2013年12月25日水曜日

新しい薬剤では使ってみて初めて理解できることも少なくありません。イグザレルト内服患者を診て気付いたこと

発症時期のはっきりとしない慢性心房細動の60歳代前半の方です。体表面エコーでの左房径は44㎜と若干拡大しています。心不全も高血圧も糖尿病もありません。CHADS2: 0点の方です。腎機能に問題はなくクレアチニンクリアランスは82です。5月から受診され、脳塞栓症になると取り返しがつかいことをよく説明し、イグザレルト15㎎(Ribaroxaban)だけを処方していました。

この方がふらっとして倒れそうになったとのことで救急受診されました。神経学的な欠落症状もなく、CTで脳出血も認めませんでした。きちんと内服しているかと尋ねると欠かさずに内服しているし、今朝も内服してきたと言われます。

図は救急受診時の採血結果です。PT-INRも1.52ですし、APTTもやや延長していますし本人の言うようにちゃんと内服しているようだと判断しました。経過を見るために1泊だけ入院してもらいました。入院して、病棟のナースが残薬を確認したところ2か月分のイグザレルトが残っていました。あれほどきちんと内服しないと取り返しがつかないと説明していたのにです。

ワーファリンであればきちんと内服していない方であればPT-INRが低値になるのでアドヒアランスが不良なことはすぐに把握できます。しかし効果発現が速いイグザレルトでは数か月に1度採血する朝だけ内服していればアドヒアランスが不良なことは分かりません。このような方を経験したことで、イグザレルト内服患者には要注意だということがよく分かりました。

プラザキサ、イグザレルト、エリキュースの3つの新規抗凝固薬の中でイグザレルトは最も成績が芳しくなかったと認識しています。しかし、3つのスタディーの中で最もCHADS2 scoreが高い対象でスタディーが組まれたことも事実です。現在、国内で他のスタディーと同等のCHADS2 scoreの群でイグザレルトを使用してどのような結果が出るかスタディーが進行中です。まだ新しい薬剤ですから先入観を持たずに経験を積むことが大事であると考えこのスタディーに協力することを決め、このため当院の患者さんにもイグザレルトを使用しています。使用して初めてこんなこともあるのだと分かりました。やはり食わず嫌いではその良さも欠点も分かりません。大規模スタディーだけでは分からない経験も大事にしなければと再認識です。

2013年12月24日火曜日

医師である診療報酬審査委員のみが、現場の医師を苦しめます。

カルベジロールという薬剤があります。循環器医が心不全患者によく使用する薬剤です。ただ先発品である「アーチスト」には心不全に適応があると記載されていますが、全く同成分である後発品(ジェネリック)にはこの適応はありません。適応がないだけではなく、心不全には禁忌とされている製品も存在します。ジェネリックの使用を促進する厚生労働省が、先発品には適応があると言い、後発品は禁忌であるという矛盾した指導をしているのです。

 もちろんこんな仕組みでは混乱が起きます。医師が少しでも患者さんの経済的な負担を減らしてあげようと考え、国の医療費をさげる努力に協力しようと考え、心不全患者さんにこのジェネリックを使用すると原則査定されます。おかしな話です。

こんなおかしな制度の狭間で経済的な損失を被る医師をかばうために診療報酬の審査委員の中には目をつむる方もおられます。患者さんに対しても、国家に対しても善意で行った行為を、杓子定規に査定しなくても良いだろうとの考えです。こうした考え方は善きサマリア人の法(Good Samaritan law)の考えに似ています。善きサマリア人の法は「災難に遭ったり急病になったりした人など(窮地の人)を救うために無償で善意の行動をとった場合、良識的かつ誠実にその人ができることをしたのなら、たとえ失敗してもその結果につき責任を問われない」というものです。こうした考え方は医師であれば得心の行くものでこの考え方をする医師とは働く環境や国が違っても仲間意識を共有できます。

 とはいえ「悪法も法」ですから、審査委員の先生も無理をせずにルールだから我慢してねというスタンスでも不満はありません。このようにある県では杓子定規にルールを適応し、ある県では融通があるというような各県ごとの審査の違いは現実に存在します。そのように各県による審査の違いは存在しても、違いがあるから各県の審査は独自性を持っているのだという訳ではありません。全国共通のルールの下に保険診療は成り立っているはずです。

 先日来のIABPが査定された件で納得できる説明をお願いしていますが、鹿児島県国保連合会は面談して説明してくれません。そこで鹿児島県福祉部保険医療福祉課国保指導室に説明してくれなくて困っていると電話を入れました。指導室の方は裁判などの手間をかけずに説明してくれれば良いと思うが、国保連合会を指導する立場にないと言われました。そして国の出先機関である九州厚生局に相談すればどうかと教えてくれました。早速、九州厚生局に相談の電話を入れました。厚生局の方は国保連合会は説明する義務を負っていると言ってくれました。ただ指示する立場ではないので県の指導室が指導すべきだと言われます。話が前に進みません。

 そうこうしているうちに国保連合会診療報酬審査委員会からの文書が本日郵送されてきました。図です。査定は医学的な問題ではない、冠動脈造影と一連の医療行為だから保険診療として認められないのだ、他県で認められても各県に独自性があるのだから理解しろ、また面談は行わないという方針を理解しろとのことです。

 相変わらずです。私が説明を求めているのは冠動脈造影に引き続き実施したIABPは一連の医療行為だから保険診療として認めないというのであれば根拠となる規則や通知・通達があるのかを示してほしいということです。国保連合会の事務方は明確にそのようなルールはないと言っているのです。ルールが存在するのであれば従います。ルールがないのにもかかわらず、審査委員が勝手に査定しているように思えるので不服を申し立てているのです。

国保連合会の事務方も、県の国保指導室も、九州厚生局の方も皆さんが私が説明を求める理由を理解してくれているのに、医師である審査委員会のみが理解してくれません。このような医師が医師会から県に推薦され、県知事から委嘱され審査委員となっているのが鹿児島県です。とても医師同士の仲間意識を持てません。
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2013年12月21日土曜日

怒りにまかせて行動しないように冷静に問題を解決していきたいと思っています。

2013年ももう終わりです。年が明ければ私も還暦です。かつては瞬間湯沸かし器と揶揄されるような短気でしたが、今は一息つく余裕を持っていると思っています。怒りにまかせて行動して良い結果が出た記憶もなく、怒りにまかせて行動することを良いとは思わない分別が今更ながら出てきたと思っています。

ただ、昨日は怒りにまかせて行動はしないものの文章に怒りをぶつけた様な気がします。落ち着かなければと思います。暴走しそうになる時に瞬間的に「落ち着け!」というようなブレーキはPCIをやっている時など、瞬間瞬間で出てきます。そうした感情のコントロールができなければ侵襲的な治療をするべきではないとも思っています。

冠動脈造影をするだけで血圧が40に下がるような重症3枝病変例に救命のためにIABPを使用しました。

これに対して冠動脈造影時のIABP使用は一連の医療行為であるから認められないというのが今回の事例です。

冠動脈造影時にIABPを使用することを制限するルールを私は知りません。IABPを使用するために使ったX線透視は算定できないというルールはもちろん知っています。ですから国保連合会にどうして算定できないのかと質問しました。事務方の回答は算定できないというルールは存在しないので医師である審査委員の医学的な判断だと思うという回答でした。

ではどのような医学的な判断かと尋ねると救命的な医療行為で医学的に問題があるとは言っていない、保険診療上認められないという判断だと回答されました。では医学的な判断でなければルール上の問題なのだからそのルールはどこにあるのだと質問すると医学的な判断だとまた回答されます。堂々巡りです。冠動脈造影時にIABPを使用することに医学的な問題があるとも言われました。審査委員は冠動脈造影と一連になっていないIABPの使用しかIABPは保険診療上認められないと考えているのでしょうか。

8月のブログにも書きましたが、冠動脈造影と一連になっていない状況でのIABPの使用はほとんど存在しません。開心術後の遷延する低血圧・心原性ショック時位でしょうか?ほぼ負け戦の敗戦処理の様の使用です。この場合は認められるが、IABP使用下に心原性ショックにの原因を是正し救命するような本当に役立つようなIABPの使用は認められないというのであれば、保険診療は何を目指しているのだという根源的な問題に行きつきます。

6-8万円程度のことでガタガタとしつこく言うなという発想も理解できますし、そこは我慢した方が得だよという考えも理解できます。「お上」に逆らうよりも大人しくしている方が得だという発想で正しい努力を否定するような考えが固定することを恐れています。鹿屋ハートセンターだけの問題ではなく鹿児島県の循環器医全体に関わる問題だと思っています。

裁判を提起すれば、審査委員も公の場で査定の理由を述べなければなりません。どうせ口頭で説明しなければならないのであれば面談の場で話をしてくれれば、余計な時間も裁判費用も発生しません。なのに何故かたくなに面談を拒否されるのか理解できません。やはり面談を拒否される審査委員会会長は公的なポジションにつくのにはふさわしくない人物だと思えてなりません。

裁判は最終的な手段だと思います。国保連合会を管轄する県や厚生労働省に面談してもらえなくて困っていると相談しましょう。また審査委員を県知事に推薦している医師会にも相談してみようと思います。拒否し続ければそのうちに諦めるだろうと思われているかもしれません。私の現役時代はもう長くないと思っています。後に続く後輩のために泥をかぶっても諦めない意思だけは持ち続けようと思っています。

2013年12月20日金曜日

鹿児島県で保険診療を行うのは疲れます。

 自分が正当な診療と考える医療行為を行ったにもかかわらず、その行為が否定された時、診療報酬支払基金や国民保健連合会をすぐに訴えてやるなどとはもちろん思っていません。なにゆえ、認められないのか説明を求めて納得し、次からの診療に活かしたいと思っています。

 しかし鹿児島県ではこんな当たり前と思える考えが成立しません。

 まだ解決していないのかと思われるでしょうが、2013年8月8日付当ブログ「なぜ血圧40の危機的なな状況で行った努力が鹿児島県国保では否定されるのでしょうか」に書いた大動脈バルーンパンピングの使用が査定された件が解決していません。

 当初、冠動脈造影時のIABPの使用は一連の行為なので算定できないと言われたために、そのようなルールはどこにあるのかと質問していました。事務方の回答はそのようなルールは存在しないので審査員による医学的な判断だと思われるので事務方からは回答できないと言われました。では医学的な判断で使用を認められないのはどうしてかと質問していました、救命のために努力されたことを否定しているのではない、「保険診療上、一連の行為は医学的に認められないのだ」と言われました。こんな言い方ではルール上認められないのか、医学的に認められないのか訳が分かりません。そこで多くの友人のアドバイスに従い、面談での説明をお願いしました。この経緯は2013年8月27日付当ブログ「鹿児島県国保 診療報酬審査委員会はいつから治外法権的な権限を持つようになったのでしょうか?」に書きました。面談して説明するなどということを鹿児島県ではやっていないと言われましたが何とかお願いできないかと申し入れ、ずっと回答を待っていました。しかし回答は来ませんでした。

 このためしびれをきたして12/18に私から3月前にお願いした面談はどうなりましたかと電話を入れました。すると12/19に審査委員会が開催されるので待ってくださいとの返事です。3か月間、待たせて明日相談しますとはなんという無恥なのかと思いましたが、昨日12/19を待ちました。回答は面談しての説明はしないということです。理由は平成10年に面談して説明したことが一度あったが、その時に暴力沙汰が発生したからだというのです。開いた口がふさがりません。十数年前に一度そんなことがあったからというのが説明の拒否理由になると思っているのでしょうか? その判断は診療報酬審査委員会の会長の判断だそうです。

 もう一度お願いしました。もう査定した診療報酬を認めろとは言わない、算定ルールにない査定を医学的には認めるが保険診療上は認めないという矛盾した回答では次のIABP使用時に困るのでよく説明してほしいとだけお願いしました。本日、回答を得ました。やはり面談は拒否です。

再審査制度を利用しないで、診療報酬の査定はおかしいと裁判を起こされた先生がおられました。厚生労働省の主張は再審査制度を利用してから訴えるべきだというものでした。ですから私は再審査をお願いし理由の説明を求めてきました。しかし鹿児島県国保連合会診療報酬審査委員会の回答は拒否です。

「訴えろと言うことですか?」と聞いても、「審査委員会の名簿の開示請求をしろということですか」と尋ねても先生の判断ですよねと言われるだけです。

診療報酬審査委員会の会長は鹿児島県知事の委嘱による人事です。もっとまともな人選をしてくれよと心から思います。開示請求をしたり裁判を起こしたりでおかしな医者だと思われるのではないかと嫌になります。でもこんなにいい加減な国保連合会であれば仕方がないのかとも思います。

