2012年3月30日金曜日

診療報酬改定に思う この国の医療の未来を創るシステムはどこにあるのでしょう

今回 書くことに異論があることは承知で思い切って書いてみました。

マイケル・サンデル教授の正義に関わる番組を1週間ほど前にちらっと見ました。全く同じ仕事をする外国人の労働者の報酬が、日本人の報酬よりも少なかったとしたらそれは公平と言えるかというテーマでした。複数の国が関わる場合、貨幣価値や生活水準も異なるわけですから単純に回答は得られません。では、日本の中での日本人の報酬の場合ならどうでしょうか。

3人の作業員がいるとします。Aさんは3年の経験があり1時間に5本の杭打ちができる能力を持っているとします。Bさんは10年の経験がありやはり1時間にうてる杭は5本です。Cさんは10年のキャリアで1時間に10本の杭打ちができます。この3人が1時間の杭打ち作業をした場合の報酬の体系には3つのパターンが存在します。

① 同じ時間を拘束したのだから同じ報酬
② キャリアに応じて報酬が増える Aさんが最も少なくBさんとCさんは同じ
③ 成し遂げた仕事量で報酬が異なる AさんとBさんは同じで、Cさんは最も多い倍の報酬を得る


①であればキャリアが違うのに同じ拘束時間だからと報酬が同じでは不公平だという考え方が成立し、②がより公平と考える人もいると思います。しかし、1時間に5本のBさんと10本のCさんは同じキャリアだから報酬は同じというのは公平でしょうか。1本当たりの報酬はCさんの方が少なくなり不公平だという考え方も成立します。この場合、③が公平だという考えになります。私は、③が最も公平だと思いますが、日本の伝統的な年功序列のシステムでは②が一般的であると思います。また、この考え方では杭を1本も打てない人は飢え死にしろということかと批判もあろうかと思いますが、そうした人をどう救済するかは国家のセーフティネットの問題で労働に対する報酬の問題ではないように思います。

医師の中によくある診療報酬に対する不満は経験豊かで上手な術者が手術をしても、最近始めたばかりの未熟な術者が手術をしても同じ報酬だというのは不公平だというものです。私は、もう随分とベテランになりましたがこのような不満を持ったことがありません。本当に上手であればCさんのように単位時間当たりの手術件数が多くなり、得るものが多くなる筈だからです。うまい下手を評価する指標もないのに経験が長いことで評価してしまえば、経験は長くても仕事ができないBさんに多くの報酬を与えてしまうという②のパターンになります。上手な術者のCさんのところにはより多くの患者さんが治療を求めて来られるでしょうから、Cという術者には単位時間当たりの報酬が多いだけではなく絶対的な報酬も増えるはずです。ですから上手い術者なのに下手な術者と同じ診療報酬なのは不公平だという術者のことを私は基本的に信頼しません。

同一製品・同一価格であったり同一サービス・同一価格という原則です。この原則が適用され、誰がやっても手術に関わる診療報酬は同じなのだと理解しています。

では、同一サービス・同一価格の原則は診療報酬体系で徹底されているのでしょうか。今回の診療報酬改定の中で地域加算という制度ができたようです。地域医療を維持するのが困難な地方であれば少し診療報酬を上げてあげるよという制度です。これはお国が地方の病院に報酬を少し多めにあげるという風に思われる人もいるでしょうが、診療報酬が上がるイコール患者の負担が増えるということを意味します。地方の医療を維持するために地方に住む人は少し多めに入院費を払いなさいという制度です。地方の医療を維持するために国家が何らかの手当てをすることは私も正しいと思いますが、それを診療報酬という名の患者負担に求めるのは私は間違っているように思います。同一サービス・同一価格の原則に反するからです。

7対1看護と10対1看護では看護サービスに差はあるのでしょうか。7対1看護ではより良い看護が提供され、予後を改善したり平均在院日数を短縮化できたというようなエビデンスはあるのでしょうか。よりコストがかかるものにはより多くの報酬を与えるという形で患者という顧客に負担を求めるのは正しいのでしょうか。

自動化され製造された200万円で販売される自動車を手作業で職人が作り上げたらコストが嵩み1000万円で販売しないとペイしないでしょう。両者が全く同じ製品であれば、コストがかかったから高く売ってよいのだというビジネスは成立するはずがありません。いくらコストがかかったとしても同じサービスであればやはり同じ価格でないと私は公平ではないと思います。

ある時には同一サービス・同一価格が原則だと言い、ある時にはコストがかかる病院には診療報酬を増やすという名目で患者負担を求めるというやり方に一貫性が存在するのかと思います。こうした一貫性のなさが診療報酬体系を複雑化させ、体系的な未来のビジョンの作成を妨げているような気がします。金曜日に入院して月曜日に退院させるような病院に対しては診療報酬を減らすというような些細な議論をするところが中医協でそれをリードするのがこの国の知性だとしたらさびしい限りです。この国の医療・福祉の未来をデザインするシステムはこの国には存在しないのでしょうか。

2012年3月28日水曜日

超えようと思っても超えることができない偉大な壁 PCIを増やす努力

1994年に私は、湘南鎌倉病院から福岡徳洲会病院に転勤しました。初めての循環器科の部長職です。39歳でした。福岡への転勤を希望したのは福岡に縁があったからではありません。34歳まで関西を出たことがなかった私には、福岡に親戚も友人も一人もいませんでした。政令都市の中で最もPCIの件数が少ない都市だったことが選択した理由です。当時の福岡市の人口120万人と周辺の人口を合わせて都市圏200万人の規模でありながら最もPCI件数の多い病院でも年間のPCI件数は100件に届きませんでした。都市圏すべての症例数を合わせても1000件にもなりませんでした。人口10万人当り数十件の町ですから、現在のの東京都江東区のような状況です。一方で同じ政令指定都市である北九州市は人口が約100万人であるにもかかわらず日本一の症例数を誇る小倉記念病院があり、1病院でPCI件数は2000件を超えていました。

