2013年10月30日水曜日

PCI後の負荷心電図の変化を見て考える

 狭心症か否かを見つけるため、または、冠動脈に狭窄があるがその狭窄が心筋虚血を起こしているかを判断するために最も簡単な検査は負荷心電図です。Fig. 1の心電図はPCI前の心電図です。左冠動脈前下行枝#6に慢性完全閉塞があり、右冠動脈#1に90%狭窄も認めました。負荷後には心電図のII、AVF、V3-V6にST低下を認めます。典型的な陽性所見です。右冠動脈の狭窄であれ前下行枝の狭窄であれST低下する誘導はほとんどがこうしたパターンなので急性心筋梗塞のように心電図のST変化では部位診断はできません。
 Fig.2は右冠動脈に対するステント植込み後6か月の負荷後の心電図です。左前下行枝の完全閉塞は残っているもののST低下は認めません。前下行枝には心尖部を通って右冠動脈から良好な側副血行が来ています。何度もこの側副血行路を使って慢性完全閉塞に対するPCIをしようかと考えましたが、この側副血行路を潰した時のリスクを考えて踏み切れませんでした。最終的にはバイパス手術を受けて頂きました。

主要冠動脈に有意な狭窄があり、カテーテル治療で狭窄を解除したのだから負荷心電図は陰性になって当然だという考えもあるかもしれませんがことはそう簡単ではありません。PCIが始まった頃、当時はPTCAと呼ばれていましたが、PTCAの前後で負荷心電図を撮ったり負荷心筋シンチを撮像したりをよく行いました。しばらくするとPTCA後間もない時期の運動負荷は冠動脈の閉塞を招くことがあるなどと言われ始めたためにPTCA直後の運動負荷はしなくなりました。多分、今でも多くの施設でPCI後間もない時期の運動負荷試験は実施していないと思います。

PTCA実施後間もない時期に運動負荷を行っていた時、PTCA前に負荷心電図陽性であった方のほとんどはPTCA直後の負荷心電図も陽性でした。また心筋シンチで見ても虚血を示す再分布はよく観察されました。主要冠動脈の狭窄の解除後の虚血の解釈は様々に可能です。狭窄が十分に解除されていない、微小冠循環に問題が残っている、慢性虚血のために狭窄が解除されてもタリウムを心筋に取り込むような代謝が改善されていないといった解釈です。

PCI直後の負荷を行っていないので、確実とは言えませんが、ステント植込みを行って確実に主要冠動脈の狭窄を解除した方で運動負荷後のST低下を見ることが最近はまずありません。冠動脈狭窄を解除することで壁運動が時間をかけて改善してくるHybernationのような病態は確実に存在します。半年が経過してhybernationから覚醒したから負荷心電図も陰性なのだと言われればそれまでですが、バルーンだけで済ませていたPTCA時代にはやはり十分な拡張ができていなかったのだと昔を思い出して考えます。逆に言えばPCI後の運動負荷陽性を見た時には、微小循環や代謝の改善の遅れなどよりも狭窄の再発をまず第一に考えるべきなのだと思っています。

CTで冠動脈狭窄を簡単に見つけることが可能な時代になりました。しかし負荷心電図の意義がなくなったわけではありません。負荷心電図の経時変化を眺めながら、その意義や昔の解釈を思い出す秋の夜長です。

2013年10月24日木曜日

2番手からリーダーである首席になることは可能なのでしょうか

「前回 来られた時から今日まで調子はいかがでしたか?」と外来にこられた方にはお尋ねします。「何もなかったよ」との答えを受けて診察を終わり、「いつも通りの薬を出しておきますね」とお話しすると「ニトロも出しておいてくれよ」等と言われます。「では胸の痛いことがあったのですか」と聞くと「だからニトロを出してくれと言ってるのだよ」と言われます。こんな方は少なくありません。こちらから積極的に胸の痛みはなかったのですねと尋ねないと聞き落とす事があります。チャンと言ってくれよと心の中で思いますが我慢です。そんな答をいつもする方が心カテのために入院されました。枕元には北方謙三の「楊家将」が置いてあります。ぶっきらぼうでちゃんと症状を言ってくれないのでやりにくいと思っていた患者さんでも読んでいた本で印象が変わります。私も最近、北方謙三の「水滸伝」、「楊令伝」、「楊家将」、「血涙」を読んでいたので、共通した読書癖を見るとこの患者さんに対する好感度が上がります。