鹿児島県で保険診療を行うのは疲れます。

 

2013年11月26日火曜日

耳に心地よい言葉は道を誤らせ、苦い言葉が正しい道を示してくれると思っています。


私は2000年8月に福岡徳洲会病院から大隅鹿屋病院に転勤しました。ただ、大隅鹿屋病院にはその年の冬頃から時々顔を出していました。大隅鹿屋病院の私の前任院長は、自由連合から衆議院選挙に2度にわたって立候補した人でした。

朝の医局会で驚きました。医局員から選挙にかまけて病院経営をないがしろにしているせいで病院はがたがたではないか、どうするつもりだ等と怒号が飛び交う医局会だったのです。こんな光景を知っている医師も、もう大隅鹿屋病院には残っていません。この前任院長と何度か個人的にも話をしましたが、言われても仕方がないなぁと思いました。医局人事は徳洲会の院長の仕事ではなく、本部の仕事だ等と言っておられたからです。私の感覚からすれば院長の仕事の大半は医局人事です。当時、大隅鹿屋病院は徳洲会グループ内の病院にあって最も経営の悪い病院でしたが、さもありなんと思っていました。

2000年の4月頃、前任院長は夏になると忙しくなるので病院をどうするかな等と言っておられました。どうして忙しくなるのかと尋ねたところ、夏には国会に行かなければならないからだと言われるのです。2000年6月の衆議院選挙で鹿児島5区で当選されたのは山中貞則さんです。盤石の地盤です。ダブルスコアで当選されました。予想通りの結果でした。前任院長のことを、この人は何を寝ぼけているのだろうと思いましたが、聞くと、自分を支持する人にしか会ったことがないと言うのです。当然です。支持しない人が何か言ってくるはずはないのですから自分に声をかけてくれるのは支持する人だけです。そうした周りを見て、現実が見えなくなってしまうことに恐怖を感じました。徳洲会は深く選挙に関わったグループですから多くの立候補者を見てきましたが、とても当選するはずがないと思われる人も一様に当選すると思っておられました。耳に心地よい言葉だけを聞いていると、誰にでもわかることが分からなくなります。

図は、私の名刺です。患者さんに配っています。1994年から患者さんにお渡しするようにしたのでもう少しで20年になります。携帯番号を記載しており、何かあったら直接電話してきても構わないとお話ししています。1999年、奄美大島宇検村でも医療講演を行った時にも同様の名刺を聞きに来てくれた方たちにお渡ししました。その時、「お前は偽善者だ」と批判されました。何故かと聞くと、小さな字で印刷された携帯番号をお年寄りが読めると思うのか、読めもしない名刺を配って善い人ぶってるから偽善者だと言われたのです。なるほどと思いました。以後、名刺に記載する携帯番号の文字はやや大きく太くするようにしました。批判が改善につながりました。

病院長を引き受け、病院の再建に取り組んでいる時に、ありとあらゆるところに出かけてご挨拶をしました。ある人には、「お前のところなんかに行ったら殺される」と面と向かって言われました。医師になってから初めての経験でした。しかし、良い経験でした。そんな批判にさらされなければ再建のための動機付けができなかっただろうと思っています。

こんなことは病院経営ばかりではありません。苦労してPCIを成功させ、心不全も離脱してうまく治療できたと思っていた患者さんがおられました。外来通院中、先生のおかげで助かりました、先生を神様のように思っています等と過剰なほどに言っておられた方でしたが、心不全が再発しICUで不穏になられた時には、「人体実験のようなことばかりして俺を殺すつもりか」とののしられました。不穏になり抑制がとれ、本音が出ればその患者さんの考えていたことは感謝ではありませんでした。

耳に心地よい言葉はもちろん聞いていて悪い気はしませんが、判断を誤らせます。一方、面と向かって医師や病院長に苦い言葉をぶつける人に嘘があるとは思えません。価値のある言葉は耳に痛い言葉だと思っています。

諫言を受け止める懐と、諫言をする雰囲気のある組織には未来があると思っています。耳に心地よい言葉だけで運営される組織があるとすれば、その将来が心配です。

2013年11月23日土曜日

昨日、音楽座ミュージカル「ラブ・レター」を見てきました。今朝も魂が揺れています。 

今週末は、以前からの約束を果たすために浜松に出かけていました。常葉大学健康プロデュース学部臨床心理学教授の中島登代子先生のお誘いです。大学院生に1時間半、話をしてくださいとのことです。それとは別に院生の発表するケースカンファレンスにも参加してくださいとのことででした。憂鬱でした。

心臓という、ハートとは呼ばれるものの感情を持たない臓器を専門とする私が何を語れるのだろうかと悩んでいたからです。感情を持たない心臓を患う方には、もちろん感情が存在します。大病を患い将来が見通せなくなったことで落ち込む方、重症であるがために厳密な安静を強いられて意志のコントロールがきかなくなる方、様々な心の動きが表出してきますが、なにかアドバイスをしたり薬物によるコントロールをしたりはしてきませんでした。なぜなら私であれば、内なる世界の自らの努力で前に進みたいと思うからです。私が望まないものを患者であっても他者に押し付けたくないからです。でも引き受けたことなので憂鬱な1時間半を無事に済ませました。ほっとしているところを、中島先生からこれから大阪に行って音楽座ミュージカル「ラブ・レター」を見に行こうと誘っていただきました。

ミュージカルは鎌倉勤務時代に横浜で四季の「キャッツ」、福岡に勤務してすぐにやはり四季の「オペラ座の怪人」を見て以来です。20年ぶりくらいです。商業的な舞台に、たいして感じるものもなく、どんな舞台であったかも記憶にありません。そういえば映画「レ・ミゼラブル」を最近見て、感じるものがあったなぁなどと思いながら、気持ちも乗らないままに大阪に行きました。

中島先生は音楽座で心理の講義をされたり、劇団員との面談もされています。私の前に院生相手にお話をされたのも音楽座の方ということでした。そうした中島先生と音楽座との関係もあり、開演前のリハーサルから舞台を拝見しました。リハが終わり、会場前のひと時に劇団員が色々と話す姿を見かけます。妙に明るいのです。例えば酒に溺れて社会人としては外れたような役者が、非日常の世界を演じる世界などに興味を持つ私がみると、健康な人たちが明るく歌って踊る舞台には興味がないのだけどなどと思いながら開演を待ちました。

「ラブ・レター」は、3・11の東日本大震災による大津波や、新宿のアウトローや偽装結婚がテーマです。重いテーマに明るい劇団員という組み合わせに期待はありませんでした。ぜひ、舞台を見ていただきたいので詳細は書きませんが、フィナーレで、座席が揺れる錯覚を感じ魂が揺れました。3・11を直接に経験した人にも、直接は経験しなかった私などにも3・11が無意味であるはずがありません。スマトラ沖地震の救援に出かけ、マグニチュ-ド8を超える最大余震を現地で経験した私にとってもより大きな揺れを感じました。自身の存在を問われたような感覚です。

高層ビルが立ち並び、おしゃれな人たちが楽しそうに闊歩する大都市にあって、すえたにおいのするガード下、東京であればそこに東北の影が存在します。関西人の私であればそこに九州が存在します。発展や成長のはざまに存在する負の部分は、個々の心にも存在するように思えます。そこに触れることで大地が揺れ、魂が揺れました。

3・11後にあいた空白を埋める提案などはある由もないですが、舞台に圧倒され空白を見つめざるを得ない私がいました。

大阪をあとにし、学会に向かう博多行き最終の新幹線車内で、ふと開演前のあの劇団員の健康な明るさは何だったのだろうと考えました。うかつでした。彼らは役者です。すでに演技が始まっており、開演前の明るさと彼らが演じる舞台の間でさらに私の魂が揺れていたのです。浅薄な私の感覚は見事に役者に踊らされていました。開演前に舞台は始まっていたのです。臨床心理学者にも触れながら舞台を作り上げる彼らの罠に見事にはまりました。心地よい敗北感です。

後悔すること、中島登代子教授に誘われて招待券で見たことです。自分の意思でみずから切符を購入して観るべきでした。

音楽座のWeb-siteは下記です。
http://ongakuza-musical.com/


2013年11月14日木曜日

宮城谷昌光さんの「楽毅」を再度、読んで考えました。

若いころと比べて読書の習慣が変わってきました。若い頃は多くの本を読みたかったのか、一度読んだ本を読み返すことを決してしませんでした。しかし最近は、繰返し読むことが増えました。今は、2度目の宮城谷昌光の楽毅を読んでいます。Facebookで知り合った先生に教えてもらった小説家です。

中山国の宰相の息子である楽毅は、中山に攻め込んできた趙の武霊王の軍を見て考えます。

「王が非凡であることは、その国にとって、幸なのか不幸なのか」

中華の伝統的な装束を改め、騎馬戦に適した胡服で戦うことを決め、胡服騎射で圧倒的な軍の強さを作り上げます。しかし趙には武霊王以上の人材がいません。戦いにも軍師が不要なほどです。全て自分で考え、自分で決定するために臣下が育ちません。

更に楽毅は考えます。

「真の名君は、臣下に聴き、臣下を信じ、臣下をうやまう人である」 自分よりも優れたものを持たない武霊王は後世、名君とは呼ばれないであろうと考えます。

優れたリーダーを持つがゆえに次代が育たず、国や会社や組織が次代に崩壊するとすればやはりそのリーダーの下の組織にいる人は不幸かもしれません。GEを建て直したリーダーとしてジャック・ウェルチが有名ですが、彼のキーワードがリストラやダウンサイジングかもしれません。後を継いだジェフリー・イメルトはGEの売り上げを60%増やし、利益を倍増させました。ウェルチの功績はGEの再建よりもイメルトを次代のリーダーに抜擢したことと言えるかもしれません。

「王が非凡であることは、その国にとって、幸なのか不幸なのか」

この言葉が心に響いたのは徳洲会の事件が世間を騒がせているからです。その中枢に在籍したものとして、徳洲会の将来を憂えているからと思います。

武霊王は、息子の謀反に会い、最期は餓死でした。

楽毅は武霊王の息子ではありません。三国志の諸葛亮孔明が憧れた人物です。姓が楽、名が毅です。

2013年11月7日木曜日

大事な薬を「悪」とは呼ばないでください

図は、先日 鹿屋で講演させていただいた「ワーファリン派の私が考えるNOACの位置づけ」の中で使用したスライドです。クレアチニンクリアランスは11ml/minです。現在使用可能なNOAC3種ともこのケースでは使用禁忌です。この方の心房細動に対する抗凝固療法はワーファリン以外では実施できません。INRの変動はあるものの1.6-3.0で良しと考えれば90%ほどの期間が治療域に入っています。また、2.0-3.0を治療域と考えても70%ほどの期間は治療域に入っています。結構良いコントロールができていると思っています。

このように抗凝固療法が必要だけれども新規抗凝固薬では禁忌のためにワーファリンを使わざるを得ないケースは少なくありません。Re-ALIGNでは機械弁患者でワーファリンとダビガトランを比較し、ダビガトラン群で出血や塞栓が多く、試験は中止されました。FDAでは機械弁患者でのダビガトラン使用は禁忌にするとも聞いています。機械弁患者の抗凝固療法でもワーファリンが唯一の有効な薬剤です。ですから私は勝手にOnly One Oral AntiCoagulant(3つのOの抗凝固剤、TOAC)と呼んでいます。

ワーファリンでのみ抗凝固療法が実現できている患者さんが内服している薬のことを「悪ファリン」と呼ばれたらどんな気分でしょうか。他の薬に替えてくれと思わないでしょうか、また、悪い薬を内服しないといけないと不幸に感じないでしょうか?

