2020年4月4日土曜日

対策はするけれども慌てない、普段のやりかたを守ると決めました。

 図は、2020年2月に左冠動脈前下行枝に薬剤溶出性ステントの植え込みを行った方です。本日、退院後2回目の受診です。階段を登っても、以前感じた胸痛は全くなくなったと喜んでおられました。次回の受診は、5週間後です。残薬の確認のためにあえて1週間分の残が出るように処方日数を調整しています。

今回のコロナ禍で、受診を恐れる方もおられます。このため普段はしない90日処方なども一般的になってきていると耳にします。私は、ビビりなので、ステント植込み後1ヶ月程度の方に90日処方をする勇気がありません。地域にコロナが蔓延し、とても来て頂く状況ではないとならない限り、今までのやりかたを守ろうと思っています。

鹿児島県では2020年4月4日時点で新型コロナ陽性の方は3名確認されています。英国から帰ってきた方が1名、関西から帰ってきた方が2名です。感染経路不明の方はおられません。

パンデミックになってから慌てても遅い、今のうちから対策するのだという気持ちもよく分かります。一方で慌てすぎて、3月後にパンデミックになっていたとすると、今から90日処方にしていたらステント植込み後半年以上も顔を見ていないという状況になってしまいます。また、こちらの危機感が上手く伝わるとよいのですが、医療者と患者さんが一緒に恐れおののくさまも、どうかなと思っています。パニックは伝染すると思っています。

陰では十分な対策をしてやせ我慢でも、どっしりと落ち着いているようにふるまいたいと思っています。余裕のあるうちは今までのルチーンを守ろうと決めました。

2020年3月21日土曜日

医療崩壊は需要増だけではなく供給減でも発生する

イタリアで医師不足に対処するために、医師資格試験を免除し、試験前の医学生を医師として現場に投入するというニュースを目にしました。2つの驚きでした。

一つはこの新たに投入される医学生の数が約1万人という点です。人口が日本の半分の約6000万人のイタリアの新卒医学生が1万人もいるのかという点です。日本では最近2つの医学部が新設され1学年の定員は増えましたがそれでも9300人程度です。日本の人口当たりの医学生の数は医師不足と言われるイタリアの半分ということになります。

もう一つの驚きは、医師資格試験に合格していないものを医師として現場に投入するという政府の決定そのものです。日本でも戦前・戦中の医師不足に対処するために医学専門学校(旧制医専)が作られました。今回の決定は、医師の質よりも数が必要だという戦時の発想です。そこまでイタリアは追い込まれているのかと改めて思いました。

図は前回のものを少しアウトブレークに合わせて修正しました。災害と異なり、需要の増加が短時間で終息しないこと、供給も経時的に低下することを荒っぽく表現しました。医療の需要を超えないようにピークを抑制させる施策としてイベントの自粛や外出の自粛をするのだと言われました。そのような図も盛んにTVなどで紹介されました。これは、供給が減少しないことが前提です。前回も書きましたが、中国でもイタリアでも日本でも医師や看護師などの感染は少なくありません。であれば、流行に伴って供給も減少してしまうことを意味します。死に至った医療者の補給には何年もかかります。アウトブレーク終息後も、亡くなった医療者が担っていた医療の供給は低下したままです。

医者は患者のために24時間働いて当然だという患者さんも決して少なくはありません。数日前から具合が悪かったが、仕事が忙しかったのでと言って、夜中や休日に受診される方もおられます。何日も前から具合が悪かったのなら、時間外や休日でなくても受診できたでしょなどとそんな方に話をすると、医者は患者の都合に合わせて働くのが当然だなどといわれます。医療者も生身の人間です。そこを理解して上手に社会のインフラである医療を利用しないと、医療の需給バランスが崩壊し、医療者だけではなく医療を利用する患者も困ってしまうのです。

医療者だけではありません。自衛隊も警察も消防も私たちの社会のために必要なインフラであり限られた資源に他なりません。税金で食っているのだから納税者である国民のために24時間働いて当然だという発想は蛸が自らの足を食うような発想です。今回の新型コロナ禍を通じて、このような公共のインフラの持つ意味をもう一度考え、上手に有効に、こうした公共サービスが維持される社会に成長できたなら、このコロナ禍も悪いだけではない経験になるのかと思っています。