この文庫化された4シリーズだけで文庫40冊位になります。腐敗した宋に対する戦いを続ける梁山泊の話ですが、戦いを続けるための経済力である「糧道」や実際の戦闘時の「兵站」の重要性が登場する英雄の強さ以上に描かれます。組織の運営に共通するものがありインスパイアーされます。

宋が倒れ、江南に建てられた南宋の諜報組織である「青蓮寺」のリーダーである李富は次代のリーダーと考えていた郭元が梁山泊の諜報軍である「致死軍」に拉致されると、その次のリーダーには2番手も3番手も登用しません。所詮、2番手や3番手は2番手や3番手に過ぎないとの考えです。

組織における首席と次席は近い位置にいますが全く性格が異なります。かつて徳田虎雄先生は、院長は副院長の100倍の情報を得、100倍の判断が必要だと言われたことがあります。また小さな医療機関である鹿屋ハートセンターの運営でも、融資を受ける努力やその返済のためのプレッシャーなど勤務医時代と比較にならない私には重い責任です。こんなことを考えていた時に関東でPCIのライブを主催されている先生の言葉が目に止まりました。自分が主催できなくなった時に次を担うのは2番手の先生ではなく実力で決まるのだという一文です。組織内部で2番手が苦労しているのは良く分かっているがライブのリーダーは別だとのことです。やはり首席と次席は近いけれども性格が異なるとの考えです。

公選法違反容疑に対する東京地検特捜部の捜査を受けて徳洲会の徳田虎雄理事長が退任され、長く次席を務められた先生が新しい理事長に就任されました。私も徳洲会の専務理事時代に専務会で議論を交わした先生です。20年以上も次席を務められた先生なので順当な選出であるとも言えます。しかし首席と次席はやはり似て非なる存在だと思います。新理事長の立場で考えればこのような状況で首席を引き受けられるプレッシャーは決して小さくないものと思います。また首席と次席は本質的に異なるということもよく承知されていると思います。難局を引き受けられた責任感に敬意を表したいと思います。誰しも初めから首席ではありません。所詮、2番手は2番手に過ぎないのだと思われることを十分に知っておられる先生です。初めて首席として勤められるお仕事に期待し、新しい時代を築かれることを願っています。

2013年10月18日金曜日

PCIの術者であり続けられることの幸せ

Fig. 1
1977年にGruentigよって人の冠動脈に対する初めてのPCI(当時はPTCA)がなされました。1979年に医師となり循環器医を志した私はPCIの歴史とともに医師としての人生を歩んできました。若い頃には心カテが上手くなりたいと思い、PCIが日本に導入されると早くPCIの術者になりたいと願い、術者になればより困難な治療を自らの手でできるようになりたいと思ってきました。

Fig. 2
しかし、年齢を重ねることは避けることはできません。部長となり、院長となり、組織の幹部になるにつれて後輩に術者を任せ、後輩の育成や診療科や病院の経営にタッチせざるを得なくなります。若手の育成はともかく、より良い術者であることを目指して努力してきたわけですから経営などわかる筈もありません。ただ年齢を重ねただけで経営に携わるようになった医師で、素晴らしい経営者になった人はあまり見ません。それはセンスがないのではなくそんな勉強や修練をしてこなかったからです。

 2000年に院長となった時にいずれカテを置くのだから、自分が思っていたのより少し早くなっただけだと自分に言い聞かせていました。思いがけず徳洲会を退職し2006年に鹿屋ハートセンターで再びカテを始めるまで、ほとんどカテは触りませんでした。メスを置いて開業した外科医が再びメスを持てるのか、カテを置き管理職や開業した自分が再びPCIの術者に戻れるのかなどと考えていましたが、患者さんに迷惑をかけるような術者ではないだろうと自分なりに思っています。また、再び術者に戻れたことを幸せだと思っています。若い頃からずっと目指してきたことだからです。病院の院長や大きな組織の幹部を目指してきたわけではないからです。

