2012年11月30日金曜日

私の電話のかけ方

 十数年前に福岡徳洲会病院に勤務している頃、不整脈のアブレーションで高名な先生をお招きし、講演をしていただいたことがあります。べらんめい口調で話をされ、やんちゃな感じを受ける先生です。講演の数日前に打ち合わせでお電話を頂いた時、電話に出たその先生は「先生の病院の保留時のオルゴールは良い曲だね」と切り出されました。とっさに何故、そのようなことを言われるのかが分からなかった私は「ありがとうございます」と応えました。電話を切った後、誰もいないのに赤面してしまいました。大きな病院では電話をかけて取り次いでもらう時に時間がかかることが多く、その待ち時間の保留時のオルゴールで良い曲だなどと私は思ったことがなかったからです。暗にその先生は長く待たされたのを皮肉って良い曲だねと言われたことに気付いたからです。「ありがとうございます」ではなく「長くお待たせして申し訳ありませんでした」と言うべきなのを誤ったために恥ずかしくなったのです。

 この先生はその後、業績を積み重ねられ、教授になられました。この先生の電話のかけ方は、ご自身が呼び出しを待ち、呼び出された相手を待たせることはありません。しかし、このような電話のかけ方をされる医師の方が少数派です。交換手や看護師さんに「〇〇先生に電話をかけて」と依頼し、電話に相手が出たら自分に代わるというかけ方をされる医師が多数派です。本日もこのような電話を受けました。「〇〇病院の××先生から電話です」と言われて電話に出るといきなり、相手病院の交換から「お待ちください」と言われます。電話をかけられたほうがいきなりお待ちくださいと言われると「これって何なの?」と思います。電話をかける側が、待つのを嫌ってかけられた側に待たせるスタイルです。

 私は、電話をかける時には最初に紹介した先生と同じスタイルで私が呼び出しを待つようにしています。かける側がかけられた側を待たせるのは失礼だと思っているからです。そんな些細なことにも心を配っている先生を見ると、普段の姿がどんなにぶっきらぼうな先生でも「徳」や「礼」のある先生だなと思います。見習い続けたいものだと思っています。

2012年11月27日火曜日

政治的にも見捨てられたこの土地に住んで気づかされたこと

 衆議院が解散し、総選挙の公示まで間もなくです。私が住む鹿屋市は鹿児島5区になります。民主党が圧勝した前回の総選挙で5区に立候補し、選挙区では落選し、最も低い惜敗率ながら比例で復活当選した民主党の議員は今回は国替えとかで神奈川県から立候補されるそうです。鹿屋市の出身で鹿屋高校の卒業生です。「ふるさとが好きだから…」というようなポスターをあちこちで掲示されていたので、保守地盤で厳しい選挙になっても鹿児島5区から立候補されるとばかり思っていました。選挙で勝ち目がなさそうなので「ふるさとが好きだから…」という看板を下ろし、居住歴のない土地での立候補を決めた候補本人にも、鹿児島5区には候補を立てないと決めた党にもがっかりです。また、鹿児島5区では勝てそうにないのでこちらに来ましたと言われた神奈川の皆さんにも失礼な話だと思います。

 世間では、消費税増税や、TPP、原発など大事なテーマがありそれぞれに立場を持った政党が多く存在するのに、このままでは鹿児島5区では選択肢は存在しません。どうせ、保守地盤で自民党の候補が圧勝するので立候補するだけ無駄ということでしょうか?ここ鹿児島5区では、民主党も候補を擁立せず、いわゆる第3極も見向きもしません。政治的にも見放された土地のような気がして、気分が滅入ります。こんな安全パイと思われている土地だから、放射性物質の最終処理場を大隅に作ろうという話が来るのではないかと思ってしまいます。

 地元の代表を選ぶ選挙ではなく、政党を選ぶ選挙だから、出身地にこだわる必要はないという考えもあり得ます。こうした考え方からか、日本維新の会の考えを聞くと候補など誰でもよい、立候補する選挙区もどこでもよいというような発想が生まれます。そうであるならば、選挙区制度などなくして、すべて比例区にして、獲得した得票率に応じて各政党に議決に関する権利を付与するだけで議員など要らないということも可能です。持っている株数に応じて株主総会における議決権を与えるのと同様の仕組みです。この仕組みだと地方による1票の格差など問題はなくなります。

 しかし、こんな仕組みを望む人がいる筈はありません。国民全員が国会で議決に加わることはできないので国民の代表としての議員に代議してもらうシステムが国会である筈だからです。

 2000年に鹿屋に赴任し、冠動脈のカテーテル治療を私が始めるまで、大隅半島はPCIのできない土地でした。最寄りのPCI実施可能施設まで2時間もかかるのにです。同じ保険料や税金を負担しながら、当たり前の治療ができずに急性心筋梗塞になった時に助からないといった、医療における見捨てられた土地が大隅でした。そうした医療における見捨てられたポジションは政治や行政に依存せずに、現在では、人口当たりのPCI実施件数が国内でも有数の土地に生まれ変わりました。見捨てられた土地を何とかしようとした医師と、それを育んでくれた地元の皆さんの自律的な努力の結果です。

 今回の総選挙で政治的にも見捨てられそうなこの土地に住み、政治には白けながら、でもこの土地に住む者として、この土地の生存を自らの自立した努力で勝ち取ろうと努力を続けなくてはなりません。政党を選ぶのでもなく、候補者個人を選ぶのでもなく、この土地やこの国に住む者として、自らの生き方を選ぶのだと気づかせてもらった政治の破綻です。

