつことがあっても、頂いた恩を大切に思う心情が人として存在する基本だと思います。恩人をいつまでも敬う精神や、部下として自分を支えてくれた後輩をいつまでも大切に思う心情こそが重要だと思っています。人間であることを失う前にご挨拶が叶い、幸いでした。

2013年4月7日日曜日

2.25㎜の薬剤溶出性ステントのリリースに際して考えること

ちょうど1週間前の土曜日にAbottさんのXience prime stentの2.25㎜が発売されるとのことで小さな研究会が福岡で開催されました。鹿屋に引っこんでから人前で話すことはほとんどなくなりましたが、久留米大学のU先生から何かを話せと言われたので出かけてきました。その場で話したことの備忘録として本日のブログを書いておこうと思います。

小径の血管に対するステント植込みはBare Metal stentであればバルーン単独のPCIよりも長期成績が悪いという考えもありあまり需要はありません。しかし、薬剤溶出性ステントであれば再狭窄を抑制する可能性が高いので良いのではないかとリリースされたものと思われます。既にBostonさんからはPromus element 2.25mmがリリースされています。

小径の血管でも再狭窄なしに拡張可能であれば、良いではないかとの考えもあるとは思いますが、基本的に小径の血管が潅流する範囲は小さく、あまりにも小さな潅流域の小径の血管はPCIをせずに内服でコントロールで良いではないかというのが私の基本的な考えです。2.25㎜のステントが登場することで重要度が低い小さな冠動脈までPCIが実施されてしまうのではないかと懸念しています。

では2.25㎜のステントには活躍する余地がないのでしょうか。2.25㎜のPromus element植込みを行ったケースです。Fig. 1は労作性狭心症で来られたケースの初回の造影です。LADの近位部に強い石灰化を伴う90%狭窄がタンデムに存在します。また、その末梢はdiffuseに狭窄が続きます。このケースにはロータブレーターが必要と考えいつもお願いする先生に治療して頂きました。Fig. 2はROTA-STENT後です。#6の狭窄は解除され再狭窄はないのですが末梢の狭窄は残っています。ROTAに紹介する時にROTAをして下さる先生は末梢をどう処理されるのだろうと関心を持っていましたが、あまりにも細い血管のために手を付けないという選択をされたのです。この選択は私も同意する妥当なものと思っています。(当時2.25㎜DESはリリースされていなかったのです)

このROTA-STENT後も労作時の胸痛は続きました。このためLADの末梢もPCIが必要と考え実施した後がFig. 3です。Promus elementの2.25㎜を18気圧で植え込みました。コンプライアンスチャート通りであれば2.5㎜になります。もっと拡張が必要であれば拡張限界径はこのステントの場合2.75㎜です。diffuseなこのケースのような病変の多くは硬く拡張には十分な拡張圧が必要です。一方で最近のDESであるPromus elementやXience primeはcompliantなバルーンにマウントされているので拡張に要するような高圧をかけると拡張径の目標を超えて拡張してしまい血管が破れるリスクが出てきます。それを恐れて低圧で植え込んでしまうと狙った拡張径は得られません。このケースでは2.5㎜径に拡張したいと思っていましたからPromus element2.25㎜を高圧で植え込もうと考えていたのです。福岡での発表では2.25㎜のDESを使ってPCIをする時の拡張目標は2.25㎜ではないと話してきました。この考え方ならばならば広い潅流域をもつびまん性の病変での2.25㎜DESの意義があろうと思っています。

Xience prime2.25㎜はPromus elementよりもなおcompliantなバルーンにマウントされています。この2.25㎜のXienceの構造は3.0㎜のものと同じですから最大拡張径は3.0㎜を超えます。この理解がなければ想定以上の拡張をしてしまうリスクがあり、そのリスクはPromus elementより高いと思われます。一方、びまん性の病変の末梢に合わせて2.25㎜ Xience primeを植込み、近位部になるにしたがって高圧をかけたり、大きなバルーンで拡張することで1本のステントでびまん性の病変に対処することが可能かもしれません。生体内ではその値通りには決して拡張しませんが、コンプライアンスチャートを理解し、最大拡張径を理解することで2.25㎜DESの使い道があると思っています。