福岡都市圏でPCIの件数が最も多い施設を作るのだと当時は一生懸命でした。地域の住民の皆さん、地域の開業の先生、九州内のPCIの術者の先生方からの信頼を得るのが肝要だと考えていました。

地域の住民皆さんからの信頼を得るために、多くの公民館で医療講演をさせて頂き、少しでも胸が苦しいことがあればすぐに私に連絡してくださいと自分の携帯番号を載せた名刺を配っていました。ライオンズクラブで話をさせて頂いたり、簡保の旅行があると聞けばそこに同行して宴席で話をさせて頂いたりです。このため年間に配る携帯電話番号のついた名刺の数は1万を下りませんでした。

地域の開業の先生からの信頼を得るためには「顔」を繋ぐことが大事ですから、製薬のMRさんに紹介していただいて多くの先生方との会食に臨みました。博多の文化は会食の後に中州に流れるという文化でしたので、連日、色々な先生と中州のクラブを訪ねました。生涯で一度もγ-GTPが上昇したことはないのですが、1994年のみは90位まで上昇しました。それほどに開業の先生との顔つなぎに精を出しました。また、同業の循環器の先生からの信頼を得るために必死で学会発表を繰り返し、また、製薬メーカーの主催する研究会に顔を出すだけではなく必ず発言するように努めました。

こんな努力が実ったのか前年が80件であったPCIは、転勤した初年である1994年に250件、翌年に400件、その翌年に550件と増加し、1年目で福岡都市圏で1番の症例数となりました。

こんな状況の時にPCIができない対馬と出会い、高い急性心筋梗塞の死亡率を何とかせねばという気持ちから、若い先生を対馬に派遣してTV電話でサポートしながらPCIを行う遠隔PTCAなるものを始めました。この時、純粋に対馬の循環器救急を何とかしたいと思って始めたことでしたがほんの少し、下心がありました。当時の福岡都市圏200万人の人口のうち、約1割の20万人が対馬出身ないしそのご家族と言われていたのです。対馬での圧倒的な支持を得ることができれば福岡都市圏の人口の1割の方たちからも支持を得られると思っていたのです。

この意図は概ね当たりました。対馬で急性期の治療を受けた方の慢性期の治療や難しいPCIは福岡で行いましたから、対馬の方、対馬ゆかりの方で福岡のPCI件数は随分と増えたのです。ポッと出の私が始める前、対馬の方の多くは小倉記念病院でPCIを受けておられましたが、相当多くの方が福岡に変わられました。その中でお一人は、どんなにお話しさせていただいても小倉から変わるつもりはないと言われました。理由を聞いたところ、私は携帯番号を教えてくれただけだが、小倉記念病院の延吉先生は自宅の電話番号まで教えてくれた。胸が苦しくて電話をかけたところ、先生は留守だったが、奥様が「それならば記念病院にすぐに行きなさい、私が病院には電話をかけておくから」と言ってくれたというのです。奥様にも世話になったのに交通が便利だからと裏切るわけにはいかないと言われたのです。

この話を聞いた時に、やはり日本一の症例数は何の努力もなしに成し遂げられたわけではないと悟りました。延吉先生の大変な努力の結果、日本一になっておられたのです。私も自宅の電話番号を教えても何も問題はありませんでしたが、当時の私は独身でしたので自宅に電話をされても電話で指示してくれる妻はいなかったのです。私が敵わないと思ったのは、私が独身だったからではもちろんありません。20年以上前からのこうした延吉先生の努力にポッと出が敵うはずがないと思ったのです。

昭和49年に小倉記念病院の循環器部長になられた延吉先生が冠動脈造影検査を始められた頃に、患者さんを紹介してもらおうと現副院長の野坂先生と一緒に日豊線の一駅一駅で降りて一軒一軒、開業の先生を訪ねて回られたというのは有名な話です。延吉先生の努力はそれだけではありませんでした。ご自宅の電話番号まで患者さんに教えておられたのです。

多くの病院が生き残るために、PCIの件数を増やすために、患者さんを集める努力をします。うちの病院のほうがきれいだとか交通の便が良いとか、症例数が多いとか、平均在院日数が短いとかを売りにして自分の病院に来てくれと話して回ります。もちろんこうした努力が無駄だとか卑しいとかとは思いませんが、延吉先生のご努力と比較すると霞んで見えます。

自分の携帯番号を書いた名刺を配ってここまで努力をする医者はいないだろうと思っていた私に、まだまだ甘いと教えてくれたのが延吉先生です。ちょっかいを出そうと思ったポッと出の私には超えようと思っても超えることがができなかった大きな偉大な壁です。そんな経験を経て、今の私の診療のあり様、経営のあり様が完成したと思っています。一番になるのだとぎらぎらと野心一杯であった福岡転勤当時の私の姿はもう今はありません。それを老いたというのか成長したというのかは微妙ですが、私は満足しています。