2020年3月19日木曜日

医療者が頑張るだけではなく、医療者を守る視点が必要

2004年12月26日にスマトラ沖地震が発生しました。当時、徳洲会の専務理事をしていた私は救援隊長として、タイのタクアパやインドネシアのバンダアチェに行きました。循環器医ですから外傷の治療ができる訳でもなく現地に行って何ができるのかと不安に思ったものです。

タイのタクアパ病院は海岸から離れた立地であったために病院自体は被災しませんでしたが津波発生直後の殺到する患者増のために疲弊していました。一方、インドネシアのバンダアチェで支援に入ったザイノエル・アビディン病院は、病院そのものが被災し、機能が低下していました。また、医師や看護師も犠牲になっていました。医療の需要が急激に増加した急性期だけではなく、その後も長期にわたって病院機能が低下していたために需要に長く応えることができなかったのです。このため、急性期の災害支援だけではなくその後の復興の支援も行ったのです。災害支援だけではなく復興支援がなぜ必要かということを理解してもらうために15年前に作ったスライドが図です。

15年前に作ったこのスライドを見ていて、現状の新型コロナ禍でも同じように需要に対する供給不足はこのように表すことが可能だと思いました。急激な感染拡大で需要が増えるだけではなく、医療者が感染することで供給力も低下すると、医療の破綻は大規模で長期のものになりかねません。

武漢でも日本でも医療者の感染が報告されています。医療の需給を維持するために、医療者が頑張るだけではなく医療者を守る対策も必要だと改めて思います。バンダアチェでは、日本だけではなくオーストラリアやドイツなどが大規模な復興支援を行いました。しかし、今回の新型コロナ禍では他国からの支援は受けられないのですから。

2020年3月15日日曜日

きれいな言葉で装われた社会の本心を新型コロナが表出させる

一昨日2020.3.13には循環器学会で京都にいるはずでした。しかし新型コロナウィルスの騒動のために学会は延期され、急な空白ができました。ゆっくりすればよいのに生来の貧乏性ゆえでしょうか? 何かしなければと考え、日帰りで九州大学病院を訪問しました。残薬チェックの先達である先生に相談に伺ったのです。

感染のリスクを減らすために自動車での往復です。もちろん自動車内ではマスクなんかしません。しかし、九大病院に到着後にはマスクを付けました。感染が怖かったからではありません。マスクをせずに病院を訪ねると白い目で見られるのではないかと思ったからです。そんな風に考えた自分の気持ちを振り返って鹿屋ハートセンターに来られる方のことを考えると、感染予防というより付けてこないと居心地が悪いからという理由でつけてくる方も少なくないのではないかと思い始めました。実際、鼻を出していたりすき間だらけだったりで予防の役に立たないだろうという方も少なくありません。

マスクを着けていない人が暴行を受ける映像を見ると感染よりも人の目を恐れてマスクをつける人も少なくないと思います。日本国内でもマスクをせずに咳をした人が電車内で口論になったりというニュースも目にします。

ちょうど9年前に発生した東日本大震災時に盛んに「絆」という言葉が使われました。日本中、世界中の人が力を合わせて復興に取り組もうとか、「被災者」を非被災者が助けるのだという意味だったのかと思いますが、おなじ人間が他者と同じふるまいをしないとまずいのではないかと考えるのを不思議に思います。他者の視線を恐れ、他者と同化しないことを恐れる感情です。大地真央さんに「そこに『絆』はあるんか?」と聞いてもらいたい気持ちです。非被災者が余裕をもって被災者に「絆」というのは決して醜いとは思いません。しかし、自分も感染するリスクを負ったときに他者と同化しないとまずいと考える心情は「絆」とは対極にある気がします。他者と力を合わせようという気持ちと他者の目を恐れる気持ちの同居です。被災者も非被災者も、日本人も外国人も同じ人間だから助け合うのだというコミュニティで、生きていくためには同化しないと生きづらいのであればそのコミュニティの「絆」は何か嘘くさいと感じてしまいます。「絆」と言っていた、モラルや民度が高いといわれた日本の社会はトイレットペーパーを買い占めたり、マスクを分かち合うのではなく高額で転売するような社会でした。

