2015年12月13日日曜日

食料品に対する軽減税率の導入で1兆円の財源が必要って本当ですか?

本日のブログは医療とは直接関係ない話です。2017年からの10%への消費税増税で、低所得者への逆進性を少なくするために、あるいは重税感を和らげるために軽減税率の導入が与党である自民党・公明党で議論されていると連日報道されています。加工食品を含む外食以外の食品すべてに軽減税率を適応することで与党はほぼ一致したと報道されています。8%に据え置かれるために減少する1兆円の財源をどうするかということに議論の軸足が移っているようです。

10%の消費税を8%に据え置くことで1兆円も税収が減るのかと漠然と考えていました。しかし、ふと考えたのですが本当に1兆円なのでしょうか?

一般に消費税を1%上げると2兆円の税収増と言われています。確かに財務相のWeb siteのグラフをみても5%の消費税で税収は10兆円です。では8%から10%に2%消費税が増えることで増える税収は4兆円の筈ですから、このうち1兆円 25%が食料品なのかと食料品の割合が結構高いのだなとこれも漠然と感じていました。

そういえば消費支出の中の食糧費の割合がエンゲル係数ですから日本のエンゲル係数はどうなっていたかなと見たのが下の表です。およそ25%です。では計算が合っているなとこれも簡単に思い込みました。

しかし、今日になってこれって本当か?と考え始めました。消費税は各世帯の消費活動にだけ課税されているわけではありません。法人の消費にももちろん課税されておりこちらも少なくないはずだと考えました。病院で購入する薬剤や医療用の消耗品、CTなどの医療機器などの購入でも消費税は支払っていますし、医療機関だけではなくすべての法人が何かを購入する時には消費税を支払っています。各世帯での消費がすべてであるならば25%の1兆円で計算は合いますが、法人の消費活動が加わると必然的に食料品の消費から得られる消費税の割合は25%を下回る筈です。それも少なくない割合で25%を下回ると推測できます。新聞社も国会議員もこの1兆円の財源が必要だというのを当たり前に受け入れているようですが事実なのでしょうか?疑問に思います。

この1兆円の財源のために低所得者の医療介護の負担に上限を設ける「総合合算制度」の創設が見送られたそうです。低所得者の負担を減らすために設ける食品に対する軽減税率の導入のために、低所得者の医療介護の負担を減らさないというのです。ではこの消費税の増税は何のためなのか訳が分かりません。

1兆円って本当かと感じ始めた疑問が私の単純な間違いであれば、誰かが教えてくれるとありがたいです。新聞に書いてあるから本当でしょと素直に思えると良いのですが。

2015年12月3日木曜日

心房細動患者に実施される2剤の抗血小板療法(DAPT)の期間短縮や中止は冠動脈カテーテル治療医が頑張らないと実現できない


心房細動患者に冠動脈内ステント植込みを行った際の、2剤の抗血小板剤の処方(DAPT)をどうするかの最終回です。

上段の図のEHRA practical guide 2015では、Bare metal stentや新しい世代の薬剤溶出性ステント(DES)を待機的に植込んだ時にはDAPT期間は1ヶ月としています。その後6か月ないし12か月の1剤の抗血小板剤と抗凝固薬の2剤の処方の期間を経て、1年以後は新規抗凝固薬(NOAC)単剤にするというシナリオです。3剤の処方は1ヶ月で十分だというエビデンスも、1年以後はNOAC単剤で良いという十分なエビデンスもありません。

1年以後に関しては複数の研究がスタートしていますし、1ヶ月で十分ではないかという検証試験はもうすぐスタートする予定です。

こうした抗凝固薬を内服している患者でDAPT期間を短縮した場合、出血性合併症は確実に減少するでしょうが、最も大きな懸念は、ステント血栓症のために死亡事故が起きないかという点です。

このシナリオが一般的になった時、ステント植込み後の患者を診ているかかりつけの先生は1年が経過したから抗血小板剤を止めると決断できるでしょうか?ステント血栓症が発生し苦しくなった時に救急で受け入れる形ができていなければ自信を持って中止できないだろうと考えます。もうステント血栓症が発生する可能性は低いけれども、もし発生した時にはすぐに対応するから我慢しないで連絡してくださいと冠動脈のカテーテル治療医がお話ししないとこのシナリオは実現できないのではないかと思います。

循環器診療が専門だといっても循環器領域の中でさえ専門分野の細分化は進行しています。不整脈を専門にする先生や冠動脈のカテーテル治療を専門にする先生といった具合です。不整脈を専門にしている先生が診ている患者さんに冠動脈ステント植込みがなされた場合、DAPT期間の短縮やDAPTの中断はなかなか決断しにくいだろうと思います。

かかりつけ医や不整脈専門医と冠動脈のカテーテル治療医の連携、あるいは急変時の冠動脈カテーテル治療医のバックアップがあってDAPT期間の短縮や中止は可能になると考えます。そう考えれば、日本循環器学会の心房細動治療ガイドラインにステント植込み後の患者の管理について記載がないのも頷けます。冠動脈カテーテル治療を専門にする医師が委員になっていないからです。

来るべき改訂版では、カテーテル治療医も参加してこの分野のガイドラインが日本でも完成するように願っています。

2015年12月2日水曜日

究極のDAPT回避法 PCIをしないあるいは薬剤溶出性ステント植込みをしないという選択

薬剤溶出性ステント植込み後の2剤の抗血小板療法(DAPT)の第3弾です。抗凝固療法を受けている心房細動患者の冠動脈疾患を見た時の究極のDAPT回避法を考えます。

答は簡単です。ステント植込みをしないという選択です。最上段の図の方には、矢印で示すように回旋枝の分枝に90%狭窄を認めます。潅流域もきわめて小さいという訳ではありません。初診時に労作時の胸痛もありました。胸痛があり潅流域もそれなりにあるという場合、心房細動合併でなければPCI,ステント植込みをしても何も問題ないと考えます。しかし、心房細動合併の場合、この狭窄を放置するリスクと3剤の抗血栓剤を内服して脳出血を起こすリスクはどちらを優先して考えるべきでしょうか?この狭窄を拡げるために命を懸けるほどでもないと判断しました。この方は内服で日常生活で胸痛を感じることもなくなりました。

このように、狭窄があるからあるいは胸痛のような症状があるからといって、すぐにPCIを選択するのではなく、PCIを選択することで派生するリスクを考慮してPCIの実施を決定すべきと考えます。

中段の方は左冠動脈主幹部が責任病変の不安定狭心症でした。プラークの破裂像もあり緊急で主幹部にステント植込みを行いましたが、3剤の抗血栓剤内服中に脳出血で亡くなられました。もし、バイパスを選択しておれば違った経過だったかもしれないと忘れられないケースです。

心房細動を合併する冠動脈疾患では、合併しない冠動脈疾患とは少し異なる適応でPCIを考えるべきだと思っています。カテーテル治療ができるからするのではなく、できるけれどもしないという選択が重要なケースが存在すると思っています。

下段の図は、EHRA practical guide 2015からの引用です。Elective PCIの場合、CABGやバルーン単独の治療も考慮しなさいと記載されています。私のPCIあるいはステント植込みをしないという選択もあるというのと同じコンセプトです。