新規抗凝固薬は薬価も高く、製薬メーカーにとってはその収益に大きく関わるので宣伝のために講演会が盛んです。その中でワーファリンでしか抗凝固療法ができない患者さんが少なくないにもかかわらずワーファリンのことを「悪ファリン」だと言う先生が少なくありません。ある先生は、機械弁でワーファリンを内服していた方が大きな脳出血を起こしたとCT画像を示しながらよく講演されます。この患者さんには代替薬はなかったのにもかかわらずです。

近所づきあいが悪い(他の薬剤や食品との相互作用が多い)、気分にむらがある(効果が安定しない)等と欠点のある薬ですが、何十年も唯一の抗凝固薬として役割を果たし、今もワーファリンにしか救いを求められない患者さんは少ないないのですから、これからも循環器医にとってワーファリンは欠かすことができない重要なパートナーである薬剤です。

どんなに新規抗凝固薬の成績が良くても、その恩恵にあずかれない方が少なからず存在します。そうした患者さんに思いをはせれば、「悪ファリン」などとは言えないと私は思います。利益を追求する製薬メーカーの提灯を持つのは結構ですが、提灯を持つためにワーファリンにしか救いを求められない患者さんの存在を忘れる提灯持ちを私は軽蔑します。

2013年10月30日水曜日

PCI後の負荷心電図の変化を見て考える

 狭心症か否かを見つけるため、または、冠動脈に狭窄があるがその狭窄が心筋虚血を起こしているかを判断するために最も簡単な検査は負荷心電図です。Fig. 1の心電図はPCI前の心電図です。左冠動脈前下行枝#6に慢性完全閉塞があり、右冠動脈#1に90%狭窄も認めました。負荷後には心電図のII、AVF、V3-V6にST低下を認めます。典型的な陽性所見です。右冠動脈の狭窄であれ前下行枝の狭窄であれST低下する誘導はほとんどがこうしたパターンなので急性心筋梗塞のように心電図のST変化では部位診断はできません。
 Fig.2は右冠動脈に対するステント植込み後6か月の負荷後の心電図です。左前下行枝の完全閉塞は残っているもののST低下は認めません。前下行枝には心尖部を通って右冠動脈から良好な側副血行が来ています。何度もこの側副血行路を使って慢性完全閉塞に対するPCIをしようかと考えましたが、この側副血行路を潰した時のリスクを考えて踏み切れませんでした。最終的にはバイパス手術を受けて頂きました。

主要冠動脈に有意な狭窄があり、カテーテル治療で狭窄を解除したのだから負荷心電図は陰性になって当然だという考えもあるかもしれませんがことはそう簡単ではありません。PCIが始まった頃、当時はPTCAと呼ばれていましたが、PTCAの前後で負荷心電図を撮ったり負荷心筋シンチを撮像したりをよく行いました。しばらくするとPTCA後間もない時期の運動負荷は冠動脈の閉塞を招くことがあるなどと言われ始めたためにPTCA直後の運動負荷はしなくなりました。多分、今でも多くの施設でPCI後間もない時期の運動負荷試験は実施していないと思います。

PTCA実施後間もない時期に運動負荷を行っていた時、PTCA前に負荷心電図陽性であった方のほとんどはPTCA直後の負荷心電図も陽性でした。また心筋シンチで見ても虚血を示す再分布はよく観察されました。主要冠動脈の狭窄の解除後の虚血の解釈は様々に可能です。狭窄が十分に解除されていない、微小冠循環に問題が残っている、慢性虚血のために狭窄が解除されてもタリウムを心筋に取り込むような代謝が改善されていないといった解釈です。

PCI直後の負荷を行っていないので、確実とは言えませんが、ステント植込みを行って確実に主要冠動脈の狭窄を解除した方で運動負荷後のST低下を見ることが最近はまずありません。冠動脈狭窄を解除することで壁運動が時間をかけて改善してくるHybernationのような病態は確実に存在します。半年が経過してhybernationから覚醒したから負荷心電図も陰性なのだと言われればそれまでですが、バルーンだけで済ませていたPTCA時代にはやはり十分な拡張ができていなかったのだと昔を思い出して考えます。逆に言えばPCI後の運動負荷陽性を見た時には、微小循環や代謝の改善の遅れなどよりも狭窄の再発をまず第一に考えるべきなのだと思っています。

CTで冠動脈狭窄を簡単に見つけることが可能な時代になりました。しかし負荷心電図の意義がなくなったわけではありません。負荷心電図の経時変化を眺めながら、その意義や昔の解釈を思い出す秋の夜長です。

2013年10月24日木曜日

2番手からリーダーである首席になることは可能なのでしょうか

「前回 来られた時から今日まで調子はいかがでしたか?」と外来にこられた方にはお尋ねします。「何もなかったよ」との答えを受けて診察を終わり、「いつも通りの薬を出しておきますね」とお話しすると「ニトロも出しておいてくれよ」等と言われます。「では胸の痛いことがあったのですか」と聞くと「だからニトロを出してくれと言ってるのだよ」と言われます。こんな方は少なくありません。こちらから積極的に胸の痛みはなかったのですねと尋ねないと聞き落とす事があります。チャンと言ってくれよと心の中で思いますが我慢です。そんな答をいつもする方が心カテのために入院されました。枕元には北方謙三の「楊家将」が置いてあります。ぶっきらぼうでちゃんと症状を言ってくれないのでやりにくいと思っていた患者さんでも読んでいた本で印象が変わります。私も最近、北方謙三の「水滸伝」、「楊令伝」、「楊家将」、「血涙」を読んでいたので、共通した読書癖を見るとこの患者さんに対する好感度が上がります。

この文庫化された4シリーズだけで文庫40冊位になります。腐敗した宋に対する戦いを続ける梁山泊の話ですが、戦いを続けるための経済力である「糧道」や実際の戦闘時の「兵站」の重要性が登場する英雄の強さ以上に描かれます。組織の運営に共通するものがありインスパイアーされます。

宋が倒れ、江南に建てられた南宋の諜報組織である「青蓮寺」のリーダーである李富は次代のリーダーと考えていた郭元が梁山泊の諜報軍である「致死軍」に拉致されると、その次のリーダーには2番手も3番手も登用しません。所詮、2番手や3番手は2番手や3番手に過ぎないとの考えです。

組織における首席と次席は近い位置にいますが全く性格が異なります。かつて徳田虎雄先生は、院長は副院長の100倍の情報を得、100倍の判断が必要だと言われたことがあります。また小さな医療機関である鹿屋ハートセンターの運営でも、融資を受ける努力やその返済のためのプレッシャーなど勤務医時代と比較にならない私には重い責任です。こんなことを考えていた時に関東でPCIのライブを主催されている先生の言葉が目に止まりました。自分が主催できなくなった時に次を担うのは2番手の先生ではなく実力で決まるのだという一文です。組織内部で2番手が苦労しているのは良く分かっているがライブのリーダーは別だとのことです。やはり首席と次席は近いけれども性格が異なるとの考えです。

公選法違反容疑に対する東京地検特捜部の捜査を受けて徳洲会の徳田虎雄理事長が退任され、長く次席を務められた先生が新しい理事長に就任されました。私も徳洲会の専務理事時代に専務会で議論を交わした先生です。20年以上も次席を務められた先生なので順当な選出であるとも言えます。しかし首席と次席はやはり似て非なる存在だと思います。新理事長の立場で考えればこのような状況で首席を引き受けられるプレッシャーは決して小さくないものと思います。また首席と次席は本質的に異なるということもよく承知されていると思います。難局を引き受けられた責任感に敬意を表したいと思います。誰しも初めから首席ではありません。所詮、2番手は2番手に過ぎないのだと思われることを十分に知っておられる先生です。初めて首席として勤められるお仕事に期待し、新しい時代を築かれることを願っています。

2013年10月18日金曜日

PCIの術者であり続けられることの幸せ

Fig. 1
1977年にGruentigよって人の冠動脈に対する初めてのPCI(当時はPTCA)がなされました。1979年に医師となり循環器医を志した私はPCIの歴史とともに医師としての人生を歩んできました。若い頃には心カテが上手くなりたいと思い、PCIが日本に導入されると早くPCIの術者になりたいと願い、術者になればより困難な治療を自らの手でできるようになりたいと思ってきました。

Fig. 2
しかし、年齢を重ねることは避けることはできません。部長となり、院長となり、組織の幹部になるにつれて後輩に術者を任せ、後輩の育成や診療科や病院の経営にタッチせざるを得なくなります。若手の育成はともかく、より良い術者であることを目指して努力してきたわけですから経営などわかる筈もありません。ただ年齢を重ねただけで経営に携わるようになった医師で、素晴らしい経営者になった人はあまり見ません。それはセンスがないのではなくそんな勉強や修練をしてこなかったからです。

 2000年に院長となった時にいずれカテを置くのだから、自分が思っていたのより少し早くなっただけだと自分に言い聞かせていました。思いがけず徳洲会を退職し2006年に鹿屋ハートセンターで再びカテを始めるまで、ほとんどカテは触りませんでした。メスを置いて開業した外科医が再びメスを持てるのか、カテを置き管理職や開業した自分が再びPCIの術者に戻れるのかなどと考えていましたが、患者さんに迷惑をかけるような術者ではないだろうと自分なりに思っています。また、再び術者に戻れたことを幸せだと思っています。若い頃からずっと目指してきたことだからです。病院の院長や大きな組織の幹部を目指してきたわけではないからです。

Fig. 3
Fig. 4
本日のブログの患者さんは以前にも書いた方です。2年半前に主幹部病変が原因で不安定狭心症となり、ステント植込みを当院で実施しました。その後、再狭窄もなく安定しておられましたが再び労作時の胸部症状が出てきました。140㎝しかないのに75㎏と高度肥満です。痩せろと言っても膝が痛くて歩けないので痩せられないと言い訳ばかりです。膝が痛いのも冠動脈が悪くなるのも肥満が原因だと言っても聞いてくれません。もちろん努力しないで悪くなるのは自業自得だなどとは言えません。悪くなれば治療をするしかありません。ストロングスタチンを内服して比較的よくLDLは下がっていましたがここに来て急上昇です。こんな方がよくいらっしゃいます。LDLが急に上がった時に冠動脈も悪くなっているというパターンです。これも以前に書きましたが、経過を見ているとLDLが上がったから悪くなったというよりも冠動脈が悪くなるとLDLが高くなるという風に見える方です。

Fig. 5
本日の造影では左冠動脈主幹部のステント植込み部に再狭窄は全く認めませんでした。2年半前の造影時(Fig. 2)には50%ほどの狭窄であった#2が今回の造影では亜完全閉塞です(Fig. 4)。上肢からのカテもかつて行ったことがある方ですが、その時には鎖骨下動脈の蛇行と、短い上行大動脈の半径の短いアーチのために造影すらできませんでした。そのためにそけいからのアプローチです。そけいにかぶさる脂肪を引き揚げながら穿刺するというような状況で日を改める気にはなりませんでした。そのために亜完全閉塞ですがAd hocです。もちろんこの冠動脈の状態はCTで予想していました。僅かに見えるルーメンをトラッキングするために最初にXT-Rを使用しました。しかし、高度狭窄が一旦終わり拡張した部位(Fig. 4 yellow allow)でワイヤーは反転できず前に進めませんでした(Fig. 5)。次いで使用したのはGaia 1stです。ワイヤーを替えXT-Rが超えなかったところで僅かに回転を加えるだけでスッとワイヤーは進みました(Fig. 6)。押す力はほとんどかけていないので穿通力ではありません。Gaiaの売りであるTorque controlとDeflection controlがよく活かされたと感じました。ワイヤーが通過すればあとは簡単です。前拡張し、IVUSで血管径を評価し薬剤溶出性ステントを植え込んで終了です(Fig. 7)。

Fig. 6
左冠動脈主幹部で生命の危機を経験しても痩せる努力はしてくれませんでした。今回こそ、頑張ってくれると良いのですがなかなかままならないのが現実の臨床です。叱ったり誉めたりしながらの付き合いです。逆に患者さんから怒られたりもしますが不思議とこんなやり取りは嫌ではありません。うまく治療できたのでこれからもこの方との医師と患者としての付き合いは続きます。

 一旦カテを置き、管理職となってからの再デビューなので不安もありましたが、何とかやっていけていると思っています。何時までもできる訳ではないことは承知していますが、今は目指したものを貫徹できる幸せを感じていたいと思っています。

Fig. 7





2013年10月16日水曜日

右向け右と号令をかけても誰も従ってくれなければリーダーは哀れです。

平成16年(2004年)12月25日付の有限責任中間法人徳洲会の専務理事の任命書を理事長である徳田虎雄先生から受け取りました。有限責任中間法人徳洲会は現在の一般社団法人徳洲会の前身です。辞令の翌日にはスマトラ沖地震が発生しました。一報は開院間もない山形徳洲会病院で聞きました。徳田虎雄理事長からすぐに現地に飛べと言われ、そのまま帰宅もせずにタイ・プーケットには12/28に着きました。プーケットの行政当局からは医療は間に合っているから支援は不要だと言われましたが、実際に調べてみるとプーケットの北部カオラック海岸の被害は甚大で、そこで発生した患者を受け入れていたタクアパ病院では患者に対応できず、病院閉鎖も考えているとのことでした。そうした窮状を知り、タクアパ病院の支援を決定し、2005年の正月はタクアパ病院で迎えました。この支援活動では元バンコク知事で、タイの副首相も務められたチャムロン氏が段取りをして下さったのでタイの医師免許も持たない私たちの医療活動もスムーズでした。