Fig. 3
Fig. 4
本日のブログの患者さんは以前にも書いた方です。2年半前に主幹部病変が原因で不安定狭心症となり、ステント植込みを当院で実施しました。その後、再狭窄もなく安定しておられましたが再び労作時の胸部症状が出てきました。140㎝しかないのに75㎏と高度肥満です。痩せろと言っても膝が痛くて歩けないので痩せられないと言い訳ばかりです。膝が痛いのも冠動脈が悪くなるのも肥満が原因だと言っても聞いてくれません。もちろん努力しないで悪くなるのは自業自得だなどとは言えません。悪くなれば治療をするしかありません。ストロングスタチンを内服して比較的よくLDLは下がっていましたがここに来て急上昇です。こんな方がよくいらっしゃいます。LDLが急に上がった時に冠動脈も悪くなっているというパターンです。これも以前に書きましたが、経過を見ているとLDLが上がったから悪くなったというよりも冠動脈が悪くなるとLDLが高くなるという風に見える方です。

Fig. 5
本日の造影では左冠動脈主幹部のステント植込み部に再狭窄は全く認めませんでした。2年半前の造影時(Fig. 2)には50%ほどの狭窄であった#2が今回の造影では亜完全閉塞です(Fig. 4)。上肢からのカテもかつて行ったことがある方ですが、その時には鎖骨下動脈の蛇行と、短い上行大動脈の半径の短いアーチのために造影すらできませんでした。そのためにそけいからのアプローチです。そけいにかぶさる脂肪を引き揚げながら穿刺するというような状況で日を改める気にはなりませんでした。そのために亜完全閉塞ですがAd hocです。もちろんこの冠動脈の状態はCTで予想していました。僅かに見えるルーメンをトラッキングするために最初にXT-Rを使用しました。しかし、高度狭窄が一旦終わり拡張した部位(Fig. 4 yellow allow)でワイヤーは反転できず前に進めませんでした(Fig. 5)。次いで使用したのはGaia 1stです。ワイヤーを替えXT-Rが超えなかったところで僅かに回転を加えるだけでスッとワイヤーは進みました(Fig. 6)。押す力はほとんどかけていないので穿通力ではありません。Gaiaの売りであるTorque controlとDeflection controlがよく活かされたと感じました。ワイヤーが通過すればあとは簡単です。前拡張し、IVUSで血管径を評価し薬剤溶出性ステントを植え込んで終了です(Fig. 7)。

Fig. 6
左冠動脈主幹部で生命の危機を経験しても痩せる努力はしてくれませんでした。今回こそ、頑張ってくれると良いのですがなかなかままならないのが現実の臨床です。叱ったり誉めたりしながらの付き合いです。逆に患者さんから怒られたりもしますが不思議とこんなやり取りは嫌ではありません。うまく治療できたのでこれからもこの方との医師と患者としての付き合いは続きます。

 一旦カテを置き、管理職となってからの再デビューなので不安もありましたが、何とかやっていけていると思っています。何時までもできる訳ではないことは承知していますが、今は目指したものを貫徹できる幸せを感じていたいと思っています。

Fig. 7





2013年10月16日水曜日

右向け右と号令をかけても誰も従ってくれなければリーダーは哀れです。

平成16年(2004年)12月25日付の有限責任中間法人徳洲会の専務理事の任命書を理事長である徳田虎雄先生から受け取りました。有限責任中間法人徳洲会は現在の一般社団法人徳洲会の前身です。辞令の翌日にはスマトラ沖地震が発生しました。一報は開院間もない山形徳洲会病院で聞きました。徳田虎雄理事長からすぐに現地に飛べと言われ、そのまま帰宅もせずにタイ・プーケットには12/28に着きました。プーケットの行政当局からは医療は間に合っているから支援は不要だと言われましたが、実際に調べてみるとプーケットの北部カオラック海岸の被害は甚大で、そこで発生した患者を受け入れていたタクアパ病院では患者に対応できず、病院閉鎖も考えているとのことでした。そうした窮状を知り、タクアパ病院の支援を決定し、2005年の正月はタクアパ病院で迎えました。この支援活動では元バンコク知事で、タイの副首相も務められたチャムロン氏が段取りをして下さったのでタイの医師免許も持たない私たちの医療活動もスムーズでした。