また、この図の下には低用量のNOACも考慮しなさいとの記載もありますが、低用量のNOACとDAPTでは脳出血が少なく、ステント血栓症も少ないというエビデンスがあるわけではありません。一般にガイドラインはエビデンスに基づいて作成されますが、ヨーロッパでは循環器だけかもしれませんが、ガイドラインができてから裏付けるエビデンスを求めるという風に感じます。エビデンスが出るまで放置される患者を救うためにおそらく良いだろうと思われる戦略を先行させるという考え方にも一理あるとも思いますが、日本ではこのような方針を学会は提案できないだろうと感じます。

エビデンスに基づいてガイドラインを作成する日本循環器学会の心房細動ガイドラインにはDES植込み後の抗血栓療法をどうするかという記載は一切ありません。また、最終のガイドラインは2013年版です。毎年、更新されるヨーロッパとは熱心さが異なります。エビデンスがないから放置ということで良いのかと感じます。

2015年12月1日火曜日

心房細動患者さんに対する薬剤溶出性ステント植込み後にDAPTは必要でしょうか。 ステント血栓症予防の歴史から考えました。


 昨日は、一般的な薬剤溶出性ステント(DES)植込み後の2剤の抗血小板剤(DAPT)の投与期間について書きました。本日は、DAPTの投与期間についてさらに難しい問題がある心房細動患者での薬剤溶出性ステント植込み後の管理について考えたいと思います。

心房細動患者に少なからず発生する脳塞栓症や全身塞栓症を減少させるためにワーファリンや新規抗凝固薬(NOAC)による抗凝固療法は必須です。こうした抗凝固療法を受けている方がDES植込みを受けた場合、どうすればよいのでしょうか。DAPT+Warfarinの処方を受けた患者と、Thienopyridine+Warfarin (アスピリンの処方なし)の処方を受けた患者での成績をみたWOEST trialの結果が最上段です。明らかに3剤の処方では出血性合併症が増えました。それでもステント血栓症を防ぐために3剤の処方が必要なのでしょうか。

そもそもステント植込み後にDAPTが必要なのかから考えたいと思います。2番目の図は、Patmatz-Schatz stentの最初の使用経験の成績です。ステントが人体に使われ始めた頃の成績は惨憺たるものでした10%を超えるステント血栓症が発生し、当初は使い物にならないという評価だったのです。ステント血栓症予防のために使用された薬剤はワーファリンでした。図に示すようにASA+Dipでは防げなかったステント血栓症がワーファリンによって防げたのです。ワーファリンにはそもそもステント血栓症を防ぐ効果があるのは明らかです。STRESS試験でもBENESTENT試験でもステント血栓症予防に使われた薬剤はワーファリンです。



しかし、ワーファリンによるステント血栓症予防の時代はイタリアのコロンボ先生の論文で終わりを告げました。IVUSでしっかりと拡張を確認したステントではワーファリンを使わなくてもステント血栓症はASA-Ticropidineで防げること、出血性合併症が劇的に減ることが示されたからです。ステント植込み後にワーファリンを使用していた時代のガイディングカテは8Fでしたし、そけいからのアプローチでしたから止血に難渋することが多かったのです。その頃からPCIに関わってきた私にとってその止血から解放されたのは大きな喜びでした。こうしてDAPTの時代が始まりました。わずか20年前のことです。そしてワーファリンにはステント血栓症を予防する効果があるということは忘れ去られたといえます。

 ワーファリンでステント血栓症を予防する効果があるとすれば、DAPTは必要なのでしょうか。抗凝固療法を受けている心房細動患者さんでは、ワーファリン+1剤の抗血小板剤、特にTienopyridine1剤で十分なのではないでしょうか。3剤の処方を受けて脳出血死される方を減らすために検証が必要だと思います。

 一方、抗凝固療法の主役はワーファリンからNOACに変わりました。ではNOACにはワーファリンと同じようにステント血栓症を防ぐ効果があるのでしょうか?

Dabigatran、Rivaroxaban、Apixabanのそれぞれでステント植込みを受けた急性冠症候群の患者に投与された成績が公表されています。

Dabigatranは少ない投与量でも出血性合併症を増加させました。この研究ではステント血栓症を減らしたか否かは記述されていませんが、D-dimerを低下させたと記載されています。ただ、ステント血栓症を減らすかどうか分からないのに、D-dimerが低下したから出血を増やしてでも処方しようという気にはなりません。

Rivaroxabanはどうでしょう。出血性合併症をやや増やすものの死亡率を減らし、ステント血栓症も減らしています。

Apixabanもエンドポイントを減らしています。また、Apixabanの研究ではClopidgrelを処方されていない患者のデータも示されていますが、ドーズに依存して出血を増やすもののエンドポイントを減らしていることが示されました。

Ribaroxabanでの検討では1万例以上の大規模で検討されていますが、DabigatranやApixabanでの検討の対象は少数です。ですから、安易にNOACにもワーファリンと同様にステント血栓症を減らす効果があると結論できませんが、どうもそうした効果があるように思えます。

日本だけで24万人の方がPCIを受け、そのうちの10%はおそらく心房細動合併です。2万4千人です。3剤の抗血栓薬が処方されることで1%の方が脳出血を起こすとすれば年間に200人以上です。全世界ではその何十倍だと思います。

ステント血栓症の予防の歴史から考えて、次々と抗血栓薬を増やしてゆく考え方は間違っているような気がしてなりません。おそらくNOAC+Tienopyridineで十分な効果が出て、3剤処方よりも脳出血が減るだろうと予測します。現在の戦略で脳出血死される方を減らすためにも早急に3剤の抗血栓剤処方を改めるための研究が必要だと思えてなりません。

2015年11月30日月曜日

ステント植込み後のDAPT期間は長期が良いのでしょうか、あるいは短期なのでしょうか? DAPT studyやDAPT scoreを読んで考えました。

虚血性心疾患に対する治療として薬剤溶出性ステント(DES)の植え込みは標準的な治療として地位を確立し、決して短くない月日が経過しました。 DES植込み後にはステント血栓症を予防するために2剤の抗血小板剤(DAPT)の投与は不可欠と考えられています。第一世代のDESの場合には最低1年間のチエノピリジンの処方と生涯にわたるアスピリン製剤の内服が必要とされました。しかし、長期のDAPTには出血性合併症を増やすという面もあり、ステント血栓症が防げるのであればなるべく短期間のDAPT投与が望ましいという考えもあります。

最近の新しい世代のDESではより短いDAPT期間でステント血栓症が発生しないとの報告が多くなり、DAPT期間は短縮化がトレンドとなりつつありました。しかし、このトレンドに対し昨年、DAPT studyの結果が示され、単純に短縮化するのが良いのか議論が再燃しています。

Table 2に示されたように短期でDAPTを終了した群では長期にDAPTを継続した群に比べて優位にステント血栓症が多かったのです。一方、Table 3に示されたように出血性合併症は長期に投与された群で有意に増加しました。

ステント血栓症はステント植込み後1年以上を経過していても発生することはあり、これを減らそうと思えば最近のDAPTの短縮化の流れとは異なり長期の処方を要します。一方、出血を恐れれば、一定のステント血栓症の発生があったとしてもDAPTの期間は短い方が良いとなります。どちらを選択するかは難しい判断です。Table 2を見ると長期の投与の方が死亡率はわずかに高めです。ステント血栓症が怖いから死亡率が高くても構わないという論が成立する筈がありません。