使用する道具の特性を理解することで診療の幅が広がります。道具には罪はありません。使用する医師の側に罪や功が存在します。新たに使用できるようになった道具が患者さんにも医師にも福音となるようにその特性を理解し、良い使い方を考えていきたいものです。


2013年4月5日金曜日

鹿児島大学 心臓血管・高血圧内科 大石充教授の講演を聞いて 進歩した画像診断や機能診断と病理の知見を活かしてより良い冠動脈病へのアプローチをしなければと再認識です。

5年前には小さなソフトプラークしか見えなかった高コレステロール血症のケースが、スタチンを内服しておらず、高度狭窄に進行していたと 昨日のブログに書きました。この昨日のケースをPCIが始まって間もない時期、1980年代に見ていたらどうだったろうかと考えました。負荷心電図のボーダーの所見で冠動脈造影をしていたかもしれません。造影の結果はきっと正常冠動脈という評価で、高コレステロール血症があっても当時はスタチンへの関心も低く、何も治療せずに放置していただろうと思います。狭窄の芽が出てきた高コレステロール血症なのに有効な治療ができなかったと反省するのは、CTで評価していたからです。

 診断の方法が増えると考え方が異なってきます。1980年代には冠動脈造影・負荷心電図、Tl-201 心筋シンチ位が評価法であったと思います。そしてその3つの評価法を用いても結論はきっと放置したケースです。

時代は進みました。昨日とは別のケースです。半年前に右冠動脈にPCIをしたケースの6か月後のCTがFig. 1です。左前下行枝に高度狭窄が見えます。半年前と同様の所見です。Fig. 2に示した冠動脈造影像も半年前と同じですが、半年前には非有意狭窄と判断し何もしませんでした。冠動脈造影での評価とCTでの評価ではどちらが正しいのでしょうか?今回はFFRを測定しました。結果は0.78でした。このケースでは心筋シンチをしていませんが、仮に再分布があり虚血と判定しても、この冠動脈造影像を見ればPseudo positiveと判定したかもしれません。0.78のFFRの値と心筋シンチでの再分布がそろえばTrue positiveです。冠動脈造影像をゴールデンスタンダードとすると所見はPseudoにもTrueにもなってしまいます。

Fig. 3はこのケースのIVUS像です。180度未満の石灰化と、IVUSカテがウエッジするほどでもない狭窄は見て取れます。

1980年代には冠動脈造影・負荷心電図・心筋シンチしかなかったのですが、現在ではそれに加えて冠動脈CT・FFR・IVUS・OCTが使用できます。冠動脈造影では見えなかったプラークの評価をCTが可能にし、小侵襲であるために経時的な変化も観察可能です。また造影では知り得なかった冠動脈の断層像の観察がIVUSで可能になり、OCTではより高い空間分解能で冠動脈が評価可能になりました。またFFRで機能評価も可能になってきました。こうした評価も併せて考えると、冠動脈造影だけの情報はいかにも少なく、アバウトな評価の上で冠動脈病をかつては治療していたのだと思います。

こうした新しいモダリティを用いて、冠動脈病の治療の考え方は異なってきます。本日、大隅循環器病懇話会(?)という会に今度、鹿児島大学心臓血管・高血圧内科の教授として着任された大石充先生が講演に来られました。病理から考える動脈硬化の診断と治療というようなテーマでした。刺激されました。亡くなった方の病理像から学んだことを、生きている患者さんで評価し治療できるようなモダリティを20数年前とは違って今は持ち合わせているのだから、この病理の知見と現在の評価法の組み合わせで、以前より格段に洗練された治療を提供しなければならないと改めて感じました。知見と技術は格段に進歩しています。それを活かすのは現場の医師である我々の責務だと再認識です。

