2016年6月20日月曜日

新規抗凝固薬を最近はDOACと呼ぶ人が増えましたが、私は反対です。

6/23に鹿屋での講演、9月初めには全国の先生を対象にしたWeb講演を予定しています。テーマは相変わらず心房細動に対する抗凝固療法です。この講演のためにスライドを作っていて、ふと思いました。NOACと呼ばれていた新規抗凝固薬を最近はDOACと呼ぶ先生が増えてきたことに関してです。発売されて5年にもなるのでいつまでも新規ではないだろうとのことで
Novel Oral AntiCoagulantsではなくNon-Vitamin K antagonist Oral AntiCoagulantsでNOACで良いではないかという人が存在する一方で、もう新規ではないのだからDirect Oral AntiCoagulantsでDOACと呼ぼうというのです。 国際血栓止血学会が提唱しているそうです。

折角、名前が普及して認知されてきたのにわざわざ名前を変える必要が分かりません。「新一」さんがいるとします。お前も年をとってきたからこれからは「旧一」と呼ぶぞというのも変な話ですし、「新井」も年をとってきたからこれからは「古井」だというのも変な話です。名前は安易に変えるべきではないと思います。NOACというのは頭文字をとった略語ではなく名前だと思えばよい話だと思うのですが、誰か新たに名前を付けたい人がいるのだと思います。

きっと正確な略称が適切なのだと言うのでしょうが、Direct Oral AntiCoagulantsは正しいのでしょうか?何がDirectなのか意味が分かりません。正確にすべきだというのならDabigatranはDirect Oral Thrombin Inhibitorだろうと思いますし、Rivaroxaban、Apixaban、EdoxabanはDirect Oral Xa inhibitorにすればよいではないかと思います。ARB(Angiotensin II Receptor Brocker) と呼べば理解しやすいものをDirect antihypertensiveと呼べば訳が分からなくなるのと同じことです。

DOACという呼び名を使う先生が増えてきましたが、私はこうした国際血栓止血学会の提唱するこの呼び名に以上の理由から反対です。

2016年4月1日金曜日

患者さんとのお話で広がる世界 narrative based medicine

 新年度を迎えました。24歳で医師になりもう61歳ですから満37年間 医師を続けています。ベテランです。であっても日々の患者さんとのおつきあいでうまく関係が築けることもあれば、上手くいかないこともあります。

かつて一緒に勤務した先生はステント植込み後で抗血小板剤をのまない患者さんがいると「のまないと血管が詰まって死んでしまうぞ、そんなに死にたいのか」等とよく怒っていました。叱られた患者さんはあんなに怒る先生には診てもらいたくないと泣きついて来られました。どちらかというと私もこんな風に叱る方です。

しかし最近は、「どうしてのまなかったの?」と患者さんのお話を聞くようになってきました。30年以上この仕事をしてようやくこの進歩です。このような変化をもたらしたのは常葉大学 臨床心理学の中島登代子先生とのお付き合いからです。カウンセリングに際し、特に専門家としてアドバイスすることもなくひたすらに時間をかけてクライアントのお話を聞く姿勢に驚きました。冠動脈に狭いところがあれば拡張し、血圧が高ければ降圧剤、コレステロールが高ければスタチンという風にまっすぐに介入してきたスタイルの対極にあるイメージで斬新でした。

その中島先生のご紹介で「音楽座ミュージカル」と出会い、その音楽座ミュージカルの人材育成事業に触れ、演劇的な発想で患者との関係が築けないか、あるいは医療者の教育に繋げないか等と考え始めました。

そんなことを考えているうちに出会ったのが上段の図、京都大学の河合隼雄先生と富山大学の斎藤清二先生の対談で語られるnarrative based medicineです。河合隼雄先生は中島登代子先生の先生でもあります。

自分の頭で考えるだけではなくちゃんと本も読んで考えを深めようと斎藤清二先生の本を購入することにしました。とはいえなにから読もうかというアイデアもなかったので最も安い下段の図の本にしました。61歳の私が購入するのは躊躇われるような装丁です。まだ全部は読んでいませんが目からうろこでした。若い頃にウィリアム・オスラーの本などを読んでいましたが、もっと早くに斎藤先生の本を読めばよかったと思いました。

