私が専門とする冠動脈のカテーテル治療の分野はその創成期からライブデモンストレーションという、実際に行う手技をみんなが見ながら勉強するという手法で発展してきました。PCIを始められたGruentig先生の頃からです。現在もライブデモンストレーションは盛んで日本中であるいは世界中で頻繁に開催されています。このライブデモンストレーションコースにはFacultyと呼ばれる役員が選出されておりそのFacultyに選出されることは名誉でもありますし、一人前に認められた証のような面もあります。
かつて一緒に働いた仲間がその病院を退職して他の病院に移動した後、年間数百件のPCIを独立した術者・部長としてされるようになりました。 彼も一人前の術者として認知され、大きなライブデモンストレーションコースのFacultyにと声をかけられました。しかし、それは実現しませんでした。元いた病院のかつての上司が「あんな奴をFacultyにするな」と反対されたからです。こうしたケースはあまり聞いたことがありませんでした。問題のある先生がFacultyに選出されたとしてもライブでの発言などに問題があれば自然に淘汰されるからです。数百件のPCIを行う術者を話も聞かずに拒絶することはあり得ないと思っていました。更に私が知る限り彼はまともな術者でした。
こんな風に共に働いた仲間をその転勤後に悪く言ったり足を引っ張ったりする医師や組織は現実に存在します。品性に問題があるのではないか等と思ったりします。
昨日 9/21にこうしたこととは全く逆のことがありました。私は1994年から2000年まで福岡徳洲会で勤務し、考えがあり鹿屋に志願して転勤しました。私が福岡徳洲会病院に転勤する前である1991年からの福岡徳洲会のPCI件数の推移が下段の図です。私が転勤する前までは80-90件のPCI件数であったものが私の着任後に250、400、480件と件数は急速に増えました。その後 鹿屋への転勤に伴って後の部長を現在の部長である下村先生にお願いしましたが、彼は私が築いたもの以上のチームを作り上げてくれました。2005年にはPCI件数は1000件を超え、国内の件数では10位以内にランクされるチームを作り上げてくれたのです。当時 彼はまだ30歳代で全国で最も若い1000件のチームの部長でした。
その彼が昨日、熊本で開催されている心臓病学会に合わせて私が福岡に勤務していた頃の仲間を集めてOB会を開催してくれたのです。その中で私をメインのゲストにしてくれ1時間の講演をさせて頂きました。私が着任した頃には研修を終わったばかりだった先生もその多くが色々な施設で部長になりました。下村先生は副院長です。福岡大学の講師になった西川先生は来年のCVIT九州地方会の会長です。上段の共に働いた仲間が実施するPCI件数の合計は年間に2000件を超えると思います。彼らの力で一人前になったことは間違いがありませんが彼らが若かった頃に部長として共に働いたことは私の誇りでもあります。そうした場を作ってくれた下村先生の品格に感動しました。彼の今のチームには巣立っていった仲間もずっと通い続けています。彼が26歳で私と共に働き始めてその品格と努力と実力で、はるかに私を超える存在になり、私の一番弟子だと言うのも恥ずかしいくらいです。
成長し、共に働いた時間を大切に思ってくれる仲間の存在があり、幸せな気分です。彼らのさらなる成長のために私に、もし役割があれば精一杯の応援や援助をしたいと思います。彼らを私の人生の宝だと思える品性を持ち続けたいものです。
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