一方、スマトラ沖地震で最大の被害を受けたインドネシア・バンダアチェへの支援に向かったチームの活動は困難を極めました。政府がアチェ州への外国の医療チームの受け入れを制限していたからです。このため徳洲会による本格的に復興支援は2005年3月になりました。被災から3月が経過していたにもかかわらずバンダアチェ最大の病院であるアビディン病院はまだ泥まみれでした。循環器診療しか知らない私にとってインドネシアでの支援は初めて経験することばかりでした。タイにおけるカウンターパートであったチャムロン氏のような人物がいなかったために、ジャカルタの日本大使館への現地入りの届け出、インドネシア政府や現地警察への現地での活動許可申請、国連の支援組織(OCHA)への活動の届け出等初めて経験することばかりで戸惑いましたが、良い経験でした。海外で医療活動を行うことは当然のように簡単ではなかったのです。得体のしれない組織の人間に医療活動をさせる訳にはいかないので日本政府の認可を受けたNGOの法人格を持っていた方が良い等ということもこの時に知りました。そうした勉強を経て誕生したのが徳洲会のNPOであるTMATです。

アチェでの支援活動は評価され、徳洲会はインドネシア政府から感謝状も頂きましたし、アチェを訪問された当時の小泉純一郎首相の主催されたアチェでの昼食会には、徳洲会を代表して私が出席しました。

2004年12月から2005年5月まではほとんど家族の住む鹿屋には帰れませんでした。帰国後も全国の徳洲会病院で報告会を開くように徳田虎雄理事長から指示を受け北海道から沖縄まで飛び回っていたのです。忙しく過ごしていたある日のこと、急に東京に呼びつけられました。私を批判する会が開催されたのです。「徳洲会の全体の利益を考えずに新井個人が目立とうとするパフォーマンスばかりしている」と批判されました。私生活を犠牲にして、家にも帰らずに指示を受けて飛び回っていたことを批判されたのですから、私の身の置き所は徳洲会にはないと考え、専務理事の辞任のみならず、徳洲会の退職を決断しました。「新井は専務の仕事を勘違いしている、専務理事は自分の考えを持たずに理事長の考えを伝えるだけで良いのだ」と言われたことも決定的でした。であれば私が専務理事である必要などないと思ったのです。

批判され、退職を余儀なくされた私ですが、実はホッとしていました。忙しくしている最中のある日、徳田虎雄理事長が「自分の次の時代の徳洲会は新井の肩にかかっている」と言われたことがあったからです。どう考えても、徳田理事長の能力と比べてはるかに自分の能力は劣っていると自覚がありましたし、私がリーダーシップを発揮しようとしても徳洲会全体が同じ方向に向いてくれるという自信がなかったからです。自分には自信がありませんと辞退するよりも追い出される方が自分は傷つかなくて幸いだという気持ちがありホッとしたのです。

先月から報道される徳洲会の公職選挙法違反容疑での東京地検特捜部による捜査を受けて報道が盛んです。徳田虎雄理事長も理事長職の退任を明言されました。私から逃げ出したわけではありませんでしたが、ホッとした自分の気持ちを覚えていたために、徳洲会の再生に力を貸せない自分が逃げ出したように気がして、ずっと鬱でした。ですからブログも更新できなかったのです。

右向け右と号令をかけても誰も従ってくれなければ、リーダーは無力です。リーダーを担ぐ人たちにとって号令をかけるリーダーは強く映るかもしれませんが、誰も従わないリーダーは無力ですし、哀れです。そうなることを恐れた私はやはり逃げ出したような気がしてなりません。まともなリーダーであれば自分が無力で、多くの支えがなければ何もできないということ知っていると思います。離島へき地医療や災害への救援活動で他に例を見ない活動を行ってきた徳洲会の健全な再建を願っています。次代のリーダーには瑕疵のない手続きを経て選ばれたリーダーだからというだけではなく、理念を共有する仲間が結集できる真のリーダーを期待しています。

2013年10月10日木曜日

顧客の (この場合患者ですが、) 安全を考えない企業は製薬メーカーにも存在しました

 高速道路で自動車を運転する時にR=300のカーブを時速80kmで走行するのだからハンドルを何度切ればよいか等と考える人はいません。視覚情報で修正しながらハンドル操作を無意識に実行しています。これと同じで冠動脈のカテーテル治療時のワイヤー操作なども1cm先に分岐があるからそこでワイヤーを何度回転させて等とは考えていません。視覚情報から指の操作を修正してワイヤーを進めています。運転と同じようにほぼ無意識の操作です。

このように無意識に操作しているのはワイヤーだけではありません。冠動脈造影をする時に太い血管で血流が豊富な時には同じ強さで造影剤を注入すると十分な造影ができないために、十分な造影ではないと判断すれば自動的に強く造影します。また、小さな血管であれば力を弱めて造影しています。これも長年の間に身体にしみついています。こうした感覚を若い先生にも身につけて欲しいので、最近 流行ってきた自動注入器による造影は当院では導入していません。ただ、OCT検査時の造影剤注入のために導入しようかなどとは検討しています。

冠動脈に造影剤を注入する時に神経を使っているのは空気が混入しないようにすることです。エアーの入っていない閉鎖回路であっても万一のエアー注入を避けるために造影剤を打ち込むシリンジのお尻は常に上方に向けるのです。これも体に染みついた動作です。

当院では造影剤検査後のボトルのゴミの分量を減らすためにプラボトルを使用してきました。ゴミも減少し、気に入っていたのですがある時からラインとボトルの接続部からエアーが入ることが多くなりました。患者にリスクを負わせる問題なのでラインメーカーにクレームを入れたところ、実験をしてくれました。トルクの測定器をつけたコネクターをプラボトルに接合しどのくらいの力でエアーが入るほど変形するのかを調べてくれました。図です。問題はラインのコネクターではなくボトルのコネクターでした。わずかな力で変形し、そこからエアーが混入していたのです。

プラボトルの造影剤のメーカーは国内3位の製薬メーカーです。大企業です。エアーの混入で患者に大きな問題が起きないように当院ではガラスのボトルの造影剤に変更しましたが、メーカーには他のユーザーのところで患者の生命に関わる重大事故が発生する前に製品を回収し、プラボトルのコネクター部を修正した上で再発売するのが良いと思うと話しました。

昨日、メーカーの方が来院されました。製品はそのまま発売し続けるとのことでした。そしてこの製品にはエアー混入の報告があったので注意して使ってくださいとアナウンスするということでした。

呆れました。患者の生命に関わる事故に繋がりかねない欠陥を持っていながら発売し続けるという判断もそうですが、事故が起きた時に医師には注意喚起していたのだから事故が起きたら医師の責任だという考えが見え見えだからです。患者という顧客・医師という顧客双方に対する背信です。
説明に来られた東京本社の担当者いわく、そうとう上の判断だそうです。

雪印乳業の食中毒事件、不二家の期限切れ原料使用事件、三菱自動車のリコール隠し、最近ではJR北海道の杜撰な線路の保守が原因の脱線事故、みずほ銀行の暴力団への融資などそうとう上の判断で会社の存続を揺るがす事態になった教訓はこの会社では活かされていないようです。

この製品を使っている先生方は本当に注意してください。メーカーの言う注意して使ってくださいは、注意喚起したから問題が起きれば先生方の責任ですよという意味です。

私はこの会社の造影剤の長いユーザーです。決して悪い印象は持っていませんでした。この決定をしたそうとう上の立場の人の問題と信じたいです。ただ会社の決定の責任は会社の責任です。患者の安全を第一に、またユーザーである医師の安心できる使用のために再考をお願いしたいと思っています。

2013年9月27日金曜日

そんなやつ、おらんやろー と腹が立ちましたがiPhone5sはsoftbankと契約することにしました。

 そんやつ、おらんやろーというのは大木こだま・ひびきの有名なギャグですが今日はそんなやつおらんやろーという話です。

2013年9月16日付当ブログ「実質0円というまやかし」の中でiPhone4sを使い続けるよりもキャリアを変え5sに変更したほうが得みたいだと書きました。前回はau継続、docomoへのMNPの2社の比較でしたのでsoftbankのショップにも聞いてきました。

ニュースでも下取りがあるなどと言っていましたし、図2のようにsoftbankのwebsiteでもMNPのお客様にはスマホ下取り割があると書いてあります。2年間にわたって-1000円ですから今後2年間の支払いは24000円減るわけで大きな割引だと期待していました。しかし、ショップの店員に聞くとソフトバンクの携帯は下取りするが、他社の携帯は下取りしないと言われます。MNPを求める他社のユーザーがsoftbankの携帯を持っているはずがないので、ショップの店員は何も知らなくて困ると思い、softbankに電話してごらんとお話ししました。するとsoftbankのiphone担当という方も同じことを言われます。図4の店頭で配っているチラシにもMNPで下取り割があると記載され、チラシにはsoftbankの携帯しか下取りしないとは書いていないので、担当の方にあなたも勉強しないといけませんよとお話ししました。

そして本日、softbankのカスタマーセンターからお電話を頂きました。sodtbankの携帯しか下取りしないというのがルールだとやはり言われます。他社からMNPで来る人がsoftbankの携帯を持っているはずもないのにMNPで下取りするというのは誇大ないし虚偽の広告ではないかとお話ししたところ、以前にsoftbankの携帯を使っておられ、MNPで他社に変わった後、また帰ってくる人ならsoftbankの携帯を持っているのだからそういう人には書いてある通りに下取りします、だから虚偽でも誇大でもありませんと言われました。

かつてのsoftbankユーザーでスマホを所有しており、他社にMNPで移って、また古いスマホを持ってsoftbankに帰ってくるなんて人がいるのでしょうか?

そんなやつ、おらんやろー って思います。まあ仮にそんな変わった人がわずかにいても、そのわずかな人のためにwebsiteで大々的にキャンペーンを張り、チラシを配るのでしょうか?

不当景品類及び不当表示防止法という法律があります。その第4条には下記のように書いてあります。

次の各号のいずれかに該当する表示をしてはならない

二 商品又は役務の価格その他の取引条件について、実際のもの又は当該事業者と同種若しくは類似の商品若しくは役務を供給している他の事業者に係るものよりも取引の
相手方に著しく有利であると一般消費者に誤認される表示であつて、不当に顧客を誘引し、一般消費者による自主的かつ合理的な選択を阻害するおそれがあると認められるもの

まさにこの第2号に該当する表示だと思います。

そんな人もいる筈だから嘘じゃありませんというカスタマー担当やsoftbankに腹が立ちます。しかし、それでもdocomoにMNPで移るよりも割安なので契約した私にも腹が立ちます。他社より割安なのだから、こんな誘引策で消費者を欺いて怒らせるよりもこんなキャンペーンをしなければよいのにと思います。

できもしない期待を煽って顧客を裏切ることで、期待を煽る側も失うものは少なくありません。他山の石としなければなりません。


注: おおきこだま・ひびきさんの図は下記のブログから引用しました。お断りをブログに残してきましたが、主様から駄目よと言われれば削除する予定です。
http://gockygocky.jugem.jp/?month=200712

2013年9月22日日曜日

共に働いた仲間と彼らの成長が私の人生の最大の宝物です。

私が専門とする冠動脈のカテーテル治療の分野はその創成期からライブデモンストレーションという、実際に行う手技をみんなが見ながら勉強するという手法で発展してきました。PCIを始められたGruentig先生の頃からです。現在もライブデモンストレーションは盛んで日本中であるいは世界中で頻繁に開催されています。このライブデモンストレーションコースにはFacultyと呼ばれる役員が選出されておりそのFacultyに選出されることは名誉でもありますし、一人前に認められた証のような面もあります。

かつて一緒に働いた仲間がその病院を退職して他の病院に移動した後、年間数百件のPCIを独立した術者・部長としてされるようになりました。 彼も一人前の術者として認知され、大きなライブデモンストレーションコースのFacultyにと声をかけられました。しかし、それは実現しませんでした。元いた病院のかつての上司が「あんな奴をFacultyにするな」と反対されたからです。こうしたケースはあまり聞いたことがありませんでした。問題のある先生がFacultyに選出されたとしてもライブでの発言などに問題があれば自然に淘汰されるからです。数百件のPCIを行う術者を話も聞かずに拒絶することはあり得ないと思っていました。更に私が知る限り彼はまともな術者でした。