「自由」「平等」「友愛」を憲法にも載せるフランスで「コロナは出ていけ」という落書きが中国人の経営する日本食レストランになされました。街を歩いていてもアジア人は「コロナめ」と罵声を浴びせられることもあると聞きます。「自由」「平等」「友愛」を憲法にも載せるフランスは、「自由」「平等」「友愛」の先進国ではありませんでした。「自由」「平等」「友愛」と言い続けなければ、憲法に書かなければ、「自由」「平等」「友愛」が保てない国だったと思います。おまえはRacist人種差別主義者だという表現は人を非難する言葉です。これもRacistを非難することで自分の心の中の人種差別を否定して安寧を図っているだけかもしれません。

新型コロナの騒動で、自分を含めて誰もがリスクを負う局面に立った時、心の奥に隠していた・気づかなかった感情が表に出てきました。新型コロナは感染していない人の心までも、あらわにするウィルスのようです。医学的な公衆衛生的な解決をいつか得て「人間」は「科学的」に成長すると思います。これだけではなく、この騒動を機にきれいにな言葉で繕ってきた他者の視線を恐れる心情や他者を蔑む感情などにも気がつき成長すればよいと思います。嘘できれいに装った「良い」社会よりも本音で築き上げられた社会がより良い社会であればと願わずにはおれません。

2020年3月3日火曜日

「新型コロナの検査はできんのか、しゃあないな、それなら、家帰って芋食うて屁ぇこいて寝よ」とはなりませんよね

youtubeより
私は今、鹿児島県鹿屋市に住み働いていますが、生まれも育ちも大阪です。大阪人というとボケたり突っ込んだりして会話をするんですよねと言われることもありますが、そんなことを大阪の学校で教える訳でもなくすべての大阪人がそんなことを良しとしているわけではありません。関東で働いている時には大阪人は下品だとか、粋じゃないなどと思う人が多くて多少のつらさもありました。すべての大阪人が下品なわけではありませんが、確かに大阪には広く普及している下品な言葉もあります。

「芋でも食うて、屁ぇこいて寝よ」などは代表的な大阪人の下品な言葉です。他の文化圏の人には意味が分からないと思います。意味は大阪出身の私にもよく分かりませんが…

ややこしいケンカになった時、難しいことを言われてよく分からない時などに、その面倒なことに終わりを告げるために「もうええわ、家帰って芋でも食うて屁ぇこいて寝よ」と使うのが一般的だと思います。

新型コロナのPCR検査で感度は〇%で、特異度は〇%、陽性的中率は〇%だから必ずしも検査をして陰性だからといって安心という訳でもないし、症状のない時に検査しても感染している人だって陽性にはならないのだから急いで検査を受けても仕方がないよと説明してどれほどの人が納得してくれるでしょう。まして心配だから検査をしてくれとネットに多くの情報があっても来られた方です。

本日の加藤厚労相の会見では新型コロナ検査の自己負担分は公費で補助するとのことでした。つまりただ、無料です。どれほどの人が必要もない検査を求めてこられるんでしょう。気が遠くなる思いです。

患者さんが「よう分からんけど、それやったら、家帰って屁ぇこいて寝よ」と言ってくれ、そんな会話で自宅待機が促されるのであれば言うことなしだと思います。しかし、今の時代にはそんなことは夢物語に違いありません。

2020年3月2日月曜日

このパニックに「こころの処方箋」でも読んでこころを落ちつかせましょう

もう何年も前からほぼ毎月、臨床心理学の勉強会に参加しています。鹿屋体育大学の臨床心理学の教授をされていた先生の主催です。長く参加しているからでしょうか、臨床心理士の資格を取るために受験をしたらどうかと勧められました。医師の資格で十分に仕事ができているので、あまり気が進まないのですが、いやとも言えずハイと返事をしてしまいました。

ここ数日、受験のための参考書や問題集がその先生から大量に送られてきます。問題集をみるとちんぷんかんぷんです。これは大変だと、読みやすい物から眺めてみるかと読み始めたのが図の河合隼雄先生の「こころの処方箋」です。文庫本が送られてきましたがKindle版もあります。

引き込まれました。新型コロナの騒動でこころが落ち着かなかったせいかもしれません。

2章の「ふたつよいことさてないものよ」では、何か悪いことが起きた時に、いつもいつも良いことばかりではないなと考えると不思議とこころが落ち着くのです。自分の人生を振り返っても良いと思った後につらいことがあったり、これは大変なピンチだと思ったことがあとの成功に繋がったりと、良いことばかりも悪いことばかりも続かなかったな等と思い出されるのです。「ふたつよいことさてないものよ」と呪文のように言っていると、こころが落ち着くのを感じます。