このDAPT studyのFirst authorであるDr. Mauriは、今年の夏のCVITに来られていたのでナマで講演もうかがいました。講演を聞いて、冠動脈近位部にDESを入れた方ではステント血栓症による死亡リスクが高い筈ですから長期のDAPTのメリットが大きくなり、末梢にステントを植え込んだ方ではステント血栓症による死亡リスクは高くないために出血によるリスクが相対的に高くなるだろうから短期のDAPTの成績が良くなるだろうなと感じました。冠動脈病変の位置、あるいは潅流域の大きさでリスクを考えると良いと考えたのです。

今年のAHAではDr. Mauriのグループから患者個別の長期のDAPTのリスクを評価するDAPT scoreが提案されました。それを受けてDr. Mauriらの属するHarvard Clinical Reseech Instituteから"DAPT could be individualized"というpaperも発表されました。

個々の患者によってDAPT期間を考えるべきだとこの夏に考えていた通りのコンセプトだと感じました。しかし、DAPT scoreを見て少し失望しました。スコアに関係する因子は年齢、糖尿病、喫煙、過去の心筋梗塞歴ないしPCI歴、心不全あるいは低駆出率で病変部位や潅流域の情報がなかったからです。Index procedure characteristicsの中にVein graftは入っていますが病変に関わる項目はこれだけです。

左冠動脈主幹部にDESの植え込みをしたから長期のDAPTも止むを得ないだとか、回旋枝の末梢だから短いDAPT期間でもステント血栓症による死亡は起こらないだろうという風にPCIの術者が普通に考えていることが反映されていないScoreで大丈夫なのでしょうか?

DAPTの期間は個別の患者で考えるべきであるというコンセプトには大賛成ですが、冠動脈を長く見てきた立場からは物足りなく感じるDAPT scoreです。


2015年10月11日日曜日

亡くなった方のご家族を鞭打たないで

循環器医として心臓の救急に携わっていると避けて通れない救急の状態があります。来院時心呼吸停止(CPAOA)です。今はほぼ一人でやっている有床診療所なので、複数の医師で蘇生するよりも蘇生する率が低くなるだろうと考え、CPAOAの方は救急隊の方により大きな病院に直接搬送するようにお願いしています。もちろん、院内で発生する心呼吸停止には対応しますが、ここ数年救急蘇生を必要とするような急変を鹿屋ハートセンターでは経験していません。急変させない診療を心掛けているつもりです。

若い頃、数日前から胸部に違和感を自覚していたのにCPAOAで来られた方を診療し、蘇生できなかった時に「どうしてもっと早くに連れてこなかったのだ」とご家族を責めたものでした。しかし、ある時からはこのようにご家族を責めることはしなくなりました。他人の医師に言われなくてもあの時に病院に受診すればよかったとご家族も思っているに違いないからです。また、責めたところで亡くなった方が生き返る訳でもありません。責めていたのは蘇生できなかった自分を慰めるための言い訳であったような気がします。

全ての生命に死は訪れます。助かる可能性のある疾患や状態に立ち向かうのは医師として当然です。しかし、最期を迎えた時に、ご家族を更に悲しませる必要はありません。家族として精一杯のことができたと死を受け入れて頂くのも医師の仕事のように思います。もちろん、早くに受診していれば助かったようなケースでは、生き残ったご家族も同じ失敗をしないように「…すれば良かったかもね」くらいのお話はします。それは亡くなった方がその死をもってご家族に伝える最後の教訓でもあるからです。胸がおかしいと思いながら病院に受診しなかった自分の轍を踏むなよと死者が伝えるのであって医師がどうして早く受診しなかったのだと責めることではないと思っています。

女優の川島なお美さんが亡くなって、抗がん剤治療を受けるべきだったとか民間療法に頼るべきではなかったとか様々な考えがネット上で言われています。文芸春秋11月号では近藤誠氏が、手術を受けなければもっと生きられたと書かれています。

自分がセカンドオピニオンであれ少しでも関わった方の死を見て、手術しなければよかったなどと発言するのは誰のためでしょうか?ご家族はそれを聞いて更に悲しみや後悔が深まるのではないでしょうか。診療した患者さんの診療内容を公にすることも医師としての倫理観の欠如だと思いますが、ご遺族を更に悲しませるこのような記事を書く人の人格を疑います。

亡くなった方はその後に自分の死を評価できません。よく生き、よき死を迎えることができたと悲しみを昇華させなければならないのはご家族です。近藤誠氏はそんな医師としての基本も持たない人だったのかと思います。関わった患者さんの死に接しての言い訳でしょうか?であるならば自分の言い訳のためにご家族を鞭打つ姿勢を軽蔑します。

最高の生き方をし、最高の選択をし、最高の死を迎えられたに違いないとご家族にエールを送りたいと私は思っています。

2015年9月25日金曜日

ああ、おもしろかったという人生の終わり方

人間に限らず、生物の寿命は有限です。それは生身の医師とて同じことです。患者さんの命を守るために努力する医師にも必ず死が訪れます。患者さんの死を遠ざける努力をする自分といつかくる死を待つ自分の二面が医師の中に存在します。

医師は死との距離が短い職業です。私のような循環器医にとっては死という存在は遠いものではありません。

もう5年も前になります。当時80歳を過ぎていた患者さんです。何回も冠動脈のカテーテル治療を受けておられました。他の科の処置を受けた後に腎機能が悪化し、呼吸苦も出現、胸部レントゲンでは広範な間質性肺炎の像でした。気管内挿管をし、人工呼吸器に繋がって命を延ばす努力をする間に肺も治ってくるかもしれないとお話ししましたが、この方は挿管も人工呼吸器も不要だと言われました。いわく「自分は十分に生きてきたから悔いも未練もない」と仰るのです。救命可能な状態であってもご本人が不要だという治療を無理にする訳にはいきません。分かりましたと返事をし、苦しまないことだけを目標にしました。回診の度に気持ちは変わらないの?と尋ねましたが変わらないと言われます。まもなく穏やかに息を引き取られました。最期に立ち会った時に救命できなかったという無力感よりも、医師としてではなく一人の人間としてこのような最後の迎え方って格好いいと感じました。自分が最期を迎える時にはこの方を見習って自分は十分に生きたからと言えたらなと思いました。

ご家族が亡くなった病院に生き残った家族がその後も通院を続けるのはつらいと言われ、病院をかわられる方も方も少なくありません。この方の奥様は今でもハートセンターに通院して下さっています。きっと奥様もハートセンターでの最期の迎え方を受け入れてくれたからだろうと思っています。八十数年の舞台の素敵なエンディングだったのではないかと奥様が来られる度に感じます。

こんなことを思い出したのは昨日9/24に女優の川島なお美さんが亡くなったというニュースに接したからです。何日か前に何かのイベントに顔を出され、すごく痩せていても笑顔で11月にはライブをするのよと話をされたばかりだったのにです。ご主人が川島なお美は最期まで川島なお美だったと言われた通り、女優として最期を迎えられたのだなと感じます。

私たちのカテーテル治療の世界でも、痩せた体でカテーテル治療の未来を学会場で話された後まもなく亡くなられた先輩の先生も思い出されます。カテーテル治療のリーダーとしてそのお立場のままに最期を迎えられたことをある意味幸せだったかもしれないと当時感じたものです。