2012年3月27日火曜日

64列MDCT導入と、PCI後のフォローアップカテをしないことによる収支の変化

平成18年の鹿屋ハートセンターの開設時に、最も悩んだのがCTを導入するか否かです。大きな債務を背負っての開設ですから少しでも初期投資を抑えたいと思うのは当然です。開設前に色々と知恵をお借りした豊橋ハートセンターの鈴木孝彦先生はCTなど不要だとその当時は言われました。悩んだ挙句、当時は冠動脈を評価する上で最も高規格であった64列MDCTではなく、なんとか冠動脈を評価できる16列MDCTを導入することにしました。これでも、当時は清水の舞台から飛び降りるような決断でした。

2年前の平成22年9月に、まだリースも終わっていないのにこの16列MDCTから64列MDCTに機種を変更しました。もちろん、毎月の固定費は上昇します。1年前の平成23年2月にもう一つの決断をしました。64列MDCTで多くの場合、PCI後の評価は可能なので、PCI後の評価に冠動脈造影を実施することを止め、64列MDCTのみによる評価にすることとしました。このことに関しては2011年2月3日付当ブログ「PCI後の冠動脈造影を原則しないと決心しました」に書きました。当然、医業収入は低下します。もう一つ、平成23年に決心したことはほぼ全職員の基本給を上げたことです。

経営の基本は「出るを制して入りを図る」です。固定費を抑えて、収入増を図るというのが基本です。しかし、3つの全く正反対の決断(出るを増やして、入りを抑える)を平成22年末から平成23年初めにかけて決断しました。こんな方針で1年を乗り切れるのだろうかと平成23年の1年間は不安で仕方がありませんでした。

医療法人化の準備をしているものの、まだ個人の施設である鹿屋ハートセンターです。決算は1-12月で、確定申告は3月です。今回の申告では平成23年の収入は、予想した通り平成22年と比較して数千万の減収でした。率にして8%ほどです。一方、税引き前利益は平成22年と比較してわずか数十万でしたが増益でした。数千万の減収にもかかわらず利益が横ばいであった理由はカテーテルでの評価を止めたことによるカテーテル等の材料費の減少です。

カテーテルによる評価しかなかった時代はカテーテルを積極的に実施するのは当然でした。しかし時代は変わりました。でも、カテーテルを生涯の仕事としてきた自分にとってカテーテルを減らすというのは大きな決断でした。悩んだ決断でしたが、64列以上のMDCTが導入されればほとんどの場合、カテーテルによる評価は不必要だと確信できました。日本全体で医療費の増大が問題にされる中で、鹿屋ハートセンターに関わる医療費は8%減です。医療(機器)の高度化による医療費の増大ではなく、医療費の縮小が達成できました。もちろん、これは鹿屋ハートセンターを受診される方の負担も減少したことを意味します。

1年半前の64列MDCTの導入も決断までに相当に悩みましたが、医療費を縮小させ、患者さんの負担を減少させ、ハートセンターの経営にはマイナスにはなりませんでした。良い決断であったとホッとしています。

2012年3月26日月曜日

当院のPROMUS element2例目の植え込みです

Fig. 1 Before PCI
 本日のPCIの方です。80歳代前半の女性です。4年半前に胸部圧迫感で受診され、CAGを施行。有意狭窄ではないとの判断をしました。今回、NTG舌下で軽快する胸痛があったとのことで久々に受診されました。

Fig. 2 After PCI
Fig. 1に示すように中隔枝近傍に狭窄を認めます。IVUSで観察すると近位側の中隔枝近傍で高度狭窄です。屈曲した病変であること、stent deliveryが容易そうであることより、最近使えるようになったPROMUS elementを使うことにしました。当院で2例目の使用です。ワイヤーが入っていない状態で測定した屈曲の角度は117度でした。Fig. 3に示すワイヤーもステントも入った状態では、この角度は158度に伸びています。この角度はワイヤーを抜くと146度にまた屈曲しましたがコントロールと比べれば進展した状態です。confirmabilityの低い剛性のステントであれば、ワイヤーを抜いてもFig. 3のように進展したままでしょうが、このステントではワイヤーを抜いたとたんにステントは屈曲しました。

Fig. 3 After stenting with guidewire
これをconfirmabilityが良いと判断し、シェアストレスがかかりにくいために、stent fractureや再狭窄を防ぐために有効に働くのではないかと考えてこの病変に選択しました。しかしこの仮説が真であるかは不明です。この仮説の検証がこのステントの今後の運命を決めるように思います。短縮しやすい構造であることとのトレードオフのconfirmabilityです。今後の経過に関心を持ってフォローしてゆくつもりです。

2012年3月24日土曜日

地元を盛り上げる若いオーナーさんたちの意気に感じて私も頑張りましょう

昨年の国勢調査の結果では、鹿屋市の人口は5年前とほぼ同じでした。しかし、大隅半島内の鹿屋市以外の郡部では5-10%の人口減です。人が減り続ける中で、人を相手の仕事を維持することには恐怖があります。医療機関に来られる患者さんが減少し、医療を支えるスタッフが減少する中で機能を維持できるかという不安です。こうした現象は大隅半島内に限らず人口増を続ける大都市以外の日本全国の地方で起きている現象です。大都市だけが生き残れるかという点も疑問です。数十年後には日本全国で数千万人も人口が減少すると予想されています。日本が初めて迎えた人口減少時代に過去のビジネスモデルは成立しません。誰も答を知らない中での将来設計は難しいテーマです。


人を相手にしない仕事があるでしょうか。医療のみならず、医療と同じように直接人に接する美容も理容も、人にモノを販売するスーパー等の小売りも、自動車や電化製品も、全ての職種で購入する人が存在しないと維持できません。人が減少する社会を知らない訳ですから、過去に感じたことのない恐怖です。