こんな風に共に働いた仲間をその転勤後に悪く言ったり足を引っ張ったりする医師や組織は現実に存在します。品性に問題があるのではないか等と思ったりします。

昨日 9/21にこうしたこととは全く逆のことがありました。私は1994年から2000年まで福岡徳洲会で勤務し、考えがあり鹿屋に志願して転勤しました。私が福岡徳洲会病院に転勤する前である1991年からの福岡徳洲会のPCI件数の推移が下段の図です。私が転勤する前までは80-90件のPCI件数であったものが私の着任後に250、400、480件と件数は急速に増えました。その後 鹿屋への転勤に伴って後の部長を現在の部長である下村先生にお願いしましたが、彼は私が築いたもの以上のチームを作り上げてくれました。2005年にはPCI件数は1000件を超え、国内の件数では10位以内にランクされるチームを作り上げてくれたのです。当時 彼はまだ30歳代で全国で最も若い1000件のチームの部長でした。


その彼が昨日、熊本で開催されている心臓病学会に合わせて私が福岡に勤務していた頃の仲間を集めてOB会を開催してくれたのです。その中で私をメインのゲストにしてくれ1時間の講演をさせて頂きました。私が着任した頃には研修を終わったばかりだった先生もその多くが色々な施設で部長になりました。下村先生は副院長です。福岡大学の講師になった西川先生は来年のCVIT九州地方会の会長です。上段の共に働いた仲間が実施するPCI件数の合計は年間に2000件を超えると思います。彼らの力で一人前になったことは間違いがありませんが彼らが若かった頃に部長として共に働いたことは私の誇りでもあります。そうした場を作ってくれた下村先生の品格に感動しました。彼の今のチームには巣立っていった仲間もずっと通い続けています。彼が26歳で私と共に働き始めてその品格と努力と実力で、はるかに私を超える存在になり、私の一番弟子だと言うのも恥ずかしいくらいです。

成長し、共に働いた時間を大切に思ってくれる仲間の存在があり、幸せな気分です。彼らのさらなる成長のために私に、もし役割があれば精一杯の応援や援助をしたいと思います。彼らを私の人生の宝だと思える品性を持ち続けたいものです。

2013年9月16日月曜日

実質0円というまやかしを何故 当たり前にニュースで流すのでしょうか?



私は1954年生まれです。高度経済成長期を学生と過ごし、社会人になって日本のバブル期を経験しました。バブル期には必要がないものまで浪費するような人たちを身近に見ました。しかし、幼少期に物を大事にしなさいと言われたことはどうしても自分の思考から消えません。使えるものであれば大事に使おう、必要もないのに買い替えるのはもったいないというのが考え方の基本です。鹿屋ハートセンターも間もなく開設丸7年が経過します。リース契約も終了し再リースで使い続ければ年間のリース料負担は10分の1ですから随分と楽になります。それを見て新しく機器を更新したらいかがですかと営業してくるメーカーさんも少なくないですが、現行の機器が使い物にならないあるいは新製品の機能が著しく向上しているというのでなければ無駄な機器の更新はしないつもりです。

私が今使っている携帯電話はiPhone4sです。2年前から使っています。携帯各社が同様に行っている2年縛りが終了し更新の時期が来月に迫っています。2年間、機器の代金を支払ってきたと思っていたので更新後には毎月の負担がいくらに減るのかショップに行って聞いてきました。ホームページには新しく購入する人や機種変更の人に負担は説明してありますが更新後にはいくらになるか書いていないように思ったからです。ショップの答えは2年契約の更新後も月々の負担は同じというものでした。

私の契約しているauでは

私のiphoneは4s 32Gですが機種を変更せずに契約を更新した場合
今後2年間の負担は170,832円とのことです。

これを5c 32Gに機種変更すると
今後2年間の負担は4sの下取りを引いて172,888円とのことでした。

わずかに2,000円の差です。

過去2年間は機種代金を割り引いていただけで2年間で170,832円は妥当な通信費ということでしょうか?全く違うと思います。実質0円という名目で販売し、通信費で回収するというビジネスモデルとしか考えられません。通信費に機種代金が上乗せされており、なおかつ機種代金を回収した後も、同額をその後も取り続ける仕組みだと思うと、こんなビジネスが許されるのかと思います。

docomoにも聞いてきました。

5c 32Gで今後2年間の支払総額は165,192円

5s 32Gで今後2年間の支払総額は175,272円とのことでした。

物を大事に使うよりも機種もキャリアも更新した方が得なようです。

図はdocomoで機種を一括購入した際の月々の負担だそうです。この場合、月々の負担は機種代金の24分の1だけ安くなっているので、実質0円といっても機種代金を通信費に上乗せしていますよということがよく分かります。であるならば機種代金を支払い終わった2年後も同様に機種代金を上乗せしていない通信費で利用できるのでしょうか?

新しく5sや5cが発表された際に5cは99ドル等と報道されました。しかしこの価格は米国でも2年間の契約をした際の価格で本体価格ではありませんでした。このような形で報道するならば新しいiphoneは日本では0円で販売すると報道するのでしょうか。実質0円というのはまやかしです。

子供の頃、「物を大切にしなさい」と同時に両親に教えてもらった言葉があります。「ただほど高いものはない」です。

2013年9月13日金曜日

Xience prime stent植込み後2か月でOCT検査を行いました。 内皮化が完成しています。

Fig. 1 Two months after Xience prime stent implantation
札幌ハートセンターの藤田先生が「心臓の病気で死なせない」という著書を出されました。心筋症などで実際にはすべての心臓病で死を免れない訳ではありませんが、藤田先生や私が専門とする冠動脈疾患では、受診されない方は別にして、ほとんどもう心臓死はしないだろうと思っています。日本人の死因の1位が悪性疾患で2位が心臓、3位が肺炎ですから、心臓死を免れる方の多くは悪性疾患で亡くなられるのだろうと思っています。ですから心臓では死なせないぞと思う一方で、悪性疾患を見逃さないようにしなければといつも考えています。

「今回は胃薬を出しておいてください」と言われても私は安請け合いをしていません。最近内視鏡検査を受けたかを聞いて、受けている方には処方しますが、受けていない方にはまず内視鏡検査をお勧めしています。すると続々と胃癌の方が見つかります。また「便秘薬を下さい」という方にも同様です。下部内視鏡検査をお勧めしています。OCT像を示した図の方も便秘を訴えられたので内視鏡検査をお勧めした方です。悪性疾患が見つかりました。この方は2か月前に薬剤溶出性ステントを植え込んだばかりの方です。わずか2ヶ月で抗血小板剤を中断して手術をしていただいても良いのかと思いましたが、最近の薬剤溶出性ステントでは内皮化が早く完成すると言われているので本日OCTで評価しました。ほぼすべてのストラットで内皮で覆われていました。もちろん、だからといって抗血小板剤を中断してステント血栓症が起きないという保証はありませんが可能性は低いと判断しました。手術を受ける施設も近くなのでなにかあればすぐに対処するように考えています。

この1ヶ月で悪性疾患の手術を控えて、OCT検査を実施した方はこの方で3例目です。今年になって10例以上です。その中でこの方が植込み後 最も早い段階で見つかった方です。早く見つかったことで良い将来が来ることを祈っています。ステントの内皮化が完成しており、手術の邪魔になりそうではないので幸いでした。

注 この方は悪性疾患の存在を告知されており、ステント植込み後2か月で手術可能か否かを断言できる医師はいないのでこの2か月後のOCT像をUPさせて頂いても良いかとお聞きし、了解を得ました。

2013年9月10日火曜日

胸痛の自覚があり、受診される方と受診されない方 運命を分ける行動

鹿屋ハートセンターがある鹿児島県大隅半島の最大の河川は肝属川です。きもつきがわと読みます。大隅半島は日本一 養鰻業が盛んな土地ですが、肝属川の河口もウナギシラスがかつてはよく採れたそうです。しかし、最近は汚染が進み、時に九州で最も汚染の進んだ一級河川と言われることもあります。地元でも汚染を何とかしようと定期的に地元の有志が集まって肝属川クリーン作戦と呼ぶ清掃作業を行っておられます。

 今年のクリーン作戦に参加していた方が亡くなったと聞きました。作業中から胸が痛いと言われていたそうです。その話を知ったのはやはりクリーン作戦に参加されていた方が時々 胸が痛いと受診されたからです。身近でそんなことを見たので心配になったとのことでした。その方の冠動脈CTが図です。左冠動脈前下行枝に中等度の狭窄がありプラーク内への造影剤の染みだしを認めます。閉塞には至らないプラーク破裂と考えました。抗血小板剤であるバイアスピリンとカルシウム拮抗剤、スタチンを処方しました。禁煙もお願いしました。また内服していても胸痛があればすぐにニトログリセリンを舌下すること、強い胸痛があれば夜半でもハートセンターに電話連絡するように本人と奥様に説明しました。きっとうまくプラークを安定化させることができると思っていますし、万一、大きな発作があってもすぐに連絡して下されば対処できると思っています。

時々、胸痛があるという方の生死を分けるものは心配して受診するか否かだと思っています。胸痛の自覚があったにもかかわらず受診されずに亡くなった方、その方を見て受診された方でその後の運命は大きく変わります。どんなに優れた医師であっても受診してくれない方を治療することはできません。医師が心筋梗塞を治療して救命率を上げる努力をするよりも、本人が前駆症状の段階で受診することで救命率は向上します。心配して受診することが大切なのです。

冠動脈CTのなかった時代に冠動脈のプラーク破裂を見つけるのは簡単ではありませんでした。しかし、現在は本当に簡単になりました。人口10万人の鹿屋市内には4つのPCIができる施設があります。64列CTを持つ医療機関は5施設です。2000年まで医療過疎と言われた大隅半島はいまや国内でも最も循環器診療が濃厚に提供される土地に変わりました。この環境を活かして国内でも最も循環器診療に関して安心できる土地を作り上げたいものです。提供する側の準備は万端です。あとは受診する皆さんの行動次第です。

2013年9月4日水曜日

症状を繰り返すためやむなく小血管のPCIを行いました。

 2013年8月初めに左前下行枝近位部の90%狭窄に薬剤溶出性ステントの植え込みを行った方です。退院後1ヶ月の間に4回のNTG舌下が有効な胸痛がありました。1回は冷汗も伴いました。このため造影したのが上段の図です。

#6にはもちろん再狭窄はなく#12の更に分岐にのみ90%狭窄を認めます。これは前回のLADに対するPCI時と同様の所見です。前回の造影時にこの病変の認識はありましたが小血管でありPCIを全く考慮しませんでした。多少、胸痛があったとしても私の場合、小血管にはPCIをしないことがほとんどです。2.25㎜のDESが使えるようになり、小血管でもDESの優位性を示す文献も出てきていますが、小血管同士の分岐部にDESを置いて本当に再狭窄を最小化できるか疑問に思っています。

2013年4月7日付当ブログ「2.25㎜の薬剤溶出性ステントのリリースに際して考えること」に記載したように私は最終拡張目標径が2.5㎜の血管に2.25㎜のDESを植え込むことは想定していても2.25㎜で終わろうとか、2.0㎜にするべく低圧で置こうということは現時点で想定していません。また。2.5㎜未満の径のBMSの成績も期待できないので最初からPCIをしないというのが基本的な考えです。

とはいえ1か月間で4回もNTG舌下が有効な胸痛があり心配して予定外来日よりも早く来られた方を流石に放置できません。PCIをすることにしました。ステントを置くならどうするか、#12の中の分岐部をどう処理するかなどを考えましたが一晩考えて出した結論はバルーンだけで終わるという方針です。

小径の冠動脈に対するPOBAですから予想される再狭窄の頻度は小さくありません。勝手な印象ですが。こうした小血管は再狭窄を繰り返してもそのうちに症状も出なくなると思っています。そんな印象通りの経過を期待してPOBAだけで終了です。

2013年9月1日日曜日

私の志向を決定づけた三角形 59歳の誕生日に思う

昨日 8月31日は59回目の誕生日でした。2年前の誕生日に書いた当ブログ「あっという間に57歳です」を見た福岡済生会病院の芹川先生から44歳の頃は何をしていましたかと尋ねられたので「若き志士たる医師の活躍」を書き、その中で私の尊敬する恩師である入野忠芳先生のことを書きました。そんなことを思い出していたらまた、入野先生のことを思い出してしまいました。