図は、やはりカテーテル治療の世界の先輩のものです。癌で手術を受けた後も抗がん剤を飲みながら診療を続けられたばかりか、毎週のように講演をされていました。医療事故に際し嘘をつかない医療をというオピニオンリーダーの先生でした。亡くなる前の講演で示されたのが図のスライドです。「ああ、おもしろかった」と多くの人に話しかけて最期を迎えられたことをうらやましくも感じます。

若い頃は、脳出血や心筋梗塞でころりと最期を迎えるのが良いと思っていましたが、最近は癌死もいいなと思います。十分に生きたとかおもしろかったと言って最期を迎えるのは幸運だとも思います。

シナリオのない人生の最期をどう迎えるのかは分かりません。その人生という舞台の主役は、間違っても医療者ではありません。劇的な最期であっても静かな最期であってもたった一回のエンディングを医師としての私が穢すことのないようにと考えます。それはいつか最期を迎える人間としての私の願いでもあります。

2015年9月16日水曜日

夢が現実になるためのステップ 「やってみなはれ」という精神

私は大阪で生まれ、大阪で育ちました。34歳で神奈川県鎌倉市の病院に転勤するまで関西を離れたことがなかったのです。

大阪の文化が好きです。別にお好み焼きやたこ焼きをこよなく愛しているわけでも、日常の会話でもボケやツッコミを意識しているわけではありません。つい数年前まで花月劇場にも行ったことはありませんでした。

私が好きなのは井原西鶴や大阪の生まれではありませんが近松門左衛門の世界、あるいは川端康成や大宅壮一、いつかブログにも書いた高橋和己の世界等です。そこにボケやツッコミというような今風の大阪の世界はありません。文学的であったり論理的であったり、批判精神にあふれていたりと言った世界です。

そんな大阪の文化の中でもお気に入りの一つは「やってみなはれ、やらな分からしまへんで」というサントリー創業社長の鳥井信治朗の精神です。既存のもの、体制の枠内のものだけを考えていては何のイノベーションも起きません。「そんなもん、役に立つんかいな」と思いながらも「やってみなはれ」と考えるところから時代を創るものができるかもしれないと思います。

「演劇と医療のコラボ」というテーマでものを考え始めた時、こんな得体のしれないコラボと思いましたが、大阪大学にそんなことを考えるセンターが存在しました。コミュニケーションデザインセンターです。演劇人であり、かつて鳩山内閣で内閣参与も務められた平田オリザさんも教授でした(現在は客員教授?)。平田氏は阪大総長から「ちゃんと患者とコミュニケーションができる医者を育ててや」と教授就任時に言われたそうです。流石に大阪です。大阪大学です。得体のしれない「演劇と医療のコラボ」のコンセプトは既に「やってみなはれ」的に大阪でスタートを切っていました。

平田氏は患者が質問しやすい椅子の配置など舞台美術を考えるように診察室を作れるのではないかとか、具合の悪い時に受診しやすい病院などを演出できるのではないかと言われています。こんな発想は医療者や建築家からはあまり聞きません。医者が考えればホテルのようにきれいな病院だとか緑が見える癒しの空間、あるいは実務的に医療者が動きやすい動線を考えた設計などに行きつきがちです。医療者と患者のコミュニケーションを高める舞台づくりなどという発想は新鮮でした。

音楽座のスタッフとお会いして今日でちょうど1週間です。たった1週間考えただけで、

医師のコミュニケーション能力を高めることででの治療成績への介入
医師だけではなく看護師・薬剤師、リハビリなどのコメディカルのコミュニケーション能力
学会発表などでのプレゼンテーション能力
製薬メーカーのMRの医師との関係構築
コミュニケーションの円滑化のため建築・設計

など演劇を構成する役者やプロデューサー、舞台美術家などとのコラボで医療を患者に近づける工夫はいくらでもできるのではないかと思います。

あとはこの得体のしれない「演劇と医療のコラボ」というコンセプトを実現するための「やってみなはれ」という決断です。そうした決断が現実になるためのプレゼンテーションを考えましょう。

2015年9月13日日曜日

劇場と呼ばれる医療の現場

のめりこみやすい性格だなと自分で感じます。「演劇と医療」の第3弾です。

スマトラ沖地震の救援でタイ、インドネシア、スリランカを訪れました。どの国の病院でも手術室は "Operating Theatre" と呼ばれていました。RoomではなくTheatreです。その時にはそんな風に言うのかくらいの関心でしたが、「演劇と医療」を考え始めると何故Theatreと呼ばれるのか気になってきました。英語の語源辞書などを見てもギリシャ演劇の劇場がその発端のようでRoomというような意味は見当たりません。

上段の図はギリシャ演劇の劇場です。階段状の客席と舞台を併せてTheatreと呼んだそうです。現代の手術室のイメージとはかけ離れています。この劇場を見ていて学生時代の階段教室を思い出しました。語源辞典にも階段教室をTheatreと表現することがあると記載されています。

2番目の図は、昔の教育的な手術の現場の図です。教育のために階段教室の下で手術を実際に行っていたのです。きっとこれがTheatreと呼ばれる所以であろうと思います。

更に思い出します。下段の図は、PCIの創始者であるGruentzig先生が初めて開催されたライブデモンストレーション会場の写真です。まさにTheatreです。現在では日本中、世界中でライブデモンストレーションが開催され、カテーテル治療の普及や技術の向上に寄与していますが、ギリシャ演劇からの延長にあったのかと驚きました。

Gruentzig先生のこの舞台がなければPCIの普及はきっと大きく遅れたことでしょう。この劇場にいた、私たちの世界では知らない人がいないJudkins先生・Sones先生・Dotter先生もも心を震わせたはずです。

新しい発見や新しい治療法の創始もそれが知らしめられなければなかったことも同じです。舞台に立ち、観衆の心を震わせ、共感することで現実の世界の発展が起きます。研究者や開発者もGruentzig先生がそうであったようにTheatreに立つ必要があるように感じます。演劇の歴史と医学の発展は無関係ではなかったのです。

こうしたOperating Theatreの伝統は主に医師同士の教育や交流の場です。しかしながら医療の舞台の主役はきっと患者さんです。患者の存在が抜け落ちたTheatreであり続けて良いのでしょうか?最近では手術室の様子を患者家族控室に放映する病院も出現しています。鹿屋ハートセンターもそうです。

ギリシャ演劇の伝統を引き継ぐ医師のTheatreが患者さんも参加するTheatreに昇華するにはどのような概念の創出が必要なのでしょうか。考えれば考えるほど興味が尽きないテーマです。

上段の図はWikipediaの下記からの引用です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%BC%94%E5%8A%87

中段の図は下記末廣医院のWeb siteからの引用です。
http://www.suehiro-iin.com/arekore/history/21.html


2015年9月12日土曜日

「演劇と医療のコラボ」というテーマに興味が湧いてきました

昨日の当ブログ「薬剤や手術だけで良くならない患者さんの回復に必要なこと」の中で、患者さんとのコミュニケーションがうまくいった時に、あるいは患者さんの思いと私の思いが共鳴した時に思いがけない回復が起こった例を紹介させていただきました。心に起きる変化が何故、利尿を促し、薬剤の効果を安定させ、あるいは心機能を回復させるのか等は私には分かりません。こうした医師好みの機序の解明は学者に任せるしかありません。