早速、本日の外来で拝見した人に受け売りでお話ししました。若い女性でずきんと一瞬の胸痛が頻繁にあるという方です。以前に同様のことがあった時には別の病院でCT検査まで受けて異常がなく、精神的なものでしょと言われたそうです。一通りの検査が終わり、何も異常がなく、原因として思い当たることがありますかと尋ねた時にこの「精神的なもの」という言葉が返ってきました。原因が分からない時に医師がよく使う精神的なものでしょと言う言葉が数年も重しになっていたのです。原因不明の胸痛と言われれば不安になるでしょうが、心配な病気が原因しているわけではない胸痛と違う言葉で聞けば不安も軽くなるだろうし、自分の精神のせいだと自分を責める必要もありませんよねと受け売りでお話ししました。お話しした後、お母様と笑って帰られたので幸いでした。

直線的な介入だけではなくお話しして解決できることがあります。また、直線的な介入も狭ければ拡げるしかないじゃないかというだけではなく、お話をして築き上げた関係の上で行う方がきっとうまくいくようにも思います。

患者さんと医者との関係を築くことは40年近く医師として働いている私にとっても考え続けないといけないテーマです。臨床心理学の先生との出会い、音楽座ミュージカルとの出会い、そこから実際の出会いではありませんがネット上での河合先生や斎藤先生との出会いが私を刺激し続けます。こんな出会いの連鎖をありがたいと思います。

2016年3月31日木曜日

もう私は「ワーファリン派」であると言うことを止めます

 国内の非弁膜症性心房細動患者のRegistryであるJ-Rhythm registryの新規抗凝固薬(NOAC)登場後の結果が今年の循環器学会で発表されました。学会には行けませんでしたが早速 Circulation Journalに論文化されていたので目を通しました。
Circ J 2016; 80: 843-851

結論は明白です。抗凝固薬を内服していない患者やワーファリンで抗凝固療法を実施している患者群と比べてNOACで抗凝固療法を行っている群では有意に血栓塞栓症・大出血・総死亡・心血管死を減らしていました。

またワーファリンで抗凝固している群では抗凝固療法を受けていない群と比較して総死亡・心血管氏を減らしているものの血栓塞栓症の減少は有意ではなく、大出血を増やしていました。

数年前から「ワーファリン派の私が考えるNOACの適正使用」というタイトルで多くの場所で講演させていただきましたが、もうワーファリン派であると言えない、言ってはいけないと結論しました。NOACが使える方にはNOACを使うべきだと断言します。

とはいえ、こうした結論に至ることは実はNOAC発売当初から予想していました。そしてNOACの普及に役立とうとするときに、ワーファリンの否定から論を展開して受け入れられるだろうかと考えていました。長く信じていたものを「悪」と否定されて新たな提案を受けても受け入れづらいものです。ですからワーファリンの果たしてきた役割を評価した上で更によい成績を目指そうという話が受け入れやすいのではないかと考えていたのです。そんな論調で良ければとメーカーとも打ち合わせをして作り上げたのが「ワーファリン派の私が考えるNOACの適正使用」という話でした。

しかし、もうワーファリンとの比較でNOACを語る段階は終わったと感じます。2016年3月10日付当ブログ「治験の目的は治療なんかじゃない」に書いたようにNOACのより良い使い方を考える段階に入ったと思っています。そしてそのテーマで考える一つの課題は抗血小板剤との併用です。上段の図に示したようにNOACであっても抗血小板剤の併用は危険です。早くにより良い使用法を確立したいものです。


2016年3月14日月曜日

手が語るもの、失った指が奏でるもの

 私の生業である冠動脈のカテーテル治療ですが、もちろん「手」を使ってする仕事です。しかし、手の器用・不器用よりも大事なことは頭で考えることです。患者さんの状態の把握、冠動脈の評価、治療の要否、治療の戦略の構築、使用する道具の特性の理解、合併症発生時に慌てないためのシミュレーション等、頭で行う作業があって治療は成功に導かれます。ただ頭が重要だといっても「手」がどうでも良いわけではありません。カテーテル治療の分野にはそんなに「手」の動きに象徴的なものはありませんが、上手な手術医の「手」の動きをみると、その「手」から十分に準備された自信や、経験が垣間見えます。「手」から伝わるものが存在します。

上段の図は「ゴースト ニューヨークの幻」のコインの場面です。ゴーストとなったサムの存在を信じられないモリーがサムが動かす1セントコインを見て存在を確信します。印象に残る「手」のシーンでした。

「手」のことをこんな風に考えたのは音楽座ミュージカル「泣かないで」を昨日3月13日に観てきたからです。誤診でハンセン病の病院に行くことになった「森田ミツ」が、誤診と分かった後も病院で働き続ける物語です。遠藤周作の「私が・棄てた・女」が原作です。