1979年に医師になった私が初めて就職した病院の副院長が入野先生でした。院長は退官教授が名誉職的に就任された方でしたので実質的な院長です。医師になったばかりの私に医師として意識すべき三角形の話を入野先生はしてくれました。図です。

学問を追求するばかりで患者のことを考えなければ、人体実験に走ったりなどという間違った医学者になってしまう。一方、患者のために頑張ると言っても医学的な知識や技術を伴わずに患者に向き合えば志は高くても患者を傷つけてしまう。また、どんなに学問的に優れ、患者中心の医療と言ってもそれを支える経済的なバックボーンがなければ絵空事だというような教えでした。私の医師としての35年を振り返れば、1年目に入野先生から聞いたこの三角形をいつも意識し軌道修正してきた35年であったように思います。

1994年に福岡徳洲会病院の循環器部長として九州に来た頃、福岡都市圏一番のPCI施設を作り上げようと意識していました。そのためには学会でのポジションが大事だと考えありとあらゆる学会や研究会で発表し、発言してきました。インターベンション学会や循環器学会はもちろん、AHA等でも発表を行いました。三角形の上の頂点を意識して行動していたのです。39歳です。

しかし、入野先生の三角形が心の深いところにあったからでしょう。対馬との出会いがあり私の方向性が変わりました。インターベンション学会の評議員になり、いずれ理事になり、学会やライブを主催するのだと思っていた気持ちが薄れ、学会の頂点を目指したとしても対馬の患者も鹿屋の患者も救われないではないかと考え、遠隔PTCAの試みや鹿屋への転勤など底辺の右側の頂点に志向は変化しました。その頃、福岡徳洲会病院循環器科のホームページに「私は頂点ではなく底辺を目指す、何故なら頂点は1点であるが底辺は広大だからだ」等と書いたことを思い出します。44歳頃です。

今思えば、若くて思慮が足りないなどと自分自身で恥ずかしく思います。頂点が尊いと書こうと思えば頂点が高ければ高いほど誰からも見ることができるのだというように表現することも可能です。なんとでも表現は可能で、頂点も底辺もともに尊いというのが正しいのだと59歳の今は思います。

鹿屋ハートセンターを立ち上げて7年です。PCIの枠の外に置かれた地方を放っておけないと始めた鹿屋での仕事も経営的にも安定し、志した仕事は曲がりなりにも実行できていると思っていますが、志は高くても提供しているものが低いということになっていないかと恐れています。そんな気持ちで勉強もし、学会にも顔を出すように心がけています。上の頂点を疎かにしてはいけないという気持ちが高まっているのです。とはいえ、もう学会でのポジションなどと考える年齢でもありませんし、それなりの勉強をし、それなりの役割が果たせれば良いかなと思っています。

そんな中で、来年のCVITの地方会を福岡大学の西川宏明先生が会長を務めることを知りました。私が福岡徳洲会病院の部長であった時にともに働いた先生です。一緒に働いた頃はまだ30歳ほどであったと記憶しています。駆け出しのPCI術者でしたが成長し、対馬にも行ってもらった先生です。

私個人が評価され高みを目指すことよりも、ともに働いた仲間が高みに登り底辺を拡大しという形の方が、35年間意識してきた三角形をより大きくします。共通の価値観を持つ仲間が評価され、高みに登り活躍することを素直にうれしく思い、誇らしく思います。私の志向を呪縛してきた入野先生の三角形は、私個人の呪縛ではなくなりより大きな三角形を形成するのだと思えます。

私に三角形の呪縛をかけた頃の入野先生はまだ37歳だったと記憶しています。若くして亡くなられたがゆえにその存在はもう傷つくことはありません。老醜を晒すことがなく、その意思が継承されてゆきます。入野先生の遺産を私が継承し大きくできたかどうかについては自信がありませんが、また次の世代に継承され発展してゆくことを意識して行動し役割を果たせれば、入野先生を裏切らないだろうと思えます。

「俺が俺が」と言うよりも仲間が作りあげる大きな三角形が楽しみです。

2013年8月30日金曜日

学会参加のための留守中に当院に通院されている方の緊急PCIを他の病院にお願いしました。

鹿屋市内にはPCIが可能な施設が4つあります。2000年に私が鹿屋に来た時に初のPCI施設ができたことを思えば13年で良くここまで来たと思います。鹿屋市の人口は約10万人ですから、現在の施設数は過剰とも言えます。ただ過剰という考えは提供する側の論理で、治療を受ける側で考えれば選択肢が多いわけですから悪くはないとも言えます。こうして施設数が増えたことで当院に通院されている方が不安定化したとしても、当院だけしかないのだから休むわけにはいかないという状況は解消されました。留守をお願いして学会などにも行けるようになってきました。

 図は当院に通院されている方で7月のCVIT総会で私が留守をしている時に胸痛があり、鹿屋市内の他のPCI可能施設にお願いした方です。すぐに対応して頂き、感謝しています。冠攣縮性狭心症の診断でCCBを使っていました。

 入院時のECGでST上昇があり、心エコーでも前壁にasynergyがあったとのことで緊急CAGが実施され、#7が99%狭窄であったためにステント植込みを受けたと経過を頂きました。

この方は6月に当院でCAGを行い、#7は50%狭窄と評価し内科的治療の方針としていました。6月のCAGが最上段です。

2番目の図は緊急CAGの図です。私には99%狭窄には見えません。3番目の図はST上昇していたという心電図です。これも私にはST上昇には見えません。最下段の心エコー所見ですが、情報提供書には前壁のasynergyとありましたが、所見にはasynergy(-)とあります。

資料を見せて頂くと、診療情報提供書記述との間に解離が多くて戸惑ってしまいます。

症状があり、緊急に対処して頂き感謝もしているのですが、PCIの適応もあっただろうと思いますが、この程度の狭窄を99%と読む医師が育っていることに危惧を抱かざるを得ません。

私は、気がつけば鹿児島県内で現役でPCIをしている術者では最年長になりました。あとに続く術者のために果たすべき役割が残っているように感じます。



2013年8月27日火曜日

鹿児島県国保 診療報酬審査委員会はいつから治外法権的な権限を持つようになったのでしょうか?

2013年8月8日付当ブログ「なぜ血圧40の危機的な状況で行った努力が鹿児島県国保では否定されるのでしょうか」に記載したIABPの査定について鹿児島県国民健康保険 診療報酬審査委員会から返事がきました。図です。

前回国保連合会に電話で問い合わせた時には、担当事務は算定できないというルールはないので医学的な判断ではないでしょうか、医師ではない事務では分かりかねますという返事でした。

今回届いた審査委員会の文書では医学的な問題ではなく保険診療として認めるかどうかの問題だと内容が変わっています。鹿児島県国保審査委員会の審査基準は「冠動脈造影(心カテ)の一連の医療行為」という取扱いだとのことです。

心カテと一連になっていないIABPの使用というのはあり得るのでしょうか。今回の例のように重症3枝病変であることが造影で判明し造影剤が入るだけでショックになるような危機的な状況でもダメ、主幹部病変が見つかり不安定な状況でIABPを使用しても冠動脈造影を行ったからIABPは保険診療として認めない、心原性ショックでIABPを使用しショックの原因を見るために冠動脈造影をしても保険診療上は一連だから算定できない等と言い始めるとIABPを使用する場面は見当たりません。鹿児島県国保の診療報酬審査委員会はIABPを用いた保険診療の全否定を宣言しているに等しいと思えます。

また、他県で認められていても国保審査委員会においては各県の独自性があると言われます。いつから鹿児島県は日本の法律から独立し独自性を得たのでしょうか。国保連合会は国民健康保険法という日本の法律に基づいて設置された機関ですから、独自性などを持ち合わせているはずがありません。小さな局面で各県の審査委員会における解釈の相違は発生するでしょうが、この差は算定できないというルールがないものまで査定する権限を持っているというような独自性とは根本的に異なります。

平成25年7月24日に届いた文書では減点される請求点数は66,851円とありましたが今回の減点点数は8780点です。なにか無茶苦茶です。法に基づいて設置された機関であるにもかかわらず他の県と違うことをやっても良い独自性を持っているなどと文書に書くセンスが信じられません。

6万6千円とか8万7千円を惜しんでお上と喧嘩しても得しないよという大人の考えも理解できます。しかし、IABPは心カテの一連の医療行為だから保険診療として認めないなどということが固定化されることで、危機的な状況におられる患者さんの診療に問題が発生しないかを危惧しているのです。患者の救命のために保険診療として認められなくても努力すればよいではないかという考えもあるでしょうが、鹿児島県においてのみ危機的な状況で努力する医師の行為が否定されて、そうした努力をする医師のモチベーションが低下しないかを危惧します。また、危機的な状況で使用するIABPですから死に至る患者さんもおられます。死に至った患者さんから保険診療として認められない医療行為をしたのかと非難されることを恐れます。

危機的な状況で助けを求める患者さんが存在し、そこで努力している医師が存在します。危機的な状況での診療の根本的な問題です。大人の対応などを考えずに納得できる診療報酬審査委員会の回答を求め続けなければならないと思っています。

追記です。この件について他県の多くの友人から審査委員会と面談して説明を求めればよいと教えてもらいました。鹿児島県国保連合会に面談での説明を求めましたが、鹿児島県には現時点で査定に対する不服があり面談で説明を求めるという仕組みは存在しないと言われました。「議を言うな」という昔ながらの鹿児島県のお上に逆らうなという文化は健在のようです。絶望的な気分になります。

2013年8月20日火曜日

この夏休みに靖国神社を訪問しました。

1997年以前、長崎県対馬にはPCIができる施設はありませんでした。それゆえ急性心筋梗塞になっても血栓溶解療法しかできずその死亡率は16%でした。私が勤務していた当時の福岡徳洲会病院のそれは4%程度でしたからPCIができないために4倍もの死亡率だったわけです。当時、対馬の病院に勤務していた先生からその窮状を聞いた時に何かせねばと考えました。それが遠隔PTCAです。

長崎県対馬と福岡をTV会議システムで結び、対馬で若い先生が実施するPCIをTV電話で見ながらサポートするというものです。PCIの経験が豊富な先生が大勢いた訳ではないので若い先生を出さざるを得ませんでした。とはいえAMI患者さんの命がかかった現場で仕事をする訳ですから何もできない先生を派遣する訳にもいきません。最低でも75例以上のPCIの経験をしてもらってから派遣するように決めました。このため当時の福岡徳洲会病院では当時としては相当に若い先生にPCIの術者をしてもらっていました。ある意味、促成栽培的な養成です。確立していない方法で命の現場の治療をする訳ですから、なにかこの方法で問題が生ずれば、私自身が責任を取らなければならないと思っていました。実際に緊急カテ中にステント脱落を起こした時には数時間だけは血行動態が維持できるだけの手当てをTV会議で議論・指示した上で、朝1番の飛行機で対馬に向かったこともありました。

遠隔PTCAの成績は顕著でした。開始後100例の急性心筋梗塞のPCIを実施した段階で死亡例は1例のみだったのです。この成績は日本循環器学会や、AHAでも発表しました。こうした発表の目的の一つは危ない現場に送り出している若い先生方が取り組んでいる仕事に権威付けすることでした。自らが取り組んでいる仕事が権威づけられることで、事故が発生した時に若い先生も私自身も訳のわからないことをして患者さんを死なせたなどという非難を和らげる必要があると思ったからです。この取り組みはPCIの世界の重鎮であるSpencer King博士からもお褒め頂き、訳の分からない仕事ではなくなりました。

こんな話を急に思い出したのはこの夏休みに靖国神社を訪問したからです。中学1年生になる息子のたっての希望で初めて靖国神社を訪問しました。朝一番に参拝し、先の大戦のようなことが二度と起こらないように願った後、遊就館を見学しました。その中で特攻作戦を推し進めた宇垣纏中将のことを紹介するコーナーを見て上記の遠隔PTCAを思い出したのです。十分な訓練を受けることもないまま特攻に出撃し、目的を達成することなく亡くなった特攻兵士の国を思う気持ちに敬意を払いながらも、技量を伴わないままに出撃させられたことを不憫に思います。どの段階まで訓練するのかという目標もないままに促成栽培的に養成し、出撃させた上官の責任を思わざるを得ません。しかも宇垣纏中将は玉音放送後に若いパイロットに操縦させて出撃し、自身だけではなく若いパイロットをも玉音放送後に死なせてしまいます。この過程は百田尚樹の「永遠のゼロ」の中でも批判的に描かれていますし、実際に若いパイロットの親御さんや兵学校の同期からも宇垣中将の行為は批判されています。