しかしこうした変化が起きるのであれば、患者と医師の心がよりよく共鳴するように医師のコミュニケーション能力を高めなければいけないと思います。「心 こころ」という文字で表される心臓を専門にしている私ですが、心臓はこころも意思も持たない筋肉ですから、その筋肉を扱ったきた私にこころのケアなどできる筈がありません。

どんなベテランの医師でも初めて実施する手術があります。私にとって、初めてのステント植込み、初めてのロータブレーター治療、初めてのDCAに立ち向かう時、初めての患者さんになっていただく方に、「この治療は私にとって初めての治療なのですが、私に術者を任せて頂いても良いでしょうか?」とうかがってきました。こうしてお互いの緊張の中で実施した初めての治療は不思議とトラブルなく過ぎてゆきました。一方、その手技に慣れた頃、トラブルは発生します。これは心の問題ではなく、慣れからくる油断かもしれません。しかし、患者と医師の両者で作り上げるものには成功の神様がほほえんでくれやすく、医師の傲慢に支えられた治療には問題が発生しやすいように感じます。心のケアなどできないことを目指すのではなく医療者として患者さんと、ともに病に立ち向かう一体感を高めるような相互のあり方を考えなくてはと思います。

こんなガラにもないことを考え始めたきっかけは昨日のブログにも書いた浜松大学 臨床心理学 中島登代子先生です。2013年11月23日付当ブログ「音楽座ミュージカル ラブレター を見てきました」に書いた音楽座のメンバーが鹿児島に行くので会わないかというのです。彼らはミュージカルだけではなくミュージカルの手法を用いた人材育成事業もしているので話を聞いてやってくれというのです。最初、何を訳の分からない話をしているのだろうかと感じましたが、中島先生からのお話なので「演劇と医療」というテーマを考え始めたのです。音楽座のweb siteを見たり、実際に彼らと話をしていると、彼らはミュージカルでやり方を見せるのではなく自らのあり方を見せるのだ等と言われます。また、共通の接点が中島先生であるように、彼らは臨床心理をも学んでいます。だからこそ2013年のブログに書いたように、私はただ面白かったと「ラブレター」を見た後に思わずに、なにかし忘れたことに気付いたような焦燥感のような心の揺れを感じたのかも知れないと合点がゆきました。

医学知識で、看護知識で、薬学の知識で患者さんに説明するだけではなく医療者を志した頃の純粋な気持ちを含めて医療者自らの「ありかた」を患者さんに示すというコンセプトは悪くないなと感じます。知識やエビデンスを基に提供してきた医療ですが、同じ知識や経験を持ちながらトラブルの多い医療者や、あるいは製薬メーカーの営業マンであれば同じ知識を持ちながらも成績が出せない方も存在します。先輩から患者とはこう付き合うのだと教えられたり、営業マンも先輩からクライアントとはこう接すればよいのだというような経験に基づいた仕事が連綿と続いてきたように思えます。

他者との心の共鳴を感じたことがない者が、他者との心の共鳴を起こせるでしょうか?彼らは大太鼓で胸に振動を感じさせるような共鳴をミュージカルで起こさせるプロフェッショナルである筈です。まだ海のものとも山のものとも分からない「演劇と医療」のコラボですが、60歳を過ぎた私が人生の終盤に考える価値のあるテーマだと思えてきました。

音楽座ミュージカルのWeb siteは下記です。
http://ongakuza-musical.tumblr.com/

2015年9月11日金曜日

薬剤や手術だけではよくならない患者さんの回復に必要なこと。

 久々のブログ更新です。前回、心房細動患者でどの新規抗凝固薬(NOAC)を選択すべきか、ある条件で統一して比較して決めようということを書きました。しかし、ブログのように気ままに書くものに制約を付けたのが失敗でした。テーマを決めてしまうと書けなくなったのです。これからは次回の予告などせずにまた気ままに書こうと思います。

上段から3つの胸部レントゲン写真は同じ患者さんのものです。僧帽弁閉鎖不全による心不全で入退院を繰り返しておられます。高齢のために手術はもうできません。体重が4㎏も増えて全身の浮腫が強くなり呼吸苦も出てきたために入院して頂きました。それまで内服して頂いていた利尿剤に加えてトルバブタン(サムスカ)も追加しました。その追加後の写真が2番目の写真です。胸水が増加しています。体重も減少しないだけでなく増加していました。

夜間に隠れて飲水しているところを看護師に見つかり注意されると怒りだし、怒鳴り散らしていました。入院中ですから内服は確実です。良くならないために注射での利尿剤も頻繁に追加していました。飲水制限をちゃんとしてくださいと注意をし、怒鳴り返されるということを繰り返しているうちにもう仕方がないのかなと私も考え始めました。

本人とご家族を交えて、残りの命が短いのにちゃんとしろだとか、好きにさせろとか争うことはもう止めましょう、人生の最後の過ごし方はご自分で決められても良いですよとお話ししました。2月の終わりでしたのできっとお花見の頃までは持たないと思うとお話しし、ご家族との最後の時間を大事に使ってくださいとお話ししました。そうしたところ「自分も本気を出さないといけないな」と急に殊勝なことを言われました。ほぼその日からです。体重を1㎏減らすのにも難儀をしていたのにみるみる体重が落ち始めたのです。3番目の写真は退院後のものです。胸水もすっかり消えました。体重も入院した頃より20㎏以上も減りました。短気を起こしてばかりだったのににこにこと外来に来られます。どうあがいても良くならなかった頃と同じ薬しか飲んでいないのにです。この患者さんを見て患者さんが良くなるために必要な要素は、医師が考える薬だけではないなと感じます。病識がないとか、アドヒアランスに問題があるとか患者さんに問題があると考える医療者と、患者さんの対立軸の中では改善がないのではないか等とも考えます。

 拡張型心筋症などに使用される心臓再同期療法(CRT)に反応しない方、ベータブロッカーやACE阻害剤、ARBに反応しない方などでも、心臓の状態やリードの位置やCRTの設定だけではない要素があるのではないか等と感じます。

最下段の図は別の患者さんです。僧帽弁置換術を受けているためにワーファリンが必要な方です。1㎎の内服でもINRが極端な高値になったり、3㎎の内服でもINRが低値のままであったり全くコントロールできませんでした。他の薬剤を内服していないか、ちゃんと内服しているのか等と問い詰めるばかりの外来でした。それがある時から安定し始めました。問い詰める気持ちもなくなり、ちゃんとしろという気持ちもなくなった後、なるべくその中でも問題が起きないように頑張ろうと考え始めてから安定し始めたように感じます。

患者教育だとか患者指導だとか、医学的な知識を振りかざして患者さんを抑圧し、閉じ込めていると実現できなかったものが、よくしたい、よくなりたいという共通の目標のために共感し、心が共鳴し合った時に実現するものがあるような気がします。目に見えるものだけを対象に知識や経験を駆使してきた私がこのように考えるのはきっと数年前から一緒にケースカンファレンスをしている浜松大学の臨床心理学 中島登代子先生の影響だと思います。目に見えるものだけを見て診療する医師からは新井はおかしくなったのではないかとか、心で患者が良くなれば苦労はない等と言われるかもしれませんが、患者に共感し、共鳴しても失うものはありません。患者さんと心が共鳴することができれば薬もカテーテル治療も必要ない等と思っている訳ではありません。しかし、薬や手術だけではない要素にも目を向け大事にしてゆきたいなと感じます。