13章の「マジメも休み休み言え」もうんうんと言いながら読みました。新型コロナに関わる医師の投稿でも医師以外の投稿でも、エビデンスがどうだとか、和を乱すなだとかどうして喧嘩しているのと思うバトルがネット上にあふれています。正しい情報を得て行動することを否定はしませんが、益のない争いをするよりも「マジメも休み休み言え」位のスタンスが良いのではないかと思えるのです。

27章の「灯を消す方がよく見えることがある」は、灯りを失って方向を失った小舟で松明を燈しても見えなかった方向性が、灯を消すことで遠くの浜辺のぼんやりとした灯りを見つけて方向を知るという話です。あまりの情報過多に方向性を失っているのではないかと感じます。一度、灯りを消してたち止まって遠くを眺めることで見えてくる未来もあるように思えます。

正しい情報を一生懸命に勉強しても見えないウィルス相手です。こころの平静なしに立ち向かっても大きな失敗を冒しかねません。

21章の「ものごとは努力によって改善しない」です。医師も医師以外の方も陥っているパニックだからこそ「こころの処方箋」でも読んでこころを落ちつかせてはどうかと思います。

2020年3月1日日曜日

新型コロナのPCR検査が保険でカバーされ5000円だそうです。さらなる混乱が起きないことを願うばかりです。

一昨日2020年2月28日付の当ブログで、医師がこのくそ医者めと言われない社会になることを期待していると書きましたが、実はたいして期待していません。そんな風に医師を罵る人は少なくなることはあってもいなくなることはないと思っています。

やはり夜間の当番医をしていた頃ですが、夜中の3時頃に小学生の親だという方から今から頭のMRI検査をしてくれと電話がありました。どうしてMRI検査をしてほしいのかと尋ねると頭が痛いと言っている、ネットで調べたらヘルペス脳炎という怖い病気があって診断するのにはMRI検査が良いと分かったからだと言われます。子供の頭痛でも脳出血のこともあるので子供の頭痛で緊急性を要する病気がない訳ではありませんが、ごく稀です。ただこの方の場合意識はしっかりとしておりマヒもないとのことでしたのでそれならば夜が明けて小児科に受診し、ヘルペス脳炎が心配なのですが大丈夫でしょうかと話をして医師が必要と判断すればそれからMRI検査を受けたら良いとお話ししました。このお父さんは怒りました。娘が心配で今検査して欲しいのに何故できないのだと。もちろん開業医が夜間の急病の診察のためにボランティアでやっていた夜間当番ですからほぼすべての当番医にはMRIなんかありません。また、MRI検査が可能な病院でも、心配だから今からやってくれといってもMRI検査をいきなり午前3時にする病院もほぼありません。そんな話をしていると「MRIもできないのなら当番医なんかするな、くそ医者め」とやはり罵られました。

患者さんの行動は、夜間でも心配なら自分が思っている検査をどこでもしてくれるわけではないというような常識で決まっているわけではないのです。また、MRI検査をしてくれるはずだと期待していたものが期待通りに事が運ばないことで期待に対する裏切りに怒りを持たれます。この方の場合、ネットでヘルペス脳炎を見つけ、MRI検査が診断に有効であるという正しい知識を得る能力があったにも関わらずです。患者さんの行動を規定するものは医学的な常識やエビデンスではないのです。

新型コロナのPCR検査を保険でカバーし5000円の負担になるそうです。PCR検査を受けたいという方が、大勢 医療機関に行かれると思います。はいはいと引き受ける医療機関もあるでしょうし、症状もないのに検査しても無駄ですよという医療機関もあるでしょう。後者の場合、PCR検査をしてくれるはずだという期待を裏切るのですから、どんなに説明しても納得しない方から「このくそ医者め」と罵られると思います。

新型コロナに関するエビデンスは乏しい段階ですが、エビデンスを知り検査を実施する意義をよく理解している医師が罵られることになります。健康保険でカバーされて5000円で実施されると決まったPCR検査の普及が更に大きな混乱を起こさないことを願うばかりです。