命の現場に出す若い医師は訓練し育てなければなりません。経験が豊富で技量のある医師も年齢を重ね現場に出れなくなる日が来るからです。将来の医療のために技量のない先生の訓練は不可欠です。しかし、無定見に経験してもらえば良いとは思いません。保護的に経験してもらう段階や保護から外れて独立して実施できる段階まで訓練の過程を計画しなければなりません。また、訓練の段階での事故についてはやはり指導医が責任を負わなければならないと思っています。そうした訓練の過程を経ることで一人前の医師が誕生するとともにその先生が救う命もまた発生するのです。促成栽培し現場につたない医師を出せば良いという訳ではありません。

終戦記念日になると靖国神社の参拝が取り上げられます。肯定的な気持ちもなく否定的な気持ちもなく、どのような人物が祀られているのかも知らないままにニュースを見ていました。13歳の息子に背中を押されての初めての靖国神社訪問で考えさせられたことは少なくありません。訪問してよかったと思っています。

2013年8月8日木曜日

なぜ血圧40の危機的な状況で行った努力が鹿児島県国保では否定されるのでしょうか

 医療機関は、新規開業後等に現在は厚生局が行う集団的個別指導というのを受けます。集団的個別指導って変な言葉だと思いますが保健医療機関では当たり前の言葉です。当院も数年前に受けました。会場には医師会の担当理事という方も来られており、正しい保険診療の方法などを指導されます。

 数年前に指導を受けた時に驚きました。医師会の担当理事は保険診療は療養担当規則に基づいて行うものだから医学的に正しい治療であるとかガイドラインがあるとか、エビデンスがあるとかは関係ない、規則通りの医療を行わなければならないと言われました。療養担当規則に反する正しい医療をしたいのだったら自由診療をしろとも言われました。がっかりです。医学的に正しい診療ができるように療養担当規則を見直すように医師会は働きかけてゆくというのなら応援できますが、私も医師会員ですが正しい医療ができなくてもお上の言うとおりの医療をしろ等という組織を応援する気にはなりません。

 こんな指導を受けているので、ガイドラインやEBMに沿いながらも療養担当規則通り、薬剤であれば用法・用量通りの診療を心掛けています。

 昨年12月にIABPを使用した患者さんのIABPが査定されたことでFB上でぼやいたことがありますがまだ納得がいきません。重症3枝病変で冠動脈造影しただけで血圧40のショックになった方です。IABPを使用して虚血が改善するとバイタルも安定した方です。血圧40で危機的な状況で使用して査定されるとは思ってもいませんでしたから何故、査定されるのかと国保連合会に問い合わせました。返ってきた返事は「現時点では保険診療上認められていません」というルール上の問題だという返事です。なので心カテーテル検査時のIABP使用に制限があるのか保険診療の解釈本を見ますがそんなことは書いていません。IABPの項目を読んでみても挿入に伴う画像診断は算定しないとあります。冠動脈造影はIABPを挿入するための画像診断ではありませんし、仮に挿入に伴う画像診断と解釈したのならカテーテル検査を査定すべきでIABPは査定すべきではありません。そこでもう1度、国保連合会に問い合わせました。保険診療として認められないのは何故かというのが質問で認められていませんというのは答えになっていないし、ルール上の算定できないというルールは存在しないではないかと質問しました。担当者の事務職員は確かに算定できないというルールはないと返事を頂きましたが、査定されたのは医学的な判断でしょうから事務職員では分からないと言われました。

 ある時にはルール通りに診療しろと言い、ルールにない査定は医学的な判断ですからというようなダブルスタンダードです。何故、審査医は血圧40のショックの方の救命に立ち向かっている診療をルールがないにもかかわらず査定するのでしょうか?こうした査定をすることで危機的な状況でIABPの使用をためらうような土壌ができ、患者の生命が脅かされはしないかと思われないのでしょうか。保険診療として認めるか否かはお金の問題ではなく医療の質や患者の生命の問題であると思っています。査定が目的化し、医療の質が二の次にされることに不安を覚えます。

 循環器医がよく使うアミオダロンは使用後に甲状腺機能をチェックしろと添付文書に記載されています。鹿児島県国保では薬剤による甲状腺機能低下の疑いと病名を追加しなければ査定されます。ステント植込み後のDAPT使用後2週間での白血球数や肝機能をチェックしたのも査定されました。査定を避けるためにカルテは余計な病名が増え続けます。

 用法用量通りの診療でさえ査定されても概ね我慢してきました。しかしショックの患者にIABPを使用して、保険診療では認められないと解釈本にもない回答をもらって我慢はできません。

説明を求め続けたいと思っていますが、こんなやり取りに疲れない訳ではありません。ショックの患者にIABPを使って頑張っても過剰な診療、不要な診療と言われる鹿児島県で診療を続けてゆけるのか心配です。

2013年8月2日金曜日

診断カテで最も怖いのがスパスムの誘発試験です。

  PCIで大きな冠動脈解離や、Slow flowになって循環動態が破綻しカテの術者が肝を冷やすことは頻度は少なくても発生します。ですから常に恐れを抱いてPCIに臨みます。診断カテで肝を冷やす状況はほとんどありませんが、冠攣縮性狭心症の診断のための誘発試験では肝を冷やすことがあります。私自身の経験でも右冠動脈に誘発されたスパスムで完全房室ブロックから心停止になったり、心室細動が発生した例の経験もあります。もちろん文献上の死亡例の報告もあります。そんなことがあるものですからスパスムの誘発試験は医師が2人いる状況、当院では鹿大のK先生が来られている日になるべくおこなうようにしています。

 昨年から労作時の5分程度の胸痛の自覚があり、最近、朝の9時に30分持続する胸痛があった方です。Fig. 1のCTでは右冠動脈近位部にプラークを認めるものの高度狭窄ではありません。有意狭窄を伴わない朝の胸痛ですから冠攣縮性狭心症だろうと考えました。この段階で侵襲的な冠動脈造影で診断を確定しなくても、冠攣縮性狭心症と考えてカルシウム拮抗剤による治療を始めるという考え方もありますが、多くの場合うまくいきません。正しく診断された冠攣縮性狭心症の方に正しくカルシウム拮抗剤を処方すると症状が取れ、いくら内服を続けなさいと説明しても止めてしまう方が多いのです。このため視覚的に納得がゆく診断を確立するために冠動脈造影での誘発テストを行います。

右冠動脈のスパスムと見当をつけ右から誘発試験です。コントロール造影のFig. 2には有意狭窄を認めません。Fig. 3は当院で誘発に使っているエルゴノビンを右冠動脈に50μg投与した2分後です。#1から完全閉塞です。この時点で胸部症状はなくST上昇も認めませんでした。すぐにニトロールの冠注を行いましたがスパスムはすぐには解除されませんでした。この頃から胸痛、ST上昇です。

Fig. 4はニトロールを30ml、15㎎冠注した後です。この時点でもスパスムはタンデムに残っています。Fig. 5はニトロールを50ml、25㎎冠注した後ですがようやくスパスムが解除されています。完全閉塞になるスパスムを確認してからここまで4分30秒でした。途中、房室ブロックになりましたが2度まででした。

医師2人のカテですから、VFになったらもちろん私がDCをかけるつもりでしたし、心停止の方が嫌でしたが、ニトロを入れながらの心臓マッサージでしのげるとは思っていました。やはり2人のカテだと心に余裕が生まれます。

患者さんにはリスクをよく説明し、禁煙とともに厳密な内服を繰り返しお話ししなければなりません。
 
 しかし、このブログを書くのに造影を見直すと右冠動脈が画面の左に寄りすぎています。テーブルを下げるか、テーブルを患者さんの左方向に少し押すべきでした。こんな造影を若い頃にしたら上司から叱られたものです。今日の私は叱りませんでした。スパスムの解除にばかり気持ちが傾いていたからでしょうか、年齢を重ねて優しくなったからでしょうか、反省です。命がけで検査を受けてくれた患者さんに報いるためには、危機的な状況でも最善の造影をしなければなりません。



2013年8月1日木曜日

院内にいなくてもカルテの閲覧・記録が可能なユビキタス電子カルテがようやく実現です。

カルテが電子化されていなかった頃、カテが終わってカルテの記載を始めようと思っても看護師さんが看護記録を記載中にはその記載が終わるまで待たなければなりませんでした。また当時は画像もネットワーク化されていなかったので、胸写を確認した後にフィルムを所定の位置に戻し忘れたりすると看護師さんから誰が片づけると思っているのか、余計な仕事を作らないでくれと叱られたものです。現在の電子化されたカルテでは看護記録の記載中であっても、医師はカルテの閲覧・記録など同時アクセスが可能なのでカルテの争奪戦など起こりません。電子カルテしか知らない世代の先生は、昔は大変だったんですね等と思うかもしれませんがそんなに昔のことではありません。

 以前にも書きましたが当院で使用している電子カルテはセコムのものです。カルテ情報は院内のサーバーにはなく、セコムクラウドサーバーと呼ばれる遠隔地のサーバーにあるカルテ情報をインターネット経由でやり取りする方式です。この方式であれば個々の医療機関でサーバーのメンテナンスが必要なく、診療報酬の改定なども遠隔にあるサーバーで更新すれば済むことなのでユーザーの負担が少ないのです。それが当院で導入を決めた理由です。

 遠隔地にあるカルテ情報が収まっているサーバーにインターネットでアクセスするのですからカルテはどこからでも閲覧・記録が可能です。それゆえセコムではこの電子カルテをユビキタス電子カルテと読んだりクラウド型電子カルテと呼んでいます。とはいえ、ほぼ鹿屋ハートセンターから出ることのない私は、インターネットに接続された院内ネットワーク以外からカルテにアクセスしたいとは思っていませんでした。ところが最近は施設を閉めて学会に出かけたりするようになってきたので院外にいる時にもカルテにアクセスできた方が便利なのではないかと思い始めました。

 患者さんにお教えしている私の携帯電話に色々と電話がかかってくるのです。前にもらった薬を飲んでから湿疹が出るのだけれどもどうしたら良いかとかです。もちろん、すべての患者さんの処方を覚えているはずもありませんし、飲んでいる薬はいつ頃処方された何ていう薬ですかと聞き返しても多くの場合、要領を得ません。前にもらった赤い薬ですよ等と言われても判断に困ることもあるのです。

 つい最近、WiMAXのついたパソコンを購入したのでセコムの電子カルテの仕様である遠隔地でも電子カルテにアクセスできるVPNに入る証明書のインストールを行いました。訪問診療などに使用するためのものです。それを使って閲覧した電子カルテが図です。WiMAX経由で閲覧可能でした。これでどこにいても処方の確認や熱計表の確認が可能です。パソコン立ち上げ時にパスワードを入力し、VPNに入るのにパスワードを入力し、ユーザー個々に与えられているUSBキーを挿した状態で電子カルテのパスワードを入れて初めて使用可能になるので立ち上げまでは煩雑ですが、モバイル環境での安全を考えれば仕方がないと思います。クラウド利用ですからパソコンを紛失してもパソコン上には何のカルテ情報も残っていません。

便利な時代になりました。インターネット抜きにもう医療は成り立たない時代です。学会場でも宿泊先でもカルテは何時でも私と一緒にいます。

2013年7月31日水曜日

無言の友人に思いを馳せてこれからもネット上の交流に取り組みたいと思います。

昨日、地方で孤立している先生が、一人で頑張っているがゆえにガラパゴス化しないようにと書いたところ、普段は1日200ページビュー程度なのに469ページビューのアクセスを頂きました。2010年9月30日にブログを開設以後、今このブログを書いている時点で221032ページビューの訪問がありました。2012年1月29日からはGoogle analyticsを使い始めましたが、その後の1年半で実人数33884人が75777回の訪問をして下さり、114614のページビューでした。

日本循環器学会の会員数が2万人余りですからこのブログを1回でも訪問して下さった方は循環器学会の会員数を上回ります。

図は、Google analyticsで見た解析以来の国内のアクセスの分布です。もちろん人口の多い土地からのアクセスが多いのですが全国47都道府県すべてからアクセスがあり、地域数は534でした。全国ありとあらゆる土地からのアクセスがありました。こうした地方からのアクセスを見て、地方でも頑張ってほしいと思うとともに他の先生との接点が少ないがゆえにガラパゴス化しないでほしいと昨日は書いたつもりです。大きな責任を感じています。最もアクセスの多い記事であったプラザキサの記事の訪問数は5000を超えます。安易にAという薬が好きだとか、嫌いだとかは言えないとさえ思います。