一方、スマトラ沖地震で最大の被害を受けたインドネシア・バンダアチェへの支援に向かったチームの活動は困難を極めました。政府がアチェ州への外国の医療チームの受け入れを制限していたからです。このため徳洲会による本格的に復興支援は2005年3月になりました。被災から3月が経過していたにもかかわらずバンダアチェ最大の病院であるアビディン病院はまだ泥まみれでした。循環器診療しか知らない私にとってインドネシアでの支援は初めて経験することばかりでした。タイにおけるカウンターパートであったチャムロン氏のような人物がいなかったために、ジャカルタの日本大使館への現地入りの届け出、インドネシア政府や現地警察への現地での活動許可申請、国連の支援組織(OCHA)への活動の届け出等初めて経験することばかりで戸惑いましたが、良い経験でした。海外で医療活動を行うことは当然のように簡単ではなかったのです。得体のしれない組織の人間に医療活動をさせる訳にはいかないので日本政府の認可を受けたNGOの法人格を持っていた方が良い等ということもこの時に知りました。そうした勉強を経て誕生したのが徳洲会のNPOであるTMATです。

アチェでの支援活動は評価され、徳洲会はインドネシア政府から感謝状も頂きましたし、アチェを訪問された当時の小泉純一郎首相の主催されたアチェでの昼食会には、徳洲会を代表して私が出席しました。

2004年12月から2005年5月まではほとんど家族の住む鹿屋には帰れませんでした。帰国後も全国の徳洲会病院で報告会を開くように徳田虎雄理事長から指示を受け北海道から沖縄まで飛び回っていたのです。忙しく過ごしていたある日のこと、急に東京に呼びつけられました。私を批判する会が開催されたのです。「徳洲会の全体の利益を考えずに新井個人が目立とうとするパフォーマンスばかりしている」と批判されました。私生活を犠牲にして、家にも帰らずに指示を受けて飛び回っていたことを批判されたのですから、私の身の置き所は徳洲会にはないと考え、専務理事の辞任のみならず、徳洲会の退職を決断しました。「新井は専務の仕事を勘違いしている、専務理事は自分の考えを持たずに理事長の考えを伝えるだけで良いのだ」と言われたことも決定的でした。であれば私が専務理事である必要などないと思ったのです。

批判され、退職を余儀なくされた私ですが、実はホッとしていました。忙しくしている最中のある日、徳田虎雄理事長が「自分の次の時代の徳洲会は新井の肩にかかっている」と言われたことがあったからです。どう考えても、徳田理事長の能力と比べてはるかに自分の能力は劣っていると自覚がありましたし、私がリーダーシップを発揮しようとしても徳洲会全体が同じ方向に向いてくれるという自信がなかったからです。自分には自信がありませんと辞退するよりも追い出される方が自分は傷つかなくて幸いだという気持ちがありホッとしたのです。

先月から報道される徳洲会の公職選挙法違反容疑での東京地検特捜部による捜査を受けて報道が盛んです。徳田虎雄理事長も理事長職の退任を明言されました。私から逃げ出したわけではありませんでしたが、ホッとした自分の気持ちを覚えていたために、徳洲会の再生に力を貸せない自分が逃げ出したように気がして、ずっと鬱でした。ですからブログも更新できなかったのです。

右向け右と号令をかけても誰も従ってくれなければ、リーダーは無力です。リーダーを担ぐ人たちにとって号令をかけるリーダーは強く映るかもしれませんが、誰も従わないリーダーは無力ですし、哀れです。そうなることを恐れた私はやはり逃げ出したような気がしてなりません。まともなリーダーであれば自分が無力で、多くの支えがなければ何もできないということ知っていると思います。離島へき地医療や災害への救援活動で他に例を見ない活動を行ってきた徳洲会の健全な再建を願っています。次代のリーダーには瑕疵のない手続きを経て選ばれたリーダーだからというだけではなく、理念を共有する仲間が結集できる真のリーダーを期待しています。

