2012年9月30日日曜日

明日10月1日より医療法人鹿屋ハートセンターとして新たなスタートです

2012年9月31日で個人開設としての鹿屋ハートセンターは閉院し、翌2012年10月1日より医療法人鹿屋ハートセンターとして新たなスタートを切ることになりました。

2006年10月1日の開院から丸6年です。元々ケセラセラでプレッシャーのかかるイベントでも眠れなくなったりすることもなく、かつて行った海外での学会発表などでもその時が来て発表の時間が15分ならその15分は当たり前の15分として過ぎてゆくものだと思ってきたので眠れなくなったりすることはありませんでした。でも6年前の開院前には毎晩開業初日の夢を見ました。たくさんの患者さんが来られて、このままじゃパニックだよと思う夢だったり、翌日には一人の患者さんも来られない開業初日を迎えて落ち込む夢を見たりで夜中によく起きたものです。普段プレッシャーに強い方なのにこんな風になったのはやはり開業が人生の中で大きなイベントだったからだと思います。

2006年10月1日は日曜日だったために開業最初の外来は10月2日でした。初日の受診患者さんは40数名でした。パニックになることもなく落ち込むこともなく、普通に初日は終わりました。それから6年です。

医療機関にある高額医療機器の多くはリース品です。ざっとですが1億円の機器をリースで導入すると5分の1の2千万円を6年間支払う感じになります。6年が経過してもその機器を使い続けると再リースになり年間の支払はおよそ10分の1の2百万円になります。このリース負担が減少するまでの6年間を無事に運営できるかを心配してスタートを切りましたが、大過なく6年が経過しました。新生の医療法人鹿屋ハートセンターは少ないリース負担でスタートを切れるので余程のことがない限り順調に経営してゆけると確信しています。

鹿屋ハートセンターの土地建物も法人の所有としたので、私に万一のことがあっても法人はびくともしない仕組みになりました。こうした仕組みにしたのはやはり私が現役を退いた後に継承するであろう次代の理事長に負担をかけないためです。絵も描けていない継承ですが、継承の仕組みはできました。

仕組みに続いて次代に向けて取り組まなければならないのは人で作る城です。与えられた仕事をそつなくこなせるだけの人たちだけでは組織は持ちません。与えられた仕事をこなすだけではなく、組織を活性化し提供する商品である医療の質を高める努力をする人たちで満たされることで強力なリーダシップのない環境でも法人は生き残っていけると信じています。

医療法人として鹿屋ハートセンターは明日、新たなスタートを切ります。気持ちを新たに、果たすべき役割を十分に意識して、持続可能な施設づくりに励まなければなりません。

2012年9月26日水曜日

ステント内閉塞をした患者さんを見て思う

Fig. 1 Before PCI 5m ago
Fig. 2 After PCI 5m ago
医師になって34年目です。年をとったせいか昔のことをよく思い出します。最近はそんな人を見ることはまずありませんが、若い頃に受け持ちになった心胸郭比(CTR)が100%の僧帽弁狭窄症のことなどを思い出します。まだ私が20歳代の頃です。よく弁膜症の方は心房細動になるのをきっかけにして心不全が悪化しますが、その方は末期の心不全になってから洞調律に自然と復しました。徐脈です。それでも洞調律に復帰したので心不全の管理は楽になるかと思いましたが、逆に心不全のコントロールは不良になり、心室細動を繰り返しました。末期の心不全ですので除細動も叶わず、死に至ると思っていましたが急場を凌ぐことができました。蘇生後に、キリストに会ったなどと話されたのでよく覚えています。30年も前の患者さんですから今は生存されているはずもありません。この方の最期には転勤で立ち会えませんでした。

苦労して急場を乗り切った方もその後、必ず最期を迎えます。誰も死なせない医療などできる筈もなく、死に至らせないことを医師の最終のゴールとすれば、医師の仕事は100戦100敗の空しい仕事になります。死に至るわけではない疾患で命を失わないように、苦しんで死に至らないように、死に至るまでの「生」が意義のあるものになるように手伝うことなどを医師としての目標におかなければ、医師の仕事に価値はないように思えます。

