2013年9月1日日曜日

私の志向を決定づけた三角形 59歳の誕生日に思う

昨日 8月31日は59回目の誕生日でした。2年前の誕生日に書いた当ブログ「あっという間に57歳です」を見た福岡済生会病院の芹川先生から44歳の頃は何をしていましたかと尋ねられたので「若き志士たる医師の活躍」を書き、その中で私の尊敬する恩師である入野忠芳先生のことを書きました。そんなことを思い出していたらまた、入野先生のことを思い出してしまいました。

1979年に医師になった私が初めて就職した病院の副院長が入野先生でした。院長は退官教授が名誉職的に就任された方でしたので実質的な院長です。医師になったばかりの私に医師として意識すべき三角形の話を入野先生はしてくれました。図です。

学問を追求するばかりで患者のことを考えなければ、人体実験に走ったりなどという間違った医学者になってしまう。一方、患者のために頑張ると言っても医学的な知識や技術を伴わずに患者に向き合えば志は高くても患者を傷つけてしまう。また、どんなに学問的に優れ、患者中心の医療と言ってもそれを支える経済的なバックボーンがなければ絵空事だというような教えでした。私の医師としての35年を振り返れば、1年目に入野先生から聞いたこの三角形をいつも意識し軌道修正してきた35年であったように思います。

1994年に福岡徳洲会病院の循環器部長として九州に来た頃、福岡都市圏一番のPCI施設を作り上げようと意識していました。そのためには学会でのポジションが大事だと考えありとあらゆる学会や研究会で発表し、発言してきました。インターベンション学会や循環器学会はもちろん、AHA等でも発表を行いました。三角形の上の頂点を意識して行動していたのです。39歳です。

しかし、入野先生の三角形が心の深いところにあったからでしょう。対馬との出会いがあり私の方向性が変わりました。インターベンション学会の評議員になり、いずれ理事になり、学会やライブを主催するのだと思っていた気持ちが薄れ、学会の頂点を目指したとしても対馬の患者も鹿屋の患者も救われないではないかと考え、遠隔PTCAの試みや鹿屋への転勤など底辺の右側の頂点に志向は変化しました。その頃、福岡徳洲会病院循環器科のホームページに「私は頂点ではなく底辺を目指す、何故なら頂点は1点であるが底辺は広大だからだ」等と書いたことを思い出します。44歳頃です。

今思えば、若くて思慮が足りないなどと自分自身で恥ずかしく思います。頂点が尊いと書こうと思えば頂点が高ければ高いほど誰からも見ることができるのだというように表現することも可能です。なんとでも表現は可能で、頂点も底辺もともに尊いというのが正しいのだと59歳の今は思います。

鹿屋ハートセンターを立ち上げて7年です。PCIの枠の外に置かれた地方を放っておけないと始めた鹿屋での仕事も経営的にも安定し、志した仕事は曲がりなりにも実行できていると思っていますが、志は高くても提供しているものが低いということになっていないかと恐れています。そんな気持ちで勉強もし、学会にも顔を出すように心がけています。上の頂点を疎かにしてはいけないという気持ちが高まっているのです。とはいえ、もう学会でのポジションなどと考える年齢でもありませんし、それなりの勉強をし、それなりの役割が果たせれば良いかなと思っています。

そんな中で、来年のCVITの地方会を福岡大学の西川宏明先生が会長を務めることを知りました。私が福岡徳洲会病院の部長であった時にともに働いた先生です。一緒に働いた頃はまだ30歳ほどであったと記憶しています。駆け出しのPCI術者でしたが成長し、対馬にも行ってもらった先生です。

私個人が評価され高みを目指すことよりも、ともに働いた仲間が高みに登り底辺を拡大しという形の方が、35年間意識してきた三角形をより大きくします。共通の価値観を持つ仲間が評価され、高みに登り活躍することを素直にうれしく思い、誇らしく思います。私の志向を呪縛してきた入野先生の三角形は、私個人の呪縛ではなくなりより大きな三角形を形成するのだと思えます。

私に三角形の呪縛をかけた頃の入野先生はまだ37歳だったと記憶しています。若くして亡くなられたがゆえにその存在はもう傷つくことはありません。老醜を晒すことがなく、その意思が継承されてゆきます。入野先生の遺産を私が継承し大きくできたかどうかについては自信がありませんが、また次の世代に継承され発展してゆくことを意識して行動し役割を果たせれば、入野先生を裏切らないだろうと思えます。

「俺が俺が」と言うよりも仲間が作りあげる大きな三角形が楽しみです。

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