2013年10月10日木曜日

顧客の (この場合患者ですが、) 安全を考えない企業は製薬メーカーにも存在しました

 高速道路で自動車を運転する時にR=300のカーブを時速80kmで走行するのだからハンドルを何度切ればよいか等と考える人はいません。視覚情報で修正しながらハンドル操作を無意識に実行しています。これと同じで冠動脈のカテーテル治療時のワイヤー操作なども1cm先に分岐があるからそこでワイヤーを何度回転させて等とは考えていません。視覚情報から指の操作を修正してワイヤーを進めています。運転と同じようにほぼ無意識の操作です。

このように無意識に操作しているのはワイヤーだけではありません。冠動脈造影をする時に太い血管で血流が豊富な時には同じ強さで造影剤を注入すると十分な造影ができないために、十分な造影ではないと判断すれば自動的に強く造影します。また、小さな血管であれば力を弱めて造影しています。これも長年の間に身体にしみついています。こうした感覚を若い先生にも身につけて欲しいので、最近 流行ってきた自動注入器による造影は当院では導入していません。ただ、OCT検査時の造影剤注入のために導入しようかなどとは検討しています。

冠動脈に造影剤を注入する時に神経を使っているのは空気が混入しないようにすることです。エアーの入っていない閉鎖回路であっても万一のエアー注入を避けるために造影剤を打ち込むシリンジのお尻は常に上方に向けるのです。これも体に染みついた動作です。

当院では造影剤検査後のボトルのゴミの分量を減らすためにプラボトルを使用してきました。ゴミも減少し、気に入っていたのですがある時からラインとボトルの接続部からエアーが入ることが多くなりました。患者にリスクを負わせる問題なのでラインメーカーにクレームを入れたところ、実験をしてくれました。トルクの測定器をつけたコネクターをプラボトルに接合しどのくらいの力でエアーが入るほど変形するのかを調べてくれました。図です。問題はラインのコネクターではなくボトルのコネクターでした。わずかな力で変形し、そこからエアーが混入していたのです。

プラボトルの造影剤のメーカーは国内3位の製薬メーカーです。大企業です。エアーの混入で患者に大きな問題が起きないように当院ではガラスのボトルの造影剤に変更しましたが、メーカーには他のユーザーのところで患者の生命に関わる重大事故が発生する前に製品を回収し、プラボトルのコネクター部を修正した上で再発売するのが良いと思うと話しました。

昨日、メーカーの方が来院されました。製品はそのまま発売し続けるとのことでした。そしてこの製品にはエアー混入の報告があったので注意して使ってくださいとアナウンスするということでした。

呆れました。患者の生命に関わる事故に繋がりかねない欠陥を持っていながら発売し続けるという判断もそうですが、事故が起きた時に医師には注意喚起していたのだから事故が起きたら医師の責任だという考えが見え見えだからです。患者という顧客・医師という顧客双方に対する背信です。
説明に来られた東京本社の担当者いわく、そうとう上の判断だそうです。

雪印乳業の食中毒事件、不二家の期限切れ原料使用事件、三菱自動車のリコール隠し、最近ではJR北海道の杜撰な線路の保守が原因の脱線事故、みずほ銀行の暴力団への融資などそうとう上の判断で会社の存続を揺るがす事態になった教訓はこの会社では活かされていないようです。

この製品を使っている先生方は本当に注意してください。メーカーの言う注意して使ってくださいは、注意喚起したから問題が起きれば先生方の責任ですよという意味です。

私はこの会社の造影剤の長いユーザーです。決して悪い印象は持っていませんでした。この決定をしたそうとう上の立場の人の問題と信じたいです。ただ会社の決定の責任は会社の責任です。患者の安全を第一に、またユーザーである医師の安心できる使用のために再考をお願いしたいと思っています。