そんなことを考えながら今日は一人で「家食」です。鹿屋を中心とする大隅半島は食材の宝庫です。有名な黒毛和牛や六白黒豚の大きな生産地ですし、ウナギの生産も国内有数です。インゲンやピーマン、ゴボウ、里芋等も生産量が多いですし、カンパチの養殖量も国内随一です。食材だけではありません。有名な「森伊蔵」も「魔王」も大隅半島に蔵元があります。鹿屋市内にも「大海」や「小鹿」といった大きな焼酎メーカーが存在します。天然水で有名な「財宝温泉」も大隅です。水も焼酎も野菜も海産物もお肉も豊かなこんな土地に住むのは初めてです。

とはいえ、2000年に鹿屋に転勤してきた頃、どこで黒豚を求めて良いのか分かりませんでした。多くの食材は大きな消費地である都市部に安く提供され地元で求めるのは困難だったのです。しかし、この10年で様子は変わってきました。黒豚を扱う商店も増え、私の大阪の実家に送ることも容易になりました。イセエビやサザエ、アワビなどもです。しかし、こうした食材の価値を高める人の手が入った料理を提供する環境は、大隅ではまだ不十分です。もったいない話です。

本日は、最近鹿屋にオープンした「豚に真珠館」というお店で買った、ソーセージとハム、地元のキャベツでワインを少し飲もうという魂胆です。「豚に真珠館」は福留さんという方が始められたお店です。お兄さんが生産したお肉を弟さんが加工するのだそうです、弟さんはドイツでマイスターの資格を取って帰ってこられました。都会で店を開けばもっと大きな商売になるかもしれないのに地元で生産し、地元でマイスターの腕で加工します。その意気やよしです。田舎で生産し、田舎で加工し、そこで頂くといったスタイルはイタリアのスローフード運動のようで心を揺さぶられます。こうした動きは10年前には鹿屋には少なかったように思いますが、最近は30歳代の若いオーナーを中心に地元の食を盛り上げようとする動きが高まってきました。かつて工場を誘致しようとする動きもあったようですが、交通の不便な大隅では難しい話です。その土地にあった発展形があるのだろうと思います。地元の食材を生かして「食の王国」を作り上げようとする若いオーナーたちを見ていると、私が感じていた近い将来の人口減少時代に対する不安は杞憂かもしれません。「食」も万全、医療も万全という町を目指して、将来を嘆くことなく頑張らなければなりません。


さあ、お風呂に入って、地元の食材を堪能しましょう。


写真は鹿屋のK-work netの社長さんのブログから無断で拝借しました。鹿屋ハートセンターの建築にも関わって頂いた社長さんです。無断の掲載も許してくれると信じています。

2012年3月22日木曜日

時間を売って得る報酬と、成果の対価としての報酬

5年前に死んだ私の父は「土建屋」でした。あるBSのインタビュー番組でこう話した時に、放送禁止用語なので違う表現をしてくださいと言われましたが、やはり土建屋です。父の仕事は請負仕事です。元請、下請け、孫請けなどという言葉がありますが請負仕事です。例えば半年の期限内に5千万円の報酬で土地を造成するという感じです。期限の相当早い範囲内で仕事が終わっても、少ない経費で仕事ができても同じ報酬ですから、より良い仕事をすればより大きな利益が生まれます。能力の高さが利益を大きくする構造なので能力が高まるシステムとなるのが長所です。一方、このシステムの欠点は手抜きをしても利益が上がるために手抜きを構造的に招きやすいことです。

この構造は、実は心臓のカテーテル治療をしている私たちの世界でも同様です。15分で仕上げたPCIも2時間かかったPCIもそこにかかるコストは違うのに得られる報酬は22万円(この4月からは24万円)程度です。不思議なもので15分で22万円を貰うとそれが当たり前になり2時間もかかるとその何倍かを貰わないと損した気になってしまいます。でもいつも2時間かかるわけでもない訳ですから平均30-60分の手技に22万円の報酬と割り切ればよいと思っています。父の仕事もそうでした。利益の大きな現場もあれば小さな現場もあったのです。利益の大きな現場だけ請け負うというような土建屋は相手にされません。

仕事にはこのように①請け負った仕事を仕上げて報酬を貰うという成果に対して対価を得るという仕事と②時間を売って利益を売るという仕事に大別されるように思います。父の現場で働いていた作業員は日当制ですから、時間を売って報酬を得る仕事です。日本の多くの労働者の仕事のシステムはこの後者の時間を売って報酬を得るというのが基本です。目一杯働いて、病院に対して大きな利益を提供した医師も、あまり働かなかった医師もほとんどの場合ほぼ同じ給料です。成果に対する報酬の体系ではなく勤務時間に応じた報酬体系になっているからです。

かつて働いていた大病院でのことです。放射線科の受付がいつも横柄で、患者さんに文句ばかりを言い、怒った患者さんに二度とこんな病院に来るかと何人もにも言わせました。普通の人が受付をしていたら例えば100万円の報酬を得たものが、その受付のために50万に報酬が減っても、その受付が拘束された時間は同じですから普通の受付とも普通以上に患者さんを惹きつける受付とも同じ給与を得ます。給与を払って病院の報酬を減らすような構造でおかしな構造だと思いましたし、私は普通以上に働いて病院にマイナスにならないようにと思っていました。同じ時間を拘束されているのだから同じ給与であることが公平だというのが法的な基本だとすれば本当にこの国は共産国家なのだなと思ってしまいます。また、このような考え方は、一人一人の労働者の能力をも高めませんから労働者のためにもなっていないように私には思えます。