私は学生時代に岡山のハンセン病療養所 長島愛生園を訪ねたことがあります。治療の必要ない入園者は長屋のような居宅を持っておられ、そこで生活されていました。40年近く前です。「らい予防法」が廃止されるまでまだ20年が残されていました。自治会の役員の方のお住まいに泊めて頂き夕食を共にしました。夕食の副菜は覚えていませんが、アサリの味噌汁とご飯はよく覚えています。夕食用にと一緒に潮干狩りのように海岸でアサリを採ったのです。ハンセン病では指の感覚障害のために痛みを感じないことが多く気づかないままにおった外傷が原因で指が無くなってゆくことがあります。この自治会の方もそうでした。最初、お会いした時にはげんこつを握っているのかと思ったのですがよく見ると指が無くなりげんこつのようになっていたのです。その指のない手で熊手を使わずにアサリを採られるのでもっと傷つくと心配したものです。また、げんこつのような手で米をとぎ夕食とされました。翌日 帰る時に、「医者になってもまた来いよ」と声をかけてくださいました。感染することはまずないと当時も考えられていましたが、やはり感染を恐れて訪ねてきてくれたり夕食を共にする人は少ないのだと言っておられました。ことさらに指のない「手」を見せつけ、この「手」で作った飯を食えるのかと試されていたのだろうと感じました。言葉ではなく「手」で語っていたのです。

「泣かないで」には元ピアニストであった「森田ミツ」の同室者が登場します。包帯をはずし、ない筈の指を伸ばしピアノを奏でます。ない筈の指に何が込められているのでしょう。希望に満ちた過去でしょうか、失った未来でしょうか、舞台を見守る人一人一人がその指を観て何かを感じる大事なシーンです。私はこのシーンで長島愛生園でのアサリとご飯を思い出していました。

「医者になってもまた来いよ」と言われて40年近くが経過しました。まだ再訪していないことに後ろめたさを感じます。その頃の役員さんが生きているはずもありませんがやはり心に残ります。ただ鹿屋にもハンセン病の療養所 星塚敬愛園があります。演劇を通じて患者と医師との新たな関係を作れないかとお付き合いの始まった「音楽座ミュージカル」です。存在しない指が語る物語を、失った指が奏でる音楽を鹿屋で伝えられないかと妄想が止まりません。

2016年3月10日木曜日

治験の目的は治療なんかじゃない

大きな病院のスタッフとして働いていた頃にはほとんどTVドラマなど視なかったのですが最近は、少なからず視ています。図はフジテレビの「フラジャイル」です。病院に勤務する病理医が主人公です。

日本の医師、約30万人に対して病理医は2000人余りしかいません。術中迅速診断や、病理解剖を十分に行うには少なすぎる人数です。事実かどうか不明ですが、病理学会で病理医を主人公にした「月9」ドラマを作れば人気が出て病理医が増えるのではないかと議論があったそうです。しかし、地味な病理医を主役にした「月9」などとても無理だろうという結論になったそうです。病理学会でこんな議論をする筈もないので、酒の席での話でしょうか?

3/9の放送では武井咲が演ずる宮崎先生の幼なじみががん患者として登場しました。有効な治療法がない中で、治験薬を使って治療を受けたいという話です。長瀬智也演ずる岸先生は、宮崎先生に「治験の目的は治療なんかじゃない」と言います。

その通りです。

治験の目的は新たに開発された薬剤が安全で、なおかつ有効かを調べることです。この目的のために治験のプロトコールが作成されます。決して、最も有効な使い方を調べるという目的ではありません。

当ブログで、最も多くの記事を書いている新規抗凝固薬ですが、その用法・容量はほぼ治験時のプロトコールのままです。例えばダビガトランですが、1日150㎎の使用は治験時には調べられていないので、この用量での処方は用法・用量違反ということになります。この処方で脳梗塞が発生した場合、医師の責任が問われるという講演の演者もいます。しかし、2013年6月14日付当ブログ「プラザキサ 75㎎x2capで得られた十分な効果」に記載したように高齢の低体重の女性ではこの量の処方の方が安全な患者が間違いなく存在します。
アピキサバンの減量基準(年齢80歳以上、体重60㎏未満、クレアチニン15.㎎/dl以上のうち2つを満たす場合には減量する)もこの基準が最も安全だというエビデンスは存在しません。ただ治験の時にこのプロトコールを採用したというだけです。リバーロキサバンのクレアチニンクリアランスだけで減量するか否かを決めるのも同様です。オフラベルとされるエドキサバンの1日 15㎎の処方も高齢の低体重の女性では良い選択になるだろうとも考えます。治験にエントリーする時にはこの基準を守らないのは不適切ですが、実際の診療でも不適切なのかどうかは検証されていません。何故なら治験の目的は「患者を治療することではない」からです。