2013年4月4日木曜日

医師が説明した内容と患者さんが持ち帰る理解のギャップ

 5年前に初診の方です。高脂血症でスタチンを内服されていました。胸部症状はありませんでしたが負荷心電図がborderであったために実施した冠動脈CTがFig. 1です。当時の当院のCTはまだ16列でしたが結構きれいに撮れていると今見ても思います。左冠動脈主幹部から前下行枝にかけてソフトプラークを認めます。この所見を見て、詰まれば命に係わる場所だから胸の症状を感じたら、軽くてもすぐに受診するように説明したとカルテに記載があります。

本日、安静時心電図でもST低下があるとのことで紹介され受診されました。やはり胸部症状はありませんが今回は負荷心電図も陽性です。本日撮像した冠動脈CTがFig. 2です。左前下行枝の狭窄は進行し、クリティカルに見えます。心筋梗塞発症前に再診して頂いてラッキーでした。

以前、スタチンを処方されておられた先生のところには今も通院されているのですよねと確認したところ、驚いたことに前回のCT検査の後は通院せずに何も内服していないとのことでした。本日のLDLは193でした。

患者さんに何か説明する時に、なるべく噛み砕いて分かりやすく説明しているつもりです。「左冠動脈主幹部にソフトプラークがあるでしょ」というような説明をしている先生を見たこともありますが、私はこんな表現をしても頭に入らないと考え、上記のように「ここが詰まれば命取りになるといった場所にコレステロールがついて狭くなり始めている」というような説明を心掛けています。しかし、今はすぐに詰まるというほどではないが場所が悪いという説明の内、今は詰まるほどでもないがという部分だけが頭に残っていたようです。

どんなに噛み砕いて説明をしてもこのようなことがよく起こります。〇〇病院でカテーテル検査を受けたが何も説明を受けていない等と言われる方も来られます。ではきっと異常はなかったのですねと聞くと、この薬を内服しろと言われて内服していると言われ、内容を確認すると2剤の抗血小板剤で、検査をするとステント植込みがなされているという方もおられました。今時のPCIをする医師で何も説明せずにステント植込みを実施する医師がいる筈もありません。

医師が説明した内容と、患者さんが頭の中に残している内容に小さくないギャップが存在します。医師になって35年目になりますがこのギャップを埋める良い解決策はなかなか見つかりません。

しかし、理解してもらえないからといって患者に説明しても仕方がないとか、理解できなかった患者の責任だというような後ろ向きの発想を持ってはいけないと思っています。飽きずに繰り返し説明したり、理解の間違いや不足で発生した問題については患者さんを責めずに、発生したことを仕方がないよなと受け入れ、前向きの対処を考えてゆくのが大切だと思っています。

2013年4月3日水曜日

手作業での情報収集と、効率化の間で揺れる心

 読書好きで知られた児玉清さんのお勧めで読んだ「レッドオクトーバーを追え」が、トム・クランシーの小説の読み始めだと記憶しています。最近のトム・クランシーの作品はマンネリかなと思うこともありますが、今も欠かさずに読んでいます。CIAの分析官であったジャック・ライアンはついには合衆国大統領になり、最新作の「Locked on」では再度の大統領選に挑んでいます。トム・クランシーの描く大統領は、毎朝、サマライズされた新聞を読みます。世界中の危機に対応する大統領が自ら複数の新聞を読んで重要な出来事を見つけ出すことはできません。補佐する部下が大統領が知っておくべき記事をまとめて読んでもらうのです。新聞だけではなく、大統領自らが情報を集め、分析し、重みづけし、その情報をもとに意思決定する訳ではありません。そんな時間の余裕はないのです。ですから、情報を取集するもの、分析するもの、重みづけするもの、大統領に報告するのをピックアップするもの、サマライズするものなどが必要になります。そしてようやく大統領の意思決定です。