農家は働いた時間で報酬を得るのではなく収穫した作物の価値で報酬を得ます。料理人は費やした時間ではなく、その料理の価値で報酬を得ます。土建屋であった父も、PCIを実施する私も請け負った仕事で報酬を得ています。ほぼすべての経済活動がその生産される商品やサービスの価値で回転するにも拘らず、そこを支える労働者の給与体系が価値とは無関係に決定づけらるところに資本と労働者の間の矛盾を生むのかもしれません。

昨日、このブログでMRさんのことを書きました。殊の外、大きな反響で驚きました。何も悪口を言いたかったわけではありません。営業マンが潤滑油となって経済を発展に導くのだから頑張ってほしいという気持ちで書いたものです。ただ、一方で、昔から営業マンが現場に出たふりをしてパチンコに行ったり、木陰で昼寝をしたりというのもよく見聞きする光景です。大きな企業に時間を売って給与を得る営業マンの、報酬をはかる成果たる価値は何かと問われれば答えは簡単ではありませんが、私にはやはり営業マンにも請け負った仕事があり、それに応じて得る対価があるように思えます。時間を切り売りして歳を重ねるだけではなく、大きな成果を求めて邁進する営業力を是非見せてほしいと思っています。

2012年3月21日水曜日

日本の技術や製品の価値を支える営業力

JR西日本の福知山線脱線事故の時、盛んに技術立国である日本の技術力に翳りがさしているのではないかと議論されました。コストカットが優先され安全を担保することがおざなりにされているのではないかという議論です。こうした議論がなされる時、私はいつもそれ以上に日本の営業力に翳りがさしているのではないかと思っていました。

日本の技術力の象徴的な製品である自動車やソニーの電化製品なども国外での評価は戦後のことです。国外に出た当初の評価は、今の中国製品と同様に「安かろう、悪かろう」でした。こうした低い評価の中で単身、多くの国に営業に出て行った企業戦士がいました。使い物にならないと罵られながら、指摘された問題点を製造部門にフィードバックさせ、高品質で低価格の製品に成長させ、徐々に高い評価を受けるようになりました。こうした営業力が技術の日本のブランドイメージを作り上げたのだと思います。物を製造するうえで最初から問題のない製品が出来上がることの方が稀で、市場に投入されてから問題点が浮かび上がりそれを修正することで製品としての完成度が高まるのだと思っています。このフィードバックを支えるものも営業力に他なりません。

私が生業としている冠動脈のカテーテル治療も同じです。バルーンしかなく急性期の合併症で死亡や緊急手術が必要だった時代に、急性期の安全性を高めるためにステントが登場しました。ステント登場で減少したもののまだ問題であった再狭窄をなくすために薬剤溶出性ステントが開発され市場に投入されました。市場に出た製品やサービスの問題を改善されるべき課題と考えるからこそ次の回答が出てきます。問題の発見や改善の答えは市場や顧客あるいは患者さんが持っているものです。そこを見る視点が重要で、机の上での技術論だけでは回答を得られないと思っています。

本日、ある製薬メーカーのMRさんが来院されました。17時頃です。ワーファリンのメーカーさんです。御用は何ですかと尋ねたところ、「ワーファリンの効果はどうですか?」と聞かれました。ワーファリンの効果の発現には個人差が大きく、1㎎で有効な治療域に達する方もいますし、10㎎でも効果が出ない方もいらっしゃいます。こんなことは医師なら誰でも知っていることですし、特に循環器の医師はこのことに詳しいのを知らないはずもないMRさんがこの質問です。最上級の愚問です。「くだらないことをことを聞くと馬鹿だと思われるだけだよ、そんなことを聞くために面談を申し込んだの?」と再度、尋ねると「ダビガトランとワーファリンの使い分けをどう考えているか教えてください」と言われました。私が、何度もワーファリンとダビガトラン使用についてブログに書いているにも関わらずです。

かつて、大病院の院長職を務め、日本最大の病院グループの専務理事をしていた私もある種の営業努力をしていました。医師不足を解消するために大学の医局に医師派遣をお願いする時、面談前にどういう経歴の教授なのか、研究テーマは何なのか、医局員は充実しているのかなどを下調べした上で会うようにしていました。何の下調べもなくいきなり医師の派遣などお願いできないからです。共通の興味やお互いのメリットなどを十分に議論できる背景無しに忙しい教授に時間を取らせることは失礼だと考えていましたし、実も上がらないと考えていたからです。

本日来院されたようなMRさんは、最近は稀ではありません。鳴り物入りで市場に投入された製品の説明に来たのに、顔も見せずに名刺とパンフレットだけ置いて帰るMRさんや顔は見せたものの製品の説明もできないMRさん等、この国の将来が心配になるような営業の人ばかり見るような気がします。

聞く耳を持ち、顧客(患者さん)のニーズをくみ取り、提供する製品やサービスの向上に努めて一流に育て上げてきた日本のサムライの営業力はどこに消えたのかと考えてしまいます。