Fig. 3 Five months after stenting
本日の患者さんです。80歳代半ばの透析患者さんです。 9年の透析歴です。2009年に胸痛があり、最初のPCIを#3に対して実施しました。この時にはステントを持ち込めずにバルーンだけで終了です。当然のように再狭窄し、その後は子カテを使って薬剤溶出性ステントの植え込みを行ってきましたが、Xience V、Endeavor、NOBORI、PROMUS elementいずれも再狭窄です。今回も胸痛があり造影したところステント部は完全閉塞でした。最近の閉塞でしょうから、再度のPCIは可能でしょうが今回はPCIをしませんでした。PCIで拡張できても、再狭窄を回避する手段を持ち合わせていないからです。狭窄であればその次の段階の閉塞時に病態が悪化するのではないかと考え、PCIを実施したに違いありませんが、この閉塞した状況で心電図所見の悪化も心エコー上の心機能の悪化もありません。閉塞により急激に悪化する病態が発生しないと思うと、血管を開けることを仕事にしてきた医師として不謹慎かもしれませんがホッとした気持ちにもなります。

Fig. 4に示すようにこの方の外腸骨動脈は両側で閉塞しています。いつもPCI時にはその閉塞の上を穿刺してきましたが、石に針を刺すような感触で次のPCI時にはもう穿刺できないかもしれないとも思ってきました。幸い、左冠動脈には問題がないので多少の胸痛はあってもうまくコントロールしてゆけるだろうと思っています。

Fig. 4 Angiograhy via Femoral sheath
命を護ることは当然としても、絶対に死に至らない医療は存在しません。目の前の狭窄を拡張することだけがPCIを行う医師の目標ではありません。拡張した状態で冠動脈を維持することはできませんでした。しかし、これからが医師としてこの方に何ができるかの正念場のように思えます。

2012年9月18日火曜日

北方謙三の「史記」に魅了されました。もっと中国の歴史や文化に、はまりたいと気持ちが高まります。

尖閣の領有をめぐって日中が落ち着きません。607年の聖徳太子の遣隋使以前にも、親魏倭王と呼ばれた卑弥呼や、漢委奴国王と書かれた志賀島の金印等の記録があり、日本と中国の交流は2000年近くの歴史があります。もちろん、私たちが使用する漢字は中国のものですし、かなもカナも漢字由来です。

札幌ハートセンターの藤田先生が好んで使われる「仁」「義」「礼」「智」「信」も儒教の言葉です。同じ漢字を使う文化圏に住み、儒教という中国由来の道徳を大切にする国民同士が憎み合う構造を悲しく不思議に思っています。

中国に憧れ、中国の文字や律令、政治をまねて国家として形作られてきた日本と現代の中国は今では相容れないのでしょうか。日中戦争の歴史を超えて同じ文化を持つ国同士が手を携えあうことはできないのでしょうか。ずっと、この間のニュースを見ながらこんなことを考えていました。しかし、ふと思い起こすと、私は中国の歴史や文化をあまりにも知らないことに気づきました。とはいえ四書五経を勉強するのも敷居が高いし、杜甫や李白も柄でもないしなどと思い、入りやすいところから北方謙三の「史記」を読んでみることにしました。北方謙三の小説「史記」ですから、史記そのものとは異なります。しかし、魅了されました。全7巻を1週間ほどで読み終えました。前漢の物語ですから紀元前の物語ですが、こんなに面白い読みものがあったのかと再発見です。武帝と呼ばれる劉徹の名君ぶり・暴君ぶり、衛青将軍の活躍、李陵の苦悩、匈奴の成長など息もつかせぬ展開です。

読み終えて更に、同じ道徳観、文化を持った国同士が、あるいは国民同士が憎み合うのは間違っているという気持ちが強まります。批林批孔運動を行った中国共産党と相いれないのでしょうか。2000年の付き合いの中での僅か100年足らずの日中戦争や共産党の歴史です。2000年の歴史の中で見れば僅かな齟齬のような気がしなくもありません。昨日今日の喧嘩など忘れましょうとは言いませんが、長い歴史のあるお付き合いを振り返って冷静になりたいと思っています。今度は、本物の司馬遷が書いた「史記」に近づき、ちくま学芸文庫の史記を読んでみましょう。