 これほどではなくても病院における意思決定も一人ではできません。年間に数百から数千のPCIを実施する施設では、一人のリーダーがすべての情報を収集し、分析・重みづけをし、意思決定するということは物理的に不可能です。病歴や家族の背景、身体所見や検査所見を看護師や検査技師・主治医が収集し、主治医が分析、重みづけをしたのちにリーダである部長の判断を仰ぐという形が一般的であろうと思います。その情報収集系に問題があればどんなに優れたリーダーであっても正しい意思決定はできません。

 かつて大きな病院の循環器部長であった時に、経験したことです。失神を主訴に来院され安静時心電図でもST低下が著明であったケースを若い先生に主治医をお願いしました。たまたま気になってカンファレンスであの患者さんはどうなったのと尋ねたところ、胸部症状もなく精査の必要を感じなかったので帰しましたとのことでした。しかし、再度の受診時に調べたところ2枝の完全閉塞を含む3枝病変でした。危機的な状態の患者さんだったのです。情報収集や分析に問題があるとこのようなことが発生します。大病院の循環器部長時代にはこのように修正ができたケースだけではなく、修正できなかったケースも少なからずあっただろうと思います。

 また、別の先生ですが非常に几帳面な先生でした。退院サマーリーには重大な冠動脈の狭窄にみならず、例えば第二対角枝の25%狭窄だとか、造影に使用したカテーテルが網羅されているだけではなく血液検査で問題がなかった血小板数やALP値など細かに記載されていました。このためサマリーの文字はリーディンググラスを使用しても読めないほど細かく、一生懸命に読んでも、何が重要なポイントであったかもわかりませんでした。なので退院時に部長としてサインする時にはもう読まずにサインするしかありませんでした。

 情報収集ができないことも、情報を整理できないことも医療者としての大きな欠陥であると思っています。こうした情報収集能力・分析力、サマライズする能力を高めるために、1分間で患者さんの状態をプレゼンする練習などが看護師や医師には必要だと思っています。

 鹿屋ハートセンターは小さな施設であり、すべての患者の情報収集は検査技師さんや看護師さんの手を借りるとはいえ基本的に一人で行っています。このため情報の収集系や意思の伝達系を効率的にすることを意識してきました。2011年3月31日付当ブログ「ネットワーク中心の医療や国政 迅速な情報収集、意思決定、実行のために」に記載した軍の概念であるC4Iに倣ったシステム構築です。一人で効率よく情報収集し、意思決定・実行を行うために、他の医師のフィルターを介した意思決定のミスを免れることができると思ってきました。しかし、このシステムも限界だなと思うこともあります。やはりいくら効率を追求しても一人でできるボリュームはそれほど大きくないということと、一人でも完結するシステムを完成させると他のスタッフが失敗しながらも成長するというような機会を奪っているのではないかということです。

 効率の先にあるボリュームの大きな仕事と、非効率の中にあるトレーニングの成果との間で心が揺れます。やはり医療には効率化だけでは語れない手作業の部分が小さくありません。

2013年4月1日月曜日

「何かあったらどうするのだ」という発想に潜む陥穽

 昔の話ですが1997年に、福岡徳洲会病院と長崎県対馬をTV電話で結んでPCIをサポートするTele-PTCAなるものを始めました。それまでPCIができなかった対馬では、病院に入院された急性心筋梗塞患者の死亡率は16%でした。当時の福岡徳洲会病院の急性心筋梗塞の死亡率は5%程度でしたから、対馬の9%の方はPCIを受けられないままに亡くなっていたということになります。この差を何とかできないかと考え始めたのがTele-PTCAでした。多くの新聞や全国放送でもこの取り組みは紹介されましたが、当時新聞に載ったある心臓外科のコメントは、心臓外科医もいない島で何かあったらどうするのかとこの取り組みに批判的でした。