2012年11月14日水曜日

鹿屋ハートセンターが九州1番になるのに貢献したそうです

 夕方に訪ねて来られた某製薬メーカーのMRさんから嬉しい話を聞きました。そのMRさんが担当するエリア(鹿児島の郡部)におけるそのメーカーの降圧剤の売れ行きの伸び率が九州で1番になったそうで本社で社長さんの前で表彰されるとのことでした。ARBです。ARBを販売するそれぞれのメーカーで、製剤による違いがあるのだとよく言われますが、正直どれほどの差があるのだろうと思っています。ですから、患者さんの負担の少ない、すなわち薬価の低い製剤を中心に私は処方しています。また、人間ですからMRさんの人柄に影響を受けることも否定できません。ただ、講演会のパンフレットを持ってくるだけのMRさんと、一緒に色々と議論できるMRさんとでは、やはり熱意のあるMRさんの居る会社の製剤を使ってみようかと思うものです。鹿屋ハートセンターという田舎の小さな診療所が何であっても九州内で1番になるのに貢献したことを誇らしく思います。

 鹿屋ハートセンターの一番はこの降圧剤だけではありません。心房細動患者さんの脳塞栓予防のための抗凝固療法ですが、私は再三ブログに書いてきましたが、ワーファリンを第一選択にしようと思っています。そのためか、九州内の診療所に限れば、当院が九州内で最も多い処方数なのだそうです。わずか6年しか歴史のない当院が、1番というのはやはり誇らしい感じがします。

 かつて福岡徳洲会病院に赴任した時に、立ち上げに協力してくれた造影剤メーカーのMRさんも、造影剤使用量の伸び率が全国1番になったとかで表彰され出世されました。製薬メーカーとの関係は、単に販売業者と顧客という関係ではなく、医療という分野で共に手を携え合うパートナーと思っているのでその時も嬉しく思ったものです。

 人口減少が始まった中で、これからの日本で営業に携わる方の仕事は難しくなる一方だと思います。私たちが関わるPCIの領域でも、今年のPCI実施数は、PCIの歴史始まって以来はじめての対前年割れになる見通しだそうです。マーケットが縮小する中でビジネスは面白くないかもしれませんし、減少を最低限にするために既存の顧客を守るという戦略も悪くないと思っています。しかし、十分な降圧療法が実施されていない、必要なスタチンが処方されていない、心房細動なのに抗凝固療法が実施されていない、いまだにPCIの恩恵を受けられない人たちが存在するなど、現在の縮小するマーケットは飽和したマーケットの縮小ではではないような気がします。

 営業マンが縮小するマーケットの中で守備的にならずに、持ち合わせた製品の価値を信じて、その恩恵をより多くの人たちに普及させるのだという攻撃的な姿勢を持ち続けるのであれば、この閉塞した日本の状況もまだ捨てたものではないような気がします。

2012年11月13日火曜日

「疾不必生、除不必死」 徒に急げばよいという訳ではないという心の余裕

Fig. 1 Before PCI

Fig. 2 Just after 1st ballooning




















まだお会いしたことはありませんが、Facebook上で知り合い、気が合う先生に教えて頂いた宮城谷昌光さんの小説に、はまっています。「太公望」、「楽毅」、「子産」、「奇貨居くべし」等と読み進め、「晏子」を読み終わりました。まだまだ宮城谷氏の本はたくさんあるのでしばらくは続きそうです。ブログを書かなかったのはその所為でもあります。

 読み終わった「晏子」の中での名場面です。「疾不必生、除不必死」 荘公が弑された屋敷を去る時に追っ手を恐れる御者が馬車を急がせようとすると、晏子が発した言葉です。疾く走っても必ずしも生きられるわけでもなく、ゆっくりと走ったからといって必ずしも死ぬ訳ではないという意味です。

図は昨日のPCIのケースです。安静時にも労作時にも胸痛があり入院しました。図に示すように#7に90%狭窄を認めます。右冠動脈は#1にdiffuse 50-75%狭窄です。図2には前拡張後の像を示します。この辺りからII, III, AVFでST上昇です。左の造影で回旋枝には問題はないので右冠動脈の問題です。右冠動脈のスパスムを考えました。このためニトロを静注しましたが更にSTは上昇し血圧も50位に低下です。右冠動脈を見たいのですが、そのためには左のガイディングをはずすか、もう1本ガイディングを入れるかです。私の決断はさっとステントを前下行枝に植込み、ガイディングを抜いて右冠動脈を見るという流れでした。右冠動脈はやはりスパスムでニトロ冠注でSTは落ち着き、血圧も上がってきました。このあとゆっくりと左にガイディングを入れてOCTで観察し、後拡張をしっかりと行い、手技終了です。

PCI中に予期せぬ事態に陥った時、「兵は神速を貴ぶ」という曹操の考え方や、孫子の「拙速巧遅」(ゆっくりと上手にするよりも、拙くても早い方が良い)という考え方を中心に戦略・戦術を考えてきました。同じ手技であれば短い時間で終わることを至上としてきました。今も基本的な考え方は変わりませんが、パニックになってなんでも急げばよいというものではないとも思います。

時間の余裕がない状況で、きちんとした前下行枝の仕上げをせずに急いで取りあえずの橋頭保を築き、破綻しそうな戦線である右冠動脈に立ち向かい、この問題を解決した後に本来の前下行枝に仕上げを行うという考えでうまくいきました。

「兵は神速を貴ぶ」や「拙速巧遅」はPCIの基本だと思っています。しかし一方で「疾不必生、除不必死」という位の心の余裕を持って神速を貴びたいものだとも思っています。