2012年9月11日火曜日

大隅半島における冠動脈治療の未来を心配しています。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも もとの水にあらず。よどみに浮かぶ うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

有名な鴨長明の方丈記の序文です。先日のブログに書いたように58歳にもなるとこんな言葉が心に沁みます。2000年にPCIができない土地であった大隅半島にPCIの灯を燈すのだとやってきて12年、鹿屋ハートセンターを開設してもうすぐ丸6年です。開設準備前に少しでも多くのノウハウを吸収しようと、中京地区の有名なハートセンターの先生に会いに行きました。そこで多くのことを教えて頂いたことが鹿屋ハートセンターのスムーズな開設や順調な経営に結びついているのだと感謝しています。その先生との会話の中で、大隅半島のような人口の少ない田舎ではなく、鹿児島県で開設するなら鹿児島市内の方が良いのではないかと言われました。

私はすぐに鹿屋以外の選択はないとお話ししました。PCIができなかった土地にPCIの灯を燈した責任を全うするために開設するのであってビジネスとしての成功を目指して良いマーケットを探しているわけではないとお話ししました。とはいえ、2000年に私が大隅鹿屋病院でPCIを立ち上げた直後に県立鹿屋医療センターでもPCIが始まり、2006年に開設した当院は鹿屋市での3番目のPCI施設です。その後、もう一つのPCI実施可能な病院ができましたから現在では鹿屋ハートセンターを含めて4つのPCI施設が存在する街になりました。僅か10万人の人口の町に4つのPCI施設です。この結果、人口10万人当りのPCI実施件数は約750件と、千葉県松戸市に次ぐ全国でも有数のPCIの密度が高い街へと変わりました(図)。

しかし、結んでは消えるうたかたです。大隅鹿屋病院におられたPCIの学会認定専門医(CVIT専門医)の先生が関東に転勤されたので、現在鹿屋市で働くCVIT専門医は私一人になってしまいました。また、専門医が常勤で勤務していることが条件のCVIT研修施設・関連施設も大隅半島では鹿屋ハートセンター1施設のみとなってしまいました。58歳の私が大隅半島内の唯一の専門医で、常勤で研修をしている医師がいない鹿屋ハートセンターが唯一の研修関連施設です。このような状態で5年後、10年後に大隅半島内にCVIT専門医はいるのだろうかと危惧しています。

CVIT専門医になるためには認定医の資格を取得した後、3年以上の研修施設・関連施設でのカテーテル治療の実務がが求められます。鹿屋市を中心とする大隅半島で専門医が存在する研修施設を維持してゆくためには、専門医を養成するための長い期間を要します。困ってからの対策では間に合いません。

鹿屋ハートセンターは、私が果たすべき使命のゴールではありません。PCIの灯を燈した責任を全うしこの地にPCI施設を維持し続ける仕組みを作るのが私の使命であり目標です。この川の流れを枯らさぬよう、いづれ消えゆくうたかたである私は、新たに結ぶうたかたを求めなければなりません。

2012年9月7日金曜日

紹介医に無断で実施されたPCIには、上質どころかもっと根源的な問題がありました。

2012年9月4日付当ブログ「上質は細部に宿る」に記載したケースで、送ってもらったCDが読めなかったことを記載しました。この日、その病院にも読めなかった旨を電話でお話しし、新しいCDを送ってもらいました。手間をかけさせたと恐縮しています。

図はその病院におけるPCI前の造影です。確かに左前下行枝に狭窄を認めます。この程度の狭窄であれば私は50%狭窄と読むことが多いですし、75%狭窄と読んでも良いかとも思います。紹介医に無断で、大動脈瘤の手術で紹介された患者のPCIを実施してしまうこと、DES植込み後のDAPT内服の説明が十分ではなかったことに不満はありましたが、もっと気になっていたのは自分の責任です。PCIを要する患者さんの冠動脈を評価せずに血管外科に紹介してしまったのだろうかと気に病んでいました。PCIを受けたと聞いた後、紹介状を見なおしました。添付していたCTでは冠動脈を評価しており、PCIを要するような病変はないと判断して紹介していました。外科に紹介する時に紹介医である自分の怠慢で、患者さんに思いがけない合併症が発生しないように評価するのも大事な責任と思っています。外科に紹介した患者さんが亡くなられた時には、その責任は外科医だけではなく紹介した自分にもあると思っています。