2012年3月10日土曜日

PCIの適応決定 種々の「補助診断」と症状の理解

Fig. 1 Before PCI
 80歳代後半の男性です。過去に複数回のPCIを他院で受けておられます。掃除中に10分ほどの胸痛があったと来院されました。過去にPCIを受けておられる方の労作時の10分ほどの胸痛の訴えの場合、ほとんどの場合、どこかに問題のある狭窄が出現しています。もちろん必ずではありません。可能性が高いという段階です。冠動脈CTで評価できなかった昔は、こうした症状だけで冠動脈造影の適応と考えていました。たとえ負荷心電図が陰性であってもです。有意な冠動脈狭窄があっても負荷心電図が陽性に出る率は必ずしも高くないからです。こうした過去のやり方に馴染んでいる私は、今回、この方に冠動脈CTをせずに冠動脈造影を実施することにしました。相当に高い可能性で冠動脈狭窄があるのに、CTで造影剤の負荷をかけなくてもよいだろうという判断です。この考え方に異論があることも承知です。

Fig. 2 IVUS
Fig. 3 After stenting
Fig. 1にコントロール造影を示します。一見すると第一中隔枝近傍の狭窄は75%程度です。この程度の狭窄の場合、私はほとんどPCIを実施してきませんでした。「PCIをするかしないか悩んだら実施しない」というのがポリシーだからです。特にAd hocでするようになってから厳密にこのポリシーを貫かなければ、無駄なPCIをしてしまうことになるからです。カテ室の第一印象でやってしまうことによる過剰なPCIを恐れるからです。FFRを評価して適応を決めるという考え方も悪くないと思っています。FFR以上に私が大事に思っていることは、PCIが必要な状況があれば患者さんが教えてくれるという考え方です。同じようなケースで内服で管理をして何年も胸部症状のない方もいらっしゃいますし、まだしなくてもよいだろうと思っていたのに胸痛が繰り返し起こるために数か月後にPCIを実施したケースもあります。胸部症状で患者さんがそろそろPCIの時期だよと教えてくれるわけです。症状を改善することが第一の目的であるPCIで、症状よりもFFRの値や造影所見を優先して考えてしまうことには抵抗があります。緊急性のない安定狭心症では、「そろそろPCIの時期だよ」と患者さんが教えてくれるのを第一の指標に考えるのが妥当だと思っています。

このケースの場合、典型的な労作性狭心症の症状があります。既に患者さんは教えてくれているのですから、教えてくれるまで待つという選択はありません。この胸部症状が本当に虚血由来なのかどうか判断しなければなりません。FFRで評価という考え方は最もRationalだと思います。でも私はこの選択をしませんでした。このケースでPCIを実施するとなった時にIVUSの評価が不可欠だと考えたからです。FFRは適応を決定するツールで、IVUSはPCIの戦略決定に用いるツールですからその用途は全く異なるにもかかわらず、同時の実施は保険で査定される可能性が高いからです。Fig. 2は狭窄の近傍から分岐している中隔枝レベルのIVUS像です。2時方向に中隔枝が見えます。この近位部で最も狭窄が強く、全周性の石灰化でIVUSカテがやっと通過する程度の高度狭窄でした。高圧バルーンでも拡張がなかなかできず、ステントの植え込みもガイディングカテをdeep engageしてようやくステントをデリバリーできるという血管でした。退院後、掃除をしても胸部症状がないことを確認して治療の成功です。

診断に至る時、理学所見や症状・病歴が重要視され、レントゲンやエコーなどの検査はかつて「補助診断」と呼ばれ、その位置付けは一段低いものでした。しかし、最近はあまりこの「補助診断」という言葉を聞かなくなりました。種々の検査法の進歩で、種々の画像診断や機能診断が、曖昧な理学所見や病歴からの判断よりもrationalな判断に繋がるのですから当然と言えます。でも検査をするきっかけも症状が原点ですから症状の理解が最も重要であることは今も変わりはありません。

2012年3月6日火曜日

本日はF-Fバイパス閉塞後の方の治療です。

Fig. 1 Rt-CIA occlusion
午前中に外来患者さんの診察を行い、午後から心カテという流れで毎日を過ごしています。できれば17時にはカテを終わって職員を帰してあげたいので午後の数時間がカテに充てられる時間です。本日は時間がかかると思ったので右の総腸骨動脈の閉塞の方1例のみです。

Fig. 2 Intravascular ultrasound
70歳代後半の方で、5年前の初診です。その2年前からASOと言われていたそうですから少なくとも7年の完全閉塞歴です。そけい以下が非常にきれいな方でしたので2007年2月にF-Fバイパスをしてもらいました。それ以後、順調に経過していましたが、今年2月に入って急に右下肢の冷感が出現し、僅かな歩行で跛行が出るようになりました。Fig.1は症状出現後のCTです。F-Fバイパスは閉塞しています。再手術、F-Fバイパスを開けに行く、native CIAを開けに行くという3つの選択です。2月に膝窩動脈から逆行性にCIAを開けに行きましたが、上がったワイヤーがどこに通じているのか確信を持てずにバルーニングまでできませんでした。

Fig. 3 Final angiogram
今回は上肢から順行性のアプローチです。貫通カテである「一番槍」を使用し、0.014ワイヤーのシステムで入りました。0.014ワイヤーを使用したのはIVUSを使う場面があると考えてのことです、ワイヤーは進みましたが、Femoralに抜けません。IVUSカテも進まないためにIVUSでの評価もできません。このため0.018ワイヤーに変えることにしました。「一番槍」の問題は0.018ワイヤーが通過しないことです。このため、カテ室に在庫してあったマイクロカテーテルの「Excelcior」を0.014ワイヤーにかぶせて進むところまで進めて0.018ワイヤーに変えることにしました。すると「一番槍」がつかえて進まなかった部位を超えて更にExcelciorは進みました。カテ室にたまたまあったので使用しただけでしたが、「一番槍」よりも通過性が良いことに気付きました。通過性が一番槍よりもよく0.014でも0.018でも使用できるとなればワイヤーの選択やIVUSの使用に大きな選択ができます。ワイヤーが-最後に抜けるところで手間取りましたが順行性のアプローチですから抜けるところは体表面エコーで確認可能です。血管内にあるところを確認して思い切ってワイヤー操作が可能でした。