2015年6月7日日曜日

私の目指す心房細動患者に対する抗凝固療法 Anticoagulation at minimum bleeding risk for Atrial Fibrillation(6) NOACの選択 高齢者の場合


良くコントロールされた(TTRの高い)ワーファリンによる抗凝固療法では、Dabigatran300mgよりも虚血性脳卒中の発生が少なく、最強の抗凝固療法であると議論を進めてきました。一方、最強の抗凝固療法であるために、NOACと比較してワーファリンが臨床的に劣る重要なポイントは頭蓋内出血の発生であるため、Anticoagulation at minimum bleeding riskという目標を設定するならばNOACを選択せざるを得ないと結論しました。



ではどのNOACが最もAnticoagulation at minimum bleeding riskという目標に適しているのかを考えなければなりません。

しかし、4つのNOACで直接の効果を比較した試験はありません。また、図1に示すようにARISTOTLE試験では高齢者の割合が最も少なく、図2に示すようにRE-LY試験やARISTOTLE試験の対象患者のCHADS2スコアは他の2つの試験よりも低値でした。このため当然のようにROCKET-AF試験やENGAGE-AF試験の結果は前2者よりも悪く出やすいのです。

4つの試験の結果はまさにそうでした。4つの試験で図3に示すようにワーファリン群のTTRに差はないものの図4に示すように一次エンドポイントである脳卒中/全身性塞栓症の頻度は、Dabigatran300mgとApixaban10mgで優越性を示し、RivarixabanとEdoxabanは非劣性でした。

患者背景が異なる訳ですから優越性を示した薬剤が優れていて、非劣性しか示せなかった薬剤の方が劣るとは一概に言えないだろうと思っています。ではどのように薬剤を選べばよいのでしょうか?

試験全体では患者背景が異なっていたとしても、同一の条件の群で比較したらよいのではないかと考えました。例えば75歳以上の患者群のみで4薬剤を比較するのです。こうすることで4つの試験の患者背景の差を小さくできると考えたのです。

図5は75歳以上の患者に限った4つの試験の一次エンドポイントである脳卒中/全身性塞栓症の頻度、図6は大出血の頻度です。

今回のテーマはAnticoagulation at minimum bleeding riskですから図6を見ると、NOACによる大出血の頻度は少ない順に

Edoxaban 30mg、Apixaban 10mg、Edoxaban 60mg、Dabigatran 220㎎、Rivaroxaban 20㎎、Dabigatran 300㎎

となります。Edoxaban30㎎が最も大出血が少ないという結果でしたが、ENGAGE-AF試験のプロトコールは複雑で30㎎群の中にも15mgを内服しているケースも、60㎎群の中にも30㎎を内服しているケースもありどう評価してよいのか分からないところがあります。ですから、現時点でAnticoagulation at minimum bleeding riskという観点では、私はApixabanが良いのかなと思っています。

この結論ではワーファリンと比較して意味のある減少であったかどうかは考えていません。ワーファリン群で出血が多ければワーファリンと比較して少ないというのは当たり前だからです。

図7は、最近のRivaroxabanの講演会で良く見せられるスライドです。INRの目標値を1.6-2.6の設定したJ-ROCKET AF試験ではワーファリン群の重大出血率は3.3%と少なく、Rivaroxaban投与群では更に少なかったと日本人でのRivaroxabanの優位性を訴えるスライドです。

他の3つの試験ではINRの目標は2.0-2.6ですが、Apixabanと比較された75歳以上のワーファリン群の重大出血率は10.8%と際立って高値です。同様のINR目標値、同様のTTR、同じ75歳以上の群なのに際立って高い重大出血を見ると、TTRでは測れないワーファリンコントロールの稚拙さがあったのだろうと推測できます。(どの群もnは極めて少数なので正しい結論ではない可能性もありますが…)

古くからの友人である先生は、Apixabanのワーファリンに対する優位性はこの稚拙なワーファリンコントロールのためだからあてにならないとよく言われます。ですからワーファリンとの比較ではなく、NOAC同士の比較が必要なのだろうと思います。

ただそうした比較試験が行われるか否かは分かりませんが、結論が出るまでは公開されているデータで考えてゆくしかありません。患者背景の差を最小にして各NOACの成績の差を比較するしかありません。次回は、低腎機能患者群で比較したいと思います。



2015年6月2日火曜日

私の目指す心房細動患者に対する抗凝固療法 Anticoagulation at minimum bleeding risk for Atrial Fibrillation(番外編) TTRの高い施設ではNOACでの成績も改善する? 薬剤だけではない医療や地域の力 

図1は2015年5月30日付当ブログ「私の目指す心房細動患者に対する抗凝固療法(3)」に載せた図です。この図1はDabigatarnのWeb siteに載っていたTTR 別の脳卒中/全身性塞栓症の発生頻度から頭蓋内出血の頻度を引き算して作ったものです。このWeb siteではどのようなTTRであってもDabigatran300㎎は脳卒中も頭蓋内出血を減らしたと記載されています。しかし、虚血性に焦点を当ててグラフを作るとTTRが良くなると虚血性脳卒中/全身性塞栓症はTTRが上がるにつれて改善し、72.6%以上のTTRの施設ではDabigatran 300mgの群よりも少ないという結果になりました。どのようなグラフを作るかで印象は変わり、嘘ではなくても虚血性も出血性も含むことであたかも脳塞栓症が減ったかのような印象を作ることは可能です。

プレゼンする側の意図に左右されずにデータを見る力が必要です。

この図1を見ていてふと気づいたことがあります。Dabigatran 220mg群の虚血性脳卒中/全身性塞栓症もTTRが高くなるにつれて低下しているように見えることです。Dabigatran群では容量調節をしない訳ですから、ワーファリンの様にコントロールの上手い下手が入る余地はありません。では何故TTRの高い施設ではDabigatranの成績もよくなるのでしょうか?

ワーファリンのコントロールが良い施設では服薬アドヒアランスが高いからでしょうか。であれば医師の説明や看護介入・薬剤師の介入で虚血性脳卒中/全身性塞栓症が減らせるのかもしれません。医療者の力で減らせるのならなんて素敵なのだろうかと考えます。

ただ服薬アドヒアランスだけの問題なのかどうかはわかりません。施設のTTRの値を規定している因子はただ一つ地域だったそうです。図2にTTRの高い順に並べた各国のTTRのグラフを示しました。コントロールの良い上位の国には北欧・北米の国が並びます。一方、下位の国にはアジア・南米の国が並びます。日本は残念ながら下位グループです。

高血圧や糖尿病の管理、地域の衛生状態や、教育水準など様々な要素がこうした結果と関係しているかもしれません。簡単ではないかもしれませんがこうした要素は人間の力で改善できるものばかりです。薬剤の効果だけではなく、成績をさらに向上するプラスアルファを見つけて、医師だけではなく薬剤師や看護師といった医療者や地域の力でさらに良い成績を目指したいものです。

2015年6月1日月曜日

私の目指す心房細動患者に対する抗凝固療法 Anticoagulation at minimum bleeding risk for Atrial Fibrillation(5)  添付文書記載の用法容量は全ての患者にとって正しいのか?

