2011年9月30日金曜日

全身の入れ墨とチェ・ゲバラのTシャツ 鹿屋ハートセンターで診るターミナル

9/27、当院の開設からずっと通院されていた方が鹿屋ハートセンターで永眠されました。まだ63歳でした。

怖い顔をして、全身に入れ墨を入れてですから、あんな怖い人と同室は嫌だというようなクレームもありましたが、一緒に部屋で過ごしているうちにクレームも消え、皆さんに受け入れられた方でした。肺癌死です。

20年近く前に心筋梗塞をされ、その後はBuerger病で、時々、指先やや趾先に潰瘍の形成をみましたが、点滴でいつも軽快していました。治るまでは痛い痛いと泣きそうなのに、若いものが不始末をしでかしたから指を1本落としてくるなどと言う人でした。その度に虚血指を包丁でつめたりしたら感染でもっと大きな切断になるから、お願いだからやめてくれと私からお話ししていました。

そんな彼の肺に腫瘍が見つかったのは1年半前でした。手術を受けてもらうように色々と手配しましたが、肺の専門の病院では心筋梗塞で心機能に問題があるので無理だと言われ、心臓も肺もできる病院に紹介した時にはもうリンパに転移が進んでおり手術不能と言われました。ガンであることを告知していましたし、手術もできないし、肺の専門の先生は化学療法をしないのも選択だよと言っておられたので今後どうしたいのかを話し合いました。化学療法もせずに自然経過に任せたい、死ぬ時には新井に看取ってもらいたいと言われました。専門的な治療をするのであれば私には何もできませんが、自然経過を診るだけであれば最後まで私が診るよと約束しました。

鹿屋ハートセンターに通院されている方も多くなりガン死される方もいらっしゃいます。専門的な治療を受けることができなくなり死が不可避になった時にどうふるまえばよいのでしょうか。私は私で良ければ最期まで診るよと言っています。治療できる方にはもちろん必要な治療を受けて頂くように精一杯努力します。しかし治療できなくなりターミナルになった時、何年も付き合ってきた患者さんに対して、私は循環器の医者だから知らないとは言えないと思っているのです。ただ、本当に最期の日を迎えると、最後の瞬間に立ち会うのは私ごときで良かったのかと思ってしまいます。

元気だった頃のある日、チェ・ゲバラのTシャツを着て、外来に来られました。全身の刺青で街宣車にも乗っていたというのにチェ・ゲバラです。私は、どんな人なのか細かなことは聞かない主義ですので、どんな活動をしていた人か正確には知りません。でも入れ墨と街宣車ですから、チェ・ゲバラの対極にある思想の持ち主に違いありません。どうしてチェ・ゲバラのTシャツなの?と聞いたところ「ゲバラの生き方は格好ええやろ!」と一言です。街宣車に乗っていた同じ思想の仲間から見られたらどう思われるかなど、お構いなしです。全身の刺青で街宣車に乗っていた人から見ても、かつてジョン・レノンが世界一格好いい男と言ったチェ・ゲバラは格好よく映ったようです。憎めない人でした。

脳に転移し、苦しまずに済んだ最期でした。転移が進んでからは優しい顔つきでした。

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