大動脈瘤の手術に際して冠動脈を評価し問題ないだろうと判断し、実際に問題なく手術は成功しました。その後、全く無症状であるにもかかわらず大動脈瘤の手術のために紹介した病院でPCIは実施されました。主治医言わく、狭窄のある旨を説明し、内科的治療という選択もあると説明した上で、希望されたので実施したとのことでした。私なら、この程度の病変であれば症状が出てから、あるいはCTで狭窄の進行を見ながら治療の時期を考えましょうと説明したと思います。事実を説明しての患者の選択と言えば医師に責任はないように聞こえますが、事実の評価が異なれば、患者さんは目の前にいる医師の説明によって誘導されます。こんな風に考えると説明に基づいた患者の同意 Informed consent 等はいい加減なものだと思えます。

この図に示した造影像は拡張期のものです。確かに収縮期には内腔はペチャンコになっています。しかし、拡張期の像で狭窄度を評価するのは冠動脈疾患に関わる医師にとって常識です。収縮期にペチャンコになっているのはmyocardial squeezingの所見です。こんなことも知らずにPCIの適応を決めているのでしょうか、あるいは意図的に高度狭窄と言っているのでしょうか。PCIの適応を甘くし、症例数を増やしたところで1円も給料が上がるわけでもない勤務医が何故このようなPCIを急いで実施したがるのでしょうか。このようなPCIが実施されていると、PCIをやっている医者は無駄なPCIで患者のリスクを増やしていると非難されても仕方がないと私でも思ってしまいます。こんなことになってしまうのは、診療報酬審査では適応そのものは審査されていないという体制が根本の理由かもしれません。1例でも多くのPCIの経験を積みたいだとか、1例でも症例を増やして病院上層部から評価されたいなどという患者側に立たない動機を持たないよう、自分を律してゆかなくてはなりません。

2012年9月6日木曜日

正しい診療報酬審査が正しい診療に繋がると信じていますが…

1ヶ月前のケースです。発症は労作時ですが1時間半に及ぶ胸痛があり受診されました。上段の図に示すように回旋枝に透亮像を伴った狭窄を認めます。下段のOCTでは血栓像もTCFAも認めます。プラークラプチャーと引き続く血栓と考えてステント植込みを行いました。最近、当院では、こうしたケースで好んでIVUSではなくOCTを使用しています。解像度も高く、病変の性状・病態もより明らかになるように思っています。

本日、診療報酬審査委員会からIVUSが困難であった理由を書きなさいと返戻が届きました。この例ではIVUSが困難であったからOCTを実施したわけではありません。この例の評価にOCTの方がIVUSよりも優れていると考えたからOCTを用いたのです。審査委員会からの質問でこの質問を発した委員は全くOCTのことを知らないのだと想像できます。

保険診療の認められた正当な検査や治療を実施しているにもかかわらず、それを査定するのは財産権の侵害とも言えます。正当な報酬を査定する権限を与えられているのであればきちんと勉強してほしい・するべきだと思います。

昨日で8月分のレセプトの症状詳記を書き上げました。8月には、FFRの評価で5例のPCIの実施を見送りました。無駄なPCIを排除するためのFFRの評価が機能していると思っています。しかし、これについても先日、FFR測定に使用したガイディングカテを査定されました。こんなことがあるからでしょうか、診断カテでFFRを測定する施設もあるやに聞きます。実際、当院でも4F診断カテでの測定を試みたこともありますが、ワイヤーの操作性が低下し冠動脈を傷つけないかと不安になりましたし、何より測定結果が正しいのか疑問に思えます。大事なことは正しい評価だと思っています。正しい評価ができないために、治療が必要な方の治療を回避したり、逆に治療の必要がない方にステントを入れてしまうようなことは絶対に避けなければなりません。

3000円程度の検査をするために2万2千円もするガイディングカテを査定されるならFFRなんかせずにPCIを実施してしまえば良いとの間違った考えを誘導しかねません。審査委員会による間違った審査は、医療機関の報酬を削っているのではなく場合によっては診療の質を削ってしまうことにもなりかねません。

患者さんに提供される診療が正しいものになるように、また、医療機関の実施する正当な検査や治療から得られる正当な報酬を奪わないように、審査委員には是非、勉強と見識をお願いしたいものだと思っています。

2012年9月4日火曜日

上質は細部に宿る God is in the details.