私のFacebook友達は僅か208人です。このFB友達とは意見の交換は可能ですが、意見の交換をしていない3万人余のブログの訪問者が存在します。他者との交流なしに自らを高めることはできません。こうした無言の「友人」をも意識しながら、真摯にネット上の交流に努めたいと思っています。

2013年7月30日火曜日

他の先生から批判される環境に身を置くことで得られるもの

 1994年に湘南鎌倉病院から福岡徳洲会病院に部長として転勤しました。着任前に前任部長と初めてお会いした時に「PCIはたくさんやればよいというものではない、先生はやりすぎだ」と開口一番に言われました。私が実際に行うPCIを見たこともない先生から言われるのは心外でしたが、数か月間は同じ病院で勤務するのでその間に私のあり様を見てもらえばよいと思いました。その先生は退職前に、ご自分で診ておられた患者さんに新しい部長に見てもらえば心配ないからと引き継いで下さいました。最初の挨拶には驚きましたが一緒に勤務していう間に私の診療のあり様を評価してくれたのだと嬉しく思ったものです。

 しばらくしてPCIのケースも増え、医師の増員が必要だと思っていた時に、思いがけず九州大学循環器の竹下元教授から一人回してあげようかと突然にお電話を頂きました。それで九大からお一人先生が着任されましたが、やはり最初は「この病院のPCIの適応は大丈夫なの?」と斜めに構えておられましたが、そのうちにこの病院の適応はまともだと言ってくれるように変化しました。

 実際に一緒に働かないと分からないことがあります。PCIの件数が多い施設は常にいい加減な適応でやっているのではないかと勘繰られます。

 ある時、私が働いている施設で一緒にカテをして勉強したいと来られた先生がいます。他の病院では部長です。一緒にカテをして私が50%狭窄と読む病変を彼は90%狭窄と読みます。1例だけではなく常に彼の読みは厳しいのです。私は彼に一緒にカテをしても意味がないから来るのは止めてくれと話しました。これも一緒にカテをしないと分からない現実です。


 鹿屋ハートセンターに鹿大からK先生に週に2回ネーベンに来てもらっています。鹿屋ハートセンターで行うPCIはさほど多くはないので一人でもやっていけるのですが彼が来てくれるのは貴重だと思っています。私がいい加減な適応でPCIをやっていれば、あるいは見る価値がないPCIをやっていれば彼は来なくなると思います。私自身はPCIの適応で暴走することはないと思っていますが安全弁があった方が良いと思っています。彼は貴重な安全弁なのです。適応だけではありません。私が立てた戦略についてもおかしなことをすれば批判してくれる先生が存在する環境は重要です。もちろん、彼と私との関係には微妙な力関係が存在し、言いたくても言えないという力が加わる可能性はあります。しかし、ブログやネット上でオープンにする戦略に関してはそれを批判する全国の先生方に私に対する遠慮はありません。実際に厳しい批判を受けることもあります。しかし、孤立せずにオープンにし、批判を受けることで当院のPCIは妥当なものになるのだと信じています。そして患者さんに対するより良い治療や自分自身の成長が保障されるのだと思います。

 上司が存在する環境でPCIの術者や戦略の決定を任されている先生は上司や同僚からの批判を受け入れることで成長すると思います。また施設内で最も権力のある先生も部下からの批判を受け入れることでその施設のPCIの妥当性は担保されると思います。アホでも出来が悪くても、上司や部下がいる環境の方が幸せな気がします。しかし、どんな地方でも津々浦々までPCIが実施できる施設が存在するこの国には、私を含めて少なからず孤立しているPCI術者がいると思います。そんな環境で誤った進化を遂げるガラパゴスPCI術者が生まれないことを願っています。

 学会発表でも、個人情報に留意したブログでも、FacebookのようなSNSでも批判を覚悟で自らの戦略を世に問う姿勢がガラパゴス化を防ぐのだと思います。このような考えで今後も私は、このブログ上であるいはSNS上で自らの考えをオープンにしていきたいと思います。また、私と同様に学会参加もままならず地方で苦労されている先生方にも、ネット環境を利用したオープンな議論の場の構築をお勧めしたいと思います。一人でできると思っていたり、他者との議論を避ける姿勢では過ちから免れないだろうと思います。一人でやっている環境でも他者から批判を受ける方が正しい道を歩めるのだと思っています。

以前にも書きましたがネットで確保されるPCIを高めるための

「連帯を求めて孤立を恐れず」

です。

2013年7月26日金曜日

敢えて前拡張無しのステント植込みを行いました。

Fig. 1 RCA LAO view
 本日も鹿大のK先生と一緒に実施したPCIをふり返ります。

安静時に胸痛を繰り返すということで受診された80歳代の男性です。CTで右冠動脈#1と#2に石灰化を伴う高度狭窄を認めたために入院して頂きました。

Fig. 2 RCA straight cranial view
Fig. 1、Fig. 2は診断カテです。右内頸動脈にも高度狭窄がありFemoral approachです。#1はそれほどの高度狭窄には見えませんが#2の狭窄はぐるっと回転した屈曲部の狭窄です。Ad hocでPCIをすることが多いのですがこの造影結果を見てAd hocをする勇気が出ませんでした。前拡張をしたのは良いけれども大きな解離が発生し、血行動態が破綻するかもしれない、その状況でステント植込みができないかもしれないと考えたからです。こうした屈曲した右冠動脈の拡張時にはずり応力が大きく働き大きな解離が発生しやすいのです。この方は右冠動脈優位で回旋枝はsmallなので尚更です。

Fig. 3 stent delivery without predilatation
PCIをするのか否か、実施するとしたらどんな風に戦略を立てるのか、数日間ずっと考えました。一つの懸念はCTで高度狭窄に見えた#1です。ここでつまづけばその後の#2の治療に辿り着けるはずがありません。#1のみをIVUSで評価してそれなりの狭窄であれば#1を処理してから#2に取り掛かることにしました。#1の問題が解決してからであっても前拡張で大きな解離が発生してBail-outできなければ危機的になります。可能であるならば前拡張無しにステントを植え込んでその後バルーンで大きく拡張してみてはどうかと考えました。このため通過性を重視して2.5㎜のステントを置き、その後に血管径に合わせて大きくバルーンで拡張するという通常はしない手技をとろうと思いました。もし前拡張無しでステントのデリバリーができずに前拡張を要し、解離の発生・血行動態の破綻が起きればIABPを使用するつもりで準備を指示しました。

実際の手技が始まりSAL 0.75をエンゲージさせると圧はウエッジ波形です。サイドホール付に代えて#1のみをIVUSで見ると内腔が狭小化していたためにまず#1に3.5㎜のResolute integrityを植え込みました。この結果、ガイディングは深くエンゲージ可能になりました。この状態で前拡張無しにResolute integrity 2.5mmをデリバリーしたところがFig. 3です。幸いにも病変クロスに成功しました。こうなれば後は簡単です。ステントを最大拡張圧で植え込んだ後、血管径に合わせてバルーンで拡張して終了です。

Fig. 4 Final results after PCI
そけいのシース挿入からPCI後の確認造影まで20分で終了です。生命に関わる合併症の発生もありうるとお話ししていたのでご本人にもご家族にも喜んでいただけました。

PCI後、前拡張無しにステント植込みを行って拡張できなければどうしたのだとK先生から質問です。CT所見で狭窄の前後には強い石灰化はあったものの狭窄部位はそれほどの石灰化でもなく拡張できると予想していたこと等を説明しました。しかし、前拡張無しにステントデリバリーができたこと、十分に拡張できたことは幸いであったことに違いありません。

昨日からTOPICという東日本最大のライブデモンストレーションコースが開催されています。もちろん、自分も参加したかったと思いますが留守番が十分に確保できない田舎では行きたい学会全てに参加することはできません。K先生と2人きりのライブですが実りあるものでした。


2013年7月24日水曜日

J-RHYTHM、Re-ly、ROCHET AF、ARISTOTLEを比較してみました。ワーファリンも捨てたものではないと思いますしエリキュースへの期待も膨らみます。

Fig. 1 Net clinical benefit of Warfarin
古くからの友人やパートナーを新しい友人やパートナーができたからといって貶すのは品格のない行為だと思っています。新規抗凝固薬(NOAC)の登場後、ワーファリンが貶されるのを見て心を痛めています。一方で、患者さんにとってメリットのある新薬なのにより効果の劣る古い薬に拘泥するのも正しくないと思っています。

Fig. 2 Incidence of Thromboembolism
Fig. 3 Incidence of major hemorrage
新しい薬剤はランダム化された多施設共同研究(RCT)の結果で実際の患者さんへの使用が認められます。同じ土俵でガチンコ勝負をしてより優れた効果であったという結果はもちろん大切な情報であると思っています。一方で、過去に診療をしてきた経験や過去のスタディーの結果をすべて忘れてそのRCTの結果だけで判断するのもどうかとも思います。 そこで各NOACのメーカーのデータだけではなく日本で行われたJ-RHYTHM Registryを勉強しなおしました。Fig. 1はワーファリンを内服していない方と比べてワーファリンを内服している方でどれほど塞栓症を減少させ、どれほど大出血を増やしたか、またその結果、ワーファリンを内服することで死亡率がどう変化したのかをJ-RHYTHM registryのデ-タから自分なりにグラフに作ってみました。J-RHYTHM registryにエントリーされた患者さんのCHADS2 scoreが低いので良い成績なのだという人もいるので70歳以上のデータだけで見てみました。70歳以上の群で見るとCHADS2 scoreの平均は2.1でほぼNOACのスタディーと同じです。

INRが高くなるにつれてワーファリンを内服していない方と比べて塞栓症は減少していきますが大出血の頻度は増加していきます。しかし、INRが2.99まではワーファリンを内服していない群と比べて総死亡は減少しています。INRが3を超えると総死亡も増加するのでこんなにワーファリンを効かせるくらいなら内服しない方がましだと言えます。ただ2.99まではワーファリンは内服しない群と比べて役に立っているのです。NOACのない時代に一生懸命にワーファリンのコントロールに励んできたことは間違いでなかったと言えます。また、INR1.6未満では逆に塞栓症を増やすとよく言われていますが、このグラフを見ると1.6未満でも塞栓症も総死亡も減らしていることに驚きました。

ではNOAC出現後、NOACと比較してワーファリンはやはり劣るのかという点を各RCTの結果とJ-RHYTHM registryの結果を並べてグラフにしてみました。やはりJ-RHYTHMの結果はCHADS2が同等の70歳以上のデータを使用しました。同じ土俵のガチンコ勝負ではないのでこの比較は意味がないかもしれません。しかし、J-RHYTHMの方は70歳以上のデータですし、約25%の方が抗血小板剤を内服されていたとのことですので各NOACのRCTよりも条件が悪いかもしれません。

Fig.2が塞栓症の頻度ですが、各NOACのNOACとワーファリンの比較ではもちろんNOACの方が塞栓症の発生は減少しています。しかし、J-RHYTHMのワーファリンのデータと比較するとRe-lyの高容量やARISTOTLEのNOACはJ-RHYTHMよりも塞栓症の発生は少ないのですがROCHET-AFではJ-RHYTHMよりも塞栓の発生頻度は高いということが分かります。また、ROCHET AFでのワーファリン投与群の塞栓症発症率の高さは他のNOACのRTCと比較してもなぜか際立っており、これと比較してNOACが良いと言われてもなぁ等とも思います。

Fig. 3は大出血の頻度ですが並べてみるとINR1.6-1.99までのJ-RHYTHMと比べて大出血の頻度が少ないNOACはありません。Apixabanの結果がほぼ同等というところでしょうか?IN2.0-2.59のJ-RHYTHMでは大出血の頻度は増加しますがそれでも各NOACと同等です。やはりApixabanだけがJ-RHYTHMよりも優れた成績です。

繰り返しになりますがガチンコ勝負ではないのでこの比較は意味がないのかもしれません。しかし、このJ-RHYTHMの結果は、日常の当院の診療の実態と近くしっくりと来るのです。メーカー主導で組み立てられるRCTの結果だけではなく、日常診療の実態や、他のデータも見ながら患者さんにとっての最善を考えるのが医師の務めだと思います。上司もいないのでデータをまとめろと言われることもありませんが、面倒がらずに各試験を比較するグラフを作ってみて良かったと思います。考えさせられました。しかし、こうしてみるとApixaban(エリキュース)の成績の良さが際立ちます。長期処方が可能になるのはまだ先ですが、期待は膨らみます。