 ワーファリンによる良くコントロールされた抗凝固療法では、虚血性脳卒中/全身性塞栓症抑制効果は、Dabigatranの高容量よりも優れると書きました。しかし、脳出血の発症に関してはどんなにTTRを高めても減少しないので、Anticoagulation at minimum bleeding riskということを目標にするのであればワーファリンは勝者にはなり得ないと私なりに結論しました。

虚血性脳卒中の減少を第一のゴールとするのか、ある程度の虚血性脳卒中が残ったとしても頭蓋内出血を最小にするのをゴールとするのか目標を明確にしておかなければ治療の混乱は避けられません。

図1は2015年3月に開催された日本脳卒中学会で発表されたRivaroxabanの市販後調査(PMS)の結果です。同じRivaroxabanを使用したJ-ROCKET AF試験よりも重大出血は減少し、虚血性脳卒中の発生は同程度でした。総死亡も減少しています。J-ROCKET AFに参加された「一流」の施設での結果よりもPMSの方が良い結果であったのです。

しかしながら、日経メディカルの記事などでは、過去に梗塞や一過性脳虚血発作があった虚血性脳卒中のハイリスク群ではJ-ROCKET AFで1.10%の虚血性脳卒中の発生であったものがPMSでは2%と増加しており、不適切に減量した投与量が問題だと指摘されていました。減量した10㎎の処方を受けた患者の中にもクレアチニンクリアランスが50l/minを超える患者が多数含まれているから不適切な減量で、それ故にハイリスク群で虚血性脳卒中が増えたのではないかという指摘です。

虚血性脳卒中の減少を第一の目標にするのであれば良好なワーファリンコントロールを目指せばよいことで何も高価なNOACを処方する理由はありません。現場の医師は虚血性脳卒中が減少すれば出血をしても構わないとは考えていないのです。

図2は10㎎を処方された患者と15㎎を処方された患者の臨床像です。クレアチニンクリアランスが50l/minを超える患者がいたとしても、10㎎を処方された群では75歳以上の患者が多く、低体重患者が多く、HAS BLEDスコアの高い患者が多いという結果です。添付文書通りに処方せずに高齢や低体重や出血リスクを見て患者を守ろうとして減量している姿が見えます。日本の現場の医師は教条主義に染まらずに患者を診て、真剣に考えて処方されていると感じました。捨てたものではないと思います。

実は、私は日本の医師は大丈夫なのかと心配していました。最初のDabigatranでも2剤目のRivaroxabanでも4剤目のEdoxabanでも市販後最初の1年で脳出血死は発生しました。その中にはクレアチニンや体重すら測定されていなかった患者さんが含まれていました。頭蓋内出血という生命に関わる問題を起こしかねない薬剤にもかかわらず何も注意を払わずに処方する医師がNOACの市販後何年も経過しているのにまだ存在することが明らかになったわけです。

そんな医師が存在することも事実ですが、RivaroxabanのこのPMSの結果を見て多くの日本の医師はまともだったと安心しました。私が繰り返しAnticoagulation at Minimum Bleeding Riskと言わなくても既に多くの先生はその概念で患者を守っておられたのです。かつて多くの薬剤の添付文書の用法用量には患者の年齢や体重、腎機能を見て用量を加減しなさいと記載されていました。NOACにはそんな記載はありません。

NOACの講演会では添付文書通りに処方せずに勝手に減量して虚血性脳卒中が発生したら、その医師の責任だぞ等と言われる演者もいます。体重80㎏の患者群で検討された処方量では不安だと考え、患者を診て、安全を優先して考え、処方された先生が悪いのでしょうか?低用量のデータはないのだからエビデンスのある高容量を一律に使うのがEBMだというのは間違ったEBMだと思えてなりません。演者をされる先生の多くはJ-ROCHET AFに参加された施設の先生です。そのJ-ROCKET AFよりもハイリスク患者を除けばより良い成績を出した巷の先生方の結果をこそ活かすべきだと私は思います。すでに多くの現場の先生は添付文書記載の用法容量を支持していない現実を見つめるべきであろうと考えます。

NOACであっても、あるいは虚血性脳卒中を減らす効果よりも頭蓋内出血を減少させることが期待されるNOACであるからこそ、更に虚血性脳卒中を減少させることを追求して出血を増やすよりもAnticoagulation at Minimum Bleeding Riskの概念が重要だと思っています。



2015年5月31日日曜日

私の目指す心房細動患者に対する抗凝固療法 Anticoagulation at minimum bleeding risk for Atrial Fibrillation (4) 新規経口抗凝固薬の役割の誤解なき理解

 前回、TTRが高い良好にコントロ-ルされた施設では、Dabigatranの高容量と比べて虚血性脳卒中の発生が少ないことを書きました。NOACの4つの大規模試験ではすべての試験で有効性の一次エンドポイントは脳卒中または全身性塞栓症とされました。Dabigatranの高用量とApixabanでは優越性は示され、RivaroxabanとEdoxabanでは非劣性が示されました。図1

この結論を多くの医師が誤解しました。脳卒中の中には虚血性も出血性も含まれているからです。色々な先生の解説記事を見ましたが、脳塞栓症を減らす効果で優越性が出たとか非劣性であったと解説している先生もおられます。明らかな誤解です。図2に頭蓋内出血の成績を示します。どのNOACであってもワーファリンと比較して有意に頭蓋内出血を抑制しています。そこに誤解はありません。

図1のグラフから図2の頭蓋内出血を引き算したグラフを図3に作りました。一次エンドポイントを虚血性脳卒中/全身性塞栓症と設定したグラフです。ワーファリンと比較して虚血性脳卒中/全身性塞栓症を抑制したのはDabigatran高用量だけです。そして前回書いたようにこれすら高いTTRを実現している施設ではワーファリンでの抗凝固療法の方が虚血性脳卒中/全身性塞栓症は少なかったのです。この図3がメインの結果として示されていたら、今ほどNOACは幅を利かせていなかったかもしれません。

NOACはワーファリンに比較して劣る抗凝固薬だと言いたい訳ではありません。ワーファリンでどんなに努力してもNOACに敵わないこと、それは頭蓋内出血の抑制です。

ワーファリンと比較して虚血性脳卒中や全身性塞栓症を抑制するからNOACは優れているのではなく、頭蓋内出血を抑制するから優れているのです。凝固カスケードの多くをブロックするワーファリンと一ポイントだけを抑制するNOACの効果を考えてもこの結論は必然であろうと思います。

現状のワーファリンやNOACといった経口抗凝固薬では完全に虚血性脳卒中や全身性塞栓症を防げません。であれば頭蓋内出血を抑制する効果を大事にするべきだと思います。

より強い抗血栓作用を期待してDabigatranの投与量を増やした研究があります。機械弁植込み患者でのDabigataranの有効性を検討したRE-ALIGN試験です。図4。より強い抗血栓作用を期待してこの研究では最大1日600㎎のDabigataranが処方されました。結果、血栓塞栓症が減らなかっただけではなく、大出血が増加しました。 N Engl J med 2013 1206-1214