大隅鹿屋病院長時代に(株)イエローハットの創業者の鍵山秀三郎氏の始められた日本を美しくする会 掃除に学ぶ会の活動に積極的に参加してきました。トイレ掃除や街の掃除を通じて自分の心を磨こうという会です。こうした自分磨きを通じて、活動に関わってきた企業が立ち直ったという例も少なくありません。始めた当時は掃除するだけで経営が良くなるなら苦労はないなどと思っていましたが、この活動に関わってから、それまで困難であった大隅鹿屋病院の経営は立ち直りました。

上段の写真の通気口は掃除の会で訪れたある高校のものです。掃除にうかがってこんなに汚いところがあるのかとうんざりするところの代表と言えば大体が学校です。清潔な環境で生徒の健全な成長を図ると言っている学校でもこんな風に掃除もなされていないケースが多く、教育の現場は口先だけだとよく思ったものです。

下段の写真はある病院のトイレです。便器は何年も掃除されていないために尿石がこびりつき、異臭は容易には取れません。いくつかの病院でトイレ掃除をしましたが、このようなトイレを放置している病院も少なくありません。ホテルのトイレがこんな風であれば、2度と泊まりたくないと思わせる環境で患者さんは入院しておられます。しかしこうした病院でもこのような環境を放置したまま、「感染対策委員会」でマニュアルを作り、自分の病院の院内感染対策は万全だと言います。

口先だけで理想を語り胸を張りながら、細部は杜撰というのでは上質とは言えません。どこかの自動車メーカーのコピーで「上質は細部に宿る」というのがありました、上質であり続けるためには細部へのこだわりや努力が必要です。

当院に通院している方の胸部大動脈瘤が急速に大きくなってきたために手術適応と判断しました。本人やご家族に手術を受けるのであればどこが良いかと相談しました。どうせ手術を受けるのであれば日本で最も良い病院で手術を受けたいと言われたので神奈川県の某病院を紹介しました。本日、術後初めての当院受診です。返書を見ると、手術後に前下行枝に薬剤溶出性ステントの植え込みも実施したとあります。全く胸部症状もなく、手術にも耐えられたわけですから急いでPCIをしなくても鹿児島に帰ってからでも良かったのにと思いましたが、文句は言うまいと考えました。PCIの実施時のCDが添付してあったので目を通そうと見たところファイルが開けません。プロパティを見ると使用領域も空き領域もゼロです。CDを見ると焼いた形跡も残っていません。PCI後の2剤の抗血小板剤も4週間処方されており2週間後の肝機能や白血球数のチェックが必要だという説明も聞いていないと言われます。このため2週間ごとの採血が必要だとか、急な閉塞があった場合に夜間でもすぐに連絡するように当院でPCIを受けた方であれば退院時に受ける説明を行いました。

一流と思っていた病院に大切な患者さんを紹介しましたが、細部はこの程度でした。CDを焼いたのは事務か放射線科でしょうが杜撰な仕事は病院全体の価値を貶めます。紹介医に相談もせずに緊急でもない治療をやってしまうと紹介医との継続した良好な関係は保てません。また、PCIを上手に実施することは当然として、術後のDAPTの継続や、その副作用の説明、緊急時の対策の方が実はPCIよりも大切だという思いもあります。こうしたことに杜撰な病院が上質であるとは思えません。