 今日のテーマは「何かあったらどうするのか」あるいは「何かあったら責任を取れるのか」です。Tele-PTCAを開始して100例の急性心筋梗塞を受け入れた段階で死亡は1例のみでした。総数は少ないものの死亡率は1%です。もし「なにかあったらどうするのだ」というその心臓外科医の発想で何もしなければ16%が死亡していたと思われます。1%のリスクを恐れて16%を見殺しにする不作為は無責任ではなく、15%をリスクを冒して救命する行為は無責任なのかと当時考えていました。ただ、どんなに救命率が向上しても、得体のしれないTV電話でサポートしてPCIをするという行為で釈明できないミスを冒せば責任を取らなければならないとも思っていました。

 今でも「何かあったらどうするのだ」という点を軸足に物事を考えて、救命できる人を見殺しにするようなことをしてはいけないと思っています。カテーテル治療を行う介入循環器医は、個人が責めを負わされるリスクを冒して、全体の成績を改善する宿命なのだと思っていますし、そう思わなければできない仕事だと思っています。

 「何かあったらどうするのだ」という考えに基づく不作為の罠はこうして考えてきた私にも無縁ではありませんでした。薬剤溶出性ステント植込み後の2剤の抗血小板剤(DAPT)の投与を、私は意図して中止してきませんでした。中止することで、植込み後の年数が長いにもかかわらず急に冠動脈が詰まったらどうするのだという不作為の罠に嵌まっていた気がします。上部消化管出血であればPPIで何とかなるしなどと自分に言い訳をしてきたように思います。ただ、必要のないDAPTの継続で発生リスクが高まる脳出血をネグレクトしてきたのです。DAPTの中止による冠動脈の閉塞のリスクよりも、継続による脳出血のリスクが高いのであれば、「何かあったらどうするのだ」という発想でDAPTを中止をしない不作為は罪だと考えを改めました。きっかけは2012年12月20日付当ブログ「当院通院中にの方に発症した脳出血で考えたこと」です。昨年2例の脳出血による死亡を経験しました。1例はステント植込み後で心房細動もありワーファリン+DAPTの方でした。もう1例はPCI後数年を経ているにもかかわらずDAPTを継続していた方でした。このブログを書いた後、PCI後1年以上経過している方のDAPTは極力中止し、バイアスピリンのみに変更しています。プラビックスの処方量は激減しました。幸いDAPTを中止した方で冠閉塞の発生はありません。左冠動脈主幹部(LMT)にステントが入っている方や、Cypher stentが入っている方はどうしようかと決めかねていますが、最近のステントであれば多くのデータからも自施設の少ない経験からもDAPTの継続は不要のようです。

 ただ患者さんにお願いしたいのは、DAPTの継続を止めたから冠閉塞が発生し、死に至ったではないかというような非難をしないで欲しいということです。DAPTを中止していたから脳出血にならずに済んだんだよということは一人一人の患者さんでは証明しようがないのです。脳出血が起きたら不用意にDAPTを継続していたからだと非難することは可能であり、冠閉塞が起きれば、中止したからだと非難することが可能です。結局はどちらの選択の方がマスで見た時により有利かで医師は方針を選択するしかないのです。多数にとって有利な選択をした時に、個々に発生する事態は無責任に聞こえるかもしれませんが神のみぞ知る事態と理解するしかないと思っています。とはいえ、DAPT中止による冠閉塞で死に至らないように、夜間でも日曜であっても正月であっても胸痛があれば我慢せずにすぐに電話をくれるよう説明は欠かさないようにしてはいます。

 「何かあったらどうするのだ」という発想がリスクマネージメントに繋がればよいのですが、不作為に繋がれば最悪です。この陥穽に嵌まらぬように心を引き締め、作為の根拠になる知識の集積を怠ってはいけません。