非弁膜症性心房細動と機械弁植込み患者では背景が違うと言っても、やはりNOACでのより高い抗血栓作用を期待して処方量を増やすことはあぶはち取らずに陥る可能性があります。過ぎたるは及ばざるがごとしです。

虚血性脳卒中や全身性塞栓症をよくコントロールされたワーファリンによる抗凝固療法と比較して抑制する訳ではないけれど、重大な合併症である頭蓋内出血を明らかに減少させる薬剤がNOACなのだとしっかり理解する必要があります。誤解を抱えたまま虚血性脳卒中の減少のみを至上命題にしているとRE-ALIGN試験の轍を踏むことになりかねないと危惧します。

2015年5月30日土曜日

私の目指す心房細動患者に対する抗凝固療法 Anticoagulation at minimum bleeding risk for Atrial Fibrillation (3)  鹿屋ハートセンターで実施したワーファリンによる抗凝固療法の成績を振り返って

 最初の新規抗凝固薬は2011年に市販が始まったDabigtran(プラザキサ)です。私は、新しい薬が市販されてもすぐには処方しないようにしています。1年の成績を見てからのほうが安全だと思っているからです。2011年に市販が始まってそろそろ1年が経過した2012年2月に鹿屋ハートセンターに通院されている心房細動患者さんを調べました。

心房細動患者さんは290名で、うち246人の方にワーファリンを処方していました。率にして84.8%です。決して処方率が低いわけではありません。慢性心房細動に限れば、97.7%の方にワーファリンを処方していました。ワーファリンを処方していなかった方のほとんどは心房細動の発生がごくまれな発作性心房細動の方で、若くてCHADS2スコアの低い方でした。2012年2月の一時点でPT-INRが目標とする1.6-2.6に入っていた率は77.7%でした。コントロールも良好でした。(図1)

図2はこの246名のワーファリンを処方されていた方の2年間の追跡の結果です。2012年2月にエントリーして次の月にはもう来院されなかった6名を除いた240例のデータです。49歳から94歳の年齢分布で、男女比は大体2:1でした。腎機能も様々でクレアチニンクリアランスは13-142l/minと広く分布していました。個々のケースの2年間の%TRを算出し、平均値を見るとやはり2012年2月の一時点で治療域に入っていた率とほぼ同じの76.7%でした。

図3は2年間の結果です。8例の方が途中で行方不明となりご自宅に電話を差し上げても通じなかった方です。引っ越しをされたのか亡くなられたのかも分かりません。2年間の経過で亡くなられたことが確認できたのは9人の方です。年率にして1.9%です。この死亡率は、NOACのどのトライアルのNOAC群、ワーファリン群の成績と比べても低い数値でした。消息が分からなくなった方全員が亡くなっっていたとしても決して高い死亡率ではなかったと思っています。
亡くなったことがはっきりしている9名の方の死因ですが心不全死が4名、癌死が2名、脳出血死が1名、原因不明が2名です。やはり循環器科で診る心房細動患者さんの最大死因は心不全でした。

頭蓋内出血は2名で年率0.4%の発生で1名は前述のように亡くなられました。脳梗塞の発症は2名でやはり年率0.4%の発生でした。この頭蓋内出血の頻度はNOACの各トライアルのNOAC群に匹敵し、どのワーファリン群よりも低値でした。脳梗塞の発生頻度は、どのNOAC群よりもワーファリン群よりも低値でした。循環器学会のガイドラインよりも若年者では弱めのPT-INRの目標を設定し、論文に出ているようなTTRではなく%TRでコントロールしてこのデータでしたから、少なくとも間違ったことはしていないと考えています。

ただこの成績で満足しているわけではありません。頭蓋内出血で亡くなったお一人の方が気になるのです。図4。ワーファリンの治療域に入ってからの推移をみるとTTRは80%程度、%TRは75%ですから決して悪いコントロールではなかったと思っていますが、2剤の抗血小板剤を止めておればよかったのではないか、あるいはNOACでの抗凝固であれば頭蓋内出血死を防げたのではないか等と考えます。

図5はcTTR別に見たDabigatranの有効性、頭蓋内出血の頻度です。Dabigatranのweb siteからの借用です。どのようなTTRのコントロールであってもDabigatranの有効性はワーファリンよりも高く、どのcTTR群であっても頭蓋内出血の頻度はDabigatran群で低いとされています。すべてのNOACのデータの罪がこの図にも示されています。有効性の指標が脳卒中/全身塞栓症の頻度だからです。脳卒中の中には虚血性脳卒中も出血性脳卒中も含まれているので、どれほど虚血性脳梗塞を防ぎ、どれほど頭蓋内出血を防いだかが分かりにくいのです。

図6は図5の左の脳卒中/全身性塞栓症の数字から、右の頭蓋内出血のひいた虚血性脳卒中/全身性塞栓症の発生頻度です。引き算をして自分で作ってみました。そうするとオリジナルの図では分からなかったことが見えてきました。TTRが良好になればなるほどやはり虚血性脳卒中/全身性塞栓症は低下し、TTRが72.6%以上の施設での成績が最も良いのです。塞栓症を防ぐのであればTTRの高いワーファリンによるコントロールが最強でした。これはある意味当然だと思っています。私のワーファリンに対する思いが強いからではありません。コントロールさえよければ凝固カスケードの多くの作用点をブロックするワーファリンが、一ポイントしかブロックしないNOACよりも効果が強いのは当たり前です。

一方でこの最強の抗凝固作用を持つワーファリンの欠点はその最強の抗凝固作用でもあるのです。どんなにコントロールが良くても、その効果が強いがために頭蓋内出血はどのNOACと比べてもワーファリンでは増えてしまいます。良くコントロールされたワーファリンよりも劣る抗凝固作用こそがNOACの利点であるといえます。

今回のこのシリーズでの基本的な概念はAnticoagulation at minimum bleeding riskです。脳塞栓症を減らそうとして頭蓋内出血を起こしてはいけないというコンセプトです。NOACの講演をよくされるある先生は塞栓症を防ぎたければDが良い、出血を防ぎたければAが良い等と言われていました。しかし、脳塞栓が防げるのなら脳出血を起こしても良い等と言う人も、脳出血を防げるのなら脳塞栓症を起こしても良い等と言う人も存在するとは私にはとても思えないのです。どの抗凝固薬を使用してもある程度の塞栓症は発生します。最もよく塞栓症を防ぐのはよくコントロールされたワーファリンです。作用機序からも当然の結論だと思っています。しかし、塞栓症を減らせば減らすほど良いという訳ではありません。NOACと比較して頭蓋内出血の多いワーファリンだけでは最善の抗凝固療法は実現できないと考えるに至りました。少なくとも頭蓋内出血リスクの高いケースではワーファリンによる抗凝固療法を避けるべきだと考えています。実際に頭蓋内出血死された図4の方も頭蓋内出血のハイリスクの方でした。過去に頭蓋内出血の既往があったのです。鹿屋ハートセンターでは現在、頭蓋内出血の既往のある方に対しての抗凝固療法はどんなにワーファリンでのコントロールが良かった方でもすべてNOACとしています。さらに今後はMRIで評価をしてmicrobleedingの痕跡がある方にはワーファリンを使用しないつもりです。

繰り返しになりますがanticoagulation at minimum bleeding riskの概念で脳塞栓症や頭蓋内出血による悲劇を少しでも減らしてゆきたいと考えています。