組織全体で細部にこだわり上質を提供し続けること、今回の病院の対応を他山の石として気を付けなければなりません。

2012年9月3日月曜日

科学的な根拠に基づく政治 Evidence Based Politics

 2012年8月31日、鹿児島県の医療審議会が開催されました。今回の審議会で鹿屋ハートセンターの医療法人化も議論されることになっていました。まだ、正式な結果は聞いていませんがきっと法人化が認められると信じています。そうなると新井英和個人の個人商店としての鹿屋ハートセンターは、鹿児島県に認可された医療法人鹿屋ハートセンターに生まれ変わります。このブログも、個人商店主として好きなことを書いてきましたが、法人のオフィシャルブログとして好きなことを個人的に書くことはふさわしくないように思えます。ですから、本日をもって鹿屋ハートセンターのオフィシャルブログから、新井英和の個人ブログにすることとします。この制約が取れることでもっと好きなことをかけるような気もします。

早速、個人の立場で、気になっていることを書こうと思います。大阪市長の橋下徹氏が代表を務める大阪維新の会の維新八策最終版で衆議院定数を現在の定数の半数である240に減らすという提案がありました。これに対して現政権与党である民主党の輿石東幹事長から240の定員で民意が反映されるのか心配だというコメントがありました。国会議員にかける税負担を減らそうとするお金の議論を優先するのか、民意を優先するのかの議論です。では、「民意」とは何であろうかと気になっています。

全国民の国民投票で政策を決めるのは大変だからと国民の意見を反映する代議員を選び出すことが総選挙だと思っています。現行の480人は日本国民1億3千万人の民意を反映させるのに十分な数なのでしょうか?1億3千万人の意思を測るのに、480のサンプル数は統計学的に十分なサンプル数と言えるでしょうか。これが無作為に抽出された480のサンプル数であればまだしも、現行の480のサンプル数は無作為ではありません。党の決定に逆らえば公認を得られないかもしれないとか支持母体の意に逆らうわけにはいかないというようなバイアスがかかっている訳ですから、480のサンプル数でも民意を反映するために充分な筈がありません。輿石氏の240では民意を反映できるか心配だという考えには同意できます。更に言えば、バイアスがかかった形態であれば480であっても民意は反映されないと考えるのが妥当かと思います。実際、現在の内閣の政策が民意を反映していると思っている国民は過半数を超えているでしょうか?とてもそうは思えません。240では心配だという輿石氏に現状では480だって心配だよと言いたくもなります。

民意を反映させるために統計学的に正しい方策は、バイアスを排除するシステムを作るか、サンプル数を多くするか、あるいは両者ともに採用することだと思います。諸外国では人口当たりの議員数は何人だとかを考える必要はないのです。純粋に統計学的に考えればよいと思っています。

サンプル数を増やす方策は議員定数を増やすことです。これでは国会議員の歳費が増えるではないかという議論もあり得ますが、仮にサンプル数を20倍にしたら、一人あたりの歳費を20分の1以下に下げれば良い話です。歳費に対する税負担を増やさずにサンプル数を増やして統計学的に正しい民意の反映が可能になります。20倍の議員定数にすると約1万人の衆議院議員です。国会議事堂に一堂に会して議論するわけにはいきませんから、議決はネット投票でしょうか。また、有権者1万人に1人の議員ですから、60%の投票率としてその半数の3000票取れば当選です。選挙費用もかかりません。また、20分の1の歳費ですから約年収150万円です。衆議院議員で生計を立てようとする不埒な輩は立候補もしなくなるでしょう。いいことづくめです。

一方でバイアスを排除する方策は何でしょうか?何故、議員は公認を求めるのでしょうか。おそらく政党交付金を原資とする選挙費用を所属する政党に求めるからだと思われます。経済的なしがらみがなければ政策で結びつくのが政党となり、意見は異なるが金が欲しいために党に留まるという選択はなくなります。政党交付金もなく、党は民意を反映させるために議員個人の意見を縛らないという形であればバイアスは相当に解消される筈です。

上記二つの方法を選挙の基本とすると今よりはもっと正しく民意は政策に反映されると思います。正しく民意を反映させるということを基本原則とした場合、解答は統計学にある筈です。すると政党は何のために存在するのか、何を成すための徒党であるのかを問い直さざるを得なくなります。こんな科学的な根拠に基づいた政治は夢物語でしょうか?