Fig. 2は末梢にワイヤーが抜けた後の外腸骨動脈のIVUS像です。明らかに偽腔を通過しています。しかし、この部位での拡張しか選択はないと考え、4㎜での前拡張後にwall stentを植え込みました。次いでふさわしい大きさのバルーンでの後拡張ですが、偽腔ですから慎重に5㎜での後拡張から入りました。すると、6気圧程度でも痛みを訴えられます。痛みは外膜のストレッチのサインですからそうなると更に大きなバルーンや高圧をかける勇気は出ません。このままで終了しました。

本日のEVTを施行して感じたことですが、順行性のアプローチの場合、最終のワイヤー通過が体表面エコーで確認できるので、逆行性のように腹部で恐る恐るTrueに抜けるより安心だと感じました。バックアップが弱いという問題はあっても順行性を第一に今後は考えてゆきたいと思います。また、通過性も良く、0.014でも0.018でも使えるマイクロカテーテルと出会えたことは幸いでした。この方の今後ですが、初期成功は得たものの再狭窄のハイリスクです。密にF/Uして再閉塞を起こす前により良い対処をしなければなりません。

2012年3月5日月曜日

Optimal Medical Therapyとは何なのかの議論が必要だと思います

Fig. 1 CAG 7M ago
40歳代前半の方です。 2008年に胸痛を主訴に受診され、MDCTでRCAにplaqueは認めるものの有意狭窄ではなく冠攣縮性狭心症だろうとの判断でCa拮抗剤を内服してもらっていました。初診時のLDLは180でしたが、リバロ 1mgの内服でLDLは82-104でコントロールされていました。2011年8月に内服下で胸痛がありCAG施行。#6-7の90%狭窄と#13の90%狭窄に対して薬剤溶出性ステントの植え込みを行いました。この時のRCAがFig. 2です。#1-2に50%程度の狭窄を認めます。

Fig. 2 Today's CAG
8月のPCIのF/UのCTを3月になって撮像のところ、右冠動脈に高度狭窄を認めました。このため、本日のCAGです。Fig. 2に示すように#1-2はわずか7か月で高度狭窄に進行しています。このような例は少なくありません。IVUSで観察すると別にlipd poolがあるわけでもなく一様なfibrous plaqueです(Fig. 3)。この所見であればdistal emboliはないかもしれませんが拡張した(positive remodelingした)右冠動脈はdistal emboliのhigh riskですので、念のため5㎜のFiltrapでdistal protectionを行ってのstentingです。大きなバルーンでの前拡張を行うと薬剤溶出性ステントの3.5㎜では浮いてしまうと考え、direct stentingです。Stenting後に5㎜のバルーンで後拡張を行いました。どの段階でもslow flowは起こらず、取り出したFiltrapにも何もtrapされていませんでした。

Fig. 3 IVUS before PCI
この方の血圧は常に120程度で初診から経過しています。DMもなく、LDLも80-100のコントロールですから一応、optimal medical therapy(OMT)が達成できていたと考えられます。2011年6月7日付の当ブログ「冠動脈疾患患者に対するOptimal Medical Therapyは本当にOptimalなのでしょうか」でCourage trialに触れました。OMTを実施した上でPCIをしてもしなくても5年後の死亡率と心筋梗塞の発症には差がないという論文です。この論文の発表の後、予後も改善しないのに無駄なPCIをやりまくるインターベンション医という批判を同じ循環器医からも受けるようになりました。本日のケースが未然に治療できなかった場合、予後を改善しなかったのはPCIなのでしょうか、あるいはOptimal Medical Therapyなのでしょうか。どう考えてもPCIの敗北ではなく、OMTの敗北であったと思われます。

こうした例は2011年6月3日付当ブログ「スタチンによる十分な脂質管理下でも発症する急性冠症候群」でも紹介しました。OMTとは何なのかの議論が必要です。スタチンを投与しLDLが十分に低下していることや、血圧がコントロールされているだけではOptimalではなさそうです。Beyond statinの研究が進むことを期待したいですし、その成果が出るまではstatinに対する過度の期待は危険だと思えます。

2012年3月3日土曜日

私の提供する医療がガラパゴス化しないために

新しい看護スタッフが入職してくるとします。新卒ではなく他の病院での経験があります。彼あるいは彼女は、過去の経験を前面に出さずに新しい職場に馴染もうと努力をする筈です。慣れてきたある日、「前の病院ではこんなやり方はせずに、違うやり方をしていたのだけれど…」と発言する日がやってきます。こうすると多くの病院で、嫌われてしまいます。「前の病院のやり方が良ければ、前の病院に帰ればいいじゃない」という目線で見られます。こんな光景は数多く見てきました。「前の病院では違うやり方をしていたのだけれど…」という新しい看護スタッフの姿勢は間違っているのでしょうか?