各薬剤の市販後調査ではこのため治験通りの減量基準ではなく、高齢者や低体重の患者には用法・用量よりも少ない量の処方が約30%行われていると言われています。患者を治療することを目的にする医師が考えた結果です。

最も早く市販されたダビガトランは市販後5年が経過しました。プロトコールを作成し、実際の患者エントリーを行い。経過を見て、審査を経て市販されて5年です。プロトコールはいつ作成されたのでしょうか?10年前でしょうか。そんな古い「治療を目的としない基準」に縛られて最善の効果を得ることはできるのでしょうか。講演で用法用量を守れというだけではなく、最善の投与法を提案することが、医師や学会の務めではないのかと思います。

ドラマの中で岸先生は「治験の目的は治療なんかじゃない」と言い放ちます。岸先生はこのドラマの中でいくつかのきめゼリフを使いますが、その中の一つを「治療を目的にしたわけではない基準」を守れという実際の先生方に贈りたいと思います。「あんたは、バカなのか!」

2016年1月11日月曜日

時代を画するもの、画期的とは? あるいは新たな世代とは?

昨日、2016年1月10日、福岡で開催された新しい薬剤溶出性ステントの発売記念の研究会に参加してきました。第3世代の薬剤溶出性ステントという触れ込みです。ステントのストラット厚は薄くなり今までの製品の中では最も薄いものです。また吸収されるポリマーを使用し、薬剤はabluminal側のみの塗布で内皮が早期にはりやすく長期成績の改善が期待されるとされています。

ではこの製品は第3世代なのでしょうか。私は3男で兄が二人います。次兄は長兄よりも背が高く、私は次兄よりも長身ですが3兄弟は同世代に決まっています。ステントストラット厚が薄くなったことだけで画期的とも新世代とも言えないように感じます。また吸収されるポリマーも片面のみに塗布された薬剤も今までにも存在したコンセプトです。既存の製品の改良がなされるたびに新たな世代という表現を使用していると冠動脈ステントの製品寿命を考えると5年後には第7世代とか第10世代と呼ばれるのでしょうか?10年後に第20世代のステント等という表現をしたら滑稽に違いありません。

冠動脈インターベンションの世界で画期的な変化は確かにありました。ステントのなかった時代とステント以後の時代では急性期の合併症の頻度が大きく変わりscaffoldという概念が時代を変えたと思います。画期的新製品です。このBare Metal stentの欠点であった再狭窄を劇的に減少させた薬剤溶出性ステントの登場も時代を画した製品の登場と位置付けられます。

第一世代の薬剤溶出性ステントは時代を画しましたが、欠点もありました。ポリマー由来の炎症の問題、いつまでも内皮がはらないことに起因する晩期の血栓症の問題です。これらの問題解決に投入された新しい薬剤溶出性ステントは時代を画すほどのものではなくても新し世代、第2世代の薬剤溶出性ステントと呼んでよいと構わないと思います。ポリマーの問題、長期に内皮がはらないことに対する問題解決の範囲内の解決で留まっていれば同世代の製品の改良と位置付けるのが正しいような気がします。

ステルス戦闘機は第5世代が中心となり、第6世代のコンセプトも固まりつつあるそうです。しかし、第3世代から第4世代の変化に明確な定義づけがあったわけではなくメーカーが営業戦略で勝手に名づけたとも言われています。ですから世代を規定するコンセプトがないままに第4.5世代ステルス戦闘機というのも存在します。定義がなければ各国で次々と開発されるステルス戦闘機に次々と第〇世代と名付けてゆくのでしょうか?

医師になって38年目です。現在の循環器診療は38年前と比較にならないほどに変化しました。時代は変わり急性心筋梗塞の分野でも安定狭心症の分野でも治療成績は格段に向上しました。しかし、今でも解決できない問題は残っており、それを解決するためのイノベーションを医師や研究者は意識して行わなければなりません。小さな改良のつみ重ねのみでも新たな時代の構築や世代の交代は実現できるかもしれませんが、小さな改良のみでも新たな時代と医師や研究者が考えているのであれば本当のイノベーションは起きないような気がします。

メーカーの販売戦略にのり安易に新世代だと飛びつくことには危惧を感じずにはおれません。医師として研究者として冷静に時代を画す努力を期待したいものです。