2012年3月30日金曜日

診療報酬改定に思う この国の医療の未来を創るシステムはどこにあるのでしょう

今回 書くことに異論があることは承知で思い切って書いてみました。

マイケル・サンデル教授の正義に関わる番組を1週間ほど前にちらっと見ました。全く同じ仕事をする外国人の労働者の報酬が、日本人の報酬よりも少なかったとしたらそれは公平と言えるかというテーマでした。複数の国が関わる場合、貨幣価値や生活水準も異なるわけですから単純に回答は得られません。では、日本の中での日本人の報酬の場合ならどうでしょうか。

3人の作業員がいるとします。Aさんは3年の経験があり1時間に5本の杭打ちができる能力を持っているとします。Bさんは10年の経験がありやはり1時間にうてる杭は5本です。Cさんは10年のキャリアで1時間に10本の杭打ちができます。この3人が1時間の杭打ち作業をした場合の報酬の体系には3つのパターンが存在します。

① 同じ時間を拘束したのだから同じ報酬
② キャリアに応じて報酬が増える Aさんが最も少なくBさんとCさんは同じ
③ 成し遂げた仕事量で報酬が異なる AさんとBさんは同じで、Cさんは最も多い倍の報酬を得る


①であればキャリアが違うのに同じ拘束時間だからと報酬が同じでは不公平だという考え方が成立し、②がより公平と考える人もいると思います。しかし、1時間に5本のBさんと10本のCさんは同じキャリアだから報酬は同じというのは公平でしょうか。1本当たりの報酬はCさんの方が少なくなり不公平だという考え方も成立します。この場合、③が公平だという考えになります。私は、③が最も公平だと思いますが、日本の伝統的な年功序列のシステムでは②が一般的であると思います。また、この考え方では杭を1本も打てない人は飢え死にしろということかと批判もあろうかと思いますが、そうした人をどう救済するかは国家のセーフティネットの問題で労働に対する報酬の問題ではないように思います。

医師の中によくある診療報酬に対する不満は経験豊かで上手な術者が手術をしても、最近始めたばかりの未熟な術者が手術をしても同じ報酬だというのは不公平だというものです。私は、もう随分とベテランになりましたがこのような不満を持ったことがありません。本当に上手であればCさんのように単位時間当たりの手術件数が多くなり、得るものが多くなる筈だからです。うまい下手を評価する指標もないのに経験が長いことで評価してしまえば、経験は長くても仕事ができないBさんに多くの報酬を与えてしまうという②のパターンになります。上手な術者のCさんのところにはより多くの患者さんが治療を求めて来られるでしょうから、Cという術者には単位時間当たりの報酬が多いだけではなく絶対的な報酬も増えるはずです。ですから上手い術者なのに下手な術者と同じ診療報酬なのは不公平だという術者のことを私は基本的に信頼しません。

同一製品・同一価格であったり同一サービス・同一価格という原則です。この原則が適用され、誰がやっても手術に関わる診療報酬は同じなのだと理解しています。

では、同一サービス・同一価格の原則は診療報酬体系で徹底されているのでしょうか。今回の診療報酬改定の中で地域加算という制度ができたようです。地域医療を維持するのが困難な地方であれば少し診療報酬を上げてあげるよという制度です。これはお国が地方の病院に報酬を少し多めにあげるという風に思われる人もいるでしょうが、診療報酬が上がるイコール患者の負担が増えるということを意味します。地方の医療を維持するために地方に住む人は少し多めに入院費を払いなさいという制度です。地方の医療を維持するために国家が何らかの手当てをすることは私も正しいと思いますが、それを診療報酬という名の患者負担に求めるのは私は間違っているように思います。同一サービス・同一価格の原則に反するからです。

7対1看護と10対1看護では看護サービスに差はあるのでしょうか。7対1看護ではより良い看護が提供され、予後を改善したり平均在院日数を短縮化できたというようなエビデンスはあるのでしょうか。よりコストがかかるものにはより多くの報酬を与えるという形で患者という顧客に負担を求めるのは正しいのでしょうか。

自動化され製造された200万円で販売される自動車を手作業で職人が作り上げたらコストが嵩み1000万円で販売しないとペイしないでしょう。両者が全く同じ製品であれば、コストがかかったから高く売ってよいのだというビジネスは成立するはずがありません。いくらコストがかかったとしても同じサービスであればやはり同じ価格でないと私は公平ではないと思います。

ある時には同一サービス・同一価格が原則だと言い、ある時にはコストがかかる病院には診療報酬を増やすという名目で患者負担を求めるというやり方に一貫性が存在するのかと思います。こうした一貫性のなさが診療報酬体系を複雑化させ、体系的な未来のビジョンの作成を妨げているような気がします。金曜日に入院して月曜日に退院させるような病院に対しては診療報酬を減らすというような些細な議論をするところが中医協でそれをリードするのがこの国の知性だとしたらさびしい限りです。この国の医療・福祉の未来をデザインするシステムはこの国には存在しないのでしょうか。

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