2013年8月20日火曜日

この夏休みに靖国神社を訪問しました。

1997年以前、長崎県対馬にはPCIができる施設はありませんでした。それゆえ急性心筋梗塞になっても血栓溶解療法しかできずその死亡率は16%でした。私が勤務していた当時の福岡徳洲会病院のそれは4%程度でしたからPCIができないために4倍もの死亡率だったわけです。当時、対馬の病院に勤務していた先生からその窮状を聞いた時に何かせねばと考えました。それが遠隔PTCAです。

長崎県対馬と福岡をTV会議システムで結び、対馬で若い先生が実施するPCIをTV電話で見ながらサポートするというものです。PCIの経験が豊富な先生が大勢いた訳ではないので若い先生を出さざるを得ませんでした。とはいえAMI患者さんの命がかかった現場で仕事をする訳ですから何もできない先生を派遣する訳にもいきません。最低でも75例以上のPCIの経験をしてもらってから派遣するように決めました。このため当時の福岡徳洲会病院では当時としては相当に若い先生にPCIの術者をしてもらっていました。ある意味、促成栽培的な養成です。確立していない方法で命の現場の治療をする訳ですから、なにかこの方法で問題が生ずれば、私自身が責任を取らなければならないと思っていました。実際に緊急カテ中にステント脱落を起こした時には数時間だけは血行動態が維持できるだけの手当てをTV会議で議論・指示した上で、朝1番の飛行機で対馬に向かったこともありました。

遠隔PTCAの成績は顕著でした。開始後100例の急性心筋梗塞のPCIを実施した段階で死亡例は1例のみだったのです。この成績は日本循環器学会や、AHAでも発表しました。こうした発表の目的の一つは危ない現場に送り出している若い先生方が取り組んでいる仕事に権威付けすることでした。自らが取り組んでいる仕事が権威づけられることで、事故が発生した時に若い先生も私自身も訳のわからないことをして患者さんを死なせたなどという非難を和らげる必要があると思ったからです。この取り組みはPCIの世界の重鎮であるSpencer King博士からもお褒め頂き、訳の分からない仕事ではなくなりました。

こんな話を急に思い出したのはこの夏休みに靖国神社を訪問したからです。中学1年生になる息子のたっての希望で初めて靖国神社を訪問しました。朝一番に参拝し、先の大戦のようなことが二度と起こらないように願った後、遊就館を見学しました。その中で特攻作戦を推し進めた宇垣纏中将のことを紹介するコーナーを見て上記の遠隔PTCAを思い出したのです。十分な訓練を受けることもないまま特攻に出撃し、目的を達成することなく亡くなった特攻兵士の国を思う気持ちに敬意を払いながらも、技量を伴わないままに出撃させられたことを不憫に思います。どの段階まで訓練するのかという目標もないままに促成栽培的に養成し、出撃させた上官の責任を思わざるを得ません。しかも宇垣纏中将は玉音放送後に若いパイロットに操縦させて出撃し、自身だけではなく若いパイロットをも玉音放送後に死なせてしまいます。この過程は百田尚樹の「永遠のゼロ」の中でも批判的に描かれていますし、実際に若いパイロットの親御さんや兵学校の同期からも宇垣中将の行為は批判されています。

命の現場に出す若い医師は訓練し育てなければなりません。経験が豊富で技量のある医師も年齢を重ね現場に出れなくなる日が来るからです。将来の医療のために技量のない先生の訓練は不可欠です。しかし、無定見に経験してもらえば良いとは思いません。保護的に経験してもらう段階や保護から外れて独立して実施できる段階まで訓練の過程を計画しなければなりません。また、訓練の段階での事故についてはやはり指導医が責任を負わなければならないと思っています。そうした訓練の過程を経ることで一人前の医師が誕生するとともにその先生が救う命もまた発生するのです。促成栽培し現場につたない医師を出せば良いという訳ではありません。

終戦記念日になると靖国神社の参拝が取り上げられます。肯定的な気持ちもなく否定的な気持ちもなく、どのような人物が祀られているのかも知らないままにニュースを見ていました。13歳の息子に背中を押されての初めての靖国神社訪問で考えさせられたことは少なくありません。訪問してよかったと思っています。

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