医療の現場や看護の現場は日々、変化していきます。30数年前に医師になった頃、病棟の師長さんは患者さんの褥瘡部位を一生懸命に乾燥させようとして日光浴をしたりドライヤーを使ったりしていました。今、乾燥を求める人はいません。心カテでもかつては肘を切開して動脈にカテーテルを入れるSones法が一定の支持を得ていましたが、もうSones法をする医師はいないと思います。新しい知見や、新しい道具の出現によって過去のやり方は淘汰されます。「適者生存」は、解釈を誤れば危険な概念になりますが、より良い結果を求め続けることを宿命づけられている現場では、新しいより良いものの出現によって過去は100%淘汰されることも珍しくありません。一時代を支配した恐竜が絶滅したように、市場を席巻したCypher stentも絶滅しました。最も優れた道具や概念のみが生き残り、他者が淘汰されるある種の「適者生存」です。より良い結果を求め続ける医療の宿命と、市場の原理がこうした構造を決定します。分野は異なりますが、コダック社の倒産も同じ構造のように思えます。

医療や市場という大きな構造だけではなく、小さな医療機関であってもより良いものを求め続けなければ淘汰という運命を免れ得ません。「前の病院では違うやり方をしていたのだけれど…」という刺激は、ガラパゴス化する可能性のある医療機関を救う健全な遺伝子の交流と考えることが可能です。他の遺伝子が入り込むことができなかったガラパゴスの進化のような独自の進化を医療は求めていません。情報が国内だけではなくグローバルにやり取りされる中で、独自の劣ったやり方が生存し続ける余地は残っていないと思えます。他者から提案されるものが劣っているのだとすれば、その提案は生き残れないでしょう。一方、他者の提案が優れていれば、提案された側は進化を遂げることが可能です。自らの殻に閉じこもらずに他者からの提案を受け入れ、他者との交流を求めなければなりません。

僻地とも言える地方都市で、PCIという命にも関わる医療を提供している私が、その小さな土地でのポジションに胡坐をかきガラパゴス化すること、これこそが地域の皆さんへの最も大きな背信と考えなくてはなりません。このブログを通して、Facebook上での議論を通して、私の提供するPCIの手技への意見を頂くことは、私の進化をもたらす健全な交流です。こうした交流が地域に提供する医療をも進化させます。5年半前にカテーテル治療を提供する医療機関として開業を決意した時、インターネット環境がなければ地方で開業はできないと考えていました。その感触は今も間違っていないように感じます。

2012年3月2日金曜日

PCI時のワイヤーの挙動を決定する因子

Fig. 1 before PCI
昨日は、PCIのケースがなかったので3月の初めてのケースです。CTで分岐部病変と分かっているケースです。一応、Ad hocということになりますが分岐部病変で対角枝も大きいために複雑で多少リスクのあるPCIになるとお話ししていました。 Fig. 1はコントロール造影ですが、対角枝は前下行枝からほぼ直角に分岐しています。ワイヤーのクロスのイメージは、ガイディングカテから放物線状に降りるLADから反転して上向きに分岐し、更にクランクして降りるイメージです。もちろんLADへのワイヤークロスは容易でしたが、対角枝へのワイヤークロスに難渋しました。

Fig. 2 After LAD stenting
① 何が何でも先に対角枝にワイヤーを入れてからでないと対角枝が閉塞するリスクがあるという考え方と、② 前下行枝を拡張してからワイヤーを操作する空間を確保してクロスするという考え方の2つの考え方が成立します。原則は①ですが全くクロスできませんでした。ここでもぞもぞしているうちに対角枝の閉塞のみならず前下行枝への血流も落ちては話になりません。②の考え方で前下行枝を先に拡張し、ステント植込みまで行いました。ステントを植え込む前にできた空間で対角枝にワイヤーを入れるという選択もありますが、バルーンで拡張しただけのLADの中でワイヤーをゴゾゴソすることの方がリスクと考えたためにステントを先行させました。

Fig. 2はLADに対するステント植込み後です。完全に対角枝は閉塞しています。大きな対角枝ですから、胸痛も強く、STも上昇し、血圧まで下がってきました。「痛い、痛い」という声で術者である私の緊張も高まります。見えていた対角枝にもワイヤーをクロスするのに難渋したわけですから、このせき立てられる緊張感の中でやはりワイヤーのクロスがなかなかできませんでした。

Fig. 3 Wire cross to D1
Fig. 3はようやく対角枝にワイヤーが通過したところです。ワイヤーが入ったために角度も変わりましたが、放物線から反転して持ち上がり、クランクとなって降りるという形状にはなっていません。実はこの時、ガイディングカテはエンゲージポジションではなく冠動脈入口部から離れているのです。このためガイディングカテからLADに下りる角度が消失し、対角枝に向かってほぼ直線化しているのです。

ワイヤーが通過したことで対角枝に向かってストラットを拡張し、ステントを持ち込めました。前下行枝にわずかに出す形で植込み、LADを拡張して出っ張りをcrushし、Fig. 4のような仕上がりにできました。ちなみに対角枝に使用したワイヤーはTerumoのrunthrough hypercoatです。また、対角枝にはDESを入れたかったのですがストラットの中の通過が心配でMedtronic Integrityを初めて使用しました。するするとストラットを通過しました。このステントをプラットホームにしたDESであるResoluteの登場が待ち遠しくなります。

Fig. 4 Final CAG
ワイヤーの性能を決める因子にはトルクや、先端荷重、ワイヤーの滑りや、先端の形状記憶など色々なものがあります。そのワイヤーの性能だけではなく、マイクロカテーテルを使用した場合のマイクロカテーテルとワイヤーの位置関係や、今回のケースのようにガイディングカテとの位置関係でワイヤーの挙動は大きく変化します。

ガイディングカテとワイヤーの位置関係の修正だけでワイヤーを通過させることができて幸いでした。